目がほとんど見えないダニエルはピアノの練習を欠かさない。その練習曲であり、映画中何度かそのパッセージが挿入され、映画のエンディングジェネリックでも流れるのが、ショパン「24のプレリュード第4番」なのね、つまり7月に亡くなったジェーン・バーキンの「ジェーンB」(”Je t’aime moi non plus”B面)の元曲。私、この映画でこの旋律が流れるたびに、ジェーンBの声を幻聴してしまいましたよ。合掌。
へンリー・ジェームズ(1843 - 1916)作のカルト短編小説『ジャングルのけもの(The Beast In The Jungle)』(1903年)を下敷きにした自由翻案作品。テレラマ誌によると、この原作小説はマルグリット・デュラスによって戯曲化されたり、フランソワ・トリュフォー 映画『緑色の部屋』(1978年)に重要なインスピレーションを与えた、ということになっている。 男女の不思議な交感の物語であり、それはたぶん”愛”に近いものである。男(ジョン)はそのエキセントリックな感受性によって、ある種の強迫観念のように、自分の身にある日(近い未来)に”何か”がやってくることを確信している。その何かはとてつもないものであることは間違いないがそれが何であるのかはわからない。必ず来るからそれを待っているしかない。この秘密めいた確信をある日、女(メイ)に告白する。メイは好奇心からこの何かを待つ男に興味を抱き、共にその何かが何であるのかを知りたいと思う。いつしかこの男と女は”何かを待つ”ことを共有するようになる....。
その結果、「おおちゃん」は片脚を潰される大怪我を負い、馬術を再開する夢はもちろんおじゃん、さらに非情なことに採石会社の正社員雇用の話もおじゃん、八方塞がり四面楚歌。ミナミとユズキとの全幅の信頼関係も翳りが見えてくる。Nobody knows you when you're down and out. そんな時に天から降って湧いたように、巨額の万札がチャンスーの目の前に。だがしかし、昔のイギリス人はうまいこと言いますね、Soon gotten soon spent あるいは Easy come easy go、つまり「悪銭身に付かず」という意味なのだが、これはチャンスーのチャンスとはならず、逆にこのせいで警察に追われる身に。署での取り調べにチャンスーは「遺失物横領、隠匿、使い込み、これは何年の懲役になるんですか?」と自虐的開き直りを。家族を顧みなかった罪に何重もの天罰が下ったとチャンスーは涙した。この取り調べでのチャンスーの独白が素晴らしい。家族とは何か、祖国とは何か。韓国の兵役での訓練で朝に穴を掘らされ、その日の終わりに穴を埋める話。しかし万事休す。そこに因果応報、身から出たサビ落とし、転がる石の逆のぼり、救済はヤマスキ警官ハヤカワから差し出される...。
この「壊れ」のありさまはシュールを通り越して異次元ワープものである。さてこの場合のヴェロニク・サンソンというメタファーの意味である。決して時代遅れの歌や人前で歌って恥ずかしい歌(例えばミッシェル・サルドゥーの歌のような)というニュアンスではない。これは英米ポップの歌を(英語で)暗記して歌えない人でも、あの時代(すなわちセヴンティーズの)新しげな(仏)ポップソングだったと愛した、ノンアングロフォン(No English spoken)の愛唱歌、という立ち位置。スノッブな人たちが鼻で笑うような。今日ではジュリエット・アルマネやクララ・ルチアニによるサンソン再評価によって、それほど抵抗はなくなったものの、その前はカラオケで歌うのもちょっと勇気が要ったと思うよ。さしずめこのクリストフが(ウンコ垂れながら)歌っていた歌というのは容易に想像がつく。「アリア・スーザ」(↓)に違いない。
2023年7月16日、暗い日曜日、76歳で亡くなったジェーン・バーキン。訃報後フランスのテレビのニュース番組で、街頭のファンたちの反応を求める報道マイク、「印象に残っている歌は?」と聞かれて歌い出す市民の歌は”Ex Fan des Sixties"、"Di Doo Dah"、"Quoi"...。そうなのだ。「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」ではないのだ。ファンたちが避けて通っているのではない。故人への敬意もあろうが、もはや”ジェーン・Bを代表する一曲”ではないのだ。私はこの一曲にのみ集約される歌手ではない。ジェーン・バーキンは長い時間をかけて”それだけではないジェーン”の地位を獲得していった。しかしそれはフランスの事情。世界的女優として羽ばたいていった娘シャルロット・ゲンズブールが、諸外国で聞かされる”父母のことで知っていること”がこの曲しかない、と嘆いている。そう、まだまだ世界的には「ジュ・テーム」のスキャンダル歌手がジェーン・バーキンである。しかしこの歌は一過性のスキャンダルで終わる歌ではない。 2019年、私はこのシングル盤「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」の発売から50周年となったことを機に、ラティーナ誌(2019年4月号)に『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュの50年』という記事を書いた。世界を変えた歌のひとつとして証明するために。だが、ジェーン・バーキン自身はこれを越えたかったのだ。これだけじゃない。そうとも。これだけじゃない。
それはそれ。のちに世紀のカップルとなる二人はこの時から離れられない仲になり、ゲンズブールは封印したばかりの世紀のラヴソングをバーキンと再創造するのである。バルドーと録音したのと同じCメジャースケールだが、バーキンにはバルドーよりも1オクターヴ上の声で歌わせる、このことが成功の大きな要因であったと後にゲンズブールは語っている。 ではまずタイトルの”Je
t’aime moi non plus”だが、もとのフランス語からも意味のとりにくい不条理な表現で、直訳的には女が「私はあなたを愛している」と言い、男が「俺もそうじゃないね」と答える。「いや俺は違う」という答えではない。出典は天才画家サルバトール・ダリの言葉:
Picasso est espagnol, moi aussi Picasso est un génie, moi aussi Picasso est communiste, moi non plus ピカソはスペイン人だ、私もそうだ ピカソは天才だ、私もそうだ ピカソは共産党員だ、私もそうじゃない
性的恍惚にクレッシェンドしていく4分間シングル、その繰り返し運動の末に女は「今よ、来て」とエクスタシーに導く。バーキン&ゲンズブール版「ジュテーム」が出た時すぐさまエクスプレス誌は
“Symphonie en râles majeurs”(アヘアへ長調交響曲)という異名を与えた。その喘ぎ声に煽られ、事情を知らぬ少年少女たちは奇妙なセンセーションを覚えたが、それが何か知らずとも絶対親や大人たちには秘密にしておきたい何かだった。隠れて聞きたいイケナイ歌だった。さらに歌詞は変なことを歌っている。
Je vais je vais et je viens entre tes
reins おまえの腰の間を行ったり来たり