2012年2月5日日曜日

失われたシャービを求めて

『エル・グスト』2011年アイルランド映画
"El Gusto" サフィネーズ・ブースビア監督ドキュメンタリー
フランス公開 2012年1月10日

 「歴史が男たちを別れさせ、音楽が男たちを再び結びつける」とポスターに書いてあります。いいキャッチです。
 監督サフィネーズ・ブースビアはアルジェリアとアイルランドの混血女性であり、2003年からという長い制作年月をかけたこの映画の筆頭出資国がアイルランドであるため、この映画は「アイルランド映画」ということになっています。ちょっと奇異な感じがしましょうが、これがこの映画のインターナショナル性と中立性の土台にもなっています。この映画で語られるシャービの悲劇はアルジェリア独立戦争が直接の原因となっていて、これに関してはアルジェリアもフランスも言い分がたくさんあるわけで、もしもこれが「フランス映画」か「アルジェリア映画」になっていたら、どちらかに偏りが出てしまうでしょうから。
 サフィネーズ・ブースビアはそのルーツにも関わらず、アルジェリアで暮らしたことがありません。最初はナイーヴな旅行者のような視点だったと思います。 彼女は当初この音楽のことについては何も知りません。
 それは2003年にサフィネーズがアルジェでヴァカンスを過ごした時、カスバ地区でお土産を買いに偶然入った「鏡屋」から始まります。そこにはモアメード・フェルキウイと名乗る老店主がいて、種々の装飾鏡の間に、ある楽団の古いモノクロ写真が飾られています。それに興味を抱いた彼女が、フェルキウイからその楽団のこと、その音楽のことをいろいろ聞き出します。聞かれたフェルキウイは古い写真を次から次に出してきて、また音楽学校の免状なども見せて、今から半世紀も前にこの音楽がカスバでどんなに人気があったかを嬉々として語ります。この若い女性はフェルキウイの封印されていた記憶を解き放ち、強烈なノスタルジー心を掻き立ててしまったのです。彼女もまたこの聞いたことのない音楽に激しく惹かれてしまいます。「あなたの音楽仲間たちはどこに行ってしまったの?」- 「あちらこちら、いろんなところに散ってしまったよ」。
 彼女はここから方々に散ってしまった当時の音楽家たちを追跡するのです。カスバ/アルジェに残っている人たち、マルセイユやパリに移住してしまった人たち、彼女が見つけ出した元カスバの男たちがその音楽シャービと往時のカスバについて証言していく、というのが映画の進行です。
 「シャービ」それは大衆を意味する言葉です。1920年代にこの音楽はカスバで発祥しました。創始者はハジ・マハメド・エル・アンカ(1907-1978)とされ、それまでのアラブ=アンダルシア音楽を「古典」とすると、エル・アンカはそこにカスバに住むさまざまな人々(アラブ人、カビール人、ユダヤ人、イタリア人、スペイン人)の音楽傾向を溶け込ませ、ミクスチャーによる大衆音楽を作り上げたのです。それは大衆歓楽街の音楽であり、カフェ、バー、キャバレー、娼館のひしめく町でのストリート・ミュージックでした。伝統楽器とギター、バンジョー、ピアノ、クラリネット、サックスなどが混じり合った、モダン・ポピュラー・ミュージックで、エル・アンカはフランス植民地政府から許可をとって、シャービのコンセルヴァトワール(音楽学校)クラスも開校しています(それはその大衆性または「低級性」のため、コンセルヴァトワールの地下に置かれたのです)。
 カスバの証言者のひとり、ムスターファ・タハミ(ギタリスト)が話上手で当時の雰囲気をよく伝えてくれますが、彼の名調子の弁では、シャービ楽士たちはみんな「バッド・ボーイズ」なのです。不良たちがやっていたからこそ、カッコいい音楽だったわけです。 この音楽のカッコ良さはピエ・ノワール(欧州からの植民者)やユダヤ人たちも惹き付け、人種/宗教が混在となってこの音楽シーンを盛り上げていたのです。
 アルジェリア独立戦争(1954-1962)はこの音楽を引き裂きます。この映画は当時の記録映像を援用して、カスバで何が起こっていたのかを映し出します。FLN(アルジェリア民族解放戦線)がアルコールの販売を禁止し、カスバのカフェやバーが次々をシャッターを閉じてしまうのですが、フランス軍兵士たちが「アルジェリア人たちの自由に連帯する」という名目でカフェやバーのシャッターを開けていく、というシーンもありました。しかし、カスバは享楽を禁止され、ピエ・ノワールとユダヤ人たちは国外に逃れていきます。これは「棺桶か旅行カバンか」の選択と言われました。
 失われたシャービを求めて。この証言を集めていくにつれて、サフィネーズ・ブースビアには、離れ離れになってしまったこの往年の楽士たちがもう一度集まったら、というとんでもない考えが浮かびます。50年の時を経て、もう一度彼らが一緒に演奏できたら...。
 「エル・グスト」はサフィネーズの熱情から数年の歳月をかけて、2007年に具体的なかたちになった42人のシャービ・オーケストラです。エル・アンカの息子で、今もカスバでシャービ音楽をコンセルヴァトワールで教えているエル・ハジ・ハロ(ピアノ)がバンドマスターとなって、マルセイユの地で初めてこのバッド・ボーイズたちは50年後の再会を果たします。もう楽器を持たなくなって久しくなった者、昔のカンが戻るかどうか不安な者、そういう人たちがリハーサルでどんどん記憶と技能が戻ってくる美しいシーンがあります。
 「エル・グスト」とは文字通りには「味わい」の意味。人生の味わい、生きる喜び、楽天的な見通し、心の高鳴り...。マルセイユの最初のコンサートの前、ひとりのミュージシャンが「このコンサートはのるかそるかだ」と言います。するともうひとりが「ああ、エル・グストだ」と言うのです。なんという緊張した喜び。そしていざステージが終わってみると、予定していた1時間半をはるかに超過して3時間も演奏してしまっていたのです。
 エル・グスト・オーケストラの冒険は、その大所帯(楽団員だけで42人)というハンディキャップにも関わらず、2007年からマルセイユ、アルジェ、パリ、ベルリンなどを巡演していて、ファーストアルバムはデーモン・アルバーン(ブラー、ゴリラズ)のプロデュースで、彼のレーベルであるHonest Jon'sから発表されました。そしてこの映画のサウンドトラック盤としてこの1月に発売された"EL GUSTO"(仏レーベルREMARK RECORDS)が事実上のセカンドアルバムとなっています。
 映画はパリ・ベルシーでエル・グスト楽団が「ヤー・ラーヤ」(ダハマン・エル・ハラシ曲)を 演奏し、ベルシーの大会場が踊りの波で揺れるというシーンで終わります。サフィネーズ・ブースビアが「これは小さな鏡から始まったストーリーなのだ」とナレーションを添えて。パチパチパチパチ....私が観た映画館では大拍手が起こりました。

 サフィネーズ・ブースビアはこの映画が初作品になりますが、この作品のきっかけになった2003年のアルジェ旅行の時は映画監督ではなく、若き建築家でした。20代の若い女性でしたが、鏡屋に入ったことで彼女の人生は激しく変わってしまったわけです。この映画を制作することと同時に、エル・グスト楽団のマネージメントも担当しています。いわば「エル・グスト」は彼女の10年来のエンタープライズという見方もできます。
 映画はこのような性格のドキュメンタリーですから、フランスでの上映館の数は少ないものの、上映館はどこも満員の盛況でした。とかく「アルジェリア版ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」というレッテルがつきますが、甘美なノスタルジーを越えて「エル・グスト」はアラブ/ユダヤ/ピエ・ノワールという異文化の混在が作っていたユートピアを50年後に再創造するという途方もない企てだったのです。そこのところ強調しておきます。

(↓『エル・グスト』予告編)





4 件のコメント:

mak さんのコメント...

こんにちは。
コメント、はじめてしてみます。
ふっと入った鏡屋さんから映画ができるなんて、それこそ映画のようなストーリーですね。その監督の女性が素晴らしく話しの聞き上手なのだろうなと思います。歴史によって引き裂かれたジャンルのない音楽というのがぜひ聞いてみたいですし、アイルランドに住んでいるので(映画では全くアイルランドは関係ないようですが)興味をそそられます。と思って調べてみたら、今月ダブリンで1日上映があるのを発見しました!
チャンスですからぜひ観てきたいと思います。
映画の感想はいかがでしたか?

Pere Castor さんのコメント...

アイルランドのMakさん、ごめんなさい。インターネット環境のないところに数日間いまして、対応遅れました。コメントありがとうございます。
 (重複のコメント削除しました。悪しからず)
 「歴史が男たちを引き裂き、音楽が再び男たちを結びつける」- アラブ人とユダヤ人が一緒に演ってこそこの音楽に魂が宿る、という点がもっともっと強調されていいのにな、とも思いました。映画は人種/宗教を越えた歓楽街の「バッド・ボーイズ」が奏でていた場末のカッコイイ音楽ということを想像させる証言がいっぱいあるのに、当時の映像というのは無理でも、フィクションの再現映像があればもっといいのに、とも。ぜいたく言ったらきりがないんですが、遠足の子供たちのように初ツアーに興奮し、半信半疑で旧友たちに再会し、リハーサルしていくうちに体に昔のカンが蘇り、舞台に震えながら立つ80歳代のバッド・ボーイズたちの姿、という大団円を見たら、この映画のすべてが許せてしまうでしょう。ぜひ見て、ご感想お聞かせください。

mak さんのコメント...

本当に情けない話です。
チケットをとって、楽しみにこの映画見に行きました。行って受付で、上映が一日前だったことに気がつきました・・・とてもとても残念です。これから見る機会が一体あるでしょうか?

その受付の人に同情されて、代わりにその日にやっている映画のチケットをもらいました。Chicken with plumsという、フランス映画でした。
これは私は全然好きじゃなかったです。寂しい映画で希望がなくて。
特にEl Gustoは希望のありそうな、最後に気持ちが良くなるような映画かと期待していたので・・。
全て自分のせいですが、とてもがっかりでした:(

でもいい映画なら、またどこかで見れるかもしれませんよね。

Pere Castor さんのコメント...

makさん、それは残念でしたね。代わりに見た映画、希代のヴァイオリン弾きが弾けなくなって自殺未遂ばかりする映画ですよね。それほど悪い映画とは思いませんでしたが、主人公の役どころがマチュー・アマルリックという男優に向いていないということははっきりしていて...。『エル・グスト』に関しては今、日本の雑誌向けに原稿を書いています(ラティーナ4月号掲載予定)。そろそろ記憶が怪しくなっているので、明日パリ15区の上映館でもう一回見ようかな、と思ってます。