アンヌ・ヴィアゼムスキー『1年後』
Anne Wiazemsky "Un An Après"
アンヌ・ヴィアゼムスキーの12作目の小説です。19歳の時に17も年上の映画監督ジャン=リュック・ゴダールと恋に落ち、結婚して、映画女優となる、という1967年の日々を描いた前作"Une année studieuse(わたし的な訳では『もう勉強の1年』)”(2012年)については当ブログの記事『マオい日々』で紹介していて、作者の背景についても長々と説明しているので、ぜひ参照してみてください。で、この小説は文字通りその「1年後」のことなのです。すなわち、時まさに1968年。ヴィアゼムスキー20歳、ゴダール37歳。
小説は話者(アンヌ)とジャン=リュック・ゴダールの夫婦がパリ8区ミロメニール通りのアパルトマン(ここで映画『中国女』 の撮影が行われた)から、パリ5区サン・ジャック通りに引っ越すところから始まります。まさかそこが3ヶ月後に「五月革命」のバリケードと市街戦の舞台になるとはつゆ知らず。20歳で学生生活を放棄して、女優・映画人となってしまったアンヌは新しい親友関係ができていき、この小説では映画監督・評論家のミッシェル・クールノ(1922-2007。1968年にアンヌも出演した映画『レ・ゴーロワーズ・ブルー』でカンヌ映画祭に乗り込むのですが、ゴダール等の造反で映画祭が中止になります)、ファッション・デザイナーのミッシェル・ロジエ(1930 - 。この女性はスキーファッションの革命的ブランドVdeVのデザイナーで、後に映画監督にもなります)とその伴侶のジャン=ピエール・バンベルジェ(通称バンバン、VdeVスキーウエアを製造する繊維工場の社長)の3人が特に重要な人物として登場します。
この68年、ストラスブールから始まった学生たちの異議申し立て運動が全国に広がり、そのリーダーのひとりに、かつてナンテール校のキャンパスでアンヌをナンパしようとした赤毛のダニーことダニエル・コーン=ベンディットがいます。アパルトマンのすぐ近くにあるパリ大学ソルボンヌ校はスト封鎖され、通りにはいたるところに機動隊が配置され、学生たちと対峙しています。 そういう空気の中で、アンヌはピエール・フラスティエ監督(ゴダール『気狂いピエロ』の助監督)の映画『ラ・バンド・ア・ボノ』(1910年代のフランスに実在したアナーキスト義賊団を題材にした劇映画で、主演はジャック・ブレルとブルーノ・クレメール)に女優として撮影に参加していました。その撮影ロケ現場でも、俳優たちやスタッフは学生たちの運動を支持するか否か、という議論を声高に繰り広げます。賛否半々ぐらいとは言え、支持派が学生たちに同調してストに入り、撮影は中断してしまいます。ミゾジーヌ(misogyne 女性不信、女性蔑視)としてその歌詞や言動にも知られるジャック・ブレルが撮影現場でも手がつけられないほどの暴言を吐いている場所に居合わせたアンヌはたまりかねて「私の前でなんてことを言うの?私は女よ!」と。するとブレルは急に態度を変えて「ノン、きみは女ではないよ」と言うのです。そんなことを言われて呆然としているアンヌにブレルはテーブルの上から手を差し伸べてきた。女でなければ私は何?「きみはひとりの人間さ。そして俺がさんざん言ってきた戯れ言は全部忘れてくれ。春だからね。陽気で俺はちょっとおかしな具合になっちゃったのさ」...。
この小説にはブレルを初め、こういうセレブがたくさん登場します。前年までただのブルジョワお嬢さんだったヴィアゼムスキーが、当時最先端の映画監督であったゴダールと出会うことによって、セレブ世界のど真ん中に引きずりこまれたわけです。前作でもゴダールの人となりとその周囲の人々に関するヴィアゼムスキーの証言というのが、小説の興味の重要な部分であったのですが、この新作の方がもっと「ええっ?」と驚く内幕の証言があります。ビートルズとローリング・ストーンズも登場します。
ゴダールが漠然と考えていたビートルズとの映画のシナリオは、妊娠中絶をすることができずに悩み果てた女(ヴィアゼムスキーが演じるという想定)が自殺を図り、何度も車道に飛び出していくのですが、その度にビートルズの一人が乗ったロールスロイスに遭遇し、助かってしまい、自殺は遂げられない。(その後は?)「知らねえけど、ビートルズがなんかインスピレーション出してくれんだろ...」。そんな程度のアイディアを持って、ゴダールとアンヌはポール・マッカートニーとジョン・レノンに会いにロンドンに行くのです。マッカートニーは映画愛丸出しにして愛想が良いのですが、レノンは一言もなく早々に席を立ちます。「今日はジョンの機嫌がいまいちだから、また明日来て」とマッカートニー。翌日に再チャレンジで会いに行く前に、ゴダールは『俺たちに明日はない(ボニー&クライド)』の脚本家ロバート・ベントン&デヴィッド・ニューマンが、「トロツキーの暗殺」をテーマにした新しいシナリオ(註:これは1972年のジョゼフ・ロージー映画『暗殺者のメロディ』とは無関係)を自分に持ちかけていたことを思い出し、はっ、と閃き、ジョン・レノンをトロツキー役にしてこの映画と撮ろうと思い立って興奮するのです。ところが、再びレノンとマッカートニーに会ってこの話をすると、レノンはやはり気に喰わず、映画と革命に関してレノンとゴダールは激論を始めてしまう。その最中にマッカートニーはその場に運んで来られた紅茶を見て、アンヌに「一緒にテーブルの下でお茶しましょう」と、侃々諤々の議論のテーブルの下にもぐりこんで、ティーカップ片手に二人でひそひそ談笑するのです...。
この話がダメになったのは、ゴダールにしてみればアンヌのせいなのです。ゴダールは当然彼女がマッカートニーに誘惑されたものと思ったでしょう。この小説はこういう箇所が多いです。すなわち、ゴダールはこの17歳年下の妻がいつ取られるのではないか、と気が気ではないのです。それは後にローリング・ストーンズとかの『ワン・プラス・ワン』を撮影する時も、ゴダールは不気味なストーン、ブライアン・ジョーンズのことが気になってしかたがないのです。「このストーンのこと、おまえは気に入っただろう?」などとゴダールはアンヌに問います。因みにかの「悪魔を憐れむ歌」の録音場面をゴダールが撮影中に、キース・リチャーズとアニタ・パレンバーグが急にセックスをしたくなり、ミック・ジャガーがゴダールに「やつらやりたくなっちゃったから、撮影を中断してくれ」と頼む、というエピソードも本作の貴重な証言のひとつです。
ゴダールの「想像による」嫉妬、これがどんどんエスカレートしていくというのがこの小説の重要な流れです。言い換えれば、この1年(68-69年)の記録というのは、ゴダール+ヴィアゼムスキーの破局という到達点を説明する年代記なのです。
その間の最も重要な事件は、68年5月のいわゆる「五月革命」です。その住居であるアパルトマンの真下で起こったということだけでなく、その中に自ら進んで飛び込んでいく左翼映画人ジャン=リュック・ゴダールと、それに引っ張られながらもその理由の重大さを体験として理解していくヴィアゼムスキーの生き生きとした証言が素晴らしいです。ど真ん中からのレポートです。その1年前までのブルジョワ娘は、ゴダールによって半ば「無理矢理に」革命派に加担するのですが、この体験はその「無理矢理」から超えて、はっきりと世の変動を把握し、そのひとりの推進者としての参加を自覚していくのです。
この激動のスピードはアンヌにとっては凄まじいものだったに違いありません。しかし、ゴダールはそれよりもずっと先に行ってしまうのです。この文の初めの部分で紹介した親しい友人関係にあるミッシェル・クールノ、ロジエとバンバンのカップルと、アンヌとゴダールの夫妻はよく食事を共にするのですが、アンヌと友人3人に対してゴダールはどんどん意見を異にするようになり、どんどん「嫌なやつ」になっていくのです。それは端的に政治的・社会的なヴィジョンの違いなのですが、アンヌとその友人たちは反抗する学生たちに加担しながらも言わば穏健派の立場なのに対して、ゴダールは過激派なのです。
左翼映画人ゴダールは、60年代後半から毛沢東主義にごく近い距離にあり、五月革命を経て、それはますます革命に奉仕する映画人という立場を鮮明にしていきます。もう商業映画は撮らない、もうきみたちが思っているような映画は撮らない、きみたちが思っているような映画はもう死んでしまったのだ、という立場なのです。
興味深いシーンがあります。それは当時20歳のフィリップ・ギャレルが撮った最初の長編映画『記憶すべきマリー(Marie pour mémoire)』の試写会で、ゴダールがギャレルを絶賛して「今やギャレル来れり。私はもう映画など撮る必要はない」と言うと、ギャレルが「私たちにはあなたとあなたの映画が必要です。それが私たちの道を照らしてくれたのです」と答えるのです。これと同じような発言が小説の後半でイタリア人映画監督ベルナルド・ベルトルッチの口からなされます。しかし、ゴダールは頑に「きみたちの期待しているような映画はもう絶対に撮らない」と言うのです。
小説の中で、このゴダールの過激化を支援・支持している二人の登場人物、20歳の学生のジャン=ジョックと新左翼イデオローグのシャルル某というのがいます。アンヌはゴダールとこの二人の関係を忌み嫌い、危険視していますが、ゴダールはどんどんそちら側に行ってしまいます。そして闘争映画ばかり撮るようになり、ゴダールという映画監督の名前を消し、「ジガ・ヴェルトフ集団」と名乗るようになるのです。
このように極端に政治化していくゴダールを誰も止められないのですが、それとは裏腹にアンヌを愛し続け、アンヌと1〜2日でも離れることが不安で想像上の嫉妬で狂乱しそうになるゴダールの面もあります。アンヌが女優として実績が出来、さまざまな監督から出演依頼が来るようになると、ゴダールの想像上の嫉妬は否が応でも増大していきます。そして、違う現実では、ゴダールが政治闘争映画しか撮らないゆえに、かつてのヌーヴェル・ヴァーグのスーパースター監督も今や金銭的に窮乏していくようになるのです。それに反比例して、女優アンヌ・ヴィアゼムスキーはスター化していく...。
二人の関係はどこの夫婦にもあるように、冷めかけては再び熱くなり、冷めかけては再び熱くなり、ということを繰り返していくのですが、この小説の中で、ゴダールという男はどんどん「嫌な奴」になっていきます。フランス語で言うならば、"insupportable(アンシュポルタブル)"という形容詞がぴったり来るのです。耐え難い、我慢がならない、手に負えない、といった意味です。上に紹介した登場人物ではクールノ、ロジェ&バンバンといった人たちが、それに本当に良く耐えてアンヌを支えてくれるのですが、多くの人たちはその我慢の限界を悟ってゴダールと訣別して行きます。フランソワ・トリュフォーとの絶交もこの小説の中で描かれています。
小説の終盤は、アンヌとゴダールがお互いに別々の行動を取るのもしかたがない、という段階に達します。アンヌはジガ・ヴェルトフ集団の仕事を全く理解できないし、ゴダールは女優アンヌ・ヴィアゼムスキーの売れっ子ぶりを苦々しく思いながらもその成功を祈らないわけにはいかない。ゴダールは仕事がうまく行かないし、収入も激減しているのに、意固地にその闘争性を正当化しようとしてどんどん孤立していき、それと比例してその想像上の嫉妬(アンヌとの関係の危機感)は増していく。69年3月、ゴダールはのちに『プラウダ』と呼ばれる映画を撮影するためにチェコスロバキア(当時)の首都プラハに飛びます。その時、アンヌはイタリア人監督マルコ・フェレーリの映画の撮影のためにローマにいます。当時の東欧と西欧の間の国際電話回線状態の悪さにもめげず、ゴダールはローマのアンヌに電話コンタクトをしようとします。数度のトライにも関わらず、アンヌの滞在するホテルのフロントはその度にアンヌの不在をゴダールに告げます。疑惑と嫉妬で頭が破裂しそうになったゴダールはプラハでの撮影を放り出して、ローマに飛行機でやってきます。アンヌがそれを食事に外出していただけで何事もないといくら説明しても、ゴダールの疑念は一向に晴れません。そして、あろうことかゴダールはその夜、アンヌと同じ部屋に泊まりながら、睡眠薬自殺を図ってしまうのです...。
小説の最後で、作者は二人の決定的な別離はその2年後にやってくると書いていますが、この小説の続編(つまりその後の決定的な別離までのいきさつを描くもの)はない、と断っています。終わりはすでにこの68-69年の中にあったのだから、と言うことでしょう。これはあくまでもアンヌ・ヴィアゼムスキーの小説であり、彼女のヴァージョンによるゴダール時代のストーリーです。ゴダールには違うヴァージョンがあるでしょうが、それを発表するかどうかは誰も知りませんし、おそらくないでしょう。ドキュメンタリーとして読まれる性格のものではありませんが、ここに描かれた68/69年という時代のパリの空気と、時代の前衛だった映画の世界は多くの人たちに貴重な証言として読まれるでしょう。前作と本作の2冊で、私にとって最も印象的なのは、ナイーヴなブルジョワ娘だったアンヌが、17歳年上の天才映画人ゴダールのパートナーと言うよりは、「人形」のような可愛がられ方/愛され方をしていたのに、ゴダールが自分に開いてくれた世界によって、自分がどんどん解放されて自由になっていく、 それとは全く逆に、ゴダールは思想的に硬直して、性格的に意固地になり、想像上の嫉妬の囚われ人になっていく、という女と男の上昇と下降の交差のストーリーとして読めるということです。本人も断ってますが、私ももう続編はなくてもいいです、と思います。
カストール爺の採点:★★★★☆
Anne Wiazemsky "Un An Après"
ガリマール刊 2015年1月 202ページ 17,90ユーロ
(↓)ゴダール『ワン・プラス・ワン』(1968年)の中の「イヴに関するすべて」のシーン。イヴ・デモクラシー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)は英語が話せないので、イエスとノーだけの答。
Anne Wiazemsky "Un An Après"
アンヌ・ヴィアゼムスキーの12作目の小説です。19歳の時に17も年上の映画監督ジャン=リュック・ゴダールと恋に落ち、結婚して、映画女優となる、という1967年の日々を描いた前作"Une année studieuse(わたし的な訳では『もう勉強の1年』)”(2012年)については当ブログの記事『マオい日々』で紹介していて、作者の背景についても長々と説明しているので、ぜひ参照してみてください。で、この小説は文字通りその「1年後」のことなのです。すなわち、時まさに1968年。ヴィアゼムスキー20歳、ゴダール37歳。
小説は話者(アンヌ)とジャン=リュック・ゴダールの夫婦がパリ8区ミロメニール通りのアパルトマン(ここで映画『中国女』 の撮影が行われた)から、パリ5区サン・ジャック通りに引っ越すところから始まります。まさかそこが3ヶ月後に「五月革命」のバリケードと市街戦の舞台になるとはつゆ知らず。20歳で学生生活を放棄して、女優・映画人となってしまったアンヌは新しい親友関係ができていき、この小説では映画監督・評論家のミッシェル・クールノ(1922-2007。1968年にアンヌも出演した映画『レ・ゴーロワーズ・ブルー』でカンヌ映画祭に乗り込むのですが、ゴダール等の造反で映画祭が中止になります)、ファッション・デザイナーのミッシェル・ロジエ(1930 - 。この女性はスキーファッションの革命的ブランドVdeVのデザイナーで、後に映画監督にもなります)とその伴侶のジャン=ピエール・バンベルジェ(通称バンバン、VdeVスキーウエアを製造する繊維工場の社長)の3人が特に重要な人物として登場します。
この68年、ストラスブールから始まった学生たちの異議申し立て運動が全国に広がり、そのリーダーのひとりに、かつてナンテール校のキャンパスでアンヌをナンパしようとした赤毛のダニーことダニエル・コーン=ベンディットがいます。アパルトマンのすぐ近くにあるパリ大学ソルボンヌ校はスト封鎖され、通りにはいたるところに機動隊が配置され、学生たちと対峙しています。 そういう空気の中で、アンヌはピエール・フラスティエ監督(ゴダール『気狂いピエロ』の助監督)の映画『ラ・バンド・ア・ボノ』(1910年代のフランスに実在したアナーキスト義賊団を題材にした劇映画で、主演はジャック・ブレルとブルーノ・クレメール)に女優として撮影に参加していました。その撮影ロケ現場でも、俳優たちやスタッフは学生たちの運動を支持するか否か、という議論を声高に繰り広げます。賛否半々ぐらいとは言え、支持派が学生たちに同調してストに入り、撮影は中断してしまいます。ミゾジーヌ(misogyne 女性不信、女性蔑視)としてその歌詞や言動にも知られるジャック・ブレルが撮影現場でも手がつけられないほどの暴言を吐いている場所に居合わせたアンヌはたまりかねて「私の前でなんてことを言うの?私は女よ!」と。するとブレルは急に態度を変えて「ノン、きみは女ではないよ」と言うのです。そんなことを言われて呆然としているアンヌにブレルはテーブルの上から手を差し伸べてきた。女でなければ私は何?「きみはひとりの人間さ。そして俺がさんざん言ってきた戯れ言は全部忘れてくれ。春だからね。陽気で俺はちょっとおかしな具合になっちゃったのさ」...。
この小説にはブレルを初め、こういうセレブがたくさん登場します。前年までただのブルジョワお嬢さんだったヴィアゼムスキーが、当時最先端の映画監督であったゴダールと出会うことによって、セレブ世界のど真ん中に引きずりこまれたわけです。前作でもゴダールの人となりとその周囲の人々に関するヴィアゼムスキーの証言というのが、小説の興味の重要な部分であったのですが、この新作の方がもっと「ええっ?」と驚く内幕の証言があります。ビートルズとローリング・ストーンズも登場します。
ゴダールが漠然と考えていたビートルズとの映画のシナリオは、妊娠中絶をすることができずに悩み果てた女(ヴィアゼムスキーが演じるという想定)が自殺を図り、何度も車道に飛び出していくのですが、その度にビートルズの一人が乗ったロールスロイスに遭遇し、助かってしまい、自殺は遂げられない。(その後は?)「知らねえけど、ビートルズがなんかインスピレーション出してくれんだろ...」。そんな程度のアイディアを持って、ゴダールとアンヌはポール・マッカートニーとジョン・レノンに会いにロンドンに行くのです。マッカートニーは映画愛丸出しにして愛想が良いのですが、レノンは一言もなく早々に席を立ちます。「今日はジョンの機嫌がいまいちだから、また明日来て」とマッカートニー。翌日に再チャレンジで会いに行く前に、ゴダールは『俺たちに明日はない(ボニー&クライド)』の脚本家ロバート・ベントン&デヴィッド・ニューマンが、「トロツキーの暗殺」をテーマにした新しいシナリオ(註:これは1972年のジョゼフ・ロージー映画『暗殺者のメロディ』とは無関係)を自分に持ちかけていたことを思い出し、はっ、と閃き、ジョン・レノンをトロツキー役にしてこの映画と撮ろうと思い立って興奮するのです。ところが、再びレノンとマッカートニーに会ってこの話をすると、レノンはやはり気に喰わず、映画と革命に関してレノンとゴダールは激論を始めてしまう。その最中にマッカートニーはその場に運んで来られた紅茶を見て、アンヌに「一緒にテーブルの下でお茶しましょう」と、侃々諤々の議論のテーブルの下にもぐりこんで、ティーカップ片手に二人でひそひそ談笑するのです...。
この話がダメになったのは、ゴダールにしてみればアンヌのせいなのです。ゴダールは当然彼女がマッカートニーに誘惑されたものと思ったでしょう。この小説はこういう箇所が多いです。すなわち、ゴダールはこの17歳年下の妻がいつ取られるのではないか、と気が気ではないのです。それは後にローリング・ストーンズとかの『ワン・プラス・ワン』を撮影する時も、ゴダールは不気味なストーン、ブライアン・ジョーンズのことが気になってしかたがないのです。「このストーンのこと、おまえは気に入っただろう?」などとゴダールはアンヌに問います。因みにかの「悪魔を憐れむ歌」の録音場面をゴダールが撮影中に、キース・リチャーズとアニタ・パレンバーグが急にセックスをしたくなり、ミック・ジャガーがゴダールに「やつらやりたくなっちゃったから、撮影を中断してくれ」と頼む、というエピソードも本作の貴重な証言のひとつです。
ゴダールの「想像による」嫉妬、これがどんどんエスカレートしていくというのがこの小説の重要な流れです。言い換えれば、この1年(68-69年)の記録というのは、ゴダール+ヴィアゼムスキーの破局という到達点を説明する年代記なのです。
その間の最も重要な事件は、68年5月のいわゆる「五月革命」です。その住居であるアパルトマンの真下で起こったということだけでなく、その中に自ら進んで飛び込んでいく左翼映画人ジャン=リュック・ゴダールと、それに引っ張られながらもその理由の重大さを体験として理解していくヴィアゼムスキーの生き生きとした証言が素晴らしいです。ど真ん中からのレポートです。その1年前までのブルジョワ娘は、ゴダールによって半ば「無理矢理に」革命派に加担するのですが、この体験はその「無理矢理」から超えて、はっきりと世の変動を把握し、そのひとりの推進者としての参加を自覚していくのです。
この激動のスピードはアンヌにとっては凄まじいものだったに違いありません。しかし、ゴダールはそれよりもずっと先に行ってしまうのです。この文の初めの部分で紹介した親しい友人関係にあるミッシェル・クールノ、ロジエとバンバンのカップルと、アンヌとゴダールの夫妻はよく食事を共にするのですが、アンヌと友人3人に対してゴダールはどんどん意見を異にするようになり、どんどん「嫌なやつ」になっていくのです。それは端的に政治的・社会的なヴィジョンの違いなのですが、アンヌとその友人たちは反抗する学生たちに加担しながらも言わば穏健派の立場なのに対して、ゴダールは過激派なのです。
左翼映画人ゴダールは、60年代後半から毛沢東主義にごく近い距離にあり、五月革命を経て、それはますます革命に奉仕する映画人という立場を鮮明にしていきます。もう商業映画は撮らない、もうきみたちが思っているような映画は撮らない、きみたちが思っているような映画はもう死んでしまったのだ、という立場なのです。
興味深いシーンがあります。それは当時20歳のフィリップ・ギャレルが撮った最初の長編映画『記憶すべきマリー(Marie pour mémoire)』の試写会で、ゴダールがギャレルを絶賛して「今やギャレル来れり。私はもう映画など撮る必要はない」と言うと、ギャレルが「私たちにはあなたとあなたの映画が必要です。それが私たちの道を照らしてくれたのです」と答えるのです。これと同じような発言が小説の後半でイタリア人映画監督ベルナルド・ベルトルッチの口からなされます。しかし、ゴダールは頑に「きみたちの期待しているような映画はもう絶対に撮らない」と言うのです。
小説の中で、このゴダールの過激化を支援・支持している二人の登場人物、20歳の学生のジャン=ジョックと新左翼イデオローグのシャルル某というのがいます。アンヌはゴダールとこの二人の関係を忌み嫌い、危険視していますが、ゴダールはどんどんそちら側に行ってしまいます。そして闘争映画ばかり撮るようになり、ゴダールという映画監督の名前を消し、「ジガ・ヴェルトフ集団」と名乗るようになるのです。
このように極端に政治化していくゴダールを誰も止められないのですが、それとは裏腹にアンヌを愛し続け、アンヌと1〜2日でも離れることが不安で想像上の嫉妬で狂乱しそうになるゴダールの面もあります。アンヌが女優として実績が出来、さまざまな監督から出演依頼が来るようになると、ゴダールの想像上の嫉妬は否が応でも増大していきます。そして、違う現実では、ゴダールが政治闘争映画しか撮らないゆえに、かつてのヌーヴェル・ヴァーグのスーパースター監督も今や金銭的に窮乏していくようになるのです。それに反比例して、女優アンヌ・ヴィアゼムスキーはスター化していく...。
二人の関係はどこの夫婦にもあるように、冷めかけては再び熱くなり、冷めかけては再び熱くなり、ということを繰り返していくのですが、この小説の中で、ゴダールという男はどんどん「嫌な奴」になっていきます。フランス語で言うならば、"insupportable(アンシュポルタブル)"という形容詞がぴったり来るのです。耐え難い、我慢がならない、手に負えない、といった意味です。上に紹介した登場人物ではクールノ、ロジェ&バンバンといった人たちが、それに本当に良く耐えてアンヌを支えてくれるのですが、多くの人たちはその我慢の限界を悟ってゴダールと訣別して行きます。フランソワ・トリュフォーとの絶交もこの小説の中で描かれています。
小説の終盤は、アンヌとゴダールがお互いに別々の行動を取るのもしかたがない、という段階に達します。アンヌはジガ・ヴェルトフ集団の仕事を全く理解できないし、ゴダールは女優アンヌ・ヴィアゼムスキーの売れっ子ぶりを苦々しく思いながらもその成功を祈らないわけにはいかない。ゴダールは仕事がうまく行かないし、収入も激減しているのに、意固地にその闘争性を正当化しようとしてどんどん孤立していき、それと比例してその想像上の嫉妬(アンヌとの関係の危機感)は増していく。69年3月、ゴダールはのちに『プラウダ』と呼ばれる映画を撮影するためにチェコスロバキア(当時)の首都プラハに飛びます。その時、アンヌはイタリア人監督マルコ・フェレーリの映画の撮影のためにローマにいます。当時の東欧と西欧の間の国際電話回線状態の悪さにもめげず、ゴダールはローマのアンヌに電話コンタクトをしようとします。数度のトライにも関わらず、アンヌの滞在するホテルのフロントはその度にアンヌの不在をゴダールに告げます。疑惑と嫉妬で頭が破裂しそうになったゴダールはプラハでの撮影を放り出して、ローマに飛行機でやってきます。アンヌがそれを食事に外出していただけで何事もないといくら説明しても、ゴダールの疑念は一向に晴れません。そして、あろうことかゴダールはその夜、アンヌと同じ部屋に泊まりながら、睡眠薬自殺を図ってしまうのです...。
小説の最後で、作者は二人の決定的な別離はその2年後にやってくると書いていますが、この小説の続編(つまりその後の決定的な別離までのいきさつを描くもの)はない、と断っています。終わりはすでにこの68-69年の中にあったのだから、と言うことでしょう。これはあくまでもアンヌ・ヴィアゼムスキーの小説であり、彼女のヴァージョンによるゴダール時代のストーリーです。ゴダールには違うヴァージョンがあるでしょうが、それを発表するかどうかは誰も知りませんし、おそらくないでしょう。ドキュメンタリーとして読まれる性格のものではありませんが、ここに描かれた68/69年という時代のパリの空気と、時代の前衛だった映画の世界は多くの人たちに貴重な証言として読まれるでしょう。前作と本作の2冊で、私にとって最も印象的なのは、ナイーヴなブルジョワ娘だったアンヌが、17歳年上の天才映画人ゴダールのパートナーと言うよりは、「人形」のような可愛がられ方/愛され方をしていたのに、ゴダールが自分に開いてくれた世界によって、自分がどんどん解放されて自由になっていく、 それとは全く逆に、ゴダールは思想的に硬直して、性格的に意固地になり、想像上の嫉妬の囚われ人になっていく、という女と男の上昇と下降の交差のストーリーとして読めるということです。本人も断ってますが、私ももう続編はなくてもいいです、と思います。
カストール爺の採点:★★★★☆
Anne Wiazemsky "Un An Après"
ガリマール刊 2015年1月 202ページ 17,90ユーロ
(↓)ゴダール『ワン・プラス・ワン』(1968年)の中の「イヴに関するすべて」のシーン。イヴ・デモクラシー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)は英語が話せないので、イエスとノーだけの答。
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