2011年2月19日土曜日

ル・クレジオ、サルコジの傲慢さに憤激する



 2月18日、ノーベル賞作家J.M.G.ル・クレジオが、メキシコの日刊紙ミレニオのインタヴューで「サルコジとその政府のメキシコ司法制度に対する傲慢と侮蔑に憤りを覚える」と表明しました。あのル・クレジオが怒るのですから、ただごとではありまっせん。ル・クレジオが何に対して憤っているのかを説明していきましょう。
 「フローランス・カッセーズ事件」というのがあります。1974年北フランス生まれのこの女性は2003年に弟のいるメキシコに渡ります。2004年彼女は弟の紹介でイスラエル・バジャルタ・シスネロスと知り合い、恋仲になります。このシスネロスは「ロス・ゾディアコス」という誘拐・人身売買集団の頭目で、10件の誘拐事件と1件の殺人事件の犯人です。2005年4月カッセーズはシスネロスと破局して一旦フランスに帰るのですが、9月にはメキシコに再渡航し、シスネロスの家で12月まで暮らしていました。
 2005年12月8日、メキシコシティーから50キロ離れた高速道路上で、フローランス・カッセーズとイスラエル・シスネロスがメキシコ警察に逮捕されます。その逮捕劇をメキシコのテレビ局2社がダイレクト中継します。それは3人の子供を誘拐したシスネロス一味をメキシコ警察が追いつめ、無事子供を救助し、犯人を現行犯で逮捕するというものでした。カッセーズはシスネロスの共犯者として逮捕されます。
 2006年2月11日、メキシコのテレビ生放送番組に獄中から出演したカッセーズは、この逮捕劇が警察とテレビ局による演出であったことを糾弾し、同じ放送に出演していた当時連邦捜査局の長官であったヘナーロ・ガルシア・ルーナは即答でそのでっち上げを認め、詫びの言葉まで述べたのでした。
 ここでカッセーズ側はもうこの事件は終わった、無罪放免は勝ち得たも同然、と思ったのですが、「私はそこにいただけ、シスネロスの犯罪には関与していない」というカッセーズの主張は退けられ(彼女を共犯者とする証言がいろいろ出てきたのです)、長い年月をかけた裁判の末、2008年4月25日、禁錮96年(誘拐罪20年x4件、武器不法所持4年、銃弾不法所持4年などの合計の量刑)の有罪判決が下ります。
 フランスのカッセーズの両親がフローランス救済を大統領ニコラ・サルコジに直訴。フランスのメディアはこの頃から「無実のフランス人女性を救え」風な報道キャンペーンになります。サルコジはフランス司法による事件の追跡調査を弁護士フランク・ベルトンに命じます。
 2009年3月、二審判決でカッセーズの刑は60年に減刑されます。しかしフランスが要求した受刑者の母国移動(国際協定で認められた刑務を母国で遂行する権利)はメキシコ政府に拒否されます。
 フランク・ベルトンはかのヘナーロ・ガルシア・ルーナに嫌疑をかけます。事件当時連邦捜査局長であったルーナはその後昇進して国家公安委員長になっており、一旦は冤罪と認めたものの、その冤罪が確定すると自分の地位はないと判断して、保身のためにカッセーズを何が何でも有罪にしなければならないと画策している、と言うのです。
 こういう発言は国際問題/外交問題になります。メキシコ市民の神経を逆撫でします。なにしろメキシコでの組織犯罪や誘拐・人身売買事件は国の最大の問題で、主犯者であろうが共犯者であろうがフローランス・カッセーズを絶対に許せない人々(誘拐事件被害者の会のような多くの市民団体)は、それを国の力でバックアップしようとするフランスに大きな反感を抱いてきます。メキシコ大統領フェリペ・カルデロン・ヒノホサはフランスが要求する刑務者移送(身柄引き渡し)に関して、フローランス・カッセーズがフランスで60年の刑務を最後まで履行するという保証がなければ移送は受諾しないと明言しています。
 その間、フランスの国会議員団がカッセ釈放要求の声明を出したり、国営テレビでカッセーズ事件のドキュメンタリーを放映したり、カッセーズの手記が出版されたり、カッセーズ弁護団がフランスにメキシコ国をハーグ国際司法裁判所に提訴するよう嘆願したり...。

 2011年2月11日、メキシコ最高裁への上告が棄却され、事実上禁錮60年の刑が確定します。
 ここからがすごいんです。フローランス・カッセーズの母がサルコジに今年開催される『フランスにおけるメキシコ年』(3月15日に開会セレモニー)を中止するように願い出ます。カッセーズの支援団体がそれだけでなくメキシコへの観光旅行のボイコット、メキシコ製品輸入のボイコットなどを訴えます。フランス政府からは外務大臣ミッシェル・アリオ・マリー(チュニジア旧独裁権力との癒着関係でスキャンダルを起こしている方です)が、"véritable déni de justice"(通常は裁判否認という意味なんですが、この場合は「正義を全的に否定すること」というような意味でしょう)という言葉を使ってメキシコの司法を非難し、自分としては「メキシコ年」の文化事業に加担したくない、と言ってしまいます。2月14日サルコジは大統領官邸でカッセーズの両親と会見したあと、こういう声明を発表します。「フランスにおけるメキシコ年は予定通り遂行するが、このメキシコ年をその国に囚われたひとりのフランス人女性、フローランス・カッセーズに捧げる」!!!!
 メキシコ政府が激怒したことは言うまでもありまっせん。フランスのメディアも半分はあきれてしまっています。「サルコジは瀬戸物屋に迷い込んだ一頭の象のようだ comme un éléphant dans un magasin de porcelaine」(ラ・レプビュリック・デ・ピレネー紙)うまいこと書きますね。メキシコとの外交関係はぶち壊し。メキシコで重罪が確定した人間に「フランスにおけるメキシコ年を捧げる」、ですよ。フランスでも司法に対して何らのリスペクトを持たぬサルコジ(最近では、刑期を終えて釈放された重犯罪者が犯した罪をめぐって、それを野放しにした司法官を罰せよと発言して、前代未聞の全国規模での司法職者ストライキを引き起こしている)が、主権を持った外国の裁判制度を全く尊重することなく(おまえの国の裁判はでたらめだと言うがごとく)、テロ組織にものを言うように「人質の身柄を引き渡せ」と迫っているのです。現在先進主要国会議G20とG8の議長国の大統領ですからね、「このG20会議をノーベル平和賞受賞者リウ・シアオ・ポーに捧げる」なんてこともできるはずのですがね。
 
 2008年にノーベル文学賞を受賞したジャン=マリー=ギュスタヴ・ル・クレジオは、1967年から68年にかけてメキシコで生活して、メキシコ大学でマヤ語とナワトル語を学んでいます。それが始まりでユカタン半島のマヤ文明の探求や、パナマでも原住民との共同生活などを通して『悪魔払い』や『砂漠』のような小説を生んでいったのですね。また昨年メキシコ政府はル・クレジオに、外国人にとって最も栄誉ある「アズテクの鷲」の称号を与えています。サルコジのメキシコに対する傲慢さに激怒しながらも、ル・クレジオはメキシコ政府に対して、カッセーズの家族へ惻穏の情を持つべし、と促しています。メキシコにとっての文化VIPの言葉として、メキシコは受け取ってくれるでしょうか。

(↓2月14日 TF1ニュース。「メキシコ年をフローランス・カッセーズに捧げる」と発表するフランス大統領ニコラ・サルコジ)


 
★追記 2011年3月9日
3月8日,「フランスにおけるメキシコ年」の中止が正式に決まりました。これで2月から予定されていた360のイヴェントはすべて中止となりました。ル・ポワン雑誌のネット記事によると、これにかけていた数千万ユーロという両国の文化予算が無駄になったとされています。サルコジの一言のせいです。
 

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