2017年1月2日月曜日

爺ブログのレトロスペクティヴ2016

2016年は死を思って過ごした1年だった

それはミッシェル・デルペッシュとデヴィッド・ボウイーの死で始まった年でした。偉大な順というわけではなく、私の記憶に深く刻まれた人たちということで言えば、モーリス・ホワイト(アース・ウィンド&ファイア)、プリンス、ジョージ・マーティン(ビートルズ)、パパ・ウェンバ、ユベール・ムーニエ(aka クリート・ボリス、ラフェール・ルイス・トリオ)、レオナード・コーエン、ピエール・バルーなどが他界した年でした。そういう著名人たちの死ばかりでなく、戦場でもないのに「戦争」で死んでしまった人たち、7月の革命記念日の花火見物に来たニースの人たち、12月のクリスマス市の買い物に来たベルリンの人たち...。おととし、バタクランにロックを楽しみに来た人たちと同じです。この「戦争」は私たちの身近に居座ってしまって動きません。パリはかつての顔を取り戻すはずだ、私たちが恐れることなく外に出れば。運動は外にあり、街頭は私たちのものだ ー そう思わせてくれたレピュブリック広場「ラ・ニュイ・ドブー」の数ヶ月も2016年の出来事でした。もう一度外に出ましょう、機会があれば。みんな出たがっているはずです。恐れることなく。
 
さて、2016年の爺ブログのレトロスペクティヴです。この1年間に42の記事がアップされました。現在(2016年1月2日)の時点で、その42の記事のビュー数が多い順からのトップ10です。当然11月12月にアップされた記事は不利になりますが、知ったことではありません。爺ブログの範囲を超えて、私にとって最も印象的だった音楽アルバムはクリストフ『カオスの廃墟(Les Vestiges du Chaos)』、映画はグザヴィエ・ドーラン監督『ちょっとした世界の終わり(Juste la fin du monde)』 、小説は圧倒的にガエル・ファイユ『小さな国(Petit Pays)』でした。レイラ・スリマニの『やさしい歌(Chanson Douce)』は次点です。

1. 『何をそんなにありがたがルノー』(2016年4月24日掲載)
 おそらく2016年、フランスで最も売れたアルバムでしょう。私はそれまで大好きな曲「ミストラル・ガニャン」を例外とすれば、積極的にこの歌手を紹介してきたことはありませんでした。しかしこの2009年以来復活したルノーに関しては、その不死鳥ストーリーをラティーナにもオヴニーにも書きました。長年のファンではないにしても、フランスに長くいると、どうしてもこの反骨シンガーソングライターを認めざるをえない、というポジションでしょうか。この記事でも書いたように、私はこのアルバムはそれ以後はほとんど聞いていません。ゴメンなさい。

2. 『ニュー・ファミリーとは何であったか』(2016年4月26日掲載)
マッカートニーと同じサウスポーのベーシスト、 カロジェロが2014年に発表した6枚目のソロアルバム『花火(Les feux d'artifice)』の中の1曲「新しい世界(Le monde moderne)」についての記事。おそらく当時(2016年4月)に発表されたアニメーションのヴィデオ・クリップに心動かされての投稿だったのでしょう。半世紀前に離婚が簡単になった世界は、あまり成熟していないし、「新しい世界」は進歩ではないけれど、子供たちは傷つきながらもその世界で生きて行くのです。考えさせられる歌でした。しかしこの記事が2位の座にあるというのは大変な意外です。

3.『フェルナン、フィルマン、フランシス、セバスチアン、そしてポーレット』(2016年4月15日掲載)
 標題の出典は、2016年12月30日に82歳で亡くなったピエール・バルーの詞「自転車乗り」(曲フランシス・レイ、歌イヴ・モンタン 1968年)からの引用でした。2016年に私が一番応援してしまった新人女性シンガー・ソングライター、クリオは、応援が功を奏して9月にはディスク・ユニオン(DIW)から日本盤も出ました。すごく惚れてたんですね。爺ブログには同じアルバムのことを4つの記事で書いてますし、そのうち3つの記事がレトロスペクティヴ10選入りです。中でもこの「軽業師たち(Des Equilibristes)」が最高の曲と思いますよ。

4. 『ニッサ・ラ・ベッラ、ニースうるわし』(2016年7月17日掲載)
 ニースは私にはパリ、ブーローニュに続いて思い入れのある町です。あの事件は、6月10日から7月10日までフランスで開かれたサッカー欧州選手権 EURO 2016の熱狂の直後に起こりました。相次ぐテロのせいで、開催さえ危ぶまれていたその大会の大成功の直後に。7月14日、お祭り気分(当たり前だ、革命記念日だもの)のニース「イギリス人の遊歩道」にごった返す花火見物人たちの中に19トントレーラー車は突っ込んでいった。その3日後に書いた私の悲しみと昂ぶりは、多くの人たちにリツイートされました。

5. 『明日に向かってガブれ!』 (2016年5月2日掲載)
本業の上での話ですが、私がどんなに褒めちぎって推薦しても、日本からもフランスからも全く無視される作品は多々あります。ノルマンディーの3人組ガブレは、「これ傑作ですよ」という調子で随分と日本にプロモ盤を送ったのですが、一社として反応するものはありませんでした。雑誌用にインタヴューまで用意していましたが。この辺の感覚のズレがここ数年ひどくなっている気がします。そんなガブレの記事が3000ビュー近い数字で、この5位のポジションです。一体誰が見に来ていたのでしょう?日本にいる人たちじゃないのかもしれません(この種の統計は "blogger.com"ではわかりません。)

6. 『ルネ王のルネッサンス』(2016年5月18日掲載)
私はジャズのことなどめったに書いたことなどありません。伝説のピアニスト、ルネ・ユルトルゲのバイオグラフィーを、ダイアローグ形式で女流作家アニェス・ドサルトが書き上げたものです。ポーランド移民の子がピアニストとして若くして栄光をつかみ、やがてドラッグで転落していき、40代半ばにやっとクリーンになって再生する、という大まかな劇的人生ですが、それだけではない。50年代のパリが世界一のジャズの都で、スタン・ゲッツ、マイルス・デイヴィス、チェット・ベイカー、アート・ブレイキーらとルネ・ユルトルゲがどのように生きていたのかが証言されている、内側からのジャズ現代史としても読める貴重な一冊です。

7.『坂の上のマシュマロ』(2016年4月11日掲載)
クリオのファーストアルバムからの歌を紹介した4つの記事の中の2つ目。「シャマロウズ・ソング」は北ブルターニュ海岸の城壁の町サン・マロでの恋の終わりの歌ですが、洪水になりそうな大粒の涙を流すのは男。アルバムの中には4曲ほど男に対しての(時には意地悪な)風刺眼を利かせた歌があります。クライ・ミー・ア・リヴァーと泣いている男を、どうしようもないわねえ、と見ている女。大学でエリック・ロメールを修士論文にしたというクリオの想像力では、サン・マロも舞台になっているロメールの『夏物語』(
1996年)に出てくるメルヴィル・プーポーのような少年がこの歌のイメージの源かもしれません。(と記事にも書いている)

8. 『四月になれば彼女は』(2016年4月6日掲載)
2001年のヴールズィの歌をなぜあの時期に記事にしたかというと、その頃にインタヴューしたクリオのせいだったのでした。口数が少なく、質問にちゃんと答えてくれない、シャイなのか小難しいのかわからないけれど、私の目の前で才気と魅力はあふれ出ていたクリオは4月生まれだと知ったのでした。"Fille d'avril, fille difficile"4月の娘は難しい娘。ヴールズィのこの美しい歌は、クリオも大好きだと言ってました。ヴールズィ/スーションの曲は傑作も駄作もあるけれど、これは最良の一曲でしょう。

9. 『A la faveur de l'Automne (アキに加担して)』 (2016年6月21日掲載)
ケベック在住の日系(フランス語)作家アキ・シマザキは、残念ながら日本でほとんど知られていません。私は最初にこの『ホオズキ』を読んで、その夏までにフランスで刊行されている全作品12冊を全部読みました。平易でわれわれ日本人にはとても親しい文学空間があります(日本が舞台ですから)。日本の戦争、原爆、家父長制度、在日コリアン、商社、同性愛など多岐にわたるテーマをシマザキは分かりやすい物語にしてしまいます。日本の明暗を仏語圏人にさらけ出してしまうという大変な仕事を一人でやっているのです。尊敬します。

10. 『一方通行逆進、おお、すまん、ではすまない』(2016年6月30日)
 どうして2016年はクリオにページビュー数が集中したのでしょうか。「オースマン通りを逆向きに」はクリオのファーストアルバムの最初の曲。年末になればきらびやかな電飾で覆われる百貨店街オースマン通りを舞台に、女が伸るか反るかの賭けで男に愛を打ち明けようとする短編映画のような歌。この若い女性シンガーソングライターの魅力は、こういう目の前に見えそうな映画的情景で、これを理解してもらうにはいかに歌詞をうまく日本語化するかという私の責任になるのですね。下手と言われようが、2017年も続けます。そして2016年はクリオに出会えて本当に良かったと、このレトロスペクティヴを解説して思いました。


2016年12月26日月曜日

ヰタ・セクスアリス

レイラ・スリマニ『鬼の庭で』
Leïla Slimani "Dans le jardin de l'ogre"

 2016年度ゴンクール賞を獲得した『やさしい歌』の作家レイラ・スリマニが2014年に発表した彼女の第1作めの小説です。私は当然『やさしい歌』に圧倒的に魅了されたがために、緊急にこの第1作を手にしてしまったのですが、しかし何という筆力でしょう。1行1行ごとに鞭打たれるような激しさが秘められています。
 主題は簡単ではありません。性依存症の女性の話です。 この病気はプロ・ゴルファーのタイガー・ウッズや仏政治家ドミニク・ストロース=カーンの事件があった時から一般に認知されるようになりましたが、それまでは「異常性欲」「淫乱」「変態」といったフツーの人間の悲しい性(さが)の延長のような扱いだったと思います。ある種誰でも持ってるダークサイドのような軽い認識。それはインターネット時代に一挙に氾濫するようになった性情報とポルノグラフィーによって、私にもあなたにもある興味と興奮が、なあんだ、みんなそうなんじゃん、という誤った「理解」ですね。性依存症はそんなレベルではない。
 女性の場合、性欲過多のような蔑称の言い方は「ビッチ」(英)、「サロップ」(仏)、 「痴女」(日)です。どれもひどい言葉です。だから、この小説は読者の側に性依存症という認識がなければ、これは「サロップの物語」としてしか読まれないのです。
 アデルは医師であるリシャールと結婚し、男児(リュシアン)をもうけ、国際時事週刊誌のジャーナリストとして働いています。パリ暮らしと病院勤めにうんざりしているリシャールは、地方(ノルマンディーに目を付けている物件がある)に大きな家を持って家族でゆっくり暮らしたいと考えています。アデルはそれに賛成も反対もしません(つまり、反対なのですが、その理由は言えない)。
 小説はアデルがその性衝動をやっとのことで1週間抑えられた、というイントロで始まります。パリ市を縦断して走り回り、水ばかりを飲み、早寝早起きをして、必死にそのことを考えまいとしますが、1週間目で炸裂して、ある男のところに転がり込んでいく。この抗いようのない性衝動に対応するために、アデルは身内の者は誰も知らない第二の携帯電話があり、何十というセフレの名前がリストされた鍵付きのアドレス張がある。このアデルの裏の顔は絶対に暴かれてはならないのだけれど、その危うさを時々無防備に露呈させて、同じ社のジャーナリスト仲間のパーティーなどの深夜に酔ったふりをして若い新米記者を誘惑してしまう。済んでしまえば、よくあることで、「昨日は飲みすぎたわね、ごめんなさい、なかったことにしましょう」で了解できればいいのですが、ウヴだったりセンチメンタルだったりする男はそうでは済まなくなる場合があります。しつこく「次いつ会える?」とか「僕ときみはこのままで済むわけがない」とか言い出す輩が厄介です。
 というわけでアデルは経験から、口が堅く、情緒に薄く、急な欲求にも対応可能な男たちをセレクトして関係を保っています。しかし作家の描き方は、この性衝動は快楽原則とはやや異なっているように思えます。アデルにとって必要なのは、とにかく男が挿入して機械的に運動を繰り返してくれること、それだけが重要なのです。その間アデルは目を開けて天井の隅の汚れや、壁紙の柄の連続性などを観察している。これが済めば1日2日は我慢できるという充足感だけなのです。
 小説の前半は、不器用に子育てと職業(国際時事ジャーナリスト)をかろうじてこなして、いつ夫に発覚するかもわからないリスクを冒しながら、発作的に訪れる性衝動の充足のために奔走するというアデルの二重生活が描かれます。夫リシャールとは愛情関係にあるのか、というと、アデルは頼れるのはこの男しかいないというレベル。しかし秘密は守られなければこの薄氷の夫婦/家族は崩壊してしまう。リシャールはある種伝統的カトリック系とも思える家族の絆や、家庭の充実を重んじ、優秀な医師としての信望を得て、豊かな自然の中の田舎医師として生きていきたい。もう一人二人子供が欲しい。良き夫良き父親として家族建設をリードしていく家父長タイプ。性欲は淡白で、若い頃から男たちのその種の冒険やジョークに眉をひそめてきた(しかし小説の後半でリシャールが若い娘にグラっと揺れるエピソードあり)。
 アデルが隠れながら繰り返す男刈りの相手の一人として現れるのが、リシャールの親しい同僚である医師のグザヴィエです。妻のフランソワーズと共にリシャール/アデル夫婦との夕食の席の背後で、アデルはグザヴィエを誘惑してしまう。二人のダブル不倫はやがてパリ13区に逢瀬専用の部屋を持つほどエスカレートしていく。ここがアデルの闇の世界の崩壊の始まりです。
 さらにリシャールがスクーター事故を起こして脚部を壊し、緊急入院、手術、リハビリという長期間に及ぶイレギュラーな日々が始まります。アデルは甲斐甲斐しくリシャールを看病して支えますが、その間にも性衝動はやってきて、隠れた行動をやめるわけにはいかない。体に自由が利かなくなったリシャールは観察眼が鋭くなり、疑惑が湧いてきます。そしていち早くその関係に気づいたフランソワーズが、リシャールにグザヴィエとアデルの密通のことを明かします。 リシャールはアデルの不在中に子のリュシアンがたまたま見つけたアデルの「第二の携帯」、そして秘密のアドレス帳を探り当て...。
 アデルとリシャールの関係はここで壊れるはずでした。
 ここからがこの小説のエモーショナルなところで、あらゆる名前の疑惑をかけられたアデル、世にもおぞましい「サロップ」の正体が暴かれてしまったアデルが、リシャールに許しを請います。"Il est plus fort que moi"(それは私よりも強い=私の理性ではコントロールできない)と。リシャールは許せる心などありません。それは家族の体面を死守すること、家に汚名がかぶさってはならぬ、という田舎保守的なリシャールの理念が、この受け入れがたい屈辱をリシャールに受けさせたのかもしれません。
 リシャールは予定どおりノルマンディーの田舎に大きな敷地の家を購入し、近隣の町の診療院に席を得て、リュシアンとアデルを連れてパリから引っ越します。アデルは今や専業主婦です。すなわち収入ゼロ。金銭を厳格にリシャールにコントロールされ、外出や移動などの自由を制限され、半ば幽閉状態で家事と育児をしています。リシャールも医師ですから、アデルの性依存症は病気であるという認識ができます。心理医療士によるカウンセリングや食餌療法 などで、この依存症から脱する試みをします。アデルはリシャールに許しを請いた時から、リシャールが強いるあらゆる条件を受け入れる覚悟がありました。なぜならばアデルはリシャールを本当に愛していたことに気づいたからです。
 月日は流れ、都会から隔てられてストイックに衝動の沈静化を得ようとしたアデルとリシャールの努力は少しずつ実を結んでいっているように見えます。許されない妻にリシャールは少しずつ許しを返していく。アデルはこれを蘇生への最後のチャンスと思い、耐えていく...。アデルとリシャールの間に雪解けが見えた頃、リシャールは200ユーロの現金を与えて、パリへの一泊旅行を許します。しかし、悪魔は再びそのスキを見逃さないのです....。
  帰宅予定に帰ってこなかったアデル、連絡不能になったアデル、翌日もまたその翌日も戻ってこないアデル、待ち続けるリシャール...。

 ぎゅ〜っと胸締め付けられるエンディングです。作者はここで不確かな未来形文体でアデルの蘇生と、忍耐による愛の勝利を描こうとするのですが、本当に不確かなのです。おぞましいほど狂おしく耐え忍びの極限まで強いる忍耐の愛、アデル、その闘いはまだ終わっていないんだ、と。わおっ!

Leïla Slimani "Dans le jardin de l'ogre"
単行本発表 2014年(Gallimard刊)
文庫本刊行 2016年11月 (Folio)  230頁  7,10ユーロ

カストール爺の採点:★★★★★

(↓自作『鬼の庭で』を紹介するレイラ・スリマニ)

 

2016年12月21日水曜日

音楽にセーズを持ち込む

ダミアン・セーズ『ル・マニフェスト - 自由の鳥』
Damien Saez "LE MANIFESTE - L'Oiseau Liberté"

 1977年8月1日生まれで、今39歳。その39歳の1年間、2016年7月31日から2017年7月31日、この1年間をひとつの作品にしてしまおうとダミアン・セーズは考えた。そのプロジェクトの名は『ル・マニフェスト』。3年の沈黙を破ってセーズは音楽活動(芸術創作活動)に還ってきたのだが、2016年6月16日(数字的に16-06-16がどんな意味があるのか。意図的に選ばれた日らしい)にセーズはこの帰還を宣言し、来る7月31日から次の年の7月31日までを『ル・マニフェスト』の1年と定めた。何をするのか。テクスト、映像、ツイート、音楽ストリーミング、コンサート...。
 12月9日に(フィジカルに)アルバムが発表された。私はそこでアウトラインが掴めたのだが、セーズは2016年1月のシャルリー・エブド襲撃事件、同年11月のバタクラン・テロ事件のことばかり歌っているのだ。「もうこの言葉しか出てこないんだ」と言わんばかりに、同じ フレーズを複数の曲に何度も繰り返しながら、ひとつのテーマ(シャルリー/バタクラン)の変奏曲のような、祖国、自由、戦争、子供たちのことを歌っていく。ふるえる声で。ピアノ、あるいはアコースティック・ギターの伴奏で。こうしか歌えないんだ、というやり方で。そう、こういう剥き出しで無防備なやり方で。

 テレラマ誌2016年12月21日号に、ヴァレリー・ルウーが『抵抗の伝令使(Héraut de la résistance)』という一文を、この帰還したプロテスト・シンガーに捧げている。

やってくる気配はなかった。しかしそれを感づかないわけにはいかなかった。セーズ、この全く手を抜くことを知らない永遠の熱狂者は1枚のレコードを出した。全曲が去年のテロ事件とそれが巻き起こした衝撃について歌われている。これは1枚のレコードと言うよりもひとつのマニフェストである。「自由の鳥」あるいは恐怖と抵抗、それが10曲の歌に隔てられているのだが、それは大きな1曲を形成している。彼はそこでその苦悩を告白しはするが、何よりもそれは恐怖に慄いている国の大木を揺すってみせる。彼の目には、その恐怖が文化を衰退させることに見えるのだ。彼はそこで過去の偉人たちを呼び出してくる。知と独立と言葉の賛美者たちを。ヴォルテールからユゴーまで。ブレルからバルバラまで。蒙昧なごまかし主義に反対して知的友愛を説く。名前を明かすことのない石油利権戦争を告発する。消費至上主義への無自覚を叱責し、脳みそを非活性化するフェースブックやツイッターを非難する。
今日誰もならなくなった政治参加歌手の化身として、セーズは頑固者であり、同じ言葉や同じフレーズを繰り返すことを恐れない。歌詞から歌詞へ、それがよりよくメッセージとして届くように。「あんたたち俺の声が聞こえるかい?本を開けよ、体を動かせよ、愛せよ、抵抗せよ!」このアルバムの最初から終わりまで彼はそう叫んでいるように思える。もちろんテロ事件後の恐怖とそれを跳ね返す勇気について歌ったのはセーズが最初ではない。ルノー、ジョニー、ルイーズ・アタック、そしてルアンヌですらもそれを歌った。とりわけジャンヌ・シェラル。感きわまることを隠すこともせず、(テロに対しては)「永遠に中指を立てるのよ」と敢えて歌った。ブラヴォー。レオ・フェレとフランソワ・ベランジェの伝統ある国で、こういう歌手たちは少なくなかった。しかし正直に言えば、それはもっと多くても良かったのではないか、と思っていた。その欠如感をこのセーズがたった一人で埋めてくれるまでは。セーズはいつも通り誰よりも大きな声でそれをやってくれた。彼のもろに左岸派風な歌い方や、戯画化されやすい恨み節は茶化されてもいいだろう。だが彼の行為は強烈であり、熱情はそこにある。計算や見栄など一切ない。今週、彼はその反抗をステージで歌う。どこで? バタクランで。
 (Valérie Lehoux / p.19 in Télérama no 3493-3494 21/12/2016)

 気がついたら全文訳していた。ダミアン・セーズは今、これを書いている12月21日そして明日・明後日とバタクランの舞台に立って、その思いの丈を歌うだろう(ソールドアウト)。
 アルバムの中で、最も直截的なバタクラン犠牲者鎮魂歌が、「天国の子供たち(Les Enfants Paradis」という歌。長い歌詞だが、全文訳した。

彼らは微笑みだった、彼らはすすり泣きだった
彼らは鳥たちの歌のような笑い声だった
海辺に行くと彼らは朝日だった
彼らは悲しみの心、彼らは光り輝く心
彼らは詩、彼らは鳥
彼らは小川のほとりでささやく「ジュテーム」だった

彼らはカフェだった、彼らはビストロだった
彼らは異邦人で、彼らは何の旗印もなかった
彼らはパリ出身で、彼らは地方出身だった
彼らは僕の心を軋ませる雨の芯だった
彼らは人生の真っただ中で春のまなざしをしていた
空が泣き出しそうになると彼らの心は笑った
彼らは約束ごとであり、彼らは変転だった
彼らは出発を余儀なくされるにはあまりにも若すぎた
彼らはオリエントの子供、彼らはオクシデントの子供
天国の子供たち、バタクランの子供たち

彼らはフランス人の心、あるいは国際人の心
彼らはショールの下で涙のように流れる露だった
彼らは約束された子供たち、まだツボミで
悲しみをこみ上げさせる歌だった
彼らは家族同士、友だち同士だった
彼らは夜空の中で輝くものだった
彼らは暴政に逆らって身を潜める恋人たちだった
彼らはきみにも僕にも似ていた
彼らは戦士ではなかったのに、戦いで死んだ
彼らは愛し合う心、たとえ十字架の下に置かれても
打ち続ける心臓だった
僕の知らなかったこういう友だち、それが彼らだった
彼らは僕の国であり、きみの国でもあると信じる
彼らはパリであり続ける
パリはこれらの友だちを永久に記憶し続け
光は輝く

彼らの名はジュテーム、彼らの名は青春
彼らの名は詩、彼らの名は優しさ
彼らの名は姉妹、彼らの名は兄弟
彼らの名は少女、彼らの名は少年
彼らの名は歓喜、そして非暴力
彼らの名はフランスの子供たち、
あらゆる地平の子供たち、あらゆる名前の子供たち
彼らの名前は愛、彼らの名前は地平線

彼らの名前はジャック・ブレル、そしてバルバラ
彼らの名前は空、彼らの名前はなぜ
ここではいつも深い森に恐怖が潜んでいて
永遠に辿り着くのは罪なき者なのか
彼らは振り上げたコブシだった、彼らは僕らのコンサートだった
彼らは刑執行人を目の前にした、締め付けられた心臓
彼らは銃口を目の前にした、カーネーションの花の芯だった

悲しみに満ちた心で、僕らは友たちのために泣く
銃弾に倒れ、殺された無実の人々のために
機関銃の残虐さに倒れた無名の兵士たちのために
ヴェルダンの野に響く
悲しみの聖歌がただの役立たずの文言なら
この黒い金曜日に倒れた僕の国の兄弟たちが
絶望しか僕たちに残さないのなら
僕の国よ、おまえの文化は殺されて死んだことになろう
だが、知ってるだろ、僕らの文化は決して死ぬことなどない
モリエール、おまえが僕の国、ダ・ヴィンチ、おまえが僕の国
ヴォルテール、おまえが僕の国、ヴァルミー、おまえが僕の国
地球、おまえが僕の国、パリ、おまえが僕の国
地べたから立ち上がれ僕の国
僕の国それは光、僕の国それは命
僕の国は文学で、僕の国は悲しい命だ
僕の国よ、兄弟たちよ、おまえ、僕の国の兄弟よ
自分の母を愛するように、自分の祖国を愛するのだ
(Les Enfants Paradis / 詞曲ダミアン・セーズ)



<<< トラックリスト >>>
CD 1 LE MANIFESTE - L'OISEAU LIBERTE
1. MON PAYS JE T'ECRIS
2. L'HUMANISTE
3. L'OISEAU LIBERTE
4. LES ENFANTS LUNE
5. TOUS LES GAMINS DU MONDE
6. LES ENFANTS PARADIS
7. LE DERNIER DISQUE
CD 2 LE MANIFESTE - PRELUDE ACTE II
1. C'EST LA GUERRE
2. MON TERRORISTE
3. JE SUIS

DAMIEN SAEZ "LE MANIFESTE - L'OISEAU LIBERTE
2CD 16ART 342202
フランスでのリリース:2016年12月9日

2016年11月26日土曜日

きょう、ベベンが死んだ

Leïla Slimani "CHANSON DOUCE"
レイラ・スリマニ『やさしい歌』

2016年度ゴンクール賞受賞作品

  1981年ラバト(モロッコ)生まれ、当年35歳のフランス・モロッコ二重国籍女流作家の第2作目の長編小説で、この11月2日に2016年度ゴンクール賞を受賞しました。
 この小説を書くきっかけとなったのは2012年アメリカで実際に起こった事件だそうで、二児の母が家に帰ってみると、幼い子が二人とも50歳の乳母に刺殺されていたというもの。フランス語で言う 「フェ・ディヴェール(faits divers)」、つまり「三面記事ネタ」です。こういうフェ・ディヴェールから発して20世紀文学の一つの巨峰となったのがトルーマン・カポーティ『冷血』(1965年)ですが、『冷血』のようなジャーナリスティックなアプローチで殺人事件に迫るノン・フィクション的文体で書かれたものとは、このレイラ・スリマニの作品はだいぶ異なります。事実に発して、人物たちを作り上げ、劇的に自分の小説世界に取り込む、という純フィクションです。
 小説第一行めがすごいです。
Le bébé est mort.
赤ん坊は死んだ。
 もう一人の幼女(赤ん坊の姉)は、救急隊が到着した時にはまだ命があった(しかし病院で命を落とす)。赤ん坊は即座に死んだが、幼女は苦しみ悶絶のうちに死んだ。そういう小説の導入部なのです。 結部が先にある。小説はどうしてそこに至るのかを、乳母の側、子供たちの側、その両親の若夫婦の側、その他複数の関連人物の側から、立体的に分析展開していくのです。レイラ・スリマニも元ジャーナリストです。現場のリアルさを伝えながら、読む者をその場の証人にしてしまう筆力があります。
 ミリアムとポールは若くして結婚した夫婦です。そして若くして二人の子供を授かった。ポールが録音スタジオで働くサウンド・エンジニアだったが、そのセンスが評価されて制作側にどんどん入り込んでいき、プロデューサー(この意味は出資者ではなく、制作監督者)の地位にまで至ろうとしています。その代わりこの世界は時間が無制限で、アーチストの気まぐれにも付き合わなければならず、徹夜で作業というのは日常茶飯事のこと。昨今どんどん難しくなっている音楽産業内で生き延び、なおかつプロデューサーとして成功していく、この展望にミリアムは熱い支援の目を注いでいる反面、それにひきかえ自分は一体何をしているのか、という嫉妬もあります。ミリアムは法科の学生時代、クラスで最も優秀な成績で誰もが一目置いていて、弁護士資格も簡単に取得して有望な将来があったはずだった。しかし結婚・出産・育児という日々はそれから遠ざけ、ポールと子供たちに24時間尽くす主婦になってしまいました。その上子供たちは難しい。小さいお人形というわけではなく、こんな幼さで反抗もすれば拒否もする。そんな日々にフラストレーションを蓄積していたミリアムに、偶然出会った学生時代の友人パスカルは、ミリアムの優秀さを知っているがゆえに、もったいないと思い、自分の弁護士事務所のスタッフとして加わらないか、と誘います。これはミリアムにはまさに渡りに舟だった。ポールもミリアムの職業復帰ということには全面的に賛成するのですが、さて子供たちをどうするか?
 上の子ミラはエコル・マテルネル(2歳から入れる幼年学校)に通っているが、下の子アダンはまだベビーカーが必要な小ささ。これを夫婦共働きの場合、その不在時間に世話してもらえるのが "nourrice"(ヌーリス、乳母、子供ことばではヌーヌー)という職業婦人です。私たちの現地人的印象ではどうしてもアフリカ系、インド・パキスタン系、アンチル系(マルチニック、グアドループ...)のおばちゃんというイメージが強いです。しかしミリアムとポールが何人も面接した後で最終的に採用したヌーリスは、白人フランス人中年女性ルイーズでした。経験が豊富で前雇用者からの照会もいい。そして時々非常に難しくなる幼児二人でもすぐさま懐いてしまう熟練の子育て術を持っています。
 ポールとミリアムはこの天からの贈り物のような理想のヌーリスに大満足です。若夫婦のヌーリス採用の最大の目的は「子供のことを考えずに仕事に没頭できること」でした。第一線の現場で仕事して成功していくという夫と妻のそれぞれの希望は、このほぼ完璧なヌーリスの登場でほとんど叶えられたかに思えます。おまけにこのルイーズは、家事全般にその能力を如何なく発揮して、若夫婦のアパルトマンの不備・不具合を改善し、無駄を節約し、完璧に清潔で整理された居住空間を作り出し、さらにミリアムになど到底出来ない料理を子供たちと若夫婦に用意します。ヌーリスに求められることの10倍ものことをルイーズはやってのけるのです。 若夫婦はこれを友人たちに自慢しまくり、自分たちの幸運を見せびらかし、人を呼んでルイーズの絶品の料理を賞味させます。これは若夫婦のサクセスストーリーなのです。思う存分仕事をして、家庭は円満で、子供たちは幸福に成長している。
 この幸福をもたらした張本人はルイーズなのです。子供たちはすでに「第二の母」としてルイーズに対する愛情と依存度を深めていきます。ともするとミリアムよりもずっと深い関係になっている部分ができてきます。どんどん家庭に深入りしてきます。ある種この共同体は4人で成立している、という深みにまで入り込みます。そしてこの深い関係に対して最初は全面的に好意的だった若夫婦は、ルイーズを夏のヴァカンスにまで招待して「家族同様」の関係を築こうとします。その行き先のギリシャで、ルイーズは自分の弱点(水が怖いこと、泳げないこと)などを露呈してしまいますが、個人的に自分が味わったことのない美しい時間を体験し、彼女にとっては「ひとクラス上の」幸せを感じてしまうのです。
 若夫婦が故意に感知しようとしないことですが、ルイーズには暗い過去があり、それを引きずった現在があります。暴力的で実生活で失敗して多額の借金を残して死んだ夫、その家庭にいる未来を絶望して家出した娘、今でも夫の借金の返済に追われながら、家賃の滞りにパリ郊外の住処を今にも追い出されそうになっている毎日があります。
 ルイーズはこの若夫婦の家庭で働くことで得ているつかの間の幸せがあります。だから時間のことなどとやかく言わず、たとえポールとミリアムの帰宅が仕事の都合で遅くなっても、24時間常にリカバリーができるスーパー・ヌーリスとして奉仕ができるのです。ルイーズはそういうアプローチをするのです。できるならこの幸せを延長したい、と。
 しかしほぼ「第二の母」ほぼ「家族の一員」ということが越えられない一線というのが厳然と存在します。それはポールとミリアムがルイーズに対して最初の前提として固辞している「雇用者と被雇用者の関係」なのです。若く未成熟なこの夫婦はこの関係はあくまでも雇用関係の内部でのみ成り立っていると思っている。つまりたとえどんな完璧で天使のようなヌーリスであっても、それは主従関係のルールの下にあるものと思っている。だからいつまでたっても、若夫婦とルイーズの関係はフェアーなものではなく、上下関係なのです。これはルイーズには何かしら諦めのつかないものであるのです。
 さらに複雑なのは子供たちの態度です。次第に子供たちは多忙で不在がちなミリアムよりもルイーズの方に親近感を抱いていき、その懐き方はミリアムへのそれを上回っていく。ここでミリアムとルイーズの間に確執が生まれていきます。
 ポールも次第にルイーズの育児の仕方が自分の思っている方向とは違うと感じ始めます。ある日、ミラのわがままでルイーズの手持ちの安い化粧品の全てを使って、ミラが自分の顔にケバい化粧としてしまいます。私はこれは幼い女の子だったら本当に大好きなことだということを経験として知っています。それを見てしまったポールは逆上して、下品で下劣で娼婦まがいの顔になったわが娘を力づくで洗面させ、わが娘をここまで貶めたルイーズを徹底的に糾弾します。
 結局若夫婦にとっては、ルイーズは「使用人」でしかない。たとえどんなに恩寵のような瞬間が4人の間にあっても、ルイーズは金で雇われた人間の域を出ないのです。過度にエゴイストというわけではない、一生懸命に生きているミリアムとポールの姿はあれど、読む者はこの若夫婦の未成熟に苛立つはずです。それはある種恵まれた環境の中で生きるということが、子供の教育に関しても非現実的で、自分の仕事を優先させることが今日的で、自分たちが子供たちの前に不在であるということの重いデメリットがわかっていない。そして「使用人」は差し替え可能という思い上がりすらある。ルイーズとの関係がダメになったら、次を探せばいい、という思いあがり。
 小説はこの人間同士の全くフェアーでない関係を浮き彫りにします。ほとんどマゾヒスティックと言っていいルイーズの努力は報われず、ルイーズの小さな夢は水泡に帰します。その中間にアダンとミラという幼児たちがいて、この二人は絵に描いたような良い子ではなく、凶暴で残酷な一面があります。これをポールとミリアムはほとんど知らない。ルイーズは言うことを聞かないミラに血がにじむほど腕を噛まれるのですが、それを若夫婦には言いません。ルイーズはルイーズでこの子らに関しては若夫婦の知らないたくさんの秘密を知っているし、それを言わないけれどその点でルイーズの方が優位にあるという自尊心もあります。
 なぜ凶行に至ったのかは、読み進むにつれて不思議のないことに了解されていきます。若夫婦、幼児二人、ルイーズからの視点だけでなく、この関係に関与した複数の人々の視点を差し込みながら、小説は立体的にこの事件の深刻さを明確にしていきます。私が最もこの小説で考えるのは、何ゆえにこれほど人と人の関係はフェアーでないのかということです。「第二の母」「家族同然」と言われながら、越えられない主従関係。人を見れば、最初に自分より上か下かを読み取ろうとする態度。入り込もうとしても予め拒否されている社会構造。その進行につれて、ルイーズは怪物化していくのです。この怪物は読む者にとって少しも不可解ではないのです。この三面記事ネタからここまでの拡がりを持った今日的人間ドラマに展開できた文学力、私はそれに敬服しますし、ゴンクール賞の名にふさわしい傑作だと思います。

Leïla Slimami "Chanson Douce"
Gallimard 刊 2016年8月、 230ページ、18ユーロ

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)自作『やさしい歌』を紹介するレイラ・スリマニ。



 


 

2016年11月21日月曜日

今朝のフランス語:エリミネ

Eliminé
エリミネ

1.(無用・有害な要素として)削除された、排除された。(受験者・選手・チームなどが)ふるい落とされた、不合格となった、外された。
2. 《数》(未知数などが)消去された。
3. 《生理》(老廃物、毒物などが)排出(排泄)された。

 日本語的な語感ですよね。「エリミネ」さんという苗字の人いますでしょうし。フランス語には結構ありますよね、どこか日本的な響きの言葉、「マカベ」とか「オノレ」とか「イヌイ」とか。

 時は2016年11月20日(日曜日)、パリ圏地方は雨と曇りの典型的晩秋・初冬の空模様、わが町ブーローニュでは第20回目になる11月恒例のセミ・マラソン(21,1キロ)大会が開かれ、わが家の前のセーヌ脇道路も車両がエリミネされて、8000人ものローカル・マラソニアンたちが雨に打たれながら走っていたのでした。その日、フランス全国のトップニュースとしては、2017年フランス大統領選挙の保守・中道派からの統一候補を選ぶ保守中道有権者による予備選挙市民投票の第一回投票が行われたのでした。立候補者数は7人。保守最大政党にして第一野党であるLR(レ・レピュブリカン。日本では「共和党」と訳されている)から6人:アラン・ジュペ(1995〜97年首相、現ボルドー市長)、ニコラ・サルコジ(2007〜12年大統領)、フランソワ・フィヨン(2007〜12年首相)、ジャン=フランソワ・コペ(LRの前身UMP党党首2012〜14年)、ナタリー・コシュスコ=モリゼ(2007〜12年環境大臣)、ブルーノ・ル・メール(2009〜12年農相)。そして非LRの保守政党でPCD(キリスト教民主党)の党首であるジャン=フレデリック・ポワソンが立候補して、計7人の候補者で争われました。9月からの選挙戦は、3回のテレビ公開討論会を含む全国選挙レベルの展開でしたが、序盤中盤は圧倒的にアラン・ジュペ優勢と見られ、それをサルコジが追う形で、この選挙はジュペ/サルコジが2強と思われていました。
 この予備選挙は2回の投票。まず11月20日が第一回投票で 7人の候補者から上位2人を選出し、下位5人をエリミネします。そして1週間後の11月27日が決選投票で、勝者が見事保守・中道統一の大統領候補となり、敗者ジュペはエリミネされます(と断言したら、ジュペ派から天誅を喰らうかもしれません)。
 11月20日、この雨混じり曇天の日曜日、驚いたことにこの予備選挙に保守系有権者たちは大挙して投票所に向かい、予想をはるかに上回る430万人が票を投じたと言われています。その数日前からメディアは様々なアンケート調査機関の数字を上げて、ジュペ急落、フランソワ・フィヨン猛追と声高に報道していたのですが、「アンケートなんてね、けっ!」という市民感情があるじゃないですか、当地でもトランプ当選の後遺症は大きいのですよ。後遺症だけでなく、不可能が可能になるというモチヴェーションを名も無き投票者たちに与えたのかもしれません。
 11月20日、フランス全土の予備選挙投票所は19時に門を閉ざし、20時半すぎには開票速報が出始めると言われていました。
その夜、 私たちはパリ18区ピガール地区にあるトリアノン劇場にいて、フランスの代表的な独立レーベル『サラヴァ』の50周年を祝うコンサートを着席して鑑賞しておりました。年齢層も高く、長年のピエール・バルーのファンたちの集まりという感じで、一階席と2階バルコニー席までほぼ埋まってました。ピエールさんの「サンバ・サラヴァ」で20時に始まったコンサートは、娘マイア・バルー、ダニエル・ミル、アルチュール・H、ジャンヌ・シェラル、アルバン・ド・ラ・シモーム、バスチアン・ラルマン、ドミニク・クラヴィック、クレール・エルジエールなども出演して、派手ではないけれど丁寧なオマージュでピエールさんをもり立てていた、暖かい50周年イヴェントでした。
 ところがそういう心温まるコンサートにあっても、不逞の輩たちはいるんですね。演奏の最中にもスマホを開けて、予備選挙の開票速報を追っていた人たち、少なくなかったんじゃないかな。21時近くになって、私たちの座っていた一階席の後方から、小声で「サルコジ、エリミネ!」のささやき。それがどんどん伝わってしまう。あちこちでささやき声「サルコジ、エリミネ!」「サルコジ、エリミネ!」「サルコジ、エリミネ!」「サルコジ、エリミネ!」...。
 21時すぎに幕間休憩があり、みんなホールに出て、たくさんの人たちがスマホ開いてカチャカチャやっている。私もすぐさまスマホを開いて開票速報:フィヨン 42%、ジュペ 28%、サルコジ 20%の数字。わお、サルコジ、エリミネ確実ではないですか! ー その後のコンサート第二部はそれとなく会場全体の気分が上々になった感じ。わかりますとも。これで少なくとも2017年5月の大統領選挙・決選投票で「ニコラ・サルコジ vs マリーヌ・ル・ペン」という悪夢の二者択一の可能性は消えたわけですから。

 冒頭に訳語挙げておきましたが、エリミネは強烈な言葉です。不要なもの、有毒なものを除去・排除するというだけでなく、マフィアが邪魔者や裏切り者を消すときも使いますし、スターリン時代のソ連KGBが反革命分子を粛清するときも éliminer という動詞を使っていたのです。私がこの言葉をちゃんと記憶したのは1980年代のヴィッテル(ミネラルウォーター)のテレビCM(↓)だったと思います。

スローガンは「Buvez, Eliminez」つまりヴィッテルを飲んで、エリミネしようという意味になると思いますが、この場合は体内の水分の不純な部分をヴィッテルを飲むことによって浄化して、悪いものはオシッコとしてエリミネしましょう、というメッセージです。オシッコとして流される、これもエリミネ。

 私なりのコメントはほとんどありません。この予備選挙にも大きな興味を持って傍観していたわけではありません。伝統的保守政党の器はどれも似たようなものという先入観があります。ジュペ、フィヨン、サルコジを分つものは何かと探すのも徒労だと思います。似たものですし、2007年から12年までサルコジは大統領でしたし、フィヨンは首相でした。私はフランスに来てからジスカール・デスタン、ミッテラン、シラク、サルコジ、オランドという各大統領の政治を経験してきました。2007年から12年までどれほど暗く、フランスに不信を抱いていたか、私の個人的記憶ははっきりしています。12年の大統領選挙前、この選挙に敗れたら政界を引退するか、というBFMTV(ジャン=ジャック・ブールダン)という問いに、サルコジは三度「ウィ」と答えました(↓)。


 2014年サルコジは復帰し、いとも簡単にUMP党党首となり、自分の思い通りに党名をLRと変え、この(初めての)「保守・中道統一候補予備選挙」を開催すると決めました。次期大統領の座を奪取・奪還するためです。2015年、2016年、その勢いは伸びず、このカムバックは極右の票を奪い返すことでしか成功しないというはっきりとした教権的・排外的政策を打ち出すところが、フィヨン、ジュペとの違いでしたでしょうか。
 昨夜、開票されるまで、次週は「ジュベ vs サルコジ決戦」だと思っていたでしょうか。3位になってエリミネされたサルコジは、二度目の政界引退を余儀なくされました。11月20日、22時頃、アイム・ア・ルーザー演説(↓)



(↓)その36秒目からこんなこと言ってます。
Il est donc temps maintenant pour moi
D'aborder une vie avec plus de passions privées
moins de passions publiques

今こそ、私には
公的な情熱(政治)を減らし
より個人的な情熱に満ちた生活に向かうべき時がやってきたのです。

これは引退宣言でしょうけど、passions publiques を減らすけれども無くすとは言っていませんからね。エリミネされても、エリミネされても、数年後に帰ってきますよ。まだ62歳ですから。

 

2016年10月28日金曜日

ソングライターなんて皆おなじ

ヴァンサン・ドレルム『今この瞬間』
Vincent Delerm "A présent"

 5曲め "Les chanteurs sont tous les mêmes" (歌手なんてみんな同じようなもの)
詞曲:ヴァンサン・ドレルム
歌:ヴァンサン・ドレルム&バンジャマン・ビオレー

また夜のパリのこと
また去った女のこと
危機の状態にある恋のこと
歌手なんてみんな同じようなもの

またあのソングライターか
よく髪型を変え、よく涙を流す
セーヌに身投げするような

またきみか、同じ上着で
照明係やその他を引き連れて
しばらく前からきみがこのあたりを
うろつくのを見ているが
きみの芸は退屈だ
いつも同じ老ぼれジョーの歌だ
僕がきみのことを見ていなかったとでも思っているのか
僕がきみのことを見ていないとでも

また雨のパリのこと
午後の恋のこと
ヴェルレーヌ流の強いアルコール

またきみのコンサートか
ブーローニュ・シュル・メールの体育館
しばらく前からきみがこのあたりを
うろつくのを見ているが
きみの芸は退屈だ
いつも同じ老ぼれジョーの歌だ
僕がきみのことを見ていなかったとでも思っているのか
僕がきみのことを見ていないとでも

またきみか、同じ上着で
照明係やその他を引き連れて
しばらく前からきみがこのあたりを
うろつくのを見ているが
きみの芸は退屈だ
いつも同じ老ぼれジョーの歌だ
僕がきみのことを見ていなかったとでも思っているのか
僕がきみのことを見ていないとでも

また夜のパリのこと
ネオンとタクシー
また青白い夜明けのこと
歌手なんてみんな同じようなもの

人生の黄昏まで
僕は歌い続けるさ 僕の恋人よ
それが何か問題なのかい?


11曲め "Le Garçon"
詞曲:ヴァンサン・ドレルム
雪降るボーモンで、7月の浜辺で、あなたたちを愛していた子、それが僕。
いとこのトマがカウボーイに扮してるこの仮装写真に写っている子、それが僕。
あなたたちのことを愛していた子、変わってしまったね、ごめんなさい、でも今でも僕のことがわかるかい?
色あせたスーツを着て、中身も色あせてしまった子、それが僕。
2月のルーアンで、21人のチケット購入者のためにバルバラを歌うコンサートを開きたかった子、それが僕。
ある晩第3階段教室で、とても昔のある夜、そこに残っていた学生、それが僕。
希望を持っていた子、変わってしまったね、ごめんなさい、でも今でも僕のことがわかるかい?
20時に楽屋に入る子、それが僕、でも中身は変わっていない。

移動遊園地に近づくと耳が赤くなってしまう子、それが僕。
バレエ教室でたったひとりの男だった子、それが僕。
車に乗ると道順案内をしなければならなかった子、それが僕。
「スターウォーズ」を見なかった子、それが僕。
ブルーノ・マリーローズにサインをねだった子、それが僕。
コールドウェイヴのバンドの一員だった子、それが僕。
ヴァンサン・シュミットと友だちだった子、それが僕。
一人の幼友だちを亡くした子、それが僕。
パリに移り住んだ子、それが僕。
地下鉄駅で言うとアレジア、バルベス、ポワソニエール、ベルヴィルで暮らしていた子、それが僕。
夜中にディアコネス病院(12区)のバルコニーにいた子、それが僕。
12区の区役所で新生児誕生を届け出た子、それが僕。
12区の区役所でもうひとり新生児誕生を届け出た子、それが僕。
雪降るボーモンであなたたちを愛していた子、それが僕。

<<< トラックリスト >>>
1. LA VIE DEVANT SOI
2. DANS LE DECOR
3. JE NE VEUX PAS MOURIR CE SOIR
4. DANSER SUR LA TABLE
5. LES CHANTEURS SONT TOUS LES MEMES
6. LA DERNIERE FOIS QUE JE T'AI VU
7. UN ETE
8. CRISTINA
9. ETES-VOUS HEUREUX
10. A PRESENT
11. LE GARCON

VINCENT DELERM "A PRESENT"
CD TOT OU TARD 3340102
フランスでのリリース: 2016年10月7日

2016年10月20日木曜日

Yes Oui Can

V/A "Les Artistes Français chantent en Anglais - The French Artists sing in English"
V/A 『英語で歌うフレンチアーチストたち』

 マルシアル・マルチネーのMAGIC RECORDSの2016年9月新譜です。この会社も私の会社同様2000年代に何度か倒産を噂され、その「閉業在庫処分セール」を手伝ったこともあります。奥さんと娘さんと3人企業としてしぶとく残っているところは、私の会社と全く同じで、たまに電話で話すたびに、お互いの連帯・友情を確かめ合う、そんな仲でコラボレーションを続けております。コレクターの琴線をくすぐる60-70年代盤の復刻で大変評価の高い仕事をしているレコード会社ですが、オリジナル盤の復刻よりも、そのサービス精神のためかたくさんのものを詰め込む編集盤が多く、その辺がオリジナル盤を求めるコレクターの欲求とソリが合わなかったり。そして、残念なのは解説や資料が乏しいのです。今日び、インターネットで検索すれば、多くのことは知ることはできますけど、ライナーノーツに解説やデータがあれば、どれだけ助かるか、と思うことしばしばです。マルチネー自身が稀代のコレクターなので、 あまり手の内をバラしたくないのかもしれません。
 この編集盤も、おそらく全曲マルチネーのシングル盤(あるいはLP)コレクションからの選曲だと思います。25曲トータルランタイム78分。なんという気前良さ。2枚に分けて、vol 1, vol.2 として、倍の売上を狙ったっていいところだと思いますよ。太っ腹のCD1枚もので登場。しかし解説が皆無。
 要は60年代から70年代前半にかけて、歌詞を英語で録音したレコードを出したフランスのアーチストたちの珍盤の数々というわけです。かつてはフランスは英語を話すのが不得意な国の代表みたいに言われていましたし、隣国ドイツやオランダや北欧が英語バイリンガルが一般的になった時代にも、パリのような大都市でも英語がほとんど通じなかった。この60-70年代ももちろんそんな時期で、英米アーチストならともかく、フランス人が英語で歌ったら、ひっこめバカヤローと言われてもしかたなかったでしょう。
 英語で歌う理由は多々あったでしょう。フランソワーズ・アルディやサッシャ・ディステルのようにイギリスで人気の出た歌手たちは当然英語を要求されたでしょう。1957年に始まったユーロヴィジョン・ソングコンテストは、欧州各国の大衆歌謡曲を加速度的にショービジネス化して、歌の市場の国境を取り去り、国際ヒットという可能性をもたらしました。あの頃はまだフランス語で国際ヒットというのは可能でしたし、ベコー、アズナヴールといった大シャンソン歌手たちは世界中にファンを持っていましたが、次世代はシャンソンの未来というのはあまり考えられなかったようで、英語というのは「世界」という可能性を与える言語だったのです。そして時を同じくしてやってきた「ロック革命」というのがありまして、若い世代を熱狂させたこの音楽は、やっぱり「英語で歌われてこそ」と思われたのです。日本70年代に「日本語によるロックは可能か」と論争されたように、フランスでも同じようなことがあり、フランス語は全然ロックに乗らない、と否定的なことを言う人たちが多かった。ロックだけでなく、ブルース、R&Bなどから音楽を始めた若い人たちも「フランス語で」などと考えもせず、英語の方が本物なのだから、という感覚。
 そんな時期のフランス人アーチストたちなのです。ここに収められた25曲で、真に世界的ヒットで、今日もナツメロFMの定番となっている曲はたったひとつ、ジルベール・モンタニエの「ザ・フール」(1971年。この年モンタニエ19歳)だけです。
 モロッコ出身のR&B歌手ヴィゴン(フランス人ではないんですけど、まあいいじゃないですか)の「ハーレム・シャッフル」(1967年)もザ・ローリング・ストーンズがカヴァーしたということで時々ナツメロTVラジオに登場しますが、これはヴィゴンがオリジナルヒットというわけではない。
 イエイエの大物たるジョニー・アリディ、リシャール・アントニー、ディック・リヴァース(レ・シャ・ソヴァージュ)も意外な側面と言えないことないけれど、国際色よりもローカル色が出ますね。
 大物で大変驚いたのはクリストフで、ジョルジュ・ロートネール監督の『サリナへの道(ROAD TO SALINA)』(1970年仏伊合作サイケデリック・ミステリー映画。主演にあの『モア』 のミムジー・ファーマー)の映画音楽を担当し、その主題歌「サリナから来た女(The Girl from Salina)」は抒情サイケ・プログレど真ん中の迫力です。
 映画音楽ものではレイモン・クノーの同名小説を映画化した "ON EST TOUJOURS TROP BON AVEC LES FEMMES"(1971年、ミッシェル・ボワロン監督 = 日本ではナタリー・ドロン&ルノー・ヴェルレー主演『個人教授』でことさら有名) の音楽で、クロード・ボーリング作 "A LITTLE PEACE OF MINDE"(歌:Trianglophone)という、カントリー調のサントラ大御所芸の作品も。
 しかし、この編集盤の宝ものは、やはりポップ・ロック系の隠された佳曲の数々で、うれしい発見多々あり。後年映画音楽(特に『37,2 ベティー・ブルー』)で名を成すガブリエル・ヤレドと、後年(スタジオセッション)コーラスデュオとして名を成すコスタ兄弟(ジョルジュ・コスタ&ミッシェル・コスタ)の3人組 COSTA YARED COSTA(1973年)とか。それから後年バシュングの作詞家で名を成すボリス・ベルグマンが、ギリシャのアフロディーテズ・チャイルド(デミス・ルソス&ヴァンゲリス・パパタナシュー)「レイン・アンド・ティアーズ」(1968年) に続く国際ヒットを目指して書いた、(フランス人スタジオミュージシャンの即成バンド)ジュピター・サンセットの "BACK IN THE SUN"(1970年)。フェージングのかけ方があの時代を思わせますよね(バルバラ「黒いワシ」も1970年)。同じくボリス・ベルグマンが、同じようにスタジオミュージシャンかき集めの即成バンドで、当時人気のあったアンデス民謡(コンドルは飛んで行く...)にインスパイアされた曲調で(午後の数時間で)録音したシングルがタイム・マシーン「ターン・バック・タイム」(1971年)。こういうスタジオでバンドでっち上げてシングルヒットを狙うというパターン、よくありましたね。
 北フランス、リール出身のバンドで、当ブログで2009年6月に大きく紹介したアナーキック・システムもこの盤で取り上げられてます:「ロイヤル・サマー」(1973年)
 カヴァーものでは、ビートルズの「エリノア・リグビー」を1971年に CSN風コーラスワークとプログレ・ギターでやっているイルース&ドキュイペというデュオ(Bernard Ilous & Patrice Decuyper)。


 それでもやっぱりイギリス人にはかなわない、と思わせるのが、60年代からシルヴィー・バルタンやジョニー・アリディのライター/コンポーザー/アレンジャー/バンドマンとして活躍していたイギリス人二人、ミッキー&トミー(ミッキー・ジョーンズ&トミー・ブラウン)の手になる曲で、ここでは「フランスのブライアン・ジョーンズ」ロニー・バードが歌っています:「サッド・ソウル」(1969年)。



 と、まあ、いろいろと発見のある盛り沢山の1枚。マルシアル・マルチネーに最敬礼。

<<< トラックリスト >>>
1. JOHNNY HALLYDAY "SHAKE THE HAND OF A FOOL" (1962)
2. JOEL DAYDE "DO IT NOW" (1972)
3. GILBERT MONTAGNE "THE FOOL"(1971)
4. JUPITER SUNSET "BACK IN THE SUN" (1970)
5. HECTOR & LES MEDIATORS "WHOLE LOTTA SHAKING GOIN' ON"(1963)
6. VIGON "HARLEM SHUFFLE" (1967)
7. ALAN JACK CIVILISATION "SHAME ON YOU" (1969)
8. LES 5 GENTLEMEN "DAYTIME" (1968)
9. CENTURY "WHY (DID YOU TAKE SO LONG)" (1970)
10. LES VARIATIONS "COME ALONG" (1968)
11. TRIANGLE "BLOW YOUR COOL" (1970)
12. RICHARD ANTHONY "PERSONALITY" (1959)
13. COSTA YARED COSTA "GOT ME" (1973)
14. DOC DAIL "SAD HAROLD" (1969)
15. TRIANGLOPHONE "A LITTLE PEACE OF MIND" (1975)
16. ZOO "HARD TIMES GOOD TIMES" (1971)
17. MORRIGANN "MY LADY NEVER SAID GOOEBYE" (1972)
18. CHRISTOPHE "THE GIRL FROM SALINA" (1971)
19. HOLLY GUNS "CRAZY WEEK" (1969)
20. CLASSICAL M "SUCH A LOVELT VOICE" (1970)
21. ANARCHIC SYSTEM "ROYAL SUMMER" (1973)
22. RONNIE BIRD "SAD SOUL" (1969)
23. ILOUS & DECUYPER "ELEANOR RIGBY" (1971)
24, LES CHATS SAUVAGES "I'M A PRETENDER" (1962)
25. TIME MACHINE "TURN BACK TIME" (1972)

V/A "LES ARTISTES FRANCAIS CHANTENT EN ANGLAIS"
CD MAGIC RECORDS 3931014
フランスでのリリース : 2016年9月 



PS : これなんかも本当に大好き。ZOO "HARD TIMES GOOD TIMES" (1971)