ダニ『黄金色の地平線』
(←)写真はジャン=バチスト・モンディーノ。うまいよねぇ。これを書いている10月1日がちょうどダニの誕生日で、1944年生れ、今日で76歳になった。マヌカン、女優、歌手として長〜いキャリアのある人だが、今日多くの人々が記憶している歌手ダニの歌は2001年エチエンヌ・ダオとのデュエットによるシングルヒット「ブーメランのように(Comme un boomerang)」(詞曲セルジュ・ゲンズブール)のみである。
これはたいへんないわくつきの歌で、これだけで1冊の本になりそうなほど。時は1974年英国ブライトンで開催されたユーロヴィジョン・コンテストにフランス代表としてダニが出場するはずだったが、時の共和国大統領ジョルジュ・ポンピドゥーが急逝、コンテストが国葬にぶつかるということで、フランスが同コンテスト出場を辞退。翌1975年、前年やむない事情で出場できなかったダニが当然代表出場権を継げるはずだったのだが、ダニは当時のヒットメーカーにしてその10年前にフランス・ギャル「夢シャン」で同コンテスト優勝の経験がある作曲家セルジュ・ゲンズブールの曲にしてくれと要求した。出来上がってきたのがこの「ブーメランのように」という曲で、デモは3ヴァージョン(ダニのみ、ダニ+ゲンズブールのデュオ、ゲンズブールのみ)録音された。ところがこのデモを聞いて、同コンテストの放映権を持つフランス国営テレビAntenne 2が、この歌詞が性と暴力を暗喩しているとしてこの曲での出場を拒否。それ以来25年間、この曲はオクラ入りし、その間にセルジュ・ゲンズブールも1991年にこの世を去ってしまう。その封印を解いて、歌手活動からも久しく遠ざかっていたダニを焚きつけて新曲として録音させたのがエチエンヌ・ダオだったというわけ。このヒットがダニを再び第一線に復帰させることになる。さまざまな歴史的過去を背負って死なずに生きていた生還者のように、その酒焼け/ドラッグ焼け/タバコ焼けした声のせいもあって、イギリスにマリアンヌ・フェイスフルあれば、フランスにダニあり、というノリで。
19歳で故郷ペルピニャン(フランス側カタロニア)からパリに出て、"美校”(エコル・デ・ボザール)に席を置くも、早くもモデルとして注目され、ヘルムート・ニュートンやジャン=ルー・シーフの被写体としてモード誌を飾り、Zouzou(ズーズー)と共にパリのナイトクラブシーン(カステル, シェ・レジーヌ...)で最も美しい娘として、常連客のアーチストたち(ビートルズ、ストーンズを含む)のミューズとなる。映画女優としては主に70年以降に重要な作品が多く、とりわけフランソワ・トリュフォーの『アメリカの夜』(1974年)と『逃げ去る恋』(1979年)はダニのフィルモグラフィーにおいて最重要な2作であろう。
マヌカン、歌手、女優として60-70年代を(表面的には)華麗に生きたこの女性は、じわじわとドラッグに心身を冒され、80年代には芸能シーンから姿を消し、南仏ヴォークルーズに隠れ住んで"毒抜き”の年月を過ごしていた。1987年にそのドラッグの暗黒時代を告白した手記本"Drogue, la galère(ドラッグ、その苦難)”(Michel Lafon刊)を刊行している。この人がりっぱだなぁと思うのは、その後実業家として成功していること。全くの夜型人間と思われていたダニが朝日に始まり夕日に終わる昼型人間に転じて、花屋になるのだよ。ただの花屋ではない。バラ専門店。1993年、あのウンベルト・エコの小説「バラの名前」(仏語題Le nom de la rose)にインスパイアされた"AU NOM DE LA ROSE(オ・ノン・ド・ラ・ローズ、バラの名において)という名のバラ専門生花店第一号店を開店。このコンセプトが成功してたちまちパリ圏20店舗、さらにフランス全国展開、さらにヨーロッパ各国でフランチャイズ店が、という快進撃。ただしダニはこういう大きなことになる前に、高値でその権利を売って、自分サイズの別のバラ専門店を別名("D-Rose", "By Dani", ”Roses Costes Dani Roses”)で開く。いいじゃないですか。(仏語だが、ダニのバラへの情熱をまとめたダニのオフィシャルページ記事のリンク)
さて、そんな感じで"ルーザー”ではなく"成功者”として生還したダニは2016年に(何冊めかの)自伝本『夜は長続きしない(La nuit ne dure pas)』(Flammarion刊)を発表、ベストセラー、それとタイアップで同名のコンピレーションアルバム"La nuit ne dure pas"(再録音4ヴァージョンを含む20曲ベスト盤)をリリース。
このアルバム"Horizons Dorés"はそれに続くアルバムということになるが、9曲全曲新しい録音であるものの、4曲が未発表新曲、残り5曲は過去のレパートリーの再録音である。プロデュースがルノー・レタン(マニュ・チャオ、セウ・ジョルジ、ファイスト、ゴンザレス...)であり、バック・ミュージシャンはエミリー・マルシュのギターひとつだけ(+ごくわずかにプログラミング・サウンド)である。 つまりダニのあの酒焼け/ドラッグ焼け/タバコ焼けした味のある低音ヴォイスを最前面に出した"ダニ節”アルバムである。作詞は長年の詞提供者であるピエール・グリエ(バシュング「マダム・レーヴ」の作詞者)がほとんどあるが、新曲は重い年季の貫禄の女性のメランコリーがひしひしと。
例えば1曲めでアルバムタイトル曲の「黄金色の地平線(Horizons dorés)である。
私は何日、何ヶ月と数えていた私は何年と数えていた
数えることを覚えたことを後悔するほどに私は何かに賛成するためにも何かに反対するためにも戦ってきた
私はただただ戦ってきた私は戦ってきたことを後悔したことなど一度もない黄金色の地平線はいつ見えるの?生きる価値のある生活はいつやってくるの?
肌と肌を合わせてそれを感じられる日はいつくるの?人はそれを期待する理由が本当にあるの?
その地平線を黄金色の地平線を
それに続く2曲め「お誘いご辞退します (Je décline l'invitation)」(残念ながらクリップ/動画がない)は電話受け答え形式の悟りを開いた老女の感慨を。
アロー? そうよ私よ何?何て言ったの?
セックス?ノンだめよ
なぜって?
私はその誘いは辞退するわ
残念だけど
私はそういう種類の案件に身を乗り出すのはもうやめたのよ(・・・・)
外出する飲みに行くええ大好きよ今だってしたいわよでもね私は待ってるのよ天国が死が
私に合図してくれるのをだから
私はその誘いは辞退するわ
残念だけど
私はそういう種類の案件に身を乗り出すのはもうやめたのよ
("Je décline l'invitation")
再録ものでは9曲めで、ジョーイ・スタール(ex NTM)と掛け合いで歌われる"Kesta Kesta"はアルバムの中で最も"ロック”を感じさせるナンバー。当年52歳(もうそんな歳か)でダニの大後輩とは言え、ジョーイも仏ヒップホップを引っ張ってきた重い年季の貫禄で、二人が掛け合えばそれはそれは渋く重い味わい。ケレン・アン・ゼイデル作(詞ドリアン)の”Dingue”(3曲め)はエマニュエル・セニエ(いろいろ問題ある映画監督ロマン・ポランスキーの現在の夫人)のために書かれた曲だが、どうしてダニはカヴァーしたのだろう? セニエよりもロックに聞こえるし、歌唱法はほぼゲンズブールと言っていい。
5曲めの"N comme Never Again"は、1993年にザ・ストラングラーズのジャン=ジャック・バーネルがプロデュースしたダニの同名アルバムのタイトル曲(詞ピエール・グリエ/曲ジャン=ジャック・バーネル)の再録だが、百倍メランコリック。
このブログでも紹介したジェラール・ドパルデューの『ドパルデュー、バルバラを歌う』と同じように、この声の重みがあれば、歌の要所要所にその重みを置いていくだけで、感嘆するしかないほどの歌芸になってしまいそうだ。おらが国さのマリアンヌ・フェイスフル、という程度ではおさまらない何かがある。
<<< トラックリスト >>>
<<< トラックリスト >>>
1. Horizons dorés
2. Je décline l'invitation
2. Je décline l'invitation
3. Dingue
4. Les artichauts
5. N comme Never Again
6. Reine d'Autriche
7. J'voudrais que quelqu'un me choisisse
8. La vitesse
9. Kesta Kesta (duet with Joey Starr)
Dani "Horizons dorés"
CD/LP/Digital Washi Washa / Warner
Dani "Horizons dorés"
CD/LP/Digital Washi Washa / Warner
フランスでのリリース:2020年9月25日
カストール爺の採点:★★★☆☆
カストール爺の採点:★★★☆☆
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