2021年8月19日木曜日

天保の改革

MC★Solaar "Qui sème le vent récolte le tempo"
MC★ソラール『風の種を撒く者は天報を受く』
(1991年)

を去ること30年前、あの時クロードMCは21歳だった。1991年10月にリリースされたMC★ソラールのファーストLP"Qui sème le vent récolte le tempo"は、レコード会社Polydorとの権利訴訟のため2000年から販売停止となり、20年以上も入手困難の状態にあった。 訴訟沙汰がひとまずおさまって、2021年、Polydor からの3枚のアルバム:”Qui sème le vent.."(1991年)、"Prose Combat"(1994年)、"Paradisiaque"(1997年)が封印を解かれて再発されることになり、その第一弾として2021年7月に出たのがこの"Qui sème le vent..."。
 1991年、第一次湾岸戦争が勃発し、ソ連が崩壊し、ゲンズブールが死んだ年。そしてニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の年でもあった。大統領は2期目のフランソワ・ミッテランで、首相はミッシェル・ロカールからエディット・クレッソン(フランス初の女性首相、フランス現代史上最も評価の低い首相であろう)へ変わった年で、私は音楽業界人(独立レコード配給会社社員)になって3年目だった。私がいた独立系のレコード会社でも急激に売上を伸ばしていくのはワールド・ミュージックとラップで、社内は活況を呈していた。小回りのきく中小企業に比べて、そんな流れに大手FMやメジャーレコード会社は一歩も二歩も遅れていた感があったが、1991年仏シングルチャート"TOP 50"に異変がおこり、同年6月21日(メジャーのPolydorからリリースされた)MCソラールのシングル盤"Bouge de là"が、7月末にチャートイン、10週間居座り、9月には最高位22位に至り、推定売上枚数は51000枚というヒットとなった。これがフランス大衆音楽史上最初のフレンチラップのヒットシングルということになる。

 当時フランスのラップになど全く興味のなかった耳からすれば、ステロタイプ化された「郊外」「ストリート」「パラレル経済」「”システム”憎悪」などを散文的に早口でまくしたてる不良音楽とはずいぶんと違うものに聞こえた。それが何によるものか、というのはあとになってわかっていくのだが、サウンドの要に後のフレンチ・エレクトロ・シーンの立役者となるフィリップ・ズダール(1967 - 2019。ラ・ファンク・モブ→カシウス)、ユベール・ブラン=フランカール(著名サウンドエンジニアのドミニク・ブラン=フランカールの息子。ブームバス→カシウス)、エチエンヌ・ド・クレシー(スーパー・ディスカウント)、そしてMCソラールを通じて一躍売れっ子プロデューサーになってしまうDJジミー・ジェイことクリストフ・ヴィギエがいた。1971年生まれのヴィギエは16歳で既にパリ郊外のクラブでDJとして鳴らし、18歳でDMC(Disco Mix Club)のフランスチャンピオンになり、その機会にMCソラールと邂逅している。17歳の時LOTOに当たり大金をせしめ、自らの録音スタジオを開設、そこでMCソラールのデモは録音された。前三者に比べれば圧倒的にスクラッチとサンプルを武器とするジミー・ジェイは、自らのヴィンテージなジャズ、ソウル、ファンクなどのコレクションからサンプルしてクロードのライムにあてがった。"Bouge de là"のリズム/メロディーラインは1970年代イギリスのファンクバンド、サイマンデの曲"The Message"(1973年)をサンプルしたものだった。
 このシングルヒット"Bouge de là"に気をよくしたレコード会社Polydorのはからいでクロードとジミー・ジェイらスタッフは大予算+バスチーユの録音スタジオ+バスチーユオペラ座の弦楽隊などをあてがわれ録音されたのがアルバム"Qui sème le vent..."であった。
 アルバムタイトルの出典は旧約聖書のホセア書にある格言
Qui sème le vent récolte la tempête.
風の種を撒く者は嵐を収穫する
である。禍のもとをつくる人は、それの何重にも大きくなった禍に遭う、という意味。自業自得や身から出た錆と似たものだが、「倍返し」の目に遭うというのがミソ。この"la tempête"(嵐)をクロードMCは"le tempo"(音楽用語:テンポ、速度)と代えた。テンポとは日本語でもそうだろうが、フランス語でもなんともレトロな響きのある言葉である。イタリア語起源の音楽用語でもあり、一般的に速さや進度を指す。大衆音楽の領域では昨今は"リズム”や"ビート”といった言葉に比べれば影の薄い言い方になっていたかもしれない。これをクロードはあえてテンポと言ったのだ。マニフェスト的に。"Parce que le tempo est roi"(なぜならテンポは王なのだから)。MCソラールとは沈黙・静寂を徹底的に言葉で埋め尽くす者、言葉をばら撒くことで肉体の美=ダンスを現出させる者、ばら撒けばばら撒くほどテンポは躍動する。
大仰に発せられるひとつひとつの語、ひとつひとつのフレーズによって
クロードMCは言葉の突撃兵と化す
音楽の闘技場にあってはテンポは王様だ
手綱は俺が握っている、修辞の闘牛士
マタドールさ、一対一でとどめを刺せるさ
さあもうひとがんばり、体を激しく揺らせ
タイムロスはなしだぜ、知ってるだろ
テンポは王様なんだから,,,
風の種を撒く者はテンポをものにするのさ
(Qui sème le vent récolte le tempo)


この曲のバックトラックはブームバスことユベール・ブラン=フランカールが制作し、サンプルされたのはルー・ドナルドソン(Lou Donaldson)「ワン・シリンダー(One Cylinder) 」(1967年)。当時はYouTubeやストリーミングのライブラリーといった簡単に過去の音源を検索できるものなかったから、多くの人たちはそれがどういう"サウンド”であったのかなど知るよしもなかった。ただ聴いたフィーリングは、それまでひたすらに熱く情感的で硬質だったラップとは違う"クール”なものであったことははっきりと思ったはずだ。他にサンプル元が明らかになっている曲を列記すると:
3曲め "Matière grasse contre matière grise"が、ジ・インスティチュート(The Institute)"Watsonian Institute"(1978年)
4曲め "Victime de la mode"が、ベン・シドラン(Ben Sidran) "Hey Hey Baby"(1972年)
6曲め "Armand est mort"が、マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye) "Inner city blues"(1971年)
10曲め "Caroline"が、サウスサイド・ムーヴメント(Southside Movement) "Save the world"(1974年)
15曲め "La Divise"が、ホール・ダーン・ファミリー(The Whole Darn Family) "Seven Minutes of Funk"(1976年)とブギー・ダウン・プロダクション(Boogie Down Production) "You must learn"(1989年)

 この歴史的アルバム"Qui sème le vent..."の全体的な"クール”なグルーヴ感を決定していたのはこれらのサンプル元のサウンドだったということが今日では容易に了解できるであるが、当時はこれが”ジミー・ジェイの音”と違う評価を受けていたのだ。それはそのまま「MCソラール+ジミー・ジェイ=最強」ともてはやされ、1994年のセカンドアルバム"Prose Combat(プローズ・コンバ)"で頂点となるのだが、その後のコンビ解消以来MCソラールの評価は熱を失い、「ファースト/セカンドを超えられない」30年アーチストとしての今日がある。分野は違えどミッシェル・ベルジェ制作のファースト/セカンドを超えられない50年アーチスト、ヴェロニク・サンソンと事情は似ている(すんません、関係ありまっせん)。

 だが、1991年"Qui sème le vent..."は新しいサウンドの登場であるよりも、新しい詩人誕生の事件であった。 チャドの血を引き、セネガルの首都ダカールで生まれたクロード・ンバラリは、フランスでバカロレアに合格し、パリ大学ジュッシユー校で哲学と言語(英語、スペイン語、ロシア語)を学んでいる。どれほどの読書量であったろうか。とりわけリトレ仏語辞典(19世紀の仏語百科辞典)が座右の書であったことは伝説となっている。しかしクロードMCの卓抜な言語センスの習得を可能にしたのは学校でも辞書でもない。自伝的に9曲め"A temps partiel(ハーフタイム)"は”独習の徒”としての自分をこう語っている:
ラッパーのCAP(職業認定書)、トースターのBEP(学習免状)、
MCの資格証明、マイクロフォン修士号、響きのいい踏韻名人号、
すべて合格したさ
クロードMCは大成功と言うべきかな
バカロレアの後、大学に挑戦したけど、学部がなくなった
だからラップは独学でものにしたというのが真実さ
言語のスウィングのマスター
曲芸師、綱渡り師、夢遊病者、だけど俺は
先人の知恵を垂れ流すやつらには見向きもしなかった
自分自身を信じること、これはもっともな主義さ
第一人称の話者はおまえ自身でなければならない
だからそれを機能させるには誰も恐れることはないのさ
(A temps partiel)



 1991年MCソラールの言語がもたらした変革は、ラップに文学的(詩的)リファレンスと比類なき地口(言葉遊び)センスとシャンソン的(抒情)物語性を導入したことであった。その先駆としてクロードMCが最も敬愛する心の師がセルジュ・ゲンズブールであった。1991年はゲンズブールが62歳で他界した年だった。既に神話化は始まっていたが、ゲンズブールが破格の天才として世界的評価を獲得するのは死後だいぶ経ってからである。1991年仏ラップ界でゲンズブールをリファレンスとする者など誰もいなかったはずだ。ステロタイプな見方だろうが、反逆不良たちたるラッパーたちにとってゲンズブールなどオーソドックスすぎる唾棄すべきオールドスクールであったと思う。時は経ち、ゲンズブールはラップ/ヒップホップのみならず、全方位のアーチストたちからリスペクトされるアイコンとなった。同じく時は経ち、MCソラールは今やその詩業において最もゲンズブールと比較されるアーチストのひとりになった。
 このアルバム"Qui sème le vent...”で、最もゲンズブール的修辞の詩法を用い、最もシャンソン的物語性が香り、最も抒情的で哀感に富んだナンバーが「カロリーヌ」である。アルバム中最も完成度の高い曲である。バスチーユ・オペラ座管弦楽団のストリングスは、文字通り"秋の日のヰ゛オロン"に聞こえる。
 まずトランプの4つのマークをフランス語でどう言うかというところから説明しなければならないだろうか。
♣️クラブ → Trèfle (トレフル)
♠️スペード → Pique (ピック)
❤️ハート → Coeur (クール)
♦️ダイヤ → Carreau (カロー)

歌の物語は破局したカロリーヌという娘との恋を哀感をこめて回想するもので、トランプカードにあやかってこんな必殺のリフレインを決めている。
Je suis l'as de trèfle qui pique ton coeur, Caro-line.
カロリーヌ、俺はおまえの心臓を刺す三つ葉のエース

このリフレインを探し当てた時、クロードMCはどう思ったであろうか。フレンチラップのみならずシャンソン・フランセーズの歴史においても、未来永劫記憶されるであろう一行になるとは思っていなかっただろうが、歴史はこの一行をしてソラールをゲンズブールのレベルに押し上げようとしているように思える。
カロリーヌはダチだった、サイコーの娘だった
あの娘のことを思い出す、俺たち二人のことを、
俺たち二人のヴァニラアイスクリームのコーンを、
ストロベリー、フランボワーズ、ミルティーユを大食らいするあの娘を、
あの娘のくだらない熱狂を、あの娘の安っぽい格好を、
Je suis l'as de trèfle qui pique ton coeur, Caro-line
(Caroline)



再発アルバム"Qui qui sème le vent...”の16トラックについては、失業者ホームレスの死をあつかった6曲め「アルマンは死んだ(Armand est mort)」、当時のハードコア・ラップのスタイルで展開する自伝的(ヴィルヌーヴ・サン・ジョルジュの若き日)7曲め「北地区(Quartier nord)」、あの頃のソラールのポシ(posse)が結集してフリースタイル・インプロを展開する14曲め「ラガ・ジャム(Ragga Jam)」など、当時のLPで一度聴いただけで二度と聞かなかったトラックも再発見したが、"Bouge de là"、"Victime de la mode"、"Qui sème le vent..."などの既に"老成”した楽曲にくらべると、21歳クロードの若さを感じてしまう。そして何を置いてもこのアルバムは「カロリーヌ」だけが群を抜いて私の心を刺す(qui pique mon coeur)のだった。

<<< トラックリスト >>>
1. Intro
2. Qui sème le vent récolte le tempo
3. Matière grasse cntre matière grise
4. Victime de la mode
5. L'Histoire de l'art
6. Armand est mort
7. Quartier Nord
8. Interlude
9. A temps partiel
10. Caroline
11. La musique adoucit les moeurs
12. Bouge de là (part 1)
13. Bouge de là (part 2)
14. Ragga Jam
15. La Devise
16. Funky Dreamer

MC★Solaar "Qui sème le vent récolte le tempo"
CD/LP/Digital Polydor
(オリジナル発売日:1991年10月15日)
再発:2021年7月8日

カストール爺の採点:★★★★☆


(↓)2021年夏、30年後にファーストアルバム"Qui sème le vent..."について語るMC★ソラール。BRUTによるルポルタージュ。(ジミー・ジェイ、アンジェルなど登場)
 

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