"Debout, les damnés de l'Uber !"
シャルリーヌ・ヴァニュナケール
『起て、Uberたる者よ!』
どうやって発音していいのかわからない名前のこのシャルリーヌさんはベルギー人である。フランスに住んでいるとそれだけで笑うところである。仏語版ウィキペディアの彼女の項には、その名を読めない人たちのために発音記号がついている。仏語圏では"ヴァニュナケール”と読みフランドル語圏では"ファンヌナッカー”と発音するらしい。ベルギー人ならではの二面性である。1977年生まれの42歳。ジャーナリストとしてベルギーの大新聞ル・ソワールを経て国営放送RTBF(リンク先日本語版ウィキのRTBF紹介、"3”を"トワ"と表記してあるのが、そこはかとなくベルギーっぽい)へ、同社のパリ駐在員として、2012年仏大統領選挙(オランドの年)をカバー。その辺でフランスの放送メディアにも注目されるようになり、わが敬愛やまないラジオ・ジャーナリスト、パスカル・クラーク(当時国営フランス・アンテール局)の番組に「シャルリーヌの目(Charline vous regarde)」というコラムで時事コメンテーターとして毎週登場。2013年夏、フランス・アンテール局の(レギュラー番組ヴァカンス中の2ヶ月間)昼帯に「セプタント・サンク・ミニュット(75分)」というベルギー目線の番組を企画制作出演。好評につき2014年夏に"シーズン・2”。この番組の共同制作者/共同出演者のアレックス・ヴィゾレック(当然、言うまでもなく、ベルギー人)と二人で、このあとフランス国営放送フランス・アンテールの”ベルギー化”をさまざまな時間帯で敢行していく。2017年から(今日もなお)フランス・アンテール毎日午後5時1時間番組"Par Jupiter"を制作出演しているシャルリーヌ・ヴァニュナケール+アレックス・ヴィゾレック+ギヨーム・ムーリス(あ、こいつはフランス人)の三人は、2018年3月にフランス視聴覚最高評議会(CSA)に対してラジオ・フランス(フランス・アンテール他公共ラジオ7局を有する国営企業)の会長選挙への公式立候補書類を提出している。国営ラジオ・フランス会長の座を本気で狙っていたのである。
シャルリーヌの看板番組 "Par Jupiter”の他に、彼女はフランス・アンテールの朝のニュースワイド番組”Le 7/9”(7時から9時までという安直な番組名)で、月曜から木曜まで7時58分2分間の(風刺ユーモア)時事短評(これを現代フランス語では"billetビエ"と言う)を担当するコメンテーターでもある。
長い前置きになったが、本書はシャルリーヌ・ヴァニュナケールのこのフランス・アッmテールの"Le 7/9"の時事短評(ビエ)80編をまとめたものである。時評の矛先は多岐に渡るが、本領は2020年的現在におけるUber的、AirB&B的、スタートアップネーション的、失業/求職者的.... その他あらゆる緊縮期的悲惨を怒りをこめて笑おうじゃないか、というベルギー的複雑さである。フランスの中にいてフランスの状況を熟知した上で冷静に(冷酷に)観察できるのはベルギー人の特権である。コリューシュ(1944-1986)の頃から徹底的に揶揄され、隣国の宇宙人のように扱われてきたベルギー人のしなやかな逆襲は、(BD界)フィリップ・ゲリュック(Le Chat)、(文学界)アメリー・ノトンブ、(音楽界)ストロマエとアンジェルなどで着実に領土拡張されていて、フランス人は今またシャルリーヌ・ヴァニュナケールの毒牙に噛まれながらマゾヒスティックな快感に浸っているのである。
このシャルリーヌの名調子が私の説明でどれほど伝わるかわからないので、私の翻訳技量を試されることになろうが、翻訳演習のつもりで、そのクロニクルの一編を(無断で)和訳して以下に掲載する。
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最後のセルフィー(↓)ビエ「最後のセルフィー」by シャルリーヌ herself
(p129-130)
あるサウジアラビア人旅行者がセルフィーを撮ろうとして命を落とした:ナイル川のほとりで身をあまりに乗り出しすぎ、大河に落ちた。ナルキッソスのような死であった。そのスマホを手にしながら。この男はインスタグラムのために命を落とした者たちの名簿に新たにその名を刻むことになった。2019年初頭に発表された統計調査によると、過度に危険なセルフィーを原因とする死者の数はこの6年で259人にのぼる。どの時代にもその時代に即応した災難があった。ペスト、コレラ、そして自画像。人はよく滑稽さは人を殺さないと言っていたものだが、私は滑稽さは真剣に人を殺そうと決心したような印象さえある。なぜならセルフィーは今やサメによる攻撃よりも多く人を殺しているのだから。
SNSの普及によって、われわれは最も危険なことをすることの競争に立ち会っている;熊と一緒に写真を撮ること、ライオンと一緒に写真を撮ること、あるいはユマニテ祭りでアラン・マンクと写真を撮ること(訳注:この最後の例は説明が難しい。共産党系労働者の祭典にユダヤ系大資本家政商が顔を出すことはまずないだろうが、万が一そんな機会があった場合の危険度は想像を絶する)。人々はそのフォロワーたちをびっくり仰天させるためには何だってするのだ。
その最優秀賞はかのメキシコ人に冠されるだろう。彼は一方の手でピストルを持ち銃口を自分のこめかみにあて、もう一方の手でスマホのカメラを操っていたのだが、どちらの手の指を操作するのかを間違えた。(以下3行、翻訳省略。翻訳するとすべき状況説明が長すぎるだろうから)
そして、このように間抜けなやり方で命を落とした者の身内の人たちの気まずさについても考えてみよう。「ミッシェルに何があったの?先週の土曜日にはあんなに元気だったのに!」と言われたら、ミッシェルが自分の写真を撮るために愚かな死を遂げたということを説明しなければならないではないか。葬式の弔辞には勇気が要る:「ミッシェル、きみはきみの幾多の思い出をきみの最良の面影に残して旅立っていった。きみの面影はいつも正面顔だ。いつも微笑みを浮かべたその表情は私たちみんながよく覚えている。きみのインスタ投稿はいつも同じ顔だったから。だが今回だけは行き過ぎた。タイ旅行中、きみはこのキングコブラに背中を向けてはいけなかった。不幸にして、きみには情熱がありすぎた。蛇に対する情熱、写真に対する情熱、そしてとりわけきみ自身に対する情熱が。ミッシェル、今日きみがきみの最後のセルフィーに向けられたこれらすべての"いいね”を見ることができたらどれほど幸せだったろうね。きみの234人のフォロワーたちは今日親を亡くした子と同じだ。きみのいない生活はセピア・フィルターを通したように悲しいものとなろう。これらすべてにかかわらず、私たちはきみが安らかに逝ったことを知っている。きみにとって最も大切なもの、きみの自撮り棒ときみのiPhone 7と共に旅立ったのだから。ひとたび天国に着いたなら、忘れずに聖ペテロとの写真をトライしてくれたまえ。
「さて皆さん、ミッシェルと最後のセルフィーを撮りたい方はいますか? 今がその時ですよ!さあ!」
ヒーローとはセルフィーを撮るものだろうか? インディアナ・ジョーンズはかの聖杯を見つけた時、それと一緒にセルフィーを撮ったか? 否! 真の英雄とは控えめなものである。次回あなたが息を飲むようなセルフィーを撮りたいと欲したら、よく考えてごらんなさい。息の飲むようなセルフィーはあなたの息を止めることになりうるのだから。
Charline Vanhoenacker "Debout, les damnés de l'Uber!
Denoël刊 2020年3月 190ページ 17ユーロ
カストール爺の採点:★★★☆☆
(↓)『起て、Uberたる者よ!』プロモーション・クリップ。
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