2026年9月29日火曜日

ロッシュルージュのがきんちょたち

"Les Roches Rouges"
『赤い岩山』

2026年ポルトガル+イタリア+フランス映画
監督:ブルーノ・デュモン
主演:ケイロン・ランセル(ジェオ)、ケルシー・ヴェルデイユ(エーヴ)
フランス公開:2026年9月23日


爺ブログはこれまでブルーノ・デュモンの映画を2本紹介している。2019年の『ジャンヌ(Jeanne)』と2024年の『帝国(L'Empire)』。どちらもややこしく、ハイブロウな映画だが、ブログ記事はかなり好意的に書いた。どちらも(というか他のほとんどのデュモン作品も)予算のせいというわけではなく、デュモンの出身地である北フランス(特にパ・ド・カレー地方)を撮影地に制作されている。デュモンは一貫した”北の映画人”という印象が強かった。
 ところが、この新作は地中海・コート・ダジュールが舞台なのだ。これまでとは色彩が違う。空も海も大地も町も人のなりも。季節は夏。場所はヴァール県の海浜保養地サン・ラファエルに隣接する入江の町アンテオール、赤い火山岩のエステレル山地が海岸にまで突き出ていて、紺碧海岸(コート・ダジュール)の海の青と岩山の赤のコントラストが美しい。入江のビーチのすぐ背後に高い鉄道陸橋が架かっていて、その上をTER(国鉄地方急行便)が走っている。映画の中でもその風景映像が何度も挿入されるが、映画が絵ハガキ的な撮り方はしていないにしても、このロケーションの絵画的美しさはよくわかる。古くから幾多の画家たちを寄せつけ魅了したあのコート・ダジュールだ。当たり前だが、シュティの国とはかなり違う。
 そして主演陣が6歳の子供たち6人。日本語表現で言うところの「年端もいかぬ」子たちである。あなた、5〜6歳の頃の記憶ありますか?私は全くありませんよ。アメリー・ノトンブは新生児の頃から記憶があるような小説を書いているが、ベルギー人は違うのかもしれない。似たような日本語表現で「分別のつかない子」というのがあるが、これは「善悪の判断や、自分の行動が周囲に与える影響をまだ十分に理解できない状態」の子、脳の発達途上の子、ということで年齢の目安としてゼロ〜3歳頃とされている。つまりこの映画に登場する子たちは分別がついていて、年端が行かないのである。テレビや映画などで、5〜6歳を演じるプロの子役というのはどういう頭脳をしているのだろうか?台本が読めて演技ができて役になりきることができる年端もいかない子というのは「リアル」に存在するのだろうか?明らかに作り物に見えてしまうCM映像や子供ドラマの明るく饒舌な5歳児6歳児って、厳しく(あるいは騙し騙し)調教されたらできるようになるのだろうか? しかしブルーノ・デュモン映画に登場するのはそんな子供たちではない。
 「演技する」「演じる」という動詞はフランス語では "jouer(ジュエ)”、英語でも”play(プレイ)"であり、共に「遊ぶ」という意味でもある、というのがミソ。この子たちには「演じる」と「遊ぶ」に境界などない。6歳の子供たちが、夏にコート・ダジュールの海辺に居合わせること、それは日がな一日遊び回ることではないか。他に何が? 大きな大きな自由を謳歌する夏の子供たちだ。親の目から解き放たれたこの子たちの自由な遊びは苛烈で過激で痛快である。まず、(電気動力)子供用4輪バギーに相乗りして”公道で”全速力でぶっ飛ばす。パーキングに駐車している(大人の)自動車のトランクや座席から、物品を盗み、仲間で山分けする。そしてこの子たちが最も興奮する遊びは、海に突き出した赤い岩山の崖から海に飛び込むことである。恐れを知らないこの子たちは、より高い崖から飛び込みたい挑戦欲に猛ていて、高い崖へ、さらに高い崖へと飛び込み地点を高めていく...。(海岸警備隊のボートから「子供たち、崖から離れろ」と警告されるシーンあり)
 2026年5月のカンヌ映画祭監督週間で初上映された後のインタヴューで、ブルーノ・デュモンが必死になって弁解していたのは、この6歳の子たちによる超危険な海クリフダイビングは全部”特撮”であるということで、実際に子供たちには60センチほどの高さから飛び降りさせて撮影した映像から”再加工”して絶壁ハイダイビング映像を作ったのだそう。実写だったら、間違いなくとんでもない児童虐待案件になっていただろう。しかし、この年端も行かぬ子供たちの飛び込みシーンがなんとも痛快で美しいのだよ。命知らず、分別知らずだけれど、何よりも自由。男の子も女の子もキャッキャ言いながら、空中に身を投げ出し、海に吸い込まれる...。
 ちょっとディテールであるが、この子たちは日本語で言うところの「カッパ」ではない。つまり海育ちで泳ぐことが走ることのように自在にできる泳ぎ手ではない。リーダー格で無敵の飛び込みチャンピオンのジェオ(演ケイロン・ランセル)は、犬かき泳ぎで、時々水中に顔が隠れるアップアップ泳ぎなのが可笑しい。それはそれ。
 この夏のヴァカンス地で、同じように4輪バギーを乗り回し、崖ダイビングに興じる3人組がきんちょグループが二つ。一つはジェオを中心としたマノン(女の子)とルーベン(男の子)の3人組、もう一つは”B"(というアルファベットひと文字の通り名を持つ男の子、演アレッサンドロ・ピクエラ)をリーダーとしたエーヴ(女の子、演ケルシー・ヴェルデイユ)とド(女の子)の3人組。なぜグループが二つあるかというと、それは反目しあっているからである。シャーク団とジェット団みたいな。そしてこの映画の大まかなストーリー運びが「ウェストサイド物語」(「ロメオとジュリエット」)もじりの流れになっているのは、おたがい敵対するグループの一員であるジェオとエーヴ(↑写真)が恋仲になる、という...。ジェオがエーヴを誘って、無賃乗車でTER(国鉄地方急行)で(同じ地中海沿いで国境の向こうの)イタリアのヴェンティミーリアまで二人旅をするところなど、ラジカルにしてロマンティック。
 勝手にエーヴのことを自分の愛人だと思っていた”B”は嫉妬に怒り狂い、ジェオを殺してやると息巻いている。ジェオもエーヴのことを一途に恋焦がれているので、”B”と決着をつける時が来ることを知っている。そして、その時が来た....。

 と、ストーリーっぽいことをなぞって書いてきたけれど、実際に映画で見えるものはそんな単純なものではない。子供たちは演技しないで遊んでいる、というのが先行してしまうので、生々しいドキュメンタリー映像のような、大写し大アップの子供の”素(す)”の顔が大いにモノを言っている。ブルーノ・デュモンの(撮影後)”編集”は、脚本ストーリーに合わせるという作業ではなく、子供たちのおおいなる自由を第一に浮き出そうとしたのだろう。”子役”としての立ち回りなどどうでもいい、このジェオの予測不可能な顔表情の変化の方が、この映画が見せたかったものなのだろう。
 赤い岩を背景としたウェスタン映画、グラン・ブルーな海と空、自由と友情とライヴァル関係、生まれつつある禁じられた恋と、流血、幸福の大団円...。いっぱい詰まっているようだが、そうは見えない”素(す)”の子供たちの自由と遊びがすべてに勝る映画。わからない人多いと思う。私の観た映画館では(以前のブルーノ・デュモン映画でも同じことを体験しているが)上映途中で出ていく観客が結構いたので。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『レ・ロッシュ・ルージュ 赤い岩山』予告編

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