2015年8月3日月曜日

ニーナもし今なら

Gilles Leroy "Nina Simone, roman"
ジル・ルロワ『小説ニーナ・シモン』

 この作品は2013年にメルキュール・ド・フランス社から単行本で刊行されました。私は2015年春に出たフォリオ版文庫本で読みました。新刊でなくてごめんなさい。
 作者ジル・ルロワは2007年『アラバマ・ソング』(米作家フランシス・スコット・フィッツジェラルドの妻、ゼルダ・フィッツジェラルドの生涯を描いた伝記フィクション)でゴンクール賞を受賞した作家で、この『小説ニーナ・シモン』の中でも、晩年のゼルダ・フィッツジェラルドが収容された北カロライナ州アッシュヴィルの精神病院で、慰問演奏に来たピアノ科女学生ユーニス・ウェイモン(後のニーナ・シモン)と出会い、ユーニスに「パリに行きなさい、あなたはパリに行ったら解放される」と予言めいたことを言うシーンがありますが、もちろんフィクションです。
 この小説に登場するニーナ・シモンは実在した米国のピアニスト・歌手・作曲家・公民権運動闘士のニーナ・シモン(1933-2003)です。この稀代のアーチストは80年代に既にパリに3年ほど滞在していますが、1993年には南仏プロヴァンス地方の町ブーク・ベレール(Bouc Bel Air)にヴィラを買って、本格的にフランス移住してしまいます。フランスとの縁は、その芸名を仏女優シモーヌ・シニョレ(1921-1985)に由来する(日本語版ウィキペディアはそれゆえに「本来は「ニーナ・シモーヌ」と読むのが正しいのかもしれない」と記述しています)ことを初め、黒人作家ジェームス・ボールドウィン(1924-1987)にも触発されて早くからパリに憧れていたという経緯があります。
 小説は南仏ブーク・ベレールの彼女のヴィラに、 フィリピン人の男リカルドが使用人として雇われるところから始まります。年代としては90年代の末の方だと思われます。近くに同じようにアメリカから移住してきた引退歌手のボビー・ウィリアムス(架空の人物)のところで夜の炊事係として雇われていたリカルドが、それだけでは収入が足りない(彼は40歳になる既婚者でフィリピンに居る家族に送金して養う義務がある)ので、ニーナの屋敷で昼の時間働かせて欲しいと申し出たのです。
 この時既にニーナ・シモンは屋敷に数人の使用人がいても、屋敷の維持状態は悪く、金回りが悪くなり始めているのがわかります。彼女はそれがマネージメントを担当する3人の男(マネージャー、財産管理、プロモーター... 3人とも"Harry"というファーストネーム)が裏でピンハネする金額が莫大であること、暴利をむさぼる複数のレコード会社との権利訴訟で費やされる金と時間のせいであることを知っています。ショービジネスの暗黒部分の被害者であること、だからこの世界の人間(ジャーナリストも含めて)は誰も信用していない。口が悪く、性格が悪く、暴君のように周りの者たちを平気で傷つけながら、それでも金を騙し取られていく悲しい老いた女王の姿があります。
 アジア人リカルドは、別の雇い主のボビー・ウィリアムスが男色家であるために、ニーナ・シモンがそちら方面の人と決めつけて揶揄され傷つくのですが、確かにある種女性的で優しく家事仕事一般と気配りに長けていて、ニーナが他の使用人たちには絶対に置かない信頼を勝ち得ていきます。屋敷の中には、彼女のデビューから今日までの歴史的瞬間を展示した写真ギャラリーがあり、それをひとつひとつニーナがリカルドに解説していく、という形で小説は彼女の人生をなぞっていきます。
 「私は歌手になどなりたくはなかった」
 最重要ポイントはここだと思うのです。人種差別政策真っただ中の米国北カロライナ州トライロンの貧しい黒人家(母牧師・父清掃夫)に生まれたユーニスは4歳からピアノを始め、その才能を見抜いた裕福な白人家庭から資金援助されて、毎日休みなしでピアノの鍛錬を重ね、ジュリアード音楽院まで進み、次は高等クラシック音楽の最高峰と言われたカーティス・インスティチュートに入り、黒人初の世界的クラシックピアノ独奏家になるはずでした。ところが、カーティス校の入学実技テスト(課題はバッハ、ベートーベン、ショパン、ドビュッシー)で、ユーニスとして自分のベストの演奏をしたと確信していたのに、不合格になるのです。ただひとりの黒人受験者であったユーニスは、この不合格の理由は「黒人であったから」ということ以外に考えられないのです。私は世界一のクラシック・ピアニストになれるはずだった。しかしその道を閉ざしたのは肌の色だった、ということなのです。ニーナ・シモンはそれを一生恨み続けます。
 喰うためにクラブ歌手(ピアニスト)になり、「ニーナ・シモン」という別人格の大衆音楽アーチストになっていくわけですが、成功すればするほど、実はこんなはずではなかった、自分はクラシックという高級芸術の(黒人初の)巨匠になるはずだったという悔恨が増大していきます。自分を慰めてくれるのはピアノだけである。ショーのあとでショービズ儀礼的に未明まで酒の席につきあっても、自宅に帰ってピアノに向かってショパンやバッハを弾いて自分を取り戻すという習慣がありました。だからツアーなどで(ピアノのない)ホテルの部屋に入れられるを嫌っていました。
 40年後カーティス・インスティチュートは、ニーナ・シモンに過去の「不合格判定」を正式に詫びる手紙を送ってきます。もう過去のことで取返しがつかないとは言え、ニーナには自分が正しかったという「逆転勝訴」 なのです。さまざまな音楽院からニーナは「名誉博士号」を受けます。「これからは私を"ドクター・ニーナ・シモン"と呼ぶこと」、と彼女は名刺やレターヘッドや、コンサートポスター、テレビの出演者名称などに全部「ドクター」をつけることを強要します。これは自分の進むべき道を誤らせたなにものか(それはとりもなおさずレイシズムというものなのですが)への復讐でありました。
 しかし今のニーナ・シモンは60歳を過ぎて、脊髄の痛みと躁鬱病のためにリチウム服用が欠かせず、おまけにシャンパーニュ他のアルコール類を浴びるほど飲んでいるという荒れ方で、それにも関わらず、次のコンサート、次のツアーと仕事を持ち込んでくる(そうでないと台所が火の車である)マネージメント3人ハリーとの日常的な激突があります。結局は仕事を受けてしまうのですが、もうやめたい、もううんざり、のニーナの叫びを理解するのはリカルドだけなのです。
 このニーナの極度の躁鬱病(双極性障害)をはっきりと示した事件が 1995年7月25日に起きます(史実)。ニーナのヴィラの隣りの家の少年(15歳)が自宅プールであまりにも騒がしくするので、ニーナがピストルを発砲して少年を負傷させてしまったのです。小説はこのことに「私の静寂=精神統一を妨げた」「少年が人種差別語を何度も口走った」などのニーナ側の「弁」を付け足しますが、実際には裁判でニーナは禁錮8ヶ月(執行猶予つき)の有罪判決を受けています。小説の中ではこの事後処理で1万5千ドルの慰謝料をニーナが払っています。
 誰も信用しない、わがままで意地が悪い、人を平気で傷つける、 アルコール中毒、そういう老女がリカルドに次々に自分の過去を清算・総括するための回想を述懐していきます。リカルドは良い聞き役だったり、そうでなかったり。しかしひとつの確かな人格を持ったダイアローグ相手としてそれに向かい合っていきます。
 マネージャーに騙され、レコード会社に騙され... そして男たちに騙され。生涯の男、と心に決めた男たちは次々に去っていく。愛の欠乏。小説はシモーヌ・シニョレとの対面のシーンも出てきますが、奇しくもその名前の一部をもらったシモーヌ・シニョレと自分の共通点は「男に裏切られ続ける女であること」という悲しい結論があります。
 1986年にシャネル(No.5)のCMに使われ、世界的ヒットとなった"My Baby Just Cares For Me" も、録音時の契約の曖昧さから、自分には全く金が入ってこない、ましてやシャネル社には自分にNo.5のひと瓶でも贈ってくれるようなエレガントさもない。
 また非常に興味深いのはこの小説のニーナ・シモンはジャーナリストなどからビリー・ホリデイと比較されることを極端に嫌っていたこと。 これは小説の中で、2回それぞれ別のジャーナリストからビリー・ホリデイに比される質問を受けて、2回とも烈火の如く逆上してあんな女と一緒にしないで、と退けてしまうのです。ニーナ・シモンは「私と比較できる音楽家はマリア・カラスだけ」と言うのです。これは前述したようなクラシック音楽コンプレックス、高級芸術コンプレックスだけではない、音楽性と女の生きざまに関する視点の相違と大いなる自尊心なのだと思います。この辺はよく読んであげなければなりません。
 ヴィラの財産は徐々に窮乏していき、平行してニーナの体は衰弱していくのですが、何が何でも帳尻を合わせようとするマネージメント側は次のコンサート、次のツアーと彼女を酷使します。リカルドには何度も執拗に、ヴィラに残って使用人を続けるように、倍の給料を払うから残るように、とニーナが嘆願するのですが、リカルドは「しがらみ」のために結局居残れず、ヴィラを去って行きます。そしてニーナは2003年4月、愛犬以外誰にも看取られなかった状態でヴィラで死体で発見されるのです。

 読ませる小説です。稀代のアーチストの気難しさや気まぐれやコンプレックスの詳細もさることながら、黒人差別の歴史、ショービジネスの裏、パリとフランスがなぜアーチストたちを魅惑するのか、といったこともよく見えて来る素晴らしい筆致です。かつてパリのサンタンヌ通りで入った日本食レストランで、出された食事をめぐって店の主人と大げんかをして、店から出て行けと言われます。「あなたは私が黒人だから私を嫌うのでしょう」とニーナが反駁します。すると日本人は「私は黄色人種だからあなたを嫌うのだ」と返します。圧倒されたニーナは、数年後パリを再訪した時に、この日本人シェフともう一度会ってみたいと心から思うのですが、店が見つからない。ジル・ルロワの創作エピソードに違いないのですが、じ〜んと迫る話です。そういう話ほかにもたくさんありますから。

GILLES LEROY "NINA SIMONE, ROMAN"
FOLIO文庫版 2015年3月刊 280ページ 7ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆ 

(↓)ニーナ・シモン「行かないで」

 

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