2017年3月5日日曜日

You don't know what love is

Aki Shimazaki "Suisen"
アキ・シマザキ『スイセン』


  年3月、パリの環状道路ペリフェリックの西側(オトイユ門からシャンペレ門)の外側土手はスイセンの花で真っ黄色になり、環境に優しくない自動車族に春の訪れを告げます。そんな時期3月1日にアキ・シマザキの最新作『スイセン』がフランスで刊行されました(ケベックで2016年9月に既刊)。シマザキの13作目の小説で、「アザミ」(2014年)、「ホオズキ」(2015年)に続く、第3の五連作(パンタロジー)(総題はまだついていない)の第3作目になります。
 本作の場所は現代の名古屋で、話者は男性です。『アザミ』の登場人物だったゴロウです。中部地方で大成功している酒造メーカー「酒屋キダ」の現社長で、豪放な人柄で派手な交遊好き+女好き、という絵に描いたような旧時代の日本型経営者タイプです。読み始めから、あ、まずいな、と思ってしまいます。こういう人物はおよそロマネスク(小説的)なキャラクターでないからです。シマザキはこの人物に日本的俗物の要素をどんどん詰め込んでいきます。金と名誉と女。ほとんど戯画化されています。二流大学商科の出、(自家よりも格の低い)良家の娘と見合い結婚、大学生の娘と高校生の息子の進路や交際相手をコントロールしようとする、有名人と一緒に写っている写真で壁を埋め尽くす、女性誘惑のガイドブックの教えを実践して女性が握手で差し伸べた手に接吻する、ゴルフやパーティーや高級バー通いをビジネスとして利用できる、絵が趣味の妻に山荘を買い与えその絵描き滞在の不在を利用して浮気をするがその不倫を妻が知らないと思っている、金と権力がある男にあらゆる女が服従するものだと思っている...。この俗物性のてんこ盛りで、シマザキは日本社会のある種の男性像を際立たせます。欧米人にはエキゾチックで滑稽でネガティヴなパーソナリティーです。アメリー・ノトンブが日本を舞台にした小説群に登場させるエキゾチックな日本人にも似ています。
 企業小説の部分もあります。破竹の勢いで伸びている「酒屋キダ」は同族会社で、ゴロウは社長だが、実権は義理の母(株の50%をホールド)が握っている。二代目社長である父の最初の妻はゴロウを生み、ゴロウが3歳の時に亡くなり、父は再婚して腹違いの妹アイが生まれる。異母兄妹のゴロウとアイは幼少の日から今日までずっと反目しあっている。義母は父を助け会社経営にも参画して「酒屋キダ」の総務責任者になる。ゴロウは勉学が苦手で二流大学の商科に入るのがやっとだったが、アイは一流大学で生物学を学ぶ。 やがてゴロウが30歳の頃に父が急死し、「酒屋キダ」は義母の総指揮のもとゴロウを社長に据え発展を続ける。その発展の最大の要因がウィスキー市場への参入で、ウィスキー開発部のチーフ(同じ生物学出身)とアイが恋愛結婚し、養子として「キダ」姓を名乗り一族入りする。月日が経ち、義母が80歳となって引退が近いと踏み、ゴロウはもうすぐ義母が持ち株分を自分に譲渡して、名実ともに「酒屋キダ」の社主になれると信じていた。
 本題はゴロウが女で身を滅ぼすという話です。まず目下の愛人第一号であるユリという美貌の人気女優です(あれあれ「ユリ」という花の名前です。次のシマザキの小説のタイトル&主人公になる可能性あります)。駆け出しの頃にゴロウが目をつけ、ゴロウの人脈を使って芸能プロダクションに顔つなぎをしたのがきっかけで、人気女優の座を手に入れた、とゴロウは思っています。つまり自分は愛人&恩人であり、俺の方に足を向けて眠れないはず、と。ところが主演映画発表のレセプション会場で、ユリは冷たく急用ありとゴロウを避けてその場を立ち去ります。
 続いて愛人第二号のO(オー)という未亡人。彼女の亡き夫は「酒屋キダ」の平社員だった男で、Oも当時は共働きで「酒屋キダ」で働いていました。社に大きく貢献した良き社員という表向きの理由で、ゴロウは大きな葬式を出してやり、特例の慰霊見舞金を捻出してOに近づいていきます。そして未亡人に住居まであてがってやるのですが、そこが妾宅となり、昼夜を問わず好きな時に行って愛人遊びをするようになります。
 この愛人第一号と第二号が、ほぼ同じ時期に、ほぼ同じ理由でゴロウを振ってしまいます。「新しい恋人ができたから」と言うのです。そいつはどこのどいつだっ!とゴロウは激昂して聞きます。人物はともかく、ゴロウが絶対に信じられないのは、その二人の新恋人の職業がいずれも勤め人(サラリーマン)であるということなのです。 社長とサラリーマンを比べて、サラリーマンを選ぶ女などどこにあるのか、という単細胞です。社長に比べてサラリーマンなど取るに足らない人間である、という身分差別です。ゴロウには自分よりも下層民を好きになることなど想像もできないのです。
 ここから誘導されてテーマは大上段に「愛するとは何か?」ということに移っていきます。日本の俗物男は愛するとはどういうことか知っているか?日本の男は愛することができるか? このことはちょっと上に引き合いに出したベルギー作家アメリー・ノトンブの日本男性観にも関係します。その2007年の小説『イヴでもアダムでもなく』の中で、ノトンブは日本人の恋は "amour"ではなく "goût"であるという論を展開します。つまり日本語の「あなたが好き」は「好き」つまり好みのレベルに留まっていて、命がけ・狂気がけに昇華した西欧的恋愛ではないというようなことを言うのです。私は読んだ当時はむっと来ましたけどね、あとで当たらずといえども遠からずと思うようになりましたよ。この小説のゴロウはこれまで一度も女性を愛したことも恋したこともない。自分が好きになった女をものにするということに愛も恋も必要ない。自分が女をものにできるのは金と名誉があるからである。ー というレベルのマテリアリスムがものを言う世界にゴロウは生きているのです。 You don't know what love is.
 この小説の物足りなさはまさにこの単純化です。なぜゴロウがそのように人を愛せない人間になってしまったのかをこの小説で説明するのは、幼くして母と死別したことなのです。愛を受けたことのない人間は愛を与えることができない ー ちょっとこの分析簡単すぎませんか? ゴロウが女性を誘惑したあとで、必ずゴロウはその女性に自分の幼少時の不幸を告白するのです。女性はそこで「金と権力」ではないゴロウを見て、ふ〜っと心惹かれるのですが、ゴロウはそれをかなぐり捨てて金と権力の男に戻ってしまう。作者はこのパターンを3人の女性を相手に三度繰り返すのです。愛の萌芽を潰してしまうのはゴロウの根に付いた俗物性に他なりません。幼児体験を重視すると許容性が勝ってしまうではないですか。しかし作者は後者を選びます。
 ストーリーは、ゴロウの思惑とは裏腹に度重なる不倫を全て見抜いていた妻と子供たちの離反、二人の愛人からの絶縁宣告、そして「酒屋キダ」内でのゴロウの失権という、あらゆる不幸でゴロウを打ちのめします。この連続の不幸をゴロウは俗物ゆえに最初なぜこうなるのか全く理解できないのです。
 ページ数的にはあまり登場場面の多くない人物ですが、非常に重要な第4の女性が居ます。それはゴロウが見合結婚する前に付き合っていた貧乏高校生のサヨコです。八百屋でバイトしながら一間アパートで自活生活をするサヨコは、大学に進学して心理学を学びたいという希望がある。サヨコは他の女たちと違ってゴロウに媚びることなく、ゴロウよりもはるかにインテリなことを言って、ゴロウを批判したりもする。ゴロウが大企業の次期社長だと知っても、それが何なの?という態度。サヨコはゴロウの不幸は幼少体験の不幸なのではなく、人を愛せない不幸なのだと見抜いている。そのサヨコが交際の1周年を記念して、ゴロウにスイセンの柄の付いたネクタイをプレゼントするのです。ゴロウはその翌日に見合い相手と結婚するということをサヨコに明かしません。しかしサヨコにはこの不幸な男はそうやって去っていくということを悟っていたような。
 ゴロウがサヨコと別れた理由?それは俗物ゴロウが、貧乏サヨコと次期社長の自分では身分が違いすぎると思ったからなんです。ここのところとっても弱いように思いますよ。身分の違いで泣く文学っていくら日本でも21世紀的じゃないです。
 
 四重五重の不幸と罰と辱めを受け、すべてを失ったゴロウは名古屋から金沢までベンツを飛ばして、サヨコのことを回想してみるのです。愛することを知らない人間はやり直しができるのか、ということも。
 終盤にきれいなパッセージがあります。犬や猫やあらゆる動物を毛嫌いしていたゴロウが、自宅物置で針金に足を絡めてケガをしていた猫を助け、獣医病院に連れていくのです。「迷い猫ですね、治療が終わったらが引き取りますか?」と聞かれ、妻子に出て行かれひとり身になったゴロウは「飼います」と答えるのです。「でしたら登録しますから名前をつけてください」と言われ、サヨコの回想でやり直しの手がかりを掴みつつあるゴロウは「スイセン」と命名するのです。

 ちょっとステロタイプな日本の「男性原理」は、このゴロウというキャラクターから人間的な厚みを削いでしまっているように思います。挿入される(人気女優ユリ主演の)映画「お母さん行かないで」のストーリーも、ゴロウの母子愛渇望の涙を流させるために使われるのですが、いかにもチープなお涙ものです。あまり説明的にならずに展開して欲しいです。幼少時のトラウマが頑迷な俗物を生むということ、日本男性の恋愛情緒の薄さはどこから来るのかも掘り下げなければならないでしょう。この男は愛することを知らない。これは私も含めた日本男性のパッションのありかの問題で、この小説には答えはありません。では、また次作でお会いしましょう。

Aki Shimazaki "Suisen"
Actes Sud刊 2017年3月 160ページ 15ユーロ

カストール爺の採点:★★☆☆☆


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