2007年12月9日日曜日
ザ・リデンプション・ソング
5年間の亡命生活にピリオドを打ち、ティケン・ジャー・ファコリーが故国コート・ディヴォワールに帰ってきました。国は今やまっ二つに引き裂かれ、ローラン・グバグボ大統領の政府に反対する北部の人々が武装蜂起して内戦となり、多くの犠牲者を出しながら、南北対立は解決されず、あたかも二つの国となっていがみ合いながら共存しているような状態です。ティケン・ジャーは北部出身者であり、北側の反政府蜂起を理解するとしながらも武力衝突に反対し、和平を訴え続けていました。国として南北は和解しなければならないというメッセージを歌ってきました。そのことでティケン・ジャーは北側からは親グバグボ派のように見られ、南(政府支持)側からは反政府主張のメッセンジャー歌手のように見られ、どちらからも脅迫を受け、ティケン・ジャーの友人たちが実際に暗殺されたり、投獄されたりしました。
そこで彼はマリに逃れ、音楽活動はフランスを中心に行うようになったわけです。
12月8日、アビジャンのパルク・デ・スポールに集まった3万人のファンの前で、ティケン・ジャーは故国で5年ぶりのコンサートを行いました。そして国民の和解を訴え、グバグボの名前も、ギヨーム・ソロ新首相(元反乱軍代表)の名前も、アラサン・ウワタラ(北部勢力のリーダー)の名前も、同じように大聴衆に喝采させました。そしてステージ上には、北部支持のアーチストたちと親グバグボ派のアーチストたちも登場させ、和解のセッションを行ってしまったのですね。
このメガコンサートは同じセットで来週は北部勢力の中心地でコート・ディヴォワール第二の都市ブーアケで行われることになっています。
これで本当にコート・ディヴォワールに平和が訪れてしまうかもしれません。信じられますか? − 信じたいです。それだけの力を持ったアーチストですから。
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