2019年12月14日土曜日

ナトロード伯父さんの冒険

11月4日、トゥールーズ出身の老作家(69歳!)ジャン=ポール・デュボワが、2019年ゴンクール賞決選投票でアメリー・ノトンブ『乾き(Soif)』を破って同賞を獲得した小説『すべての人間が同じように世界に生きているのではない』、私は受賞直後に購入したのだけれど、詠み終わるのに1ヶ月以上かかってしまった。素晴らしい作品なので、近日中に当ブログで作品紹介します。そのイントロとして、主人公・話者のポール・ハンセン(デンマーク人プロテスタント牧師とフランス人女性の間にトゥールーズで生まれ、両親離婚後、父の住むケベックに移住してきた)の妻ウィノナ(北米先住民族アルゴンキン族の父とアイリッシュの母から生まれた混血)が語る、彼女の叔父ナトロード(アルゴンキン族子孫)の驚嘆の一生を以下に訳しておきます。
彼女は私にその叔父ナトロードの信じられない話も語ってくれた。その名は彼らの言語では「小さな雷、大地の息子」を意味する。みんな彼のことをナットと呼んでいた。奥まった地方に住み、結婚して三人の子供の父親になった。家族を養うためには、仕事のあるところまで出て行って働くしかなかった。まずユーコンで鉱夫になり、ついでタバコ畑の刈り取り夫、50ヘクタールの土地を借りて耕し家畜も育てたが、それだけでは十分ではなかった。そこでトロントとヴァンクーヴァーを結ぶ輸送会社のトラック運転手になった。その行程は4日以内に終えねばならず、休む時間はほとんどなかった。 退職の時が来て、彼はそのマックの鍵を会社に返納し、家族のもとへ帰っていった。彼は年老いたことを感じ、先が長くなく残された日々の貴重さを思った。そしてある朝、その時は来たと悟った。
 ウィノナの声は、この物語のたくさんの扉をゆっくりとひとつひとつ開いていった。
「私の伯父さんは家族全員を集めてこう言った『わしは常におまえたちのために働いてきた。それは当たり前のことだ。だが今やわしは年老いた男であり、わしは今日わしのために、わしひとりのためにあることをしようと決心した。わしはわしのポンコツのトラクターに乗って太平洋から大西洋までカナダを横断することにした。8000キロをわしのポンコツのジョン・ディアでな。それは要するだけの時間をかけてな』。そしてナトロードは、友だちに頼んで彼のトラクターをヴァンクーヴァーに近いホースシュー・ベイまで運んでもらった。そこで彼はその機械を水打ち際まで後退させ、後部車輪を太平洋に漬けさせた。そして東めがけて出発した。4ヶ月間、時速10〜15キロで、天候にかかわらず、彼はこんなふうに進んでいった。『この国の道と人間たちがどんなものなのか見たくてね。それとわしが死ぬ前に、誰もやったことのない何かをしたくてね』と彼は言っていた。この行程の間じゅう、彼はあらゆる種類の幸運と災難を体験した。もうひとつの世界の果て、ニューファンドランドのセント・ジョンズで、その前車輪を大西洋に浸らせる直前に、私の伯父さんは機械をストップさせた。彼は驚くべきことを思いついた。彼はいつの日にか彼の言葉に疑いを抱く人が出てくることを避けるために、彼は証人を立て、彼がしたことを証文にして日付を入れ、署名してもらうことにしたのだ。その重要性は相対的なものではあるけれど、この証文は彼の一生で最も記念すべきものであり、最も貴重なものとなった。そして彼は私にその高名な証人であるハウトシング氏のことをしょっちゅう語ってくれたから、私はその名前をしっかり記憶している。その何年かあと、彼は私を彼の道連れだったジョン・ディア・トラクターを置いてある車庫に連れていき、その棚にかけてあったカバーシートを持ち上げ、中から水の詰まった2本の容器を取り出した。ひとつには大きな文字で"太平洋”と書かれ、もうひとつには"大西洋"と。彼は私にこの2本のジェリカンを見せて『この国のふたつの端っこで、わしがこの水を汲んだのさ』と言い、彼の目は涙で膨らんでいったのだった。これが私のナット伯父さんの旅の物語よ。」
親が子供たちがいい夢を見るように読んでやる不思議物語の書かれた大きな絵本をウィノナが閉じたような印象を私は受けたが、まちがいなくこの物語は私がそれまでに聞いたどんな物語よりも心に響き感動的でためになるものだった。
「伯父さんの埋葬の日、何が起こったか想像できる? 彼が生前頼んでいたことに従って、彼の棺が地中に下されたとき、彼の子供たちが墓穴に近寄り、2本のジェリカン容器の中身をぶちまけたのよ。」

(Jean-Paul Dubois "Tous les hommes n'habitent pas le monde de la même façon" p215 - 216)

(↓)ジャン=ポール・デュボワ (TV5モンド11月14日のインタヴュー)


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