2017年7月21日金曜日

1976年のジュリー・ラヴ

Kenji Sawada "Julie Love"
沢田研二「ジュリー・ラヴ」
詞:ミッシェル・ジューヴォー
曲:アレック・コンスタンティノス 
シングル盤 : 仏ポリドール 2121315
アルバム『ロックンロール・チャイルド』:仏ポリドール
2480447

1976年当時、フランスの家庭のテレビはほとんど白黒であり、チャンネルは国営放送3局(TF1, ANTENNE 2, FR3)しかなかった。ようやくテレビが大衆娯楽の中心的役割を果たすようになり、大衆音楽もテレビが最も影響力のある媒体手段となった。ミュージックホールとラジオでシャンソンを「聞く」時代から、テレビとシングル盤で流行り歌を「消費する」時代へ。テレビ映えするには、見た目が重要で、若年層にアピールする外見やリズムやダンスが「ヒット」を生む時代になった。クロード・フランソワ(1939-1978)はフランスのテレビ時代のチャンピオンだった。米英テレビの「バラエティー・ショー」に倣った、歌、コント、マジック、ダンスなどをセットにしたショー番組をフランスでは「ヴァリエテ」と呼び、いつしかそれはこの種の番組にメインで登場する大衆音楽のことを指すようになった。だから今でも硬派の人はシャンソンとヴァリエテは違う、ロックとヴァリエテは別物、と言うのだが。
 Chanteurs à minettes シャントゥール・ア・ミネットという70年代から使われた表現があり、子猫ちゃんたちに受ける男性歌手という意味だが、やや女性的に可愛い王子様タイプでティーンネイジャー女子たちに嬌声を浴びる男性アイドル歌手のこと。デイヴ、クリスチアン・ドラグランジュ、アラン・シャンフォール、フレデリック・フランソワ、パトリック・ジュヴェ...。その中で異彩を放っていたのがイスラエル出身のマイク・ブラント(1947-1975)で、エキゾティックで甘いマスク、トム・ジョーンズばりのダイナミックな歌唱で、69年から75年という短い(フランスでの)活動期間にミリオンヒットを次々に放ち、クロード・フランソワをしのぐ人気があった。75年4月に謎の死(自殺・他殺、諸説あり)。沢田研二がフランスにやってきたのはこの頃。
 1973年に沢田はマイク・ブラントの1970年のヒット曲 "Mais dans la lumière"をカヴァーして、安井かずみの訳詞による「魅せられた夜」というシングル盤をヒットさせている。既に接点はあったのである。74年にパリで録音した "Mon amour, je viens du bout du monde"(日本語タイトル「巴里にひとり」)は、フランスのヴァリエテ番組で受けが良く、75年にはフランス最大の民放ラジオRTLのチャート4位まで昇り、シングル盤20万枚を売ったと言われる(要確認)。
 テヘラン(イラン)のクラブで歌っていたところをシルヴィー・ヴァルタン(と付き人のカルロス)に見出され、69年にフランスにやってきたマイク・ブラントは全くフランス語を話せなかった。その才能に賭けた作曲家ジャン・ルナールはデビュー曲 "Laisse-moi t'aimer"を用意し、フランス語歌詞をヘブライ表音にして2ヶ月間ブラントを特訓して歌を完成させた。 デビューシングルは100万枚のヒット。以来ブラントはフランスのスーパースターに急上昇していく。フランスの芸能界から見れば沢田は明らかに「ポスト・マイク・ブラント」であった。エキゾティックで甘いマスク。フランス語ができなくても特訓すればいいのだ。たぶん沢田はカタカナ表記にしてもらって歌を特訓したのだろう。ヴァリエテ番組で目立ち、テレビ局の「出待ち」で女子リセ生たちが大挙して押し寄せた。ケンジー!ケンジー!ケンジー! ー Merci mesdoiselles, je vous aime !(これぐらいは言っただろう)。
1975年4月、マイク・ブラントは謎の死を遂げた。「ポスト・マイク・ブラント」候補では沢田の手強いライヴァルとして登場したのが、マレーシア出身のシェイク(本名:シェイク・アブドゥラー・アハマッド)であり、同じようにフランス語を全く話せなかった。ダリダの弟でダリダのジャーマネだったオルランドがスカウトしてきた美青年。1976年デビューヒット "You know I love you - Tu sais que je t'aime"で、パリの女子リセ生たちはケンジ派とシェイク派の真っ二つに分かれたという(まぁさかぁっ!)。それはさておき、70年代半ばのフランスは、ブルース・リー、ジャッキー・チェン、高田賢三、「エマニエル夫人」(バンコクが舞台)、大島渚「愛のコリーダ」(1976年公開)などでアジア極東が大きく脚光を浴びていた時期ではあった。
 そんな1976年、沢田のフランスでの5枚目のシングルが「ジュリー・ラヴ」であった。作曲者のアレック・コンスタンティノスは、前述の強豪ライヴァル、シェイクの "You know I love you"を書いた人。フランス芸能界のとても狭い範囲で起こっていたことなのでしょう。 その安直な感じは歌詞にも。
Sur ta bicyclette 自転車に乗って
En sandales et chaussettes ソックスにサンダル姿で
Tu reviens de l’école きみは学校から戻って来る
Ma Julie doll 僕のジュリー人形

Cheveux ronds et verts ショートヘアーを緑に染めて
Tu vas voir Mick Jagger きみはミック・ジャガーを見に行く
A chacun son époque 誰にもそれぞれの時代が
Ma Julie Rock 僕のジュリーロック

Cachée sous les branches 白いフレームの
De tes lunettes blanches サングラスで顔を隠し
Tu fumes le cigare きみは葉巻を吸う
Ma Julie star 僕のジュリースター

Femme adolescente 女と少女の中間
Romantique et violente ロマンチックで荒々しく
Tu peins ma vie en mauve きみは僕の人生を薄紫色に描く
Ma julie love 僕のジュリーラヴ

Je ne sais plus laquelle aimer 僕はもうどのジュリーを好きなのかわからない
Je ne sais plus qui tu es 僕はきみが誰なのかもわからなくなっている
C'est peut-être mieux comme ça 多分こんな感じでいいんだね

Comme le soleil au milieu de l’eau 水の中の太陽のように
Tu fais de mon ciel un monde nouveau きみは僕の空に新しい世界をつくる
Julie Julie Julie Ju ジュリー、ジュリー、ジュリー、ジュ
Oh ma Julie Julie Julie Julie love おお僕のジュリー、ジュリー、ジュリー、ジュリーラヴ

Tendre ciré jaune 防水マントを羽織り
En Harley Davidson ハーレー・ダヴィッドソンにまたがり
Toi tu joues les cow-boy きみはカウボーイ気取り
Ma Julie boy 僕のジュリーボーイ

Gilet de flanelle フランネルのベスト
Chemise de dentelles レースのブラウス
Tu n'aimes que le pop-art きみはポップアートに夢中
Ma Julie smart 僕のジュリースマート

Loin de la planète 地球を遠く離れて
Tu t'en vas faire la fête きみはパーティーに飛んでいき
Et deviens Colombine 月のピエロになってしまう
Ma Julie dream 僕のジュリードリーム

この年1976年、世界では『ホテル・カリフォルニア』(イーグルス)、『カムズ・アライヴ』(ピーター・フランプトン)、『キー・オブ・ライフ』(スティーヴィー・ワンダー)、『ボストン』(ボストン)、『シルク・ディグリーズ』(ボズ・スキャッグス)、『ラスタマン・ヴァイブレーション』(ボブ・マーリー)....、フランスでも『オクシジェーヌ』(ジャン=ミッシェル・ジャール)、『ヴァンクーヴァー』(ヴェロニク・サンソン)が出た年だった。沢田は、こんなフランスの小さな芸能界にいたら、世界に取り残されると思っていたかもしれない。

(↓)沢田研二「ジュリー・ラヴ」(フランスのテレビ)(口パクではない。すごい努力。)


(↓)パリでの沢田の「社交」を伝える珍しい日本のテレビ映像。ヴァルタン、アリディ、サルドゥー、ダリダ、ジャック・ルヴォー、アダモなど。多分1975年と思われる。

2 件のコメント:

UBUPERE さんのコメント...

こんにちは。UBUPEREです。沢田研二がフランスでレコードを出していてそこそこの人気があったなんてまったく知りませんでした。80年代初期にジュリアン・クレールが来日したとき、「沢田研二が大いに参考にしている歌手」という話を聞いて、どうしてフランスと関係があるのだろうと思ったのですが、その疑問が解けました。しかし、Youtubeにこんな貴重な映像があるとは...Youtubeの威力をあらためて思い知りました。

Pere Castor さんのコメント...

Ubu Pèreさん、コメントありがとうございます。
70年代半ばのパリ、「ファッションはケンゾー、歌はケンジ」という現象が。