『コンどもよ、さらば』
2020年フランス映画
監督;アルベール・デュポンテル
主演:ヴィルジニー・エフィラ、アルベール・デュポンテル、ニコラ・マリエ
フランスでの公開:2020年10月21日
映画冒頭の献辞に"テリー・ジョーンズに捧ぐ"と出てくる。ジョーンズが77歳で亡くなったのはこの(2020年)1月のこと。モンティ・パイソンの全エピソードを暗記するほと溺愛したひとりであろうアルベール・デュポンテルのキテレツさのルーツ。映画には、バーンアウトした天才的ハッカーのJB(演アルベール・デュポンテル)が自殺用にインターネットで購入する大口径ライフルのデモンストレーションヴィデオにテリー・ギリアムが(特別)出演している。
さて、この映画は死を宣告された女と死を選んだ男が組んだ"共闘”の記録である。共闘と言うからには"敵”がいるわけで、それは"Les cons(レ・コン)"、すなわちこの21世紀的社会を作ってしまった愚者たちなのである。40代の美容師シューズ(演ヴィルジニー・エフィラ)は、20数年間その仕事で使ってきたエアゾール(ヘアスプレー)の有害成分を吸いすぎて肺をやられてしまい、余命幾ばくもなしと宣告される。死を前にして彼女の最大の心残りは、30年前、15歳で一夜の恋(マノ・ネグラ「マラビーダ」で二人躍り狂っていた)でできてしまった子供を、シューズの両親の猛反対によって、やむなく親不詳の孤児として手放さなければならなかったこと。 その子を一目見て無事を確認してから死にたい。そんな思いで何度も役所に足を運び、30年前の行政資料を手に入れようとするが、役人は「30年前などディジタル化されるずっと前ですよ」とそんな古文書のことなど知ったことではないという態度。そのシューズと役人の面談の隣室 では 、バーンアウトの極みに達した50代の上級官僚公務員JBが自殺を遂行しようとしている。ITに長じ、国家的機密に属するハッキングのシステムなどを作ってきた超有能エンジニアであるが、その仕事が全く評価されず、その席を若造に空け渡さなければならなくなった。その理不尽を死をもって抗議する。遺言を録音し、その最後の言葉"Adieu les cons(愚者どもよさらば)"を合図に、銃口を自分に向けた大口径ライフルの引き金に繋いだヒモを引くはずだった。Adieu les cons ! ところが引いたヒモの勢いはライフルの銃口を隣室に向けてしまい、弾丸は壁を突き破り、シューズの応対をしていた役人の肩に命中する。悲鳴、大量出血、役所フロアの大パニック、2度目の銃声...。この大混乱でJBは気を失ってしまうが、この男が上級官僚であり自分の子探しに利用できると悟ったシューズは、混乱に乗じてJB(とその頭脳のすべてが詰まったノートパソコン)を救い出す。
事態は国が関係してくる。JBは国の暗黒部のシステムを作っていたエンジニアであり、彼がそのシステムの入ったパソコンと共に失踪したとなると...。内務大臣は警察とメディアに感知されぬよう、特別のエキスパートたちを放ってJBの行方を捜索させる。
シューズはJBの上級官僚の地位を使って行政書類保管所の所在をつかみ、わが子出生その後の資料を探しに乗り込む。こまかいギャグであるが、その建物に入り「資料室(archive)はどこですか?」と尋ねると署員のほとんどが知らない、「シリョウシツとはどんな綴りですか?」と聞き返す者も。21世紀的現代にあって"紙”を保存する資料室など遠い遠い過去のものなのだ。やっと突き止めた建物の地下奥深くにあった(何年も人の訪れたことのない)資料室、その管理をまかされているのが、盲目の古文書保管士のムッシュー・ブラン(演ニコラ・マリエ、怪演!)、かつての反権力/反権威運動の過激活動家でその闘争の事故で失明している。シューズとJBとブランの3人は、シューズのイニシャル(Suze Trappetの"T")とその子の出生年で整理保管された書類ファイルだけで何千もある書類の山をひとつひとつ確認する、という途方もなく超アナログな作業にとりかかるのだが、この長〜い時間に3人の堅〜い連帯が生まれていくのだよ。
やっと見つかった出生書類を手がかりに、3人による”子探し”の大冒険が始まる。権力の追手に狙われているJB、元反権力の闘士ゆえにあらゆる権力の追手に過剰に反逆してしまうブラン、破壊的なカーアクションを含むこのドタバタ遁走劇が見もの。
その中で(おそらくこの映画の中で)最も感動的なエピソードが、出生後の経過を知っている産科医リント(演ジャッキー・ベロワイエ、これも素晴らしい!)との出会いであり、この引退医師は今やアルツハイマー病で入院していて過去の記憶など吹っ飛んでしまっている。だから話にならないのだが、多くの古い時代の医者がしていたように、このリント医師も診療日誌をつけていて、それが(映画ですから)本棚のてっぺんから落ちてくるのである。その中にシューズが出産した日の項を見つけ出したのだが、多くの古い時代の医者がそうであるように、その筆記の文字は一般人には判読ができないのである(一体何なんでしょうか、万国共通のこの医者のふにゃふにゃ字というのは?)。リント医師に問いただしても、自分が医者だったことすら憶えていない。誰がこの文字を解読できるのか? きっとリント医師の妻ならば ー 夜中に車を走らせ3人はリント夫人(演カトリーヌ・ダヴニエ)の住む館へ。この女性がまた素晴らしい。この残酷な世界にこんな慈愛が残っているとは。3人を暖かく館に迎えたリント夫人はその解読不能と思われた文字をひとつひとつ解き明かし、その日誌にシューズが産んだ子が施設に預けられず、ある一家に託されたことが記されていることを告げる。ところがその一家がどこの誰なのかは解読できない...。一方病室に残されたリント医師は、かの日誌が本棚のてっぺんから落ちてきた時に一緒に降ってきたさまざまな写真に見入り、そこから妻との日々の記憶が少しずつ蘇り....。その蘇った断片的な記憶の中に、シューズの産んだ子のことも...。
かくして映画はシューズが30年前に産んだ子、アドリアン(演バスティアン・ユゲット)のところにたどり着き、JBとブランは母子再会を強く勧めるのだが、シューズは無事であればそれでいい、と窓の外からその姿を覗き見るだけ。しかしその覗き見でわかったのはアドリアンが強烈な片思いで悩んでいること。この切ない恋を成就させてやることが、産み捨てた母親が今になってできるせめてもの罪滅ぼし。そこからは稀代の天才ハッカーたるJBの腕の見せ所であり、アドリアンと意中の女性クララ(演マリルー・オシユー、すごく可愛い女優さん)が仕事している巨大な超近代的ビルの管理システムに遠隔潜入し、電気や防災系統を狂わせてビル全体を大パニックに陥れ、アドリアンとクララの二人だけをまんまとエレベーターの中に閉じ込めてしまう。そしてアドリアンがエレベーターの中からコールした非常電話に(自らを名乗らずに)シューズの声が...。
不条理で残酷なこの世界に逆らった3人、何も失うものがない3人の最後の抵抗戦であるこの映画は、やはり死でもって終わるのである。死に向かう最後の合言葉は「Adieu les cons (愚者どもよ、さらば)」。この最後は日本のヤクザ映画、もしくは北野武映画の援用かもしれない超ヴァイオレントなものであり、私は涙がどっと噴き出ましたね。
ただこの映画も、昨今の凡百のテレビ/映画と同じようにAIやIT最先端技術のおかげで手元のパソコンキーボードをちゃらちゃら叩くだけでいろんな答えが得られてしまうシナリオが、私には本当に残念なのね。ヴィルジニー・エフィラという素晴らしい女優を起用しても、この人に宣告された不条理な死というものへの反逆を、エフィラが生身の人間の表現として出せるチャンスをテクノロジーが奪っている感じ。そこだけにケチをつけておきますが、これは一級の反逆映画です。われわれはなぜ反逆するのか、それはこの世界に "Mala vita"(生きる苦しみ)を感じているからなのだよ、mi corazon。
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)『コンどもよ、さらば』予告編
(↓)マニュ・チャオ「マラビーダ」(2013年ブエノス・アイレスでのライヴ)
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