Frànçois & The Atlas Mountains "E VOLO LOVE"
フランソワ & ジ・アトラス・マウンテンズ『エ・ヴォロ・ラヴ』
砂丘。顔と体に煤。腕には革バンドで巻いた羽毛の袖套。アンチークな卑金属のペンダント。MGMTのファーストアルバムや宮崎駿の『もののけ姫』を想わせる図ですが、そこにいるのはどこかの天体からひとりこの荒れ地に送られてきたような心細い顔をするフランソワ。このフランソワはあちらにあるこちらにもあるフランソワと違う,ということを示すために名前の3文字めの上に角をつけて[ à ]としています。宇宙人にも識別可能のような目印みたいに見えます。
この若者の名はフランソワ・マリー。私は多くのフランス人たちと同じように,2009年のサードアルバム『PLAINE INONDABLE』(私はこれを『洪水に襲われやすい平原』と訳してます。拙ブログのここ→He's a rainbowでレヴューしてます)でこの音楽に出会っています。特にその中の1曲 "Be water(Je suis de l'eau)"のクリップにこれまでに見たも聞いたこともない驚くべき才能を感じたのでした。超マイナー・レーベルから発表されていたフランソワの作品は一躍オーヴァーグラウンドで語られるようになり,2010年に英国の大手独立レーベルのドミノ(アークティック・モンキーズ,フランツ・フェルディナンド,ロバート・ワイアット...)がフランス人アーチストとしては初めてのケースとしてフランソワと契約して,この新アルバムを制作します。
E VOLO LOVE これはパランドローム(回文)。左からも右からも同じ文字が並んでいます。スペイン語として解釈するなら「私は恋(ラヴ)を盗んだ」という意味になりましょうか。「エ・ヴォロ・ラヴ」こんなタイトル見つけたら,さぞうれしいでしょうが,そのナイーヴさも隠せません。そのナイーヴさは,恋を盗んだゆえにその罰として地球に落とされてしまった宇宙人のメランコリーのようなジャケットアートにも現われます。最初期のル・クレジオ小説みたいなところもありますね。そこはかとなく宇宙人ぽいメランコリー,これがこのアルバムのポイントでしょうか。
フランソワのステージは2009年にパリ20区のマロキヌリーに続いて,2011年夏はわが川向こうのロック・フェスティヴァル,ROCK EN SEINEで見ました。 後者の野外大ステージはとても場違いでその繊細さが殺されてしまいましたが,もともとこの若者の真骨頂は密室スタジオワークにあると思っていたので,さもありなん,という印象でした。これはアルノー・フルーラン=ディディエも同じで,いくらCDで音の魔術師になれても,ステージではほとんど何も発揮出来ない,というのが私の見方でした。
アルバムは ROCK EN SEINEの2ヶ月後に出ました。良いジャケ,良いタイトル,ということは上で既に述べました。 「音頭」のリズムだった"Be water"の延長のようなエキゾティックで浮遊感あふれる1曲め"LES PLUS BEAUX"が始まったとたん,フランソワの音のマジックはぐっと音数を増した,と思わせます。一回り大きくなったロム・オルケストル(l'homme orchestre)は、前作までメンバー不定だったジ・アトラス・マウンテンズを、アモーリー・ランジェ(ドゥヌンバ、カレバスなどのアフリカン・パーカッション)、ロバート・ハンター(ドラムス)、ジョー・ウィーン(エレクトリック・ギター)、ジェラード・ブラック(キーボード)で固めました。すなわち、ひとりオーケストラ的だった前作までとは違って、バンドの音が骨組みとなった上で、フランソワの宇宙人的なアイディアでの弦や金管やポリフォニー・コーラスやエレクトロニクスが大活躍する、というオーケストレーションです。巧みなアートです。
それはこのアルバムで密室でのイマジネーションから抜け出て、旅する音楽に変わってしまいました。出会いのある音楽、とも言えましょう。アフリカ、トロピカルな島、北アメリカの砂漠、どことも名付けられるハイウェイ、ホテル/モーテル... その出会いに応じてトラヴェラーのように英語とフランス語をごっちゃにして使っているようです。
その英語はブリストルで6年間暮らしていたフランソワの英語で、そのフランス語は西海岸シャラント・マリティームでの少年時代にランボー、ボリス・ヴィアンを読み、ドミニク・アの歌を愛していたフランソワのフランス語です。あるインタヴューで彼のこよなく愛する作家/詩人のひとりにチェーザレ・パヴェーゼ がいることを知り、フランソワのメランコリアの源のひとつはイタリアにもあったのか、と天を仰ぎます。マンマ・ミーア!
前に私は「アマンダ・リアーのような」と形容したフランソワの中性的な声質の官能性は、この英語とフランス語が混じる時のフランス語詞の部分に顕著で、倒錯キャバレー的ですらあります。セクシーだった頃のボウイーを想わせる、地球に堕ちてきた男なのです。
敬愛する先達ドミニク・アのミューズだったフランソワーズ・ブルー(フランソワの"à"と同じように、あちらにもあるこちらにもあるフランソワーズとは違うという印に、彼女はその名を"Françoiz"と綴ります)とデュエットで歌われる越境願望の歌もあります。
<<< トラックリスト >>>
1. LES PLUS BEAUX
2. MUDDY HEART
3. EDGE OF TOWN
4. CITY KIDS
5. AZROU TUNE
6. BURIED TREASURES
7. CHERCHANT DES PONTS
8. SLOW LOVE
9. BAIL ETERNEL
10. PISCINE
11. DO YOU WANT TO DANCE
FRANCOIS & THE ATLAS MOUNTAINS "E VOLO LOVE"
CD DOMINO RECORD FRANCE WIGCD280
フランスでのリリース:2011年10月
(↓ "PISCINE" オフィシャルヴィデオ・クリップ)
フランソワ & ジ・アトラス・マウンテンズ『エ・ヴォロ・ラヴ』
砂丘。顔と体に煤。腕には革バンドで巻いた羽毛の袖套。アンチークな卑金属のペンダント。MGMTのファーストアルバムや宮崎駿の『もののけ姫』を想わせる図ですが、そこにいるのはどこかの天体からひとりこの荒れ地に送られてきたような心細い顔をするフランソワ。このフランソワはあちらにあるこちらにもあるフランソワと違う,ということを示すために名前の3文字めの上に角をつけて[ à ]としています。宇宙人にも識別可能のような目印みたいに見えます。
この若者の名はフランソワ・マリー。私は多くのフランス人たちと同じように,2009年のサードアルバム『PLAINE INONDABLE』(私はこれを『洪水に襲われやすい平原』と訳してます。拙ブログのここ→He's a rainbowでレヴューしてます)でこの音楽に出会っています。特にその中の1曲 "Be water(Je suis de l'eau)"のクリップにこれまでに見たも聞いたこともない驚くべき才能を感じたのでした。超マイナー・レーベルから発表されていたフランソワの作品は一躍オーヴァーグラウンドで語られるようになり,2010年に英国の大手独立レーベルのドミノ(アークティック・モンキーズ,フランツ・フェルディナンド,ロバート・ワイアット...)がフランス人アーチストとしては初めてのケースとしてフランソワと契約して,この新アルバムを制作します。
E VOLO LOVE これはパランドローム(回文)。左からも右からも同じ文字が並んでいます。スペイン語として解釈するなら「私は恋(ラヴ)を盗んだ」という意味になりましょうか。「エ・ヴォロ・ラヴ」こんなタイトル見つけたら,さぞうれしいでしょうが,そのナイーヴさも隠せません。そのナイーヴさは,恋を盗んだゆえにその罰として地球に落とされてしまった宇宙人のメランコリーのようなジャケットアートにも現われます。最初期のル・クレジオ小説みたいなところもありますね。そこはかとなく宇宙人ぽいメランコリー,これがこのアルバムのポイントでしょうか。
フランソワのステージは2009年にパリ20区のマロキヌリーに続いて,2011年夏はわが川向こうのロック・フェスティヴァル,ROCK EN SEINEで見ました。 後者の野外大ステージはとても場違いでその繊細さが殺されてしまいましたが,もともとこの若者の真骨頂は密室スタジオワークにあると思っていたので,さもありなん,という印象でした。これはアルノー・フルーラン=ディディエも同じで,いくらCDで音の魔術師になれても,ステージではほとんど何も発揮出来ない,というのが私の見方でした。
アルバムは ROCK EN SEINEの2ヶ月後に出ました。良いジャケ,良いタイトル,ということは上で既に述べました。 「音頭」のリズムだった"Be water"の延長のようなエキゾティックで浮遊感あふれる1曲め"LES PLUS BEAUX"が始まったとたん,フランソワの音のマジックはぐっと音数を増した,と思わせます。一回り大きくなったロム・オルケストル(l'homme orchestre)は、前作までメンバー不定だったジ・アトラス・マウンテンズを、アモーリー・ランジェ(ドゥヌンバ、カレバスなどのアフリカン・パーカッション)、ロバート・ハンター(ドラムス)、ジョー・ウィーン(エレクトリック・ギター)、ジェラード・ブラック(キーボード)で固めました。すなわち、ひとりオーケストラ的だった前作までとは違って、バンドの音が骨組みとなった上で、フランソワの宇宙人的なアイディアでの弦や金管やポリフォニー・コーラスやエレクトロニクスが大活躍する、というオーケストレーションです。巧みなアートです。
それはこのアルバムで密室でのイマジネーションから抜け出て、旅する音楽に変わってしまいました。出会いのある音楽、とも言えましょう。アフリカ、トロピカルな島、北アメリカの砂漠、どことも名付けられるハイウェイ、ホテル/モーテル... その出会いに応じてトラヴェラーのように英語とフランス語をごっちゃにして使っているようです。
その英語はブリストルで6年間暮らしていたフランソワの英語で、そのフランス語は西海岸シャラント・マリティームでの少年時代にランボー、ボリス・ヴィアンを読み、ドミニク・アの歌を愛していたフランソワのフランス語です。あるインタヴューで彼のこよなく愛する作家/詩人のひとりにチェーザレ・パヴェーゼ がいることを知り、フランソワのメランコリアの源のひとつはイタリアにもあったのか、と天を仰ぎます。マンマ・ミーア!
前に私は「アマンダ・リアーのような」と形容したフランソワの中性的な声質の官能性は、この英語とフランス語が混じる時のフランス語詞の部分に顕著で、倒錯キャバレー的ですらあります。セクシーだった頃のボウイーを想わせる、地球に堕ちてきた男なのです。
どこで目が覚めたのか?(英語)
この奇妙な場所は何なのか?(英語)
熱い空気が周りを包み (仏語)
僕は月日の経つのを忘れた (仏語)
僕の皿には何が乗っているのか?(英語)
また料理なのか?(英語)
世界は回転し、(仏語)
飛び上がって降りてみたら別の場所だった(仏語)
("AZROU TUNE")
敬愛する先達ドミニク・アのミューズだったフランソワーズ・ブルー(フランソワの"à"と同じように、あちらにもあるこちらにもあるフランソワーズとは違うという印に、彼女はその名を"Françoiz"と綴ります)とデュエットで歌われる越境願望の歌もあります。
僕らは橋を探している。越境手引き人を探している象徴詩的なメランコリーです。それは少年の日の淡い恋の悲しみを忘れるためにプールで大はしゃぎする照れ隠しのメランコリーの歌で極まります。
魚釣り師たちは僕らにこう警告した
「この水流は急で底が深い、
巻き込まれたら二度と戻れなくなる、
だから岸にとどまっていなさい
もう日が落ちる」
そして夜も落ち、
僕らは彼らの収穫である魚を
ほんの少しだけもらって食べる
彼らは戦争のことや季節のことを良いもののように語る
それは僕らには地獄なのに
もういいことにしよう...
僕らは向こう側に行きたかったのだ...忘れよう
("CHERCHANT DES PONTS")
明日プールに行こうこの歌は、誰も聞いたことがないフランソワのファーストアルバムに入っていた曲の再録音だそうです。詞も曲もヴィデオ・クリップもトータルな「水と悲しみ」を私たちにつきつけます。私はこのような才能を持つフランソワを「トータルなアーチスト」であると断言できるのです。
晴れるだろうし、悲しみも忘れさせてくれるだろう
プールに行く道は思い出せるから
明日会おう
彼らは10メートルの飛び込み台からジャンプするだろうが
僕はせいぜい3メートルだ
キッズたちははしゃぎ、悪ふざけをするだろう
きみは飛び込み台の影に坐り
筋肉質の男たちが飛び込むのを見るだろう
きみは僕ときみのことを思い
僕ときみを溺れさせてしまうだろう
("PISCINE")
<<< トラックリスト >>>
1. LES PLUS BEAUX
2. MUDDY HEART
3. EDGE OF TOWN
4. CITY KIDS
5. AZROU TUNE
6. BURIED TREASURES
7. CHERCHANT DES PONTS
8. SLOW LOVE
9. BAIL ETERNEL
10. PISCINE
11. DO YOU WANT TO DANCE
FRANCOIS & THE ATLAS MOUNTAINS "E VOLO LOVE"
CD DOMINO RECORD FRANCE WIGCD280
フランスでのリリース:2011年10月
(↓ "PISCINE" オフィシャルヴィデオ・クリップ)
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