ノジャン・シュル・マルヌはパリの東側の郊外の町で、その名の通りマルヌ川の北岸に位置し、西隣はヴァンセンヌの森(パリ市に属します)です。17世紀には画家ワットーが好んで描いた風光明媚な森林河川の自然があり、現在は人口3万人強の住宅町で、マルヌ川沿いにかなり豪奢な館も並んでいて、裕福さがそこはかとなく感じられますが、20世紀前半にはこのマルヌ川沿いにガンゲットと呼ばれるアコーデオン・ダンスホール兼レストランが立ち並び、民衆の週末娯楽としてたいへんな人気を博しました。「ミュゼットの女王」と呼ばれたイヴェット・オルネールもこの町の出身です。また「小さなイタリア」と呼ばれるほど、産業革命期にイタリア移民が多く住み着いた町です。
さてこのノジャンの町に、かつてイタリア出身移民労働者の女性たちが多く働いていた羽毛細工工場がありました。今はその工場跡地に新しい住宅区画が開発され、そのデブロッパー会社とノジャン市が、そのまさに「プティット・イタリー(小さなイタリア)」と名付けられた新街区入口の小さな広場に、羽毛細工工場の女工たちにオマージュを捧げるモニュメントを作ろうという話になりました。
それは北イタリア・エミリア=ロマーニャ州(州都ボローニャ)のヌーレ渓谷地方から移住してきた女性たちがほとんどだった、ということで、モニュメントは『ラ・ヴァルヌレーズ(ヌーレの谷の女)』と名付けられ、羽毛細工女工の姿の銅像(高さ2メートル)とする市長案で、2011年の市議会で投票によって可決されました。しかしノジャンの市長ジャック・JP・マルタン(大統領派与党UMP)は、その議決の時に、最も重要なことを議員たちの前で明らかにしていなかったのです。
そのイタリア人羽毛細工女工の銅像のモデルとして、ノジャン市長は大統領夫人カルラ・ブルーニ=サルコジを選んだのです。「フランスのファースト・レディにして、最もイタリア的なフランス女性」というのがその理由だそうで、依頼を受けたカルラ・ブルーニ=サルコジは、その名前がモニュメント上に明記されないことという条件でモデルとなることを引き受けたのでした。
2012年2月11日に、このノジャン市長の突飛なアイディアがメディアで明らかになったとたん、フランスでは大変な論争が巻き上がっています。反対派は「女工へのオマージュのモニュメントが大富豪の娘の顔を持つというのは労働者階級への侮辱である」、「大統領夫人の銅像を作らせるのは、北朝鮮の指導者個人崇拝と同様にグロテスク」と抗議します。市長派は「これはフランスに移住したイタリア人女性のシンボルとして大統領夫人をモデルにしたものであって、 カルラ・ブルーニの銅像ではない。」と説明します。
銅像の完成は2012年5月。
お立ち会い、よろしいですか、この時にサルコジ王朝はちょうど終焉しているはずなのです。(終焉していなければならない、と言い換えてもいいです)。この5月、私たちは王朝の最期を祝って町に出るでしょう。その行進の波はバスチーユ広場から東に向かって、ヴァンセンヌの森を越え、ノジャンの町まで行くでしょう。民衆がレーニン像や、サダム・フセイン像や、カダフィ像を倒したように、私たちはその像を倒すでしょう。
(↓2012年2月APのニュース)
2 件のコメント:
カストールさま
こんにちは。
今年はフランスも北海道も寒い冬となりましたが、
お元気でお過ごしでしょうか。
サルコジ王朝の終焉を心から祈る者のひとりです。
その暁には、みなさんの勝利の行進が
華々しく行われるのを楽しみにしています!!
On va gagner !!
おお、北海道のkayさん、寒かろうねえ。パリはおとといまでの極端な激寒に比べたら、今日は大分和らいで現在気温6度。
明日(水曜日)サルコジが正式に立候補を表明するらしいです。冬はまだ終わってませんが、この冬も極寒で路上生活者には死者が出ました。一方で石油会社TOTALが原油値上げに便乗して史上最高の黒字を記録し、おまけにその活動の大部分が外国でされているので、フランスにほとんど税金を落していない。そしてこの一ヶ月、毎日ガソリン価格は最高値を更新している。
今朝ラジオRMCのジャン=ジャック・ブールダンの聴取者ダイヤルインのトーク番組を聞いていたら、二人の聴取者(フツーの市民)が異口同音に今日のこの状態は「革命前夜だ」と言いました。Ca va péter. 民衆が黙っていられる限界はとうに越しているように思います。今にもこんな歌が聞こえてきそうな...。
http://www.youtube.com/watch?v=bzu01gO3pi4
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