2012年2月29日水曜日

マオい日々





Anne Wiazemsky "Une Année Studieuse"
アンヌ・ヴィアゼムスキー『もう勉強の1年』

 ンヌ・ヴィアゼムスキー(1947-  )の11作目の長編小説です。1947年生まれのこの女性は、日本ではゴダール映画『中国女』や『ウィークエンド』(共に1967年制作)やパゾリーニの『テオレマ』(1968年)の女優として知られていて、ジャン=リュック・ゴダールとは1967年から72年まで公式に夫婦であったことから、「ゴダールの女」のひとりとしてのみ認識されているきらいがあります。この小説はまさに19歳のアンヌ・ヴィアゼムスキーがゴダールと邂逅して、激しい恋に落ち、結婚に至る1年間のことと次第が描かれているのですが、私たちはまず、この女性がごく一般的な背景を持った「フツー人」ではない、ということを知っておく必要があります。
 まず母方の祖父がノーベル文学賞作家のフランソワ・モーリヤック(1885-1970)です。『テレーズ・デスケールー』や『愛の砂漠』で知られるカトリック人道主義の大作家で、日本の遠藤周作に多大な影響を与えました。個人的なことですが、私は四谷のカトリック系私立大学の仏文科に入ったのですが、初年度5月に課外で主任教授(フランス人、カトリック司祭)から視聴覚室で映画上映会をするから、映写助手として手伝いに来いと言われて土曜日の午後に映写室から見たのが『テレーズ・デスケールー』(1962年ジョルジュ・フランジュ監督映画。主演テレーズ役にエマニュエル・リヴァ)でした。この重々しくも(超)退屈な映画を大学初年度の5月に見たことは、かなり大きなトラウマとなり、私は大学の選択を間違った、私が学びたかったのはこれではない、という確信の「五月病」に陥り、以後卒業まで劣等生を続けることになったのです。それはそれ。
 その娘のクレール・モーリヤックが結婚したのが、ボルシェヴィキ革命のために亡命してきたロシア大貴族のジャン・ヴィアゼムスキー(ルヴァショフ伯イワン・ヴィアゼムスキー公)で、その間に生まれたのがアンヌ(1947年生れ)とピエール(1949年生れ。のちにヌーヴェル・オプセルヴァトワール誌やリベラシオン紙の風刺画イラストレーターとなります。筆名はWiaz=ヴィアーズ)でした。この姉弟は、父ヴィアゼムスキー公の死後、祖父フランソワ・モーリヤックの庇護のもとに育てられることになりますが、祖父硬派カトリックと亡父貴族の反共主義の家風にさらされながら、パリ16区の大富豪住宅街で何不自由なく大きくなります。しかし、一歩16区から外に出ると、時代の空気は自由で、反抗的で、ヌーヴェル・ヴァーグで、ロックンロールだったわけで、この姉弟も祖父の価値観と相容れない新しい文化に染まっていくのです。特にアンヌはサルトルとボーヴォワール、現象学のモーリス・メルロー=ポンティなどを好んで読み漁る少女だったのですが、さすがに60年代なので実存主義は往時のパワーを失っていたものの、祖父モーリヤックが公然と論敵にしていた思潮でした。
 小説は1966年6月に始まります。アンヌは19歳。当時は成人年齢が21歳だったので、未成年です。バカロレアの筆記試験で芳しくない結果だったので、9月の追試験(口頭試験)のために夏のヴァカンス中に「猛勉強」を強いられています。そんな6月のある日、観たばかりのゴダール最新映画『男性・女性』(1966年制作)に強烈に心惹かれ、その監督にファンレターを送ってしまいます。住所は知らないので、ゴダールが論陣を張っている映画誌カイエ・ド・シネマの編集部気付を宛名にその手紙は書かれます。その映画がとても好きだったこと、そしてそのカメラの背後にいる人間もとても好きだ、とその手紙は告げます。最初からこの小説は、この手紙はその言葉がどういう意味なのかをわからずに書かれていた、と言い訳します。つまり「好き」「愛する」という言葉は、この娘には「言葉」にすぎず、まだ実質のものではなかったのです。
 ゴダールと邂逅する前に、アンヌはこの時期にもうひとつの重要な出会いをしています。哲学者フランシス・ジャンソン(1922-2009)。サルトルの雑誌レ・タン・モデルヌの編集委員をつとめ、アルジェリア独立戦争時にはFLN(独立派=国民解放戦線)を支持してフランス軍脱走兵を救済する地下組織を創設してフランス警察から追われる身になっていました。このサルトルと親交のある哲学者に、ガリマール出版社のカクテルパーティーで初対面するや、大胆にも彼女はバカロレアの追試(哲学の口頭試験)のために個人教授を依頼するのです。こんなことなど以前はできなかったのに。すべては映画『男性・女性』のショックが引き金になっている。急に背伸びを覚えた娘は、哲学者ジャンソンを魅了し、次いで当時光り輝いていた革命的映画作家ジャン=リュック・ゴダールをも魅了してしまいます。
 その夏アンヌは南仏ラングドック=ルーシヨン地方ギャール県のモンフランという小さな町で、親友のナタリーの家が持っている城館でヴァカンスを過ごしています。そこにジャン=リュック・ゴダールと名乗る男から電話がかかってきます。カイエ・ド・シネマに送られた手紙を読んだ、明日会いたい、そこへはどうやって行ったらいいのか、と。パリからマルセイユまで飛行機、その後飛行場でレンタカーを借りてアヴィニョンを目指して走れば、モンフランの表示が出て来る。明日の正午、どこで待合せ?「 市役所前で」とゴダールは指定する。 - 市役所で待合せ、これがその1年後にスイスの小さな町の市役所に二人で出頭する(すなわち結婚を届け出る)ことの予行演習のようであった、とアンヌは述懐します。
 この本を手にする大部分の人々は、たとえ「小説=フィクション」という但し書きがあっても、そこに実名で登場する「ジャン=リュック・ゴダール」は一体どんな人物だったのか、ということに興味を集中させていたと思います。当時この映画人は35歳。『気狂いピエロ』、『アルファヴィル』、『男性・女性』、『メイド・イン・USA』、『彼女について私が知っている二、三の事柄』などを短期間に矢継ぎ早に制作していた頃です。61年に結婚したアンナ・カリーナとは65年に破局していて、『二、三の事柄』の主演女優マリナ・ヴラディとの仲が噂になったりもしていました。で、この小説に登場するゴダールは、やはりメチャクチャにカッコいいのですよ。
 それは17も歳が離れたブルジョワ娘に狂おしいまでの恋に落ちてしまった男のアティチュードなのですが、電話、手紙、電報、プヌーマティック(かつてパリの地下に網の目のように通っていた圧縮空気管を使った筒入り速達便)などあらゆる通信手段を使って、愛の言葉とデート約束を送りつけることや、一言書込みを入れた本のプレゼントなど、恋する男の見本のような姿があります。前述のようにアンヌはまだ成人していないので、ゴダールがアンヌを連れ出すことは、訴えられれば「未成年誘拐罪」が成立してしまうのです。私だって経験がありますが、とかく年下の女性を自分の世界に引き寄せようとする時、この本を読め、この音楽を聞け、この映画を観ろ、といった趣味の押しつけ的な教育をしようとしますよね。私はたいがいそこで失敗するのですが、ゴダールはその「こっちへ来〜い、こっちへ来〜い」がゆっくりと分かりやすく、知らず知らずの間にアンヌはゴダールの映画ワールドにまで身を浸してしまうようになるのです。
 フランシス・ジャンソンの個人教授の甲斐あって、アンヌはパリ大学ナンテール校の哲学科に入学します。時は68年5月革命前夜、その発火点のひとつとなるナンテール校では、その前触れのように学生たちがさまざまなグループを作ってヴェトナム戦争反対や新左翼運動を始めています。この小説の中で、未来の5月革命リーダーのひとり、「赤毛のダニー」ダニエル・コーン=ベンディット(現在緑の党選出の欧州議会議員)が、ナンテール校構内でアンヌをナンパしようとするシーンがあります。 「赤毛同士の連帯」とダニーは同じように赤毛のアンヌに言い寄るんですね。いやあ、こういう青春もまぶしいですねっ。
 こうしてアンヌは、政治的アンガージュマンの哲学者や戦闘的映画作家や、若いトロツキストたちやマオイストたちに囲まれて、何も知らなかったウブなブルジョワ娘からぐぐぐぐ〜っと背伸びした19歳に大変身していくのです。しかし、この変貌を容認せず、とりわけジャン=リュック・ゴダールとの交際を絶対に認めようとしないのが、母のクレール・モーリヤックです。母は露骨に二人の関係を壊すよう画策したりもします。ブルジョワ保守主義とヌーヴェル・ヴァーグ世代の全面戦争となるか、とも思われましたが、当然母側の論客になるべき祖父フランソワ・モーリヤックは、最初苦々しく思っていたこの映画作家を一度の面談の後に主義主張に賛同こそしなくてもその人物を「認めてしまう」度量の深さを示してしまいます。こうして孤立してしまう母を、口では喧嘩ばかりしていてもアンヌは愛していて、母とゴダールの和解を密かに望んでいたのです。
 小説は瞬く間に過ぎていく1年の中で、映画『中国女』(1967年)の制作、そして67年7月のスイスでの結婚という大きな山を迎えます。フランソワ・トリュフォー、ジュリエット・ベルト、ジャン=ピエール・レオーなどあの頃の人々も活き活きと描かれています。そして映画『中国女』に関しては、ゴダールが真剣に中国政府にラヴ・コールを送っていて、中国政府はきっとこの映画を評価してくれて、俺たちを中国に招待してくれる、と信じ込んでいた、という驚くべき記述があります。在仏中国大使館での試写上映で徹底的に酷評され、ゴダールは極度に落胆してしまいます。
 アンヌがひとつだけ留保点として上げているのは、ゴダールには激情すると人が変わって暴力的になってしまう面があることです。それを除いては、ダンディで、時には俗っぽく(アルファ・ロメオを持っているのが自慢)、贈り物の名人で(免許証を持たないアンヌが一度としてハンドルを握ることのないクルマをプレゼントしたり)、愛の言葉の名人であるゴダールがいます。
 文章は淡々としていて、湿度も少なめで、66-67年という温度高めの時代を匆々たる人物群像の中で見た19歳の証言は無声の連続スライドのようです。多くの人がゴダールへの興味本位だけで手にしてしまうであろうこの本を、「少女から大人になるための激動の1年」の魂の記録として読み終わらせてしまう、これはヴィアゼムスキーのしたたかな文学性によるものです。発表後のアンヌ・ヴィアゼムスキーのインタヴューでは、刊行前の原稿も、印刷後の本も、ゴダールには送っていないそうです。過去の落とし前は一方的につけるものなのでしょう。

ANNE WIAZEMSKY "UNE ANNEE STUDIEUSE"
(Gallimard刊 2012年1月、262頁、18ユーロ)

(↓ゴダール映画『中国女』予告編)

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

une annee studieuseの記事を拝見しました   とても参考になりました  ありがとうございます     ポケット

Pere Castor さんのコメント...

ポケットさん、コメントありがとうございました。仏語がお分かりの方とお見受けしました。たいへん平易な小説なので、原著でのご一読をお勧めします。

匿名 さんのコメント...

実は二月の旅行中、パリ店頭で本を見つけ、つたない私の語学力でも読めそうに思われたので購入しました   が、時代背景やゴダール等の映画についてもよく知らず、PCで調べるうちcastorさんの記事に気づいた次第   あと20ページで完読      がんばるぞ!

Pere Castor さんのコメント...

スイスの市役所で結婚の手続きを済ませたあとで、市長が別れ際に「ゴダールさん、また次回に!」とあいさつするところは大笑いですよね。
今、大統領選挙関係の原稿に忙殺されて全然ブログの更新ができなくなっています。(多分5月まで)。 娘がミカエル・フェリエの『フクシマ』を読んでいるので、時間が空いたら次回の新刊本はそれを取り上げようかと思ってます。また時々読みに来てください。

匿名 さんのコメント...

はい、随所ユーモアに溢れていて楽しく読めました      そういえばこの前、フランスに行った時に、タクシーの運ちゃんに フクシマのnucleaireについて尋ねられました  やはりフランスでも関心が高いんですね     お仕事がんばってください    また来ます  ポケット