2024年5月8日水曜日

競売吏アンドレ・マッソンの苦悩

"Le Tableau Volé"
『盗まれた絵』


2024年フランス映画
監督:パスカル・ボニッツェール
主演:アレックス・リュッツ、レア・ドリュッケール、ノラ・ハムザウィ、ルイーズ・シュヴィヨット
フランス公開:2024年5月1日


ずこの映画の主人公アンドレ・マッソン(演アレックス・リュッツ)について。職業は世界的競売会社(サザビーズやクリスティーズの類)であるスコッティーズ(Scottie's)社の幹部社員にして同社のトップ競売吏。日頃ミリオン単位の競売を扱うため、羽振りは良くベストドレッサーであり自前スーパーカー(これ昭和の言葉?)で営業に飛び回っている。博識・目利き・話術に長け、超富裕層や学術者層と渡り合って確かな信用を勝ち得ている。その名を語るとき、必ず「かの画家と同姓同名」と断わりを入れる。実在した20世紀シュールレアリスト画家アンドレ・マッソン(1896 - 1987)は、私のような昭和期の仏文科学生にはジョルジュ・バタイユ眼球譚』『太陽肛門』の挿画が強烈に記憶にあるのであるが、それはそれとして、この映画の関連で言えば、タイトルの「盗まれた絵」(エゴン・シーレの『ひまわり』)がナチスによって”退廃芸術”とされ闇に葬られたように、マッソンもまたその画業が”退廃芸術”と見做され、ナチスとその傀儡ヴィシー政権の弾圧を逃れて亡命せざるをえなかったという経緯がある。映画のストーリーからすると”軽い”名前ではないのだが、(本来喜劇アクターの)アレックス・リュッツが演じると「たまたま同じ名前ですよ」のノリになるものの、なにかの因縁づけであることには違いないと私は勝手に解釈した。
 さて、映画は実際にあった出来事に基づいてのストーリーである。2005年にフランス東部アルザス地方の町ミュルーズで、オーストリアの画家エゴン・シーレ(1890 - 1918)が1910年代にゴッホの「ひまわり」にインスパイアされて描いたとされ、その後ナチスに没収され行方がわからなくなっていた「ひまわり」の油絵が60年後に発見されたという実話。
 映画は時代を2020年代的現在にしてある。地方の女性弁護士エゲルマン(演ノラ・ハムザウィ)が世界的競売会社のスコッティー社のマッソン宛に(インターネット/メールでの第三者の悪意ある傍受を避けるため!)郵便封書で、クライアントが見つけたエゴン・シーレの「ひまわり」と思しき油絵を鑑定して欲しい、と。直感的にマッソンは99.9%贋作と鼻で笑っている。マッソンがこの件の鑑定士として指名したのが、マッソンの元妻のベルティナ(演レア・ドリュッケール)で、今は”その種”の売買の本場スイスに住んでいる。気心を知り尽くした旧友のような間柄。なぜ別れたのかは不明(たぶん映画の後半でわかる”ジェンダー”問題)。両者がパリとスイスからやってきて落ち合ったのがミュルーズ。そのミュルーズには世界最大規模のクラシックカーコレクションを誇る国立自動車博物館があり、その趣味のカーマニアであるマンソンがミュージアムの中で子供のようにはしゃぐシーンあり。と、ここまでが、雲の上階級のコレクション売買(絵画・骨董・クラシックカー....)というわれわれシモジモ階級には映像だけで鼻白んでしまうイントロ。
 さいわいにもそれをわれわれのレベルまで落としてくれるのがミュルーズの”現場”。件の絵の発見者はマルタン(演アルカディ・ラデフ)という名の若者で、職業は化学工場の夜勤の作業員。1960年代までミュルーズはフランス屈指の先端工業地帯であったが、世界的産業再編のあおりで多くの工場が閉鎖し....。そういう21世紀で地元工場で働き続ける目立たない労働者の若者で、母親と二人暮らし。二人が住むアパルトマンは、”ヴィアジェ”(フランスの名高い高齢者不動産売却契約、リンクを貼った小沢君江さんの解説に詳しい)で購入した。 前の家主が死んだことでこの物件が手に入ったわけだが、その旧家主がそのサロンを飾っていた油絵をそのまま受け継いで、同じサロンにずっと納まっていたのがそのブツ。気に留めること長年眺めていたその絵が、ある日美術雑誌の表紙となっていたのを偶然目にしたマルタンであった。その歴史的価値を知るや、本物かどうか半信半疑で弁護士エゲルマンに相談したのだった。
 さてエゲルマンが立会人となって、その世界一流の競売吏マッソンと鑑定士ベルティナがマルタンと母の住むミュルーズ郊外のアパルトマンに乗り込んでくる。長年の経験によって頭から”偽物”と決めてかかっていた競売吏と鑑定士であったが、その絵を一目見たとたん二人とも思わず笑ってしまう。それを見た弁護士エゲルマンは本件は文字通り”一笑に付された”と直感した。元夫婦の二人はひとしきり笑ったのち....「本物だ」と鑑定の結論を。一目でわかった。ことのあまりの重大さに本能がスイッチを入れた笑いだったというわけ(この演出ちょっとくさい)。評価額は?1千万、いや1千2百万ユーロ(約20億円)だ、と。
 アパルトマンの地下物置から死んだ旧家主の身元を証明する書類が見つかる。第二次大戦中この男は”対独協力役人”としてかなり上の地位にあったことがわかる。1918年にこの世を去ったエゴン・シーレの作品はナチス政権から”退廃芸術(art dégenéré)”と指定されて没収され、あるものは破壊され、あるものは闇ルートで売却されナチスの闇金となった。占領ドイツ権力に近かったこの男はそれと知らず(価値を知らず)偶然この絵を手に入れたのだろう。それから60年、そのサロンにあり、チリやほこりや煙草の煙をかぶって60年もの間晒されていたのだ。
 映画はメインのストーリーとして、この盗まれて行方不明だったエゴン・シーレの名画が、米国に住むシーレの権利継承者が発見者マルタンへ10%の報償金を与えるという条件でマッソンのスコッティー社に競売による売却を依頼し、競売業界にありがちな黒い策謀や妨害詐欺などの紆余曲折を経て、結果として2500万ユーロ(41億円)という記録的な落札価格がつく、という大団円へと進む。競売マンとしてマッソンが、所属するスコッティー社の強烈なハラスメントを受けたり、自らの虚飾に満ちたライフスタイルに疲れたり、という苦悩もあり。しまいには(この歴史的競売のあと)競売吏を引退することになるのだが...。
 このマッソンと競売のストーリーは、それはそれでありなのだが、私にとってこの映画の魅力はそれに付随して進行するふたつのサイドストーリーである。ひとつはマッソンの見習い秘書として働くオロール(←写真)(演ルイーズ・シュヴィヨット)の挙動であり、彼女は業務を完璧以上にこなす超有能な秘書でありながら、なにかにつけて呼吸するように嘘をつく。自分を防御するためなのか、自分を別物に装いたいのか、その嘘はすぐにバレるものなのだがトゲがある。その嘘は他人だけでなく自分の父親(父親役でなんとアラン・シャンフォール出演!)に対しても同じように。後でわかるのだが、それは父親(&家族)を破産させるに至った詐欺事件を経験したからで、あらゆる人を疑い嘘をつくようになったようだ。マッソンはそれでもこの秘書を買っていて、一人前の競売ウーマンにと考えていたのだが、男女間の感情のもつれのような確執が生じて一旦オロールは姿を消す。そしてエゴン・シーレ「ひまわり」競売をめぐる評価価格大下落の危機がおとずれた時、再びオロールはマッソンの前に現れ、それは自分の父親を襲った詐欺事件と同じ手口であることを見抜き、その詐欺策謀を打ち負かす策をマッソンに授けるのである...。
 もうひとつはかの絵の発見者、ミュルーズの労働者青年マルタン(写真→)のストーリーである。最初はこの絵の価値がどれほどのものかわからず鑑定を依頼したものの、その価値とその背景がわかったとたん、この青年の心にぐじゃぐじゃと葛藤が生じ、この絵に関する一切の権利を放棄することを決める。この青年は見込まれる巨万の富を放棄してでも、自分の小さな世界(二人の悪友たち、工場での夜勤労働の日々)を維持したいと考えるのである。この純粋ゆえに心揺れる歴史的名画競売騒動にマルタンは最後までつきあい、そして再び”労働者”に戻っていく...。この話、ほんとに好きですよ。

 その他、どうしてなのか2回も全裸入浴シーンを見せるレア・ドリュッケール(お風呂好きという理由だけなのか)、紆余曲折あった名画競売騒動に最初から最後までつきあった弁護士エゲルマンと鑑定士ベルティナの間にできた同性愛関係など、どうでもいいような話もある。肝心の世紀の名画のおすがたはほとんど映らない(これはしげしげと見てみたいものだった)。1時間半のいろいろ詰まった娯楽サスペンス映画。ほっこりして映画館を出られる。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『盗まれた絵(Le Tableau Volé)』予告編

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