2024年11月23日土曜日

2024年のアルバム:クロかあさんのおまじない

Klô Pelgag "Abracadabra"
クロ・ペルガグ『アブラカダブラ』

志たちは『七つの苦悩の聖母 Notre-Dame-Des-Sept-Douleurs』(2020年)をちゃんと聴きましたかね?コロナ禍でそれどころではない時期ではあったが、解説で書いたように長かった暗黒の日々をクロ・ペルガグが抜け出していく魂の軌跡を描いた素晴らしいアルバムであった。あれから4年、われわれのポスト・コロナ期は身近に起こっている大きな戦争と年々激しくなる温暖化災害とポピュリストが支配する超大国に翻弄され、その中でクロ・ペルガグは34歳になった。それだけではない。4年前クロ・ペルガグが産んだ女児は4歳になった(ロジック)。
 新作の核はそれです。俗に言われることではあるが、子の親になったとたん人間は変わる。それまで自分ひとりだったので、”ひとり思考”ではこの世が急速に破滅に向かっていることを感知しても、最悪は自分ひとりが死ぬだけじゃん、と達観していられた。ところがこの世に出現したばかりの吾子はどうなるのか。生きて欲しい。苦しみはあろうが、少しでも less worthな状態で生きて欲しい。母クロ・ペルガグは、この生きる塊を前にして、欲したり主張したりするこの小さな生命体を前にして、この子が生きていく未来を考えないわけにいかなくなってしまった。世界の終わりを冗談のように言い合うシニカルな大人たちのひとりではいられなくなったのだ。何もかもがダメになってしまっても、何かにしがみつき信じたい。それが効くかどうか知る由もない、陳腐なおまじないであっても。「アブラカダブラ」と唱えたら、一瞬にして世界のすべてがうまく行くようになるかもしれないではないか。母クロ・ペルガグは最後にこの呪文を唱えてみようと思っているのだ。そうしたら吾子の苦しみや痛みが軽くなるかもしれない。
 新アルバムの大きな転換点はもうひとつ。2013年のデビューアルバム『怪物たちの錬金術 L'alchimie des monstres』以来、ソングライタークロ・ペルガグと二人三脚でそのサウンド世界を作ってきたコ・プロデューサーシルヴァン・デシャン Sylvain Deschampsが離脱。この突然の別れにクロ・ペルガグは大泣きに泣いたそうだ。だが泣いてばかりはいられない。思いを決してひとりで立ち上がりセルフ・プロデュースアルバムをキャリーアウトした。編曲指揮・制作・サウンドエンジニアリング、クロ・ペルガグ herself。プログラミング+ストリングス+ブラス+コーラス+.... 全部クロ・ペルガグさんが決めた。
 そのサウンドは前作『七つの苦悩の聖母』で私が「サイケデリックでシンフォニックで求道的な音楽」と評した”大伽藍”の響きと似ていないことはないが、その厚いハーモニーはクロかあさんのあたたかみが感じられると思う。一音一音に込められているものが感じられるように聞こえたら、クロかあさんの意に叶ったりということでしょう。

 アルバムは『七つの苦悩の聖母』と同じように2分ほどのインストルメンタル曲「赤い果実の血 Le sang des fruits rouges」で始まる。このインストによるイントロダクションは大袈裟な音楽の始まりを予感させる”オドシ”であり、今度のはまじめだぞ、おふざけじゃないぞ、と言っているように聞こえる。そして始まるのが「ピタゴラス Pythagore」という曲である。ピタゴラス(570BC - 495BC)とは恐れ多くも畏くも史上初の音楽理論の確立者にして音階の発見者である。われわれのドレミはこの古代ギリシャの数学者なしには誰も知ることができなかったのである。これもハッタリみたいなタイトルである。これは聴く前にアルバム制作の経緯を読んでしまった私にははっきりと「シルヴァン・デシャンとの決別の歌」に聞こえる。ピタゴラス的に理詰めできっちりと複雑構造建築的にクロ・ペルガグのサウンドをつくってきたデシャンに、「いいわよ、わたしひとりでやるわ」と啖呵切ってる。歌詞にこうあり:
Tu dis que ce qui tue pas nous rend plus fort
殺さないことがあなたと私を強くするとあなたは言う
C'est vrai à moins qu'on soit déjà mort
もう死んでるんだったらそれは本当ね
J'ai reçu une millième balle dans le corps
私はもう一千発もの弾丸を体に撃ち込まれたのよ
Je crois que j'ai atteint mon point de départ
私はもう出発点に到達したと思うわ
Va -  t'en si tu veux
望むのなら出て行って
Mais va - t'en juste un peu
私の別れの言葉を聞いて
Entends mes adieux
出て行って
Et va - t'en si tu veux, va - t'en
望むならいなくなって、出て行って



同じテーマのように聞こえるのが4曲めの「自由 Libre」。これはこのアルバムの先行シングルのようなかたちでリリース4ヶ月前に景気づけのような非常にはちゃめちゃで威勢の良いヴィデオクリップと共に発表された。おそらくアルバム中最もポップな曲。自暴自棄の時期からひとりでやり直すことを躊躇う自分にハッパをかける歌。
Pourquoi t'as peur de courir ?
なぜ走るのを怖がるの?
Pourquoi t'as peur de tomber ?
なぜ転ぶのを怖がるの?
Pourquoi t'as peur de vivre ?
なぜ生きるのを怖がるの?
Tout le monde dit que t'es libre
みんなおまえが自由だって言ってるよ
La musique te délivre
音楽はおまえを解放するんだ
Personne sait que t'es brisé
誰もおまえが壊れてしまったって知らないよ


そしてこのアルバムの最重要テーマである愛娘へのメッセージは、5 - 6 - 7曲めの中で表れる。それは破滅に限りなく近づいていく世界の中で生きなければならない娘への「守ってあげたい」なのである(あ、あの歌引き合いに出すべきではないか)。まずはっきりとそれが見える7曲め「ある若き詩人への手紙 Lettre à une jeune poète」(これはもちろんライナー・マリア・リルケの援用)はこう語る:
Est-ce que j'ai menti ?
私は嘘をついたの?
Je t'avais promis
すべてはうまく行く
Que tout irait bien
私は何も怖がらない
Que je n'ai peur de rien
ってあなたに約束したわね

J'ai peur de tout
私は全てが怖い
Mais surtout
でもとりわけ
Peur pour toi
おまえのことで怖がっている
Mais je sais, ça ira
でも大丈夫、きっと
Toute seule tu trouveras
たったひとりでもおまえにはわかるわ

Je t'ai donné la vie
私はおまえに命を授けた
Je voudrais te donner envie de vivvre
私はおまえに生きる望みを与えたいの
Qu'elle ne te soit jamais pénible
生きるのが決して苦しいことでないように
Plus de meilleur que de pire
悪いことよりも良いことがたくさんあるように


 そして実のお嬢さんを登場させて制作されたヴィデオ・クリップで公開された6曲めの「マンゴーの味 Le goût des mangues」は、想像できない早さで大きくなっていく娘のさまざまな季節を共にしながら母としての不安も一緒に育まれていく情景が見えてくる。
おまえは飛べるのか、それとも落ちてしまうのか
私にはわからない
雪が溶けるのを待って
おまえは季節に立ち向かっていくの

おまえは守るべき信条がないし
誰もおまえをわかってくれないだろうし
今の季節はおまえをあざむくね

意味をなさない多くのことがあるし
重要だと認められないこともあるし
この季節は可能性がない

おまえが嫌いなものすべてを消すとしたら
私は出て行くの?それとも残っていいの?
今はそんな季節、私は考え込む

おまえがマンゴーの味も
おまえの脚に置いた私の手の感覚も忘れてしまった
今はおまえと私に似た季節ね

  この『アブラカダブラ』と題されたアルバムの中で、「アブラカダブラ」という呪文はたった1曲の中にしか登場しない。おそらくこの曲がこのアルバムの核心である。それは9曲めの「ジム・モリソン Jim Morrison」と題されたもので、文字通りジム・モリソン(1943 - 1971)の墓を(そのつもりがないのに)訪ねる歌である。註:この歌では話者=私が男性、相手=おまえが女性。
私の両足は宙に浮いている
墓地の一本の木の枝の下に
モリソンの墓が見える
誰にも会わないつもりでいたのに

私が走ると空気の流れが
私の背中を押して私を遥か遠くの
砂漠まで連れて行く
ここでは誰も私を待っていないし
ここでは何の感情も湧き上がらない

まだおまえのことを夢見ているのは確か
おまえは映画館の中でひとりで泣いていた
戦争の映画だったか、豹の映画だったか
私は覚えていない

たった一度だけでいいから
指の先に触れているものを保っていたい
完璧な瞬間に身を任せたい
アブラカダブラ

私がどこにいるのか知りたい?
私は大きな車輪の中で回っていて
終点には絶対到達しないんだ
こんなに気が狂うなんて思ってなかった

まだおまえのことを夢見ているのは確か
おまえは映画館の中でひとりで泣いていた
戦争の映画だったか、豹の映画だったか
私は覚えていない

たった一度だけでいいから
指の先に触れているものを保っていたい
完璧な瞬間に身を任せたい
アブラカダブラ



美しくも謎めいた歌である。指の先に触れているものを手放したくない、完璧な瞬間に身を置いていたい、アブラカダブラ。この無情にも手を離れて失われていくものは私は”時間”だと思うし、今のこの”瞬間”だと思って聞いた。とてつもなく悲しい”失われる時”を救う呪文がそれだとしたら。

この歌と同じほど美しく悲しい歌が11曲めにある。「光の井戸 Les puits de lumière」と題されたクロ・ペルガグ描く世界の終わりの情景であるが、それでも光はあるのだ。
青虫の皮膚の色や
ビーヴァーヒル湖の水の色を見て
おまえは未来を読み取っていた
死に倒れる寸前の杉の木についていた印
それは「おまえを愛するがゆえに死ぬ」と言っていた

私は綱を切りたかった
でも怖かった、それは認めるよ
人生は悲劇だって
今じゃみんな知っている

みんなで世界の終わりジョークを
語り合えたらいいね
光の井戸には
永遠に雨水が入っていくだろうって

おまえの母親のおなかの中には
愛とその敵がいたんだ
思い出せるかい?
土の匂いとおまえの父親の目を?
その目は「最高なことがこれから起こるぞ」と言っていた

死体安置所へ向かいながら
私は泣いたよ、それは認めるよ
人生は悲劇だって
今じゃみんな知っている

みんなで世界の終わりジョークを
語り合えたらいいね
毎日毎日世界のかけらが
音もなく死んでいってる

おまえと仲違いしてから
おまえが恋しくなったんだ、それは認めるよ
人生は悲劇だって
今じゃみんな知っている

みんなで世界の終わりジョークを
語り合えたらいいね
例えばある日、日の出がずっと
灰色のままだったり

みんなで世界の終わりジョークを
語り合えたらいいね
光の井戸には
永遠に雨水が入っていくだろうって

光の井戸には
永遠に雨水が入っていくだろうって


Les puits de lumière laisseront toujours entrer la pluie. 光の井戸には永遠に雨水が入っていくだろう。このイメージわかりますか? 光の井戸は永遠に枯れないのですよ。これは祈りであり、おまじないですよ。

<<< トラックリスト >>>
1. Le sang des fruits rouges
2. Pythagore
3. Coupable
4. Libre
5. Sans visage
6. Le goût des mangues
7. Lettre à une jeune poète
8. Décembre
9. Jim Morrison
10. Deux jours et deux nuits
11. Les puits de lumière
12. Triste ou méchante

Klô Pelgag "Abracadabra"
LP/CD/Digital SECRET CITY RECORDS SCR168
フランスでのリリース : 2024年10月14日


カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)クロ・ペルガグ『アブラカダブラ』ティーザー

それは絶対の探求のようなもの
なにかをまだ信じたいという欲求
消滅させなければならない結び目(関係)が多すぎるのよ
みんながありのままで気兼ねすることなく
恐れることもなく、他人の視線のプレッシャーもなく
この世に現れるために
私は一つの言葉を繰り返し唱える必要があるの
窓から外を見て
地平線をじっと見つめて
いつも同じことを考えながら
私が強く
何度も繰り返して唱えたら
たぶんすべては解決するんじゃないかって
アブラカダブラ!


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