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2024年5月15日水曜日

あらゆる自由には価格がある

Edouard Louis "Monique s'évade"
エドゥアール・ルイ『逃走するモニック』


ニックとはエドゥアール・ルイの母親であり、この著作の時点で57歳である。2021年4月発表の書『ある女の闘争と変身(Combats et métamorphoses d'une femme)』の中で著者はこの母モニックが、アルコール中毒で暴力暴言が絶えなかった夫(著者の父親)を20数年の忍耐の末に遂に限界が来て家から放逐するという快挙を成し遂げている。さらに生まれたこのかたそこから出たことがなかった北フランスの村を離れて、新しく伴侶となった男を頼ってパリに移住する。この時モニック50歳、『ある女の闘争と変身』の最後にはボーナストラックのように、(大)女優カトリーヌ・ドヌーヴが家の近所でモニックがアパルトマン管理人として働いている建物まで訪ねていき、通りで一緒にタバコを吸って談笑するという挿話が花として添えられる。 
 そのポジティヴな書から3年後、エドゥアール・ルイはその続編をさらにポジティヴなものとして書いた。最初から最後までそのエクリチュールは喜びに満ちている。エドゥアール・ルイにあっては、と断らなくても、今日の文学にあってこの幸福感は稀であろう。昨今フランス人がよく使う”英語”表現では”Feel-good”な著作と言えよう。

 この本の冒頭は逃避行である。4年前モニックが北フランスの故郷を捨て、パリで始めた新しい男との新生活(本の後半でわかるのだが、モニックとその男は結婚せずに"PACS  = 民事連帯契約”を結んでいて、幸いにして結婚と違いこの契約の解消はいとも簡単である)は遅からずモニックにとって新しい地獄になった。前夫(すなわちエドゥアールの父親)と全く同じようにこの男もアルコール漬けでその勢いで強権的でサディックになり、モニックの隷属を強いるために汚い罵りの言葉を吐き、収入源が名目上その男ひとりという”主人”の高圧観からモニックの金の使い道(日常の食糧費まで)をいちいち苦言のタネにし、制裁に暴力を振るう。モニックはこれまで3人の伴侶と生活を共にしてきたが、著者の知るかぎり3人が3人ともモニックに同じ地獄の責苦を強いていた。好き合って始めた同居であろうが、時と共に地獄になっていく。なぜこれらの男たちは凶暴に変貌していくのか。エドゥアール・ルイにはそれの第一原因が貧困である、と考える。
 冒頭の会話は電話である。「私」はその時フランスにおらず、数週間前からギリシャの公的機関に招聘され創作レジデントとして滞在していてあと2週間後でないとパリに戻らない。モニックは泣きながら「私」に電話してくる。
私はおまえの父親から解放されて、私は新しい人生が始まったものと思っていた。でもまた同じことが始まってしまった。まったく同じことが。(・・・・)どうして私の人生はこんなに最低(une vie de merde)なのか、どうして私には幸せに生きることを妨げる男しか当たらないのか、私がこんなにも苦しむに値する女のか、私がなにか悪いことをしたのか?
(p12-13)
状況としては、モニックが電話をしている隣室でその男が泥酔状態でモニックへの罵詈雑言を繰り返しているのが、電話越しに聞こえてくるほど極度に緊迫している。遠隔(異国)から「私」はモニックにただちに必要最小限のものを持ってそこを出て、エドゥアールのパリのアパルトマンに避難するよう促す。恐怖と不安と絶望の淵にある母親を遠隔からの電話で説得するのは難しい。今ここを出てどうなるのか。金も職業も資格も運転免許もない50代の女性、これまで5人の子供と暴君のような男たちの世話を焼いてここまで来た。もう限界は来たが、どこへどうやって逃げる?
 エドゥアールは(遠隔であっても)自分がすべて手配し、費用は全部負担すると申し出る。「私」はここでパリにいる親友ディディエ・エリボン(哲学者・社会学者・文芸評論家・大学教授...。エドゥアール・ルイの恩人にして手本のような存在。シャンパーニュ地方ランス出身でルイと同じように貧しい家庭で暴力的でレイシストでホモフォビアな両親の下で育ち、そこから学術研究の道へ入ることで自らを解放した経緯あり。この書で少し触れられているが、エリボンとその母親の関係はエドゥアールとモニックのそれによく似ている)に助けを求め、エドゥアールのパリのアパルトマンの合鍵、モニックの当座の逃避生活に必要な物品を購入するための現金をモニックに手渡せるように手を回す。
 こうして息子は母の逃走のためにその全幅の信頼を得ようとするのだが、息子と母の関係は単純なものではなかった。息子が生まれ育って勉学のために家を出るまでの年月は、息子の目には母は父の側の人間であり、野卑で暴力的な父と同じように息子にハラスメントを行使する存在に映った。その母への視点がエドゥアール・ルイの21歳の第一小説『エディー・ベルグールにケリをつける(En finir avec Eddy Bellegueule)』(2014年)の中で展開されていて、それを読んだ母は激しく傷つくのだった。この本が大ベストセラーになり、著者は全国の書店でレクチャー&サイン会に回るようになるのだが、そのひとつに母が闖入し、息子に一対一での説明を求めてきたというエピソードがこの新著で紹介されている。母との和解には年月を要した。またそれは同時に前著『ある女の闘争と変身』(2021年)に描かれたモニックの変身の年月でもあった。
 この家族間の確執は著者の妹クララとも同様に存在した。それは2016年の小説『暴行譚(Histoire de la violence)』の中で、自分が被った暴行事件を家族の唯一の理解者としてクララに告白したが、クララがそれをややバイアスのかかったヴァージョンで第三者(当時のクララの夫)に話してしまう(これをエドゥアールが隣室で聞いてしまう)と詳細に記述されて、実名で書かれたクララは心外に思い、それ以来7年間絶交状態になっている。これもそれも自分が書いた本のせいなのだ。リアルとフィクションの区別なく実名で実際に起こったことを書き続けける作家エドゥアール・ルイが宿命的に出会う”書の中に登場した人物たち”との軋轢である。そのことで心苦しい思いをしているとも作者は言い訳するのであるが。
 だが家族を苦しめる結果となったこれらの著作は、作者に巨額の金をもたらしたのである。ベストセラー作家となり、まとまった収入があり、そのことは確かにエドゥアール・ルイ自身が抱えていた多くの問題を解消していった。そして今回の母モニックの”自由への逃走”も最終的には作家の収入が成功させるのである。
Toute liberté a un prix
あらゆる自由には値段がある
 この本が言わんとしているのはまさにこのことなのだ。エドゥアール・ルイが母親に、大丈夫だ、全部「私」が請け負う、と保証したことでこの逃走は現実化する。その時が来るや「私」はギリシャから(パソコンあるいはスマホ画面で)パリのタクシーを手配し、母を乗せたタクシーがちゃんとA地点からB地点にたどり着くか画面上で追っている。ルイのアパルトマンに落ち着いたら、何を食べたいか母親に聞き、ギリシャの画面はパリの食事宅配をオーダーする。21世紀的なテイクケアである。
 モニックの属していた社会の最大の娯楽提供ソースであったテレビ受像機がエドゥアール・ルイのアパルトマンにはない。この耐えがたい不足をどう補うか。なんと息子はギリシャから携帯電話を通じて母親にパソコンの操作のしかたを教えるのである。初めて開くパソコン画面、初めて触れるキーボード、どこのボタンで起動して、どこのキーでプログラムに入って、どこをクリックして(”クリック”って何?と母は尋ねる)、インターネット、ストリーミング、好きな映画や連ドラ....。そこに至るまで、何も知らないモニックに息子は辛抱強く(遠隔で)教えるのである。このエピソード、少しく感動的。息子と母親が(遠隔なのに)これほど近かったことはない。

 そして自由への逃走は次なるステップへ。モニックの住処を見つけること。ここでエドゥアール・ルイは妹クララのことを思う。クララの助けが必要だ。クララが新しい夫(と子供)と暮らしている町で、クララの住んでいるところの近くに住居を見つけられたら、と考える。このアイディアのためには妹の同意が必要だ。7年間絶交状態にあった妹クララのところに「私」はギリシャからコールする。母の窮状を説明し手を貸して欲しいと乞う。兄妹のわだかまりはこの時に溶けて流れたように思えた。
 家探し→物件訪問→賃貸契約、モニックとクララとギリシャの「私」はこれを驚くほどの短時間で済ませてしまう。前の男とのPACS解消、引越し、モニックの新生活の始まり...。このすべての費用はエドゥアール・ルイが払い、そして当面のモニックの月々の生活費も同様。ベストセラー本のおかげ。ポジティヴ。

 著者はこの本の110ページめに女性現代文学の先駆者ヴァージニア・ウルフ(1882 - 1941)が1928年に書いた『自分ひとりの部屋』の有名な一節を引用している。それは女性が小説や詩を書くために必要なふたつのものとして:
ー 家族の者たちに邪魔されることなく静かに執筆するための鍵のかかる自分ひとりの部屋
ー 金銭的不安なく生きていくことを可能にする年500ポンドの金利所得
とする、まさに自由のためには”金”が必要ということを喝破した謂である。モニックはこうして(初めて生活する)自分ひとりの家を持ち、”金”という不安のタネから解放された。作者は57歳で自らの解放を手にした母親を誇りに思い、それに全面的に協力することができた自分自身も褒めてしまっている。許す。

 さらにこの本の133ページめから始まる第二部では、その3年後(笑って冗談を言えるようになったモニック)のさらにポジティヴ後日談が書かれている。ドイツの演出家ファルク・リヒター(1954 - )がエドゥアール・ルイの『ある女の闘争と変身』を舞台演劇化し、劇団がその初日のハンブルク公演に原作者エドゥアール・ルイとその作品のモデルとなった母モニックを招待したい、と。初めての外国旅行、初めての飛行機、初めての外国語圏、初めての豪華ホテル(”このタオル使ってもいいの?”と母は尋ねる)...。初めての演劇観劇、しかもドイツ語にもかかわらず自分の人生がそのまま演じられてことに強烈なエモーションを抑えられない。劇が終わりカーテンコール、リヒターが壇上に原作者とモニックを呼び上げる。場内の割れんばかりの大喝采と「モニック!モニック!」コール...。
 逃走は報われた。正しかった。
 ハンブルクの観客たちとリヒターはこの続編を、とエドゥアール・ルイに求めた。そしてモニックも。ある日「私」の本棚から『ある女の闘争と変身』を見つけ、それを手に取って:
おまえがこの本を書いた時から私はずいぶん変わったよ。おまえはいつかそのことを本に書くんだろうね。私はそうしたらもっと変わるよ。(p161)

こうして母の”オーダー”によって書かれ出来上がったのがこの本だ、と著者は結語している。許す。すばらしい。

Edouard Louis "Monique s'évade"
Editions Seuil刊 2024年5月 165ページ 18ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)公共ラジオFRANCE INTER(インタヴュアー:ソニア・ドヴィレール)で『逃走するモニック』について語るエドゥアール・ルイ「長い間私は”喜び”について書くのが恥ずかしかった、できなかった」

2016年1月24日日曜日

呪われた夜 (One of these nights)

エドゥアール・ルイ『暴行譚』
Edouard Louis "Histoire de la violence"

  小説とは何の関係もありませんが、この1月18日に67歳でこの世を去ったグレン・フライへのオマージュで、フライが作者としてクレジットされている1975年ジ・イーグルスのヒット曲のタイトルを拝借しました。合掌。
 その呪われた夜はこの小説では2012年12月24日の夜。小説の話者は前作(小説第1作め)の『エディー・ベルグールにけりをつける』(2014年発表)と同じ「エドゥアール ・ルイ」で、オート・フィクションです。この2012年12月、話者は最初の小説『エディー・ベルグールにけりをつける』を書き終わり(出版にはまだこぎつけていない)、前作で描かれた貧困と村意識と男性原理とあらゆる種類のレイシズムに浸りきっている北フランスの故郷を離れ、パリで社会学を研究するエリート学生になっています。ウィキペディアの記述によると、正式に名前を「エディー・ベルグール」から「エドゥアール・ルイ」に変える手続きを取って新名を許可されたのは2013年のことで、この小説では自分のことは「エドゥアール・ルイ」と名乗っていながら、警察や病院で呼ばれる名前は「エディー・ベルグール」になっている、という過渡期です。そのクリスマスの夜、エドゥアールは親友のジョフロワ(小説ではこのファーストネームだけ登場ですが、実在の人物は社会学者のジョフロワ・ド・ラガヌリー)とディディエ(同じくファーストネームのみの登場。実在の人物は哲学者のディディエ・エリボン)とレヴェイヨンの食事をし、ノエルの贈り物としてそれぞれから本をもらって、真夜中前に二人と別れて「早くその本を読みたい」というワクワクした気持ちで、11区レピュブリック広場に近い自宅アパルトマンに帰るところでした。
 その自宅への早足の途中で一人の男が寄ってきて、エドゥアールを(もろに)ナンパしようとします。多分その前の親友たちとのアルコール酔いが残っていて、そのガードをゆるめたのでしょう、執拗に言いよる男にエドゥアールは根負けして、会話が始まります。男の名はレダ。言わばストリート不良です。話していくうちにこの男が60年代にカビリアから戦乱を逃れてフランスに渡ってきた難民の子であることがわかります。レダは父親がどのような状態でかの地を逃れ、どのような状態でフランスに迎えられたか、という悲惨を語ります。あらゆる名前のレイシズムを体験しているわけで、それはレダの代まで続いている。誇り高いカビリア人たちはその歴史や言語や文化の違いにおいて「アラブ」と混同されることを嫌います(このことは小説でことさら強調されていることではありませんが、重要なことなので続けます)。アラブがカビリアを弾圧する長い歴史があるからです。多くのフランス人は北アフリカ人=アラブという判で押したような先入観があり(それはフランスの原初的なレイシズムの一態で、小説の後で出てくる警察による取り調べでも繰り返し現れます)、レダはそのことからはっきりとアラブ人嫌悪があります。このアラブとカビルの違いを認識しないフランス社会にあって、「僕は知っているよ」とカビル語の一言二言を発語するエドゥアール。これだけでどれだけレダが打ち解けるか。そして今でこそエリート学生のような身のこなしをしているものの、その少し前まで貧困とあらゆる名前のレイシズム、マッチスム、同性愛排斥等が渦巻く北フランスの村(これが前作『エディー・ベルグールにけりをつける』に描かれた環境です)の中にいたエドゥアールは、境遇的シンパシーを抱かないわけにはいかないのですね。
 この打ち解けた交感は軽々しく急展開し、レダはエドゥアールのアパルトマンまで上っていき、二人は性交します。いいですか?エドゥアールの記憶では「4、5回」愛情交わりをしたことになっているんです。すごいエネルギーです。これって激情と言うべきものではありませんか。しかしこれが恋慕の始まりなのか、ということに関して、小説は非常に曖昧です。この曖昧さは、その後の出来事の結果に引っ張られての曖昧さだということとが読んでいくうちに了解されていきます。
 状況の急変はシャワーの後です。一緒に浴びればいいものを。一人一人が別々にシャワーを使ったものだから、エドゥアールはその後、自分のスマホがなくなっているのに気づきます。それから自分のiPadがレダの上着のポケットの中に入っているのにも気がつきます。エドゥアールはそれを直接的に咎めようとはしません。なんとか穏便に解決しよう、としますが、スマホの中に保存されている写真だけは取り返したいという気持ちが...。レダは逆上激昂の頂点にまっしぐら。盗人呼ばわりされた、侮辱された、俺の民族・俺の母親まで辱めた....。マフラーでエドゥアールの首を締めます。絞殺寸前まで。そして拳銃を取り出しエドゥアールのこめかみに銃口を当て、おまえの顔をぶっ壊してやる、と脅迫します。そしてエドゥアールを強姦します。たくさんの血が流れます。この野獣と化したレダは、この呪われた夜の明け方、エドゥアールのアパルトマンを出て去っていくのですが、一度引き返してきて戸口まで来てこう言うのです。
Tu es sûr que tu veux que je parte ? Je suis désolé. Pardon.
俺に本当に出て行って欲しいのかい? 悪かった。すまん。

 これが呪われた夜のだいたいのあらましです。小説はこの暴行事件を時間軸通りに記述するものではありません。話者は複数いて、その最も重要なのが妹のクララです。彼にとっては地獄に等しい北フランスの村と家族を捨ててパリで研究者・作家となったエドゥアールの身内での唯一の理解者というポジションの妹で、家族とエドゥアールの和解も願っています。ものを多く言わない頷くだけの男と結婚していて、その二人だけの家にエドゥアールが事件後に避難していき(エドゥアールはそれを後悔しています)、一部始終をクララに告白します。翌朝、エドゥアールが寝ていた部屋の隣の台所(兼食堂)で、クララが夫を相手にエドゥアールの身に起こったことを詳しく説明します。それを扉の隙間からエドゥアールが聞いている。つまりクララのヴァージョンでこの事件が描写されるわけです。これはエドゥアールの語り口とは全く異なり、北フランス・田舎人・下層階級の表現と語彙で展開します。これを聞き書きする形でこの小説の中にクララ・ヴァージョンが引用されるのですが、エドゥアールはそこに間違いの訂正や注釈を加えるという二重チェックがあります。
 クララは自分ほど兄の全てをよく把握している人間はいないという「血のリクツ」に基づいた断定が多く、われわれ日本人にも親しく了解できる(非ロジカルな)田舎説法がこの小説に全く別のディメンションを加えます。わ、この作家はこんなこともできるんだ、という驚きがあります。
 そしてまた別のヴァージョンというのは、親友ジョフロワとディディエの視点であり、エドゥアールは凶暴な事件にも関わらずレダへの感情がまだ曖昧なままであるのに、彼がそこから抜け出すためには事件を自分の外に出すしかない、法的に告訴して、事件を外在化するしかない、と説得します。
 精神的にももちろん肉体的にも衰弱した状態で、エドゥアールは警察に出頭して告訴の手続きを取ります。 ここでまた事件の別のヴァージョンが警察作成の調書という形でできてしまうのです。上にも少し書いたように露骨にレイシストな取調警官とのやりとりがあります。エドゥアールは途中で告訴することを悔いて、もう取り止めたいと言うのですが、警察側は「この時点ではこれはもはやあなた個人の問題ではなく、"Justice"の問題なのだ」と言われ、取り消しも認められないのです。
 そして病院でも同じで、「強姦」という事態では担当の場所も医者も違い、事件は法医学的にまた違うヴァージョンとなってエドゥアールにおいかぶさってくるのです。
 エドゥアールはクララに、親友に、警察に、病院に、何度も同じ事件のことを話したはずで、その度に相手によって若干は違った供述になっていたかもしれないけれど、事件は同じものなのです。ところが、その度に事件はヴァージョンを変え、エドゥアールの外側で複雑に分裂・膨張していきます。その分裂して膨張した全容を一編の小説に詰め込んだのです。恥辱・苦痛・悔恨・自虐の一人称小説ではなく、多視点からこの凶暴な事件の苦痛を書き直していくような作業です。レイシズムや同性愛差別や貧困の問題にもコミットしています。前作『エディー・ベルグールにケリをつける』では、極端に閉鎖された田舎社会(貧困・レイシズム・同性愛排斥)の被害者のストーリーという一面的な読まれ方が、その凄絶な筆致を情念的な評価にしていたと思います。この小説は、それだけではなく、こんな多面体的な組み立てができて、多視線のエクリチュールができるのだ、という大変な才能に脱帽します。23歳。3年がかりで書いた作品です。読むのにキリキリ胸が痛くなる作品であることも付け加えておきます。

EDOUARD LOUIS "HISTOIRE DE LA VIOLENCE"
SEUIL刊 2016年1月 230ページ 16ユーロ

カストール爺の採点:★★★★⭐️

 (↓ 2016年1月、国営テレビFRANCE 5「ラ・グランド・リブレリー」で "HISTOIRE DE LA VIOLENCE"について語るエドゥアール・ルイ)

2021年4月19日月曜日

エディー・ド・プレットとエドゥアール・ルイ

2021年3月から4月、本稿の二人の主役の新作が出た。現在29歳のエディー・ド・ブレットは3月26日にセカンドアルバム『A tous les bâtards (すべての雑種たちへ)』を発表し、デビューアルバムの極私的な”変わり者”の叫びからレンジを広げ、世から白眼視されるあらゆるビザールでフリークでマージナルな人々の代弁者たらんとしているようだ。デビューアルバムほどの支持を集められんことを。次いで4月1日、現在28歳のエドゥアール・ルイは第4作めの"小説(?)"『ある女の闘争と変身』を発表、4月中旬現在、書店ベストセラー1位の好評を博している。白状して比較すると申し訳ないが、前者に比して後者に何倍もの興味を持っている私である。2014年の第1作『エディー・ベルグールにケリをつける』以来、当ブログはこの作家の動向を積極的に紹介してきた。これまでエドゥアール・ルイの"文学”作品で当ブログが書いていなかったのは2018年の『誰が僕の父を殺したか(Qui a tué mon père?)』のみだったが、ここにラティーナ誌2018年7月号に発表したエディー・ド・プレットのデビュー作とルイのこの作品を紹介した記事を再録することにした。今読み返しても、非常に重要な作品だったことが了解される。
(2021年4月19日記す)

★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★

この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で2018年7月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。

ふたりのエディー
(in ラティーナ誌2018年7月号)

から5年前、2013年4月23日、同性の結婚を認める法律(発案法相の名をとって「トービラ法」と呼ばれる)が国会で可決され、フランスは世界で14番目の同性結婚が可能な国になった。その前後で同法に反対する保守系+極右系+カトリック系市民のデモは一時は百万人を動員するほど勢いがあったが、時と共に同性結婚はフランスの普通の市役所前風景(記念写真)となりつつある。成果のあまりなかったオランド政権時代(2012-2017)の、ほぼ唯一の金星と言っていい。この一歩の前進にも関わらず、フランスでの同性愛者及びLGBT全般に関する偏見・差別はまだまだ根が深く、暴力的な嫌がらせや迫害事件は絶えない。少年期に家庭でも学校でもそういう苛めを体験した音楽アーチストと作家、共に今年25歳、共にゲイゆえに受けた苦渋の体験をベースにした作品を発表し、共に名前をエディーと言う。

 2017
年のブールジュの春フェスティヴァルで最高の新人と評価されて以来、エディー・ド・プレットは凄まじい勢いでその知名度を上げ、まだレコードも出ていなかったので有力レーベルが争奪合戦を繰り広げたと言う。レパートリーはすでにSNSで瞬く間に広がり、その秋には周るコンサート会場の先々でオーディエンスが全曲を声をかぎりに唱和するという現象に達した。このどこから出てきたのかわからない若者の衝撃の最初はそのルックスである。小柄(身長170センチ)な体躯に、中世フランドルの画家ヤン・ファン・エイクの肖像画から出てきたような青白く平面的な気難しい表情の顔、それは日本の俗っぽい表現では「ブサイク」な男である。そしてステージ上に現れるのは、バックトラックを詰め込んだスマホ(iPhone)、ドラムスセットを叩くドラマー、そして青白い青年(エディー)だけなのだ。この構図では観客は俺しか見ない、というしたたかな計算は、彼がリセ時代から学んだ演劇から得たものだと言う。ラップ/ヒップホップのDJによるシンプルで重みのある抒情的短調3コードのバックトラックに、驚くほど正調で明瞭な発声の歌い込みヴォーカル(クロード・ヌーガロ、ジャック・ブレルを想わせるほど)が一語一語の言葉をはっきりと聞き取らせる。約1年後の20183月にやっとリリースされた初アルバム『キュール(療養)』には歌詞ブックレットを故意につけていないのだが、その必要などない、という自信がはっきりと見える。
 この子は愛や希望など歌わない。その歌は世の規格や慣いから外れて生きた私的体験からの恨み節でもあり、反抗の表現でもある。エディー・ド・プレットは1993年にパリの南の郊外新都市クレトゥイユで生まれ、そこで育ち、早くからその郊外的環境から抜け出さねばと目覚めたと言う。それはすでにラップ系のアーチストたちが繰り返して告発していた貧困・失業・人種差別・パラレル経済(犯罪、ドラッグ)の環境であり、子供の頃から閉ざされた未来を看破してしまう。7歳の時、両親が離婚し、彼は母親の新生活に拒否反応を示す。甘ったれで母の愛を渇望していたこの子は、満たされずに泣いてばかりいた。彼の教育に関してはほとんど不在だった父親は口を開けば「泣くんじゃない、外でボール蹴りをしろ、強い男になるんだ」と言うばかり。この父親の「雄々しき男たれ」という叱責は後述のエドゥアール・ルイに共通する重要な小児期トラウマであるが、エディー・ド・プレットは「キッド」という歌でこう表現している。


雄々しくなるのだ、キッドよ
体力と威圧する態度と大物の恰幅をもって輝くのだ

おまえの性は弱者たちを嘲り勝利する

目に花火を散らして歓喜するのだ

限度を知らぬ雄々しさ

限度を知らぬ雄々しさ

でも僕は女の子たちと遊ぶ

でも僕はペニス自慢などしない

でも僕はあんたの顔に皺を作らせ

あんたの説教なぞ消えてなくなれ

(「キッド」)
 自らのホモセクシュアリティーと両親の目と世の中のコードを曖昧に妥協させるために、少年は「ヘテロ・アクティング」(あるいはストレート・アクティング)という生活態度を取る。すなわち筋力を鍛え、女の子を誘惑し、男言葉だけを使う。だが、それもある日「おまえなんかおかしい」「おまえはノーマルじゃない」「おまえはフツーじゃない」という極めてアグレッシヴな言葉の前に、空中分解を起こしそうになるのである。この世界は凶暴である。子のジェンダーを理解しない親、少数派のセクシュアリティーを認めようとしない社会、ノーマルと見なされない性。

  僕は完璧にノーマルだ 

  完璧にフツーだ

  僕は完璧にノーマルだ

  愚かでかなりビョーキだ

  (「ノーマル」)

 
 この叫びは、ジェンダーを問わず、ノーマルを強いる世の中に窒息しそうだった子たちに響き、コードに順応しないこともノーマルであるという新しいマニフェストになる。表面的にエディーの歌はゲイ・コミュニティー運動闘士のメッセージのように読まれるきらいがあるが、その物語はもっと具体的で個的な体験から抜け出そうという極私的な反逆である。まだアルバムも出ていないのにヴィクトワール賞にノミネートされ、そのコンサートスケジュールは2019年までソールドアウトという異常な熱狂が彼を包んでいる。ストロマエやジャック・ブレルと比較されながら、シャンソンやヒップホップのコードを破った15トラック入り極私的アルバム『キュール』は2018年3月にリリースされるや、5月現在までチャート1位を独走している。

 もう一人のエディー、作家エドゥアール・ルイは本名エディー・ベルグールとして生まれたのだが、その生い立ちと縁を切りたいがために21歳の時に正式な法的手続きをとってエドゥアール・ルイに改名した。その経緯は2014年の衝撃のデビュー小説『エディー・ベルグールとケリをつける』(邦訳『エディに別れを告げて』2015年東京創元社)で展開されている。

 北フランス、鉄道駅まで15キロ離れた人口数千人の村、皆が皆と顔見知りで、何十年も何百年も同じ時に生きているような村社会での鉄の掟は、女は女らしく、そしてとりわけ男は男らしく。その掟が最も徹底しているのが労働者階級の環境であり、話者エディーの家庭は父親が工場就労中に事故で背中を砕かれ、療養後の再就労も再就職も難しく、最低生活保障金に頼って生きるようになる。父のアルコール依存、兄の暴力、切り盛りする母もあらゆるゴマカシなしにはやっていけない。エディー・ド・プレットの歌と同じように「雄々しく生きろ」を小さな息子に繰り返す父親。この環境の中でホモセクシュアリティーを自覚してしまった少年は、学校と家庭で徹底的に苛め抜かれるのである。
 2012年この小説の原稿を彼は複数の出版社に送りつけるのだが、読んだ編集者たちが一様にこれを拒否した理由が「地方と言えども今日のフランスにこのような旧社会があるわけがない」と描写の過度の誇張と見なしたからなのだ。パリ左岸に集中する文芸出版社各社の編集者たちには地方の現実が何も見えていなかったのだが、それはパリや大都市に住むフランス人たちが選挙の度に地方が極右政党FNに大挙して投票することが理解できないのと同じことなのだ。エドゥアール・ルイはこれはすべて真実であり、僕はフィクションを書かないし、書けないと言い張る。

 幸いにして2014年スイユ社から出版されたこの小説は初版2000部を発売日に売り切り、2ヶ月後には16万部に達する大ベストセラーになった。小説は貧困とホモ差別に打ちのめされた少年エディーが、学業が優秀であるというその一点に救いを見出し、16歳で地方の中央都市(アミアン)のリセに編入移住することで村と家から脱出するストーリーである。なお、この6月に横浜で開催されるフランス映画祭で上映予定のアンヌ・フォンテーヌ監督の映画『マーヴィン、あるいは素晴らしい教育』は、この小説を原作としている(ただし原作からかなり自由翻案されている)ので、観れる方はぜひ。

 第2作の『暴力の物語』は20161月に発表された。これも実話に基づく私小説で、第1作『エディー・ベルグール』を書き終え(まだ出版にこぎつけていない)、パリで社会学を専攻するエリート学生となっている2012年のクリスマスの夜、社会学の研究者仲間二人と共に聖夜の夕食を済ませた後、帰宅する途中の道で出会った北アフリカ(カビリア)出身の不良青年に誘惑され、フィーリングが合い自宅に引き連れ性交したのち、青年の態度が豹変して首を絞められ、絞殺寸前まで締め付けられながら強姦される、という実体験が描かれる。このあらましを複数の話者(エドゥアール自身、彼の妹のクララ、研究者仲間二人)の証言で再現するという、やや手の混んだ立体的に構築された小説世界を展開する。事件そのものの凄まじさもさることながら、第1作とは異なる文学のディメンションの大きさを思わせ、この若い作家の力量を見せつけた作品だった。

 それから2年少し経った2018年5月に発表された第3作めが『誰が僕の父を殺したのか』である。この90ページ足らずの薄い作品は小説と呼ぶべきものか、私は判断できない。「誰が殺したのか」と題するも推理ものではない。ましてや「僕の父」は殺されても死んでもいない。その父とは第1作『エディー・ベルグール』で、男らしくない息子を罵り侮蔑していた人物であり、息子が憎悪しか抱いていなかった人物である。あの村社会だけでなく、この男から逃れるために少年エディーは必死に抵抗していた。あの小説を書いてから5年後、作者は再考した。父親と同居していた十数年間、物心がついて以来父親を敬遠し、その不在を願い、その侮蔑の言葉に傷ついてばかりいた。憎悪しかないと断定していたのは、それ以外のことを知らなかっただけなのではないか。

 父親は息子だけでなく、妻にも見限られた。現在父親は妻に追い出された家から遠くない村に「新しい女性」と二人で暮らしている。しかしもうほとんど歩行もままならず、夜は酸素補給装置をつけて寝ている。まだ50歳である。この年齢でこれほどボロボロになったのは、十数年前に働いていた工場で重機が背中に落ちてきて背骨を砕いてしまったのが原因だった。リハビリで完治しない状態で工場復帰するが長続きせず、失業、最低生活保障金で一家はどん底で生き延びてきた。そしてアルコール依存。しかしサルコジ政権の時代、「就労可能なのに求職せず社会保護受給する者」への締め付けが始まり、健康上のハンディキャップも考慮されず父親は車で30分の距離にある自治体の清掃夫として再就職を余儀なくされ、そこでさらに体を痛めてしまうのである。この21世紀に文明国の人間を50歳で廃人にしてしまうものは何なのか。これが『誰が僕の父親を殺したか』の主題である。
 問いは一方的に息子のもので、父親は問いも答えもしない。作者は憎悪の対象としてしか見ようとしなかった父親の見えなかった記憶を他者や事件の記録を通して再訪する。憎しみを消すためではなく、理解するために。どうせ16歳で工場に勤めるしかないという閉ざされた展望ゆえに、少年期の父親は勉学と学校を嫌い、皆と同じようにワルで硬派だった。この村では男として生まれたらその他に選択の余地はない。だから息子も、という一本道を作者は拒んだ。父を裏切り、男らしくならずに学問の世界に進むことを選んだのだ。

 この作品の冒頭で作者はアメリカの女性知識人ルース・ギルモアの「レイシズムとはある階層の人々を早期の死の危険に晒すことである」という言葉を引用し、「この定義は男性上位、反同性愛・トランスジェンダー、階級による支配、その他あらゆる社会的政治的抑圧にも通用する」と続けている。この90ページの本は、前2作にはなかった政治的考察に満ちている。50歳にして廃人になった父親の問題は政治的なのである。再会した父親の人生を再検証したエドゥアール・ルイからは憎しみが瓦解していくものの、その50歳の惨状に激しい憤怒が立ち上ってくる。彼の第一小説を拒否した編集人たちの反応と同じで、彼が出てきた地方の労働者階級の人々(それは全国津々浦々にいるものであるが)にとって政治とは生きるか死ぬかの問題であるということを理解しない裕福階層に激しく怒っている。労働法を改悪すれば死ぬ労働者が出てくる、社会保障費を減額すれば死ぬ家族が出てくる、この現実を嘲笑するかのように歴代の政府は貧しい者たちをさらに追い込んできた。「誰が父親を殺したか」その答は政治であり、父親を殺した者たちには名前があり、シラク、サルコジ、オランド、エル・コムリ(オランド政権時の労働法改悪大臣)、マクロンと作者は名指していく。これは一体文学か、という問いには、私はこの告発と憤激の記述のエモーションは文学の力であると断言できる。

 この書物の最後に息子と父親の短い会話がある。父親は変わったし弱くなった。それまで村の周囲の大人たちと同じように極右に投票していた父親が、息子が高校の頃に左翼運動をしていたことを思い出す。

「おまえ、まだ政治のことしてるか?」
「前よりももっとしているよ」
「おまえが正しい、俺も一回いい革命があったらいいと思うよ」

68年5月革命から50年めの5月、エドゥアール・ルイと父親は革命という言葉で和解した、と読めるのではないか。

(ラティーナ誌2018年7月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)


Eddy de Pretto "Cure"
CD/Digital Initial Artist Services - Universal
フランスでのリリース:2018年3月2日

Edouard Louis "Qui a tué mon père"
Seuil刊 2018年5月3日 90ページ  12ユーロ

 
(↓)エディー・ド・プレット「キッド」オフィシャルクリップ。



(↓)2018年5月、国営テレビFrance 5「グランド・リブレーリー」で『誰が僕の父を殺したか』について語るエドゥアール・ルイ。

2021年10月18日月曜日

僕はすべてを試した

Edouard Louis "Changer : méthode"
エドゥアール・ルイ『変える:方法』


リスティーヌ・アンゴがあのことについてしか書けないように、エドゥアール・ルイもこのことについてしか書けない。エドゥアール・ルイは初小説『エディー・ベルグールにケリをつける』(2014年)以来、書くことはすべて自らの過去と訣別するためであった。それを書き続けるのは、振り払っても振り払っても過去が反復して蘇ってくるからであり、その呪縛にいかにして打ち勝つかの闘いに読者はつき合わされることになる。
 フランス北部の小さな村に生まれたエディー・ベルグールは、貧困と家父長制男性原理社会の中で育ち、そのホモセクシュアリティー傾向を徹底的に侮蔑罵倒されていた。父は村のほとんどの男たちが代々そうだったように工場労働者となっていたが工場での事故で体の自由を失い、転職もままならずアルコール漬けになっていった。母は暴力的な夫に従い、絶対足りるはずのない低収入で一家を切り盛りしていたが、支払い期限を待ってもらったり、食糧を分けてもらったりする時に母の代わりに行かされるのがエディーだった。弱そうな子供が頼みに行けば大目に見てくれるという母親の算段だった。食卓ではテレビがつけっぱなしで無言で食べる。パスタやジャガイモの量は切り詰めても、父とそのダチへの振舞いのためにビールとパスティスは常にふんだんにある。村では中学を出れば男たちは工場で働くようになり、女たちは結婚して家に入る。エディーは成績が良く、演劇部の教師の推薦もあり、北フランスピカルディー地方の中心都市アミアンのリセに入れることになった。その村では例外中の例外である。これがエディーの変身の第一歩だった。
 本書は14歳で初めて「実家」を出ることができた頃からのエディーの奮闘の記録である。何を奮闘しているのかというと、呪われ打ちのめされ続けてきた過去をいかに断ち切るか、過去と断絶した新しい自分に生まれ変わるか、ということだ。 村と父に侮蔑され続けてきた少年の反逆は別人になることだった。
 アミアンでの最初の"カルチャーショック”は言語であった。たった数十キロ離れた地方都市でエディーは聞いたこともない、理解が難しい言語と出会い、萎縮する。級友とのコンタクトを避けるために図書館に行き、ひとり本を読むふりをする。エディーが本を貪りつくように読むようになるのはしばらく後のことで、それまでは読むふりがやっとだった。そこで図書館員の女性と知り合い、少しずつ知への興味が芽生えてくる。この時期のエディーの段階的な変身のきっかけとなる人物たちはすべて女性である。演劇教師、図書館司書、アミアン文化センター人事課,,,。素晴らしい女性ばかりである。その中で最も重要な女性が、本書の第一章として140ページの分量で語られるエレナである。この第一章は同時に父親への私信としても書かれていて、子供から少年時代までのエディーの閉塞した世界を形成した第一責任者としての父を"tu"(あんた)と呼び、その世界から抜け出すことがどれほど過酷なことであったかの恨み言が綴られている。だがその呼びかけは大体が「あんたにはわかるまいが」なのである。あの村の世界とは違う世界があるということを、この父親には理解できるはずがない。そしてその世界からの脱出に最も重要な役目を果たすのが、このエレナなのである。
 出会いは青臭い。リセで最初に悪友になった少年二人から、誰もとっつかない変わった娘がいるから、おまえ口説いてみろ、と。ワル少年二人の視線を背後に、エディーはエレナに近づいていく。「何を読んでいるんだ?」とエディーが尋ねると、訝しげにエレナは本の表紙を見せる。『夜の果てへの旅』。「僕の知らない女だな」、すると少女は高笑いし「セリーヌは女の名じゃない。姓で男の作家よ」と。恥で真っ赤になりながら、ワル二人との約束を果たすべく、しどろもどろにエディーは言った「きみとマンコしたいんだ」。背後でワル二人が大笑いしている。エレナはすっと立ち上がり「あんた未熟よ」とその場を去っていった。
 この瞬間エディーの目に見える世界はガラガラを音を立てて崩れていき、村の延長でしかなかったワル友ふたりを断ち切り、何がなんでもこの娘のいる世界に入りこみたいと心に決める。アミアンのブルジョワ家庭の娘、古典から現代文学まで図書館のような蔵書とクラシック音楽のレコードライブラリーがあり、作家主義映画を観る。エディーにはすべてが新しかった。彼はエレナと対等に話すことはできなかった。ベースが違い過ぎるのである。だが必死になってエレナを模倣しようとした。エレナの読む本を読み、映画を観た。エレナの家は快くエディーを迎え、母ナディアは夕食のテーブルに着かせた。夕食の席ではワインを飲み、知的会話を楽しむのである。こんなものは北の村には存在しない。夕食は沈黙してテレビを見るのが慣わしだった。エディーはまず夕食の食べ方を学び取り、そしてこの夕食会話の言語を学び取った。そして夕食に呼ばれたら、必ずワインか花を携えていくことを知った。
 エレナはエディーをラジカルに改造していった。文化教養全般、ものの言い方、身のこなし、着る物、友人関係 etc。エレナは最初からエディーがゲイであることを知りながら、最良の友だちであることに幸福を感じていて、二人はエレナの部屋の同じベッドで寝ることが習慣になった。エディーはこの時、「ブルジョワ化」することが過去を断ち切る最速の道だと思っていた。
 ちなみに”エドゥアール”という名前はナディアに由来する(p104)。

僕は呼び鈴を鳴らし、ドアを開けたのはナディアだった。
こんにちわエドゥアール。
僕は動けなくなった。それは最初のことであり、僕はなぜ彼女が僕の名前でない名前で僕を呼んだのか理解できなかった。彼女は僕の顔に表れた驚きを見抜き、
あなたのことをエドゥアールって呼んでかまわない?だってエディーというのはエドゥアールを短縮した呼び名でしょ、エディーって本当の名前らしくないわ。私はエドゥアールの方が好きだしずっとエレガントだと思うわ。かまわないでしょう?


後年に正式に姓名を変えることになるエディーのエドゥアールへの変身は名前という具体的なもので先行していったのだ。
 だが、アミアンの4年間はエレナとの「ブルジョワ化」変身だけではない。村の子供時代から隠しつつ抑えること強いられていたホモセクシュアリティーが、やむことのできないものになり、エレナに隠れて性関係を享受するようになる。エレナにはのちに包み隠さず話すようになるのだが、このエッセンシャルな真実に言い訳はない。Il est plus fort que toi。ここがエレナとの関係における翳りの始まりと言える。
 過去と断絶する闘いは、リセを卒業しアミアンの学部に籍を置く学生になって、いざそのあとどうなるのかと考えた時、再び無知と貧困と差別の過去に飲み込まれてしまう恐怖が襲ってくる。エレナとの"共闘”は行き詰まる。そんな時、アミアンで講演会を開いた哲学者/社会学者ディディエ・エリボンとの出会いが電撃的なショックとなる。本書第二章はこのディディエが与えた影響について80ページにわたって記述されている。要はこの人物がモデルであり模範であるということなのだ。1953年生まれのこの著述家は、北フランスシャンパーニュ地方のランス出身で、エディーと同じように封建的なムラ社会で貧困と無理解とホモセクシュアルへの差別の中で育ち、それを抜け出すにはパリのアカデミックな世界に飛び込み、学問を極め、自らの論考・思想を学会や著述を通じて世に知らしめるしかなかった。その講演は(生まれ故郷の)「ランスへの帰還」と題され、この哲学者の道程を語るものだった。エディーは徹底的に打ちのめされ、この自分と瓜二つの過去を抱えた先達になりふりかまわずアプローチし、自分のやるべきことはただ一つ「僕はあなたのようになりたい」と告げる。
 このレベルではパリに行くしかないのである。アミアンくんだりではどうしようもないのだ。ディディエ・エリボンの道はわが道なり。知的エリートとして世に認められ、過去と訣別するための著書を世に出すこと。この変身のための第二ステップをエディーはエレナに説得し、パリに一緒に行こうと誘うのだが...。このいてもたってもいられない次のステップへの移行への渇望を(本書のエディーの書いていることからすれば)エレナは理解しない。本書の後半すべてはこのエレナへの言い訳に終始する。ここが痛ましい。
 寒村からアミアンに出てきたエディーを大改造し「ブルジョワ化」したのはエレナだった。エレナの読む本を読み、エレナの聴く音楽を聴き、エレナの観る映画を観た。それはエレナが手本規範であったからであり、エレナのレベルに到達しなければ過去から脱することができないという急務だったから。アミアンの4年間でエディーはエレナに追いついた。だがそこに止まってはいられない。僕はもっともっと変わらなければならない。エレナも僕と一緒に変わろうと、訴えるのだが...。端的に言えば、エレナは地方ブルジョワの娘として変身/転身への渇望があるわけではない。パリに行く理由などない。寒村で極端にいじめ抜かれた過去もない。逃げるべき過去がない。ここが本当に痛々しい。
 そしてエレナの母ナディアの痛烈な言葉がある。「結局あなたは私たちを利用したのでしょう?」 ー エディー・ベルグール/エドゥアール・ルイはさまざまな出会いに支えられて一廉の人物の地位まで昇りつめていく。パリのインテリゲンツィアと交流し、名門校中の名門校エコール・ノルマル・シューペリウール(高等師範学校)入学の特訓を受け、世界的アーチストたちのサロンに出入りし、世界的富豪たちに招かれて旅行やレストランのテーブルを共にする...。このコネクションを彼は「利用 profiter」したという誹りは免れられないだろう。エレナやナディアやディディエ・エリボンを「利用した」と思われることに、この本は必死の言い訳を試みるのだが...。
 パリに住み、エコール・ノルマルに在籍し、名前を変え、歯並び矯正、美容整形... 。富豪たちから可愛がられたと思うと、明日の食べ物に困るほど困窮したりもする。背に腹は変えられず、ついに「売春」にも手を染める。本書にふたつある序章のふたつめ(p19 - p27)が、おそらく著者にとって最も恥ずべき体験であったと思われる「金目当ての性関係」が克明に描写されている。相手の望んだ通りのことができなかったという理由で半額に値切られるのだよ!
 大団円は執筆挫折、放棄、逃避行(バルセロナ)などすったもんだの挙句に遂に書き上げた『エディー・ベルグールにケリをつける』(2014年)の刊行である。この時著者は21歳だった。21歳ですでに「生きすぎた」とエディーは述懐している。
 そして26歳でその「生きすぎた」生を総括したのが、この330ページの本である。永久革命ではないが、絶え間なく変身していくことを運命づけられた人間の回顧録であり、その連続的な変身が止まればあの「過去」に再び飲み込まれてしまう、という恐怖の切実さが理解できる。裏表紙にこう印刷されている。

僕の人生の中心に課せられたひとつの問題、それは僕のすべての考察を凝縮したものだし、僕がひとりで自分自身と向き合っているすべての時間を占領した:いかにして僕の過去に復讐を果たすことができるだろうか、どんな方法で? ー 僕はすべてを試した

本書は著者が試したすべてを開陳するつもりで書かれたものだ。まだまだ足りなくて、また同じことについて書き続けるだろうが、それがこの著者のサダメだと私は思う。

カストール爺の採点:★★★★☆

Edouard Louis "Changer : Méthode"
Seuil 刊 2021年9月16日 336ページ 20ユーロ


(↓)国営ラジオFrance Inter 朝ニュース番組で(フランスで最も鋭いジャーナリストだと私は思う)レア・サラメのインタヴューを受けるエドゥアール・ルイ。


2021年4月21日水曜日

パリに住んでて、ドヌーヴと知り合いなのよ

Edouard Louis "Combats et métamorphoses d'une femme"
エドゥアール・ルイ『ある女の闘争と変身』

21歳の時『エディー・ベルグールにケリをつける』で作家デビューしたエドゥアール・ルイは28歳になった。北部フランスの地方部の(これまで誰も書くことがなかった)極端な貧困と封建的男性原理社会の中でホモセクシュアルの子として疎外と虐待を受けて育ち、いかにしてそこから抜け出したかを綴った第1作『エディー・ベルグール...』(2014年)以来、著者はその生の真実しか書いていない。自伝的オートフィクションなどというレベルではない。これはルイにとっての真実なのである。だからこれが「小説」あるいは「作品」なのか、ということは著者にとっては何ら問題ではない。彼が生身で体験した事件と環境をそのまま描いた。これが世にはばかるのである。フランス語で言うところの "qui dérange"、つまり泰平の眠りを邪魔するものなのである。それは誰も書いたことがなかったことだったのだから。最初の書『エディー・ベルグール...』の原稿を出版社数社に送ったあとで受け取った拒否の返事がみな「21世紀のフランスにこのような貧困が存在するわけがない」というものだった。この赤裸々な真実は誰も書いたことがなかったから、編集者たちは信じなかったのだ。
 自らが性暴行の被害者となった事件の一部始終を描いた『暴行譚(Histoire de la violence)』(2016年)が、多面体的にたくみに構築された「文学作品」として読めるという点でやや例外的な一冊と言えるが、続く『誰が僕の父を殺したのか(Qui a tué mon père?)』(2018年。ラティーナ誌2018年7月号に紹介記事)は『エディー・ベルグール...』で心底憎悪していた暴力的で無教養であらゆる差別の代弁者であった父親を再考し、何世代にもわたって再生産される貧困のシステムの被害者として50歳で廃人と化した父を「理解」する書であった。
 16歳で奨学金を得て、村の実家から出てピカデリー地方の中心都市アミアンのリセに通うようになって初めて得られたエディー(当時の本名)の自由、この日から著者のラジカルな変身が始まるのだが、それは最初は過去と決別することであった。数年後その決別の経緯を題材として作家となったルイは、その後唾棄するほど嫌悪していた過去に何度も立ち戻り、再発見と和解を体験する。第二作『暴行譚』では妹のクララの真の姿を、第三作では政治と構造的貧困の犠牲者としての父の姿を。そしてこの新著では母親モニックを再発見してしまう。
 発端は一枚の写真である。いつどこで手に入れたのか思い出すこともできない、本に挟まっていた母の20歳の時の写真。セルフィーなどという言葉が存在しなかった30年ほど前、おそらく安物オートフォーカスカメラで遊んでいたのだろう、自分の顔にレンズを向け、自分でシャッターを切った写真。屈託も邪気もない若い娘の顔。ルイは思う:
きっと私は忘れてしまっていたのだ、私が生まれる前、彼女は自由で幸せだったのだということを。
もちろん彼は自分が生まれたあとのことしか知らず、その母は父と同じほどに彼に冷たく高圧的だった。 そしてその子のホモセクシュアリティーを理解しようとせず、擁護する側に立たず、父親と同じようにその”性向”(女の子のような動作ふるまい)をなじった。
 北フランスで貧しく育ったモニックにも若い頃は調理師になるという夢があった。16歳で専門学校に入ったものの、好きでもない鉛管工事職人と関係ができ妊娠してしまう。なりゆき上の結婚、18歳で一児の母にして専業主婦。男は暴力的でアルコール漬けで女癖が悪い。育児が落ち着けば専門学校に戻り好きでもない男と別れて自分の道を、と考えてもいたが20歳で第二子が。モニックは二人の子供のため、と夫の嘘と暴力とアルコールに耐えてきたが、我慢が限界を超え23歳で二人の子を連れ家出し、妹の住むHLMに居候する。学歴も職歴もない女が幼子二人の面倒を見ながらどうやったら生きていけるのか。前夫のところから飛び出して数ヶ月後、たぶんこれしか生き延びる方法がなかったのだろう、彼女はひとりの工場労働者と出会い、関係を持つ。これがエディーの父親になる男であるが、彼は三人を迎え入れ、新生活が始まる。しかしこの男は前夫と同じほどに暴力的でアルコール漬けで野卑なのだった。二人の子供を養うために始まった好きでもない男との家族生活は悪化の一途を辿る。第1作『エディー・ベルグール...』でも詳しく描写されているが、夫は働いている工場で工作機械が背中に落ちてきて重症を負い、入院とリハビリの甲斐なく、再び働くことが難しくなってしまう。労災と失業手当で一家を養うのは極めて厳しい。この窮状を忘れるためのアルコールの量は倍増し、口論とDVは耐えない。一家は再婚後にできたエディーのあと、さらにモニックが双子を妊娠してしまう。経済的に養育不可能と知っていながら、夫は(封建的家父長制のおきてか、信仰もないのに頭に叩き込まれているカトリック的価値観からか)、絶対にこの双子を出産して育てよ、とモニックに厳命する。子供5人(そのうちのひとり前夫からの連れ子の長男が凶暴な不良になっていく)、仕事に出れない夫、モニックは村の老人介護のパート仕事をもらいわずかな収入を得るが、極端な貧困状態は改善されるわけがない。
 本書はこの何重もの悲惨からモニックがいかにして抜け出したか、という記録である。著者がこの母親と同居していた15年間(生まれてからアミアン転居まで)、少年エディーにとってモニックは味方ではなかった。暴君的で無教養な父親側の人間であり、父親に対するのと同じようにエディーはこの母親を恥じた。子供同士の会話で「あれはおまえのママンか?」と聞かれたら、違う、と答えていたし、学校の父兄呼び出しの時に母親が学校に来ないように手を回していた。恥ずかしいのは貧しい身なりだけではない。とりわけその言葉づかい、語彙、口の聞き方だった。だが、それが少しずつ変わっていったということにエディーは気付いていなかった。今になって記憶の中でルイはその変化を再発見していく。それは、児童のある低収入家族のための夏休み補助金を初めて公的機関に(ややこしい書類を書いて)申請して行けた初めての子供たちとのヴァカンスの幸福であり、忙殺の家事の日常から初めて解放された笑顔を子供たちに見せたことだったり、偶然知り合った(階級的にひとつ上の)不幸な女性とあたためていった友情のおかげで、それまでしたことのなかった化粧や美容院通いや女同士でカフェで談笑することや近隣都市に行ってのショッピングなど”フツーの”女性たちの真似事ができた喜びだったり...。貧困と村社会と男性原理に打ちのめされ続けてきたモニックは、少しずつ「解放されたい」「自由になりたい」「自分の人生を取り戻したい」という希望の風を肌で感じるようになっていった。それを妨げるものは暴力を振るい、人前で彼女のことを「脂肪のかたまり」と罵り、身体能力が徐々に低下して手間がかかるようになり、アルコールと悪いダチとの付き合いがひどくなっていった夫(エディーの父親)だけなのである。
 既にパリで作家となっていた著者の第二作『暴行譚』で書かれた性暴行事件の翌年、夜に電話が鳴り、開口一番「私ついにやったわよ」という母の声。
私は彼女が何のことを話しているのかすぐに理解し、私も興奮してこう言った「話して!どんなふうにしてやったの?」。彼女は一息ついて語り出した「いつものことであの男、家に戻らなかったの、あんたも知ってるでしょ。何時に出て行ったのか知らないけれど、私は食事を作ってあいつを待っていたの。でもね私自分にこう言ったの、もうおしまいだって。私はもうあの男を待たないし、この先ももう絶対待たないって。もう待つのはうんざりだって。」
(僕はあんたを誇りに思うよ、あんたにそれもう言ったっけ?)
彼女は続けた「それから私はあの男の身の回りのものすべてをゴミ袋につめて、家の前の舗道に放り出したの。こんなふうにね。私はもう自分を止められなかった。それからあの男が戻って来て家の扉を開けようとしたけど、私は全部鍵をかけておいた。そしたらあいつ壁や窓を叩いて叫び出した。私あいつのことはよく知ってるよ、私から見ればあいつは何が起こったのかよくわかったんだと思うよ。私は扉越しにあいつに言ってやった、もう二度と帰って来るなって。あの男「もう二度と?」って聞き返すから、私は繰り返した「もう二度と!」。あいつ泣き出したんだけど、私は自分に言い聞かせた、許しちゃだめだ、屈したらだめだ、って。もう許すのはおしまいよ。」
(p81 - 82)
母は50歳に手が届く頃に、構造的貧困と夫の暴力と差別に打ちのめされた無産の地方女性から自由への逃走を果たした。 それは同じ貧困と父の暴力と封建的性差別に打ちのめされたホモセクシュアルの自分と同じ闘いだった、とエドゥアール・ルイは気付き、ひとりの女性モニックと和解し、母を誇りに思う。この薄い120ページの本は、その和解を祝福する闘争のドキュメンタリーと読める。
 その後も母の革命は続き、ひとりの男性と出会い、大きくなった子供たち(問題ある子もいる)と別れ、(移住にしばらく躊躇したものの)パリのアパルトマンのコンシエルジュとして働き始めた”彼”を信じて首都に上って行き、夫婦コンシエルジュとして働いている。若返り、生気を取り戻し、息子エディーのようにパリで生きている。著者はこの闘争と変身の書の打ち上げ花火のように、最後部にモニックとカトリーヌ・ドヌーヴの出会いという美しいエピソードを紹介する。これは是枝裕和監督がパリで『真実』(2019年、主演カトリーヌ・ドヌーヴ、ジュリエット・ビノッショ、イーサン・ホーク)を撮影していた時、その現場にエドゥアール・ルイが立ち会っていて起こった話。
 既に作家になっていた私は、ある映画撮影に招かれていてその現場に彼女もいた。ある時私の後ろにいた男が休憩を取ろうと私に言い、きみはカトリーヌ・ドヌーヴと話してみたくないかと尋ねた。私はもちろんですと答え彼のあとをついて行った。彼女と面と向かった時、私は彼女に何を話すべきかいろいろ考えてしまった。あまりシリアスなことでもだめだし無駄話でもだめだ、と。そして私は母のことを思いついた。母はドヌーヴのことが大好きだったのと同時に、これほど母と違った人生は母には不可能だったはずだから。私はドヌーヴに私の母があなたの家のすぐ近くに住んでいますよ、と軽い話題のように話した。政治や世相について通り一辺のことを話すことは避けたかったから。
 カトリーヌ・ドヌーヴは大きく目を見開いた。私は彼女が驚いたのを見てとり、彼女に母が建物のコンシエルジュとして働く伴侶を頼ってパリにやってきたことなど母の変身について語り始めた。彼女は微笑み、タバコを吸いながら、いつかあなたのお母さんに会いに行くわ、と言った。
 数日後、母が電話してきた。「たった今、誰と一緒にタバコ吸ってたと思う?カトリーヌ・ドヌーヴよ!」
 私はドヌーヴがそんなことをするとは思ってもみなかった。私は彼女が母に会いに行くと私に言ったのは礼儀からのことだけで、初対面の会話の気まずさを避けるためだけのことだと思っていた。
 母は電話でカトリーヌ・ドヌーヴが母の建物まで来て、一緒にタバコ吸いながらお話ししない?と母を誘ってきたと語った。「私は彼女と話してる間中、気づかれないように周りを見回したの。だって私はできるだけ多くの人たちに私が彼女と話しているところを見てほしかったの。私はすべての人にカトリーヌ・ドヌーヴが私に話しかけてるというのを知ってもらいたかったのよ。」
 私は母の声にこれほどまでの気の動顛を聞き取ったことはない。母が若い頃からずっと憧れていたこの女優とのやりとりが、母の変身のために母が費やしてきたすべての努力の凝縮を象徴しているかのように。目をくしゃくしゃにして母はこう要約した:「私はこれまで人生をなすがままに放ったらかしておいた。でもね、今、私はパリにいて、カトリーヌ・ドヌーヴと知り合いなのよ。」
(p101 - 103)

笑ってしまおうではないか。拍手しようではないか。闘争は勝利し、変身は真実のものになった。エドゥアール・ルイが書くから、この真実味はただものではない。

Edouard Louis "Combats et métamorphoses d'une femme"
Seuil刊 2021年4月 120ページ 14ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)国営TVフランス2のトーク番組「On est en direct」で自著『ある女の闘争と変身』について語るエドゥアール・ルイ



2014年3月30日日曜日

男らしいってわかるかい

エドゥアール・ルイ『エディー・ベルグールにケリをつける』
Edouard Louis "En finir avec Eddy Bellegueule"


 作者エドゥアール・ルイは現在21歳の学生で、これが小説第一作です。はっきりと自伝フィクションであると言っています。国営TV局フランス5の読書番組「ラ・グランド・リブレーリー」に出演した時に、作者はこの原稿をさまざまな出版社に見てもらったのだけど、「こういう社会は今日のフランスでありえない」「過剰に戯画的で現実から離れすぎている」という理由で拒否された、と語っていました。そんな現実はパリの出版界、すなわちいわゆるジェルマノプラタン族(かつて大手出版社が6区サン・ジェルマン・デ・プレに集中していたので、その編集者たちや界隈のカフェやホテルに打ち合せでやってくる作家やジャーナリストたちのことを指す言葉です)からは見えっこないのです。というわけで、まずこの原稿を発掘して出版したスイユ社に敬意を表します。
 自伝的と言われるからには、作家の年齢から察するにこの小説の展開する時代は1990年代末から2010年頃までです。つまり昨日今日の話なのです。場所は北フランスの小さな村です。一番近い国鉄の駅まで15キロ。この距離からこの村は世界から隔絶されているとは想像しづらいのですが、この小説ではフランス最深部です。千人に満たぬ住人たちは皆が皆のことを知っていて、その皆がこの村で生まれてこの村で死んでいく者たちなのです。村には工場があり、農家や商家や公務員でない家に生まれた男児はすべてこの工場で働くことになっているのです。何百年もそんなサイクルで動いている村なのです。だから男の子供は勉強なんかする必要がない。どうせ工場で働くのだから。義務教育が終われば「CAP」(職業適正資格)をもらって工場に勤めるようになる。勉強してよい成績を上げて高等教育を受けて都会に出て高給の仕事に就く、というヴィジョンを村全体が最初から挫いているのです。おまえはそんなことをしなくてもいい。
 その代わり、男として生まれてきたからには、本物の「男」に成ってもらわなければ困る。小説では "un dur(アン・デュール)"という言葉で表現されています。ワルでいいから、頑強で、怖いもの知らずで、マッチョでなければならない。フットボールがうまく、(極端に)アルコールに強く、女性への欲望に満ち満ちていなければならない。そういう男でなければ、そいつは村中から徹底的に苛められるのです。
 このムラ世界において、女性はどうかと言うと、やはり学校なんか行かなくてもいいから、早く男を見つけて子供を産んでテレビ見ながら家事をして最後まで家族の面倒を見ながら歳老いて死ぬ、という20世紀的なコンディションなのでした。少年(あるいは男)が交際相手を変えるということは、どこかの国のようにむしろ「男の甲斐性」として擁護されるのに、少女(あるいは女)が同じことをすると「尻軽」「娼婦まがい」の罵倒が待っているのです。
 その上、主人公エディーの家庭には極端な貧困という問題があります。小屋のような家屋に一家6人で住んでいる。典型的な un dur であった父親は中卒後皆と同じように工場労働者として働きますが、背骨に障害を起こし働けなくなってしまう。治癒後に希望のない求職活動をしますが、(村の多くの男たちと同じように)アル中になってしまい、職探しを断念してしまう。RMI(復職準備最低収入)だけで家族6人を養うことなど絶対的に不可能です。衣食住の経費をいくら切り詰めても喰えないものは喰えない。「心のレストラン」に援助を求めたり、父親が釣ってきた魚を食べたり、村の食料品屋で前借り(この交渉は常に幼いエディーの役目)で買ったり、という生活苦の中で生きています。
 エディーはこの父と母の最初の子ですが、上に母の連れ子である義兄と義姉がいます。母の前夫はアル中で死んでいます。この小説では男たちは例外なくアル中です。義兄もまた un dur でアル中で極めて暴力的であり、口論の末自分の義父を殴打し重症を負わせるということまで平気なのです。こういう暴力とアルコールと男性原理が支配するムラ世界に、エディーは生まれます。父も母も「男の子」の誕生を望んでいた。父も母も喜んでいましたが、エディーはちょっと変わった子供だったのです。それは成長するにつれて、ものの言い方や仕草に顕著になってきます。父親は手荒な方法を使ってでも、エディーを「男の子」にしようとします。自分のような un dur になれ、というわけです。
 
 子供時代に関して僕は幸福な思い出など一切ない。これらの年月の間、僕は幸せや喜びの感覚を味わったことなど一度もない。苦痛という全体主義に支配されていた。そのシステムに入りきらないすべてのものはそれによって抹消される。

 これが小説の最初の4行です。それに続いて、中学(コレージュ)の廊下で、新入生だったエディー(十歳)を二人の上級生(大柄の赤毛、小柄の猫背)が待ち伏せしていて、エディーの顔に痰を吐きかけるシーンになります。「おまえがうわさのペデ(ホモ野郎)か」。この痰の吐きかけとそれに続く殴る蹴るの暴行は、二人の上級生がコレージュを卒業するまで、毎朝の儀式として続くのです。
 この少年が受ける苛めと差別と迫害が、この小説の大部分であり、この小説はこれに尽きるのです。読む者は(フランス人の大部分はということでしょうが)こんなフランスが20世紀末〜21世紀初頭に存在したとは信じられないのです。しかし、2012年〜2013年、みんなこんなものは時代の趨勢で当たり前でしょうが、と思われていた「同性婚法(Mariage pour tous 法 2013年5月17日国会可決成立)に、轟々と反対する勢力があり、デモに100万人を動員するフランスが確実に存在していたのです。私にはわからない。こんなフランス(反ホモ、反同性婚...)があったということは、少なくとも私には信じられなかった。ところが、この小説は、フランスの地方の現実は21世紀的現在において、こういう状態なのだ、ということを実体験として語っているのです。
 小説は少年の「性の目覚め」(否応無しに自分は「普通の男の子」とは違うという目覚め)と、それへの抵抗(なんとかして「男」になろうという度重なる試み)と、その挫折が描かれます。もう、どうしてここまで、という打ちのめされ方です。無理矢理、女の子に興味を持ち、女の子と交際し,女の子と肉体的に交わることによって「男」になろうとします。果たせません。
 すべてのことやり尽した少年エディーはこの地獄から脱して、自分が自分として生きるためには、両親・家族・村と決別するしかないと悟り、脱走計画を練るようになるのです。
 「エディー・ベルグール」(美顔のエディー、イケメンのエディー)という本名かどうかわからない、意味深な姓名はこの小説の大きなカギです。「エディー 」というそれまでフランスに存在しなかったファーストネームは、父親がテレビのアメリカ産連ドラにインスパイアされてつけた名前だと言います。「エディー」、「ジャッキー」、「ジミー」.... こんなファーストネームを持ったフランス人は確かに地方部に多いと思います。テレビはこんなふうにフランスの貧困の慰みになっていたのです。この北フランスの小村のエディーの家庭でも一家の中心はテレビなのです。父親も母親も昼夜つけっぱなしのテレビだけが、ムラの外の世界とつながっていることのすべてになっているのです。ところが誰もムラの外には出ようとしない。われわれの世界はここなのだから、これでいいじゃないか、という閉鎖性、この外の世界がここに入ってもらっては困るという「排外主義」、こういう人たちはアラブやユダヤやロムやあらゆる外国人を嫌い、銃を持ってそういう夷戎を排斥しようとします。その排斥すべき敵のひとつに「ホモセクシュアル」があるわけです。このフランスは何十年も何百年も前からそうだったのだ、とこの小説は言っているのです。
 「エディー・ベルグール」と決着をつけ、それを殺害・消滅してしまわなければ、この青年は再生することができない。「美顔のエディー」はこの世からいなくなり、作家エドゥアール・ルイは今、私たちの目の前に生きているのです。「勇気」という程度ではない、決死の「刺し違え」の覚悟がなければ書けなかった小説だと思います。作者はこの小説のせいで、母親と父親、親族、生れ育った村のすべてを敵に回し、すべての関係を失いました。「男になる」ということを拒否した、それだけのことなのです。自分の自然な姿で生きるということを選んだ、それだけのことなのです。世界は、より具体的には、フランスはまだまだ残酷な生を強いているのです。凄絶なエクリチュールに圧倒されます。

カストール爺の採点:★★★★☆

Edouard Louis "En finir avec Eddy Bellegueule"
Seuil社刊 2014年2月 222ページ 17ユーロ


(↓)フランス国営テレビFrance 5 の読書番組"LA GRANDE LIBRAIRIE"に出演したエドゥアール・ルイ(2014年1月)


PS : 4月4日
記事タイトルはもちろんこの歌からいただきましたが、今この YouTube見たらエドゥアール・ルイの小説とかけ離れているわけではないのだ、と感じ入りました。大塚まさじに敬意を表して。

 

2018年12月8日土曜日

エドゥアール・ルイ:黄色いチョッキに加担して

『黄色いチョッキを侮辱することは僕の父を侮辱するに等しい』

ディー・ベルグールにケリをつける』(2014年。邦訳本は『エディに別れを告げて』 2015年)の作家エドゥアール・ルイ(現在25歳)が、2018年11月から始まった全国規模でのガソリン燃料税増税反対抗議運動「ジレ・ジョーヌ(Gilets Jaunes、黄色いチョッキ)」について、12月4日レ・ザンロキュプティーブル誌上で支援トリビューンを寄稿。「暴動」、「治安不安」の側面からしか取り上げることのない日本のメディアからでは、この運動をネガティヴにしか見れないであろう日本の同志たちへ、今起こっていることの意味を少しでもわかってもらいたく、速攻で全文訳しました。12月7日に向風三郎のFBタイムラインに載せたものと同じものです。レ・ザンロキュプティーブル誌およびエドゥアール・ルイに許可は得ておりません。緊急のこととご理解ください。

(翻訳始め)
もう幾日も前から僕は「黄色いチョッキ」についてそれを支持する文章を書こうと試みたがうまくいかなかった。この運動に降りかかる極度の暴力性と階級の侮蔑が僕を麻痺させる。それはある意味で僕を個人的に狙い撃ちしているように感じられるからだ。
黄色いチョッキの最初にイメージとして現れたのを見た時に僕が感じたショックをどう描写していいものか僕はわからなかった。僕は数々の記事に添えられた写真の上に、公のメディアスペースなどには一度も登場したこともない多くの姿を見ていた。苦しみ、仕事と疲労と空腹に焦燥しきった姿、支配される者たちへの支配する者たちによる絶えることのない辱めに痛めつけられた姿、社会的なあるいは地理的な理由によって排除された姿、僕はこれらの疲れきった体、疲れきった手、押しつぶされた背中、衰弱した目の数々を見ていた。
僕の動揺の理由、それは確かに僕の社会的世界の暴力と不平等性に対する嫌悪によるものであることは確かだが、それだけでなく、たぶんそれはまず第一に、僕がこれらの写真で見た人々の体は、僕の父、僕の兄、僕の叔母…の姿に似ているということなのだ。彼らは僕の家族、僕が子供時代を過ごした村の住民たち、貧しさと惨めさで健康を冒された人々の姿に似ているのだ。僕の子供時代、この人々はいつも毎日のようにこう繰り返していたのだ「俺たちは誰も信用しない、誰も俺たちのことなど知ったことではない」ー僕がこの運動について即座に降りかかったブルジョワ階級による侮蔑と暴力が僕個人に向けられたものだと感じた所以はここにある。なぜなら僕自身にとって、ひとりの黄色いチョッキを侮辱するおのおのの発言は、僕の父を侮辱するに等しいからなのだ。
この運動が生まれるやいなや、僕たちはメディア上で「専門家」たちや「政治家」たちが黄色いチョッキ集団と彼らが体現する抗議運動を矮小化し、糾弾し、揶揄するのを見た。SNS上で僕は「野蛮人」「バカ者」「田舎者」「無責任」といった言葉が飛び交うのを見た。メディアは黄色いチョッキ集団の「不平」についてこう論じた:庶民階級は反抗はしない、彼らは不平を言うのだ、動物のように。一台の自動車が焼かれ、一軒のショーウィンドウが壊され、ひとつの像が破損された時、僕は「この運動の暴力」という言葉を聞いた。暴力という言葉の認識の相違といういつもの現象だ。政界とメディア界の大部分は、暴力とは政治によって貧困に落とし込まれ破壊された何千もの命のことではなく、何台かの焼かれた自動車のことであるとわれわれに信じ込ませようとする。歴史的モニュメントに落書きされたことが、病気を治療すること/生活すること/食餌を摂取すること/家族を養うことの不可能さよりも重大であると考えることができるとは、これまで一度たりとも悲惨というものを知る体験がなかったに違いない。
黄色いチョッキ集団は飢えと生活不安定と生命と死を問題にしているのである。「政治家」たちと一部のジャーナリストたちはそれに対して「わが共和国の象徴に傷がつけられた」と答える。この人たちは一体何を言っているのだ? よくもそんなことが? この人たちはどこから来たのか? メディアは黄色いチョッキ集団のレイシズムと嫌同性愛傾向をも取り上げる。彼らは誰をバカにしているのか? 僕は僕の本について語りたいわけではないが、これは興味深いことなので強調しておくと、僕が小説を発表するたびに僕は貧しいフランスの田舎を貶めていると糾弾されることになるのだ。それはまさに僕が僕の子供時代の村にはレイシズムと嫌同性愛風潮があったと言及したからなのである。庶民階級に益する何事もしたことがなかったジャーナリストたちが、(僕の小説を糾弾することによって)おもむろに憤激し庶民階級の弁護者のふりをするのである。
支配者たちにとって庶民階級は、ピエール・ブールデュー(仏社会学者)の表現を借りれば、Classe Objet(オブジェ階級、客体的階級)である。言説によって操作されうるオブジェ(客体)であり、ある日良き貧しき真正の庶民であったものが、翌日にはレイシストにも嫌同性愛者にもなれる。この二つの場合においても土台にある意図は同じものである:すなわち庶民階級による庶民階級に関する意見の噴出をさまたげること。前日と翌日で矛盾することになろうとも、庶民は黙らせておかねばならない。
たしかに黄色いチョッキ集団の中で嫌同性愛やレイシズムの言動はあった。だがメディアとこれらの「政治家」たちはいつからレイシズムと嫌同性愛を憂慮するようになったのか? 一体いつから? 彼らはレイシズムに反対して何かしたのか? 彼らが持ち合わせる権力でもって、アダマ・トラオレ(註:2016年7月マリ系移民の子アダマ・トラオレが警官の暴行で命を失った事件)とトラオレ支援委員会について語ったことがあるのか? フランスにおいて毎日起きている黒人とアラブ人に対する警察の暴力の事件について語ったことがあるのか? 同性結婚法(註:トービラ法 Mariage pour tous)の時、彼らはフリジッド・バルジョー(註:元コメディエンヌ、反トービラ法の論客)と某司祭に発言の場を大きく与えたではないか。そのことによって、テレビの席で嫌同性愛論が可能になり、まかり通るようになったのではなかったか?
支配者階級とある種のメディアが黄色いチョッキ運動の中における嫌同性愛とレイシズムについて語る時、彼らは嫌同性愛にもレイシズムにも言及しているのではない。彼らは「貧乏人は黙っていろ」と言っているのである。一方、黄色いチョッキ運動はいまだに形成途中の運動であり、その言語はまだ固まっていない。黄色いチョッキ集団の中に嫌同性愛やレイシズムが存在するならば、その言語を変えていくのがわれわれの責任である。
「私は苦しんでいる」と言うにはさまざまなやり方がある。ひとつの社会運動、それこそが、苦しんでいる人々が「私は移民流入と生活補償手当を受けている私の隣人のせいで苦しんでいる」と言うのをやめて、「私は国を治める人たちのせいで苦しんでいる。私は階級システムのせいで苦しんでいる、エマニュエル・マクロンとエドゥアール・フィリップのせいで苦しんでいる」と言うようになる可能性を開くものである。社会運動、それは言語の転換の契機であり、古い言語が衰退されうる契機である。それが今日起こっていることである。数日前から僕たちは黄色いチョッキ集団の使うボキャブラリーの言い直しに立ち会っている。最初の頃はガソリン燃料のことばかり聞こえてきたし、「保護受給者」のような聞きたくないような言葉も聞こえてきた。しかしその後は不公平、賃上げ、不正、といった言葉が聞かれるようになっている。
この運動は続かなければならない。なぜならこれは公正で、緊急で、根本的にラジカルなものであり、それまで不可視の領域に押し込められていたこれらの顔と声は、今や見られることも聞かれることもできるようになったのだから。闘争は容易ではない。黄色いチョッキ集団は大部分のブルジョワジーにとっては一種のロールシャッハテストのようなものであり、普段は婉曲的に侮蔑を表現しているブルジョワジーに直接的に階級的侮蔑と暴力を表すよう強要する。この侮蔑は僕の周りの非常にたくさんの生を破壊したし、今もその破壊を続けている。前よりもさらに多く。この侮蔑が僕を沈黙させ、僕の書きたかったことを書くのをやめさせ、表現したいことを表現させない寸前まで僕を麻痺させていたのだ。
僕たちは勝たねければならない。僕たちは多く、僕たちは言い合っている:さらにもう一回左派が敗北することなど、つまり苦しんでいる人々が敗北することなどもう堪えられないのだ、と。
エドゥアール・ルイ(2018年12月4日)
(翻訳終わり)

(↓)フランス深部アルプ・マリティーヌ県の山間の村で抗議デモを行う黄色いチョッキ集団(国営テレビFrance 3のニュース)


(↓)黄色いチョッキ集団、12月1日パリ。



2022年1月29日土曜日

Dear Prudence

Michel Houellebecq "Anéantir"
ミッシェル・ウーエルベック『無化』

 

物というオブジェを偏愛する作者が、自ら装本の細かい指示(紙質、ティポグラフィー、割付...)を出して作らせたという、ドイツ装(私はドイツの本を持ったことがないのでわからないが、そう呼ばれているそう)ハードカバー、背綴じ、赤栞リボンつき736ページ、重さ830グラムの大著。こだわりに相応しい風格。日本語訳も同じ装本で出るのかな?もう準備されているとは思うが、これは日本語訳たいへんなのではないかな。まず「政治」が大きな要素になっているので、このフランスという国の政治が現状況においてどうなっているのかを外国読者に知っておいてもらわないとついていけないところがあるように思う。これまでのウーエルベックの小説に比較できないほどドメスティックなのだ。現フランスにかなり近いのである。
 設定は2026年末に始まり2027年末まで。2027年はフランス大統領選挙の年であり、その前の大統領選は2022年。現実の今2022年1月の時点で投票(4月10日と24日の2回投票)まで3ヶ月を切っていて、まだ公式に立候補していない現職マクロンを除いて、他候補たちのキャンペーンはオミクロン禍真っ只中で進行中。2015年発表の小説『服従』でウーエルベックはこの2022年にイスラム穏健派候補が大統領に当選するシナリオを描いたのだが、この新小説では違うシナリオになっていて、その名前は一度も登場させていないものの現職大統領(つまりマクロン)が2017年の当選に続いても2期目(2022年)も当選して2027年の任期満了を待っている。ただし大統領が再任できるのは連続2期までで、2027年はこの現職は立候補できない。政局は安定していて、とりわけ経済再生の評価は高く、政権党の候補が出れば、現職の代わりに当選し、その任期5年間を無難につとめてくれれば、2032年には今の現職が再び大統領として復帰できるだろう、と。この小説の政治風景には左派政党、エコロジスト、伝統保守政党の姿はほとんど見えない。2027年も決選投票となれば政権党と極右RNで争われることになるが、RNはマリーヌ・ル・ペンの次世代の新候補となっていて、これが大変な切れ者である。多少苦戦はするかもしれないが、政権党の勝利はまず動かないだろう、というのが2027年1月頃の大方の予想。

 この現大統領下の政権の10年間の安定を支える最大の立役者が経済相のブルーノ・ジュージュ。その経済再生策が成果を見せたおかげである。この小説が発表された時、メディアはこの人物のモデルは現経済相ブルーノ・ル・メールであろうと報じた。ウーエルベックがプライベートに親しく交友しているそうだが、実のル・メールは中道保守の政治家で2017年のマクロン政権誕生に伴って保守LR党から政権党LREMに合流、以来経済相という重要ポストにある。フランス経済省庁舎はパリ12区ベルシーにあり、1989年に完成し、セーヌ川に片足を突っ込んだ状態で工事をやめたような両端を切られた巨大な高架橋のようなポストモダン建造物(→写真)。小説はこの庁舎建物を舞台にするシーンが多くあり、ウーエルベックがル・メールのつてで詳しく取材したのだろう。
 小説の主人公はポール・レゾンという47歳のグランゼコール出の経済省官僚で、役職は経済相ブルーノの顧問。職場経済省まで徒歩で行けるベルシー地区の高級アパルトマンに住むブルジョワ官僚だが、長年の伴侶のプリュダンス(ビートルズ"Dear Prudence"にインスパイアされた父親がつけた名前)との関係は冷えていて、同じアパルトマン内でほぼ別居状態。経済大臣ブルーノも妻との関係が悪化していて、ブルーノは自宅を離れてこのベルシーの経済省庁舎の最上階にある大臣宿泊室にひとりで住んでいる。だからこの大臣は外出の機会がなければ24時間この庁舎の中にいることになるが、そのことに不満はない。むしろ執務後その宿泊室に懸案の書類を持ち込んで仕事することを楽しんでいるような仕事好き。ピザやサンドイッチを食べながら。そういう仕事大好き大臣のおかげでこの国の経済はうまく回っているが、このブルーノには政治的野心がほとんどない。記者会見やテレビ出演が好きではない。だがその国の経済舵取りの手腕を高く評価され、政治的信望はかなりのもので、政権党は2027年大統領選にブルーノが出馬すれば当選確実と踏んでいる。本人はそれを望まないが、次の政府でも経済相を続けたいと願っている。お互いの夫婦の危機の告白以来、聞き役のポールはこの孤独で無欲(ナイーヴではない"無欲な政治家”像、稀だと思う)な仕事魔に強いシンパシーを抱き、良き補佐役として時々深夜の大臣宿泊室で一緒に呑んでいる。
 さてこの700ページを超える大著は、たくさんの要素を孕んでいるが、大きく4つの軸がある。まずひとつは2027年大統領選挙というフランスの政治の大きなドラマである。ウーエルベックの政情占いという書き方ではない。政治の争点などあまり問題にしなくなった時代、すなわちSNSトレンド/ユーチューバー/インフルエンサーだけがものを言う世界にあっては、このような国を左右する選挙にあってもそのインフルエンサー流の演出テクニックが決め手となり、選挙戦は内実は候補者のパフォーマンスコーチのコーチング戦なのである。うなずける。このシナリオでは政権党と極右RNの決選投票となるのだが、この両党に政策公約の違いはほとんどないのだ(!)。しかしその決戦の行方を決定づけてしまう事件が...。
 第二の軸は犯行声明も要求もない国際的テロ事件である。超先端のテクノロジーのデモンストレーションのような謎のネット乗っ取り映像、極度に絞られた照準に発射された魚雷一発だけで世界経済に甚大な影響を及ぼすことを見越した攻撃、主要国の諜報機関は情報を共有してこのテロを分析するがテロ組織の正体は掴めない。フランス内務省直属の機関であるDGSI(国内治安総局)は、このテロの世界経済直撃という観点から経済相に最新情報を漏れなく伝え、ポールもその中に。さらにポールの父エドゥアールが退役した元DGSI幹部であり、現DGSIでこの件を担当するマルタン=ルノーが当時エドゥアールの部下で、エドゥアールがこの件に関して個人的に調査をしていた可能性がある、と...。そしてこれは第三の軸に関係するのだが、エドゥアールは隠居地であるボージョレ地方の村の屋敷でAVC(脳卒中)で倒れ、命は取り留めたものの全身不随で病院にいる。それはそれ。同じテロ組織のものとみられる第二のネット映像は超精巧超リアルなCG動画で、経済相ブルーノがギロチンで断頭されるというもの。その他伝承民話や秘密結社法典や悪魔学や象形学やデスメタルや... ウーエルベックの碩雑学がふんだんに発揮される謎解きエピソードも。ー この2027年的現在において、テロはイスラム過激派の独壇場ではない。ウルトラ極右、ウルトラ極左、カトリックウルトラ十全主義、ウルトラエコロジスト、終末系宗教、悪魔主義....。超先端のテクノロジーと資金源とネットワークさえあれば、人類の大混乱は起こりうる。この小説は相手が誰かわからない地球規模テロを解き明かしていく、というウーエルベック一流の胸わくわくのエンターテインメントでもある。
 第三の軸は家族ドラマである。上に書いたように父エドゥアールがAVCで倒れる。生死の間をさまよっている父の病床に、離れ離れだった子供たち(ニ男一女)が集まってくる。エドゥアールの妻シュザンヌ(三人の子の母、彫刻家)は既に亡くなっていて、その死後彼の身の回りの世話をしていたヘルパーのマドレーヌがそのまま(結婚はせずに)新しい伴侶となった。北フランスのアラスで暮らしているポールの妹のセシルは、公証人のエルヴェと所帯を持ち、二人の娘がいる。敬虔すぎるほどのカトリック信者であり、その結婚も信仰と関係していた。専業主婦であったが夫のエルヴェが失業するという(公証人が失業する?今日ではありえる話)不慮の事態となり、今後に不安を抱えている。父倒れるの報せに一番先に駆けつけ、おろおろするマドレーヌ(微妙な立場、結婚していないので家族ではない、病院側とのやりとりも介入できない、たぶん相続の話に参加できない...)を支え、病状の把握、医師との対応、すべて的確にこなし、集まってくる兄弟たち家族の寝るところから食事の世話までそつなくこなす。そしてセシルは祈るのである。ひたすらに神に父の回復を願い祈るのである。ポールが病院に馳せ参じてしばらくのちに、医師の予測をくつがえしてエドゥアールは意識を取り戻す。セシルの必死の祈りが通じた、ということを誰が否定できよう。
 ポールとセシルは歳があまり離れていないせいもあり、話は通じる。ところが問題は弟のオーレリアンであり、その歳の離れのせいか兄とも姉とも交流が少なく、性格もおじけた籠り気味の子供だったが、老いてから彫刻家デビューしてそこそこ名を成した母シュザンヌのDNAを引き継いだか、歴史的タピスリーの復元修繕家として文化省依頼の仕事をしている。ポールとセシルはこの弟のことをよく理解していないが、それよりも二人が全く理解できないのはこの弟が結婚した相手インディーのことなのである。ウーエルベックの前作『セロトニン』(2019年)でも”どうしようもない女”がいて、それは日本人女性ユズであったが、本作のインディーのどうしようもなさは全くその比ではない。元花形政治ジャーナリスト、保守系メディアの主筆から左派系メディアの論説委員に簡単に転身できる無節操さが災いしてか徐々にネームバリューを下げ、今はフリーランス。だが第一線復帰を虎視淡々と狙っていて、義兄のポールに強引に接近するのは、大統領選挙の動向のカギを握る経済相ブルーノの独占情報を得たいがため。 ー さて親が生死の境をさまよっている時、子供たちが集まる夜に当然のごとく出てくるのが遺産相続の話。どこも一緒なんだなぁ、と思いつつも、まさかウーエルベックの小説でこんな世俗的な言い争いを読まされるとは思っていなかった。紛糾する原因をひとりでつくるのがインディーで、落ち目ジャーナリストとなった今その収入減の穴埋めに最大限の遺産を絞り取ろうというあからさまな魂胆。それが潰されそうになるとわかるや、このインディーは義父の一族への復讐だけでなく、その代表者で経済相側近であるポールのポジションにひもつけて経済相ブルーノおよび現政権まで醜聞スキャンダルに落とし込む大一番に打って出る(詳細は書かないでおく)。
 (実際の世界で)2020年未曾有のパンデミックによって露呈した この国の医療体制と医療従事者たちの こじれた関係と現場での倫理性に関わる問題の数々、2027年設定のこの小説 でも聖者のように献身的な医師や従事者がいる一方で、人命よりも"効率””生産性””数字”を重視するシステム側の圧力が勝る現場がある。父エドゥアールは昏睡状態から目覚め、全身不随でも目の瞬きで意志を伝えられるまで回復した時点で、病院からEVC-EPRと呼ばれる植物状態蘇生リハビリ施設に転院させられる。内縁の妻マドレーヌが病室に住み込み同居し、車椅子散歩や流動食調理まで懸命の介護の甲斐あって、エドゥアールは少しずつ反応がはっきりしてくる。ポール、セシル、オーレリアンにとっても紛糾のない穏やかな時がしばらく続くのだが、"数字”を重んずる病院上層部は聖者のような担当医師を左遷し、マドレーヌの病室同居を(介護労働者の職を奪っているという理由で)禁止する。このまま父をEVC-EPRに残せば、見殺しにされるに違いない....。
 本ブログでも頻繁に紹介している北フランスの寒村出身の青年作家エドゥアール・ルイが証言しているように北フランスでは選挙になるとフツーに極右RN(旧FN)党に票を投じる。この小説で北フランスのアラスに暮らすセシルとエルヴェの夫婦もRNに投票する者である。フツーに「いい人」っぽいことと極右支持は相反することではないし、RNもフツーに通ってしまうポジションを獲得したということだろう。セシルとエルヴェに関しては深いカトリック信仰という共通のベースがあるが、エルヴェは若い頃行動的極右運動セクトのメンバーだった過去がある。この父エドゥアールの療養施設の収容条件悪化に、エルヴェがイニシアティブを取ってエドゥアール誘拐脱走プランが立てられ、その実行部隊としてエルヴェの旧知の極右地下組織のコマンドが送られる。セシル、ポール、オーレリアンの同意のもとの作戦敢行なのだが、国家上級公務員にして経済省官僚であるポールはことの重大さを甘く見ていた...。
 かくしてウルトラ極右前衛コマンドの計画通り、エドゥアールを医療施設から"救出”し、ボージョレ地方の屋敷に奪回することができた。しかし(上で少し述べたが)オーレリアンの妻で政治ジャーナリストのインディーがこの事件の一部始終を週刊誌上ですっぱ抜き、ことさら経済相側近の上級官僚とウルトラ極右地下組織との密な関係を強調したのだった。オーレリアンは自殺する。そして既に選挙運動中のブルーノはこの醜聞報道を最小に揉み消すことができたが、ポールは休職処分に。奇妙なことにこの誘拐事件はどこからも訴えられることがなく、エドゥアールはそのままボージョレの館でマドレーヌに介護されながら人生の最期まで生きることになろう...。
 さて大統領選挙は予めブルーノが望んだ通り、ブルーノは立候補者とならず、現大統領のもうひとりの”右腕”でポリティック・アニマルであるバンジャマン・サルファティを政権党の候補者として立て、ブルーノは次政権の経済相でナンバーツーというポジションでこの候補を支援する。ところが当初は楽勝と踏んでいたこの選挙戦、追い上げるRNの若い新人候補(マリーヌ・ル・ペンの後継者)はルックスと弁舌力でどんどんポイントを稼ぎ、(上に述べたように政策公約の違いはほとんどないので)経済相ブルーノの”安定成長”実績だけの売りではこの猛追に耐えられるかどうか。つまり2027年は明確な移民排斥主義が大半の選挙民におおいにものを言う時勢となってしまっていたのだ。ところが、ところが...。
 かの連続国際テロ事件は、その犯行声明や要求もないまま、中国船籍の大型コンテナ船の魚雷による撃沈に続いて、デンマークにある(商業的)精子提供機関の極秘の精子貯蔵庫を火炎放射器で全焼させる。後者のはカトリック十全主義系の人工的生殖補助(ART)反対派の行動のように推測できようが、この"精子ビジネス”には国際的巨大資本による投機の動きもあり...。人類存続の是非は「人工」にかかっている、という文明の終焉も見える。犯行グループは象徴的にネット上に悪魔学の図版(←バフォメット)などを残している。これをフランスDGSIの新米職員で、北欧デスメタルにやたら詳しいオタクの若者がいろいろと謎解きをしていくエピソードはウーエルベックの限りを知らない雑学知識の大勝利と脱帽しよう。
 大統領選挙戦が終盤に入った頃、それまで死者を一人も出していなかった連続テロ事件とは異次元の大量殺戮テロ事件が発生する。地中海上でアフリカから北上してヨーロッパ沿岸にたどり着こうとする何百人という難民を乗せたボートを魚雷で沈没させ、救命ブイにつかまり助けを求めて浮いている生存者たちを攻撃船の上から機関銃で一斉射撃し、その海上の大殺戮シーンをネットで生中継したのだ。ー 政権党は選挙キャンペーンの中止を決定する。この事件で移民排斥主義政党(すなわちRN)の敗北は決定した、と。めちゃくちゃにブラックなシナリオであるが、この大惨劇はブルーノらに大勝利をもたらすのである...。

 第四の軸はプリュダンスとの復縁とポールのガン闘病である。この小説は一連のテロや極右や妹セシルのカトリック信仰などで、宗教がいろいろなところで重要なファクターとなっているが、ポールとの関係が冷えて10年間同じアパルトマンで同居/別居していたプリュダンスが少しずつよりを戻してきたのはウィッカという新宗教に入信してからのことである。一時ヴィーガンとなって極端に痩せ細っていた彼女が心の平衡を取り戻して女性の肉体に戻っていったのもこの宗教のせいらしい。男神と女神のある宗教。女性性を取り戻したかのような関係性の復活。かの一連のテロ事件のDGSIの捜査線上にこのウィッカの名前も上がっている。犯人グループの残すネット上の象徴メッセージに、ウィッカのシンボルであるペンタグラム(五芒星、逆さにすれば悪魔のシンボル)が現れる。無神論者ではないが無宗教者であるポールは、2027年的世界でさまざまな宗教がウルトラ化していることを感じている。プリュダンスの帰還を、性行為の快楽の取り戻しによって確認していくポール。愛は復活したが、新しい試練がある。
 単なる歯痛と思って長い間ほったらかしにしておいたものは、ようやく診てもらった歯科医で異状がわかり、耳鼻咽喉科の精密検査で口腔ガンと診断される。パリ5区のピティエ=サルペトリエール病院(私も何度か世話になった)でこの悪性ガンが転移する前に除去手術が可能だが、口腔内の一部と舌を切り取り人工臓器で再生させる必要がある、と。成功しても新臓器(舌)がもとに近い機能を取り戻すには1年以上のリハビリを要する、と。ポールはこの手術をなんとしても避けたい。セカンドオピニオンを求めて、経済相ブルーノの口利きでこの分野でヨーロッパの権威である医師のいる欧州最大級のガン研究所、ヴィルジュイフのギュスタヴ・ルーシー研究所(私が4年前から世話になったいる)へ。最も有効な手段として手術を推奨するが、化学療法(ケモセラピー)と放射線療法(ラジオセラピー)で増殖と転移を抑えながら、ギリギリまで待つことは不可能ではない。しかし手術のタイミングを失い手遅れになる可能性もある。ポールはプリュダンスに偽り、手術を回避する方法を選択する....。
 ケモセラピーとラジオセラピーのさまざまな副作用に苦しみながら、ガン細胞にエネルギーを吸われみるみる痩せていくポール。プリュダンスはそれに献身的に寄り添い、行きたいというところに連れ出し、義父エドゥアールの最後の日々に立ち会っているマドレーヌのように聖母化していく。そしてもはや不可能と思われた性行為まで実現してしまうのだ(この辺はウーエルベックですから)...。

 ポールが証言し立ち会っている2027年的世界は、西欧文明の終焉に近い黄昏た風景であり、人間性がもてあそばれ、政治がほとんど意味をなさなくても選挙をする社会である。生きようとする人たちがよりどころにするのは愛だったり、宗教だったり、もっとウルトラな何かだったり。静かなエピキュリアンでありたかったポールは、治る可能性を選ばず、死を選んだということだが、その死への道すがらに愛にしがみついていたいと思っている。世界は「無化」に向かっているし、ポールも自ら「無化」を病で体験しながらそれに向かっている。
 ウーエルベックにしては泣かせるようなエモーショナルなパッセージがいくつかある。弟オーレリアンとベナン出身の黒人看護婦マリーズとの純愛物語(オーレリアンの自殺で終わる)は本当に泣かせる。だが、この730ページのずっしり重い本にぎゅうぎゅうに詰められた国際経済・地政学、先端テクノロジー、テロリズム、ウルトラセクト、悪魔学、カトリック信仰、新興宗教、フランス政治、フランス医療事情、フランスメディア事情、ボージョレ地方観光、ブルターニュ地方観光、パスカル論、バルザック論、古典推理小説(コナン・ドイル、アガサ・クリスティー)論、最新ガン治療... 、これらの雑学百貨には頭が下がるが、かなりあっぷあっぷなのだった。これだけ網羅された情報の末に、「大小説」感はゼロ。むしろ水増しされた印象。ストレートに心理小説書いてくれれば、とも思うが、そういう作家ではないので。

Michel Houellebecq "Anéantir"
Flammarion刊 2022年1月7日  736ページ  26ユーロ


カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)"Dear Prudence" The Beatles (1968)
プリュダンスの父親は若い頃ジョン・レノンのファンであり、彼女の名前はそこから由来している。そのことを彼女は(出会いの)数週間後に明かしたはずだ。ポールにしてみれば「ディア・プルーデンス」はビートルズの最良の歌では全くないし、さらに言えばホワイトアルバムをビートルズの頂点の作品だと思ったことなどない。彼にはプリュダンスをその名で呼ぶことができず、最も甘美な瞬間にあっても彼は彼女を「マ・シェリー」あるいは「モ・ナムール」と呼んでいた。
(Michel Houellebecq "Anéantir" p 31)


2023年6月1日木曜日

しこりの父


Marouane Bakhti "Comment sortir du monde"
マルワン・バクティ『いかにしてこの世界から抜け出すか』

ず本の体裁から。やや小柄の幅12センチ縦17センチ、右端の上下が丸くカットされている。表紙本文ページとも淡いピンク色。サンリオショップで見かけそうな”ファンシー”なつくり。およそ硬派の文学作品とは想像できないだろう。これはパリの新座の出版社 Les Nouvelles Editions du réveil ("めざめ新出版社”)の第一回めの出版物。特徴的な縦長装本のActes Sud社と同じように、外見で他社出版物との違いを、という方針なのだろう。しかし私はこれは成功してるとは思わないし、文学書を手にしているという感じがしない。人の好みはそれぞれでしょうが。
 フランス西部ロワール・アトランティック県の首邑ナント出身、1997年生れの現在25歳の作家マルワン・バクティの第一小説。小説の話者は一人称単数の”Je"。名前は一度も登場しないが、作者自身を投影したオートフィクションと読める。
 話者の父はモロッコ人、母は「地元人」すなわちブルターニュの女。子供は話者の他に弟と妹。この家族はロワール・アトランティック県のとある町の人口密度の少ない地区、つまり街区から離れて森や沼地など自然に近いところに一軒家で暮らしている。父は工場労働者、母はたぶん専業主婦。とりたてて孤立しているわけではなく、父方の祖父母(モロッコ人)も母型の祖父母も遠くないところにいて、父方の親戚を含むモロッコ人コミュニティーとも交流がある。主人公はアラブ語をよく理解できない。父親はこの息子にアラブ語を習得するように命じるのだが、叶っていない。
 小説はこのフランスの”地方”という環境での小児→少年時代の話者が実体験した不遇や不条理の呪詛に始まる。この子がいかに不幸であったか。その子の周りで話されるダリジャ(Darija = モロッコアラブ語)がほとんど理解できない。父親は無口であるが強権的であり時に暴力的でもある。父親はこの男児をフツーの男児として育てようとする(スポーツをしろ、球蹴りをしろ...)のだが、この子の”性徴”は早くもフツーとの”違い”を現し始める。作家はホモセクシュアリティーとは書かない。ただ”違い”とだけ表現している。この子はその”違い”は人に明かしてはならないものだと本能的に察知する。この違いを父は気づいただろうか、母は、そして最愛の(母方の)メメ(祖母)は?
Je suis terrifié à l'idée que quelqu'un découvre ce que tout le monde sait déjà.
僕はみんなが既に知っているあのことを誰かが気づくのではないかという考えに恐れ慄いている。
そしてフランスの地方/田舎という環境は、否が応でもこの子に”アラブ”というレッテルを貼り、子供たちの間で嫌われて当たり前の”人種”、虐められるに値する”敵”としてみなされる。加えて性徴の”違い”である。この地方社会の凶暴さを耐え忍ぶ試練は、エドゥアール・ルイのデビュー小説『エディー・ベルグールにけりをつける』(2014年)と共通するものがある。ゆえに、エドゥアール・ルイと同様に、この若者にとってもこの(地方)地獄から脱する唯一の方法は親元を離れ、パリに出ることであった。
 しかしこの主人公はここで大失態をしでかすのである。のちに作家を志すようになるほどもの書きが好きだった少年は、その私的体験を書き溜めていた日記のようなノートが既に数冊あった。男の体や男根のデッサンを含む。それを不在の間に父親に発見されたしまったのである。怒り狂った父は、家の庭でノート全冊を”焚書”に処した。焚書とは(政治的意味においても宗教的にも)強烈な断罪行為であり、この烈火に焼き消されるページのイメージは若者をいよいよ父親と父親の属する世界との完全断絶へと向かわせるのである。
 さて、フランスのゲイ界で定番となっているマッチングアプリは Grindr であり、小説はこのアプリを通じて主人公がくりかえすさまざまな「出会い」も描写されるのだが、常に複数の愛人、複数のセフレがいる状態でありながら、不条理にこの世界から忌避されているようなアンニュイ感はこの若者に常についてまわる。たまに現れる”いい奴”、例外的に気の合ってしまう”いい女”なども登場するが、アンニュイはそれよりも強い。
 そしてかの焚書にも関わらず、彼はときおりモンパルナス駅から電車に乗って実家に帰っていく。絶対不可能な距離と思われた父との隔たりが少しずつ縮まっていく。それは言い換えれば父を少しずつ知っていくことだった。父には不透明なところが多い。まず彼はイスラム教徒ではない。父の周囲はすべてそうなのだろうが、彼は祈祷の仕方も知らなければ、ラマダンもしない。ある葬式の時に祈祷も祈りの言葉も知らない父は、見よう見まねでそれを知っていた”僕”を真似るしかなかった。そして普段は無口なのに時々妻や家族の前であるのも構わず、理由なく激昂して止まらなくなることがある父。何か猛烈なストレスが噴出してしまうような。それに加えて過去について語りたがらないこと。祖父祖母と共に父がモロッコからフランスに渡ってきたのはなぜなのか。これはこの小説の中で明かされることはない。経済的な理由だけなのか。話者はこの故国に背を向けて文化習俗環境を断ち切って異国に渡るということは、非常に痛ましく残酷なことだと思っている。そこに居られなくなったのではないかと想像したりもする。この世界から違うよその世界に行くことを夢見ていた少年の日々の自分と、越境のドラマを生きた父親と、その流謫はまったく違う種類のものなのか。しだいに主人公は父のことを理解したいという願望にかられていく....。
 ブルターニュ生まれのごく浅い根しか持たない主人公は、その根の浅さを呪っていた。モロッコ人とフランス白人の”ハイブリッド”であることを負の要素として考えていた。それが小説の進行につれて、忌み嫌っていた”アラブ”世界との接近、さらにイスラムとの接近も見られるようになる。それは父親との和解が近づけば近づくほどなのである。彼はモロッコ国籍を持っていない。フランスのパスポートしかない。フランスで死んだ祖母の埋葬のために、家族共々遺体と同行してタンジールに渡ったとき、税関でそのパスポートのデリケートな問題を痛感する。モロッコで話者は”故国”の心地よさを満喫する。どうしてフランスに帰らなければならないのか、このままモロッコに留まってもいいのではないか、とすら考える。
Notre vie est en France
私たちの暮らしはフランスにある
と父親は断言する。この父親に「モロッコ国籍を取ろうと思っている」と告げる”僕”、それに対して「必要ない、それは危険すぎる」と答える父。その言葉にモロッコでの同性愛者の置かれた境遇についての含蓄があったのかどうかは小説では明言されていない。この父親のようにそれは単純ではない。

 エドゥアール・ルイにおいて貧困/暴力/性差別/地方因習そのほか自分のあらゆる子供時代の不幸の根源であった父親と決別し、やがて回り回って和解するに至った経緯に比べると、このマルワン・バクティのデビュー小説の息子と父親の和解は時間が短く、悲惨なドラマの性格はない。この133ページの短い小説は、父との和解という大団円に向かう大筋はあるものの、単純ではなく、常に憂愁がつきまとうハイブリッドな魂のさまよいにこそ重点が置かれていて、文体は散文詩に近い。父親のことはまだわかったわけではない、モロッコやイスラムにしてもしかり。上(↑)には私は一言も触れていなかったが、文中で最良の恋人であり話し相手である”S”との関係も鮮明ではない。第一小説/25歳的現在なのであろう。完結などできるわけがない。父親のことを筆頭にすべてにしこりが残って終わっているから、次作を読むしかなくなるんだなぁ。

Marouane Bakhti "Comment sortir du monde"
Les Nouvelles Editions Du Réveil 刊 2023年3月30日 133ページ 18ユーロ

カストール爺の採点:★★☆☆☆

註;記事タイトルの出典はタモリのファーストアルバム(1977年)のB面4曲め”けねし晴れだぜ花もげら”で、その歌い出しは「まぶたの母か、しこりの父か」というものです。

(↓)ボルドーの気骨の独立書店 Librairie Mollat 制作のインタヴュー動画で『いかにしてこの世界から抜け出すか』について語るマルワン・バクティ

2022年5月30日月曜日

だんだん良く鳴る法華のタンブール

Bertrand Belin "Tambour Vision"
ベルトラン・ブラン『タンブール・ヴィジオン』

35歳でデビューしたベルトラン・ブランが51歳になって7枚目のアルバムを発表した。2010年の サードアルバム『イペルニュイ(Hypernuit)』の高評価以来、安定した音楽活動および作家創作活動をしていたような(外部から見た)印象があったが、最新のテレラマ誌(2022年5月11日号)インタヴューでは生活はいつも火の車で、他のミュージシャンたち同様、30年間いつも路上(オン・ザ・ロード)にいた、と。そのツアー続きの生活を突然ストップさせたのが2020年のコロナ禍であり、ベルトラン・ブランも30年ぶりの"定住”生活を余儀なくされる。2020年、フランスの第一次外出制限(3月17日〜5月11日)と第二次外出制限(10月30日〜12月15日)の間の夏、8月と9月を通して撮影されたのがラリウー兄弟(アルノーとジャン=マリー)監督のミュージカル映画『トラララ』で、ベルトラン・ブランは主役マチュー・アマルリックの弟役という準主役級の本格”俳優”出演(+音楽担当)という、楽隊稼業とはかなり異なる2ヶ月間を過ごしている。
 そうやってツアー/ライヴ活動なしの1年半のあとで新アルバム制作に入ったら、なにかが変わったようだ。これまでベルトラン・ブランと言えば"ギター”(グレッチ)だった。今回のアルバムではずいぶん後退した、と言うよりもほとんど聞こえない。ギタリストとしてこの世界に入り、35歳でシンガーソングライターとしてデビューするまでは一介のバンドマンだった。そのギターと出会ったのは、ブルターニュの漁村キブロンで不安定な少年時代を過ごしていた13歳の時だった。その出会いを前述テレラマ誌インタヴューでこう語っている。
私が知っていたのはギターが自分のためになる瞬間と時間を私に保証してくれるということだった。私の脳はどのようにメロディーと和音が機能するのかを探し求めた。そのことで私は他のことをしなくてもよくなったし、この休息の感覚によって私は自分の力で100%生きている印象をもたらした。私がそれを望んでいたんじゃない。それは発見だったんだ。私の人生にとって信じられないほどの幸運さ。すでに存在していた音楽というものが、他のミュージシャンたちと同じように私をその従者として従えたんだ。 (テレラマ2022年5月11日号)

ギター(音楽)によって救済された、という感覚で音楽に没入していった少年時代。何から救済されたかと言うと、ベルトラン・ブランの歌に時々現れるテーマであるが、「貧困」なのである。男5人女1人の兄妹、漁師の父、主婦の母。キブロンで何代も前からそうやって生きてきた家系で、周囲の村民もみんな同じようなもの。このフランス深部の貧困は、私たちは北フランスの寒村から出てきた青年作家エドゥアール・ルイの登場で知らされることになるが、苛烈に激情的に短い年月でそれを抜け出すドラマを生きたエドゥアール・ルイとは違い、ベルトラン・ブランは長い年月をかけてここまで来た。露骨にそれをテーマに歌うことはほとんどしていないが、今回のアルバムでは2曲め(つまりアルバム中最も聴かれることを前提に選曲された曲)に"Que dalle tout"というエレクトロ・ロカビリーな歌がある。

先祖代々酔っ払いの家系の出身
宴会の邪魔者
結婚式ぶちこわし野郎
バス停の脅かし屋
猛犬使い
そんな先祖たちから俺は受け継いだ
あることないことすべて

先祖代々酔っ払いの家系の出身
歯止めを食いちぎる
無制限セックス野郎
さかしま城のお殿様
複雑怪奇な肉欲
そんな先祖たちから俺は受け継いだ
くだらないことすべてを
 
すべてすべて
くだらないことばかりを

0と1で長々と続いた家系の出身
血の気の多いおセンチ野郎
ヘビ使い
土地の顔役
そんな先祖たちから俺は受け継いだ
くだらないことすべてを

すべてすべて
くだらないことばかりを

"Que dalle"(クダル)を"くだらない”と訳したのはバイリンガルな爺ならでは(自画自賛)。それはそれとして、この歌は明らかにキブロンの少年時代を投射したものである。貧困とアルコールと奇癖のある代々の住人たち。変わらない深部の人々。
 ベルトラン・ブランはゆっくりと時間をかけてその世界から離れようとしていた。ギターはその道を拓いてくれ、音楽は彼の生活となった。17歳で最初の自作曲を書いたが、人に発表するようになったのは35歳の時だ。その道をひたすらに歩んできたのだが、2020年、コロナ禍はミュージシャンたちの歩みを止めてしまったのだ。強いられた休息。その風景をベルトランは止まってしまった行進のように見ていた。1曲め「カルナヴァル」と3曲め「タンブール(太鼓)」はそのふたつのスケッチである。
カルナヴァル
俺は人間の
裏側を見た
カルナヴァル
俺は俺の頭の
尻を見た
勝利を叫び
敗北を叫んだ
カルナヴァル
征服者の顔
栄光の時
野獣たちの時
カルナヴァル
俺はもう歩けない
俺はもう歩けない
カルナヴァル
俺はくちばしまで
油でどろどろだ
カルナヴァル
俺はもう歩けない

この歩みの止まってしまった行進のイメージは、勝利だろうが敗北だろうが、人間の裏側や公にされた自分の恥部を見てしまった者には耐えがたいものだ。戦争と一兵卒の関係、奇しくもこのアルバムと同じ日に刊行されたルイ=フェルディナン・セリーヌの未発表小説『戦争』(1944年執筆)をも想ってしまう兵士の恨み節のようにも聞こえる。その戦争進軍のリズムを奏でるのが鼓隊であり、3曲め「タンブール(太鼓)」は(クラフトヴェルク風シンドラムで奏でられる)太鼓に引っ張られてしまう兵士や小市民の性(さが)の歌である。

太鼓よ
おまえは良い太鼓か
これらの白骨死体は誰なのか
太鼓よ
この辺を飛び回る
ハゲタカは何をしているのか
太鼓よ
おまえは憎んで欲しいのか
それとも愛して欲しいのか
おまえは俺の音楽を奏で
おまえは俺を美しいと言う
太鼓よ
それはもうすぐ起こるとおまえは言う
太鼓よ
おまえは良い太鼓か
これらの白骨死体は誰なのか
太鼓よ
この辺を飛び回る
ハゲタカは何をしているのか
太鼓よ
おまえは憎んで欲しいのか
それとも愛して欲しいのか
待ってくれ
おまえに追いつくから
太鼓よ
おまえの言うとおりだ
太鼓よ
おまえは良い太鼓だ
さあおまえに追いついた
太鼓よ
俺はここにいる
 極めて政治的な歌にも聞こえる。たしかに2020年以降、私たちは国家主導の「コロナ感染対策」に全面的に従わざるをえなかった。統制に従順な私たちがそこにあった。秩序は保たれ、マスクはすべての人の顔を覆い、休息せよと言われれば休息し、辛抱はしかたないと我慢し、おかげで長時間かかりながら「感染」は押さえ込まれようとしている。こんな号令太鼓もあれば、文字通りの進軍太鼓でロシアは隣国に兵士たちを送り攻め入った。
 『太鼓の視点 ー Tambour Vision』、どうしてこんなアルバムタイトルにしたのだろうか。国家行事や軍隊や祝祭の進行をリードしてしまう鼓手のヴィジョンとは? 鼓手が刻むリズム、あるいは誰か(あるいは国家)が鼓手に刻ませるリズムは私たちを鼓舞させるためか。これにベルトラン・ブランは不安になっているのだ。良い太鼓か悪い太鼓か。私たちは、それが大概は悪い太鼓だと思うようにしたい。
 8曲めに「ナシオナル」というタイトルが来る。「国の」「国家的な」という意味の形容詞であるが、かのナシオナリスト政党だけでなく、ナシオンに固執する人々や出来事は私たちを不安にさせる。「フェット・ナシオナル」(国民祝日)、「アンテレ・ナシオナル」(国益)、「デファンス・ナシオナル」(国防)など十数語のナシオナルとつく言葉を羅列しただけの歌詞。結語に
Autour du soleil 太陽の周りでは
C'est la vie du monde des pays これが国家群でできた世界のあり方
C'est la vie du monde これが世界のあり方
ともってくる。私たちはこれをどうしようもないことだとは思わないが、重い。2015年のベルトラン・ブランのアルバム『ウォーラー岬(Cap Waller)』の新ヴァージョン追加曲に「ラ・ナシオン(国家)」という反軍歌があるが、それと対をなす曲であろう。
 上に既に書いたことだが、このアルバムのバックトラックはギターをはじめ”楽器”が大きく後退して、ミニマルなシンセ音で構成されている。あたかもコロナ禍で楽隊メンバーが休息を余儀なくされているのを象徴するように。メロトロン、プロフィット5、シンドラム...。長年の相棒ティボー・フリゾニとブランの二人だけで作っている。どんなシンセの音かと言うと、70-80年代的な、もろにマリアンヌ・フェイスフル「ルーシー・ジョーダンのバラード」(1979年)の音で、改めてあの頃のシンセは”味があった”と再認識。しかしブラン/フリゾニのバックトラックは、そんな”味”よりも、もともと俳句的に装飾を削りに削り取った表現を好んでいたブランに、ますます”音数”を少なくさせるためのものだったようだ。高踏的な韻文詩人ブランはこういう表現で、国家や権力に反目する視点(ヴィジオン)を展開するのである。
 体言止め、名詞羅列を多用するベルトラン・ブランの詞は易しいものではない。何度か繰り返して聞くことを要求されるが、あのなんとも言えぬトーンで聴かせるビロード低音ヴォイスがその意味の味わいを聴くごとに深化させてくれる。ベルトラン・ブランに惹かれる人は最初から”声”でイチコロなのだと思う。
 今回のミニマルインスト・バックトラックのアルバムで、声と詞が否応なしに深められるのだが、その中で例外的に一番”歌って”いる曲が10曲めの"La Comédie(喜劇)”という歌である。

喜劇(あるいは悲劇)は
もう一度その旗を掲げられるだろう
カルナヴァル
町はマチネーの回に並ぶ
斜めの人影でいっぱいだ
俺もその中にいる
英雄的なトロイ戦争の風
俺はこの音楽を知っているが
俺は好きじゃない

喜劇(あるいは悲劇)は
もう一度その旗を掲げられるだろう
獣たちは交配のために一緒に繋がれても
もう興奮もしない
この分野で
俺は今ここにいることの
ものごとの成り行きを
軽く見すぎていたのか
尻もちをついてしまった

喜劇(あるいは悲劇)は
もう一度その旗を掲げられるだろう
俺は水たまりの窪地で
あるいは水泳の最中に
眠ってしまったのか
この計算では
どうして俺は物に生まれなかったのか
この計算では
俺はバラ色の人生を送ったかもしれないのに

喜劇(あるいは悲劇)は
もう一度その旗を掲げられるだろう
一切宗教儀式なし
一切の名前もなし
一切の星もなし
一切宗教儀式なし
一切の名前もなし
一切の星もなし

お立ち会い、字面見たら、難解でしょう。しかし歌聴いたら、エモーショナルにジ〜ンとなるでしょう。これはハイブロー叙情派の文学体験だと私は思うのですよ。これがベルトラン・ベルトランの名人芸なのですよ。

<<< トラックリスト >>>
1. Carnaval 
2. Que dalle tout
3. Tambour
4. T'as vu sa figure
5. Alléluia
6. Marguerite
7. Lavé de tes doutes
8. National
9. Pipe
10. La Comédie
11. Maître du luth

Bertrand Belin "Tambour Vision"
CD/LP/Digital CINQ7/WAGRAM MUSIC 3414272
フランスでのリリース:2022年5月5日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)ベルトラン・ブラン『タンブール・ヴィジオン』ティーザー


(↓)2022年7月12日発表のヴィデオ・クリップ "Alléluia"(5曲め)