2015年10月30日金曜日

火事になれば、またあの人に会える

フ〜!シャタートン『ここでは日の光(がすべてを覆いつくした)』
Feu ! Chatterton "ICI LE JOUR (A TOUT ENSEVELI)"


  2013年はストロマエ、2014年はクリスティーヌ&ザ・クイーンズ、そして2015年はこのフ〜!シャタートン。このクラスのアルバムに出会えるのは幸運です。まずバンド名は18世紀イングランドの詩人トーマス・チャタートンに由来します。中世英語詩の贋作者、困窮の中で17歳で服毒自殺した不遇の異才として、今日もカルト的評価を受けている人のようです。
 アルチュール・テブール(ヴォーカル)によると、インスピレーションは詩人そのものよりも、ヘンリー・ウォーリス(1830-1916)が描いた絵「チャタートンの死」(ロンドン、テイトギャラリー所蔵)の方が強烈で、この若き詩人の死に顔の美しさとその妖気のように立ち上がる悲劇性に心打たれ、絵に描いたようにドラマチックなバンドを象徴するにはこの名前しかあるまい、と。 "Feu"はフランス語では敬意を込めた故人への接頭形容詞で "Feu mon père"と言えば「今は亡きわが父」という意味になります。だから "Feu Chatterton"は「故チャタートン」なんですが、これに「火」の意味の"feu"をかけるんですね。"feu!"とエクスクラメーション・マーク(!)がつくと、火を放て、点火せよ、(ロケットなどの)発射せよ、(銃を)撃て、発砲せよ、という意味で使われます。だから"Feu ! Chatterton"は、「今は亡きチャタートンよ、キラ星のような詩才を世に認められず貧困のうちに自死した少年詩人よ、もう一度立ち上がって火を放て、世に復讐せよ」みたいなストーリーが込められた、優れて詩的なバンド名なのです。ここに既にネオ・ロマンティスムの炎が見えるようではありませんか。
 さてこの5人組は、2014年からル・モンド、テレラマ、レ・ザンロックといったメディアとSNS上でおおいに騒がれておりました。ダンディズム、ロマンティスム、エレガンス、文学性、映画性... 盛り沢山の要素を5人でできるバンドなのです。抒情系シャンソン・フランセーズ、港酒場系ロックン・ロール、(フランソワ・ド・ローベ風)映画音楽、プログレッシヴ・ロック....みたいなものがゴッチャになった音楽に、アルチュール・テブール(27歳)のフランス映画決めゼリフ風なヴォーカルがフィーチャーされます。ロマを想わせるエキゾチックな顔立ち()、無造作長髪、口ヒゲと(ネクタイ締め)テーラードスーツ、絵になる男です。こうなるとフランスのメディアはすぐに「ゲンズブールだ、バシュングだ」と大味な比較をするわけですが、趣味のわかる人たちは feu エルノ・ロータ(ネグレズ・ヴェルト)、feu ジルベール・ベコー(ムッシュー10万ボルト)の面影をそこに見つけたのでした。
  
  )あ、ロマとは関係なさそうでした。これで決めつけてはいけないんですが、Teboul という姓は、アラブ語の太鼓 "tubûl"に由来するとされ、北アフリカのセファラード系ユダヤ人が多くこの姓を名乗ったと、いう説明をここで見つけました。

 出てきた当初は、2013〜2014年フランスを湧かせたバンド、フォーヴFauve )と比較されもしました。フォーヴは青春残酷篇のようなスラム(フランス語)、ヒップホップ、抒情ギターロック、情景音楽、ヴィデオ(+ペインティング、写真)でのステージパフォーマンスが話題でした。CDだけではちょっとわからないところありますよ(わからないのは私だけか)。2015年の ROCK EN SEINEで見ましたが、若い衆の熱狂は大変なものでしたけど、若いという字は苦しい字に似てるわ、ですよ。それにひきかえ、フ〜!シャタートンは何枚も役者が上と私は思うのであります。

 2014年のEPに続いて2015年10月に出た初フルアルバムが『ICI LE JOUR (A TOUT ENSEVELI)』(ここでは日の光がすべてを覆いつくした)です。アルバムタイトルがもう何かの始まりのようです。フロントカヴァーの絵は19世紀象徴派の画家オディロン・ルドン(1840-1916)の「目を閉じて(Les Yeux Clos)」という作品です。目を閉じて光に覆われるのを待っているような図です。そしてジャケットを開くと、濃紺の下地塗りの二つの面の真ん中に白い小さな活字で、"LA, ENFIN, TOUT BAIGNE"(そして、やっと、すべては良好だ)と書かれてあります。長い夜の終わりを思わせるドラマチックな幕開けです。この2行はアルバムの終曲(12曲め)「カメリア」の歌詞の最初の2行です。
日の光がすべてを覆いつくした
そしてやっとすべては良好だ
赤く凶暴な静寂の中で
なあ、おまえは血を流しているのか?

うちは赤いカメリア、かめしまへん。ー などと続くわけないでしょ。ここでは悪の赤い華の香りに酔うボードレールのようなものを想ってくださらないと。

 スウェーデン、イエテボリのスヴェンスカ・グラモフォンステュディオン での録音です。この録音スタジオでは過去にストーンズ、ボウイー、マイルス・デイヴィス、スティーヴィー・ワンダー、レッド・ゼッペリンなどがレコーディングしています。ゼッペリンというのが曲者で、この5人の若者のリセの時の共通した超愛聴盤というのが、"ゼッペリン IV"なのだそうです。なんですか、私の高校(リセと言うにはちょっと...)時代と変わらないじゃないですか。閑話休題。プロデュースはサミー・オスタ。5人とこのオスタが伝説のスタジオで大はしゃぎしている図が目に浮かぶ、そんな音です。ホームスタジオとは違って、古いスタジオには古い機材・楽器・エフェクトがたくさんあって、それを全部使ってみようか、というサービス精神溢れるサウンドです。1曲1曲にマキシマムの音、マキシマムの効果、マキシマムの演出を詰め込んだような音楽です。今月はこの前にベルトラン・ブランの新アルバム『ウォーラー岬』 (拙ブログの紹介はここ)を聞いたのですが、ブランのミニマルな音、ミニマルな歌詞、ミニマルな編曲と比すれば、全く正反対の性質の大詰め込みアルバムと言えましょう。
 ヴォーカルは表現的で、情緒の揺れに敏感で、適度にワイルドで、ボクシング的抑揚があり、不良訛りがあり、文学的と言うよりハードボイルドな不良ロマンティスム的です。ほとばしるセンチメンタリズムもなかなか。このアルバムでは曲によって小さなホールのロックショーのようにヴォーカルが割れた音で録られているのがとても効果的です。こんな魅力あるヴォーカリスト、feu ジョー・ストラマー以来かもしれません。
 ロックンロール、シャンソン、ラテン、プログレ、映画音楽... アルバムの中で唯一のインスト曲で8曲めの"VERS LE PAYS DES PALMES(やしの国の方へ)”(日本語題でカタカナで「アイスクリーム」と印刷されている)は、まさにフランソワ・ド・ルーベの叙情的な電子系映画音楽のような1分29秒。そのあとの9曲めがニューヨーク、ハーレムの情景を絵画的&映画的に描く6分14秒の「ハーレム」という曲。この流れ、グッと来ます。
 曲はつぶ揃いです。既にYouTubeで公開されている "BOEING(ボーイング)"(7曲め)、"LA MORT DANS LA PINEDE(松林の中の死)”(3曲め)、"LA MALINCHE(マリンチェ)”(10曲め)などで確認してください。みな素晴らしいです。
 で、その詞はどんなふうかと言いますと、私にとってのベストトラックである11曲め "PORTE Z ( Z門 )”を訳してみましょう。
平原と子供たちの合唱
これほど美しいものはない
今日、夜は幕のように落ち
若者たちは行ってしまった

夜は金属シャッターのように落ち
若者たちは行ってしまった
よその平原に
アレルゲン質の自由な空気があると夢見て

そして昼には
夏の色、春の色があった
何千もの飛行機が
空に突き刺さっていった
でも俺たちは

何も怖くなかった

ようやく平原には
耳を聾する叫喚が巻き起こり
激しい怒りが口笛ヤジで張り裂けそうだった
そして若者たちは行ってしまった

青空は汽笛の響きで
ヒビが入りそうだった
そして若者たちは行ってしまった
千人も、平原の真ん中でにわかに形成された
酔いどれの一隊となって

酔いどれの一隊に混じって
彼らは行ってしまった
行ってしまった
行ってしまった

行ってしまったが
にわかに形成された酔いどれの一隊の中で
彼らは迷い
退屈しのぎに大きな薪の山を
平原のど真ん中に
平原のど真ん中に

そして昼には
夏の色、春の色があった
何千もの飛行機が
空に突き刺さっていった
でも俺たちは

何も怖くなかった
       ("PORTE Z") 

 わかります? 青春の終わり、最後の火、何も怖くなった日々にある夕、鉄の幕が降りるというイメージ。こういうランドスケープが見える音楽、ちょっと私今まで聞いたことないですよ。さあ、薪の山に火をくべよう。火を!チャタートン。Feu ! Chatterton.

<<< トラックリスト >>>
1. OPHELIE
2. FOU A LIER
3. LA MORT DANS LA PINEDE
4. LE LONG DU LETHE
5. COTE CONCORDE 
6. LE PONT MARIE
7. BOEING
8. VERS LE PAYS DES PALMES (アイスクリーム)
9. HARLEM
10. LA MALINCHE
11. PORTE Z
12. LES CAMELIAS 

FEU ! CHATTERTON "ICI LE JOUR (A TOUT ENSEVELI)
CD/LP BARCLAY/UNIVERSAL

フランスでのリリース:2015年10月16日

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)アルバム "ICI LE JOUR" ティーザー


(↓)ヴィデオクリップ「ボーイング」



 

2015年10月26日月曜日

夜をけえして

Johnny Hallyday "Retiens La Nuit"
ジョニー・ア(ハ)リディ『夜をかえして』
詞:シャルル・アズナヴール
曲:ジョルジュ・ガルヴァレンツ

 1962年制作、オムニバス映画『レ・パリジエンヌ(Les Parisiennes)』は、4人のパリジエンヌのショートストーリーを4人の映画監督が描くというもので、そのうちの第一話「ソフィー」は監督が巨匠マルク・アレグレ、主演カトリーヌ・ドヌーヴ(18歳)です。多感なリセ生ソフィーは、友だち仲間には、もうヴァージンじゃないのよ、恋人がいるのよ、と言いまくっている。半信半疑の女の子たちは、その現場をおさえるべく、夜、ソフィーを密かにつけていく。その実、ソフィーは恋人なんかおらず、その夜は無二の親友のところで過ごしている。なあんだやっぱりウソじゃん、と女の子たちは...。ソフィーは親にばれないように家に帰るために屋根づたいに。その途中、ある窓から貧乏なギタリスト、ジャン・アラール(ジョニー・アリディ。18歳)の姿が見える。恋の始まり。その夜ジャンはソフィーに、この夜をとどめておいて、Retiens la nuit、と歌うのです。

世界の終わりまで
僕たちふたりのこの夜をとどめておいて
僕たちの心のために、落ち着かなくせわしない時だけど
この夜をとどめておいて

きみの体で
僕をつよく抱きしめておくれ
狂おしい時
大恋愛は日が昇るのを止め
僕たちに生きることすら忘れさせてくれるはず

この夜をとどめておいて
きみとならば夜は美しい
この夜をとどめておいて
恋人よ、夜は永遠になる

僕たちのふたつの心の
幸せのために
時を止めておくれ
お願いだから
永遠に
この夜をとどめておいて

聞かないで、僕の悲しみがどこから来るかなんて
何も聞かないで、きみにはわからないことだから

恋と出会って、僕は遭難しそうになっている
この幸せを信じたら、恐怖は喜びの中に消えてしまう

世界の終わりまで
僕たちふたりのこの夜をとどめておいて
僕たちの心のために、落ち着かなくせわしない時だけど
この夜をとどめておいて.....

 さすがアズナヴール/ガルヴァレンツの曲と言うべきか。美しくもパッションもりもりの歌ではありませんか。18歳のドヌーヴ、18歳のアリディ。この夜、忘れるもんですか!
 それにしてもこの日本語題「夜をかえして」はひどい。ちゃんとフランス語読める人なんかいなかったんだな、当時のビクター音産は。しかし日本語でも「夜をかえして」は女性の側からしか言えないセリフでしょ? それも男の裏切りというコンテクストがないと出てきようがないセリフ。かえせと言われてもかえせるもんじゃないですが。ドラマがとたんにまったく別物になる邦題。責任重いと思いますよ。

(↓)映画『レ・パリジエンヌ』(1962年)「ソフィー」篇の断片。ジャン・アラール(ジョニー・アルディ)がソフィー(カトリーヌ・ドヌーヴ)に歌う RETIENS LA NUIT。


PS
(↓)同じ映画から。ジャン・アラール(ジョニー・アリデイ)が夢想する晴れ舞台で歌う "SAM'DI SOIR"(邦題「土曜の夜のツイスト」)。ソフィー(カトリーヌ・ドヌーヴ)がツイストを踊る。うまいツイストです。




2015年10月24日土曜日

Your Love is King

『モン・ロワ』
"Mon Roi"

2014年フランス映画
監督:マイウェン
主演:ヴァンサン・カセル、エマニュエル・ベルコ(2015年カンヌ映画祭・主演女優賞)、ルイ・ギャレル
フランス公開:2015年10月21日

 ずタイトルである「王(roi)」ということを考えてみました。フランスは王がいない国になって150年近くになります。最後の王は第二帝政のナポレオン三世で1871年の第三共和制の成立によって失座しています。それ以来フランス人は王を知らないのです。隣国ベルギー、スペイン、英国、オランダ、ルクセンブルク、モナコ... などと事情が違う。たとえ立憲王制で、議会が国政を司っていても、平民じゃない人をその上に座らせておいている。この得体の知れない存在が王です。それが隣国諸王国では具体的な身体を持った存在です。フランスはそれをもう150年近くも知らないのです。王というのはフランス人にとってもう何ら具体性のない、おとぎ話なのです。絵本の世界なのです。話を日本のことにしますと、2015年の今日、大変な問題であるかの悪法が国会で成立する前に、一部の人々は、常々平和主義的な慈悲深いお言葉を垂れる平成天皇がこの悪法に関してひとこと言えば事態はおおいに変わるはずだ、と天皇発言を真剣に待望していたはずです。権力はなくても「ひとクラス上」のなにかを発揮できるものという漠然とした期待があったのではないでしょうか。
 得体の知れないひとクラス上、今先進国中の王国(日本も含めて)の王はそういうものです。ところがそれを忘れて久しいフランスでは、この「ひとクラス上」の感覚も忘れてしまっているような気がします。人権宣言の国ですから。人間はみんな平等ですから。

 さて前作『ポリス』(2011年)を大絶賛した(拙ブログ記事『警察は一体何をしているんだ』)私ですから、本当に待ちかねていたマイウェンの新作(長編映画第4作め)です。残酷で凄絶な恋愛映画です。2時間胸がキリキリ痛む映画です。
 これは2015年のカンヌ映画祭で初上映され、エマニュエル・ベルコが主演女優賞を受けました。そのベルコは同じ映画祭で監督として『こうべを高く(LA TETE HAUTE)』(拙ブログ記事『こうべを高く』)をオープニング作品として上映していて、2015年カンヌはベルコが目立った年として記憶されそうです。

 世に少ない数でしょうが、イイ男はいます。見栄えも良く、金もあり、ある分野で才能があり、インテリで、ソフトで話術が巧みで、必殺の魅惑視線、そして性が強い。こういう条件が揃えば当然ナルシスティックな男です。みずから「ひとクラス上」感覚が身についちゃっています。この絵に描いたような優男がヴァンサン・カセル演じるところのジョルジオです。風流人で、グルメ通・ワイン通・遊び通(個人プレー/団体プレー両方いけます)です。その上友人たちから信望も厚く、女性たちからはもちろん...。それに対して、トニー(男名前の愛称ですが、女性です。エマニュエル・ベルコ演)はどう見てもフツーっぽいのです。弁護士というハイクラスな仕事をする「できる女」でありながら、どこか花がない。控えめな30代女性として登場します。目立つプレイボーイのジョルジオのことは前から知っていたけれど、ジョルジオがわたしのことを覚えているわけがない、という先入観。ところが覚えているんですよ。「忘れるわけないさ、トニーなんていう名前の女」ー うまいなぁ。このシーンのためにマイウェンはこの名前考えついたのかもしれないですね。
 トニーの弟のソラル(ルイ・ギャレル)とそのフィアンセのベベット(イスリッド・ル・ベスコ = マイウェンの妹)と3人で来ていたナイトクラブでジョルジオと出会った(正確には再会した)その早朝、ジョルジオは3人を自宅に朝食に招待します。ジャガーを乗り回し、100平米のフラットにひとりで住むこの男は、広々としたキッチンで本グルメのプチ・デジュネを用意して出すのです。クール!
 ジョルジオの誘惑の手は早くてスマート。トニーに「また会えるかい?」と誘うやいなや、連絡方法はこれ使ってくれと自分の携帯電話(時代設定が10年前だからスマホではなくて、手のひらにすっぽり入るサイズのずんぐりむっくりケータイ)をポーンと投げ出す。それをトニーは見事にナイスキャッチ。あたかも相手のハートをキャッチしてしまったかのように。 ー マイウェン映画はこれがいかにカッコいいことかを証明するように、その場にいた弟ソラルに同じことをさせるのですが、ソラルがバベットに投げたケータイはキャッチに失敗して地面に落ちてグジャっと壊れてしまうのです。ソラルは自問します「なんであいつにはできて、俺にはできないんだ?」ー それがひとクラス上ということなのです。
 しかしトニーには不安とコンプレックスがあります。このイイ男は私には不釣り合いである。なぜ私のようなフツーの女に接近してくるのか。これは真剣なことではない。しかしあれよあれよと言う間に二人は惹き合い惹かれ合い、初めてベッドを共にすることになります。情熱的な行為のあと(マイウェン映画ならではの直接的でハードコアなダイアローグです)、トニーはこう聞きます「私のあそこガバガバでしょ?」ー これは世の男の「俺のものは小さい」と同じものでしょう。これは象徴的かつ具体的なコンプレックスで、自分は人より良くないんじゃないか、うまくできないんじゃないか、ひとクラス下なのではないか、ということなのです。ジョルジオは「一体誰がそんなこと言ったんだ?」と執拗に問いつめ、トニーが前の男だと告白すると、ジョルジオはその男の極小チンコを笑いものにし、そいつは connard (コナール:スタンダード仏和辞典の訳ではばか者、まぬけ)だと言うのです。

トニー:T'es pas un connard, toi ?(あなたはばかじゃないの?)
ジョルジオ:Non moi je suis le roi, le roi des connards (いいや、俺は王だ、ばか者どもの王様だ)
と、確信的な王様宣言をするのです。これは状況として冗談のように発言されているけれども、実は冗談ではなくなってしまうというのが、この映画の進行です。
 そしてこの最初の愛情交わりの夜に、ジョルジオはトニーに Je t'aime と言ってしまうのです。なんて早い!早すぎる!(言っときますけどね、Je t'aimeは一般に日本の人たちが想っているよりも百倍も千倍も重い言葉なのです。生死をかけて発語しなければならない言葉です。むやみやたらと使ってはいけない。とどめで必殺という機会でないといけない。その代わりそれが外れたら、自死も覚悟しなければならない、そういう言葉なのです。歌の文句のように思われたら困るんです)ー これが王のやり方だというのがだんだんわかってきます。
 二人は愛し合い、最高に幸福な瞬間瞬間があります。これはウソではない。そしてトニーが妊娠します。ジョルジオの喜びようは、茶々懐妊のしらせを受けた秀吉のよう(と言ってもフランス人にはわかるまい)。二人は結婚し、その数ヶ月後には愛し合うパパとママに祝福されてベビーが誕生することになっていた ー と見えるのですが、映画ですから、事件は起こります。ジョルジオの前の恋人だったアニエス(演クリステル・サン=ルイ・オーギュスタン)が自殺を図ります。このアニエスは第一線のマヌカンとして鳴らしたほどの美貌の持主ですが、激しい気性の持主で、4年間ジョルジオとつきあって別れたということになっています。ジョルジオは自死に至るまで心を病んでいたアニエスを放っておけないと、未遂事件後ひんぱんにアニエスを見舞うようになります。トニーは妊娠という大切な時期に、たとえ病んでいるとは言え元恋人のために出かけていくジョルジオに不信感が募って行きます。ジョルジオは「アニエスに会うのはもうこれが最後だから」というウソを連発します。
 俺は誰にも邪魔されずに仕事したい、誰にも邪魔されずに自由に遊びたい、きみも自由でいてほしい、というよくある身勝手な男の「自由尊重」理屈で別居婚を提案し、アパルトマンを用意してトニーと未来の子供を住まわせようとします。
 王国はこうやって徐々に出来上がっていくのです。王が自由に仕事し、自由に遊び、好きな時に妻と子供を愛することができる。トニーはこれを受け入れません。王のルールに従うこと、服従することを拒否してトニーは不幸になります。
 こう書くとジョルジオがマッチョな暴君に変身したように取られるかもしれませんが、映画はそんな単純な描写はしません。理屈はどうあれ、ジョルジオはイイ男であり続け、魅力的であり、トニーを(自分の理屈でという条件つきですが)真剣に愛していて、必死になって繋ぎ止めようとするのです。 この魅力は抗しがたい。だから妊娠後に二人の関係が一直線に冷え込んでいくかというとそうではない。大きな波のように上昇したり下降したりするのです。映画は臨月近い大きなお腹をしたトニー(たぶん特撮なしの生身演技。裸。)とジョルジオの幸福そうな性交シーンまで映し出します。
 ドラマは出産後にも起こります。この男児はジョルジオの発案であるかのように、ジョルジオによって「シンバッド」と命名されます。かの千夜一夜物語の船乗りの名前(日本ではシンドバッドか)です。勇壮でいい名前だろう、とジョルジオはこの名前がことの他お気に入りです。しかし後日、この名前の本当の発案者、つまり名付けの親はあのアニエスであることを知るのです。 ー 私の知らぬところで、勝手に、勝手にシンバッド!

 映画の始まりはその10年後です。10歳になったシンバッドと母親トニーがスキーに出かけ、山の頂上からトニーは(明らかに自殺衝動で)盲目的に直滑降し、膝関節を破壊する大けがを負います。手術のあと、再び正常な歩行ができるように、海辺にある大きなリハビリセンターに入院します。映画はトニーがこのリハビリ訓練を受けながら、痛く、苦しい思いをしている最中にこの10年間を回想する、という形式で展開します。出会い、激愛、諍い〜和解〜より深い諍い〜和解〜よりより深い諍い〜和解...、出産、諍い、離婚... トニーはボロボロなのですが、それはこの王の呪縛から逃れようとすればするほど、地獄に落ちていく、という日々でした。
 ジョルジオはいい父親なのです。シンバッドにとって本当にいいパパなのです。これほど素晴らしい父親は世の中にいるだろうか、というシーンが何度かあります。シンバッドも父親を世界一だと思っているに違いありません。
 リハビリの苦痛の中で、トニーは少しずつ「生への回帰」の希望を取り戻していきます。この時にこのセンターの中で知り合った若者たち(郊外あんちゃんたち。アラブ、ブラック、メティス...)との交流が、マイウェン一流の救いある笑いのシーンとなっています。うまい挿入部です。

 映画の終わりはリハビリが終って、生活に復帰したトニーが、シンバッドの学校から両親呼び出され、担当教師たちとシンバッドのその学期の成績評価などをする面談するシーンです。先に教師たちの前に着いていたトニーと面談が始まった直後に、ジョルジオが入ってきます。改めて教師たちが、シンバッドの評価を二人の前で始めますが、前期に比べてあの点が良くなった、この点が向上した、と良いことずくめ。それを涙も流さんばかりに感動&満足して聞いているジョルジオを、トニーはじっと見つめています。そういう終り方です。

 この王は良い王に違いない。そう思わせますが、王を認めてしまったら私はどうなるのか。その地獄の繰り返しの果てに、トニーはやはりふっと柔和な視線でジョルジオを見てしまう。女性たちのご意見を聞きたいです。私はこの「ひとクラス上」は認めてはならないのだ、という意見です。魅力と権威に服従してはならない。飛躍と思われましょうが、政治的な意味においてもこれは認めてはなりません。 しかし...。しかしが残る映画です。すばらしいと思います。

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)『モン・ロワ』予告編


2015年10月18日日曜日

マラルメわかるめぇ

Bertrand Belin "Cap Waller"
ベルトラン・ブラン『ウォーラー岬』


 Cap Wallerは架空の地名です。だからフランス語風に「ヴァレール岬」としたっていいんです。ところが、このアルバムだけでなくベルトラン・ブランの場合はなぜか英語読み風に「ウォーラー」とした方がいいような気がします。ブランがデビュー以来醸し出している一流のダンディズムのゆえでしょう。ダンディズムと言えば英国、というもろ直の連想ですね。しかも青空で晴れ渡った岬など考えもつかない、どんより曇ったり、風雨にさらされたり、濃霧で灯台の明りさえかすかにしか見えなかったり、そういう岬を想うのですよ。北の岬ならみんなそうでしょうけど、英国のあのダークさがしっくり来ます。そして、このジャケットアートです。1920年代、バウハウス派のコンポジションのような、あるいは三越百貨店の包装紙のようなデザインですけど、連合王国国旗のユニオンジャックの3色にも近く見えませんか?(見えないか...)。アルバムの録音地は内陸なので岬はありませんが、イングランドのシェフィールドです。
 ベルトラン・ブランは1970年、ブルターニュ地方モルビアン県のキブロンの生れです。イワシ漁で有名な漁港があり、オイルサーディンの缶詰が名物で、キブロン半島にはもちろん岬もありますわね。とりわけブルターニュ色を出しているアーチストではありませんが、キブロンと聞いてとても納得がいく佇まいの人、と私は勝手に思っています。
 ミュージシャンとしてはかなり変わった経歴で、まずケイジャン〜ザディゴのバンド、ストンピン・クローフィッシュ Stompin' Crawfishのギタリストとして6年間、2枚のアルバムに参加しています。それからフランスに移住してきたイギリスのバンド、サンズ・オブ・ザ・デザート Sons of the Desert に1996年のアルバムからギタリスト/バンジョーイストとして参加。フランスのアーチストでは元VRPのネリーベナバール、オリヴィア・ルイーズ、ディオニゾスなどと交流があり、曲を提供したり、ギタリストとしてアルバムに参加したりという...。2005年にデビューアルバム『ベルトラン・ブラン』。指弾きグレッチ(ギター)の音と艶のあるクルーナー・ヴォーカル(このスタイルは今日まで変わらない)。このデビューアルバムの時、私、結構ひとりで騒いで応援して、在庫かかえて当時持っていた通信販売のページにデカデカと張り出して売ろうとしていましたが、2015年の今日、まだ在庫あります。
 この人が世に知られるようになるのは3枚目のアルバム『イペルニュイ(Hypernuit)』 (2010年)からなのです。"hypernuit"はブランの造語ですが、「hyper-」は「超、過」の意味を付加する接頭辞ですから、それがついた「nuit (夜)」とは「超スーパーな夜」「ウルトラすぎた夜」、一生に一度体験できるかどうかわからないような超稀で超例外的な夜というニュアンスになりましょうか。歌は男が村中を復讐するためにやってきた夜、という緊急ながら漠然としたイメージを、くりかえし、くりかえし、ぶつぶつ唱えるようなクルーナー唱法で展開します。象徴的で印象的で高踏的な、ある種ゲージツ的フランスが香るわからなそうでわかる、わかりそうでわっかない、そういう歌です。好きな人たちが飛びついても不思議はありません。
 こういう「あんたらにはわかるめぇよ」型のダンディズムにとかく私たちは弱いのです。

アルバム『ウォーラー岬』はその延長線上の5枚目のアルバムです。このアルバムの数ヶ月前の2015年3月、ベルトラン・ブランの小説『鮫 (Requin)』が刊行されたのです。これは人工貯水池で水泳パンツ姿で自殺する男(40代。妻子あり)のいまわの際の回想を一人称文体で書いたものです。なぜ死ぬのかはなぜ生きるのかと同じほどに明らかでない理由がたくさんあり、ニヒルで時折ユーモラスでもある展開は、ブランの音楽を大きく引き延ばしたようなアートです。湖で飢えをしのぐために白鳥を殺して焼いて食べるシーン、ディエップの港の水中に隠されていた多数の牛乳パックを発見して宝物のように引き揚げるシーン、こういう具体的な描写が効果的で、観念的な厭世小説からずいぶんと距離のある作品に仕上がっているのですが、この黒々とした文章は硬派の文芸批評メディアでも高く評価されたのでした。こうしてブランは、2015年の今日、文学と音楽の両分野で小難しい鬼才の地位を獲得していて、しかもとても重要な存在のような重さと後光を示し始めたのですね。まだまだ死後のゲンズブールや晩年のバシュングには至りませんが。
 アルバム『ウォーラー岬』はいつもに増してミニマルなアルバムです。歌詞もインストも繰り返しが多用されて、ヤマやCメロなんかほとんどない。短い数行詞を繰り返しで引き延ばして歌われる曲が3曲。これを国営ラジオ局フランス・アンテールのジャーナリスト、レベッカ・マンゾーニは「俳句」と称したのでした。 例えば
その日ぐらし
巨大な都市の中
ある広場
僕はきみの背中をみつける
僕はきみの背中を覚えている
馬の群れ
噴水
きみは振り向く
するとそれはきみではなかった
こんな場面にもう何回も出くわした
  (9曲め "Au jour le jour")
たったこれだけで、おもむろに都市的な寂寥で肌寒くなる、というメランコリーが体験できるわけです。俳句にしては長すぎると思われましょうが。
11曲め( アルバム終曲)の「兵隊」は4行です。
僕らがさっきまで
遊んでいた木
どこに行ったんだ?
僕は何をすればいい、兵隊さん?
(11曲め "Soldat") 
この4行を何度か繰り返しながら、スローでメランコリックなインストで引き延ばされて5分20秒かかる曲です。子供の日の悲しみが夕暮れのようにゆっくり色を帯びていくのを感じてくれればいいんです。
そしてアルバム先行でこの夏からFMでオンエアされていて耳になじんでいた2曲めの「フォル・フォル・フォル」は7行詞です。
狂った狂った狂ったような雨に打たれ
シルエットは戻って来る

ふたつの泥の水たまりの間をスラロームして
シルエットはひとりの人間に気がついて
手で合図する
狂った狂った狂ったような雨に打たれ
(2曲め "Folle Folle Folle" )
性別も関係もわからぬひとつの影とひとりの人間、土砂降りの雨に打たれながら、ひとつの手が動く、それだけのこと。どれだけのドラマがそこに秘められているかは、想像する者の自由。馬鹿げた、馬鹿げた、馬鹿げたことかもしれません。 そのふっと浮かび上がる印象がこの歌のいのちでしょう。

 このように俳句的で、無説明なコラージュと魅惑のクルーナー・ヴォイスとミニマルインストが合体したアルバムです。フランス人でさえ歌詞カード見ても何を歌っているのかわからないような不明瞭な発音の低音ささやきヴォーカルは、女性にも男性にも、われわれが日本語で言うところの「そそる」ものがあるはずです。これを高踏すぎて、頭でっかちでわからん、という人たちも少なくないでしょう。誰にも真似のできないベルトラン・ブランのスタイルというのは3枚のアルバムで形骸化してしまった、自分にしかわからない歌ばかりという閉鎖性をテレラマ誌ヴァレリー・ルウー(とロプス誌&レクスプレス誌のシャンソン評論家)の10月12日の座談会は批判しています。 まあ、一度では無理かもしれないけれど何度が聞いたら、これが全部同じように聞こえるとか、単調でアクセントに欠けるとか、そういうことは絶対に言えなくなるスルメ味がわかるはずですけど。

<<< トラックリスト >>>
1. QUE TU DIS
2. FOLLE FOLLE FOLLE
3. DOUVES
4. JE PARLE EN FOU
5. ALTESSE
6. L'AJOURNEMENT
7. LE MOT JUSTE
8. D'UNE DUNE
9. AU JOUR LE JOUR
10. ENTRE LES IFS
11. SOLDAT

BERTRAND BELIN "CAP WALLER"
CD/LP  WAGRAM/CINQ7 
フランスでのリリース:2015年10月

カストール爺の採点:★★★★★ 

(↓)アルバム"CAP WALLER"オフィシャルティーザー。


(↓)"FOLLE FOLLE FOLLE" オフィシャルクリップ。


(↓)"JE PARLE EN FOU" オフィシャルクリップ。


 

2015年10月8日木曜日

る〜・れ〜・ろ〜

ルー・ドワイヨン『レイ・ロウ』
Lou Doillon "Lay Low"

 20万枚を売り、ヴィクトワール賞にも輝いた前作"Places”(2012年)は、エチエンヌ・ダオというゲンズブール・ダイナスティー(バーキン、シャルロット、バンブー、リュリュ..)に近い大物アーチストのプロデュースでした。言わば身内のように親しみのある暖かい環境で作られたアルバムだったのでしょう。ところが、新作はそれを振り切るように、一面識もない、身内の人間たちが誰も知らないテイラー・カーク(Taylor Kirk)というカナダ人にプロデュースを依頼します。このカークはティンバー・ティンブルTimber Timbre)というサイケデリック・フォークバンドのリーダーです。私はこのバンドはよく知りませんが、拙ブログで紹介したローラン・カンテ監督のフランス・カナダ合作映画『フォックスファイア』(2012年)の音楽を担当したことになっています。で、ルー・ドワイヨンがこのバンドの音に惚れて、その仕掛け人たるテイラー・カークに接近していきました。ところが、カークは最初このラヴコールを拒否するのです。こんな歌手知らねえ、俺の趣味じゃねえ、という反応だったそうです。ルー自身の説明によると、カークは彼女と仕事することが、ポップすぎたり商業的すぎたりすることを危惧していたようです。何度か拒否されながらも、ルーは自分の「不完全さ」を引き出す音はカークにしか作れないと執拗に説得して、この共同作業が始まりました。
 このアルバムは義姉ケイト・バリー(1967-2013。ジェーン・バーキンと映画音楽家ジョン・バリーの娘。写真家。2013年12月、パリ16区の4階の自宅アパルトマンの窓から転落死。事故か自殺か判然としない)の死が大きなきっかけとなって制作されたようです。自殺傾向はバーキン家のみんなに共通するもののように、ルーはインタビューで語っていますが、自分の死にまつわる曲を書き始めていたらケイトが死んで、その死が歌を生み出させたようなところがある、とも言っています。このアルバムには死や自殺を思わせる歌、数曲あります。なにか、そういう歌えないようなことを歌う、というアーチストの代表にレオナード・コーエンという人がいます。ルーにとっては非常に重要な先達のようで、このアルバムはこのレオナード・コーエン的な雰囲気に包まれたくて、カナダ/モンレアルまで来て録音し、コーエンの直系のフォロワーのようなティンバー・ティンブル/テイラー・カークに音作りを任せたようなストーリーが見えるのですね。
 11曲32分。短いアルバムです。私は英語つかいではないので、歌詞に関しては何も言いませんが、身内のバーキン/シャルロットの声帯とは対極のふてぶてしくブルーズィーな声で、なにかとてつもない悲しみを投げやりに歌っているような歌唱に、聞いててぶるぶる震えてくるものがあります。私はこれは唐突に「汚れっちまった悲しみ」という言葉が最もマッチするのではないか、と思ったのです。

<<< トラックリスト>>>
1. LEFT BEHIND
2. ABOVE MY HEAD
3. WHERE TO START
4. NOTHING LEFT
5. LAY LOW
6. WEEKENDER BABY
7. LET ME GO
8. GOOD MAN
9. WORTH SAYING
10. ROBIN MILLER
11. SO STILL

LOU DOILLON "LAY LOW"
CD BARCLAY 4748502
フランスでのリリース : 2015年10月9日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓) LOU DOILLON "WHERE TO START"



PS : テレラマ誌2015年9月16日号に載った4ページのロングインタヴューの部分訳を向風三郎のFacebookページに掲載したのですが、こちらにも再録しておきます。雑誌社に許可を取っていませんから、クレームが来たら削除することにします。雑訳ながら、かなり面白いので、あるうちに読んでください。

(テレラマ)このゲンズブール=ドワイヨンという解体/再構築された家庭について、わたしたちは喜びと幸福と果てしない苦難が混じり合ったような印象を抱いていますが....
L. D  -  私の母は70年代的な幸福促進のエスプリがあった。つまり家庭内でうまく行かないことを他人に押し付けないこと、あるいは滑稽なこととしてうまくまとめてしまうこと。でも彼女には退廃的な優雅さを惹きつける魅力もあった。彼女は常に暴力的な男たち(つまり彼女には過酷な男たち)に囲まれていた。そのことがどれだけ甚大な被害をもたらしたかを私は知っている。特に私の姉ケイトが被ったことを。私たちは自殺傾向のある家族よ。
私は母がミッシェル・ピコリとセルジュの詞を朗読するスペクタクルを劇場に見に行ったけれど、もう吐き気がしそうだった。それは女たちが殺し合い、少女たちが大人になったとたんに自分を見失い、男たちが否応なしにその女たちを騙す、そんなことばかり語っているのよ。それがセルジュの神秘さであり、極端な両義性だった。女性たちに絶対的に優しいと同時に徹底したミゾジーヌであり、慎み深いと同時に狂わんばかりの露骨さがある。ジャック(ドワイヨン)も彼なりの流儀で、その映画の中ではこの両極端な人間だった....。

(テレラマ)あなたのファーストアルバムは、別離後の3年間の苦難の成果でした。そしてあなたの姉のケイトの死はセカンドアルバムの制作のきっかけになりました。
L. D  - それよりもずっと複雑なことなのよ。私はその悲劇が起こる前に既に数曲を書き始めていて、それらは自殺に関する歌だった。それは私と私の強迫観念についての歌で、そのひとつは私が窓から飛び降りかねない歌だった。ケイトが死んだ時、そのことですべてがブロックされたの。これらの歌は私のことではなく彼女のことについて歌っているんだ、私はもはや何も言うことができないんだ、という感じ。でも彼女の死が私を再び創造に向かわせたのね。だってずいぶん早い時期から私の音楽に最も熱心に興味を抱いてくれたのはケイトだったんだから。彼女は私を勇気づけ、セルジュとの根拠のない非血縁関係の呪縛から自分を解き放ちなさい、と言ってくれた。この国にはそんなゲンズブール偶像崇拝があって、それは圧倒的なものなのよ...。

(テレラマ)ある種の人々が抱く「XXXの子供」への嫌悪について、あなたは気に病んでいますか?
L. D  -  母親が侮辱されているのに、その息子にそれを気にするなと説得することは難しいことよ。でも私はそれを自分の息子に命令するの。この世は羨望と嫉妬に満ちている。人はそれによって過度に神聖化したり破壊したりすることを欲している。幸福な記事しかないピープル雑誌が売れるのはそこに由来するし、すべて裏切りと不幸の記事しかないトラッシュ雑誌が売れるのも同じ理由。この二つの雑誌は往々にして同じひとりの人間が読むのよ。
私に関して言えば、それはアルバムが売れた時からすべてが変わったの。以前は人は私に「あなたのお母さんに私は大ファンだと伝えてちょうだい」とか「あなたの義姉さんに彼女は最高に素敵だと言って」と言っていた。誰も私が何をしているのか知らなかった。それからケイトが亡くなった時、多くの人が通りで私を呼び止めて、私の悲しみを分かち合いたいと言ってくれた。時には信じられないほど慈愛に満ちた瞬間があった。そして私のアルバムが出た時から、人は私が母とも義姉とも違う世界の中で私を評価してくれるようになった。今でもその作られた話や想像上のことで私に近づいてくる人たちはいるけれど、前ほどではない。なぜなら、人は私にはほんの少ししかゲンズブール的なものがないということがわかったから。シャルロットはもっと強烈な魅惑の力を持っているわ。
私は父によってごく「普通の」教育を受けた。家には家事手伝い人がいなかったし、私はメトロで移動して、公立学校に通っていた。私が豪華なアパルトマンに住んでいる義姉をうらやましがると、父は私を嫌悪の視線で見たものよ。彼はいつも私を現実の世界に戻してくれる。

(テレラマ)あなたは恵まれていると思っていますか?
L. D  -  もちろんよ。セルジュの遺産を受け継がなくてもね。私の両親は存命だし、お金はあるし、私もお金を稼いだし。私は親の財産によってつぶされるような子供たちとは違う。ドワイヨンという名前は、映画プロデューサーたちの間では成功を保証する名前では全然ないし。夢を持っていてそれを実現しようとして努力した人たちの中で私は育った。私の母には自然のままでいられるすばらしい美しさがある。フランスはそのせいで彼女を愛している。ファッションショーに行ってもテレビに出ても、彼女は普段と変わらない格好でジーンズとTシャツでいる。ゲンズブールは全くその逆だった。彼はいつも周りの人間が彼をどう思うか気にしていた。晩年、彼は若い人たちに気に入られようとしてレコードを作ったし、コンサートもし、彼が若者たちに認められたことに満足していた。私は自分の父から自分自身のためにしかものごとをしないという尊大さを譲り受けたの。

(テレラマ)あなたのアルバムの成功というのはいささか予期できぬことでしたね....
L. D  -  私の母とも義姉とも全く似つかない声帯を持てたというのはたいへんな幸運よ!そうじゃなれけば、私は死んでいたわね。私がデビューしたのは、ゲンズブールに関する記念催事が雪崩のように次々に押し寄せてきて、押しつぶされそうな時期だった。ジョアン・スファールの映画、記念復刻盤の数々、酷評されて失敗したリュリュのアルバム... それからたくさんの女優たちのアルバムが出て全く売れなかった時期でもあった。誰も私のアルバムなど信じていなかった。プレスと実際にアルバムを買った人たちのおかげで、私の曲はラジオで流れるようになった。私は誰の手も患わせていないわよ。

(テレラマ)なぜもっと早く音楽の世界に入らなかったのですか?
L. D  - それは私が何も言うべきことがなかったからなの。私は18歳でアルバムを作らなかったことに満足しているわ。もしもしていたら、ただ叫んでいるか、狂ったようなことしかできなかったでしょうから。それは私が何か壊れた時からでないと、本来の姿にならないものなの。私のアルバムは自分の弱さを暴き出すことが怖かった時期に、それをありのままにさらけ出すクソ度胸(原文はキンタマ)が私にあったからうまく行ったのよ。

(テレラマ)音楽にあなたを導いたのは誰ですか?
L. D  - 大筋のところは私の父なの。父と車の中で聞いていたレオナード・コーエンの歌を私は父にフランス語訳してあげなければならなかった。"Famous Blue Raincoat"に私は涙を流して感動した。自分の妻の愛人のことを歌にするなんて狂ったことよ。コーエンの歌はいつも私の心を揺さぶる。ジャック(ドワイヨン)はとても想像力豊かな耳をしている。彼が聞いているのはニナ・ハーゲン、スージー&ザ・バンシーズ、クラッシュ、キンクス... 形式に全くとらわれない声の魂に憑かれたアーチストたちね。それは往々にして限界のあるアーチストたちだけど、無二の個性、エモーション、感受性を持った人たち....

(テレラマ)あなたは成功したことに罪の意識を覚えますか?
L. D  -  いいえ。でもこの成功は相対的なものよ。もしも私のアルバムが売れなかったら、私は傷ついたでしょうね。私は父の映画に人が入らないということがどんな感じで父を悲しませるか知っている。今日、彼の映画は万人に向けられたものではないと人は言うけれど、それは衰退のしるしよ。かつて彼は雑誌の表紙を飾っていたし、彼の映画は人を呼んでいた。日々テレビは巨大な損害を生み出している。今日、低俗さが天下をとってあらゆるものを踏みつぶしていく世界に私たちは生きている。ジャックはブルジョワ・インテリ向けの映画しか作らない、と人が言う時、私は大声で言ってやるの、彼はとても庶民的な環境の出身で、彼の映画はエリート嗜好ではないって。彼は庶民について語り、彼らの問題について映画を撮る。真に大衆的なものはフットボールしかないという愚かで下劣なプロパガンダに私はがまんがならない。小津の映画を称賛すると言う一方で、クールで最新流行通を装うためにパッパラパーなことをテレビで言うなんてことをしたら、私は自分が許せなくなるわ。


2015年9月19日土曜日

おっぱいほらねふたつでしょ

クリスティーヌ・アンゴ『ある不可能な愛』
Christine Angot "Un amour impossible"

 2015年のラントレ・リテレール(rentrée littéraire = 11月の各文学賞レースのために9月に一斉に数百冊の新作小説が刊行される現象。2015年は589作品が本として出版されたそうです)の目玉と評され、早くもゴンクール賞候補最有力と騒がれている作品です。クリスティーヌ・アンゴは1959年生れの作家・劇作家で、その作品は話者が「クリスティーヌ・アンゴ」という名前で、登場する人物たちが実在人物たちと同じ名前で描かれ、必然的に実名の私小説のように読まれるわけですが、これは「オートフィクション」(自伝的フィクションと見做していいでしょう)であり、実際の生きられた人物・事件が描かれているわけではないとしています。しかし、実名で登場する実在の人物たちはそのフィクションと称された作品の中で描かれた内容で、さまざまなことが公になってしまい、往々にしてスキャンダル暴露と同じ結果になります。そのために、アンゴの最初の出版社であるガリマール社は、4作目として用意された『インタヴュー』(1997年)の原稿を、登場する実名人物に危険が及ぶ可能性があるという理由で拒否します。アンゴの名を世に知らしめたのは1999年の『近親相姦(L'Inceste)』という小説で、文字通り父親とクリスティーヌとの性的関係を明らかにしたものです。この小説は父親ピエール・アンゴが病死した年に書かれたもので、死んだから書けた、という洪水のような愛憎の迸りが衝撃的でした。この作品で彼女はメジャー作家となるのですが、ほとんどすべての作品がこの『近親相姦』がもとで情緒・精神が部分的に壊された話者・主人公・クリスティーヌの自分史の反復になります。ですからこの作家とつきあう読者たちは、反復して語られるクリスティーヌの身に起こった超プライヴェートな事件と事情に精通してしまいます。私だって、話者クリスティーヌ(ほとんど実在の作家クリスティーヌ・アンゴ)がどんな男性たち(女性たちもあり)と関係していたのか知ってますから。このパターンがいやになって離れていった読者も多いでしょう。私も何冊かオミットしました。
 新作『ある不可能な愛』 は、話者クリスティーヌの母親ラシェル・シュワルツと父親ピエール・アンゴの出会いから始まります。時は1950年代、場所は中央フランス、ベリー地方、アンドル県の県庁所在地シャトールーという町です。ここにNATO(北大西洋条約機構)の軍事基地として米軍がやってきます。パリ出身者であるピエール・アンゴはインテリであり、数カ国語を操り、この基地で通訳として働いています。一方つましい家庭に育ち、教育もあまり受けていないラシェルは国民保険事務所で働く低級公務員です。一方はミシュラン社の重役である父を持つパリの上流家庭の出であり、貧乏人とユダヤ人を蔑むのが空気であるかのような環境にあり、若い美貌の女性ラシェルはまさにその「貧乏人とユダヤ人」の両方なのです。この二人は同居も結婚もしなかったが、この若い日々に二人は熱愛しあっていた ー ということ。小説はこの二人の出会いに始まり、クリスティーヌ誕生、ピエールのドイツ女との結婚、ラシェルとピエールの遠距離恋愛の自然破局、クリスティーヌとピエールの近親相姦関係、クリスティーヌの独立、ピエールの病死などを経て、2015年的現在(クリスティーヌ56歳、ラシェル84歳)に至ってクリスティーヌと母ラシェルがその関係(ラシェルとピエール、ラシェルとピエールとクリスティーヌ、クリスティーヌとピエール、クリスティーヌとラシェル)のいずれもが「不可能な愛」であったのはどうしてなのかを検証するような形で進行します。ラシェルはその若き日にピエールと熱愛しあっていた、ということには一切の疑いもないのです。恋愛の熱に何の説明が必要か、というパッションを信ずる側にあります。しかしながら小説はそれに疑義を挟むように、ピエールという人物の不透明さを暴き出して行きます。その物証のように、ピエールのラシェル宛て(およびクリスティーヌ宛て)に書かれた数々の書簡が開陳されます。
 8月29日の国営TVフランス2の深夜トーク番組「オン・ネ・パ・クシェ(On n'est pas couché)」で、番組常駐ジャーナリストのレア・サラメが、クリスティーヌ・アンゴに「この手紙は本物かフィクションか」という質問をします。アンゴは答えません。「重要なのは事実かフィクションかということではなく、テクストそれ自体の真実である」と。 そして絶対に守られなければならない秘密というのがあれば、私はそれを決して明かさない、とも。文学とはそのように提出されたテクストの真実を読者および評論者が探すこと。私はこの答に喝采します。
 さてピエールという人物に戻ります。ラシェルが惹かれた大きな部分は、彼がそれまで自分のいた世界にはいなかった知識人(私たちの庶民感覚では「もの知り」という言葉が適当でしょう)であること。言葉(彼はラシェルの文法誤りのフランス語を正すのです)や芸術や彼女の知らなかったことを教えてくれるのです。新しい考え方、世界観、そういったもので彼女を啓蒙するのです。だから彼女は言われたことに反論ができない。最初から知のレベルが異なる、というハンディキャップを負わされるのです。
 ピエールはラシェルを愛している。けれども結婚はしたくない。結婚は束縛である。僕は自由でいたい。きみも自由でいた方がいい。きみは仕事を続けて自立していろ。僕もやりたい仕事を続ける。ー ハイカラな考え方ですよね。地方都市の無学な女性はその新しさに幻惑されてしまいますが、冷静に読めばそれは100%男の勝手なリクツです。極めつけは「子供は欲しい、だけど結婚はしない」しかも、その後日談として彼が子供を認知することも長い間(13年間)躊躇するのです。その愛の結晶として生まれたのが、クリスティーヌという子です。この子は "désirée"(切望された子)である、とラシェルは確信しています。事故で妊娠した子ではない。二人の願いが叶って生まれた子である。ラシェルの確信にも関わらず、小説を読む側は疑念が生まれてしまうというアンゴのエクリチュールです。
 ピエールは子を認知せず、子は「クリスティーヌ・シュワルツ」を名乗り、戸籍上は「父親不明」と記されます。父親は時々出現し、週末を共に過ごしたりします。しかしその週末を終えて父親が去って行くとき、母親が泣いているのを幼いクリスティーヌは見ています。さまざまな理由をつけて会うことを避けながら、自分の都合がいい時だけやってくる父親。それでもラシェルは(そして少しはクリスティーヌも)、親子3人の幸福な瞬間があったと信じているのです。「不可能な愛」の瞬間があった、と。
 ストラスブールに住み、国際機関の通訳・翻訳家として選良の道を進むピエールは、裕福なドイツ人女性と結婚し、子供をもうけ、家庭を築きます。なぜラシェルとはそれができなくて別の女とは可能なのか?答は至極簡単で、それは階級問題・人種問題なのです。良家の子息ピエールには、それに見合った身分の人間としかオフィシャルな関係を持てない、家族親族に認めてもらうことができない、ということなのです。ラシェルは最初から結ばれない運命にある「下の身分」の人間であり、おまけに彼の家族親族には受け入れないユダヤの血を引く人間だった、という説明を娘クリスティーヌは母ラシェルに説くのですが、ラシェルはそういう運命論に簡単に説得されません。
 父親の血でしょうか、クリスティーヌは聡明で学力優秀な子供に育ちます。そして13歳の時、すったもんだの挙げ句、ピエールはラシェルの切望に押し切られ、クリスティーヌを子供として認知します。ここで「クリスティーヌ・アンゴ」と名前を変えるのです。クリスティーヌにとってその父親は、待望していたものと近く、何よりも知的刺激をもたらしてくれる存在となります。月に何度かクリスティーヌはピエールと過ごし、文学・芸術その他の教養と趣味を培っていきます。このことをラシェルは嫉妬します。自分と居るのは退屈で、父親といる時間の方がずっと楽しそうなクリスティーヌを見ています。それに裏があるということをこの小説はなかなか暴露しないのですが、アンゴ小説の読者たちは見抜いています。この小説の速度と同じように、この裏のことをラシェルは全く知らなかったのです。
 そのこと(クリスティーヌが14歳の時から17歳まで、ピエールが娘と会う度に肛門性交を強要していた)を親しい友人から聞かされたラシェルは、最初全く理解できなかった。そして頭突きを喰らったようなショックを受けた。その夜ラシェルは41度を超える急激な発熱に襲われ、卵管に炎症が生じ、病院に10日間収容されることになるのです。
 クリスティーヌ・アンゴの小説群の中で、このピエール・アンゴという父親はいろいろなファクターを持った人物です。単純に憎悪の対象としてのみ扱われることなく、良くも悪くもクリスティーヌに大きな影響を与えたことになっています。このクリスティーヌとピエールも「不可能な愛」のひとつなのです。しかしこの新作の中では母親との関係においても自分との関係においても、ピエール・アンゴは明白に "salaud"(卑劣漢、ゲス野郎)として描かれています。それを証明するのが、この小説の中でピエールが書いたとされる手紙の数々なのです。
 小説の後半は、クリスティーヌとラシェルの激しい確執の年月があり、ずっと遅くになって和解はやってきます。その確執の核心的なところが、近親相姦が発覚した時に、ラシェルは激熱を出して病いに伏すわけですが、クリスティーヌはどうしてこの時に母親は何も言わなかったのか、ということなのです。娘はこのようにして精神も肉体も父親によって破壊されてしまった、ということを知って、母親は一言も言う言葉がなかった、このことをクリスティーヌはラシェルに責めるのです。母親は盲目だった、と言います。何によって盲目になったのか、というとそれはピエールとの不可能な愛のせいなのだ、と私たちは簡単に読んでいいのでしょうか?
  クリスティーヌは小説終盤でラシェルを論攻めにしようとする時、ロジック(logique、論理、道理、整合性)という言葉を使います。ピエールの出自や反ユダヤ思想や優越感がラシェルと私を無惨に破壊してしまったことを説明できるロジックである、と言おうとします。しかしラシェルには幸福の瞬間のノスタルジーがあり、その至福は存在したのだ、と言おうとしているようなのです。母と娘の和解はどの程度のものなのか、反論も逆説もまぜこぜになって、二人の大人の女、56歳と84歳は語り続けるのです。まだまだ語るつもりでしょう。

Christine Angot "Un Amour Impossible"
Flammarion刊 2015年9月 218ページ 18ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆ 

(↓)国営ラジオFrance Inter文芸批評家オーギュスタン・トラプナールの番組で、この小説の中の終盤のヤマ、クリスティーヌが母ラシェルに「ものごとにはロジックがあるのよ」と説得するシーンを朗読するクリスティーヌ・アンゴ。