2020年7月14日火曜日

To be near you, to be free

"Eté 85"
『85年夏』


2020年フランス映画
監督:フランソワ・オゾン
主演:フェリックス・ルフェーヴル(アレックス)、バンジャマン・ヴォワザン(ダヴィッド)、フィリピンヌ・ヴェルジュ(ケイト)
音楽:ジャン=ブノワ・ダンケル
フランスでの公開:2020年7月14日


ギリスの児童作家エイダン・チェンバーズ(1934〜 )の青春小説『おれの墓で踊れ』("Dance on my grave") (1982年刊)をフランソワ・オゾンが最初に読んだのが1985年の夏、オゾンは17歳だった。これを原作にして映画を撮りたいと思ったのは、その時かもしれないが、それはフランソワ・オゾンの最初の映画にはならず、17作目の映画になった。
 お立ち会い、これは青春小説をもとにした青春(ゲイ)映画ですぞ。きれいな16歳の少年(アレックス)ときれいな18歳の少年(ダヴィッド)のひと夏の愛。もう、これだけでアップアップなんですが、しかたない、美しいものは美しい。それはね、あなただって知っているでしょう、16 - 18歳の頃、すべてとは言わないけれど、いろんなものが美しかったじゃないですか。
 舞台は断崖絶壁のあるノルマンディー海岸のリゾート海浜(多分フェカン)、時は夏、85年、ミッテラン大統領の4年目(恩寵の時代が終わり、86年には"コアビタチシオン=保革連立”が待っている)、まだ”大学”がエリートとみなされ、地方のリセの子は職につくか学業を続けるか迷うご時世。16歳のアレクシ(都会っぽく"アレックス"と呼ばれたい文学少年、演フェリックス・ルフェーヴル)は、早く職を見つけろと強権的な旧時代の父親(演ローラン・フェルナンデス。ルチアノ・パヴァロッチと極似)を持ち、それに従うが息子の好きな道に向かわせたい母親(演イザベル・ナンティ、ちょっと老けすぎの感)は、将来のことなど知らないが、今を生きたいナイーヴで繊細なキャラ。これに注目しているのがリセのフランス語/文学の教師ルフェーヴル(演メルヴィル・プーポー、かつての美少年も今や頭のてっぺんの毛がうすいのをそのまま映されてる)で、アレックスの文学的志向性("死”に関する偏執的興味)を見抜いて、大学の文学部に進むよう強く勧めている。母親はそうなってくれればと思っているが、まだ父親の権力が強かった田舎のフランス、文学部に行くのが何の役に立つのか、金になるのか、とネガティヴな意見の父親。お立ち会い、私はこれの十年以上前の世代だが、”文学部”に入るということが、その親たちにとってどれだけ無価値なことであったか、私もどれだけ言われたか.... それはそれ。
 その背が小さく青っぽいアレックスが、友だちから借りたディンギー・ヨットでひとりで沖に出て、突然やってきた悪天候でパニックになり、小舟は転覆、自分の溺れ死にそうになる。そこに現れたもう一艘の(モーターつき)ディンギー・ヨット「カリプソ号」、美しく長身の18歳青年ダヴィッド(演バンジャマン・ヴォワザン)がこの窮状を英雄的に助けて、陸までアレックスと借りものディンギーを曳航してくれる。
 びしょびしょに濡れ、体の芯まで冷えきったアレックスをダヴィッドは自宅まで連れていき、未亡人の母親(演:ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)の手厚い看護(風呂場で全部脱がされチンチンまで観察される)と命の恩人ダヴィッドの兄貴気質(かたぎ)の心配りに、アレックスは運命的な出会いを感じる。近年に父親を失い、母親とこの町でマリン・スポーツ用具店を切り盛りするために学業をやめたダヴィッドはアレックスと同じように文学的な素養があったということが、映画後半の教師ルフェーヴルの証言でわかる。
 アレックスとダヴィッドは波長が完璧に合い、毎日行動を共にする(ダヴィッドの母親の店でバイトするようになる)につれて、それは恋に変わる。オートバイ、遊園地、町の若者たちとの喧嘩、乱闘、傷だらけになった二人はそのお互いの傷を脱脂綿でアルコール消毒しあうのだよ。初めての接吻、初めての一夜。アレックスは有頂天。その夜、ダヴィッドはアレックスに盟約を立てるよう嘆願する。それはどちらか先に死んだら、残された者は必ずその死者の墓の上で踊ること。Dance on my grave. それがどんな意味なのかもわからず、アレックスはダヴィッドにそれを約束する。その死がその夏のうちにやってくるとは知らず。
 ディスコのシーンで若者たちが踊り狂っている時の音楽はムーヴィー・ミュージック"Star de la pub"(ただしこれは82年のヒット)。そして1980年の世界的ヒット映画『ラ・ブーム』(クロード・ピノトー監督、13歳のソフィー・マルソー主演)からのパクリ(フランソワ・オゾン自身が認めている)で、アップテンポのディスコダンスのさなか、ダヴィッドがアレックスのカセット・ウォークマンのヘッドフォンをつけさせ、アレックスだけがスロー・バラードを聴いて夢心地になってしまう。そのスロー・バラード曲とはロッド・スチュアート「セイリング」。これが約束通りアレックスがダヴィッドの墓の上で踊るための曲になるのだが。
 そのアレックスの幸福の頂点で、ギリシャ神話のように現れる突然の運命的邪魔者、それが21歳のイギリス人女学生ケイト(演フィリピンヌ・ヴェルジュ、この人ベルギー人)で、アレックスの面前でダヴィッドがケイトを露骨に誘惑し...。

 前作『幸運にして(Grâce à Dieu)』(2019年)は現実の事件であったカトリック教会 内におけるペドフィリー事件を題材にした、きわめて重い社会派映画だったのに対して、この映画は軽い、軽い。80年代という"最後の”能天気な時代を背景にした、美しくも文学的でもある愛と死の映画。美しいノルマンディー、絵に描いたような青春、きれいなアレックス、きれいなダヴィッド。ああ、一度は思いっきりこんな映画撮ってみたかった、という正直なフランソワ・オゾン52歳。アイアム・セイリング、アイアム・セイリング....。だが、二度とこんな映画撮ったらいかんよ、許すから。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『85年夏』予告編


(↓)ロッド・スチュアート「セイリング」(1975年)To be near you, to be free.


(↓)ジャン=ブノワ・ダンケル(ex AIR) "Eté 85" サントラ

0 件のコメント: