わが窓の下を流れるセーヌの対岸、パルク・ド・サン・クルーの最も川側にあったマロニエの大木の並木が全部伐採されてしまいました。ずいぶん景色が変わりました。とは言っても,この写真ではわからないかしら? 8月の末に3日間開かれるRock En Seineも、この並木がなくなったおかげで視界がかなり開けたので、塀越しに見る「ただ見客」が多数押し掛けて来ることでしょう。私たち家族は28日と30日の2日間行くことにしています。
そのパルク・ド・サン・クルーで、しかもわが窓の真正面にあるカスカード(滝泉水モニュメント)を使って、9月12日に「ヨーロッパ最大の花火イヴェント」が開かれるのだそうです。名付けて Le Grand Feu de Saint Cloud 。地上12メートルの空中ステージのピアノショー(水とライトショーと小音量花火つき)が前座で、そのあと22時から23時20分まで、1時間20分の大花火ショー。 こんな規模のものですから、入場料取るんですね。シャンパーニュつきのVIP席が56ユーロ(7500円?)、椅子席が39ユーロ(5300円?)、立ち見が大人で25ユーロ(3300円?)、子供で12ユーロ(1600円?)。観客の見込み数は20000人だそうです。私らの感覚では、花火ってただで見るものだと思いますがね。オフィシャルサイトで見たら、VIP席は「完売」となってましたね。わが家のバルコンを使って、超VIP席でヤミ商売しようかしら。
"Le Hérisson" 『はりねずみ』 2009年フランス映画 監督:モナ・アシャシュ 主演:ジョジアンヌ・バラスコ、ギャランス・ル・ギエルミック、伊川東吾 フランス封切:2009年7月3日 2006年の大ベストセラー小説、ミュリエル・バルブリー作『はりねずみのエレガンス(L'élégance du hérisson)』の映画化です。原作はこの5月に文庫本化されたので、映画が良かったら読んでみようと思っていました。封切からちょっと日にちを置いての鑑賞なので、いろいろと良くない評判は聞いていました。この種の映画にはつきものの「原作小説と比べるとちょっと...」という物言いですね。
映画はとてもわかりやすい構成です。パリの超高級住宅街の古い石造りの高級アパルトマン(だからエレベーターがしょっちゅう故障する)の5階に住む高級官僚の一家の次女パロマは,11歳で人生に絶望しています。体面のみを重視し,外でも家でも政治家答弁のようなものの言い方をする父親。なにひとつ不幸なことなどないのに,自分の不幸を分析してもらいに精神分析医に通い,亢進剤とシャンパーニュを交互に飲み,家のいたるところにある鉢植えの観葉植物に熱心に話しかける母親(演アンヌ・ブロッシェ。はまり役です)。その教育レールに乗って超俗物に育ってしまった姉。パロマは明晰な頭脳と豊かな絵画的想像力を持ち合わせているために,この家を呪い,この家で金魚鉢の中の金魚のように育つことを拒否し,1年後の誕生日に自殺することを決意します。その自殺の日までのカウントダウンをパロマはヴィデオ日記というかたちで綴っていきます。
建物の最下階には多くの古い建物にあるように,入口横にコンシエルジュ(管理人室)があり,多くの場合がそうであるように,年中同じ服を着た,ふとっちょで,気難しい顔をした,住み込みの雇われ管理人のおばさんがいます。ルネ(ジョジアンヌ・バラスコ)はまさにそれを絵に描いたような女管理人です。管理人室にはいつでも誰も見ていないテレビが点きっぱなしになっている = これはフランス人が抱いている戯画的で侮蔑的な管理人イメージです。ルネはテレビなど全く興味がないのですが,その見ることのないテレビを(音量をゼロにして)わざわざ点けっぱなしにしておきます。自分がどこにでもいる平凡で透明で人畜無害の管理人であることをわざわざ見せつけるためです。ところがこのルネの実像はそうではないのです。
このぶっきらぼうで怖い顔をしたおばさんの外見は「はりねずみ」のようにとげとげしいものでも,中身は全く違うのだ,ということをパロマは察しています。それはその机に置いてあった読みかけの本が「谷崎」だったりするのを見てしまったからです。
ある日6階の住人が死に,代わりに初老の日本人紳士カクロウ・オヅ(伊川東吾)が新家主として引っ越してきます。東洋の神秘。不動産屋に連れられてオヅが初めて管理人室を訪れ,ルネと初対面します。オヅはルネに「前にそこに住んでいた家族をよくご存知でしたか?」と聞きます。ルネはつっけんどんに「どの家庭も似たようなもんです」と答えます。すると不動産屋が割って入って「幸せな家庭でしたよ」と言います。このあとの会話を下に書き取ります。
ルネ "Toutes les familles heureuses se resemblent" (すべての幸福な家庭はみんな似通っている) オヅ "Mais les familles malheureuses le sont chacune à leur façon" (だが不幸な家庭はそれぞれ違ったかたちで不幸である)
La Compagnie Créole "L'Intégrale 1982-1990" ラ・コンパニー・クレオール 『全録音集 1982-1990』
昨夜はフランスの主要テレビ局の8割がマイケル・ジャクソン追悼セレモニーに占められましたが、国営フランス3は果敢にも当初予定の番組を変更せずに"LA FOLLE HISTOIRE DU DISCO"(狂気のディスコ・ストーリー)というディスコ・ミュージックを大回顧するプログラムを放映しました。司会はアマンダ・リアーでした。自分が"FOLLOW ME"というディスコ・ヒットを出した経緯がある当事者だからなんでしょうか、トーンが徹頭徹尾弁護的で、人はディスコをバカにしたり蔑んだりするけれど、実はこんなにすごい音楽なんだ、というのを証明しようとするんですね。できませんが。ディスコは「曲1曲」という単位ではなく「キロなんぼ」で売られる音楽だ、なんていう論者まで出てきました。困ったものです。一体この侮蔑は何なのでしょうか? 踊るための音楽というのはそうでない音楽より数段低級という、言われのない差別感覚が識者には顕著です。
ラ・コンパニー・クレオールもその最盛期にはずいぶんと叩かれました。これを叩く人々にまずあるのは, "Musique de bal"(ダンスパーティー音楽)への蔑視です。冠婚祭,誕生日,クリスマス,新年などの時にターンテーブルに乗るレコードなど,鑑賞に値するわけがないという低級音楽観です。それから「本物ではない」という見方です。世は80年代前半,ワールド・ミュージック黎明期で,アフリカやマグレブやカリブからさまざまなポップ・ミュージックがフランスで聞かれだした頃です。その中でこのバンドは,仏海外県アンチーユ(マルチニック,グアドループ,ギュイアンヌ)出身の5人で構成されながら,パリで制作され,クレオール語を使わずフランス語で歌い,作詞作曲を本土白人に託して,テレビで口パクで歌っていました。これはカリブ・クレオールの衣をかぶっただけの,本土白人の商業的な産物でしかない,というわけです。そういう見方では,カッサヴやマラヴォワは本物であり,ラ・コンパニー・クレオールは偽物である,ということになります。ズークという新しい音楽の誕生が,仏海外県アンチーユの人々のアイデンティティーの高揚という社会的な意義を含んだ熱狂的な盛り上がりとなっていた時に,こいつらは本土白人に魂を売り渡した,といった極論も聞かれました。しかし,何を言われても,このバンドはめちゃくちゃに売れました。
仕掛人は二人です。ジャン・クリューガー(フランス語読みして「クリュジェ」と呼ぶ人もいます)とダニエル・ヴァンガルドは、60年代半ばからソングライターチーム(どちらが作詞、どちらが作曲ということではなく、二人ともどっちもできるようです)兼プロデューサーとして、シェイラ、クロード・フランソワ、ペトゥラ・クラークなどへの曲提供者でした。以前この欄で紹介しましたレ・パリジエンヌのデビューにもジャン・クリューガーがプロデューサーとして関わっていて、レ・パリジエンヌのレパートリーにもヴァンガルド/クリューガーの曲があります。ダニエル・ヴァンガルドは自らシンガーとしてもレコードを出していて、コレクターサイト Encyclopedisqueによると、67年から79年の間に7枚のシングル盤を発表しています。そのうちの1枚71年の「シュワバダ・ディン・ドン」は「ダン&ジョナス」という名義になってますが、実はヴァンガルド&クリューガーなのです。またこの二人が71年に「ヤマスキ・シンガーズ」を名乗って今やカルトアルバムとなっている『華麗なるヤマスキの世界』を発表しています。このあたりから私たちはこの二人の異様な才能を意識せざるをえないのですが、並外れたレア・グルーヴと並外れたエキゾティスムは、70年代に「ディスコ」という優れて無国籍なダンスミュージックの勃興によって、ヴァンガルド/クリューガーは水を得た魚のごとき、八面六臂の活躍を開始します。ラ・ヌーバ、クラブ・サン・ティレール(「ヤマスキ」がデビューしたパリのクラブ)、ザ・グレート・ディスコ・ブーズーキ・バンド、ソウル・イベリカ・バンド、シェイラ&B・ディヴォーション、エディー・ジョンス...
世界的ヒットはザ・ギブソン・ブラザース。いかにも源氏名なバンド名ですが、マルチニック島のソウルバンドに、サルサ風ディスコを歌わせた「キューバ」(1978)でミリオンヒット。続いてオタワン。カナダの首都もじりの名前ですが、グアドループ島出身のシンガー、ジャン=パトリック。オバカなディスコの世界的リファレンスとなる「D.I.S.C.O」(1979),「You're Ok / T'es OK」(1980),「Hands Up / Haut les mains」(1981)、これらはすべて全世界の地中海クラブで毎夏毎夜踊り狂われました。
この二つがラ・コンパニー・クレオールの直接の先祖と言えましょう。すなわちヴァンガルド/クリューガーは仏アンチーユ出身のアーチストで世界的ヒットを出したという経緯から、このラ・コンパニー・クレオールにも勝算があったのです。ディスコが衰退しても、トロピカルなダンスミュージックは不滅である、と。この『全録音集』についてあるダニエル・イシュビア(ビル・ゲイツやマドンナの評伝著作のある人です)のライナーノーツによると、多くの業界プロたちから「こんなものは売れるわけがない」という否定的な意見があったにも関わらず、ということになってますが。ことの発端はダニエル・ヴァンガルドがパリのクラブでアルチュール・アパトゥー(グアドループ島出身。黒めがねと帽子のギタリスト)の弾くギターに惚れ込んだことでした。これをダニエル・イシュビアは「ズーク・ギター」のように書くんですが、これってタブー・コンボなどで聞かれるハイチのコンパのギターですよね。(というふうにイシュビアの解説というのは、いちいちひっかかるところがあります)。
黒メガネ、超低音ヴォイス、コンパギターの人、アルチュール・アパトゥーと意気投合したヴァンガルドは、フランス本土で白人受けのするアンチーユ・ダンスバンドを作ることになります。ここで重要なのは「白人受けのする」ということで、アンチーユで受ける、または本土のアンチーユ・コミュニティーで受ける、ということを目的としてないのです。なぜならばそういうバンドは山ほどあり、その小さな市場でひしめいていたのであり、テクニック的にも音楽的にも優れていて、ちょっとやそっとで太刀打ちできるものではなかった、と思います。むしろ地中海クラブ的に、白人が楽しめて踊れる音楽が目的であり、その方が市場も大きく、ラジオやテレビにも門戸が開かれているからです。フランスでテレビが3チャンネルしかなかった時代ですから、門戸が狭いかわりに、それに乗じれば宣伝効果は甚大であったのです。
アルチュール・アパトゥーがオーディションの結果、メンバーとして選考したのは、女性ヴォーカリスト/ダンサーのクレマンス・ブリングタウン(bringtown。他のカリブの島からbringされて来た家系でしょうか。マルチニック島出身)、ギタリスト/ヴォーカリストのジョゼ・セベルーエ(ギュイアンヌ出身)、サルサ系ベーシスト/ヴォーカリストのジュリアン・タルカン(グアドループ島出身)、ゴスペル系ヴォーカリスト兼ドラマーのギ・ベヴェール(マルチニック島出身)。つまり全員ヴォーカル担当です。仏海外県アンチーユ3カ所の出身者からなる5人組、ラ・コンパニー・クレオールが誕生しました。
ダニエル・ヴァンガルドは最初、このバンドをオリジナル曲ではなくアンチーユのレパートリー(クレオール語)で勝負させます。それだけでは本土白人をアピールするわけがありません。その世界の百戦錬磨の猛者であるヴァンガルドは、アンチーユのダンサブルなフォルクロールをつなぎ合わせて、ダンスフロアにおあつらえの「ノン・ストップ・ダンスミュージック・メドレー」に仕立て上げます。AB面で35分に及ぶメドレーは、ヴァカンス地のクラブのターンテーブルを直撃します。それに加えて、島に行ったことがある人は知っていても、そうでない人には縁もゆかりもなかった島の甘く優しい大衆歌「バ・モエン・アン・チ・ボ Ba moin en ti bo」(小さくキスしておくれ)をダンスチューンにしてシングルヒットさせます。
こんなものは売れるわけがない、としぶしぶだったレコード会社キャレールは仰天します。そしてそのまま続いてくれよ、という期待を無視して、アルチュール・アパトゥーはアンチーユ・トラッドを嫌って、ヴァンガルド/クリューガーのオリジナルに注目してしまいます。それはジョー・ダッサン、サッシャ・ディステル、カルロスなどに売り込んでおきながら、いずれからも断られていた "C'est bon pour le moral"という曲で、アパトゥーはこれを聞いた時、これは俺たちにうってつけの曲だから、ぜひ俺たちにくれと言って引き下がりません。1983年、ダニエル・イシュビアの解説によると、FMが自由化されて仏ロックのテレフォヌやバシュングが国内チャートを席巻し、クインシー・ジョーンズの洗練された編曲でマイケル・ジャクソンがダンスフロアを魅了していた頃、"C'est bon pour le moral"は「ビリー・ジーン」などとは遠い世界の曲でありました。大手ラジオ局に拒否され、大型店の見出し商品から外されたこの曲は、ある日この5人組がクロード・キャレール(同名レコード会社社長)の縁でテレビ局の歌謡番組(ギ・リュックス司会)に出演して口パクで歌ったのがきっかけで急激に火がつきます。「気分は上々。C'est bon pour le moral」大衆はこういうリフレインを求めていたのです。
Un p'tit feu pour démarrer, 小さく火をつけておいて Une caresse pour décoller. ちょっとおさわりで上昇気分 Si tu veux te réchauffer, 熱くなりたいんだったら Faut savoir bien béguiner. 恋の火遊びを知らないとね
C'est bon pour le moral, これは精神衛生上いいことなんだよ C'est bon pour le moral, これはとても気分を良くするんだ C'est bon pour le moral, これで心も快感だ C'est bon pour le moral, セ・ボン・プール・ル・モラル C'est bon, bon, c'est bon bon, セ・ボン、ボン、セ・ボン、ボン C'est bon, bon, c'est bon bon. セ・ボン、ボン、セ・ボン、ボン
セ・ボン、ボン、嘘ついたら針、セ・ボン、ボン。ちょっと好色なクレオール気分。この「セ・ボン、ボン」は90年代初めに島の好色歌手フランキー・ヴァンサンのメガヒット「パッションフルーツ」(Vas y Francky, c'est bon bon bon...)に継承され、好色度を激化させます。ゲンズブールが歌ったように、いつの間にか島は3つの「S」、 Sea, Sex and Sun の集うところとなっていたのです。それはともかくとして、83年夏「セ・ボン・プール・ル・モラル」はNO.1ヒットとなり、老若男女の大衆的フランス人層全般に「セ・ボン、ボン!」と大唱和させたのでした。
ヴァンガルド/クリューガーはおおいに焦ります。バンドはテレビにひっぱりだこで、コンサートツアーも組まれてしまいます。次なるオリジナル曲を出させば。新曲やヴァンガルド/クリューガーの引出しにしまっていた曲を次々に引っぱりだして、ラ・コンパニー・クレオールに歌わせますが、"Vive le douanier Rousseau", "Le bal masqué", "Ca fait rire aux oiseaux","Machine à danser"... ヒットに次ぐヒット。その最大のヒットとなった"Le bal masqué"(仮面舞踏会)は、フランスのシングルチャート上に32週乗り続けるという最長記録を達成したのでした。デカレカタン、デカレカタン、オエ、オエ!
Aujourd'hui 今日はキスしたい人みんなに J'embrasse qui je veux, je veux キスできるのよ Devinez, devinez, devinez qui je suis 私が誰だか当ててごらん Derrière mon loup, 仮面に隠れて 私はキスしたい人にだけ J'embrasse qui je veux, je veux キスするの Aujourd'hui, tout est permis 今日は何でも許されるのよ
<<< トラックリスト >>> 1. LOW 2. LACRIMA 3. THE SCARIEST THING 4. SPEAK A LITTLE SPELL 5. DEEPER 6. MISFORTUNATE 7. POISON 8. DARK EYES 9. THINGS YOU DON'T KNOW 10. NO SORROW 11. JUST BREAKING 12. SOMEHOW
RICHARD RUIN & LES DEMONIAQUES "THE HEIMLICH MANOEUVRE" CD LE BONBON NOIR LM60441S 制作2006年。フランスでのリリース:おそらく流通されていない。
(↓) RICHARD RUIN "POISON" その他 YouTube上にニューヨークでのライヴ画像数編公開中。