AKLI D. "PARIS - HOLLYWOOD"
アクリ・デ. 『パリ - ハリウッド』
(新ゼブダを待ちながら。)
アクリ・デ.(Akli Dehlis)は旅する人です。ノマードと言っていいのでしょう。その旅の最初というのは、1980年の「ベルベルの春」(カビリアの言語であるタマジット語の公用語化などを求めるカビリア自由化運動)に対するアルジェリア政府の弾圧を逃れる亡命の旅でした。自由に旅する人たちというのは、いろいろなものと出会うことを糧として生きていますが、旅先で受け入れられなかったり、法律や人々の狭い心に道を閉ざされたりします。拒絶されるケースは年々増えています。マニュ・チャオがその自由な密航者(クランデスティーノ)の過酷な事情を歌ったのは1998年のことでした。アクリはその翌年1999年に『Anefas Trankil(彼を自由にしてやれ)』と題するデビューアルバムを発表しています。それから十年以上経った今日、事情はますます悪くなっています。フランスでは自由な旅人はもとより、自由を求めて地上の地獄から逃れる旅に出た人たちに、道は閉ざされてしまった感があります。
アクリ・デ.は80年代にフランスに着いて3年間は不法滞在者(サン・パピエ = 「紙」のない者)でした。クランデスティーノだったわけです。警察の目を逃れながら、パリのボーブール(ポンピドゥー・センター前)で、ギター弾語りでカビリアの歌を歌っていました。ワールドミュージックなど影も形もなかったその当時、アルジェリアの歌などごく稀にしか聞けないフランスで、ボーブールでこんな歌手が歌っているというウワサ(これを「テレフォヌ・アラブ」と言う)を聞きつけて、アルジェリア系の人たちが家族連れで大勢集まってきます。アクリはレパートリーにジャメル・アラムやイディールの歌を加えて大人気を博します。そんなある日、ガールフレンドに連れられてニール・ヤングのコンサートに行き、大変なショックを受けます。アクリのフォーク・スピリットはここが原点なのかもしれません。次いでボブ・ディラン、フェラ・クティ、ボブ・マーリーなどに傾倒していき、アクリ独自のカビール・フォークが生まれていきます。つまりベルベルのアイデンティティーと、フォークの歌心と、抵抗のメッセージと、アフリカのリズムとグルーヴ。若い時は恐いもんなしですねえ。
ストリートで歌い、メトロで歌い、バーに出演し、そんなホーボー・カビール・アーチストとして実力をつけ、1999年に(倉庫で録音したと言われる)ファーストアルバムを発表。2006年にはマニュ・チャオのプロデュースで(田舎の家でほとんどライヴで録音されたという)セカンドアルバム『マ・イエラ(できることなら)』。スペイン、アイルランド、米国西海岸(サン・フランシスコ)、サハラ砂漠... 旅するアクリはその多種多様な出会いの中で、「言語」を見つけていったのだと思います。ボブ・マーリーやフェラ・アニクラポ・クティの英語、マニュ・チャオの英語とスペイン語、そういう平易で明晰でパワフルでそのランゲージを知らぬ人にさえ心が伝わるだろう歌詞と声、それをフランス語で実現しているアーチストたちもいます。ゼブダ、アマドゥー&マリアム、ティケン・ジャー・ファコリ、そしてフランス語で歌う時のスアード・マッシもそうです。タマジット語(ベルベル語)とフランス語で歌われるアクリ・デ.の歌詞と声も、まさにそうなのです。
ストリート出身ということで説明すれば、ラ・リュー・ケタヌーも同じことを言っていました。初対面の人たち(つまりストリートの通りすがりの観客)に、歌を気に入ってもらえるのは、分かりやすく憶えやすくキメの利いたリフレインがあること、この言葉選びこそ、ストリートで生き抜くための秘訣なのだ、と。マニュ・チャオやフランソワ・アジ=ラザロ(ピガール)も地下鉄から出発したという点で、同じ言葉選びをしていたはずです。
アクリ・デ.の3枚目のアルバムが届きました。刺激的です。一言一言、そして一音一音が残ります。望郷("Wali")、クランデスティーノの嘆き("Yeliss n'tizi ouzou"。マニュ・チャオ"Je ne t'aime plus"への目配せあり)、平和こそが解決というメッセージ("La Seule Solution")、海を渡ってきた亡命者たちの道を閉ざすな("Tziri"。ゼブダのマジッド・シェルフィが共作詞とヴォーカルで参加)、暗殺されたカビール抵抗歌手マトゥーブ・ルーネスへのオマージュ("Luken-Lounes"。スティーヴ・ヒレッジのギター/編曲)、マグレブの癒しのブルース:グナワへの讃歌("Mister Gnawi")、シャンゼリゼで茶を飲もうとしたらノマドお断りと言われる("Thé à la menthe")、子供時代の故郷への郷愁("Arggu")、ブルキナ・ファソからスターを夢見てパリに出てきた少女がファーストフード店員で終わる歌("Paris - Hollywood")、流謫の身を月に吠える狼に喩える("Je gueulais à la lune")、90年代にアクリも関わったオルタナティヴ・バンド、ヤン&レ・ザベイユ(2001年にリーダーのヤンが病死)へのオマージュ("Yan et les Abeilles")、バルセロナのバーの歌姫への恋歌("Maria"。アンパロ・サンチェスの素晴らしいヴォーカル)、門戸を開放せよと迫る("Laissez-les passer")。1曲とて不可解な歌はありません。すべて明晰で、すべて膝を叩いて同意したくなり、すべて心を打ちます。こういうアルバムは、そうざらにあるものではないはずです。
シャンゼリゼ大通りにやってきて
カフェで一杯のミント・ティーを注文したら
それはできないと言われた
ここはノマードのやり方が通用しないんだ、と
セーヌに沿って歩みを進め
野外にテントを張っていたら
それはだめだと言われた
ここはノマードのやり方が通用しないんだ、と
(リフレイン)
俺は誰だ?
俺はアマジールだ
俺は誰だ?
俺はアフリカン・アマジールだ
アマジールというのは「自由人」という意味なんだぞ
俺は北アフリカの故郷にもどってきたら
死の脅迫を受けた
おまえはだめなんだ
ここでもノマードのやり方はもう通用しないんだ、と
(リフレイン)
("Thé à la menthe" 薄荷茶)
編曲プロデュースにフィリップ・エイデル(ハレド、加藤登紀子その他ワールド・ミュージック全盛期の名プロデューサー。ベース、ブーズキ、チャランゴ、キーボード等も)。1曲("Luken-Lounes")だけ例外で、編曲プロデュースがスティーヴ・ヒレッジ(元ゴング。キャルト・ド・セジュール、ラシッド・タハのプロデューサー)。ゼブダのマジッド・シェルフィ、レ・ゾグル・ド・バルバックのフレドも参加。
アマジーグ・カテブ、ムース&ハキムなどのCDの横に並べるべき、必須の1枚です。
<<< トラックリスト >>>
1. WALI
2. YELISS N'TIZI OUZOU
3. LA SEULE SOLUTION (feat. FREDO from LES OGRES DE BARBACK)
4. TIZIRI (feat. MAGYD CHERFI from ZEBDA)
5. LUKEN-LOUNESS (feat. STEVE HILLAGE)
6. MISTER GNAWI
7. THE A LA MENTHE
8. ARGGU
9. PARIS - HOLLYWOOD
10. JE GUEULAIS A LA LUNE
11. YAN & LES ABEILLES
12. MARIA (feat. AMPARO SANCHEZ)
13. LAISSEZ-LES PASSER
AKLI D. "PARIS - HOLLYWOOD"
CD RUE BLEUE/L'AUTRE DISTRIBUTION AD1912C
フランスでのリリース:2011年10月10日
(↓)ヴィデオクリップ "Thé à la menthe"
0 件のコメント:
コメントを投稿