2024年12月1日日曜日

2024年のアルバム:夢に消えるジュリア

Enchantée Julia "Onze"
アンシャンテ・ジュリア『じゅういち』


は2018年からアンシャンテ・ジュリアを追いかけている。ジュリアは南の女である。オクシタニアの生まれ。正確にはプロヴァンス地方ヴォークルーズ県オペード・ル・ヴュー(Oppède-le-vieux)という人口1000人の古い町で、美しいラヴェンダー園が点在するリュベロン山塊自然公園の中にある。「ウィンキーカレンダー2025」の7月の写真(↓)を撮影したラヴェンダー園にも近いところである。ジュリアの歌にはそういうプロヴァンスの香りを感じさせるものがある。因みにジュリアのちりちりのカーリーヘアーは天然であり、ジュリアの最初の6曲EP(2019年)のタイトルは"Boucle(巻き毛)" と誇らしげに。

 ジュリアのやっている音楽は一般的には”R&B”と呼ばれていて、それもフランス語によるR&Bである。これは2010年代のフランス音楽業界では(商業的に)きびしいジャンルだった。破竹の勢いで市場を席巻しているラップ/ヒップホップの影にあって、どんなに歌唱力あるR&B歌手でもその位置はラップアーチストのバックコーラスやちょっとしたリフレインの”フィーチャリング”が関の山であった。だからプロヴァンスからパリに出てきた頃はレコード会社やプロダクションから見向きもされず、長い”下積み”を強いられることになった。2018年にYouTubeで楽曲を発表し始めた頃、すでにジュリアは30歳になっていた(それがどうした?)。ジュリアは焦ることなくゆっくり時間をかけて、仏ネオ・ソウル界隈の最良の部分とコラボレーションを重ねて、自らの(誰にも真似のできない)ダウンテンポ・グルーヴを磨きあげていく。その中での決定的な出会いが、(のちに夫にもなる)プランス・ワリー Prince Walyであった。本名ムーサ・マガッサ、93県モントルイユ出身のラッパーで、これも長い下積みの末2022年の初ソロアルバム『ムーサ』で2023年度ジョゼフィーヌ賞を受賞している。ジュリアは一貫して彼のことをムーサと呼び、その名を冠した「ムーサ」という曲も発表して公にその熱愛を表明している(ジュリアはこういう極私的な内容の歌が多い)。お互いの長い下積み中にさまざまなインスピレーションを交感し合っていた間柄と言えるし、お互いのアーチストとしての飛躍に重要な役割を果たしていた、それは愛だもんね、と。
 そのプランス・ワリー/ムーサが2018年にまれな難病である「胸腺がん」と診断され、一時は声帯にまで転移して声が出なくなった。それから3年間の治療闘病の末、晴れて寛解するのだが、この劇的な生への帰還も二人の音楽アーチストの愛による救済のドラマのように、楽曲のインスピレーションとなるのだね。ムーサは3年のブランクの後、前述の初ソロアルバム『ムーサ』(2022年)で大きな成功をおさめ、一躍フレンチ・ラップの大器になった。2022年アンシャンテ・ジュリアの2枚めのEP(7曲入り)は”Longo Maï(ロンゴ・マイ)”と題されるが、これはオック語(プロヴァンサル語)で「末永くあれ」という意味で、言わばムーサの帰還を祝福するもの(このEPの中に前述の「ムーサ」が入っている)。
 そして次は私の番、とジュリアは初ソロアルバムを準備する。ジュリア/ムーサのカップルの他ミュージシャン/コンポーザー、エンジニアらが故郷プロヴァンス・リュベロン地方ピオランクの田舎家 Les Santolines (レ・サントリーヌ)に合宿を始めたのが2023年11月。アルバムがこの環境で生まれたことを示すミニ・ドキュメンタリー動画がある(↓)


そして新アルバムを閉じる最終曲(11曲め)はこの田舎家へのオマージュで「レ・サントリーヌ」と題される。
(リフレイン)
Changement de saison
季節が変わり
J'reviens à la maison
私は故郷に帰る
Rêver, rêver
夢見ること
Quand la nuit tombe
夜の帷が降りると
Le coeur a ses raisons
愛することの
D'aimer, d'aimer
理由をとりもどす



満を辞してのファーストフルアルバムのタイトルは『Onze(11)』。11曲32分。なぜ「11」なのかをジュリアはインターネットメディア Konbini のインタヴューでこう答えている。
理由はたくさんある。私の人生において11という数字をめぐってたくさんの重要な瞬間があったの。それは”幸運の数字”以上のものね。数秘術(numérologie)では私の数字は11で、夫(プランス・ワリー)も同じ。これはミラーナンバーよ。そしてこれは直観を表す数字であり、このアルバムをよく要約していると思うの。これは直観的で本能的なアルバムで、私という人間をよく表しているのよ。私のものの考え方と生き方において私は精神的なディメンションに大きな比重を置いているの、そのことは私の知人たちはよく知っているんだけど、ファンたちは知らないと思うので、私はそのことをみんなに感じて欲しいのよ。私の人生を変えてしまったアルバム、エリカ・バドゥの『バドゥイズム』(1997年)は2月11日にリリースされた。11は私たちの結婚の日でもあった。とても神秘的なことよ。彼が数秘術の数字で11だってことは知らなかったのよ。彼も11、私も11、それで結婚したのが3月11日、でもこの日付は私たちじゃなくて市役所が決めたのよ...

アルバムタイトル曲「Onze(11)」(3曲め)は夫プランス・ワリーがラップで介入してくるナンバーで、ジュリアとムーサの出会いのことが歌われている。
Que ferais-tu, si t'avais le choix ?
あなたにやり直しができるとしたらどうする?
J'recommencerais des centaines de fois
私だったら何百回でも同じことをやり直すわ
Premier rendez-vous
最初のランデブー
C'était cool
クールだったわ
On se tournait autour
激しく誘惑し合ったわね
C'était fou
クレイジーだったわ
C'est arrivé, j'ai dû prier
ついにやって来たの
Du haut de mes genoux
私深く祈っていたのね、きっと
Puis t'es arrivé, comme au ciné
そしてあなたがやって来た、映画みたいに
As-tu rêvé de nous ?
あなたは私たちのこと夢見てたの?



 お熱いことで。アルバムはこんなふうに、極私的なムーサ/プランス・ワリーへの想いを歌ったものが多い。ジュリアにおいて特徴的なのは、R&B/ソウルにありがちな毒性や酩酊や傷つきがテーマにならないこと。祈りと救済、愛すること、夢見ること、信じること、ここに私は米R&Bの底にあるゴスペル的な精神性を思ってしまうのだが。例えば2曲めの「セイヴ・ミー(Save me)」という歌である。これもムーサに捧げた愛の救済を歌ったものであろう。
Entre désert et montée des eaux
砂漠と洪水の間に
La terre brûle mais l'enfer c'est les autres
大地が燃えているけど地獄とは他人のこと
J'fais le saut de l'ange, du haut de la Seine je saute
私は天使の跳躍を、セーヌの高みから飛び込むの
Saine et sauve, moi, j'm'en sors saine et sauve
無傷で無事に私は抜け出す、全く何事もなく
Billet bleu ou vert, sur plaie ouverte
開いた傷口にユーロ札やドル札
Comme un pansement, sur cœur ouvert
開いた心臓に貼った絆創膏みたい
Baby, je suis tombée à l'eau
ベビー、私は水に落ちたのよ
Et toi pour me sauver, t'as trouvé deux anneaux
私を救うためにあなたは二つの指輪を見つけた
Baby, baby, save me (Save me, save me)
ベビー、ベビー、セイヴ・ミー
Baby, baby, save me (Save me, save me)
ベビー、ベビー、セイヴ・ミー
Baby, baby, save me (Save me, save me)
ベビー、ベビー、セイヴ・ミー
De nos ennemis
私たちの敵から救い出して
Regarde comme le monde est à nous
見て、世界は私たちのもの
Et dans ton regard, tout devient doux
あなたの眼差しですべては優しくなる
Mon cœur est brisé, il me fait défaut
私の心は傷つき、欠乏してしまう
Quand le chemin est truffé de faux
道には偽物ばかり埋められている
Au pied du puits, j'étais au fond des eaux
井戸の最深部、私は水の底にいたの
Sans réseau, moi, j'avance sans les autres
何の繋がりもなく、私は他人の力なしで進んでいく
Baby, je suis tombée à l'eau
ベビー、私は水に落ちたのよ
Et toi pour me sauver, t'as trouvé deux anneaux
私を救うためにあなたは二つの指輪を見つけた
Baby, baby, save me (Save me)
ベビー、ベビー、セイヴ・ミー
Baby, baby, save me (Save me)
ベビー、ベビー、セイヴ・ミー
Baby, baby, save me (Save me)
ベビー、ベビー、セイヴ・ミー
De nos ennemis
私たちの敵から救い出して
Baby, baby, save me (Save me)
ベビー、ベビー、セイヴ・ミー
Baby, baby, save me (Save me)
ベビー、ベビー、セイヴ・ミー
Baby, baby, save me (Save me)
ベビー、ベビー、セイヴ・ミー
De nos ennemis
私たちの敵から救い出して



 思わず赤文字にしてしまったが、"L'enfer c'est les autres"(地獄とは他人のことだ)は、ジャン=ポール・サルトルの戯曲『出口なし』(1944年)の中の有名なセリフであり、フランスではリセの哲学の試験問題によく出る存在論的命題である。ジュリアはこんなことも引き合いに出すので、ちょっと侮れない。

 フランス語詞にこだわるジュリアであり、その複雑なネオ・ソウル旋律にもよく乗るグルーヴィーな言葉づかいである。ただ私が惹かれてやまないのは、それよりもそのセンシブルで官能的な声であり歌唱であり、コーラス部分の自声多重録音のハーモニーワークである。私はこの声ならば一晩中だってうっとりして聴いていられる。インストもとても繊細だし、その編まれ方には感心させられるのだが、詳しく解説できる知識は私にはないので...。

 そんなアルバムの中で、やっぱり一番繰り返して聴いてしまうのは「肌の花(Fleur de peau)」(9曲め)という曲で、これは田舎家レ・サントリーヌ合宿で最初に出来上がった曲だそう。この曲が出来たら続く曲はすらすらと出てきたという、一番産みの苦しみの末に生まれた歌。自信があったのだろうね、アルバム発売の5ヶ月前の2024年6月に先行シングル扱いでYouTube公開された。私も一聴で虜になった。「肌の花」とは非常に敏感に(過敏気味に)反応することを意味する。触れるか触れないかの距離で肌に接するとくすぐったかったり、寒気で震えたりする、そういう過敏反応のことを仏語表現で avoir la fleur de peau (肌の花を持つ)と言うのだそう。
Toujours à faire le beau
いつもきれいでありたくて
Souvent à fleur de peau
朝早くの
Comme le parfum
香水のように
Tôt le matin
つい過敏になってしまう私
Trop de mauvaises rencontres m’ont fait du tort
悪い出会いをしすぎたせいね
Pour oublier il m’a fallu du temps
忘れるのに時間がかかったわ
Mais je t’ai dans la peau, je t’ai dans la peau (ouh, ouh)
でも今はあなたに夢中なの、あなたに夢中なの(うう、うう)
Je t’ai dans la peau, je t’ai dans la peau (ouh, ouh)
あなたに夢中なの、あなたに夢中なの(うう、うう)
Pour jouer le jeu, il fallait être deux
ゲームをするには、二人にならなければ
Heureux, yeux dans les yeux, j’ai fait ce voeu
しあわせよ、見つめあって、私は願いを立てる
Un peu d’amour, c’est tout ce que je veux
少しの愛、私が欲しいのはそれだけ
Si je t’en demande trop, fais ce que tu peux
それが欲張りすぎだったら、あなたはできることだけして
Et si parfois je pleure
もしもときどき私が泣いたら
Tu m'achèteras des fleurs
私にお花を買ってね
Des chrysanthèmes
菊の花がいいわ
Et par centaines
何百本もよ
Tu m’as renversée comme un sablier
それで私はひっくり返された砂時計のように
On se retrouve pour mieux s’oublier
忘れてまたいちから始められるわ
Et on se tourne le dos, tourne le dos, tourne autour, ça va si vite
背を向けあい、背を向けて、回りまわって、とても早く過ぎてしまうわ
Et on se tourne le dos, tourne le dos, tourne autour, ça va si vite
背を向けあい、背を向けて、回りまわって、とても早く過ぎてしまうわ
Et on se tourne le dos, tourne le dos, tourne autour, ça va si vite
背を向けあい、背を向けて、回りまわって、とても早く過ぎてしまうわ
Viens, pas trop vite
来て、でも急ぎすぎないで
Non, pas trop vite
でも急ぎすぎないで
Non, pas trop vite
でも急ぎすぎないで
Non, pas trop vite
でも急ぎすぎないで
Mais je t’ai dans la peau, je t’ai dans la peau (ouh, ouh)
でも今はあなたに夢中なの、あなたに夢中なの(うう、うう)
Je t’ai dans la peau, je t’ai dans la peau (ouh, ouh)
あなたに夢中なの、あなたに夢中なの(うう、うう)
Pour jouer le jeu, il fallait être deux
ゲームをするには、二人にならなければ
Heureux, yeux dans les yeux, j’ai fait ce voeu
しあわせよ、見つめあって、私は願いを立てる
Un peu d’amour, c’est tout ce que je veux
少しの愛、私が欲しいのはそれだけ
Si je t’en demande trop, fais ce que tu peux
それが欲張りすぎだったら、あなたはできることだけして


すごくわかりやすいきれいな詞の中で、突然「菊の花」が出てきて、おや?と思う。ネットでフランスでの菊の象徴するものを調べてみたら、愛や喜び、と出てくるものの、庶民的にはフランスでもこれは11月1日の万聖節(Toussaint)のお墓参りの花なのですよ。「”11”月の花 」というオチなのかもしれない。
 そしてこのアルバムは2024年"11月22日”にリリースされた。”11"に凝った二人の記念すべきアルバムということなのかもしれない。因みに日本では11月22日は「いい夫婦の日 」なんだと最近教わった。ジュリアに教えてあげたい。

<<< トラックリスト >>>
1. Cygne
2. Save me
3. Onze (feat. Prince Waly)
4. Ballade
5. Doutes
6. La Sève
7. Go
8. Mystère
9. Fleur de peau
10. Leitmotiv
11. Les Santolines

Enchantée Julia "Onze"
LP/CD/Digital Roche Musique RM090
フランスでのリリース:2024年11月22日


カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)プランス・ワリー&アンシャンテ・ジュリア "Cra$h"(ライヴ2023)



(↓)Julia dream, dreamboat queen, queen of all my dreams

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