2017年2月25日土曜日

クメールのことよ

Banteay Ampil Band "Cambodian Liberation Songs"
バンテイ・アンピル・バンド『カンボジア解放の歌』


 利チエミのCDをフランスで復刻リリースしたファブリス・ジェリーの独立レーベルAKUPHONEの2017年2月新譜。1982年録音。十数年も前から続いているカンボジア内戦の真っ只中。カンボジア西部タイ国境付近に拠点を置く反ベトナム/反カンプチア人民共和国(親ソ連・親ベトナム派ヘン・サムリン政権)のレジスタンス機関(ソン・サン派)クメール人民民族解放戦線(FNLPK)の教宣活動音楽バンドがこのバンテイ・アンピル・バンド。
  その状況を理解するために、カンボジア現代史をおさらいすると、1953年にフランス保護領から完全独立し、ノロドム・シハヌークを国家元首とするカンボジア王国が成立。国王は映画と音楽を愛する文化人として知られ、映画監督、歌手としてもデビューしかけたことがある。またアコーディオンは名手トニー・ミュレナに 教わっている。国民に愛された国王であった。本CDの詳細なライナーノーツには、比較的平和が保たれた50/60年代のシハヌーク治世下で、首都プノンペンではジャズ、ラテン、ロックンロールが流行 し、多数のローカルバンドがラジオやクラブを席巻していたと記述されている。そのスウィンギング・プノンペンの黄金時代に王宮ダンスホールでは国王がバン ドマスターのジャズバンドが演奏していた。60年代後半、隣国でベトナム戦争が始まり、アメリカ軍の参戦/北爆に反対してアメリカと国交断絶もしている。しかし1970年に親米派のロン・ノル将軍がクーデターを起こし、シハヌーク派は追放され、クメール共和国が成立した。
 ロン・ノルはベトナムでの共産主義勢力を攻撃する米軍と南ベトナム政府軍に協力し、カンボジア国内の(北勢力に協力的と見なされる)ベトナム移民を迫害し、カンボジア国内の共産勢力拠点も米軍に爆撃させた。このロン・ノルのクメール共和国に最も激しく抵抗したのが、マオイスト系共産主義革命組織クメール・ルージュであった。このグループは在パリのカンボジア人留学生たちによって1960年代に結成されたものだが、70年代の米軍のカンボジア爆撃とロン・ノルの弾圧政策によって急激に支持層を増やしていく。73年、ベトナムから米軍が撤退し、ロン・ノルは後ろ盾を失い、ポル・ポト率いるクメール・ルージュはカンボジア全土を掌握し、1975年にロン・ノルがアメリカに亡命、クメール・ルージュ政権が誕生し、国名を「民主カンプチア」とした。
 (とここまで書いて、資料を書き写すのに嫌気がさしてきた。カンボジア、ベトナム、アメリカの三つ巴戦争、中ソ対立による共産ベトナム対共産カンボジアの代理戦争、ポル・ポトの狂気のような原始共産制構想、大虐殺...。あの頃、私たちは何も知らずに一体何をしていたのだろうか。)
 1975年以前、ベトナム・米軍によるカンボジア人犠牲者の数は60万〜100万人、76年から79年のポル・ポト政権時代のカンボジア人犠牲者の数は100万〜300万人。カンボジア全土は廃墟と化した。
 1979年暮れ、廃墟同然のプノンペンに入城しポル・ポト政権を打倒したのはベトナム人民軍。元クメール・ルージュ将校でベトナムに亡命していたヘン・サムリンを擁立してベトナム傀儡政権である「カンプチア人民共和国」が誕生。
 このCDの音楽が作られた「現時点」はここなのである。
 ベトナム傀儡政権へのレジスタンス組織クメール人民民族解放戦線(FNLPK)は、シハヌーク治世時代(1967年)の元首相 ソン・サン(1911-2000)によって1979年に創設され、その拠点をタイ国境に近いバンテイメンチェイ州アンピルに置いた。ソン・サンは右派共和主義者で、FNLPKは「虐殺政治クメール・ルージュの復帰阻止」、「ベトナム軍による占領の廃止」、「カンボジア再建」を3つの目標として掲げ、アンピルの難民キャンプから反政府ゲリラ攻撃をかけていた。しかし1番目の目標にも関わらず、FNLPKはクメール・ルージュとも手を組み、「カンプチア人民共和国」を打倒するために、ポル・ポト派、シハヌーク派、サン・ソン派は「三派共闘」を展開することになる。

 サン・ソンが クメール人民民族解放戦線のプロパガンダ活動に音楽が必要と、アンピルの難民キャンプで結成させたのが、このバンテイ・アンピル・バンドなのである。
 女性シンガー2人、男性シンガー3人、インストルメンタリスト5人(ヴァイオリン、キーボード、ギター、ベース、ドラムス)の10人組。 右の写真を見る限りでは、リーダーのウーム・ダラ(Oum Dara。1940年生。ヴァイオリン、キーボード、作詞作曲)を除いてはみんな十代〜二十代の若者たちのようだ。
 ウーム・ダラは50年代にフランス人教師からヴァイオリンを学び、17歳で音楽で身を立てることを決意、ピアノなど他の楽器もマスターし、国立劇場つきの伴奏楽団やカンボジア国営ラジオで演奏するようになる。西洋音楽のコピーに飽き足らず、1960年25歳で作曲を始め、 その最初のヒット曲が人気女性歌手ロ・ソレイソティア(1948-1977。日本語版ウィキペディアには「(クメール・ルージュ)強制労働キャンプに閉じ込められている間に、死亡したと考えられている。」との記述あり)のためにウーム・ダラが作詞作曲した「Chas Chu Em」だった。その後数々のヒット曲を生むのだが、1975年クメール・ルージュが権力に就くや、抑留され、音楽活動を一切禁止されただけでなく、作曲した譜面は全て焼却された。音楽家たちの多くが「粛清」された中、ウーム・ダラは身分を隠し生き延びた。そして1979年、FNLPKを組織したソン・サンに招かれ、アンピルの難民キャンプに合流し、音楽監督としてキャンプの若者たちを養成して結成したのがバンテイ・アンピル・バンドである。
 バンドの楽器はベトナムのカンボジア侵攻に反対する国々(USA、タイ、マレーシア、マレーシア)で構成する機関(ライナーノーツには "ASEAN WORKING GROUP"と記述されている)から寄付されていてる。彼らはFNLPKのオフィシャルな行事の他、難民キャンプを回って演奏し、その歌は「ラジオ・クメール・ヴォイス」(またの名を「解放ラジオ」。シハヌーク派とソン・サン派の共同海賊放送で、タイから放送されていた)の電波で人々に知れ渡った。歌のテーマは、愛国、民族意識鼓舞、抵抗戦士賞賛、反ベトナム、反共産主義などで、もっぱらソン・サン派人民民族解放戦線のプロパガンダであった。
1982年、バンテイ・アンピル・バンドは "ASEAN WORKING GROUP"の支援で極秘のレコード録音を敢行する。バンドは陸路でタイのバンコクまで行き、次いで飛行機でシンガポールに至り、録音スタジオで一夜のうちに全曲を吹き込む。その際バンドは写真撮影禁止を厳命されていた。
 アルバム『CAMBODIAN LIBERATION SONGS(カンボジア解放の歌)』はバンテイ・アンピル・バンドが残した唯一の録音であり、1983年からLPとカセットで流通している。アジアで、アメリカで、フランスで、オフィシャルな配給経路を通さずに、口コミのみでアルバムは人の手に上り、幾多のカセットコピーが末端に広がっていった。
 英語とフランス語で書かれたライナーノーツは、このアルバム誕生の経緯に詳しいが、結論部にはこう書かれている:
このプロパガンダ・レコードはベトナム人(ベトナム系カンボジア政府軍)とクメール系反対勢力の内戦の時期に作られ、クメール民族が独立国としての主権と土地と文化を失ってしまうことの懸念を表現している。しかし1979年ベトナム軍侵攻以降のベトナム人移民の大流入の以前にも、ベトナム人は17世紀初頭からカンボジア国内に多く住んでいた。「複数の民族性」を認めようとしない傾向のあるこの国にあって、その先人たちの多くはカンボジアに骨を埋め、自分たちを「カンボジア人」とみなしていた。このベトナム人への恐怖が、歴史的に政治利用されたことはしばしばあり、このレコードは明白にレジスタンス運動への支持と「敵」に抗して団結するよう訴えている。

 ちょっと聞くと牧歌的でさえあるフォーク・ロックの数々。この解放と自由を希求するレジスタンスの歌は、一方ではその「敵」である特定の民族を攻撃・憎悪するメッセージを含んでいる、ということを無視してはいけない。いくら難しいと言われようが複数の民族性の同居は可能であり、実現させなければならないと思いますよ。

<<< トラックリスト >>> 
1. MY LAST WORDS
2. PLEASE TAKE CARE OF MY MOTHER
3. TUOL TNEUNG (THE HILLOCK OF THE VINE)
4. DON'T FORGET KHMER BLOOD
5. SEREKA ARMED FORCES
6. FOLLOW THE FRONT
7. I'M WAITING FOR YOU
8. PLEASE AVENGE MY BLOOD, DARLING
9. DESTROY THE COMMUNIST VIET !
10. LOOK AT THE SKY
11. VIETNAMESE SPARROWS
12. THE VIETNAMESES HAVE INVADED OUR COUNTRY

BANTEAY AMPIL BAND "CAMBODIAN LIBERATION SONG"
CD/LP AKUPHONE AKU1004
フランスでのリリース:2017年2月

(↓)BANTEAY AMPIL BAND "MY LAST WORDS"



(↓)BANTEAY AMPIL BAND "PLEASE AVENGE MY BLOOD, DARLING"



(↓)BANREAY AMPIL BAND "LOOK AT THE SKY"

2 件のコメント:

行川和彦 さんのコメント...

とても参考にさせていただきました。
ささやかながら僕もこのCDを
http://hardasarock.blog54.fc2.com/
で紹介しようと思っていますが、
このページをリンクさせていただいても構わないでしょうか?
御検討よろしくお願いします。

Pere Castor さんのコメント...

行川様

お世話になっております。
お返事が極端に遅くなってしまいました。申し訳ありません。
ブログの管理を長い間怠っておりまして、お恥ずかしい限りです。
掲載記事をお読み下さいましてありがとうございました。大変励みになります。
リンクや引用など、私の方では全く制限がございませんので、ご自由にお使いいただければ幸甚です。

よろしくお願い致します。
對馬敏彦