2013年11月3日日曜日

Amour debout (直立の恋)



ある日悪魔がその獲物たちを監視するために地球にやってきた。悪魔はすべてを見、すべてを耳にした。すべてを知ったあと悪魔は向こう側に帰って、大晩餐会を開いた。宴の最後に悪魔は立ち上がり、こう演説した。
万事良好だ。
地球上ではそれを照らす火がまだあちこちに燃えている。
万事良好だ。
人間たちは狂ったように危険な戦争ごっこをして愉しんでいる。
万事良好だ。
理想で頭がいっぱいの男たちが線路に爆弾をしかけ、列車は大音響とともに脱線する。この死者たちはこれまでにないものだ。懺悔もなく死んでいく者たち。懺悔しても容赦なく殺される者たち。
万事良好だ。
なにもかも全く売れないが、すべては買収されている。名誉も聖性すらも。
万事良好だ。
国家はこっそりと株式会社に変身している。
万事良好だ。
大人たちは子供たちの国で作られるドル札を奪いあっている。
ヨーロッパは『守銭奴』 (モリエールの劇)の稽古をしている。1900年の舞台背景をつかって。これは多くの餓死者たちを出す。そして国家の衰退も。
万事良好だ。
人間たちはこれらのことをあまりにも多く見すぎて、目がうつろになっている。
万事良好だ。
パリの区々ではもう誰も歌を歌わなくなっている。
万事良好だ。
人々は勇者たちを狂人あつかいし、詩人たちを間抜けと罵る。しかし世界のいたるところで新聞には卑劣漢たちがデカデカと顔写真を載せている。 それは正直者たちには苦痛でも、不正直者たちをおおいに笑わせるだろう。
万事良好、万事良好、万事良好、万事良好!
    (詞曲:ジャック・ブレル「悪魔(万事良好)」)

 1954年、パリのクリシー広場にあった大きな映画館ゴーモン・パラスで、無名の駆け出し歌手、ジャック・ブレルは、二本立て映画の幕間に余興歌手として出演して3曲歌いました。誰も歌なんか聞いていません。その2階席にジュリエット・グレコがいて、その大きな手、長い腕、長い脚、長い顔の歌手の出現に、「まるで猟犬のように」(グレコ自身の表現)体が固まってしまい、じっとその歌に聞き入りました。その横にジャック・カネティ(ピアフ、トレネ、アズナヴール、グレコ、ブラッサンスなどを発掘した名プロデューサー)がいて、彼女に「ジュリエット、興味あるのかい? 彼の名前はブレル、ベルギー人だ。オーディションするよ。一緒に見よう」と言いました。
 これがジャック・ブレル(当時25歳)とジュリエット・グレコ(当時27歳)の出会いでした。ブレルは無名でしたが、グレコは既に「サン・ジェルマン・デ・プレのミューズ」であり、オランピアでショーを打ち、国際ツアーにも出ているスターでした。
 オーディションの末、グレコはすぐさまこの曲「悪魔(万事良好)」を「私がいただくわ!」と申し出ました。「当時彼にはこの曲を成功させる手だてはなかったけれど、私にはあったのよ」(2013年10月28日、ル・モンド紙掲載のヴェロニク・モルテーニュによるインタヴューでのグレコ談)。

 「でも他の曲は全部あなたが歌うのよ」と私は彼に言った。彼はこのことを一生忘れなかった。この日から彼の死の時まで、私と彼は愛し合っていた、直立の恋として。」
      (同インタビュー)

 昨日雑誌原稿を準備していて、ここまで書いて、私は筆が止まってしまいました。この "Amour debout”というグレコの表現をどう訳したものか、どう説明するべきか、と頭を抱えてしまったのです。"Amour debout"(立ったままの愛)とは、"amour couché"(横になった状態の愛)ではない、ということだと理解はできます。つまり一緒に横になったりはしない、ベッドを共にしたりしない、プラトニックな恋愛であった、ということなのでしょう。しかしこれを「プラトニック」と訳してしまうと、この "debout"の含意する潔さ、折り目正しさ、凛とした姿勢みたいなものが消えてしまうのではないか、思ったわけです。グレコは恋多き女性でした。ブレルもまた恋多き男性でした。これを「アーチストだから」という月並みな理由で説明するつもりはありません。しかしこの偉大なアーチストふたりが、出会ったとたんお互いに「この人には触れたらいけない」という別格・別次元のリスペクトと愛を直感したのではないか、というのが私の(過剰な)解釈なのでした。
 "Amour debout"、直立の恋、なんと美しい表現なのだろう、としばらく感動しておりました。

 しかし、フランス語というのはそんな感動をかき消すように...。グレコの表現とは全く関係がないと断言しておきますが、辞書やインターネットで "amour debout"という言い方を調べていきましたら、"faire l'amour debout"というのにぶつかりまして...。この表現になっちゃうとですね、立った状態で愛情交わりをすること、つまり性体位のひとつで「立位」と呼ばれるセックスをすることなんですね。こうなっちゃうと、私の心はぐじゃぐじゃになってしまうのですよ。一日を棒に振った感じ。

(↓ジュリエット・グレコ「悪魔(万事良好)」1954年)

 

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