レ・リタ・ミツコ「セ・コム・サ」
1986年11月リリース
作詞作曲:フレッド・シシャン&カトリーヌ・ランジェ
プロデュース:トニー・ヴィスコンティ
2026年9月14日、カトリーヌ・ランジェが亡くなった。68歳だった。ずっと自分と同世代と思っていたし、同時代を生きた同志のように感じていたのだが、私よりも4歳も若かった。死因は "cancer foudroyant(進行の極めて早いガン)"と報道された。突然の死。急に具合が悪くなったのだ。レ・リタ・ミツコの最初の大ヒット曲となった「マルシア・バイーラ Marcia Baïla」(1984年リリース)は、レ・リタがまだアンダーグラウンドで活動していた時期にステージを共にしていたアルゼンチン人ダンサー/コレオグラファーで親友だったマルシア・モレトの死を歌ったものだったが、そのサビの歌詞は
Mais c'est la mort
マルシア、
Qui t'a assassinée Marcia
あなたを殺したのは死神
C'est la mort
マルシアを
Tu t'es consumée Marcia
焼き尽くしたのは死神
C'est le cancer
あなたが
Que tu as pris sous ton bras
自分の腕で抱いてしまったのはガン
つまり、マルシアの命を奪ったのはガンだった。だから今日「マルシア」という歌詞を「カトリーヌ」に替えたようなカトリーヌ・ランジェの最後だったが、歌詞替えたら韻を踏まなくなっちまうんだよぉ、メルド...。失礼。悲しい。ほんとうに悲しい。ガンは惜しみなく愛するものを奪う。
2007年11月、フレッド・シシャンの命を奪ったのもガンだった。53歳だった。その3ヶ月前2007年8月、レ・リタ・ミツコはわが家の対岸のサン・クルーのロックフェス「ロック・アン・セーヌ(Rock En Seine)」に出演していて、私と妻と娘の3人はそのライヴをおおいに楽しんだのだが、それがレ・リタ・ミツコの最後のステージになった。その2007年夏、向風三郎は『ポップ・フランセーズの40年』というガイド本を執筆していて、その中でレ・リタ・ミツコは2曲で紹介されている。ポップ・フランセーズと私が呼んでいる音楽の最良のアーチストなのだから当然だ。一つは「マルシア・バイーア」(1985年の項)、もう一つは「セ・コム・サ」(1987年の項)。両方とも向風は力込めて書いている。われながらよくあんな文章書けたものだと驚いている。以下に「セ・コム・サ」の項を再録する:
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問答無用のマニフェスト
ある日、あなたの愛する人があなたに言う「別れましょう」と。藪から棒にそう言われてあなたは動転して、一体どうしたんだ? なぜなんだ? と聞き返す。すると相手はたったひと言「セ・コム・サ」と答える。ここですべては停止するのである。
これは問答無用なのだ。理由なんかない、あるいは千もの理由があるがあなたに言ってもしかたない、ということなのだ。「セ・コム・サ」は相手のやり返しを断ち切る。日本語にするのは難しいが、「だってこうなんだから」とでも訳しておこうか。こうなんだからしかたがない、おしまい、なのだ。
なぜロジャー・フェデラーは負けないのか。セ・コム・サ。なぜスイス人は金があるのにまずものを食べるのか。セ・コム・サ。どうしてラ・ヴァシュ・キリとモナリザは笑っているのか。セ・コム・サ。なぜフランス人はサルコジを大統領に選んだのか。セ・コム・サ。朝ベッドで目を覚ますとなぜ女は髪をボリボリ掻き、男は股の間をボリボリ掻くのか。セ・コム・サ。なぜ私の奥様はいつまでもきれいなのか。セ・コム・サ。 ー もう理由なんかどうでもいいではないか、世の中がそうなっているのだから。問われても理由を言えず、セ・コム・サで問題や議論から逃げる人たちを見たら、”コムサ系”と呼ぶことにしよう。
レ・リタ・ミツコのアルバム『ザ・ノー・コンプレンド(The No Comprendo)』(1986年9月発表)はそのアートの頂点であった。カトリーヌ・ランジェ、フレッド・シシャン、トニー・ヴィスコンティの3人の溢れ出るアイディアが最も突出した形で表現された奇跡のアルバムである。このアルバムの録音の模様はジャン=リュック・ゴダール監督映画『右側に気をつけろ(Soigne Ta Droite)』(1987年)で見ることができる。連続してシングルカットされた「アンディー(Andy)」、「セ・コム・サ」、「レ・ジストワール・ダ(Les Histoires d'A)」はすべてメガヒットになった。まさにレ・リタ・ミツコの恩寵の時期であった。
「セ・コム・サ」のヴィデオクリップはジャン=バチスト・モンディーノ制作で、CGアニメやコマ早回しなどをふんだんに駆使した童心あふれる作品で、おそらくモンディーノの最高傑作のひとつに挙げられるだろう。そして「セ・コム・サ」のサウンドはタイトルが示すように、問答無用、るせえ、文句あっか、の快速ロックンロールである。
歌詞はカトリーヌのふてぶてしい歌唱にも関わらず、やむにやまれぬ欲求のようなものを喚起していて、ひょっとしてこれはドラッグかなとも聞かれるきらいがある。しかし勢いは「出て行く女」のそれで、あんたのことは捨てたくないんだ、あんたと終わりにしたくないんだ、と言いながら、道祖神に吹かれて、セ・コム・サとバッサリ結論する。ほとんど意味はないが文句を言わせない迫力の勝利だ。私のレ・リタのベスト・トラックである。
(向風三郎『ポップ・フランセーズの40年』 pp200〜201)
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今から19年前、私はこんなことを書いていたのか。パンク、独創的ロックミュージシャン/ダンサー、詩人、骨太のフェミニスト、生粋のアンチレイシスト、環境問題・貧富格差・住居問題に現場に赴いて戦うアクティヴィスト、ハグしようとしたマクロン大統領を両手で撥ね退けた傑女... カトリーヌ・ランジェの記憶は絶対的に大切にしなければならない、と私は思う。合掌。
(↓)レ・リタ・ミツコ「セ・コム・サ」(1986年ジャン=バチスト・モンディーノのクリップ
(↓)カトリーヌ・ランジェ「セ・コム・サ」(2020年 TVフランス2「タラタタ」)



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