2016年1月17日日曜日

デルペッシュ・モード

『レール・ド・リヤン』
"L'air de rien"
2011年制作フランス映画
監督:グレゴリー・マーニュ&ステファヌ・ヴィアール

主演:グレゴリー・モンテル(執行吏グレゴリー・モレル)、ミッシェル・デルペッシュ(himself)、クリストフ・ミオセック(himself)
フランス劇場封切:2012年11月7日
フランスDVD発売:2013年3月27日

   2016年1月2日に69歳でこの世を去ったミッシェル・デルペッシュが、「落ちぶれた元人気歌手ミッシェル・デルペッシュ」という役で主演していた喜劇映画です。グレゴリー・マーニュ&ステファヌ・ヴィアール監督の初長編映画で、劇場公開時はあまり目立っていなかったと思います。今、デルペッシュが亡くなってから、こういう映画があったんだ、と再発見している人たちの方が多いのではないでしょうか。
 本人の名前で本人を演じているとは言え、クロノロジー的には実際のデルペッシュ経歴とは大いに異なるフィクションです。現実には90年代末頃から若い世代のアーチストたちに支持されてカムバックは事実化していたし、2004年のアルバム "Comme vous"の時のツアーは夏の大きなフェスティヴァル(フランコフォリー、ヴィエイユ・シャリュー)の看板にもなってましたし、2006年のデュエット・アルバム"Michel Delpech &"はアルバムチャートの1位に輝いた、といった具合。それに対して、この映画の中のデルペッシュは「かつてのスター歌手」であり、30年間人前に出ずに、人知れず田舎の一軒家で一人暮らしをしている、いわば隠遁者です。ところが金回りが良かった頃とあまり生活消費のリズムを変えていないため、税金・罰金の滞納、未支払いの請求書は溜まっていくばかり。
 映画の主人公は、グレゴリーという名の30代の男で、職業は法廷執行吏(ユイシエ・ド・ジュスティス)です。これは、裁判所の決定に従って罰金・税金・不支払い金などの徴収を強制的に執行する役人のことで、その取り立てに居留守を使ったりトンズラ不在にしている家のドアを壊して、家具や家屋を差し押さえたりするので、市民にはとても怖い役人です。まあ、並の神経の人にはできない職業です。執行日にはたとえ相手が病気入院中でも取り立てに行きます(そういうシーン出てきます)。情状酌量なし。弱者・貧者の事情など聞く耳を持たない。とにかく取り立てを執行する、という役人です。このグレゴリーはフランスの地方部で長年の友人で執行吏のマックスをパートナーにして、二人でユイシエ事務所を運営しています。マックスの方が先輩格で、シニカルで冷徹で陰険で、仕事現場では高圧的でサディスト的ですらある絵に描いたようなユイシエ。ところが、駆け出しのグレゴリーの方は明らかにこの仕事に向いていない温情派で、いろいろと仕事上のストレスを溜めています。
 こういう好きでもない仕事で生きている冴えない男が、ある日を境に、活き活きとした男に変身してしまう。タイトルの "L'air de rien"は、「気がつかないようななんでもない風情の」もの/人のことで、それが逆のことになる(逆のことをする)というつながりがある時に使われ、「見かけによらず」「何気ないふりをして」といった意味になります。冴えない男は、極端に冴えない男になって莫大な負債を抱えている元スター歌手に出会って、一大奮起してあの手この手でミッシェル・デルペッシュ復活を実現させてしまう、というストーリーです。
 そのあの手この手というのがクセモノで、彼のユイシエ事務所に裁判所から取り立て執行依頼が来ているファイルの中から、騒音法や風営法やその他で「客」となっているディスコやバーやコンサートホールなどを抜き出して、その追求の手をゆるめるからという柔和策、あるいはその逆でその追求を倍にすることだってできるんだぞというオドシという強攻策を使って、無理矢理それらのハコを使って、その地方一円でミッシェル・デルペッシュ・コンサートツアーをオーガナイズしてしまうのです。ここから映画はフランス最深部を行くロードムーヴィーとなります。まさにデルペッシュ往年のヒット曲「ロワール・エ・シェール県」の絵です。田園の真ん中のディスコ、地方巡業モーターサーキットの余興スタンド、倉庫街の端っこのロフトライヴ小屋...。 デルペッシュは最初半信半疑なのですが、それでも(たとえカラオケでも)マイクを持たせたら花形歌手、人は徐々に集まってくるのです。特に年配のご婦人方ではありますが...。
 ユイシエの事務所に週半分も出勤せずに、隠れてデルペッシュ・ツアーのマネージメントをしているグレゴリーの実態をマックスは見破ってしまいます。 そしてユイシエという裁判所直属の公務執行人という職業的デオントロジー(あ、難しいこと言いますが、要するに役人の杓子定規ということです)から、グレゴリーを告発して、この職業から追放してしまうというエンディングです。しかしグレゴリーには後悔はないのです、当たり前ですけど。

 デルペッシュのいいシーンたくさんあります。ある町のコンサートの終わりに、サイン会をしていたら、遠い過去にこの町に巡業にやってきたデルペッシュと一夜を共にしたらしい女性が現れます。「近くに来ることがあったら、必ず連絡するって言ってくれたのに。私ずっと待っていたのよ」と真顔で話す美しいクーガー女性。デルペッシュはもちろん憶えているはずもなく、相槌も呆然としていて、遠い遠い目になってしまいます(すごくいい顔)。
 またツアーが調子に乗り始めたら、グレゴリーと逗留した地方ホテルの美しい女性従業員に目をつけ、グレゴリーに「こういうのはツアーにつきものなんだら、誰もなんとも思わないよ。この町にもう二度と来ることだってないだろうし。なあ、あの娘チャーミングだから口説いて来いよ」なんていうセリフを言うのですよ。芸能界が少しずつデルペッシュに戻っていくのです。
 そしてこの映画の白眉です。某町で、同じ日にミオセックのコンサートとバッティングしてしまうのです。90年代ヌーヴェル・シャンソン・フランセーズの騎手のひとりで、全国に熱心なファンを持つ現役の野生派(酔漢)アーチストです。グレゴリーとデルペッシュはそのミオセックのコンサートを告げるポスターを見るや「こりゃあ、今夜は客ひとりも来ないなぁ...」と不戦敗を予想していました。ところがその夜、デルペッシュのコンサートのポスターを見たミオセックが、「俺、昔からファンでさぁ...」という顔でお忍びでやってくる。そして飛び入りでデルペッシュのステージで「ル・シャスール(猟師)」をデュエットで歌ってしまうのです。その夜 "アフター"で、デルペッシュとミオセックは意気投合の至福の酒で、シャンパーニュの瓶がボンボン開き、コンサート売上を全部飲み干してしまい...。

 世間知らずの元花形歌手という惚け役で始まり(アマチュア無線が趣味という渋い設定も)、だんだん大物感が戻ってくる不思議なキャラクター。自己パロディーとは言え、その懐の深さでグレゴリーも引っ張られていく、現役田舎人デルペッシュの怪演。撮影は2011年ということなので、まだ発病していなかった頃でしょう。何気ない演技に(l'air de rien)、デルペッシュからにじみ出る深い慈愛のようなものを見ない人はいないでしょう。

カストール爺の採点:★★★☆☆ 

(↓ 映画『レール・ド・リヤン』予告編)



追記(2016年1月18日)

これがデルペッシュの事実上の「白鳥の歌」。
2014年4月発表の子供向け(キリスト教聖書)音楽劇『ドリー・ビブル(Dolly Bibble)』(ナターシャ・サン・ピエール、アモリー・ヴァシリー、ユーグ・オーフレイ、フィリップ・ラヴィル、デイヴ...)の中の一曲 "LA FIN DU CHEMIN(道の果て)"。これは旧約聖書の主なエピソードを子供にわかりやすい音楽劇にしたもので、デルペッシュはその中でアブラハム(最初の預言 者)の役で出ていて、この歌はアブラハムの死を歌ったものだが、この1月2日以降は、デルペッシュが自らの死を歌った最後の歌のように聞かれるようになっ たものです。録音は2013年秋。

さあこれが私の地球上での
道の終わり
私はあなたのもの
私を迎えたまえ
我が父よ
さあこれが私の魂
兄弟たちよ
涙を乾かしなさい
私は光り輝くところへと
去って行く

親愛なる皇帝よ
両腕を開いて迎えておくれ
私はもうすぐ到着する
私のことを思い
私を待っていておくれ
私はもうすぐ到着する

さあこれが私の地球上での
道の終わり
私はあなたのもの
私を迎えたまえ
我が父よ

さらば人生よ
私は私の幸運を
祝福する
真実と
永遠が始まる

始まる
始まる

真実と
永遠が始まる
(さようなら、良い旅路を)

(↓ "La fin du chemin 道の果て” オフィシャル・クリップ)

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