Enchantée Julia "Onze"
アンシャンテ・ジュリア『じゅういち』
私は2018年からアンシャンテ・ジュリアを追いかけている。ジュリアは南の女である。オクシタニアの生まれ。正確にはプロヴァンス地方ヴォークルーズ県オペード・ル・ヴュー(Oppède-le-vieux)という人口1000人の古い町で、美しいラヴェンダー園が点在するリュベロン山塊自然公園の中にある。「ウィンキーカレンダー2025」の7月の写真(↓)を撮影したラヴェンダー園にも近いところである。ジュリアの歌にはそういうプロヴァンスの香りを感じさせるものがある。因みにジュリアのちりちりのカーリーヘアーは天然であり、ジュリアの最初の6曲EP(2019年)のタイトルは"Boucle(巻き毛)" と誇らしげに。
ジュリアのやっている音楽は一般的には”R&B”と呼ばれていて、それもフランス語によるR&Bである。これは2010年代のフランス音楽業界では(商業的に)きびしいジャンルだった。破竹の勢いで市場を席巻しているラップ/ヒップホップの影にあって、どんなに歌唱力あるR&B歌手でもその位置はラップアーチストのバックコーラスやちょっとしたリフレインの”フィーチャリング”が関の山であった。だからプロヴァンスからパリに出てきた頃はレコード会社やプロダクションから見向きもされず、長い”下積み”を強いられることになった。2018年にYouTubeで楽曲を発表し始めた頃、すでにジュリアは30歳になっていた(それがどうした?)。ジュリアは焦ることなくゆっくり時間をかけて、仏ネオ・ソウル界隈の最良の部分とコラボレーションを重ねて、自らの(誰にも真似のできない)ダウンテンポ・グルーヴを磨きあげていく。その中での決定的な出会いが、(のちに夫にもなる)プランス・ワリー Prince Walyであった。本名ムーサ・マガッサ、93県モントルイユ出身のラッパーで、これも長い下積みの末2022年の初ソロアルバム『ムーサ』で2023年度ジョゼフィーヌ賞を受賞している。ジュリアは一貫して彼のことをムーサと呼び、その名を冠した「ムーサ」という曲も発表して公にその熱愛を表明している(ジュリアはこういう極私的な内容の歌が多い)。お互いの長い下積み中にさまざまなインスピレーションを交感し合っていた間柄と言えるし、お互いのアーチストとしての飛躍に重要な役割を果たしていた、それは愛だもんね、と。
そのプランス・ワリー/ムーサが2018年にまれな難病である「胸腺がん」と診断され、一時は声帯にまで転移して声が出なくなった。それから3年間の治療闘病の末、晴れて寛解するのだが、この劇的な生への帰還も二人の音楽アーチストの愛による救済のドラマのように、楽曲のインスピレーションとなるのだね。ムーサは3年のブランクの後、前述の初ソロアルバム『ムーサ』(2022年)で大きな成功をおさめ、一躍フレンチ・ラップの大器になった。2022年アンシャンテ・ジュリアの2枚めのEP(7曲入り)は”Longo Maï(ロンゴ・マイ)”と題されるが、これはオック語(プロヴァンサル語)で「末永くあれ」という意味で、言わばムーサの帰還を祝福するもの(このEPの中に前述の「ムーサ」が入っている)。
そして次は私の番、とジュリアは初ソロアルバムを準備する。ジュリア/ムーサのカップルの他ミュージシャン/コンポーザー、エンジニアらが故郷プロヴァンス・リュベロン地方ピオランクの田舎家 Les Santolines (レ・サントリーヌ)に合宿を始めたのが2023年11月。アルバムがこの環境で生まれたことを示すミニ・ドキュメンタリー動画がある(↓)
そのプランス・ワリー/ムーサが2018年にまれな難病である「胸腺がん」と診断され、一時は声帯にまで転移して声が出なくなった。それから3年間の治療闘病の末、晴れて寛解するのだが、この劇的な生への帰還も二人の音楽アーチストの愛による救済のドラマのように、楽曲のインスピレーションとなるのだね。ムーサは3年のブランクの後、前述の初ソロアルバム『ムーサ』(2022年)で大きな成功をおさめ、一躍フレンチ・ラップの大器になった。2022年アンシャンテ・ジュリアの2枚めのEP(7曲入り)は”Longo Maï(ロンゴ・マイ)”と題されるが、これはオック語(プロヴァンサル語)で「末永くあれ」という意味で、言わばムーサの帰還を祝福するもの(このEPの中に前述の「ムーサ」が入っている)。
そして次は私の番、とジュリアは初ソロアルバムを準備する。ジュリア/ムーサのカップルの他ミュージシャン/コンポーザー、エンジニアらが故郷プロヴァンス・リュベロン地方ピオランクの田舎家 Les Santolines (レ・サントリーヌ)に合宿を始めたのが2023年11月。アルバムがこの環境で生まれたことを示すミニ・ドキュメンタリー動画がある(↓)
そして新アルバムを閉じる最終曲(11曲め)はこの田舎家へのオマージュで「レ・サントリーヌ」と題される。
(リフレイン)
Changement de saison
季節が変わり
J'reviens à la maison
私は故郷に帰る
Rêver, rêver
夢見ること
Quand la nuit tombe
夜の帷が降りると
Le coeur a ses raisons
愛することの
D'aimer, d'aimer
理由をとりもどす
満を辞してのファーストフルアルバムのタイトルは『Onze(11)』。11曲32分。なぜ「11」なのかをジュリアはインターネットメディア Konbini のインタヴューでこう答えている。
理由はたくさんある。私の人生において11という数字をめぐってたくさんの重要な瞬間があったの。それは”幸運の数字”以上のものね。数秘術(numérologie)では私の数字は11で、夫(プランス・ワリー)も同じ。これはミラーナンバーよ。そしてこれは直観を表す数字であり、このアルバムをよく要約していると思うの。これは直観的で本能的なアルバムで、私という人間をよく表しているのよ。私のものの考え方と生き方において私は精神的なディメンションに大きな比重を置いているの、そのことは私の知人たちはよく知っているんだけど、ファンたちは知らないと思うので、私はそのことをみんなに感じて欲しいのよ。私の人生を変えてしまったアルバム、エリカ・バドゥの『バドゥイズム』(1997年)は2月11日にリリースされた。11は私たちの結婚の日でもあった。とても神秘的なことよ。彼が数秘術の数字で11だってことは知らなかったのよ。彼も11、私も11、それで結婚したのが3月11日、でもこの日付は私たちじゃなくて市役所が決めたのよ...
アルバムタイトル曲「Onze(11)」(3曲め)は夫プランス・ワリーがラップで介入してくるナンバーで、ジュリアとムーサの出会いのことが歌われている。
Que ferais-tu, si t'avais le choix ?
あなたにやり直しができるとしたらどうする?
J'recommencerais des centaines de fois
私だったら何百回でも同じことをやり直すわ
Premier rendez-vous
最初のランデブー
C'était cool
クールだったわ
On se tournait autour
激しく誘惑し合ったわね
C'était fou
クレイジーだったわ
C'est arrivé, j'ai dû prier
ついにやって来たの
Du haut de mes genoux私深く祈っていたのね、きっと
Puis t'es arrivé, comme au ciné
そしてあなたがやって来た、映画みたいに
As-tu rêvé de nous ?
あなたは私たちのこと夢見てたの?
お熱いことで。アルバムはこんなふうに、極私的なムーサ/プランス・ワリーへの想いを歌ったものが多い。ジュリアにおいて特徴的なのは、R&B/ソウルにありがちな毒性や酩酊や傷つきがテーマにならないこと。祈りと救済、愛すること、夢見ること、信じること、ここに私は米R&Bの底にあるゴスペル的な精神性を思ってしまうのだが。例えば2曲めの「セイヴ・ミー(Save me)」という歌である。これもムーサに捧げた愛の救済を歌ったものであろう。
Entre désert et montée des eaux砂漠と洪水の間にLa terre brûle mais l'enfer c'est les autres大地が燃えているけど地獄とは他人のことJ'fais le saut de l'ange, du haut de la Seine je saute私は天使の跳躍を、セーヌの高みから飛び込むのSaine et sauve, moi, j'm'en sors saine et sauve無傷で無事に私は抜け出す、全く何事もなくBillet bleu ou vert, sur plaie ouverte開いた傷口にユーロ札やドル札Comme un pansement, sur cœur ouvert開いた心臓に貼った絆創膏みたいBaby, je suis tombée à l'eauベビー、私は水に落ちたのよEt toi pour me sauver, t'as trouvé deux anneaux私を救うためにあなたは二つの指輪を見つけたBaby, baby, save me (Save me, save me)ベビー、ベビー、セイヴ・ミーBaby, baby, save me (Save me, save me)ベビー、ベビー、セイヴ・ミーBaby, baby, save me (Save me, save me)ベビー、ベビー、セイヴ・ミーDe nos ennemis私たちの敵から救い出してRegarde comme le monde est à nous見て、世界は私たちのものEt dans ton regard, tout devient douxあなたの眼差しですべては優しくなるMon cœur est brisé, il me fait défaut私の心は傷つき、欠乏してしまうQuand le chemin est truffé de faux道には偽物ばかり埋められているAu pied du puits, j'étais au fond des eaux井戸の最深部、私は水の底にいたのSans réseau, moi, j'avance sans les autres何の繋がりもなく、私は他人の力なしで進んでいくBaby, je suis tombée à l'eauベビー、私は水に落ちたのよEt toi pour me sauver, t'as trouvé deux anneaux私を救うためにあなたは二つの指輪を見つけたBaby, baby, save me (Save me)ベビー、ベビー、セイヴ・ミーBaby, baby, save me (Save me)ベビー、ベビー、セイヴ・ミーBaby, baby, save me (Save me)ベビー、ベビー、セイヴ・ミーDe nos ennemis私たちの敵から救い出してBaby, baby, save me (Save me)ベビー、ベビー、セイヴ・ミーBaby, baby, save me (Save me)ベビー、ベビー、セイヴ・ミーBaby, baby, save me (Save me)ベビー、ベビー、セイヴ・ミーDe nos ennemis私たちの敵から救い出して
思わず赤文字にしてしまったが、"L'enfer c'est les autres"(地獄とは他人のことだ)は、ジャン=ポール・サルトルの戯曲『出口なし』(1944年)の中の有名なセリフであり、フランスではリセの哲学の試験問題によく出る存在論的命題である。ジュリアはこんなことも引き合いに出すので、ちょっと侮れない。
フランス語詞にこだわるジュリアであり、その複雑なネオ・ソウル旋律にもよく乗るグルーヴィーな言葉づかいである。ただ私が惹かれてやまないのは、それよりもそのセンシブルで官能的な声であり歌唱であり、コーラス部分の自声多重録音のハーモニーワークである。私はこの声ならば一晩中だってうっとりして聴いていられる。インストもとても繊細だし、その編まれ方には感心させられるのだが、詳しく解説できる知識は私にはないので...。
そんなアルバムの中で、やっぱり一番繰り返して聴いてしまうのは「肌の花(Fleur de peau)」(9曲め)という曲で、これは田舎家レ・サントリーヌ合宿で最初に出来上がった曲だそう。この曲が出来たら続く曲はすらすらと出てきたという、一番産みの苦しみの末に生まれた歌。自信があったのだろうね、アルバム発売の5ヶ月前の2024年6月に先行シングル扱いでYouTube公開された。私も一聴で虜になった。「肌の花」とは非常に敏感に(過敏気味に)反応することを意味する。触れるか触れないかの距離で肌に接するとくすぐったかったり、寒気で震えたりする、そういう過敏反応のことを仏語表現で avoir la fleur de peau (肌の花を持つ)と言うのだそう。
Toujours à faire le beauいつもきれいでありたくてSouvent à fleur de peau朝早くのComme le parfum香水のようにTôt le matinつい過敏になってしまう私Trop de mauvaises rencontres m’ont fait du tort悪い出会いをしすぎたせいねPour oublier il m’a fallu du temps忘れるのに時間がかかったわMais je t’ai dans la peau, je t’ai dans la peau (ouh, ouh)でも今はあなたに夢中なの、あなたに夢中なの(うう、うう)Je t’ai dans la peau, je t’ai dans la peau (ouh, ouh)あなたに夢中なの、あなたに夢中なの(うう、うう)Pour jouer le jeu, il fallait être deuxゲームをするには、二人にならなければHeureux, yeux dans les yeux, j’ai fait ce voeuしあわせよ、見つめあって、私は願いを立てるUn peu d’amour, c’est tout ce que je veux少しの愛、私が欲しいのはそれだけSi je t’en demande trop, fais ce que tu peuxそれが欲張りすぎだったら、あなたはできることだけしてEt si parfois je pleureもしもときどき私が泣いたらTu m'achèteras des fleurs私にお花を買ってねDes chrysanthèmes菊の花がいいわEt par centaines何百本もよTu m’as renversée comme un sablierそれで私はひっくり返された砂時計のようにOn se retrouve pour mieux s’oublier忘れてまたいちから始められるわEt on se tourne le dos, tourne le dos, tourne autour, ça va si vite背を向けあい、背を向けて、回りまわって、とても早く過ぎてしまうわEt on se tourne le dos, tourne le dos, tourne autour, ça va si vite背を向けあい、背を向けて、回りまわって、とても早く過ぎてしまうわEt on se tourne le dos, tourne le dos, tourne autour, ça va si vite背を向けあい、背を向けて、回りまわって、とても早く過ぎてしまうわViens, pas trop vite来て、でも急ぎすぎないでNon, pas trop viteでも急ぎすぎないでNon, pas trop viteでも急ぎすぎないでNon, pas trop viteでも急ぎすぎないでMais je t’ai dans la peau, je t’ai dans la peau (ouh, ouh)でも今はあなたに夢中なの、あなたに夢中なの(うう、うう)Je t’ai dans la peau, je t’ai dans la peau (ouh, ouh)あなたに夢中なの、あなたに夢中なの(うう、うう)Pour jouer le jeu, il fallait être deuxゲームをするには、二人にならなければHeureux, yeux dans les yeux, j’ai fait ce voeuしあわせよ、見つめあって、私は願いを立てるUn peu d’amour, c’est tout ce que je veux少しの愛、私が欲しいのはそれだけSi je t’en demande trop, fais ce que tu peuxそれが欲張りすぎだったら、あなたはできることだけして
そしてこのアルバムは2024年"11月22日”にリリースされた。”11"に凝った二人の記念すべきアルバムということなのかもしれない。因みに日本では11月22日は「いい夫婦の日 」なんだと最近教わった。ジュリアに教えてあげたい。
<<< トラックリスト >>>
1. Cygne
2. Save me
3. Onze (feat. Prince Waly)
4. Ballade
5. Doutes
6. La Sève
7. Go
8. Mystère
9. Fleur de peau
10. Leitmotiv
11. Les Santolines
Enchantée Julia "Onze"
LP/CD/Digital Roche Musique RM090
フランスでのリリース:2024年11月22日
カストール爺の採点:★★★★☆
10. Leitmotiv
11. Les Santolines
Enchantée Julia "Onze"
LP/CD/Digital Roche Musique RM090
フランスでのリリース:2024年11月22日
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)プランス・ワリー&アンシャンテ・ジュリア "Cra$h"(ライヴ2023)
(↓)Julia dream, dreamboat queen, queen of all my dreams
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