聞き終わって沈黙して固まってしまったモードだったが、ハルは湯気の向こうのその姿がどんどん巨大化する砦のようなものに変わっていくのを幻視し、その幻影を消し去りたいようにその肉体を欲していく。モードはそれを受動的に受け入れるのだが、ハルに生じた強烈な欲情と裏腹にモードは心そこにあらずのような不在感。ベッドでの情交のあとハルは眠りに落ちてしまうが、キツネと風呂の混沌とした夢を見る。目が覚めるとモードの姿はない。次の夜、またモードはハルの家にやってきて、一緒にヒノキの風呂に入り、ハルから昔語りを一話聞き、次いで昨夜と同じようにベッドで情交するが、その不在感は変わらない。こうしてモードとハルは10日間夜を共にし、やがてよそよそしく別れてしまう。 数ヶ月後、ハルはモードが妊娠してフランスに帰ったことを知る。直感でハルはそれが自分の子であり、女児であることを確信する。そこで、在パリの文化情報通の日本人マナブ・ウメバヤシ(それらしい名前であるな)に依頼してモード・アルデンの住所を調べてもらい、すぐに手紙を出す"Si l'enfant est de moi, je suis là(子供が私のものだったら、私はすぐに行く)" 。数週間後、ハルは返事を受け取る"L'enfant est de toi. Si tu cherches à me voir ou le voir, je me tue. Pardonne-moi(あなたの子よ。でもあなたが私か子供に会おうとしたら、私は自殺するわ。ごめんなさい)”。 ハルはこの”禁止”を尊重する。なぜならハルは本当にモードが死んでしまうことを知っていたから(そして二十数年後、実際にモードは自ら命を絶ってしまう)。だがハルは”父親”になること、そして娘(ローズという名前)を愛し続けることは絶対に断念しない。彼はマナブ・ウメバヤシに巨額の報酬と資金を与え、追跡者/カメラマンを雇い、モードと娘が同居するモードの母親の実家(トゥーレーヌ地方)を四六時中偵察させ、超望遠レンズで捉えた写真と偵察レポートを定期的に送らせる。こうして二十数年間にわたって、ハルは娘の成長とモードの動向を京都にいながら知ることができたのである。ハルは毎日送られてきた娘の写真に語りかけ、遠隔の"父親”であり続けた。
小説は娘ローズの成長の時間と並行して、上述したようにトモオ、ケイスケ、ハルの黄金トリオの身内に次々にやってくる"死”の試練の記録でもある。妻と2人の子供を相次いで失ってしまうケイスケ、最愛のパートナーのイサオに先立たれ自らも病いに斃れるトモオ、その他親しい友人たちの伴侶や子供が命を落としていく。この悲しみの儀式(葬儀)のたびに、人々(死者も生者も)を鎮めるのが京都の佇まいであり、寺社仏閣であり、鐘の音とジャズの音がどこからか聞こえてくる、もみじや雪や苔の環境なのである。小説はミュリエル・バルブリーの知る限りの京都が登場する、大いなる京都讃歌である。真如堂、黒谷、鴨川、南禅寺、竹中稲荷、吉田神社、苔寺、嵐山、北野、三嶋亭のすきやき...。冬は凍え死ぬほどに寒く、夏は厳しい暑さに加えて大量に発生する虫に苦しめられる(バルブリー)。おそらくバルブリーは雪の京都を好んでいて、小説に雪の情景は多く登場する。美しい。小説のテーマ的には多くの死に取り残されて生き残った者たちが死者に代わって「熱情の時間、狂ほしの時、Une heure de ferveur 」を苛烈に生きる場所が京都なのだろう。ハルはこの京都で星の声が聞こえ、キツネの姿を見るのであるが、ケイスケからすればハルは人間を見ていない。 小説には他にも魅力的な登場人物がある。ハルの自宅兼美術商事務所である鴨川の家で、ほぼ住み込みで家事一切と会計帳簿をあずかるサヨコは、無愛想で言葉は少ないが、ハルが全幅の信頼を置き、プライベートなことも相談している。口には出さないがサヨコは不吉な予感を察知する能力があり、ケイスケはこの女性がキツネであると思い込んでいる。また、美術商ハルの後継者になっていくベルギー人の若者ポールも、たくみな日本語と審美センスでハルを魅了していて、公私ともに親密な仲になる。ハルの子供ローズの件をハルから告白されたポールが、この件を第一の親友ケイスケが知らないということを不思議に思い、ハルに問うシーンがある。
Gaël Faye + Grand Corps Malade + Ben Mazué "Ephémère" ガエル・ファイユ+グラン・コール・マラード+ベン・マズュエ『かりそめ』
爺ブログではガエル・ファイユとグラン・コール・マラードはちょくちょく登場しているのだが、ベン・マズュエはこれまで私もほとんど縁のなかったアーチスト(シンガー・ソングライター)なので、まずこのベン・マズュエのプロフィールから。1981年ニース生まれ、現在40歳。25歳まで医学部で学んでいる。後述する「バンジャマン・ビオレー誘拐事件」の中で(血を流して倒れているビオレーを前に)グラン・コール・マラードがマズュエに「おまえ医者だろ?診断しろ」と言うシーンがあるが、これ、ウソではなかったのだね。というわけでプロとして音楽を始めたのは遅い。フォーク/シャンソン系の作詞作曲家としてアクセル・レッド、パトリシア・カース、ポム、ザーズ、フレロ・ドラヴェガなどに曲を提供、数年の下積みの末、2011年にメジャー(Sony)からアルバムデビュー(この時すでに30歳)、2017年のサードアルバム”La Femme Idéale"で一挙にブレイク、繊細+センチメンタルな新手のアラン・スーション/ヴァンサン・ドレルムとの評価。2021年にヴィクトワール賞年間ベストアルバムにノミネート(これが”誘拐事件”の引き金)、2022年に同賞ベストライヴパフォーマンスを受賞。 さてこの3人は昨日今日のつきあいではない。フランスで”スラム(slam)"がカフェを舞台にしたポエトリー合戦だった頃(2000年頃)から、グラン・コール・マラードとガエル・ファイユはスラム詩人として出会っていたし、2010年代にガエル・ファイユをラップ/シャンソンの側のアーチストとして変身させたのは作編曲家/ジャズプレイヤーのギヨーム・ポンスレであったが、ポンスレは同時にベン・マズュエのアレンジャーだったし、マズュエは2013年からグラン・コール・マラードにメロディーを提供し始めている。ポエトリー(グラン・コール・マラード)、ラップ/ヒップホップ/シャンソン(ファイユ)、ポップ/フォーク/シャンソン(マズュエ)、それぞれ違う志向性で作品を発表している3人だが、気心知れた旧知の仲。 この3人によるEPアルバム制作というアイディアはグラン・コール・マラードから出たものだが、その制作プロデュースをしたジャン・ラシッドはグラン・コール・マラードの映画監督作品"Patients"(2017年)と”La vie scolaire"(2019年)のプロデューサーであり、なんと私生活ではカティア・アズナヴールの夫(すなわちシャルル・アズナヴールの娘婿)なのである。このジャン・ラシッドがお膳立てをして、2022年4月、南仏プロヴァンス地方、サン=レミーにある録音スタジオ La Fabrique (19世紀の大農家を改造したレジデンス音楽アトリエ)を6日間貸し切りにして、3人のアーチストに加えて作編曲家/DJのカンタン・モジマン(Quentin Mosimann)、前述の作編曲家ギヨーム・ポンスレ、サウンドエンジニアのトリスタン・マジールを召集してつくられたのが、この『かりその(Ephémère)』という7トラックのミニアルバム。豪華な17 x 17センチ、ハードカヴァー60ページブック装丁、フレデリック・ペロ(文)+シャルロット・モー(イラスト)による「制作日誌」。7曲ミニアルバムCD(トータルランタイム:28分44秒)にしてはちょっと高めのお値段(FNAC価格で19,99ユーロ)であるが、この豪華ブックの面白さに免じて許す。
1曲ずつかいつまんで解説はしないので、悪しからず。全曲一聴して、掛け値なしに衝撃的なのが4トラックめ「誰がバンジャマン・ビオレーを誘拐したか?(Qui a kidnappé Benjamin Biolay?)と5トラックめ「大義名分(La Cause)」。この2トラックはセットになっている。”バンジャマン・ビオレー誘拐事件”は曲と言うよりはラジオドラマ寸劇で、続く「大義」はバンジャマン・ビオレーの代表的傑作曲"La Superbe"(2009年発表、2010年ヴィクトワール賞2部門)の主題をサンプルしている。ビオレーがこのミニアルバムの4人目の主役となっているような導入のしかたである。
こういう歌があると、やっぱりこいつはいい奴なんだなぁ、と思う。 だがこのアルバムの最良の部分は、前掲の16曲め「しかし(Pourtant)」のような正直な内省の嘆き節で、正直にこれまでの人生をいやだいやだと振り返りながら、それでも生きていくしかない不条理をどう見つめるか、というテーマだと思う。5曲め「(ある)ラヴェル(〈Un〉Ravel)」は素晴らしい。数々のクラシック名曲をパクって自分の楽曲にしてしまったセルジュ・ゲンズブールに倣ったのかもしれないが、曲名が示すようにこれはモーリス・ラヴェルを援用している。「死せる王女のためのパヴァーヌ」である。えも言われぬ美しい旋律である。これにビオレーはガキの頃から二度死んだ自分の人生をなぞり、すべて去りゆく諸行無常と格闘する自分、そこから逃げるためのボードレールの"人工の楽園"を想わせる薬物トリップも挿入されている。ボソボソと軟弱ラップのように歌い始め、ふてぶてしくもメランコリックに展開したあと、歌い込みのサビにラヴェル旋律が来る...。うますぎる。最後の「悪い風に乗って au vent mauvais」はヴェルレーヌ/ゲンスブールからの援用であろう。
原文:"C'est une petite fille terne" = 艶のない少女。 形容詞terne(テルヌ)は、私のスタンダード仏和辞典では「艶のない、曇った、(色が)くすんだ、生彩のない、(生活などが)陰鬱な、味気ない、(人が)ぱっとしない」といった訳語が出てくる。残酷な形容詞である。これを母親のノラが断定的に言い切ったのだ。トリスターヌはこの時から"terne"という形容詞が重い重い重い十字架となって一生引きずることになる。
小説はエゴイストな両親との衝突を避けるよう気を配りながらも、自立/独立の方向に進んでいく幼い姉妹の成長とユートピア建設が描かれていく。並外れたインテリジェンスを持ったトリスターヌの穏便策とは対照的に美貌と際立つ個性を身につけたレティシアはわずか8歳でロック・ミュージック(ハードロック系)に目覚め、ギターを習得し、ロック・トリオ Les Pneus(レ・プヌー、意味はタイヤ)を結成し、ベルシー(現在の名称:アコール・アレナ Accord Arena)を満杯にするバンドを目指すというのである。初代メンバーはレティシア(リーダー/ギター/リードボーカル)、コゼット(ドラムス)、トリスターヌ(ベース)。このパワーロックトリオの変遷もなかなか読ませるものがある。早くから自分の人生はロックしかないと決めたレティシアの突き進みがいい。一旦はベーシストにおさまったものの、自分の人生をロックとはとても思えないトリスターヌは、両親の嫌がらせをはねのけて、"Très bien"メンションつきでバカロレアに合格し、(親から出資ゼロでも構わないように)無返済奨学金を取得、パリ大ソルボンヌ校へ。トリスターヌの離脱、コゼットの死、メンバーチェンジを繰り返すがメンバー同士の恋愛トラブル(これも可笑しい)などを克服して、レ・プヌーは(人気バンドではないが)実力派バンドとして成長していく。 大きな主題として、トリスターヌに刻印された「艶のない娘」の呪縛を、いかにしてトリスターヌが克服していくか、ということがあるが、その悩みの最も大きな支えとなるのが当然レティシアという妹の存在であり、次いで冥界にいるいとこのコゼット、叔母のボベットなどもいる。さらにトリスターヌが体験するさまざまな恋愛(男も女も)もいい薬になっている。聖なる姉妹愛の物語はよい塩梅で開かれた関係なのであり、それがこの小説の救いであると思う。 最後にやってくるのは、一生この長女の優越性にがまんがならなかった母親ノラとトリスターヌの落とし前なのであるが、ここでは書かないでおこう。そしてその落とし前の厄払いをしてくれるのが妹のレティシアという、よくできたお話。読まされてしまったので、大きな不満はないのであるが、綺譚得意のノトンブ、もう少しリアルに近い小説も書いてほしいと思うのは無い物ねだりか。
Amélie Nothomb "Le livre des soeurs" Albin Michel刊 2022年8月17日 200ページ 18,90ユーロ