2012年6月19日火曜日

マリールーはいつつのカタカナ

『われらの世界へようこそ』
"Bienvenue Parmi Nous"

2012年フランス映画
監督:ジャン・ベッケル 
主演:パトリック・シェネ、ジャンヌ・ランベール、ミウミウ

フランス公開:2012年6月


 初に言っときます。プレスから酷評されてます。それがまた、そそるところではあるのですが。とにかくこのシナリオの単純さと甘っちょろさは、シネフィルならずとも一目瞭然のものではありますが、それを超えたなにかがあって、私の琴線をおおいに震わすものがあります。
 少女の名前はマリールー。自己紹介はこうです「わたしの名前はマリールー、あの歌と一緒よ」。うっそだぁぁ。これ、まずい、と思ってしまった時には既に遅く、この映画の随所で、ミッシェル・ポルナレフの『グッバイ、マリールー』の流麗な旋律が流れるのです。この映画はポルナレフ『マリールー』が、いかに完成度の高い名楽曲であるかを思い知らされる作品です。夕日に似合う,浜辺に似合う,老人の物思いに似合う,そして別れの場面に似合う(なにしろ「グッバイ」と歌ってるのだから),そういう映像にどんぴしゃにシンクロする曲なのです。逆に言うと,この映画は壮大なる(この曲の)ヴィデオ・クリップのようでもあります。この辺がね,映画批評家の攻撃のタネになりますわね。
 タイヤンディエ(演パトリック・シェネ)は60歳を過ぎた老画家で,妻アリス(ミウミウ)とイル・ド・フランスの風光明媚な田舎に住んでいます。コローが描いたようなグリーンな環境にある田舎家です。子供たちと孫たちが時々やってきますが,老画家は不機嫌で,何を見ても不愉快で,その厭世観はただものではありません。画家として名声を得たにも関わらず,もう10年も絵筆を持つことができない状態です。インスピレーションの枯渇。何もかも投げ出したい。生きている意味などない。絵に描いたような鬱老人です。
 ここが私は弱いと思いました。全然芸術家の鬱に見えない。普通人のストレスとさほど変わりないパトリック・シェネの苦悩の演技。唐突に老画家は銃砲店に入り,猟銃を購入して,自殺を準備します。愛する妻に手紙を残して,自殺行に旅立ちます。ところが死にきれません。
 車での雨の夜の彷徨いの果てに,助手席のドアを開けて「乗せてってちょうだい」と闖入する少女あり。「家を追い出されちゃったの。町まで連れていって」。俺と何の関係があるのか。老画家はそれどころではない、俺は死にたいのだ、という神経衰弱の頂点(そうは見えない)で、強引な少女に押し切られて、車の同乗を許すのです。
 少女マリールー(演ジャンヌ・ランベール。新人。初出演)のバックボーンは郊外集合社会住宅(シテ)で、母親と二人暮らしだったのが、母親に暴力的な愛人が出現して二人の巣に入り込み、邪魔になった娘を追い出したのでした。暴力に弱い母親。しかもこの娘(15歳。溢れ出る青い色気)が、愛人を誘惑してしまうのではないかと疑う、 嫉妬深くも母親とは思えないような母親。この辺りの描写、とっても弱くて、単純化しすぎてますね。なぜなら、最後は母親と娘の愛情の復活という大団円があるわけですから、母親のこともっと掘り下げるべきでしょうが、どうなんでしょうか。
 この「溢れ出る青い色気」というところは、ひとつのリファレンスがあります。それはジャン・ベッケル自身の映画『殺意の夏』(1983年)のイザベル・アジャーニなのです。少女は蓮っ葉な装いと厚めの化粧が好きで、野卑な言葉を使い、無作法で激情的です。どこにでもあるような怖いもの知らずの不良郊外少女でしょうが、その野性的なところはアジャーニのクローンのようです。おまけにこの映画では『殺意の夏』が深夜テレビで放映され、母親の愛に飢えたマリールーが、映画の中のアジャーニに自己投影して、さめざめと泣くというシーンがあるのです。
 家に帰れない老画家と、家に帰れない少女。この共通項が二人を遠出させるのです。長い時間車を走らせ、着いたところは特定されていません。私は映画誌の資料で、そこがフランス西海岸、ポワトゥー・シャラント地方であることを知ります。未成年誘拐罪が立件してしまうこの逃避行をカムフラージュするために、タイヤンディエはマリールーを娘と称して、海辺の週貸し一戸建て別荘に住み込みます。同じく映画誌の資料で、私はそこがレ島(イル・ド・レ)であることを知ります。レ島、ラ・ロッシェル、ロッシュフォール、内陸湿地帯のマレ・ポワトヴァン... それはそれは美しいポワトゥー・シャラント地方の風景で、そこにポルナレフ『グッバイ・マリールー』の流麗なストリングス間奏部が流れたりするもんだから、まるで...音入り絵はがきのようなもんです。
 行儀の悪い少女、町で遊ぶのが好きな少女、扇情的な格好をする少女、タイヤンディエはこの少女との奇妙な共同生活で少しずつ変化していきます。そして 二人の共犯関係は、生を捨てかけていた老画家に、再び絵筆を持たせるという奇跡(そんな大げさな)を起こすのです。海水から上がってきた15歳の瑞々しい肉体が、レ島の砂浜に横たわった時、老画家はスケッチブックに多色フェルトペンで夢中になって描き始めるのです。「わお、おっちゃん、絵ぇうまいやんけ。これいっぱい描いて、日曜市で売ったらもうかるで。10枚やったら100ユーロはかたいんちゃう?」と事情を知らない少女は無邪気に言うのですが、著名老画家はその評価に反論して「いいや、200ユーロはいけるだろう」と言うのです。私、ここのダイアローグ、いいなあぁ、と感心しましたね。
 タイヤンディエの絵をレ島の日曜市で売る、この卓抜なるアイディアを実行するべく、スケッチブックを買いに行ったキオスクで一緒に買った新聞で、老画家はマリールーの母親が愛人に殴打されて瀕死の重傷を負ったという記事を見つけます。(これもあり得ないでしょう。こんな三面記事以下のニュースを新聞紙面の半分使って、被害者の大きな顔写真が出るなんて。弱いシナリオだなあ....)
 二人の共同生活はここで終止符を打ち、病院にかけつけ、マリールーは命をとりとめた母親と和解します。タイヤンディエはアリスの待つ家に戻り、マリールーを描く絵に取り組みます。母親の入院生活が終わり、マリールーを母親の住む郊外集合住宅(シテ)に送っていき、老画家と少女は別れます。それぞれの再出発。車を出発させ、バックミラーでマリールーの姿を見ながら..... われわれはここでミッシェル・ポルナレフ『グッバイ、マリールー』 をフルコーラス聞かされることになるのです! エンドマーク。
 いったい、どうしたらいいんですか、こんな映画。

(↓ 『われらの世界へようこそ』予告編)



(↓ Youtube アマチュア投稿によるクリップ『グッバイ、マリールー』)


2 件のコメント:

マリルー さんのコメント...

はじめまして。
九州在住の、還暦のマリルーです。
よろしくお願いいたします。

フランス・ギャルで偶然拝見し、大好きなポルナレフの記事を、もしや?で検索しましたらマリールーが・・!!!
しかも、2年前の映画に採用されていたとは・・。
フランスでは、ヒットしたそうですね。ヌーベル・スターで有名になったクリストフ・ウィレムさんが歌うマリールーが、ポルナレフより軽くて好きなんですけれど。(笑)

ポルナレフは、'72のホリデーからのファンで、こちらの田舎でも3回ほどコンサートがありました。ヒット曲がなくなってからは国内のCDもなく、長い間寂しい状態でした。何故か?シェリーにくちづけだけは、いまだにCMなどに起用されていますけれど。

とてもとてもシャイだったポルナレフを、ユーチューブで観れるような環境になり嬉しい限りです。

これからも、たまにおじゃましたいと存じます。
お付き合いくださり、ありがとうございました。

Pere Castor さんのコメント...

九州のマリルー様、コメントありがとうございます。極端にコメント投稿の少ないブログなので大変励みになります。
11月末にクリストフ(1945 - )のワンマンコンサート(ピアノ、ギター、エレクロニクス)をパリのトリアノン劇場で見ました。ポルナレフと同世代にして、60年代にポップスターになって、70年代から隠遁者になる、という同じような道を辿るのですが。それでもクリストフの方は10年に一度くらいの割で作品を発表するし、稀にコンサートも開いて、ファンと共にゆっくりと歳をとっていく、という、幸福な年輪の積み重ねがありまして、心温まる2時間コンサートでした。それにひきかえナレフ様は、永遠にシクスティーズ/セヴンティーズの頃のスーパースターでないと自尊心が許さないので、構え&前触れだけは大げさにしながら、人前に出せない/出れないという怖じ気づきの日々をもう30年も続けています。2007年の"Ze Re Tour"のコンサートにも、この6月の復活予告映画"Polnareff Le Film"も見に行きましたけど、悪く歳とってしまったなぁ、という悲しい印象でした。
また遊びに来てください。
ちょっと早いかもしれないけれど、 Joyeux Noël à toi.
カストール爺