2020年9月19日土曜日

Used to say I like Chopin

"Les choses qu'on dit, les choses qu'on fait"

『言うこととすること』

2020年フランス映画
監督:エマニュエル・モレ
主演:カメリア=ジョルダナ、ニールス・シュネデール、ヴァンサン・マケーニュ、エミリー・ドケンヌ
フランス公開:2020年9月16日


 演者のひとり、マキシムを演じるニールス・シュネデールは、クリスティーヌ・アンゴ原作の映画『ある不可能な愛(Un amour impossible)』(2018年、カトリーヌ・コルシニ監督)で、不誠実でエゴイストで娘に近親相姦する男フィリップを演じていた人。身勝手な男を絵に描いたような役どころであったが、今回の映画では一転して軟弱な作家志望の青年の役。この感受性にアップアップな文筆家マキシムは、つい最近受けた失恋のショックを小説に描こうと思うのだが行き詰まり、転地療法を試み、いとこのフランソワ(演ヴァンサン・マケーニュ)のはからいでプロヴァンス(ヴェザン・ラ・ロメーヌ近郊)の別荘に逗留して執筆の霊感を得ようとする。ところが建築士のフランソワはパリでの仕事に急務が飛び込み、プロヴァンスにすぐには行けなくなり、代わりに妊娠3ヶ月の妻のダフネ(演カメリア・ジョルダナ)をマキシムの滞在の世話係として送る。映画は夫フランソワが別荘に合流するまでの、マキシムとダフネの4日間の親密な告白の応酬による関係深化のドラマ、と要約できよう。
 別荘にマキシムを迎えたダフネは、その傷心をバネに文学作品を創作しようとしているいきさつを夫フランソワから聞かされていて、少しでも手助けになれば、とマキシムの詰まっている心情を吐露させようとする。「どんな作品になるのかしら?恋愛小説?」という問いにマキシムは「(複数の)感情の物語 histoires de sentiments」と答える。これがまさにこの映画の核であり、"amour"(愛、恋)、"désir"(欲求、欲望)、"sentiment"(感情)にはそれぞれおおきな違いがある。これを人間は言葉にして言う(あるいは書く)ことによって、"なぜうまくいかないのか”を説明し理解しようとする。ダフネはマキシムが一行も書けないでいるのを悟り、整理するためにこれまでのことをすべて話してみれば、と提案する。映画はここから、美しいプロヴァンスを観光的にめぐりながら、マキシムの長い告白ストーリー(映画数本のエピソード量)を映像再現していく。最初は夫が東京に単身赴任中というヴィクトワール(演ジュリア・ピアトン)との"不倫”関係。夫と共に世界をまたにかけた理想の家庭を築こうと夢見るこの女は、マキシムとの燃えるような関係が一過性のものであるから美しいし、いつでも別れられるからいいと考える。次に現れるのがヴィクトワールの妹のサンドラ(演ジェンナ・ティアム)で、実はマキシムとは学校時代からの旧知 であり、何年ぶりかの再会であった。かつてはマキシムはサンドラの恋慕の的だったという経緯あり。二人は幼なじみのように旧交を深め、マキシムもサンドラに惹かれていくのだが、マキシムと一緒に仕事している親友のガスパール(演ギヨーム・グイックス)がマキシムの面前でサンドラの魅力に圧倒され、サンドラとガスパールは恋仲になる。パリの古く大きなアパルトマンで新生活を始めることになったサンドラとガスパールは、どちらにも気心の知れた親友であるマキシムにルームシェアを申し出、なんとも複雑な3人生活に入っていくのだが、時間が経つにつれてそれは三角関係に陥ってしまう。
 と、ここまでの告白ストーリーを中断させ、マキシムとフェアー(均等)であるべきと思ったダフネは、今度は自分がフランソワと出会った経緯を告白していく。この再現ストーリーもまた映画数本分の濃さ。ドキュメンタリー映画の編集助手であったダフネは、ある哲学者のインタヴュー(モデルがもろにロラン・バルトである)の編集を依頼され、これが自分の才能の開花のきっかけとなるであろうという心の高揚がある。それを統括する監督ダヴィッド(演ルイ・ド・ド・レンクサンのひとことひとことが胸にグサグサ突き刺さり、やがてそれは監督への敬愛から恋慕に移りつつあったが、監督はダフネが助手候補として紹介した映画学校時代の(男)同僚に一目惚れしてしまい、その監督の(彼への)恋心を告白されてしまったダフネは大きく揺れてしまう。前後して出会ったフランソワは妻子ある身ながら、その思春期青年のような真剣なダフネへの直感的恋心に突き動かされて日参を重ねるようになる。ダフネはダヴィッドへの不確かな恋慕にあった頃、フランソワと交情して一夜を過ごすのだが、彼女はフランソワが妻子ある男だから美しい一夜のあと後腐れなく去って(別れて)くれるだろうという論を持ち出す。あれあれ?これは前述とヴィクトワールと同じ(女の)リクツであるぞ。
 ところがフランソワはどうしようもなくダフネと一緒になりたい苦しみに苛まれることになるのだが、晴天の霹靂のごとく、妻のルイーズ(演エミリー・ドケンヌ。忘れじの1999年ダルデンヌ兄弟監督『ロゼッタ』=カンヌ映画祭パルム・ドール+女優賞、当時16歳!)が好きな男ができたので離婚したい、と申し出る(このエピソードが映画最終盤の最大のどんでん返しのもとであった)。半信半疑ながらフランソワはその"渡りに船”の機会に乗じてダフネと結ばれていく...。
 続いてマキシムの告白の続き。3人の共同生活は、主カップル(=サンドラとガスパール)の痴話喧嘩的いさかいの激化によって、ガスパールが不在がちになるという機会がサンドラとマキシムを密にくっつかせることになるのだが、どんなに親密になってもどんなに性関係を重ねても、サンドラはガスパールを忘れることができない、またガスパールもまた新しいガールフレンドをつくり、その関係を正当化しながらもサンドラこそ真の恋人というポジションを崩さない。映画はこんなふうに「カップルの貞節」すなわち伴侶に対する誠実さを基本ベースにしながらも、それぞれの純愛が独立的に生まれ育ち抑えきれないほどのものになっていくドラマ=感情悲劇をどうするか、という様々なパターンを検証することになる。
 映画の主軸はダフネとマキシムという別々の大きな感情の揺れ動きを生きた二人が、プロヴァンスの(パリとは違う)別時間と別空間の中で、4日間お互いの「場合」を告白しあうことで否応なしに生まれてしまう新しい感情/交感/関係である。これは二人が言っていること(告白しあっていること)とは違うなにかなのである。この二人が何よりも深く愛し合ってしまっていることがわかりながら、映画はジャック・ドミー『シェルブールの雨傘』のように最高に悲しい駅での別れのシーンを大終盤にもってくるのだよ。
 メロドラマでない感情ドラマ。"不倫””不貞””不道徳"という次元のモラルが何かを止めるというエピソードはひとつもない。われわれの"désir”(欲求・欲望・愛欲)を自制する感情は何なのか。抑えることで成就しない恋愛は、不幸にはなるが、文学なり芸術なりの美の源ではないか。テレラマ誌2020年9月19日号のこの映画評で引用された映画中のダイアローグを、以下に翻訳してみる。

ダフネ(演カメリア=ジョルダナ)「自分の欲望を表に出すのは誤りではないわ」
マキシム(演ニールス・シュネデール)「状況によっては誤りにもなるよ」
ダフネ「それは行為に転じるという意味ではないわよ」
マキシム「それはことを起こすことの要因にはなるよ、導火線に火を点けるような」
ダフネ「でも他の人が与えてくれる快楽を隠して生きる世界って悲しすぎるわ。欲望のまま生きることを求めることなく、時折自分の欲望を表に出すことはできると思うの、たとえカップルで暮らしていても。重要なのはその表に出すやり方よ、ある視線が私にこう語りかけるの、あなたが欲しいんだ、あなたは私を欲しがっている、私たちはこの欲望を実現させることはできない、なぜなら私たちはお互いにすでにカップルだから、それでも私はあなたと出会えてとても幸せだ、って」

 われわれは出会えただけで幸せだったと達観できるほど、身体的にも感情的にも聖化されることなどなかろう。言うこととすることの距離は縮まらないであろうよ、死ぬまで。
 それから、映画の全編で流れるおセンチでメランコリックな(有名)クラシック楽曲、アダージョで、ピアノで、泣きの短調で、ショパンで、これでもかこれでもかの音楽。それに流されないで複雑なダフネとマキシムを最後まで観れたら、この映画はメロとは「別物」とはっきりわかるだろう。

カストール爺の採点:★★★★☆


(↓)『言うこととすること』予告編


追記(2020年9月20日)
主演女優カメリア=ジョルダナについて

カメリア=ジョルダナ(本名カメリア=ジョルダナ・リアド=アリウアン)は1992年トゥーロン(ヴァール県、プロヴァンス)生まれ。アルジェリア移民三世。16歳で民放テレビM6の歌手スカウト番組NOUVELLE STARの3位に。翌2010年仏ソニー・ミュージックからファーストアルバム(チャート最高位9位、16万枚)、今日までアルバム3枚(2枚目のプロデュースがバビックス)。2012年からテレビ、映画、舞台で女優業も。2017年イヴァン・アタル監督の映画”LE BRIO”(共演相手ダニエル・オトゥイユ)でセザール賞(新人女優賞)。作家主義の社会派映画などにも出演。子供の権利、女性の権利、レイシズム、警察暴力などに関して明確なポジションの発言多し。
2020年5月23日、国営テレビFRANCE 2のトークショー番組”On n’est pas couché”で警察暴力に関して:
「私は毎朝郊外から働きに出る普通の男たち女たちのことを言っているのよ、その人たちは何の理由もないのに肌の色が違うというだけで殺されるほどの暴力を受ける、これは事実なのよ(…)ひとりの警官を前にして身の危険を感じる人たちは何千人もいて、私もそのひとりなのよ。今私は縮れを延ばしたヘアースタイルをしているけれど、私が縮れた髪をしていた頃、私はフランスの警官を前にすると本当に身の危険を感じていたのよ、本当に本当 vraiment, vraiment」と語り、当時の内務大臣(クリストフ・カスタネール)が直接Twitter上で反論するなど、大変な物議を醸した。

(↓ 5月23日、”On n’est pas couché”、警察暴力に関して作家フィリップ・ベッソンと衝突するカメリア=ジョルダナ)

2020年9月13日日曜日

元始女性は太陽であった

Grand Corps Malade "Mesdames"
グラン・コール・マラード『メダム』

2003年スラム詩人としてデビューしたグラン・コール・マラードの6枚目のアルバム。2020年夏、グラン・コール・マラードに起こった異変、それは7月にこのアルバムの先行シングルとして発表されたカミーユ・ルルーシュとのデュエット曲"Mais, je t'aime"が、ヒットパレードなど全く無縁であったこのスラム・アーチストにして初めてメジャーのFMネット(NRJ、Virgin FM、RTL2...)でヘビロテでオンエアされ、2020年夏最も美しいラヴバラードとして人々に愛されたこと。私たち家族はこの「コ禍」の危機的状況を知りながらも2週間のコート・ダジュールでのヴァカンスを敢行したが、リゾート地のローカルFMで、ブラック・アイド・ピーズなどに混じってグラン・コール・マラード(+カミーユ・ルルーシュ)の曲が聞こえてくると、これ、間違いではないだろうか、と思ったものだった。グラン・コール・マラードはメジャーレコード会社ユニヴァーサルから作品を発表しつづけているそれなりにメジャーのアーチストではあったものの、NRJのプライリストに載るような"ヒット”とは一線を画していたのだが、この種の"大衆化”は悪いこととは言えないのだろうな、たぶん。
 "Mais, je t'aime"は掛け値なしに美しい曲であるが、それは当初女優・自作自演歌手であったカミーユ・ルルーシュが2017年に自曲として発表していたものだった。期待になにひとつ応えられない愛だけれど、それでもいいのなら私の最善の愛を捧げるという女性の控えめだが力強いマニフェストの歌であったが、それにグラン・コール・マラードが俺も不器用でどうやって愛していいのかも知らない男だけれど、と散文的に介入してダイアローグにしようと試みたのがこのデュエットだった。
 不器用で何をどうしていいのかわからない男だけれど、俺も何かしたいんだ、関わりたいんだ、とグラン・コール・マラードが突き動かされてつくったアルバムである。何に関わりたいのか? それは"フェミニズム”である。男女同権、男女平等がお題目になってから何十年経とうが、われわれの社会はそれからほど遠いのは誰もが認めるところである。家庭で、学校で、実社会で、役割にしても出番にしても重要度にしても報酬にしても、なぜ男女でこんなに違うのか。女性たちがいくら声高にそれを主張しても、事態はほんの少しずつしか前に進まない。グラン・コール・マラードはフランスでの婦人参政権ですら20世紀半ばに獲得されたばかりだということに驚愕し、封建的に堅固な男性原理社会を壊すには、非力かもしれないが男性側もなんとかしなければ、という自覚にいたる。「女性は人類の未来である」(ルイ・アラゴン/ジャン・フェラ)、「女性たちよ、私はあなたたちを愛する」(ジャン=ルー・ダバディー/ジュリアン・クレール)と同じように、グラン・コール・マラードはこの問題に関する男性たちの関心と意識の高まりを訴えようと言うのだ。何を今さら、と言われようが、多くの男たちは「これが世のならわし」と女性たちの現実を見過ごしている。
 『メダム』はそういう問題意識をベースにした女性たちへのオマージュアルバムであり、全10曲、1曲めのマニフェスト的なアルバムタイトル曲「メダム」を除いて、続く9曲はすべて女性アーチストとの共演。前述の"Mais, je t'aime"だけが(カミーユ・ルルーシュのオリジナル曲として)既発表の曲で、残る8曲はグラン・コール・マラード詞のこのアルバムのための新曲である。共演相手は現在フランスのトップクラスの人気歌手であるルアンヌ、女優ローラ・スメット(母ナタリー・バイ、父ジョニー・アリディ)、大歌手ヴェロニク・サンソン、1990年生まれのシンガー・ソングライター(2020年ヴィクトワール賞ステージパフォーマンス新人賞)シュザンヌ、クラシックヴァイオリン+チェロの姉妹ジュリー&カミーユ・ベルトレ、ラップ/R&B歌手アリシア(Alicia)、グラン・コール・マラードと同じスラム詩人で十代のマノン(Manon)、エレクトロ・ポップのアミューズ・ブーシュ(Amuse-Bouche)。
 アルバム冒頭は共演なしでグラン・コール・マラードがひとりでスラムする「メダム」というこの男からの最大級の女性へのオマージュで、ちょっとこちらがきまり悪くなるほど。

メダム(淑女の皆さん)われらの習慣や文化に深く残る男性原理に対して
私の誠実な償いの試みとしてこの告白を受け止めてください
人類の大きな書物の中に、断絶の章を記しましょう
(・・・・・)
すべての重要な男たちの影にそれに霊感を与える女性がいる
あらゆる偉人の誕生に先立つのはその母の産みのふんばりである
かの詩人は女性は人類の未来であると綴った
しかしその未来は久しい前からそのままになっている

あなたたちはわれらのミューズ、われらの霊源、われらの動機、そしてわれらの悪徳
あなたたちはシモーヌ・ヴェイユ、マリー・キュリー、ローザ・パークス、アンジェラ・デイヴィス
あなたたちはわれらの母、われらの姉妹、
あなたたちはレジ係、あなたたちは医師
あなたたちはわれらが娘、そしてわれらが妻
われらはあなたの炎に照らされゆらめいている
(・・・・・)
なんと饒舌なことでしょう。歯の浮くようなセリフばかりではない。われら男性はたとえどんなに女性への称賛礼賛を述べ、自分史や人類史に照らして過ちに許しを乞うても、「それ、口だけでしょ」で一蹴されるのがオチである。これをグラン・コール・マラードはあらかじめわかっているがゆえに、この第一曲「メダム」の最終ストローフにこんな1行を入れる。
Veuillez accepter Mesdames cette délicate démagogie
淑女の皆さん、この微妙なデマゴギーを受け入れてください
そう、これらの言葉はデマゴギー(おべっか美辞麗句)と捉えられてもしかたがない。それでも受けてください、とこのスラム詩人は言うのだ。まあ、許してやってもいいのではないかい?

 ジョニー・アリデイとナタリー・バイの娘で、昨今女優として進境いちじるしいローラ・スメット(現在36歳)との共演である3曲めの「片手にグラスを持ちながら(Un verre à la main)」は、とあるパーティー・レセプションで、話し声と音楽の喧騒の中で場違いに孤立している見知らぬ男と女の、出会いそうで出会えない目と目のダイアローグを短編映画風に描いたもの。

思い込みによる出会い願望の盛り上がりと、やっぱりすれ違いに終わってしまう偶然と戯れ。ひとりになって残るは茫々たる寂寥。これはUltra Moderne Solitudeであるな。

  24時間男と女の姿を取り替えるという設定の5曲め「24時間 (Pendant 24h)」はシュザンヌとのデュエット。これは(↓)ヴィデオクリップがわかりやすい。

まあ、外見を取り替えただけの女から見た男、男から見た女のクリシェの連続だが、最後のストローフ(男の外見を持った女=シュザンヌがラップする)はこんな感じ。
(シュザンヌ)
俺はもう毛をそらない
みっともないと誰も言わないから
俺はあのいまわしい月経で
腹をいためることもない
俺が社長に「おはようございます」と言っても
社長は舐め回すような視線で俺を見たりしない
賃上げ交渉にも
お付き合いディナーをしなくてすむ
俺の女がPS4で夢中でゲームしている間
俺は食卓につけない
まだゲームセット前だから
隣家の子犬のように
俺は舗道で立小便できる
男の身体的な長所って
それぐらいのものさ
それぐらいのものですとも。

 そしてわが最愛のヴェロニク・サンソンであるが、グラン・コール・マラードとの共演は2016年"Face B”(グラン・コール・マラードのアルバム"Il nous restra ça"のリイシューで追加された3曲のひとつ)以来2度め。この新アルバムでは"ひとりの姉(Une soeur)"の役をヴェロさんにあてがっている。

そんなそぶりもないのに
目印よりも目立つ
彼女は強い優しさがあり
そんなそぶりもないのに
目印よりも目立つ
ひとりの兄よりも大きな... ひとりの姉
一体なんなんだ、このヘナチョコな歌詞(グラン・コール・マラード作)は。それを(現在)71歳の大歌手が、一語一語を刻むような力を込めて歌う。まるで価値のないようなこんな曲でもヴェロさんの歌唱でどれほど救われているか。こんなふうな救済を求めるために大御所を持ち出すようなことをしてはいかん。反省をうながす。

 そんな9曲の女性オマージュ楽曲であるが、やっぱり自分が序曲「メダム」で断っているように、「デマゴギー」として聞かれる危険性があると思う。そんな中で問答無用に飛び抜けて優れた曲がカミーユ・ルルーシュとの"Mais, je t'aime"(6曲め)であり、このことは爺ブログ別稿で紹介した。この1曲でずいぶん救われたアルバムであると思いますよ。

<<< トラックリスト >>>
1. Mesdames
2. Derrière le brouillard (with Louane)
3. Un verre à la main (with Laura Smet)
4. Une soeur (with Véronique Sanson)
5. Pendant 24h (with Suzane)
6. Mais, je t'aime (with Camille Lellouche)

7. Chemins de traverse (with Julie & Camille Berthollet)
8. Enfants du désordore (with Alicia)
9. Confinés (with Manon)
10. Je serai que de trop (with Amuse-Bouche)

Grand Corps Malade "Mesdames"
CD/LP/Digital Caroline/Universal
フランスでのリリース:2020年9月11日

カストール爺の採点:★★★☆☆


(↓)グラン・コール・マラード「メダム」(TVライヴ)

2020年9月9日水曜日

台風のメダム


Grand Corps Malade "Mesdames"
グラン・コール・マラード『メダム』

 

"Mais, je t'aime"

「メ、ジュ・テーム 


の夏、何度もコート・ダジュールのラジオで聞いて、何度も同じエモーションにふるえた曲。カミーユ・ルルーシュ+グラン・コール・マラード「メ、ジュ・テーム(Mais, je t'aime)」(9月11日リリースのグラン・コール・マラード新アルバム『メダム(Mesdames)』より)

(カミーユ・ルルーシュ)
余計なことは言わないで
何がうまくいかないのかは知ってるでしょ
私には多くのことは望まないで
亀裂は深いのよ知ってるでしょ
私には強くしがみつかないで
疑ってるんだったら強くしがみつかないで
それであなたがつらいのなら
別れさせたりしないで
私は自分に自信があるの
私の持っているすべてをあなたにあげられるわ
だから私の心をしっかり見てほしい
Je t’aime
Mais je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
私にできうるかぎり強く je t’aime
Je t’aime 私にできうるかぎりを尽くすわ

(グラン・コール・マラード)
よく言われたものさ「おまえにも今にわかるさ、恋ってのは大きな花火みたいなもんだ」って
パチパチ火花が散って、空を照らし、輝き、熱くさせ、目にささる
それはとても高いところ、天というところから幾百ものホタルを放つ
それは一挙に火がつき、人々と街を別物のように明るくする
きみと僕は初めにマッチで小さな火花を起こした
そして僕らはこの暖炉に僕らのあらゆる放蕩と濫用の限りをくべた
この世でたった二人だけの気泡の中で、僕らは何よりも強く愛し合った
この炎は二人を狂わせた
火は燃えるものだということを忘れてしまった

(カミーユ・ルルーシュ)
Et je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
私にできうるかぎり強く je t’aime
Je t’aime 私にできうるかぎりを尽くすわ

(グラン・コール・マラード)
僕らの火の間近に身を寄せると僕の身から苦渋の汗が噴き出る
僕にはこの黄色と青色の炎が踊っているのが見える
そして情熱が燃え尽きてしまうのも
愛は強いのに、それが僕らを弱く傷つきやすいものにしてしまうのはどうしてなのか
僕は僕ら二人を思うとぐらぐら揺れてしまう
いつからか何ごとも容易ではなくなったのはどうしてなのか
火のように Je t’aime 黄金のように Je t’aime
細心に Je t’aime 過度に強く Je t’aime
二人のために Je t’aime 間違いでも Je t’aime
それは危険なことだとしても 僕はまだ Je t’aime
それはまさに身に穴をあけるようなものなんだ
重くのしかかって Je t’aime あやふやだけど Je t’aime
僕の身が苛まれるのは当然のことさ
僕はちゃんと知ってるさ、Je t’aime がとても下手だってこと

(カミーユ・ルルーシュ)
あなたと一緒に歩むのは
あなたの腕の中でこのダンスを踊る私がわかるから
あなたが待っているものは、私にはないわ
あなたがこんなに愛と力をくれるから
私はもうあなたなしではいられない
私の言ったことがあなたを傷つけたなら
それはあなたのせいじゃない
私の傷はきのうのものよ
いつもよりもずっと辛い日だってある
もしも私の言葉があなたに重くのしかかるなら
私にはどうすることもできないのよ
私にはほんとうにどうすることもできないのよ
Mais, je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
私にできうるかぎり強く je t’aime
Je t’aime 私にできうるかぎりを尽くすわ
Mais, je t’aime...
(↓カミーユ・ルルーシュ+グラン・コール・マラード「メ、ジュ・テーム」)


(↓同ライヴ)


2020年9月2日水曜日

空には飛行船 地上にはお祭り



アメリー・ノトンブ
『飛行船』
Amélie Nothomb "Les Aérostats"


2020年8月19日、コ禍第二波荒れ狂う中、アメリー・ノトンブの第29作めの小説は、何事もない夏と同じように書店に登場した。いつも通りジャン=バチスト・モンディーノによるポートレイト写真の表紙は、西の星空を仰ぐような上向き、上目遣い。この眼光で周囲のウイルスは滅却してしまうであろう。
 さて小説は時は現代、ところはベルギーの首都ブリュッセル。地方から出てきて首都の大学で「文献学(Philologie)」を学ぶ19歳のアンジュが話者・主人公。きつきつの貧乏学生ゆえ、安いアパルトマンをルームシェアで借りているが、シェア友のドナートは潔癖症・神経質・不平不満の塊で、彼女が勝手につくったルームシェア上の 細かい規則をアンジュに強要するが、経済的理由(倹約)を優先するアンジュはその小言や苦言や禁止命令を甘んじて受け、二人のシェア生活はどうにかこうにか...。しかしそれでも生活費の足りないアンジュは、「中高生向フランス語家庭教師します」の広告を出す。即日に飛び込んできたブリュッセルの超裕福な家庭の一人っ子の”失読症(dyslexie、読字障害)"を治してほしいという依頼。多額の報酬を提示され断れなくなったアンジュは、この難しい使命に乗り出すのだが、件の裕福家族はスイス国籍を持ち、父は "cambiste"(為替仲買人)という聞き慣れない職業を営み、ニューヨークからケイマン諸島を経てベルギーに最近移住してきたという、その富裕財産には人に言えない事情があることを伺わせる。16歳の一人息子ピー(Pie、第二次大戦時にナチスに協力的であった二人のローマ法皇、ピオ11世とピオ12世に因んだ名前と思われる)は、ブリュッセルのリセ・フランセに運転手つきポルシェで通学していて、数学や科学などには抜群の成績を取るものの、フランス語はディスレクシアのためどうしようもない。アンジュはすぐさまこのディスレクシアが戯画的なまでにわかりやすいこの親子関係に起因する心理的な”疾患”であることを見抜く。父グレゴワールは新自由資本主義的世界に成功した成金であるが、息子を愛しているにも関わらず、教育することができない。書斎にはりっぱな蔵書があるが、それを一冊とて読んだことがないのが見え見えである。息子に”物質的”成功を願うが、それを伝達する言葉もない。しかし息子を100%コントロールしたい。グレゴワールはアンジュがピーにレッスンをしているさまをすべて一部始終隣室からマジックミラーで観察している。ピーはそれを知らない。アンジュはレッスンが終わるたび、報酬の札束の入った封筒を持ったグレゴワールからレッスンに関するコメント(イチャモン、注文)をもらうがアンジュはすべてそれを論破する。そして何度となく、グレゴワールの盗聴盗視をやめるよう忠告するのだが...。
 さて小説の本筋は、19歳のアンジュが16歳のピーのコチコチに固まって、閉鎖的で、オタク的な精神をいかにして解放するか、という試みである。それはノトンブの小説世界で、同じように家庭教師としてその心の奥に迫ろうとした2007年の小説『イヴでもアダムでもなく』の東京の日本人学生リンリにフランス語を教える"アメリー”の試みのヴァリエーションのようにも読める。リンリも同じように大金持ち(白塗りのベンツ)の息子であり、オタク的(ヤクザ映画、スイスフォンデュ、聖堂騎士団への偏愛)であり、そして"アメリー”への恋に落ちて結婚を迫るが、"アメリー”はそれを「恋」とは認められず最終的に受け入れない。16歳のピーは同じように19歳のアンジュを恋慕するようになるのだが成就しない。この辺はノトンブの"本性”が出ている、どうしようもない何かだと思う。それは古今東西の文学がそうであるように、単純に、それが成就したら「文学」にならない、という絶対に破ることのできない鉄則なのだと理解したらいいよ、若い人たちはね。
 アンジュはこの少年ピーに対して、同情の片鱗もなく、きびしく、本が読めないのは本一冊を最初から最後まで読むということをしたことがないからだ、という独自のセオリーを展開し、字を読むことに死ぬほどの苦痛を感じる少年に、とにかく「まる一冊」をと強要する。最初の一冊はスタンダール『赤と黒』。これを1日で読め、と。そんなの絶対無理だ、という少年に、アンジュはだったら2日で読め、と容赦がない。それを少年は受けて立ち、2日後にはアンジュと『赤と黒』をめぐる文学論を戦わせるのである。この小説はこういうふうに古今の名作をアンジュ(すなわちアメリー・ノトンブの文学観の代弁者)の「正論」と、ピーの異端的で独創的な作品論(例えばこの『赤と黒』では、ピーはジュリアン・ソレルを卑劣漢と断定する)を戦わせるという、壮大な文学史論へと読者を導く。
 つまり、難攻不落な城を破るような苦もなく、ピーのディスレクシアは克服され、ピーはアンジュに導かれるまま古今の古典文学に挑んでいき、読書の苦渋と快楽を体験していく。そう、本を読むことは、人が言うような「愉しみ」だけではなく、苦痛や障壁ともぶつかる。アンジュはそれをピーに体験させていく。ホメロスイリーアス』、これは戦争と兵器がオタク的に好きなピーにはワクワクの戦記文学として読めたが、それに続いてホメロス『オデュッセイア』を読ませたら、荒唐無稽で辻褄の合わぬ不条理な英雄譚として嫌悪する。読み方は十人十色、これをノトンブはこの小説で文学の根源的な徳として提示する。(ノトンブ観点の)アンジュはピーの独創な読み方にある程度の反論を示しながらも、この子は文学によってどんどん開かれていくのを感じている。これを隣室でマジックミラーで監視観察している父グレゴワールは不安になっていく。父の知らない世界に息子がぐんぐん入って行くような。
 アンジュのピーに処方する文学セラピーは、古典から転じてカフカ『変身』、レイモン・ラディゲ『肉体の悪魔』を読ませるに至り、この小説の核心的主題である"アドレッセンス”(青春、思春期)に迫っていく。「若いという字は苦しい字に似てるわ」(アン真理子「悲しみは駆け足でやってくる」)、まさにこれであり、これ以上でもこれ以下でもない。『変身』で暗喩されたように、ある日突然やってくる「性徴」(リビドーのめざめ)は若い日の悪夢のような苦しみである。そしてラディゲ『肉体の悪魔』の主人公たちと同じように、アンジュとピーは19歳と16歳の生身の”青年青女”である。文学によってさまざな感性を”開発”されたピーは、アンジュに猛烈な恋慕を抱くようになるが、アンジュはそれをアメリー・ノトンブ的に達観して退ける。それは2007年のノトンブ小説『イヴでもアダムでもなく』の"アメリー”のリンリの恋慕への拒否と同じ構図である。すなわちこれは「恋(amour)」ではなく、「好み(goût)」のレベルでしかない、という断定なのである。しかし"アメリー”が「恋」ではなくリンリに名状しがたい思いを抱くように、アンジュはピーをなんとかしたい母性愛のような抗しがたい思いがある。
 兵器に対して並々ならぬオタク的興味がありながら、ノン・ヴァイオレントな少年であるピーと、アンジュが同じ波長で”愛”を共有した対象が「飛行船」であった。これほど美しい乗り物がこの世に存在しただろうか。二人はこの巨大で優雅で危険な機械に魅せられる。大戦はこの空飛ぶクジラを最もノン・ヴァイオレントな兵器として利用しようとし、その生命を断った。
 世間から隔離され、現実世界を知らずに育ったオタク少年ピーはアンジュと文学を通して、自分をどんどん解放していくが、アドレッセンスとはその限界を知らないものである。小説はピーをその極限まで向かわせてしまうのだが、それについてはここで詳しくは書かない。
 小説で最も美しいパッセージは、世間を知らず、人との触れ合いを知らなかったピーを、(父親の許可なく)アンジュがブリュッセルの大遊園地に連れ出すくだりである。そこにはピーの知らなかった大衆の「お祭り」があった。未体験のさまざまなアトラクション乗り物や射的に狂喜するピー。初めて現実世界に触れるような。そしてぐらんぐらんに揺さぶられるジェットコースターや上昇転落マシーンに極度に興奮しつつも、その衝撃で何度も嘔吐するのである。この嘔吐は初めて現実の不条理を直視した30歳のアントワーヌ・ロカンタン(サルトル『嘔吐』)へのリファレンスであろう。この嘔吐を喜びとして体験したピーはアンジュに問う「なんであなたは嘔吐しないの?」。するとアンジュはその遊園地で最も激しい上下・左右運動をするアトラクション乗り物に乗り込み、胃腸をひっくり返すような過酷な激動を体験して乗り物を降りたあと、げえげえ嘔吐して、ピーとその「喜び」を共有するのである。美しい。空には飛行船、地上にはお祭り(※)。
 前述のように、青春には限界がない。ノトンブ一流の青春残酷物語であるこの小説は、ピーのカタストロフ的悲劇を終盤にもってくる。
La jeunesse est un talent,
il faut des années pour l'acquérir
若さとはひとつの才能である
それをものにするには何年もの年月を要する
と、この小説は結語する。文学的リファレンス、文学による解放と救済を軸にしながら、残酷で一生かかっても自分のものにできない「青春」という魔物をわかりやすい寓話のように書き綴ったノトンブ、やはり大変な才能だと言わざるをえない。

Amélie Nothomb "Les Aérostats"
Albin Michel社刊(2020年8月19日)、180ページ、17,90ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆

(※ 註)"空には飛行船、地上にはお祭り”は1972年初演の別役実(1937 - 2020、この春亡くなった。合掌)作の舞台劇『街と飛行船』の六文銭による劇中歌「街と飛行船」の歌詞(詞:別役実、曲:小室等)

(↓)アメリー・ノトンブ『飛行船』に関するプロモーション・インタヴュー


(↓)小室等と六文銭「街と飛行船」


PS : 音楽ネタ
p153 - 154に唐突に登場するアンジュとピーの好きな音楽2タイトル。メタル好きとは聞いていたが、ノトンブはこんな音楽にも耳が肥えているのですね。
1) Skrillex "Ease my mind"


2) Infected Mushroom "Liquid Smoke"

2020年8月30日日曜日

ガビー おお ガビー

"Petit Pays"
『プティ・ペイ』

2020年フランス映画
監督:エリック・バルビエ
主演:ジブリル・ヴァンコペノル、ジャン=ポール・ルーヴ、イザベル・カバノ
原作:ガエル・ファイユ『プティ・ペイ』
フランスでの公開:2020年8月28日

2016年に発表されたラッパー/シンガーソングライターのガエル・ファイユの自伝的小説『プティ・ペイ』は、私もオヴニー紙上の紹介記事で絶賛したし、多くの人たちに読むことを勧めてきた作品である。幸いなことに2017年には日本語訳本も出たので、まだの人はぜひご一読を。(原作のあらましはこちらで)
 映画は当初2020年3月に公開されることになっていたが、コロナウィルス緊急事態で映画興行ができなくなったせいで、5ヶ月封切が延期された。監督のエリック・バルビエの前作はロマン・ガリー(1914-1980)の自伝的小説『夜明けの約束』を原作とする同名映画(2017年、主演ピエール・ニネー)で、(著名)文芸作品映画化が2作続いているという具合。
この映画はガエル・ファイユ原作におおむね忠実ではあるが、バルビエの自由翻案も随所に登場する。時代は1990年代、ザイール(現コンゴ民主共和国)とルワンダと国境を接する小国ブルンジが舞台である。フランス人で土木工事企業の社長ミッシェル(演ジャン=ポール・ルーヴ)と、ルワンダ人で民族的にはツチ族に属するイヴォンヌ(演イザベル・カバノ)の間に生まれたガブリエル(愛称ガビー、演ジブリル・ヴァンコペノル)は、(ある種裕福な階級に属する)ワルガキたちとつるんで、悪戯放題の天真爛漫な子供時代を謳歌しているように見えるが、その楽園的晴天の日々にふたつの黒雲がせまってくる。ひとつはルワンダとその周辺国で長引いているフツ族とツチ族の対立/民族憎悪がさらに激化し内戦となってブルンジも巻き込まれようとしていること。父ミッシェルはガビーにフツとツチの違いをこう説明する「どちらも同じ言語、同じ宗教、同じ習俗を持っているのに、鼻の形だけ違う」と。つまり、鼻の違いだけで殺し合いをしている不条理な内戦である、と。この視点はたぶんアフリカに植民してきた白人の「上からの」見方かもしれない。 不可解な脅威。少年ガビーも子供からの"下から”目線ではあるが、このミッシェル説に近いものがあるが、腕白仲間でさえも「フツかツチかどちらかをはっきりしないと、殺されることになる」という緊急な危機感が迫り、揺れてしまう。
 ここで早くもこの映画の問題点を見てしまうと、このミッシェル=ジャン・ポール・ルーヴの揺れ方が、映画のルワンダ/ブルンジ虐殺を見る白人(ひいてはフランス人、フランス政府、フランスの多くの親アフリカ市民団体)視点の説明であり、これはガエル・ファイユの原作には全くないものである、ということ。ミッシェル=ジャン・ポール・ルーヴは主役ではないのに、この映画をこの視点で見ろ、というしつこさがある。
 ふたつの黒雲のもうひとつは、ミッシェルとイヴォンヌの離婚的危機であり、これはガビー(と妹のアナ)にとって耐えがたい苦しみなのである。愛する父親と愛する母親がもはや愛し合っていない。この決定的な別離は遠くないと兄妹は恐れていて、兄は妹を必死になって守ろうとしている。イヴォンヌは誇り高いツチ族の名家の娘であり、ルワンダでの虐殺を逃れてブルンジに逃れてきたが、平和が訪れたら故国ルワンダに戻りたいと願っている。家族の中にはツチ族を守るために軍隊に志願する者もいて、ある種(ツチ)国粋主義的傾向もある。このイヴォンヌの描き方は戯画的であり、映画の後半で家族が虐殺される現場を見た挙句に発狂することも、この極端な民族間憎悪をステロタイプ化しているように見える。ミッシェルとイヴォンヌは本当に愛し合っていたのであり、それを最後まで尽くすミッシェルの姿は感動的である。しかし(映画紹介サイト)Allocinéのインタヴューでジャン=ポール・ルーヴ(共同脚本家でもあり、制作の最重要人物でもある(が正直に語っていることで、このミッシェルという役どころでは、イヴォンヌに対して「フランス白人と結婚しただけでも幸せだろうに」というフランス白人が平均的に持っている対アフリカ人レイシズムもある程度出てこないと真実味がない、ということも(難しいことだが)あったのだ。そしてイヴォンヌはイヴォンヌで、パリに連れて行きシャンゼリゼを闊歩させてくれるはずだったフランス白人夫、というミッシェルへのステロタイプな恨み言を口にしてしまう、という描かれ方。しかし根っこのところでこの二人は愛し合っている。それは原作でもその通りだし、それが二人の子供たちの救いでもあった。
 しかし不可解な内戦/民族間虐殺は急速にガビーの住む家のすぐ近くまでやってくる。映画は(節度はあるが)残虐な映像も折りはさみながら、この悲劇を描き、子供たちもミッシェルの事業も分断され、多くの血が流れることになる。ガビーはその中で、手のつけられない憎悪の徒党となった少年/若者たちに無理矢理、有無を言わせぬ集団ヒステリーに抗うことができず、裏切り者へのリンチの死刑執行人になってしまう...。
 私が最も残念だったのは、原作の最も重要なエピソードのひとつで、戦乱と仲間たちからの孤立に打ち拉がれた少年ガビーの唯一の救済となった、近所のギリシャ老婦人宅にあった夥しい(フランス語)蔵書に没頭して読みふけること、すなわち読書(=文学)によってガビーは過度に過酷な現実世界とのバランスを保つことができた、というパッセージがバッサリ抜けていたということ。映画ではギリシャ老婦人はなく、ブルンジのフランス系(フランス語教育の)小学校の女性(フランス人)教師が、戦乱を避けてフランスに帰国する際に段ボール箱に詰めた書物の数々をガビーに贈呈する、という程度のエピソードになってしまっている。文学による救済、これが少年ガビーを今日の(ラップ歌手としても小説家としても)ガエル・ファイユにならしめたのだよ。これを軽視しては、あんた小説『プティ・ペイ』をちゃんと読んだのかい?と疑いたくなる。
 パパ・ウェンバやザオなどの当時の仏語圏アフリカでのヒット曲の使い方もとても効果的だし、世界の最貧国のひとつと言われていたこの地域が実は楽園的なところだったと納得させるに足る現地映像も素晴らしいし、子役たちと大人のアフリカ人たち(ほとんどが素人)もみなリアリティーがあるし、いいところはいっぱいある映画なんだが、少年ガビーがもっともっと前に出ないと、ガビーがミッシェル(=ジャン・ポール・ルーヴ)の何倍も主役として動いてくれないと、やはり原作の秀逸さを半分も伝えられない結果になってしまう、と私は思うのだ。

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)『プティ・ペイ』予告編
 


2020年8月11日火曜日

起て、Uberたる者よ!


Charline Vanhoenacker
"Debout, les damnés de l'Uber !"

シャルリーヌ・ヴァニュナケール
『起て、Uberたる者よ!』

うやって発音していいのかわからない名前のこのシャルリーヌさんはベルギー人である。フランスに住んでいるとそれだけで笑うところである。仏語版ウィキペディアの彼女の項には、その名を読めない人たちのために発音記号がついている。仏語圏では"ヴァニュナケール”と読みフランドル語圏では"ファンヌナッカー”と発音するらしい。ベルギー人ならではの二面性である。1977年生まれの42歳。ジャーナリストとしてベルギーの大新聞ル・ソワールを経て国営放送RTBF(リンク先日本語版ウィキのRTBF紹介、"3”を"トワ"と表記してあるのが、そこはかとなくベルギーっぽい)へ、同社のパリ駐在員として、2012年仏大統領選挙(オランドの年)をカバー。その辺でフランスの放送メディアにも注目されるようになり、わが敬愛やまないラジオ・ジャーナリスト、パスカル・クラーク(当時国営フランス・アンテール局)の番組に「シャルリーヌの目(Charline vous regarde)」というコラムで時事コメンテーターとして毎週登場。2013年夏、フランス・アンテール局の(レギュラー番組ヴァカンス中の2ヶ月間)昼帯に「セプタント・サンク・ミニュット(75分)」というベルギー目線の番組を企画制作出演。好評につき2014年夏に"シーズン・2”。この番組の共同制作者/共同出演者のアレックス・ヴィゾレック(当然、言うまでもなく、ベルギー人)と二人で、このあとフランス国営放送フランス・アンテールの”ベルギー化”をさまざまな時間帯で敢行していく。2017年から(今日もなお)フランス・アンテール毎日午後5時1時間番組"Par Jupiter"を制作出演しているシャルリーヌ・ヴァニュナケール+アレックス・ヴィゾレック+ギヨーム・ムーリス(あ、こいつはフランス人)の三人は、2018年3月にフランス視聴覚最高評議会(CSA)に対してラジオ・フランス(フランス・アンテール他公共ラジオ7局を有する国営企業)の会長選挙への公式立候補書類を提出している。国営ラジオ・フランス会長の座を本気で狙っていたのである。
 シャルリーヌの看板番組 "Par Jupiter”の他に、彼女はフランス・アンテールの朝のニュースワイド番組”Le 7/9”(7時から9時までという安直な番組名)で、月曜から木曜まで7時58分2分間の(風刺ユーモア)時事短評(これを現代フランス語では"billetビエ"と言う)を担当するコメンテーターでもある。
 長い前置きになったが、本書はシャルリーヌ・ヴァニュナケールのこのフランス・アッmテールの"Le 7/9"の時事短評(ビエ)80編をまとめたものである。時評の矛先は多岐に渡るが、本領は2020年的現在におけるUber的、AirB&B的、スタートアップネーション的、失業/求職者的.... その他あらゆる緊縮期的悲惨を怒りをこめて笑おうじゃないか、というベルギー的複雑さである。フランスの中にいてフランスの状況を熟知した上で冷静に(冷酷に)観察できるのはベルギー人の特権である。コリューシュ(1944-1986)の頃から徹底的に揶揄され、隣国の宇宙人のように扱われてきたベルギー人のしなやかな逆襲は、(BD界)フィリップ・ゲリュック(Le Chat)、(文学界)アメリー・ノトンブ、(音楽界)ストロマエアンジェルなどで着実に領土拡張されていて、フランス人は今またシャルリーヌ・ヴァニュナケールの毒牙に噛まれながらマゾヒスティックな快感に浸っているのである。
 このシャルリーヌの名調子が私の説明でどれほど伝わるかわからないので、私の翻訳技量を試されることになろうが、翻訳演習のつもりで、そのクロニクルの一編を(無断で)和訳して以下に掲載する。

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最後のセルフィー  
(p129-130)

 あるサウジアラビア人旅行者がセルフィーを撮ろうとして命を落とした:ナイル川のほとりで身をあまりに乗り出しすぎ、大河に落ちた。ナルキッソスのような死であった。そのスマホを手にしながら。この男はインスタグラムのために命を落とした者たちの名簿に新たにその名を刻むことになった。2019年初頭に発表された統計調査によると、過度に危険なセルフィーを原因とする死者の数はこの6年で259人にのぼる。どの時代にもその時代に即応した災難があった。ペスト、コレラ、そして自画像。人はよく滑稽さは人を殺さないと言っていたものだが、私は滑稽さは真剣に人を殺そうと決心したような印象さえある。なぜならセルフィーは今やサメによる攻撃よりも多く人を殺しているのだから。
 SNSの普及によって、われわれは最も危険なことをすることの競争に立ち会っている;熊と一緒に写真を撮ること、ライオンと一緒に写真を撮ること、あるいはユマニテ祭りでアラン・マンクと写真を撮ること(訳注:この最後の例は説明が難しい。共産党系労働者の祭典にユダヤ系大資本家政商が顔を出すことはまずないだろうが、万が一そんな機会があった場合の危険度は想像を絶する)。人々はそのフォロワーたちをびっくり仰天させるためには何だってするのだ。
 その最優秀賞はかのメキシコ人に冠されるだろう。彼は一方の手でピストルを持ち銃口を自分のこめかみにあて、もう一方の手でスマホのカメラを操っていたのだが、どちらの手の指を操作するのかを間違えた。(以下3行、翻訳省略。翻訳するとすべき状況説明が長すぎるだろうから)
 そして、このように間抜けなやり方で命を落とした者の身内の人たちの気まずさについても考えてみよう。「ミッシェルに何があったの?先週の土曜日にはあんなに元気だったのに!」と言われたら、ミッシェルが自分の写真を撮るために愚かな死を遂げたということを説明しなければならないではないか。葬式の弔辞には勇気が要る:「ミッシェル、きみはきみの幾多の思い出をきみの最良の面影に残して旅立っていった。きみの面影はいつも正面顔だ。いつも微笑みを浮かべたその表情は私たちみんながよく覚えている。きみのインスタ投稿はいつも同じ顔だったから。だが今回だけは行き過ぎた。タイ旅行中、きみはこのキングコブラに背中を向けてはいけなかった。不幸にして、きみには情熱がありすぎた。蛇に対する情熱、写真に対する情熱、そしてとりわけきみ自身に対する情熱が。ミッシェル、今日きみがきみの最後のセルフィーに向けられたこれらすべての"いいね”を見ることができたらどれほど幸せだったろうね。きみの234人のフォロワーたちは今日親を亡くした子と同じだ。きみのいない生活はセピア・フィルターを通したように悲しいものとなろう。これらすべてにかかわらず、私たちはきみが安らかに逝ったことを知っている。きみにとって最も大切なもの、きみの自撮り棒ときみのiPhone 7と共に旅立ったのだから。ひとたび天国に着いたなら、忘れずに聖ペテロとの写真をトライしてくれたまえ。
 「さて皆さん、ミッシェルと最後のセルフィーを撮りたい方はいますか? 今がその時ですよ!さあ!」
 ヒーローとはセルフィーを撮るものだろうか? インディアナ・ジョーンズはかの聖杯を見つけた時、それと一緒にセルフィーを撮ったか? 否! 真の英雄とは控えめなものである。次回あなたが息を飲むようなセルフィーを撮りたいと欲したら、よく考えてごらんなさい。息の飲むようなセルフィーはあなたの息を止めることになりうるのだから。
(↓)ビエ「最後のセルフィー」by シャルリーヌ herself


Charline Vanhoenacker "Debout, les damnés de l'Uber!
Denoël刊 2020年3月  190ページ 17ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『起て、Uberたる者よ!』プロモーション・クリップ。

2020年8月2日日曜日

ベルナール・ベローさん(1942 - 2020) を悼む


2020年7月30日、ベルナール・ベローさんが亡くなった。肝がんに始まる長い闘病の末だったが、息子ダン・ベロー君によると眠るように安らかな旅立ちだった、と。フランス初の日本語出版社であるイリフネ社の創業者として、ミニコミ紙「イリフネ・デフネ」(1974年)、日本語情報紙「オヴニー」(1979年)、そして日仏文化交流スペース「エスパス・ジャポン」(1980年)を創った人。それはすべて夫人の小沢君江さんとの共同作業であったが、あまり表に出ずに、しっかりすべてを支えていた人という印象がある。晩年は、私が同じ病気の闘病生活を始めたので、いろいろ体験談やアドバイスもいただいた。私はどうしても小沢君江さんを通してしかベローさんを知らないので、ベローさん個人の人生についてたくさんのことは言えない。パリの1970年代の"ベロー/小沢"行状記に魅せられた者のひとりにすぎない。2013年12月に上梓された小沢君江著『四十年パリに生きる - オヴニーひと筋 - 』(緑風出版刊)の紹介記事をラティーナ誌2014年3月号に書いた。記事はベロー/小沢の夫婦愛の変遷を中心に書かれている。この記事をここに再録することが、ベローさんの追悼になるか、ということは議論の余地があるとは思うが、ベローさんを知らない人たちにはその人柄の片鱗を知ることになるのではないか、と思う。60/70年代、日本とフランスの激動の時代を生きた日仏カップルにして、アート/政治/庶民生活にまたがった在パリ日本人コミュニティーの草の根メディアを創り出したパイオニアの記録である。私にはこれぐらいのことしかベローさんについて知らないけれど、本当に素晴らしい人だったことは知っている。ベローさん、どうぞ安らかに。合掌。

(↑写真は、インターネット上にあったものの無断借用です。2019年撮影、ベローさんとオヴニーのスタッフ)

★★★★  ★★★★ ★★★★ ★★★★ 

この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で2014年3月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。

パリで日本語新聞をつくり続ける
小沢君江の生活と意見

ミュゼット・アコーディオンの巨星ジョー・プリヴァ(1919-1996)の傑作マヌーシュ・ジャズアルバム『マヌーシュ・パルティー』(1960年録音)を、1991年に当時私が勤めていたフランスのレコード会社のメディア・セット社がCD復刻した。私はそのスタッフとして、ディディエ・ルーサン(1949-1996。プリヴァのギタリスト。パリ・ミュゼット楽団の中心人物)筆の長いライナーノーツを日本語翻訳し、それをCDブックレットの一部として印刷することになり、当時フランスで唯一日本語文字印刷の版下がつくれる会社だったイリフネ社(パリの日本語新聞オヴニーの出版社)のベルナール・ベローにそれを依頼した。私が打った和文ワープロの原稿の入ったフロッピー・ディスクから日本語文章を抽出して、ベローがきれいに横書二段で割付けてくれた版下は、14ページという長さになり、全体で40ページとなったブックレットの三分の一強を占める分量で印刷された。こうして、フランス音楽業界史上初めての日本語印刷ライナーつきのCDはベローと私の共同作業によって誕生したのである。

 私がフランスに移住したのは1979年のことである。来て仕事に就いたのはいいが、住むところが決まらず、仮住まいを転々として、仕事の空き時間にアパート探しをしていた。奇しくもこの年に日本語新聞オヴニーは発刊され、私は住まい探しのためにその賃貸住宅欄をいち早くチェックしては記載された電話番号をダイヤルしていた。大学で4年間フランス語を勉強したとはいえ、電話で相手が何を言っているのか半分もわからない頃だった。あの頃も今も初めはみんなこうだったと思うし、オヴニーは昔も今もパリで暮らす日本人の強い味方であることには変わりがない。その79年の頃、私が勤めていた日系企業にも、ベルナール・ベローがオヴニーの発行日にその新聞の束を持って「オヴニーでございます」と丁寧で流暢な日本語で配達にやってきていたのを覚えている。だから私は最も古い時期からのオヴニーの読者である、と自認できる。

 オヴニーはフランス語のObjet Volant Non Identifié(未確認飛行物体)の頭文字略語で、英語のUFOに相当する。「パリの上空を未確認の日本語のアノンス(五行広告)が飛び交う」(小沢君江著『四十年パリに生きる』、p96)ことを想って命名されたフリーペーパーで、小沢君江&ベルナール・ベロー夫妻が創刊し、その第1号は1979年4月5日に「飛来」した紙名の副題に "Annonces Nipponnes... ni Mauvaises" とある。無理に「悪くない日本語の告知」と訳せないことはないが、もとは"Annonces ni bonnes ni mauvaises"(良くも悪くもない告知)の地口である。フランス人だったら笑うだろうが、日本人はどうかな?というレベルの卓抜な言葉遊びである。私はこういうセンスが好きだ。この新聞はまさにこういう遊びをわかる人たちに向けられたメディアであったと思う。

 それ以来私はこの新聞の一読者として、「エスパス・ジャポン」(1981年にイリフネ社がオープンした日仏文化施設)の一利用者として、また音楽業界に入ってからはオヴニーの音楽欄担当の方に紹介記事をお願いに行ったり、という近からず遠からずのおつきあいをしていた。冒頭で述べたように、印刷物のお願いに行ったこともあるし、オヴニーに短い原稿を書いたこともある。私がインターネットで音楽サイトを運営していた頃は、写真入りで大きな記事にしていただいた。また娘が高校生の時、必修課題の企業研修に、一週間イリフネ社の研修生として席をお借りしたこともある。しかし、この程度の浅いおつきあいでは、その中でどんなにすごいことが起こっているのか、どんなに濃い歴史を経てここに至っているのかなど、まるで分からなかったのである。

 201312月、オヴニーの育ての親、小沢君江の著書『四十年パリに生きる』(緑風出版刊)が刊行された。この本は20年前に発表された同著者の『パリで日本語新聞をつくる』(草思社1993年刊)の改訂版であり、小沢が50歳の時に書き上げた半自叙伝であった原本に増補加筆し、さらにその20年後までの後日談と70歳(と在仏年数40年)を迎えた小沢の感慨を綴った二章が新たに加わっている。

 1993年版を私は読んでいない。私が読み慣れているのはオヴニー紙上で「君」と署名されたエディトリアル欄 "A propos"(ア・プロポ)での、視点のはっきりした小気味良い時評解説の小沢の文章だった。だから『四十年パリに生きる』という書名から、私は彼女とその手がけてきた新聞の40年の日々をクロニクル的に綴ったものを予想して、この本を読み始めた。ところが、この本はそんなものではないということが十ページも読まぬうちにわかってしまうのだ。ましてやよくある海外生活体験手記でも、海外中小企業サクセスストーリーでもあるわけがない。読者は読み始めた時から生身の小沢君江の生きざまと立ち会うことになるのだ。

 それは1963年東京オリンピックの前年に始まり、彼女が早稲田大学仏文科に在籍していたのでオリンピックの仏語通訳に駆り出され、その通訳コーチにフランスから来ていたルネという青年との出会いがある。サルトルとボーヴォワールを読み、60年代の空気の中で社会的な関心事も多く、運動にもコミットする新しさの反面、親から勧められる見合いを断らず、本意ならずともこのまま日本式に家庭に入ることも自然な流れか、と自分への自信の無さに悩む。ルネはその間五月革命前後のパリにも赴き、映画とジャーナリズムという分野で日本とフランスの両方で新しい波の渦中にあった。そういう彼からは見合いで結婚するなどという封建的な考えを理解できず、ボーヴォワールのような新しい女性の生き方に君江を導こうとした。二人は見え隠れを繰り返し、淡い恋の不安を抱いて彷徨う君江は、浜辺で見知らぬ若い男たちに強姦され、しかもその結果妊娠してしまう。傷心の君江は中絶手術後、もうルネに再会することなく、郷里足利に戻ることを考えるのだが、ルネは君江を探しあて「もうきみを離さない」と宣言したのだった。

 ここまでで25ページ。強烈な序章である。傷ついた日本人娘と闘士肌のフランス人青年は、性と暴力と社会変革運動の只中で結ばれ、70年にパリ七区の区役所で結婚、71年に長男誕生、72年にパリに移住する。国際結婚、海外移住など、今では1行で書いてしまえること。それが当時いかに尋常ならぬことであったかは、私にも身に覚えはあるし、著者の家族とて末娘の行動に当惑し、世人の理解できない理不尽なことのようであった。(フランス男と交際しているという理由だけで3歳年上の兄に彼女は往復ビンタを喰らっている)。

 家族とのぎくしゃくした関係は日本側だけではない。一人息子だったルネの父と母は別居していて、君江は義父義母とそれぞれ個別のつきあいを余儀なくされた。このフランス語を話すことすらおぼつかない日本人妻は、息子とうまくやっていけるのだろうか? ー 本の中で義父義母の最初の不安が徐々に解消されてく過程はまさに感動的だ。それは文化障壁の崩壊ということに近いわけだが、それを壊していったのは小沢の不断の努力だった。

 私たち外国移住者に最初に突きつけられるのがアイデンティティーの問題だ。私は日本人なのか?日本人とは何か?この国で日本人はどう見なされているのか?何故私は「シノワ」や「アジアティック」と呼ばれると「ノン!」と大声が出るのか?この多種多様な民族が同居するパリで日本人はその場所があるのか?私は日本人をやめることができるのか? ー  日々の局面局面で、私はそんなことを自問する。しかしこれらの問いはいつか自分からなくなるかもしれない。この本でも日本人妻というポジションとの葛藤、ハーフとして生まれた二人の男児の育て方などで、小沢はアイデンティティーの問題と真剣に向かい合っている。ところが、本の終わりも近い残り数ページのところに、こんな、まるで救済のような文章が現れる。

 1979年ラジオ局の女性記者のルネへのインタビューの)最後に「ところであなたは日本人女性と結婚しているのですよね」と、なんとなく彼を見下すような視線を向けて言ったのを覚えている。その質問に対してルネは、「いえ、ぼくは日本人女性とではなく、キミという女性と結婚しました」と答えたのだ。(中略)このときにルネが答えたことの本当の意味をわたしが実感できるようになるまでに、じつは三十年以上かかったのである。         (前掲書 p253

 ルネの中ではずっと「キミ」だったのに、小沢君江は40年という時間をかけて「キミ」になったことを自覚したのである。ここまで読んで読者はこの本が君江とルネの大いなる愛の軌跡の記録であり、その末にアイデンティティー超克にまで至る物語である、と気付くのだ。

 ルネは完璧な日本語を話し、72年にパリ生活を始めた頃は、フランス語にもフランス事情にも明るくない妻は夫におんぶにだっこの形だったが、それでも君江は旺盛な好奇心と夫とも共通する闘士気質で、ラルザック農民闘争や女性解放運動を体験していく。「何でも見てやろう」世代の人だと思った。

 そんな試行錯誤の後、74年、二人はパリで日本語新聞を作ろうと思い立つのである。この年フランスに移住してきたグラフィック・デザイナー/絵本作家の堀内誠一(1932-1987)という超強力なブレインを得て、日本語ミニコミ紙「いりふね・でふね」はその5月に創刊号を世に送った。和文タイプライター(当時フランスにはイリフネ社以外どこにもなかった)を打つのも、新聞紙面を作ることも、広告を取ることも、配布販売することも何もかもが初めてづくし。この本が本当に面白くなるのはここからで、君江とルネは水を得た魚のように、この発行3千部の紙面を独創的で70年代エスプリに溢れた記事と挿画で埋めていく。自由で批判精神とユーモアに富み、どぎつさで知られたフランスの風刺誌「ハラキリ」にも通じる意地悪さもある。「一般市民が始めました」的なアマチュアリズムという形容では絶対説明ができない、プロ的にアンダーグラウンドな内容があり、ゲスト執筆陣に安野光雅や澁澤龍彦といった名前も見える。76年にフランスで『愛のコリーダ』がノーカット上映された時、大島渚を囲む座談会も掲載されていた。それと平行して20区ベルヴィルにあったイリフネ社屋では、生協的なバザールや即興コンサートや日本食パーティーやら、イヴェントが目白押しで、君江・ルネの一家は毎日毎晩が宴のような日々を生きた。

79年、「いりふね・でふね」はフリー・ペイパー「オヴニー」に変身して、飛躍的に読者数をふやしていく。インターネットや携帯電話はおろか、ファックスもミニテルもなかった時代なのだ。パリへの日本人観光客は年間50万人を数えたが、その姿は首にカメラをかけてバスに缶詰にされて移動するというカリカチュアで描かれ、まだルイ・ヴィトンの店にはわが同胞の行列がなかった。あの時パリ在の日本人居住者はどれくらいいただろうか。発行部数2万で刷られ、日系レストラン・食品店・免税ショップ・旅行代理店など日本人が立ち寄るであろうすべてのところにオヴニーの束は配布され、在留邦人の生活必需品のように手に取られていった。反面「いりふね・でふね」のアヴァンギャルドさは失われていったが、広告を収入源として生きるフリーペーパーらしからぬ、庶民視点と批判精神はずっと貫かれている。足を使った取材、個人的な体験に基づく評価、市民的日常の機微の観測、発見、知恵、アイディア、オピニオン...、個性的なスタッフとライターを得てこの市民メディアは充実していく。さらに1981年に、図書館、エキスポスペース、語学や民芸クラフトや書道などの教室をもった多目的文化施設である「エスパス・ジャポン」を開設、市民レベルでの日仏文化交流の場となっている。

 しかし本はそんな中小企業繁盛記のような記述で終始するのではなく、無我夢中でやっていたとはいえ、小さい2人の子育て、家庭の主婦もこなしながらボロボロで格闘している君江の姿が浮かび上がってくる。「いりふね」の時代に日本赤軍派への関与を疑われてルネが逮捕監禁されたり(その顛末記を「いりふね」 紙上で堀内誠一が見事にイラスト化していて、ルネの拷問シーンも現れる)、女性税務査察官(これを小沢はかの伊丹十三映画に因んで「マダム・マルサ」と呼ぶ)の6ヶ月にわたる長期調査を受けたり、家族で行った映画館で未成年の子供二人に入場させない映画館との悶着の末、通報で駆けつけた警官を「コン」(ばか)呼ばわりして、警察官侮辱罪が立件して裁判へ、といった普通の市民ではなかなか体験できぬことを小沢は体験していて、そのことを記述するときの小沢の筆は怒りもあるが、楽しそうでもある。

 しかし小沢もルネも病に襲われる。84年に小沢は動脈瘤の大手術を体験しているし、ルネはリタイア後に4度癌に冒されている。二人三脚は時として機能しなくなるが、多少無理をしてでもこのカップルは苦難を乗り越えてきた。二人で育ててきたイリフネ社、二人でやってきた日仏文化の架け橋という仕事、それは持続してもう40年になろうとしている。本の最終部は、君江とルネという一組の日仏カップルの言わば勝利宣言のような誇らしさがある。そして昨今の若い日仏カップルの多くが失敗して別れてしまうことに、人生の先輩として苦言を呈している。小沢に言わせるとそれは言葉の問題なのである。コミュニケートする努力を怠ってはならない。暗黙の了解など日仏カップルにはないのだから。

 1月25日、オヴニーのオフィスで小沢にこの本について語ってもらった時、逆に小沢から「この本で一番気に入ったところはどこ?」と聞かれた。ここですよ。

 (義父の埋葬から)帰宅したその夜、ルネは、ひとり息子がこの世で永遠にひとりになるときの孤独感をかみしめていたのだろう。いままでになく深遠な力を込めて、
Je t'aime 」(愛してる)
と、わたしの胸に顔を埋めたまま、ゆっくりとつぶやいた。 (前掲書 p165

 二人が出会って20年以上も経つのにどちらからも一度も発語されたことのないジュ・テームが、この時初めてルネの口から発せられる。人生で最も孤独な時に。ジュ・テームは言葉として発せられなければならない。暗黙の了解などないのだから。

  『四十年パリに生きる』は愛の軌跡を綴った書としか私には読めない。小沢はそれを告白するように、「この改訂版でやっと"ベルナールに捧ぐ”という献辞が加えられたの」と私に語った。ならば、次はいつかは知らないけれど、本書の第三改訂版では、本文中の「ルネ」という名前はすべて「ベルナール・ベロー」に代わっているはずである、と予言しておく。

 時代は変わり、74年からフランスは5人違う大統領を選出し、古いパリの町とて大分様相を変えてしまった。パリの日本人社会も移り変わりが激しいが、全体的に高齢化しているように見える。パリは世界中の人々を惹きつける町だし、これからもパリを愛する日本人が飛来し続けるだろう。オヴニーは今やスマートフォンのアプリに参入しなければならないほど、和文タイプライターの時代から遥か遠いところに来てしまった。小沢君江の日々は終わっていない。70歳を過ぎた今日も、オヴニーの辛口のエディトリアルを書き続け、その横で大好きな翻訳の仕事もしている(訳書近刊にシャンソン歌手バルバラの自伝『一台の黒いピアノ』がある)。ここの日本人社会とフランス社会の観察者であり記録者である小沢は、言わば、35年フランスで生きている私の証人でもあるのだ。感謝の気持ちとまだまだ続けていただきたいという希望。連載記事の慣例で敬称略で書き始めたこの原稿は、書き進めていくうちに、何度「君江さん」と書き換えたかったか知れないのだ。

ラティーナ誌2014年3月号