Gérard Depardieu "Depardieu chante Barbara"
日本では知る人も少ないであろうが、フランスには2006年から「ジェラール賞」という年次セレモニーがある。その年度の演劇界最優秀俳優に与えられる由緒ある「ジェラール・フィリップ賞」とは全く別のもの。「ジェラール賞」はフランスの映画とテレビにおけるワースト(映画、番組、俳優、司会者...)に与えられる賞で、セレモニーに受賞者が現れるのはごく稀である。ワーストに冠される賞に、なぜこの「ジェラール」という名前か、という理由は公然とは言われていないが、誰もがあの男優のことを思い浮かべてしまう。
かつて映画・演劇界の若き大名優として国際的スターにまで昇りつめたジェラール・ドパルデュー(1948年生れ。現在68歳)のこの10数年の巨体化、奇行蛮行、暴言、スキャンダルの数々(サルコジ支援、ロシア国籍取得、イスラム改宗...)は、この大俳優のイメージをずいぶん変えた。哀れな滑稽ささえ漂う。メディアの嘲笑的傾向の報道に腹を立て、ドパルデューは昨今のドナルド・トランプのようにジャーナリストたちに吠えつき、取材をシャットアウトする。外聞など全く気にしなくなった偏屈な誇大妄想者というイメージで見られているのが今日のジェラール・ドパルデューである。
さて2017年はバルバラ(1930-1997) の20周忌に当たり、さまざまなトリビュート・コンサート、トリビュート・アルバムが予定されているほか、映画監督としてマチュー・アマルリックが撮った長編バイオピック映画(主演バルバラ役にアマルリックの元妻ジャンヌ・バリバール)があり、さらに秋にはフィラルモニー・ド・パリでバルバラの大エキスポが開かれることになっている。その一連のイヴェントの皮切りのように、ジェラール・ドバルデューがこの『バルバラを歌う』と題するアルバムを2月10日に発表し、2月9日から18日までパリのビュッフ・デュ・ノール劇場で連続コンサート(連日ソールドアウト)を行っている。
18歳年の離れたドパルデューとバルバラは親密な友情関係にあったが、公に最も知られているのは1986年1月初演のバルバラ作の音楽劇『リリー・パシオン』での共演であった。私はその1月のパリ・ゼニットでこのスペクタクルを見ることができた。殺し屋(ドパルデュー)と女歌手(バルバラ)の二人舞台の物語。女歌手が行く先々の興行地で、そのコンサートの夜に必ず殺人事件が起こる。殺し屋が女歌手を誘い出す手段のように。神話的な恋物語は、二人が刺し違える結末となるのだが、これが一体何の寓意であるのか、私も含めて多くの人たちはよく理解できなかったと思う。このスペクタクルはパリ・ゼニットの後、約1年間フランス全土を公演して回る。つまりこの1年間バルバラとドパルデューは衣食&苦楽を共にしたわけである。
『リリー・パシオン』 は難産の音楽劇であり、発案から初演まで4年の月日がかかっていて、その間にウィリアム・シェレールが編曲してスタジオ録音したアルバムをボツにしたり(最新の情報では2017年に蔵出しされる可能性あり)、20年間バルバラのアコーディオン奏者(つまりメインの伴奏者)だったロラン・ロマネリと(ドパルデューとの諍いが原因で)決別することになったり...。公演が始まっても、興行的には大成功というわけではなかったようだ。しかし死後になっても、完全収録ではないライヴ盤しか出ておらず、当時スペクタクルを見た人たちを除いては全容が見えていないこの一種の「呪われた」音楽劇に、再評価の機運が高まっている。そして死後刊行された自伝『一台の黒いピアノ』(1998年)で自ら明かした父親との近親相姦のことにより、バルバラの歌の「読まれ方」は随分と変わってしまったし、「黒いワシ」と同じように、『リリー・パシオン』の殺し屋をそのイメージで解読することもできる。
ジェラール・ドパルデューは最も近い距離にいた生き証人であり、そのことについて死後20年に渡って沈黙してきたが、2017年2月1日号のテレラマ誌巻頭インタヴューで初めて証言を公にしている。以下、無断で部分訳。
テレラマ(インタヴュアー:ヴァレリー・ルウー)「バルバラが亡くなってからあなたは彼女について一度も語ったことがありませんでした。なぜですか?」そしてジェラール・ドパルデューはこの『バルバラを歌う』 をつくった。もうひとりのジェラール、15年間に渡ってバルバラのピアニストをつとめたジェラール・ダゲールがピアノと編曲を担当して、1973年からバルバラが住処としていたプレシー・シュル・マルヌのバルバラ邸のサロンに機材を持ち込んで録音している。もちろんピアノはバルバラが持っていたものをダゲールが弾いている。楽器はピアノの他に、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、アコーディオン(マルセル・アゾラの名があり)、パーカッションも入っているが、おそらく別吹き込みと思われる。14曲入り。最終トラックの"Précy Prélude"は、ジェラール・ダゲール作曲のピアノソロインストで、その他13曲はバルバラ詞曲で、ジェラール・ドパルデューが歌っている。
ドパルデュー:彼女自身が語ることが大嫌いだったんだ。どうして私が彼女の代わりにそれをできる! 第一、私は私と彼女の秘密についてはこれからも一切言わないよ。二人の笑い声、二人の傷、それはほとんど同じものだったし、これからもそれは私たち二人のものだ。
(……)
テレラマ「上演された当時、リリー・パシオンが彼女の内面の深い部分の何を隠していたのか、誰も良く理解できませんでした」
ドパルデュー:私がそれは何かを言うわけにはいかないんだ。リリー・パシオンは素朴なおとぎ話で、バルバラは自分自身の多くの部分をその中に詰め込んだ。多くの象徴もね。例えばリリーが殺し屋に「ナイフで刺して、ダヴィッド、ナイフで」と言う時、それは「黒いワシ」と同じように近親相姦のしるしかもしれない。その歌の中で、「私の手の中にその首を滑り込ませた Dans ma main, il a glissé son cou」と歌っているが、その首というのはイチモツのことだと容易に想像出来る。「黒いワシ」は近親相姦のことを歌っている。
テレラマ「彼女はそのことを一生苦しんでいたのですか?」
ドパルデュー;そんなことはない。彼女が歌を歌い始めた時から近親相姦は影を潜めた。彼女はそうやってそこから逃れることができたんだ。彼女が自分の体型を嫌っていたことも歌うことで気にならなくなった。私は彼女が近親相姦について苦悩していると感じさせた場面に一度も出会ったことがない。一度も。私と彼女がナントで一緒に歌った時、その歌「ナントに雨が降る」へのオマージュでナント市長がある道をその歌に因んだ「ラ・グランジュ・オ・ルー通り」と命名した時も全く動じなかった。私はその話をずっと後になってから知ったのだ。彼女が自伝(IL ETAIT UN PIANO NOIR)を書き始めた時にね。性的暴力を蒙った人たちはたくさんいるし、中にはそこから回復できない人(パトリック・ドヴェールのようにね)もいるが、それを乗り越えて生きられる人たちもいる。バルバラは単にとても陽気だったのではなく、彼女にはとても強い生きる力があるんだ。彼女は人の言葉を聞けて、人々の不幸も受け入れることができるが、彼女自身の生きてきたことに関しては決して嘆いたりすることななかった。「ナントに雨が降る」で、彼女はそれを赦したということを示したのだ。
テレラマ「彼女は父親をその罪から解放したかった。自伝の中で彼女は “あなたは安らかに眠れるのよ、私は歌うことによってそこから抜け出せたのだから”と書いています」
ドパルデュー:彼女はすべての人間たちと同じようにこの男も解放したかったんだ。「ゲッチンゲン」を歌うことによってドイツの人々を解放したようにね。しかも「ナントに雨が降る」の中に近親相姦に関した歌詞がないように、「ゲッチンゲン」にもガス室に連れて行かれる子供たちに関する歌詞はない。「死のエイズ愛(Sid’amour à mort)」を歌うことによって、彼女は当時の偏見に晒されたエイズ患者たちをも解放しようとした。
テレラマ「エイズに関しては彼女はこの歌だけではなく、大変な尽力をしていました」
ドパルデュー:私は彼女と一緒に多くの病院を訪問したが、彼女は家族に見放された患者たちに会いに行ったんだ。今から30年前のことだけど、あの当時私が見たのは魔女狩りか中世のらい病者放逐のような場面だった。エイズは愚かな宗教者たちから恥ずべき病気で天罰のようにみなされて、多くの人たちは孤独のうちに死んでいった。バルバラはそういう人たちのためにそこに行ったんだ。彼女は人間たちの狂気に由来する苦しみに我慢がならなかった。アメリカで最近起こったようなトランペット(小さなトランプ)による人々の狂気に由来する不幸にね。あるいはそれはもうすぐこの死にかけているヨーロッパにも起こるかもしれないが。
ドパルデューは歌ったことがないわけではない。1980年には歌手としてRCAからLPアルバム "Ils ont dit Moteur... Coupez!”(作詞作曲がエリザベート・ドパルデュー)を発表しているし、2006年の映画 "Quand j'étais chanteur"(グザヴィエ・ジャノリ監督)では、地方のダンスホール歌手役でゲンズブール「アナムール」などを堂々と歌っていた。
バルバラとの『リリー・パシオン』ではセリフのみで1曲も歌ったものはないということになっていたが、実は前述のオクラ入りになったウィリアム・シェレール編曲のスタジオ録音ではドパルデューもバルバラと一緒に歌っていた(と、2月9日のテレラマWeb版でヴァレリー・ルウーが興奮して報じている)。
『ドパルデュー、バルバラを歌う』はその音楽劇『リリー・パシオン』の中の曲「ミモザの島 (L'ile aux mimosas)」から始まる。オリジナルではバルバラ(女歌手)が歌い、ドパルデュー(殺し屋)がセリフで応えていたこの曲を、ドパルデューは女歌手役と殺し屋役の両方を歌っている。私はこの歌声に驚き、震えた。演劇人の優れたディクションかもしれない。バルバラのヴァージョンよりも、どれほど言葉がはっきり聞こえるか。その言葉の伝えるものを伝えられる技というのだろうか、そこに引き込まれていく感じ。歌うたいの表現力とは違うものであろう。
「小さなカンタータ」、「黒い太陽」、「サン・タマンの森」、「孤独」、「黒いワシ」、「ナントに雨が降る」、「いつ帰ってくるの?」、「ゲッチンゲン」...。バルバラの歌で暗記するほど聞いたこれらの歌は、68歳の老男優が大事にする言葉の発し方/転がし方でエモーションが純化されたように聴こえてくる。重く、軽く、硬く、柔らかく、味わいは変わる。ゲンズブールやバシュングのような声とマイクロフォンの特性の調和によるマジックかもしれない、ドパルデューの声のプレゼンス。
10曲め "A force de"は、オリジナルはバルバラ最後のアルバム『バルバラ』(1996年)の2曲め(アルバム2曲めは常にアルバム最重要曲)に収められていて、作詞はギヨーム・ドパルデュー(1971-2008)。一般にはそれほど知られた曲ではないと思う。しかしどうしてもこの曲は入れたかったのだろう。亡きバルバラと亡き息子の共作曲、どれほどの思いで歌ったことだろうか。
Que d'émotions...
<<< トラックリスト >>>
1. L'ILE AUX MIMOSAS
2. UNE PETITE CANTATE
3. MEMOIRE, MEMOIRE
4. DROUOT
5. LE SOLEIL NOIR
6. AU BOIS DE SAINT-AMAND
7. LA SOLITUDE
8. L'AIGLE NOIR
9. NANTES
10. A FORCE DE
11. MA PLUS BELLE HISTOIRE D'AMOUR
12. DIS, QUAND REVIENDRAS-TU ?
13. GOTTINGEN
14. PRECY PRELUDE
GERARD DEPARDIEU "DEPARDIEU CHANTE BARBARA"
BECAUSE MUSIC CD/LP
フランスでのリリース:2017年2月10日
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)『ドパルデュー、バルバラを歌う』 ティーザー
(↓)CDアルバム『バルバラを歌う』を手にするドパルデュー
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