2017年11月24日金曜日

大統領どの、約束時間を忘れずに

大統領どの、
私たちは無駄話などもう聞きたくない

 ワインスタイン事件に触発された女性たちのセクハラ/性暴力の告発運動、#MeToo、#BalanceTonPorc、そして11月5日のエマニュエル・マクロン大統領への公開意見書「女性ふたりにひとり」 (署名者数70万人以上。詳細は拙ブログのここを参照のこと)。大統領マクロンは沈黙を破って、明日(11月25日)、この件に関する声明を発表すると言う。 
この署名運動を推進してきた女性活動家5人(カロリーヌ・ド・アース Caroline de Haas, クレマンティーヌ・ヴァーニュ Clémentine Vagne, マドリーヌ・ダ・シルヴァ Madeline Da Silva, ファティマ・ベノマール Fatima Benomar, ロール・サルモナ Laure Salmona)が、その前日である今日11月24日、大統領にその声明が曖昧な時間稼ぎや空虚な美辞麗句ではなく、具体的な緊急対策と具体的な予算の提示を求める #SoyezAuRdv キャンペーンを展開。27秒間の動画を用いて、大統領に「無駄話は不要」「大統領の高みにあれ」「約束時に必ず Soyez au Rendez-vous」と訴えている。

(動画メッセージ翻訳)
今日フランスでは毎日
227人の女性たちが強姦の被害者、
1643人の女性たちが性暴力の被害者、
数千人の子供達が暴力の被害者となっている
そしてその大多数の場合において
暴行者たちは
追及されることも
罰せられることもない
大統領殿
11月25日
あなたは声明を出します
私たちはもはや
無駄話など聞きたくない
私たちが聞きたいのは
具体的な行動
その方法
そして得られる結果です
大統領の高みにふさわしく
約束時に来てください

70万を超える人々が
あなたを注視しています


2017年11月12日日曜日

マンチェスター娘モディアノを歌う


The Chanteuse "Modiano"
ザ・シャントゥーズ
『モディアノ』

 テレラマ誌2017年11月8日号で紹介されていた英国マンチェスターの女性シンガー、ルーシー・ホープ(ステージ名「ザ・シャントゥーズ」)の8曲入りミニアルバム。タイトルが示すように2014年度ノーベル文学賞受賞作家パトリック・モディアノ(1945 - )が、作家デビュー(1968年『エトワール広場』)する前に、リセ・アンリ・キャトル校のダチだったユーグ・ド・クールソン(70年代プログレッシヴ・フォークバンドのマリコルヌ)と作詞作曲コンビを組んでいた時期のモディアノ作詞の歌8曲のカヴァー。この辺の事情は拙ブログのここにその中の1曲「サン・サルバドール」(映画『禁じられた遊び』テーマで知られる曲「愛のロマンス」にモディアノが詞をつけたもの。このザ・シャントゥーズのアルバムの2曲め)の日本語訳つきで紹介されているので、参照のこと。
 一般に世に知られているのはフランソワーズ・アルディによって歌われた「驚かせてよブノワ(Etonnez-moi, Benoît)」(1968年録音)の1曲のみ。
 ちなみにモディアノ最新小説『眠れる記憶(Souvenirs Dormans)』(2017年10月刊)の中で、作詞作曲家協会の会員になりたての頃、パリ13区にあった大手レコード会社ポリドールの録音スタジオに出入りしていたこと、そこで秘書として働いていた女性「ジュヌヴィエーヴ・ダラム」と接していたこと(小説の要!)が記述されている。
さて、ザ・シャントゥーズはオクスフォード大学で現代フランス文学を学び、パトリック・モディアノを卒論にしたのだそう。地元のサイケデリック系のバンド The House Of Glass のヴォーカリスト/作詞家であるほか、ホラー映画の映画音楽を担当したり。本業のスペシャリティーはフランス語シャンソン/ヴァリエテのカヴァーであるよう。レパートリーとして挙げられているのは、ブレル、ピアフ、ブラッサンス、バルバラ。YouTube に発表されている動画を見ると、フレンチ・シクスティーズ (アルディ、ゲンズブール、バルドー...)を売り物にしているよう。
 まあ、それを「おしゃれ」と思っているのか、フランスにはゲンズブールしか天才はいないと思っているのか、そういう浅薄な動機で発表される(外国の)カヴァー作品はとても多い。英国のザ・シャントゥーズのこのアルバムも「68年5月」「メロディー・ネルソン」「ジャン=クロード・ヴァニエ」などのリファレンスが。厚みのある声、クラシカル(古風なストリングス)な編曲、わずかにキャバレー歌手風な英語訛り.... 行ったことないけれど、英国大都市の小さなシャンソン酒場のショーみたいなものを想像してしまう。あの頃の日本のようにフランソワーズ・アルディを「アンニュイ」と言うなら、このルーシー・ホープの声は「スプリーン」と言えると思う。

<<< トラックリスト >>>
1. LES OISEAUX REVIENNENT
2. SAN SALVADOR
3. LES ESCALIERS
4. A CLOCHE-PIED SUR LA GRANDE MURAILLE DE CHINE
5. L'ASPIERE-A-COEUR
6. JE FAIS DES PUZZLES
7. LA COMPLAINTE DE ROLAND GARROS
8. ETONNEZ-MOI, BENOIT

CD/LP/Digital  UK Metropolis Labels
英国でのリリース : 2017年10月7日

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)ザ・シャントゥーズ「鳥たちは戻ってくる Les Oiseeaux Reviennent」のクリップ。

2017年11月5日日曜日

女性ふたりにひとり

まずは数字。
2017年10月19日付フィガロ紙で発表されたアンケート調査によると、53%の女性がこれまで性的暴行あるいは性的ハラスメントの被害者であったということを認めている。ふたりにひとり。

1 femme sur 2 (女性ふたりにひとり)
この異常な被害率を目の前にして、若い新大統領は何もしないのか?
緊急に具体的に対策を講じることはできないのか?
これが「1 femme sur 2」という意見書を作成したフェミニスト運動家カロリーヌ・ド・アースとジャーナリストのジュリア・フォイスが始めた、「大統領への書簡」への同意を求める署名運動です。全文は11月5日付の日曜紙ジュルナル・デュ・ディマンシュに掲載され、最初の賛同署名者として、ロール・アドレール(ジャーナリスト)、ザブー・ブレイトマン(女優)、マリー・ダリウーセック(作家)、ルアンヌ・エムラ(歌手)、フローランス・フォレスティ(漫談家)、イマニー(歌手)、アニェス・ジャウイ(映画監督・女優)、コリーヌ・セロー(映画作家)の名と写真を載せています。その他、同JDD紙のサイトには100名の著名署名者のリストが。また賛同者は意見書のサイト http://1femmesur2.fr で(男性でも)署名できます(これを書いている時点で、27000ほどの署名が集まっていました)。 以下、大統領への意見書の全文翻訳です。


マクロン殿、あなたは私たちの側ですか?
大統領殿
私たちはあなたが忙しい日程をこなしていることを知っています。しかしあなたは何日も前から起こっていることに無関心ではいられなかった。何百という数のメッセージがSNS上に現れ、フランスにおいて性的暴力に被害に遭う女性たちの事態の重大さを証言しました。女性のふたりにひとりが性的暴力の被害者となっています(2017年10月19日付フィガロ紙で発表されたアンケート調査)。ある女性たちはこの意見書に賛同署名することなく、暴行によってこの世を去っています。またある女性たちは身体の不自由ゆえに、同性愛者ゆえに、またレイシズムの被害者ゆえに、この性的暴力の被害をさらに特殊なものにしています。
あなたが移動先で、一般市民と出会ったり、会合や公式夕食会を催したりする際に、このことを頭の中に入れていますか? 私たちは「ふたりにひとり」なのです。
大統領殿、この意見書の署名者たる私たちは、多くの他の女性たちと同様に過去において嫌がらせを受けたり、暴行されたり、強姦されたりした者です。多くの女性たち同様、私たちはしばしば私たちを取り巻く人たちの無理解や否認、国家の行政が真剣に取り扱ってくれないこと、そして社会がこのようなことは大したことではないと私たちを信じさせようとしていること、あるいはそこに至る前に被害者自身が何か対策するべきだったという論などに直面することになります。私たちは、これらすべてのことに対する私たちの社会の極度に重苦しい沈黙の証言者です。耐え難い集団的な否認。根本から私たちの社会は女性たちを虐待しているのです。
大統領殿、これらのことはあなたはすべてご存知でしょう。ではなぜ私たちはこの意見書を書いたか? それはあなたがこの性暴力を止めさせる権力を持っているからです。
私たちの習慣に深く根付いていて変わりようがないと思われていたメンタリティーや振舞を、既に過去において公的権力は変えることに成功してきました。30年前に誰が交通事故死者数を4分の1にすることなど予想できたでしょう? 20年前に誰が紙ゴミの分別が今日常識的に行われるなど予想できたでしょう?
大統領殿、往来においても、職場においても、家庭においても、暴力を許さないことは規範とならなければなりません。緊急策として政令を布告してください。今すぐに。

1) 女性たちを電話によって、あるいは物理的身体的に保護する市民団体への補助金を即刻倍増し、女性被害者たちの収容可能キャパシティを倍にしてください。
2)2018年から、女性被害者たちと接触する職業従事者(教育者、行政官、司法官、警察官、憲兵、医療従事者、とりわけ労働医療関係者)への組織的かつ義務的な教育研修を実施してください。
3)新学年からコレージュ(中学校)に、現行の「交通安全資格認定」の例にならって、「非暴力資格認定」を義務単位として新設してください。
4)被雇用者と管理職に対して職場における性的ハラスメントの防止のための研修を義務化し、この件に関する企業内の交渉を義務付け、女性被害者の職を保護してください。
5) 交通安全キャンペーンと同等の重要な規模で、性的ハラスメント防止の全国キャンペーンを実施してください。そのためにあなた自身が大テレビ局のニュースに出演して、国家首班として、私たちの国には暴力がまかり通る場所がないということを断言してください。

これは作戦計画のように見えますか? これはそのうちの一部です。
大統領殿、私たちは深刻な危機に直面しているのです。
あなたは私たちの側につきますか?

(↓)国営テレビFRANCE 2の11月5日のニュースで報じられた「1 femme sur 2」

2017年10月27日金曜日

She don't lie she don't lie she don't lie..

70歳になったばかり、芸歴50年、24枚目のアルバム『われらが愛に(A nos amours)』のプロモーション中のジュリアン・クレールが、週刊誌パリ・マッチ(2017年10月26日)のインタヴューで、80年代の「若き日のあやまち」を告白。どうってこたぁねえっすよ。みんな若かったんだから。

パリ・マッチ「回顧的に見てみれば、ロダ=ジルとの決別は良い決定だったのではないですか? 1978年に始まる10年間は、あなたにとって最大の商業的成功をもたらした時期だったのですから…」

JC「僕はいつでも善良な一兵卒さ。ベルトラン・ド・レベー(註:ジャーマネ。現在は欧州最大のアーチストエージェント会社代表)の役目というのはこういう決定を下すことだった。僕の芸歴においてこの方面に関しては僕は彼に全面の信頼を置いていた。でもそれは僕がナイーヴな若者だったからかもしれない。何れにしてもこの時期に一つの大きな前進があったことは確かさ、とりわけヴァージンと契約したことはね。でも僕はこの時期もデビュー当時と同じように物事に無自覚に過ごしていた。」
パリ・マッチ「でも、あなたはそうやって “FEMMES… JE VOUS AIME”を歌って、フランスでも最もセクシーな男になったのじゃないですか…」
JC「人が言うには僕はその頃気難しかったんだそうだ。ありうるね。でも僕はその成功というのは僕の努力の結実だと思っていた。そして当時僕を取り巻くスタッフに僕は固くガードされていた。例えばその”FEMMES… JE VOUS AIME"という歌だけど、最初僕には歌うのが難しかった。初めてミウミウに歌って聞かせた時、彼女は「ノン!それは “FEMME JE T’AIME”じゃないとおかしい」と言った(註:複数の女性FEMMES をVOUSとして愛するのではなく、単数の女性FEMMEをTUとして愛するのでなければおかしい、と言ったのだよ)。人々の受け止め方は、僕に関しては50年間すべて良好という印象があるだろう。ところがね、客が良く入らなかったツアーというのもままあったんだよ。奇妙なことにそのことは誰も知らないんだね。
パリ・マッチ「80年代半ば、あなたは声の状態をキープするためという理由でコカインにまで手を延ばしました…」
JC「そしてそれは全く良くなかった! それは喉の奥のところで溶けてしまって、僕の耳鼻咽喉系のトラブルには全く効き目がなかった。その頃僕はあまりトレーニングをしない天才スポーツ選手のようだった。だからコカインなしには歌うことができなかった。だけどそこには快楽など全然なくて、早々にコカインからは卒業したよ。」
(↓)「ファ〜ム、ジュヴゼ〜〜ム」


(↓)2017年アルバム(カロジェロのプロデュース)"A NOS AMOURS"から 「ジュ・テーム・エトセテラ」



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2017年10月28日追記


パリジアン紙10月25日の第一面。ハーヴェイ・ワインスタイン事件を皮切りに、フランスでも一挙に噴出してきたあらゆる分野でのセクハラ・性暴力告発の大ムーヴメント。これに男性たちも支援・コミットする、という有名人男性16人の声明。
写真最上段・左から二人目にジュリアン・クレール。JC様の声明を以下に訳します。

ジュリアン・クレール、歌手、70歳

われわれすべてに責任がある。

不幸にしてセクハラ加害者はどの社会環境にも、どこにでもいる。しかし幸いにして僕はこれまでその場に居合わせたことは一度もなかった。僕が気がかりなのは、それに対して自分を防御することができない女性たちのことである。仕事場で好色な上司にセクハラ被害に遭う女性たちは自分の職を失うことを恐れている。われわれはみんなその各々の立場において責任があるが、それは極めてデリケートな問題であり、僕は知りもしないのに教訓を垂れたり、断罪したりするつもりもない。”FEMMES JE VOUS AIME”の歌詞を書いたジャン=ルー・ダバディーと共に、僕たちは女性たちを尊重する男たちである。僕は常にフェミニストの男であることを自認しているし、僕は常にフェミニストたちと共に生きてきた。ミウミウと共に僕は、婦女暴行犯罪の裁判を多く闘いその関連法を改善してきた弁護士ジゼル・アリミと密接な関係にあったし、そのことが僕に深い影響を与えた。愛は分かち合うものでなければならないし、このことに議論の余地がないのだ。
 L’amour doit être partagé, ça ne se discute pas. 「愛は分かち合うものでなければならないし、このことに議論の余地はないのだ。」
ありがたいお言葉です。


2017年10月23日月曜日

今朝のフランス語:indéboulonnable

"Au Japon,
l'indéboulonnable
Shinzo Abe"


  2017年10月23日、リベラシオン紙駐日記者アルノー・ヴォールランの記事の見出しです。"indéboulonnable(アンデブーロナブル)”は見慣れない形容詞ですが、単語を構成する要(かなめ)は "boulon(ブーロン)"で、これはボルト(雄ねじ)ナット(雌ねじ)のボルトを意味します。"boulonner (ブーロネ)"という動詞はボルトねじを締めるということで、逆にボルトねじを緩めてナットから抜いてしまう意味の動詞は "déboulonner(デブーロネ)"です。接尾詞 " - able"は「〜が可能な、〜できる」、そして頭についている接頭詞 " in - "は続く語の意味を否定する働きをします。"in - déboulonn - able"はすなわち、ボルトが固く締まっていてレンチでいくら頑張って緩めようとしてもビクともしない、そういう状態、転じて(人を)地位から引きずり下ろすことができない、(人の)評判をくつがえすことができない、という意味で使われます。
 これは10月22日の衆院選挙での自民党大勝を受けての論評ですが、記事の第1行はこうです。
C'est le paradoxe Abe : impopulaire mais élu et réélu sans discontinuer depuis cinq ans.
安倍のパラドックス、それは不人気であるのに5年間途切れることなく当選を繰り返していることである。

 (中略)この「投票所の王様」の新たな成功は全面的なものだったがそれは「ピュロスの勝利」にはならなかった。しかしながら世論調査からは安倍と国民の間の不信度の増大が懸念された。賄賂と身内偏重の2つのスキャンダル、国民に批判された安保法制の強行採決、そして日増しに驕りたかぶっていく国会での態度は、この日本保守政治のリーダーに正当性を与えるものではなかった。しかし彼の資質はもう傷がついた。2006年から2007年にかけて初めて政府首班となって完全に失敗した過去がある、この日本政界の「カムバック・キッド」は今日勝利的であるが、脆弱である。この列島の首相として連続5年、まもなく新記録になるが、安倍晋三は2020年のオリンピックまでもつだろうか?(後略)

リベラシオン紙ははっきりとそのカラーを出している左側の新聞なので、そういう読みなんでしょう。ところで一つこの記事で出てくる「ピュロスの勝利」という表現、初めて知りました。紀元前3世紀の古代ギリシャの王で、戦術の天才と言われたピュロスの故事なんですが、戦うたびに大損害を出して自軍兵の数を減らしていくことから、「損害が大きく、得るものが少ない、つまり割に合わない勝利」のことを「ピュロスの勝利」と言うようになったのだそう(日本語版ウィキペディア)。こんな高尚な喩えを出して、安倍の勝利を語ることなんかないのに。

↓(アベ・モワ!)


↓(アベ・モワ!)


2017年10月13日金曜日

黙っとらんベルトラン

今週号のレ・ザンロキュプティーブル誌表紙、ベルトラン・カンタ。2003年夏のマリー・トランティニャン殺害事件の被告として2004年過失致死罪で8年禁固刑。2007年仮出所、2011年刑務終了。2010年ノワール・デジール解散。2013年、ベーシストのパスカル・アンベールと「デトロワ Détroit」結成、本格的に音楽活動再開。この時、レ・ザンロキュプティーブル誌(2013年10月23日号)は表紙にカンタの大アップ顔写真を載せ、事件以来10年以上沈黙していたカンタのロングインタヴューを掲載した。
 私はその記事とデトロワのアルバムについて、ラティーナ誌2014年2月号に「生き返るのではなく生き直すための音楽 ー ベルトラン・カンタの帰還」という記事を書いた。私はその際に(実は本当に予測していたのけれど)抗議や非難のメールや投書は一切受け取っていない。しかしフランスではそんなことはタダで済むわけはなく、レ・ザンロック誌は多くのフェミニスト団体の轟々たる抗議だけでなく、文化人や音楽人たちの非難でメディアは沸き立ち、レ・ザンロック誌ボイコットの運動も起こった。にも関わらず、デトロワのデビューアルバムは20万枚を売り(私も絶賛した)、続く全国ツアーも(ノワール・デジールの楽曲を演奏したこともあって)大成功だった。しかしコンサート会場の外では常に抗議団体のデモがあったという。
 あれから3年、さめるわけのないほとぼり。デトロワを解消して(とは言っても、相方のパスカル・アンベールを制作の重要な協力者として残しておいて)、ソロ(ベルトラン・カンタ)の名義でアルバムを制作、12月にBarclay(ノワール・デジールからずっとカンタのレコード会社。仏ユニバーサル傘下)から発売するのだそう。レ・ザンロキュプティーブル誌は4年前と同じようにベルトラン・カンタを表紙にし、JD・ボーヴァレによるロングインタヴュー入り6ページ記事を掲載した。たちまちSNS上では男女均等担当大臣のマルレーヌ・シアパが発禁回収要求を出すなど、フェミニスト団体を中心に非難轟々である。掲載号発売の10月11日から今これを書いている10月13日までに、抗議・非難の声を上げた著名人たち : ローランス・ロシニョール(政治家、元・家族問題担当大臣)、ラファエル・エントーヴェン(哲学者)、パスカル・プロー(スポーツ解説者)、マチュー・カソヴィッツ(映画人)、アリソン・パラディ(女優)、ヴァネッサ・パラディ(女優)... その他、フランス国営ラジオFRANCE CULTUREによる「ロマン主義的ヒーローに見立てられたベルトラン・カンタの背景にあるフランスの男性優位主義プレスの伝統」という長い論考も興味深い(読むまでもないと思う)。
 残虐な殺人犯の「プロモーション」に手を貸すレ・ザンロキュプティーブル誌のエディトリアル方針への批判、殺人犯をロックヒーローとして復活させることへの嫌悪感、どうして控えめに活動することができないのか。3年前と同じように、私はこのソロアルバムにおおいに興味を持っているのだが、私は再び大きな記事を書くことはないと思う。
 2017年12月発売予定、ベルトラン・カンタ名義の初ソロアルバム『アモール・ファティ(Amor Fati 己が運命を愛せよ。フリードリッヒ・ニーチェの言葉)』のプロモーション、JDボーヴァレによるロングインタヴュー入り6ページ記事の一部。
レ・ザンロック:きみ自身の名前できみの新アルバムを出すということに躊躇はなかったか?
ベルトラン・カンタ「もちろんあったさ。俺の名前で、ということには執着はなかった。これも共同作業での制作だからね。アルバムのタイトルは "AMOR FATI"と言い、ニーチェの「運命愛」からコンセプトをいただいた。意味は「汝の運命を愛し、それと共に生きよ」ということ。アモール・ファティは覚醒して受容することであり、諦念による忍従ではない。これは俺にとって知性を超えたところにある、強靭な生命の秘密だった。それは俺が後悔や呵責なしに生きているということではない。アモール・ファティ、それは俺がとった行為がもたらした結果をすべて引き受けることだ。俺は下された審判と刑罰を受容するということにおいては常に明白な態度だったし、それは今も変わらない。全知全霊でもって俺はそのすべてを保って続けている。俺は忘れることができない、だが俺は変わることができる...」

 この最後の1行「 Je ne peux pas oublier, mais je peux évoluer (俺は忘れることができない、だが俺は変わることができる)」という意味は何か。 アーチストとして自分の名で音楽をクリエートしていく上で、それが悲劇のヒーローとして自分を変容させることにならないか。またファンが聞きたい音楽はまさにそれではないか。どうやって乗り越えるのか。

(↓)ベルトラン・カンタの初ソロアルバム 『アモール・ファティ』(2017年12月発売)からの初シングルで、イギリスのブレクジットを嘆く歌「アングルテール」





2017年10月17日追記


先週10月11日号のレ・ザンロキュプティーブル誌のベルトラン・カンタの表紙をめぐって、論争(と言うよりはレ・ザンロキュプティーブルへの抗議・非難)は終わっておらず、フランスを代表する女性誌ELLEが、今週号の巻頭論説でマリー・トランティニャンの顔アップ写真を背景に、「マリーの名において」と題するレ・ザンロキュプティーブルとベルトラン・カンタを非難する声明を。以下全文訳します。

2003年8月1日、マリー・トランティニャンはベルトラン・カンタの殴打によって亡くなった。今日、彼女は一つの象徴である。このとりわけユニークな魅力を持った彼女の顔は、男の暴力によるすべての女性被害者たちの顔になった。昨年だけで123人に上る伴侶に殺された名もなき女性たちの顔である。

フランスで1日平均で33人に上る強姦被害を告発する無名の女性たちの顔である。2016年に216000件のハラスメントと暴行を告訴した女性たちの顔である。これらの女性たちには、ハーヴェイ・ワインスタインを告訴した女優たちのような、デヴィッド・ハミルトンを告訴したフラヴィー・フラマンのような勇気が必要だったのである。

マリー・トランティニャン、私たちはあなたのことを忘れない。ベルトラン・カンタのおぞましいメディア露出(「レ・ザンロキュプティーブル誌」10月11日号)などではあなたの炎は消えるわけがないのだ。

「ここに光があるためには向こうには影がなければならない」(A light here required a shadow there)とヴァージニア・ウルフは書いた(1927年『灯台へ』)。あなたはまさにその光であり同時に影なのだ。あなたは、いつの日かただただ信じがたいこの暴力がこの世から消えるという希望であり、同時にその苦しみなのだから。

2017年10月7日土曜日

トレダノ&ナカッシュの「式場狂時代」

"Le Sens de la Fête"
『祝祭のセンス』

2017年フランス映画
監督:エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカッシュ
主演:ジャン=ピエール・バクリ、ジル・ルルーシュ、ジャン=ポール・ルーヴ、エレーヌ・ヴァンサン
音楽:アヴィシャイ・コーエン
フランス公開:2017年10月4日 

この映画の主人公マックス(演ジャン=ピエール・バクリ)の元々の職業はトレットゥール(traiteur = 仕出し屋、総菜屋)だそう。それが結婚披露パーティーのバンケット一切(会場選び+デコレーション+飲み物&料理+ケーキカット+音楽&ダンスアトラクション+花火...) をパッケージングして売っている。日本の仕出し屋祝言みたいなものでしょう。この道30年。しかし世の傾向は結婚などという旧時代の制度に背を向ける若者たちが急増していて、たとえ書類だけはちゃんとしておこうかと役所に行く者たちでも「ナシ婚」で済ませてしまう。新郎新婦とその両両親が泣きっぱなしの「感涙ドラマチック結婚式」など誰も望まなくなってしまった。映画の冒頭は、エッフェル搭とセーヌ川が目の前に見えるガラス張りのバンケットルームでの、未来の新郎新婦とマックスの披露宴パッケージの商談シーンで、若い男女は「メニューから前菜を抜けばいくらになる?」「会場装飾の盛花の予算の最低限は?」と値切ることばかり。しまいにマックスが切れて「飾りなし、テーブルサービスなし、飲み物食べ物各自持ち込みのパーティーにしますか!?」と。
 演ずるジャン=ピエール・バクリは多くの映画でこういうイライラ持ちの不平屋(フランス語では grognon = グロニョン)というキャラクターに決まっていて、こういう役をやらせたらバクリに勝る者はない。トレダノ&ナカッシュはその天下一の不平屋俳優にその最良の役どころをプレゼントしたようで、このことを2017年10月4日号のテレラマ誌(サミュエル・ドゥエール)は
Jean-Pierre Bacri compose le plus beau grognon de sa longue carrière de grognon.(ジャン=ピエール・バクリは彼の長い不平屋芸歴において最も見事な不平屋像を作り上げている)
と評している。グロニョン人生、ここに極まれり。
 さて本編の方は、実際の本番結婚パーティーの当日の準備から翌日の片付けまでの24時間のストーリー。会場として借りた場所は17世紀に建立されたという由緒正しいシャトーで、見事な大庭園もあり。マックスの会社のスタッフ十数人(料理人、給仕人、洗い場人...)に加えて、記念写真屋のギー(演ジャン=ポール・ルーヴ)とその見習い、音楽アトラクションDJのジェームス(演ジル・ルルーシュ)とそのダンサー+バンドといった人々がこの祝宴の裏方であるが、これらのマックスの「手足」たちがまったく協調性がないため、逆にマックスの手足を引っ張ってしまうという大筋。古典的コミック映画の骨組みですが。トレダノ&ナカッシュの映画歴からすると、子供たちのヴァカンス村を舞台に子の扱い方など全く知らない素人インストラクターたちが数々のドジの末に3週間で子供たちと夢の共同体を築くという『われらが幸福の日々(Nos jours heureux)』(2005年。ジャン=ポール・ルーヴ主演)と構造的に似ている。12年前の映画でヴァンサン(J=P・ルーヴ演ずるヴァカンス村の責任者)のインストラクターたちのドジの数々は、最新映画でのマックスの手下たちのドジの数々と同じように、一つ一つが人物キャラを強烈に引き出す珠玉の小コントになっていて、映画がカラフルな絵画パレットのような多人数人間模様になっている。その丁寧さは準主役クラスが十数人いるようなお誂えギャグの連続で、チームワークの賜物のようなCréation collective 的印象を深くする。 そう、駄目チームが主題の映画で、チームの素晴らしさがわかるという二重構造なんですな。
 この新作でとりわけ目を引く準主役の一人が、給仕人不足で当日急に借り出された現金アルバイトの失業者サミー(演アルバン・イヴァノフ)。テーブルサービスのことはもちろん、料理のことも何も知らないのだが、無知のほどが芸になるシーン多数。(↓そのいくつかをまとめた編集断片)

 
 それからマックスの下で現場の指揮を執る副支配人アデル(演エイエ・アイダラ)は、トレダノ&ナカッシュ映画には必ず出てくる切れると猛烈に汚い言葉で怒鳴り散らす女性(前作『サンバ』ではシャルロット・ゲンズブールがその役をした)で、キャラも物腰も「女性版オマール・スィ」。この女優はゴダール『ゴダールの社会主義』(2010年)にも出演していたそう。今後良い役をもらってオマール・スィのように羽ばたいてほしいものです。

 そして前作『サンバ』ではこの人一人のおかげでどれだけ救われたか。エチエンヌ・シャティリエーズ映画『人生は長く静かな河』(1989年)以来永遠のブルジョワ婦人女優エレーヌ・ヴァンサンが、 シャトーで結婚披露宴を開くブルジョワ新郎ピエール(演バンジャマン・ラヴェルニュ)の母親役で登場。はまり過ぎ。華やかで息子自慢ででしゃばりで。おまけに思わぬダークサイドもある。もう姿を見ているだけで幸せになりますね。
 こういう優れた脇役陣の優れたギャグに支えられて、ジル・ルルーシュ、ジャン=ポール・ルーヴ、ジャン=ピエール・バクリの3本柱が活きる。この3者に共通しているのは、3種の斜陽産業で飯を喰っていること。ジェームス(演ジル・ルルーシュ)は21世紀型DJとは程遠い音楽アトラクション屋で、カラオケやディスコダンスの他に客たちのリクエスト(この映画ではジジババたちが、レオ・フェレやらブラッサンスやらを注文)にも応えて演奏しなければならない宴会エンターテイナー。憂さばらしに本番前リハーサルにエロス・ラマツォッティの"Se bastasse una canzone"(1990年フランスでも大ヒットした。わしも大好き)を朗々と歌ってしまう(ジル・ルルーシュ、本当にうまいっ!)のだが、それを見ていた新郎に「イタリア語に聞こえない」とけなされる。この自分こそがスターと目立ちたがるMCジェームスに、新郎ピエールは「シックで地味でエレガント」な進行を厳命し、絶対に絶対に絶対にやってはいけないこととして、招待客全員によるテーブルナプキンのぐるぐる回し(まあ当地では結婚パーティーの最大の盛り上がりの祝福喝采の定番ですけど)だけは絶対にやめてくれと確約させます。映画観客はすでにこの時点で、これは絶対にある、と予測できる。
 意固地に銀塩写真カメラを使い続ける記念写真屋ギーは最も斜陽職業に属する男で、その職業意識が極度のスマホアレルギーを生じさせる。その超アナログ人間が、見習い君からスマホにはGPSによる「出会い」アプリケーションがあり、今この場で理想のお相手を特定できると教わり、一夜にしてスマホ依存症に変身してしまう(その特定されたお相手がエレーヌ・ヴァンサンなのだけど)。(↓写真屋ギー版の予告編)

 ジャン=ポール・ルーヴは記念すべきトレダノ&ナカッシュの第一回監督作品"Je préfère qu'on reste amis..."(2005年)と第二回作品"Nos jours heureux"(2006年)の主演男優であり、難しいこともいろいろ出来る役者だったのに、今やオトボケのキャラクターが定着しているようだ。日本ではヤン・モアックスの映画『ポディウム(俺がスターだ)』(2003年)での偽ポルナレフ役だけでちょっと知名度がある。
 さて冒頭で紹介したグロニョンの名優ジャン=ピエール・バクリであるが、その役マックスは非常に複雑な状況にある。まず経済的にこの立ち行かなない斜陽産業である「結婚式屋」をもはや手放してしまいたいというルーザー感。次に長い間うまくいっていない妻との関係(+ずいぶん前から社内スタッフの女と愛人関係にある)。社で非合法に働かせている現金払いの日雇いや不法滞在移民(これもトレダノ&ナカッシュ映画には毎回必ず出てくる社会問題系のお笑いネタ)のことで役所にビクビクしている。もう何かあったら、これを最後にこの商売から足を洗おうと思っているのだが、映画の進行はそんな生っちょろいことではない大カタストロフによる(イライラ持ちで高血圧持ちのマックスはここでショック死しなければならない程度の)披露宴パーティー大惨事を用意しているのだが...。
 小技ではあるが、携帯メール(SMS)を使いこなせないマックスが、送ってしまうメールがことごとく「自動文書コレクター機能」のせいで、伝えたい意図と反対の意味になったり、卑猥語になったり、というギャグをまとめた予告編(↓)。仏語わかる人には通るだろうが、日本公開時にこの部分の日本語字幕どうするんだろう?(解説すると本当につまらないのだけど、最後の予期せぬ男の訪問者とマックスの会話:男「あなた私のSMS受け取ったでしょう?」/ マックス「それにはちゃんとSMSで返事してますよ」 / 男「あなたはこう書いてます "着いたらすぐにコールしてください。すぐにあなたをペロペロしてあげますから (je viendrai vous lécher)"と。」 ー これは je viendrai vous chercher (あなたに会いに行きますから)をSMS自動コレクターが勝手に修正したという話)

 
 その他、細部にわたってギャグセンスが散りばめられていて、『サンバ』や『最強のふたり』よりも館内の笑いは数倍多い。そしてトレダノ&ナカッシュ映画にはつきものの、みんながしあわせになれるダンスシーンは、夜も老けたディスコ・タイムのボーイズ・タウン・ギャングの「君の瞳に恋してる」(これは1982年のヒット曲。ジジババたちも大喜び)の時、そして件の大カタストロフ/大惨事の後、シャトーの別室でタムール人(マックスに洗い場労働者として雇われた不法滞在移民)たちが演奏する「ウェディング・ソング」( アヴィシャイ・コーエン)。この二つのシーンは本当にしあわせになれる。この映画で音楽担当として起用されたイスラエルのジャズ・ベーシスト(同名のトランペッターと混同するなかれ、こちらはベーシスト)、アヴィシャイ・コーエンの曲では、この「ウェディング・ソング」と映画のサブテーマ曲のように何度か流れる「セヴンシーズ」がとても印象的。それと、新郎ピエール自らが演じる気球を使ったアクロバットショー(ここで大カタストロフは起こるのだが、十分にしあわせになれるシーン)で流れるカスカドールの「ミーニング(コーラル・ヴァージョン)」も素敵だ。 

 そして最後にすべてを救うのは「式場屋だましい」というべきか、イヴェントのプロたちのセンス、すなわち "Le sens de la fête"なのである、ということなのかな? こういう収拾のつけ方ではないように思えるけど。
 マックスのイライラと高血圧がすべて解消してしまう翌朝の片付け、スタッフの解散シーン。フェデリコ・フェリーニが映画の都チネチッタに捧げた映画『インテルビスタ』(1987年)の最後のように、また次の映画で会おう、ではなくて、また次の結婚式で会おうと言って別れていく男たち女たち。心憎いラストである。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)予告編何種類かあるけど、これが一番好き。


(↓)2018年7月、日本公開された時の予告編。日本上映題「セラヴィ」って、一体どんなセンスなんですか?