2015年1月30日金曜日

あとで肘鉄プラウダ

アンヌ・ヴィアゼムスキー『1年後』
Anne Wiazemsky "Un An Après"

 ンヌ・ヴィアゼムスキーの12作目の小説です。19歳の時に17も年上の映画監督ジャン=リュック・ゴダールと恋に落ち、結婚して、映画女優となる、という1967年の日々を描いた前作"Une année studieuse(わたし的な訳では『もう勉強の1年』)”(2012年)については当ブログの記事『マオい日々』で紹介していて、作者の背景についても長々と説明しているので、ぜひ参照してみてください。で、この小説は文字通りその「1年後」のことなのです。すなわち、時まさに1968年。ヴィアゼムスキー20歳、ゴダール37歳。
 小説は話者(アンヌ)とジャン=リュック・ゴダールの夫婦がパリ8区ミロメニール通りのアパルトマン(ここで映画『中国女』 の撮影が行われた)から、パリ5区サン・ジャック通りに引っ越すところから始まります。まさかそこが3ヶ月後に「五月革命」のバリケードと市街戦の舞台になるとはつゆ知らず。20歳で学生生活を放棄して、女優・映画人となってしまったアンヌは新しい親友関係ができていき、この小説では映画監督・評論家のミッシェル・クールノ(1922-2007。1968年にアンヌも出演した映画『レ・ゴーロワーズ・ブルー』でカンヌ映画祭に乗り込むのですが、ゴダール等の造反で映画祭が中止になります)、ファッション・デザイナーのミッシェル・ロジエ(1930 - 。この女性はスキーファッションの革命的ブランドVdeVのデザイナーで、後に映画監督にもなります)とその伴侶のジャン=ピエール・バンベルジェ(通称バンバン、VdeVスキーウエアを製造する繊維工場の社長)の3人が特に重要な人物として登場します。
 この68年、ストラスブールから始まった学生たちの異議申し立て運動が全国に広がり、そのリーダーのひとりに、かつてナンテール校のキャンパスでアンヌをナンパしようとした赤毛のダニーことダニエル・コーン=ベンディットがいます。アパルトマンのすぐ近くにあるパリ大学ソルボンヌ校はスト封鎖され、通りにはいたるところに機動隊が配置され、学生たちと対峙しています。 そういう空気の中で、アンヌはピエール・フラスティエ監督(ゴダール『気狂いピエロ』の助監督)の映画『ラ・バンド・ア・ボノ』(1910年代のフランスに実在したアナーキスト義賊団を題材にした劇映画で、主演はジャック・ブレルとブルーノ・クレメール)に女優として撮影に参加していました。その撮影ロケ現場でも、俳優たちやスタッフは学生たちの運動を支持するか否か、という議論を声高に繰り広げます。賛否半々ぐらいとは言え、支持派が学生たちに同調してストに入り、撮影は中断してしまいます。ミゾジーヌ(misogyne 女性不信、女性蔑視)としてその歌詞や言動にも知られるジャック・ブレルが撮影現場でも手がつけられないほどの暴言を吐いている場所に居合わせたアンヌはたまりかねて「私の前でなんてことを言うの?私は女よ!」と。するとブレルは急に態度を変えて「ノン、きみは女ではないよ」と言うのです。そんなことを言われて呆然としているアンヌにブレルはテーブルの上から手を差し伸べてきた。女でなければ私は何?「きみはひとりの人間さ。そして俺がさんざん言ってきた戯れ言は全部忘れてくれ。春だからね。陽気で俺はちょっとおかしな具合になっちゃったのさ」...。
 この小説にはブレルを初め、こういうセレブがたくさん登場します。前年までただのブルジョワお嬢さんだったヴィアゼムスキーが、当時最先端の映画監督であったゴダールと出会うことによって、セレブ世界のど真ん中に引きずりこまれたわけです。前作でもゴダールの人となりとその周囲の人々に関するヴィアゼムスキーの証言というのが、小説の興味の重要な部分であったのですが、この新作の方がもっと「ええっ?」と驚く内幕の証言があります。ビートルズとローリング・ストーンズも登場します。
 ゴダールが漠然と考えていたビートルズとの映画のシナリオは、妊娠中絶をすることができずに悩み果てた女(ヴィアゼムスキーが演じるという想定)が自殺を図り、何度も車道に飛び出していくのですが、その度にビートルズの一人が乗ったロールスロイスに遭遇し、助かってしまい、自殺は遂げられない。(その後は?)「知らねえけど、ビートルズがなんかインスピレーション出してくれんだろ...」。そんな程度のアイディアを持って、ゴダールとアンヌはポール・マッカートニーとジョン・レノンに会いにロンドンに行くのです。マッカートニーは映画愛丸出しにして愛想が良いのですが、レノンは一言もなく早々に席を立ちます。「今日はジョンの機嫌がいまいちだから、また明日来て」とマッカートニー。翌日に再チャレンジで会いに行く前に、ゴダールは『俺たちに明日はない(ボニー&クライド)』の脚本家ロバート・ベントン&デヴィッド・ニューマンが、「トロツキーの暗殺」をテーマにした新しいシナリオ(註:これは1972年のジョゼフ・ロージー映画『暗殺者のメロディ』とは無関係)を自分に持ちかけていたことを思い出し、はっ、と閃き、ジョン・レノンをトロツキー役にしてこの映画と撮ろうと思い立って興奮するのです。ところが、再びレノンとマッカートニーに会ってこの話をすると、レノンはやはり気に喰わず、映画と革命に関してレノンとゴダールは激論を始めてしまう。その最中にマッカートニーはその場に運んで来られた紅茶を見て、アンヌに「一緒にテーブルの下でお茶しましょう」と、侃々諤々の議論のテーブルの下にもぐりこんで、ティーカップ片手に二人でひそひそ談笑するのです...。
 この話がダメになったのは、ゴダールにしてみればアンヌのせいなのです。ゴダールは当然彼女がマッカートニーに誘惑されたものと思ったでしょう。この小説はこういう箇所が多いです。すなわち、ゴダールはこの17歳年下の妻がいつ取られるのではないか、と気が気ではないのです。それは後にローリング・ストーンズとかの『ワン・プラス・ワン』を撮影する時も、ゴダールは不気味なストーン、ブライアン・ジョーンズのことが気になってしかたがないのです。「このストーンのこと、おまえは気に入っただろう?」などとゴダールはアンヌに問います。因みにかの「悪魔を憐れむ歌」の録音場面をゴダールが撮影中に、キース・リチャーズとアニタ・パレンバーグが急にセックスをしたくなり、ミック・ジャガーがゴダールに「やつらやりたくなっちゃったから、撮影を中断してくれ」と頼む、というエピソードも本作の貴重な証言のひとつです。
 ゴダールの「想像による」嫉妬、これがどんどんエスカレートしていくというのがこの小説の重要な流れです。言い換えれば、この1年(68-69年)の記録というのは、ゴダール+ヴィアゼムスキーの破局という到達点を説明する年代記なのです。
 その間の最も重要な事件は、68年5月のいわゆる「五月革命」です。その住居であるアパルトマンの真下で起こったということだけでなく、その中に自ら進んで飛び込んでいく左翼映画人ジャン=リュック・ゴダールと、それに引っ張られながらもその理由の重大さを体験として理解していくヴィアゼムスキーの生き生きとした証言が素晴らしいです。ど真ん中からのレポートです。その1年前までのブルジョワ娘は、ゴダールによって半ば「無理矢理に」革命派に加担するのですが、この体験はその「無理矢理」から超えて、はっきりと世の変動を把握し、そのひとりの推進者としての参加を自覚していくのです。
 この激動のスピードはアンヌにとっては凄まじいものだったに違いありません。しかし、ゴダールはそれよりもずっと先に行ってしまうのです。この文の初めの部分で紹介した親しい友人関係にあるミッシェル・クールノ、ロジエとバンバンのカップルと、アンヌとゴダールの夫妻はよく食事を共にするのですが、アンヌと友人3人に対してゴダールはどんどん意見を異にするようになり、どんどん「嫌なやつ」になっていくのです。それは端的に政治的・社会的なヴィジョンの違いなのですが、アンヌとその友人たちは反抗する学生たちに加担しながらも言わば穏健派の立場なのに対して、ゴダールは過激派なのです。
 左翼映画人ゴダールは、60年代後半から毛沢東主義にごく近い距離にあり、五月革命を経て、それはますます革命に奉仕する映画人という立場を鮮明にしていきます。もう商業映画は撮らない、もうきみたちが思っているような映画は撮らない、きみたちが思っているような映画はもう死んでしまったのだ、という立場なのです。
 興味深いシーンがあります。それは当時20歳のフィリップ・ギャレルが撮った最初の長編映画『記憶すべきマリー(Marie pour mémoire)』の試写会で、ゴダールがギャレルを絶賛して「今やギャレル来れり。私はもう映画など撮る必要はない」と言うと、ギャレルが「私たちにはあなたとあなたの映画が必要です。それが私たちの道を照らしてくれたのです」と答えるのです。これと同じような発言が小説の後半でイタリア人映画監督ベルナルド・ベルトルッチの口からなされます。しかし、ゴダールは頑に「きみたちの期待しているような映画はもう絶対に撮らない」と言うのです。
 小説の中で、このゴダールの過激化を支援・支持している二人の登場人物、20歳の学生のジャン=ジョックと新左翼イデオローグのシャルル某というのがいます。アンヌはゴダールとこの二人の関係を忌み嫌い、危険視していますが、ゴダールはどんどんそちら側に行ってしまいます。そして闘争映画ばかり撮るようになり、ゴダールという映画監督の名前を消し、「ジガ・ヴェルトフ集団」と名乗るようになるのです。
 このように極端に政治化していくゴダールを誰も止められないのですが、それとは裏腹にアンヌを愛し続け、アンヌと1〜2日でも離れることが不安で想像上の嫉妬で狂乱しそうになるゴダールの面もあります。アンヌが女優として実績が出来、さまざまな監督から出演依頼が来るようになると、ゴダールの想像上の嫉妬は否が応でも増大していきます。そして、違う現実では、ゴダールが政治闘争映画しか撮らないゆえに、かつてのヌーヴェル・ヴァーグのスーパースター監督も今や金銭的に窮乏していくようになるのです。それに反比例して、女優アンヌ・ヴィアゼムスキーはスター化していく...。
 二人の関係はどこの夫婦にもあるように、冷めかけては再び熱くなり、冷めかけては再び熱くなり、ということを繰り返していくのですが、この小説の中で、ゴダールという男はどんどん「嫌な奴」になっていきます。フランス語で言うならば、"insupportable(アンシュポルタブル)"という形容詞がぴったり来るのです。耐え難い、我慢がならない、手に負えない、といった意味です。上に紹介した登場人物ではクールノ、ロジェ&バンバンといった人たちが、それに本当に良く耐えてアンヌを支えてくれるのですが、多くの人たちはその我慢の限界を悟ってゴダールと訣別して行きます。フランソワ・トリュフォーとの絶交もこの小説の中で描かれています。
 小説の終盤は、アンヌとゴダールがお互いに別々の行動を取るのもしかたがない、という段階に達します。アンヌはジガ・ヴェルトフ集団の仕事を全く理解できないし、ゴダールは女優アンヌ・ヴィアゼムスキーの売れっ子ぶりを苦々しく思いながらもその成功を祈らないわけにはいかない。ゴダールは仕事がうまく行かないし、収入も激減しているのに、意固地にその闘争性を正当化しようとしてどんどん孤立していき、それと比例してその想像上の嫉妬(アンヌとの関係の危機感)は増していく。69年3月、ゴダールはのちに『プラウダ』と呼ばれる映画を撮影するためにチェコスロバキア(当時)の首都プラハに飛びます。その時、アンヌはイタリア人監督マルコ・フェレーリの映画の撮影のためにローマにいます。当時の東欧と西欧の間の国際電話回線状態の悪さにもめげず、ゴダールはローマのアンヌに電話コンタクトをしようとします。数度のトライにも関わらず、アンヌの滞在するホテルのフロントはその度にアンヌの不在をゴダールに告げます。疑惑と嫉妬で頭が破裂しそうになったゴダールはプラハでの撮影を放り出して、ローマに飛行機でやってきます。アンヌがそれを食事に外出していただけで何事もないといくら説明しても、ゴダールの疑念は一向に晴れません。そして、あろうことかゴダールはその夜、アンヌと同じ部屋に泊まりながら、睡眠薬自殺を図ってしまうのです...。

 小説の最後で、作者は二人の決定的な別離はその2年後にやってくると書いていますが、この小説の続編(つまりその後の決定的な別離までのいきさつを描くもの)はない、と断っています。終わりはすでにこの68-69年の中にあったのだから、と言うことでしょう。これはあくまでもアンヌ・ヴィアゼムスキーの小説であり、彼女のヴァージョンによるゴダール時代のストーリーです。ゴダールには違うヴァージョンがあるでしょうが、それを発表するかどうかは誰も知りませんし、おそらくないでしょう。ドキュメンタリーとして読まれる性格のものではありませんが、ここに描かれた68/69年という時代のパリの空気と、時代の前衛だった映画の世界は多くの人たちに貴重な証言として読まれるでしょう。前作と本作の2冊で、私にとって最も印象的なのは、ナイーヴなブルジョワ娘だったアンヌが、17歳年上の天才映画人ゴダールのパートナーと言うよりは、「人形」のような可愛がられ方/愛され方をしていたのに、ゴダールが自分に開いてくれた世界によって、自分がどんどん解放されて自由になっていく、 それとは全く逆に、ゴダールは思想的に硬直して、性格的に意固地になり、想像上の嫉妬の囚われ人になっていく、という女と男の上昇と下降の交差のストーリーとして読めるということです。本人も断ってますが、私ももう続編はなくてもいいです、と思います。

カストール爺の採点:★★★★☆

Anne Wiazemsky "Un An Après"
ガリマール刊 2015年1月 202ページ 17,90ユーロ

(↓)ゴダール『ワン・プラス・ワン』(1968年)の中の「イヴに関するすべて」のシーン。イヴ・デモクラシー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)は英語が話せないので、イエスとノーだけの答。

2015年1月20日火曜日

すまんですめばユイスマンス

ミッシェル・ウーエルベック『服従』
Michel Houellebecq "Soumission"


 2015年1月7日、奇しくもテロリストたちによるシャルリー・エブド襲撃事件が起こった日に発売された小説です。その日のシャルリー・エブドの表紙はリューズによるウーエルベックの風刺画(→)で「占師ウーエルベックの予言:2015年に俺は歯を失い、2022年に俺はラマダンを始める」と吹き出しに書かれています。
  この事件前でもこの小説の発売1ヶ月前ほどから、既にプレスはこの小説を喧しく騒ぎ立てていました。このフィクションは2022年にフランスにイスラム政権誕生という筋で書かれているからです。2001年に「イスラムは最も愚かな宗教 (la religion la plus con, c'est quand même l'islam)」(Lire誌 2001年9月号のインタヴュー)と発言していた男が、今や来るべきイスラムの政権奪取を語り、自ら(主人公フランソワ)のイスラム改宗の可能性まで語っているのです。そりゃあ騒ぎますわね。小説は発売4日にして15万部を売ったという記事が出ました。すごい勢いのベストセラーです。しかし、いいですか、お立ち会い、ウーエルベックですからね、それ(近未来政治フクション)だけであるはずないじゃないですか。風聞に惑わされず、きちんと全部が読まれるべき作品です。結論から先に言いましょう。これは一級のエンターテインメント本です。シナリオもさることながら、ウーエルベック一流の細部の凝り方で、雑学的知的刺激に富んでいて、読んだあとものすごく物知りになった気分になります。この点でまずシャポーです。
 さてこの小説の舞台は大学です。巻末の謝辞のところでウーエルベックは大学で研究をしたことなどないということ、この大学という機関に関する情報はすべてパリ第10大学(ナンテール校)の女性講師から得た、と記されています。全く知らない世界をよくもここまで。場所はフランス文学研究の最高峰パリ・ソルボンヌです。そこには学長、学部長のような言わば会社的なハイアラーキーがあり、この小説の話者であるフランソワは19世紀文学専門の講師として決められた時間に講義をしたり、博士コースの学生たちに論文指導したり...。フランソワは40代半ば、独身、女子学生たちとつきあうことはするが、特定の恋人と長続きすることはありませんでした。その中で例外的だったミリアムという名の22歳の娘とも、ほとんど恋愛と言えるレベル(加えてその性的興奮度+満足度の高さ)なのに、彼女とも破局しかけています。おそらくこれが最後かもしれない、という漠然としたペシミズムが最初から漂っています。
 同僚にスティーヴという一般企業社員のような、才能も知識もないのに講師業の世渡りだけがうまい男がいますが、それに引き替えフランソワは研究者としては極めて有能で、学会誌の論文の評価も非常に高く、大学上層部や学会からも一目置かれています。このフランソワが十数年研究して、そのエキスパートとなっている対象が、ジョリス=カルル・ユイスマンス (1848-1907)という19世紀の作家です。日本ではとりわけ澁澤龍彦訳の『さかしま』によって知られている世紀末退廃文学のチャンピオンみたいな人です。ユイスマンスは公務員をしながら、自然主義の文豪エミール・ゾラの影響で社会悪をするどく追求していく社会派小説に始まり、この現世に嫌気がさして厭世的で耽美的な方向に向かい、審美的で官能的で退廃的な人口楽園を創造していくわけですが、オカルト、悪魔主義なども交わり、いよいよデカダンスの極みか、と思いきや、晩年はカトリックに改宗して、神をよりどころとする神秘主義作品を発表するようになります。この退廃文学者の変遷をフランソワは研究しているわけですが、その結論を急ぐと、最後になぜ「神」に近づいてしまうのか、という問いがこの小説に書かれていることすべての行き先なのです。
 この点から見ると、この小説の4分の1ほどは、「私=フランソワ」の口を借りながらのウーエルベックによるユイスマンス評伝/ユイスマンス論になっています。『さかしま』『彼方』 『出発』などのユイスマンス作品論にもなっているわけですが、この時、読者はこれらの作品を読んでいないとついていけないのか、ということはありません。要は退廃の人がおしまいに神を選ぶという謎に迫ることなのです。
 このフランソワはずっとアテ(無神論者)だった。アテというよりはキリスト教もイスラム教も興味がなかったということです。それは自分の両親への不信にも原因していて、大企業の重役として成功した父、それとうまく行っていなかった母、その二人と何年も交信を断っている一人息子。家庭/家族の幻想もリアリティーもないわけです。だから女性と恋仲になっても家庭や子供という発想がない。その中で最後の恋人であったミリアムだけは少し違っていたのに、それも終ろうとしていた。
 それを決定的に終らせたのは2022年の政治的事件でした。この事件を読み解くには少しはフランスの政治事情に明るくないといけません。小説に書かれていないことで説明しますと、2012年に硬派保守のニコラ・サルコジを破って当選した社会党フランソワ・オランド大統領は、景気回復策も失業削減策も失敗して最低の支持率でありながらも、極右FNの大躍進を限界のところで抑えています。この小説の展開では2017年の大統領選挙もオランド(二期目)が当選していて、マニュエル・ヴァルス(2015年現在の首相、社会党)は2022年の政変までずっと首相なのです。ところが、2012年以来ずっと有効策のないオランド政権の信頼は地に落ち、また既成保守政党であるUMP党(この小説では2014年にビッグマリオン疑惑で党首を退いたジャン=フランソワ・コペが復活している)も票田を極右FNに奪われ弱体化しています。つまり第五共和制の政権を代わる代わる担ってきた社会党とドゴール派保守党(政党の名前はいろいろ変遷してきましたがこの時点ではUMP党)はもう勝ち目がないほどに衰退している(得票率で第三位、第四位)。その首位はマリーヌ・ル・ペンを党首とするFN。その政策方針はEU離脱、フランス国境の再確立、移民受け入れの停止、フランスオリジンのフランス人の優先、非キリスト教宗教の制限などです。これに対して(ここからがウーエルベックの近未来フィクションです)2017年以降に急激に支持率を増やし、国会議席第二党にまで伸張してきたのが、イスラム穏健派政党であるイスラム友愛党(fraternité musulmane フラテルニテ・ミュジュルマン)です。その党首モアメド・ベン・アベスは、2022年5月の大統領選挙の第一回投票で、1位のマリーヌ・ル・ペンに大きく水を離されながらも、僅少差で社会党マニュエル・ヴァルスを抜いて第2位得票者として、決戦第二回投票に進出します。
 小説はこの2022年5月の大異変をクロノロジカルに描写します。まず若い恋人ミリアムですが、ユダヤ人である彼女は、この選挙がFNかイスラム政党かという二者で決定される ということにどちらに転ぼうがフランスは自分たちの住める場所ではなくなる、と悟っています。ミリアムの家族は既にイスラエルの移住を決めてしまいました。宗教にも家族という概念にも縁の遠いフランソワは、この別離の深いところの理由が理解しきれないのです。理不尽に悲しい別れなのです。
 大統領選一次投票で脱落した既成左派政党である社会党は、極右FN政権誕生を妨げるためにイスラム友愛党候補ベン・アベスの支持を決め、当選後のイスラム友愛党政府に社会党大臣を入れるための交渉を水面下で始めます。一方の脱落政党である既成保守のUMP党は、公式にはどちらの候補に投票せよとの勧告を出さないものの、右寄りゆえに多くの支持者の票がFNに流れるはず。ここでFNマリーヌ・ル・ペン候補と、モアメド・ベン・アベス候補の予想得票率は50/50になります。
 次に大学です。第二回投票前に、大学上層部は来るべき変化を見越していて、イスラム政党政権下にイスラム化される大学の人事がもう始まっています。フランソワは同僚から、何が起こるかわからないから、とりあえず自分の銀行口座をフランスの銀行から外国系の銀行に移しておけ、と進言されます。この何が起こるかわからない、という不気味な恐怖の描写がすばらしいです。1981年のミッテラン(初の社会党選出大統領)の選挙の時、当選したらソ連の戦車隊がシャンゼリゼ大通りに攻めて来るという噂が本当にありました。そしてフランソワは、第二次投票の当日、目に見えぬ脅威に背を押されるように、フォルクスワーゲン・トゥアレグ(2022年型ということでしょうねぇ)で高速道路を飛ばして、南西フランスに向かうのです。ガラガラの高速道路、カーラジオからすべてのラジオ放送の電波が消えてしまい、何者かに襲撃されて死体がゴロゴロ転がるガソリンスタンド....。 一体今フランスで何が起こっているのか...。ここのパッセージ、素晴らしい。ウーエルベックの本領発揮という感じです。
 事態は翌日になってラジオとテレビの電波が戻ってきた時にフランソワにもわかります。第二次投票は、ある投票所がテロ襲撃に遭い、投票不能となったため、この日の選挙は無効になります(共和国の選挙法で決まっているのだそうです。全国で1カ所でも投票が不能になった場合、選挙は無効)。フランソワはこのテロ襲撃が多分1カ所だけではなかったはず、という推理を立てます。政府はそのパニックを最小限にとどめるために故意に電波障害を起こしたのだ、と。再投票は翌週に持ち越されました。しかしこのテロ襲撃はどこが仕掛けたのかは明らかにされないものの、選挙民の「極」(この場合極右でしょうけど)への懸念の感覚を増幅させ、「穏健」(この場合イスラム穏健派でしょうけど)におおいに有利な状況を作り出すのです。かくして、再投票の結果、モアメド・ベン・アベスはマリーヌ・ル・ペンに十分な差をつけて新大統領に就任するのです。

 新政府は中道派の老政治家フランソワ・バイルー(MoDem党党首)を首相に指名しますが、これはウーエルベック一流のブラック・ユーモアで、右についたり左についたりを繰り返してきた焦点のはっきりしない小政党の主らしい信頼度の薄さが、逆にベン・アベス大統領の有能さを際立たせるという仕組み。共和主義諸政党の連立政権のように、内閣の要職は「経験の厚い」社会党大臣に任せることにしながらも、イスラム友愛党は教育省だけは独占的に自党だけで機能させます。ライシテ(非宗教化)を原則とする公立学校は大幅に予算を削られ、宗教系私立学校が教育の中心となり、産油国から巨額の運営費を寄付されたイスラム学校が全国の教育機関を牛耳るようになります。男女共学はなくなり、女子は中学を卒業後、高等教育への道を閉ざされてしまいます。
 パリ・ソルボンヌ大学も、国立大学から私立パリ・イスラム・ソルボンヌ大学と改称され、サウジ・アラビアからの資金注入で超デラックスな学問の殿堂になります。しかしここで教授職をするためにはイスラム教に改宗しなければなりません。上に名前を出したスティーヴのような同僚はほいほい簡単に改宗してしまうのですが、フランソワは退職の道を選びます。そこで知るのは、自分は40代で講師職で退職するのに、60代で教授職満期まで働いたことに相当する十分な年金額が保証されているということ。さらにスティーヴのように改宗して職を続ける者にはそれまでの十倍の月給が出るということ。ペトロダラー大枚はたくことによって学術的な威光をイスラム化しようとしていたのです。
 
 小説の後半は、退職したフランソワが、ジョリス=カルル・ユイスマンスをプレイヤード叢書版に編纂する仕事を引き受け、自分の一生の(ユイスマンスに関する)仕事がすべてそこに集約されると言ってもいい大仕事を始めます。プレイヤード版というのは、文学叢書の権威中の権威であり、古典として揺るがぬ評価のある作家の作品を収めるだけでなく、その作家のエキスパート中のエキスパートが作品の註、解説、関連資料などを添えて、その作品の理解を定本化する、という豪華本です。フランソワはそこに、ユイスマンスの作品と生涯を評伝する「序文」を書くのです。その骨子は、ずっと上に書いたように、なぜ退廃の天才は最後に「神」の救済を求めたか、ということなのです。フランソワはそれを探しに、ユイスマンスが過ごした修道院や、フランスで発禁になったであろうユイスマンスの著作を出版したベルギー/ブリュッセルまで足を伸ばします。
 その間に世の中は変わっていき、モアメド・ベン・アベスの政策は経済的にも成功し、人々の信頼は増し、やがて国際的にもイスラム穏健主義は支持率を高め、イタリアに同様の政府が誕生し、トルコ、モロッコ、チュニジアなどをヨーロッパ連合に加盟させ、ヨーロッパの中心点が南に移動したような形で、ひとつの巨大な文化圏を作っていきます。 このベン・アベスの隆盛を、ローマ帝国のアウグストゥス皇帝の偉業に匹敵すると称賛しているのが新ソルボンヌ・イスラム大学の学長(のちに大臣)であるロベール・ルディジェです。小説の後半部は、このルディジェとフランソワのやりとりが重要な軸です。ルディジェは若い頃に極右に近いムーヴァンス・イダンティテール(Mouvance Identitaire。うまい訳語見つかりません。白人ヨーロッパ主義、西欧原住民主義、ヨーロッパ右翼革命運動みたいなものだと思っています)に属していましたが、滅亡を止められない西欧文明に絶望してイスラム者となっています。ルディジェはベン・アベスのリーダーシップを称賛し、その政府の学術部門の政策指揮を取る重要人物になりました。彼はフランソワの才能を高く評価しているので、なんとかフランソワにソルボンヌに帰ってきてほしいと誘っているのです。このイスラムの誘惑の最重要ポイントが「重婚」なのです。
 何人も妻をめとることができるということだけではないのです。その妻たちは夫に絶対的に「服従」(この小説の題です)するものなのです。"Soumission"は「隷属」と訳すこともできます。男たちは「神」に服従し、女たちは男に服従する。この場合、男は恋愛によって女をめとるのではなく、イスラムの結婚世話エキスパートが妻を見つけてくれるのです。フランソワの同僚の(改宗)教授たちは、こうして複数の妻たちを見つけてもらって、大学に復職するようになっている。「神」への服従の見返りに、男たちは自分に服従する女たちを手に入れる...。この辺りはどうでしょうねぇ?フィクションだからということで言い逃れできるのでしょうか? イスラムの女性たちは言ってきますよ。
 フランソワの老いた父親は、アルプスの豪華シャレーで若い恋人と趣味(狩猟)と享楽のうちに死にました。ユイスマンスは神に近づきながらも、現世の享楽を秘密娼家の中に取っておきました。フランソワの世は、目に見えて変わっていき、街行く女性たちからミニスカートが消え、肌の露出が見えなくなり...。
 フランソワはプレイヤード叢書版「ユイスマンス」の序文を遂に書き上げ、これで自分のやり残したことはない、と悟ります。この先どうするのか? フランソワは「神への服従」の誘惑に負けて、改宗してしまうのでしょうか.... ?

 盛り沢山の小説です。ユイスマンスや19世紀フランス文学に親しい人たちは、たくさんの知的刺激を受けるでしょう。近未来小説としてのヴィジョンは、エンターテインメントとして本当に楽しいものでしょう。私はウーエルベックのイスラム観ということに関しては何も言わないことにしますが、ものを言う人たちはたくさん出てくるでしょう。一種、泥沼に大きな岩石を投げ込むのも文学ですから。文句ある人は断片だけでなく、全部読んでくださいよ、と言っておきます。

カストール爺の採点:★★★☆☆

Michel Houellebecq "Soumission"
フラマリオン刊 2015年1月 300ページ 21ユーロ

(↓2015年1月6日、フランス国営テレビ FRANCE 2 の20時ニュースに出演したウーエルベック)

2014年12月17日水曜日

爺ブログ のレトロスペクティヴ 2014

  2014年が終ろうとしています。

 手前味噌です。ブログ『カストール爺の生活と意見』は今年40余りの記事をアップしましたが、7年目にして、こんなに充実した記事で埋まったのは初めてである、という自覚があります。いただいたメールやコメントも手応え十分で、このブログを続けてきてよかった、としみじみ思っている年の瀬です。ありがとうございました。この手応えに感謝すべく、このブログ始まって以来初めての年間レトロスペクティヴを作ってみました。
 言わば爺ブログの年間記事のベスト10です。順位は純粋にページビュー数の多さに拠っています。今年掲載された40の記事から10をセレクトするわけですから、確率は4分の1という倍率低めのベストテンです。この順位で読者の皆さんに愛されたことはとても納得のいくものです。小さな世界ですよ。なにしろこの上位10位のページビュー数は600から300の間ですから。これからもこの規模の親密さで、文学・音楽・映画の私的体験をみなさんと共有できたら、と願っています。 Joyeuses Fêtes à tous !


1. 生まれてきてすみませんと言う男(2014年5月21日掲載)
当年85歳のミラン・クンデラの11年ぶりの新作小説『くだらなさの宴 (La fête de l'insignifiance)』 の紹介記事です。日本でいかにクンデラ小説愛好者が多いかを物語っています。私が上っ面をラフになぞっただけで、これだけ盛り沢山な記事になりました。早く邦訳が出て、多くの人たちがこの名人芸を堪能して欲しいと願ってやみません。



2. 渇いていた男(2014年3月16日掲載)
 これは意外。ユベール・マンガレリの小説『渇いていた男
(L'homme qui avait soif)』です。戦後の荒廃した日本が舞台で、太平洋戦争の玉砕戦(ベリリュー島)の生存帰還者が、災難と奇妙な出会いを繰り返しながら、花巻から許婚者のいる北海道まで至るロードムーヴィー形式の物語。無口で暗くて不条理な道中。私は知りませんでしたが、日本では知られている作家のようです(翻訳3冊あり)。



 3. Zou! 真っ青やサウンド・システム (2014年10月26日掲載)
マッシリア・サウンド・システムの30周年記念アルバムで、オリジナルスタジオアルバムとしても7年ぶり。応援していますし、個人的にも厚い交友関係のあるバンドです。アルバムは日本盤も出ました。中央に楯突く地方の中高年のパワー。日本の地方の人たちにも刺激になってほしいです。東京がすべてを決めている日本、おかしいと思う人たちはマッシリアを聞いてください。




4. クロ・ペルガグの奇天烈な世界・1 (2014年3月18日掲載)
  今年の上半期は このケベック出身のお嬢さんに破格の賛辞を送っていて、この『クロ・ペルガグの奇天烈な世界』という記事は「」「」「」と続きました。おかげでフランスでも日本でも評価はどんどん高くなっていってます。私はと言えば、根が浮気なので、2014年の下半期はクリスティーヌ&ザ・クイーンズがクロ・ペルガグの地位を奪ってしまいました。

5.四季四季バンバン(2014年6月22日掲載)
 これも意外。アメリカ映画なんてめったに紹介しないブログですから。クリント・イーストウッド監督の映画『ジャージー・ボーイズ』 (ザ・フォー・シーズンズのバイオピック)はフランス封切が本国アメリカよりも早かった。日本はそれより3ヶ月以上遅れての9月27日公開。この3ヶ月間に日本のファンのためにこの爺ブログ記事がスジばれを含む好意的なプロモーションをしてしまった、ということなのでしょう。ジャック・ドミー仕立ての任侠映画みたいなところが好きでした。

6. 旅立てジャック(2014年2月1日掲載)
 ディオニゾスのリーダー、マチアス・マルジウの小説『時計じかけの心臓』(2007年)を原作に、リュック・ベッソンが資金を出して、マチアス・マルジウとステファヌ・ペルラが5年がかりでCGアニメ映画にした『ジャックと時計じかけの心臓(Jack et la mécanique du coeur)』の記事。爺ブログでは小説CDアルバムも2008年1月に紹介していて、その反応から日本に潜在的なディオニゾス愛好者たちがいることを知りました。先端のCGアニメ映画だと思うのですが、純粋に子供たち向けではないので、リュック・ベッソン印がついていても日本公開の予定はありません。


7. フランスに捧げるサンバ(2014年8月18日掲載)
 フランスではたいへんな鳴り物入りで10月に公開されたエリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカッシュ監督の新作映画『サンバ』(日本公開2014年12月26日)の原作小説『フランスに捧げるサンバ(Samba pour la France)』(著者デルフィーヌ・クーラン)の紹介記事。南北問題、貧困、移民、アイデンティティーといった主題を、現場からの視線(著者はサンパピエ支援団体のボランティア)から描いたまっすぐで熱い「社会小説」。これが(『最強のふたり』のような)大衆娯楽映画の原作になりうるのか、という疑問はありました。映画『サンバ』に期待していたでしょう日本の人たちから多くのアクセスがありましたが。

8. 空港とホテルとスズメ(2014年6月9日掲載)
詩的という意味では私にとって最も響いた映画、パスカル・フェラン監督の『バード・ピープル (Bird people)』。ウーエルベック主演の『ニア・デス・エクペリエンス』 や、トレダノ&ナカッシュの『サンバ』など「バーンナウト症候群」を題材にした映画は多くなりましたが、われわれはそんなんじゃない、もともとから鳥になりたいんだ、ということを思い出させてくれる作品。幼くも年老いてからも、夢の中で自力で空を飛んだことがない人っているのでしょうか。映画のマジックはそれをちゃんと映像化してくれるんです。1982年から3年間CDG空港で仕事してました。仕事は全く面白いものではなかったけれど、毎朝空港に行くのが好きだった。そういう記憶って何だったのか、この映画ではっきりしました。

9. パリの日本人にとって"パリ的”なるもの(2014年2月9日掲載)
 パリの日本語新聞オヴニーの代表者、小沢君江さんの本『四十年パリに生きる』の書評を雑誌記事に書いたときの補足のようにブログに書き留めたものです。長くフランスに住む日本人として小沢さんと私は共有する同じ歴史が多くあります。「二つの文化の狭間で」みたいなお題目はどうでもいいと私は思っています。興味深いのは小沢さんしか体験できなかった個人史の部分で、夫のこと、子供たちのこと、育てた会社のこと、日本語で書き続けるということ、私にとっては濃いものばかりでした。


10.  記憶の取る捨てる(トルステル) (2014年10月25日掲載)
 この最低な記事タイトルにも関わらず、多くの人たちが読んでくれました。10月にノーベル文学賞を受賞したパトリック・モディアノの最新小説『おまえが迷子にならないように(Pour que tu ne te perdes pas dans le quartier)』の紹介でした。いつものように記憶の濃霧の中を手探りで進んでいくようなモディアノ節です。記憶といういい加減なもの、何を書いてあるのか自分でも読み取れないようなメモ書き、地下鉄駅改装工事で偶然露になる数十年前の広告、モディアノ読みはこの不安な再会/再発見に心を揺さぶられるのです。忘れていないものは不安なことばかり。

2014年12月14日日曜日

神々の砂漠

  "Timbuktu"
『ティンブクトゥ』


2014年モーリタニア+フランス合作映画

監督:アブデラマン・シサコ
主演:イブラヒム・アハメド、トゥールー・キキ、アベル・ジャフリ
2014年カンヌ映画祭出品作(コンペティション)

フランス公開:2014年12月10日

2014年の今日、西側にいる私たち(私の現在位置はフランス)の多くは、もう善悪が歴然としている、と思っていますよね。「イスラム国」兵士による人質の斬首が一度ならずSNSで公開されるや、私たちは人道に対する犯罪を確信し、ジハード派が人類全体の敵であるかのようなメディア報道に同調する怒りも感じたはずです。フランスの少なからぬ数の若者たちが、このジハード兵士として参戦するべくシリアに飛んでいる。日本人活動家もいると報道されている。強大な武装力とテクノロジーとコミュニケーション網を有する、これまでに例を見ない規模のテロリスム機構の伸張は私たちの大きな脅威であるということに私は異論がありません。
 この映画はジハード派の脅威を検証するものではありません。実際に起こった衝撃的な事件をハリウッド映画的にドラマティックに脚色して描き出すような作品では全くありません。この映画のもとになった史実は、2012年春、マリの北半分が武力的にジハード派に制圧され、その中にユネスコ世界遺産に指定されている歴史的古都トンブクトゥーもあり、ジハード派はトンブクツゥーの聖墓・聖廟を破壊し、古文書を焼き払いました。そして住民はジハード派解釈によるイスラム法「シャリーア」の徹底尊守が義務づけられ、女性は肌を露出することが禁止され、あらゆる享楽が制限され、禁を破った者は、公開処刑で鞭打ち刑、石打ち刑、手足の切断刑などに処されます。
 アブデラマン・シサコ監督の映画は初めて観ました。私たちはこれから始まるであろう戦争とテロリズムの悲劇に身構えて映画館に入ったわけですが、最初から何かアングルが違うな、と直感しました。ジハード兵士たちが、砂漠でトヨタの四駆ピックアップを走らせ、その荷台から射撃訓練として一匹のガゼルを追います。ガゼルは全速力で逃げていきますが、兵士たちはわざとそれに銃弾が当たらないように発砲します。「疲れさせろ!」と声は命じます。ガゼルはそれる弾丸に怯えながら、必死に逃走します。これは残酷なことなのか、「人道的」なのか、私には判断できません。続いて、同じく射撃訓練で、たくさんの民芸品の木彫り人形(戦争前まではトンブクトゥーは観光名所でしたし、こういう木彫り人形が多く土産屋などで売られていたでしょう)が標的になっていて、その顔や胴体などをおびただしい弾丸が破壊していきます。これも残酷なのか、無邪気な遊びなのか、あるいは偶像や伝統破壊のメタファーなのか、ちょっと判断が難しいところがあります。こういう単純ではない映像と対照的に、その背景となる砂漠もサバンナも村の家々もトゥアレグたちの野営テントも、すべて絵画的に美しいアフリカなのです。これはため息がもれるほど見せる絵で、この前で一体何が問題なのかわからなくなりそうです。
 たしかにこの村をジハード派が制圧し、あれもこれも禁止され、恐怖政治が布かれますが、それを武力的に管理するジハード兵士たちは、私たちがニュース報道などから想像するような徹底的に洗脳された狂信者たちではなく、どこかに不安や迷いもあるような描かれ方なのです。これがカンヌ映画祭でコンペティション作品として上映された際に、テロリストに対して同情的にすぎるのではないか、という否定的な評価の所以でした。例えば(下に貼った予告編でも見れるシーンですが)、女たちに対する肌の露出を禁止する命令によって手袋の着用も義務づけられるのですが、魚売りの女が一体どうやって手袋の手で魚売りの仕事ができるのか、とそれを拒否して、ジハード警察に喰ってかかります。「私の手を斬ってくれ!」と包丁まで差し出します。これに対してジハード兵士たちは、高圧的暴力的にこの女を取り押さえるのではなく、女をなだめることすら試みるのです(しまいには女を連行していきますが)。また、フットボールを禁止しておきながら、ジハード兵同士ではフットボール談義が始まると止まらなくなってしまう。はたまた、音楽を禁止しておきながら、夜警中にある民家から音楽の音が聞こえてきても、よく聞くとそれはアッラーを賛美する歌であるという理由で、ジハード兵は踏み込んでの現行犯逮捕を思いとどまってしまう、というシーンもあります。
 しかし自由は奪われ、多くの人たちはジハードの勢力が届いていないところまで逃げてしまい、村は荒れています。小さな抵抗は試みられますが、それには残酷な刑罰が待っています。そんな中で、この映画で最も美しいシーンとされるのが、村の少年たちがボールなしでフットボールの試合をする場面です。「エアー・サッカー」とでも言うのでしょうか。少年たちは見えない想像上のボールを追い、ドリブルし、タックルし、パスし、シュートしてゴールを決めるのです。その瞬間の集団での大喜び。この自由は誰にも奪うことはできない、という勝利の瞬間のように感動的です。
 自分のやっていることに疑いを持ち始めるジハード、禁止されたタバコを隠れて吸うジハード、村の娘に恋をするが果たせず、その支配的権力を使ってでも恋を成就させようとするジハード...。
 映画の主軸のストーリーは、この村の外側にテントを張って住んでいるトゥアレグの三人家族の運命です。父と母と10歳の娘。行商と牛の放牧で、貧しくも平和に暮らしているこの三人のところにも、ジハード軍の支配の影響は及んで、他に住んでいたトゥアレグたちはすべて逃げていきました。それでも母と娘は、ジハード兵がやってきても顔や肌を隠すことなく誇り高く生きていました。父はギターをつま弾き「砂漠のブルース」を歌います。本物です。この三人は他の世界がどんなになろうが、この幸せの恩寵に包まれて生きていけそうに見えました。歴史や世界事情に取り残されて、という意味ではありません。三人は携帯電話でコミュニケーションし、その飼っている一番自慢の牛は「GPS」という名前が付けられているほど、21世紀とシンクロして生きているトゥアレグなのです。
 ところが、近くに住む川魚漁師が、その自慢の牛の「GPS」を殺してしまうという事件が起こり、トゥアレグはそれを抗議に行ったところ、漁師と取っ組み合いの喧嘩になり、たまたま持ち合わせていたピストルが暴発し、漁師は死んでしまいます(この川の上での格闘の末、漁師が画面の右端で息絶え、トゥアレグが川水に足を取られながら画面の左端に逃げていく、ロングショットの映像、思わず息を飲むほど美しい)。
 この事件で逮捕されたトゥアレグが、ジハード派のシャリーア裁判で死刑を宣告されるのです。この取り調べと裁判の間中、トゥアレグとジハード派の複数の人間たちの間で問われるのが「神」の問題なのです。同じひとつの「神」と信じられてきたものをトゥアレグはもう一度この人たちにも問うのです。神は裁くものなのか。
 ジハード派はこの地平では揺らぐことがない(たとえこの映画でいくつもジハードの揺らぎは見て取れるものがあったとしても)。しかし、その刑の執行の時に...。

 不思議な登場人物がこの映画の中に3人います。2010年ハイチ大地震の生存者(とおぼしき)でマリに流れ着いたクレオールで、ボロを纏いインテリ風フランス語を話す狂女。もちろん顔や肌など隠すことなく、ジハード軍のトヨタ四駆の前に立ちはだかり、その通行を邪魔したり罵りの言葉を浴びせることもするのだけれど、ジハード兵たちはこの狂女には一切手を出さず放任しています。そしてこの狂女と仲がいいのか気になるのか、芸術的か哲学的な過去を持っていたと思わせる白人系ジハード幹部、この男が突然に狂女の前でコンテンポラリー・ダンスを披露するのです。3人めは派手なマントを翻して暴走する謎のオートバイ乗り。この映画ではこの3人めが古代ギリシャ悲劇で言うところの「デウス・エクス・マキーナ」です。
 テロリズムの惨劇にポエジーを持ち出していいのか、という見方もありましょう。私にはよくわかりません。神の問題への私の意見はありません。私は神の問題よりも、この映画のポエジー=想像力が、この人間と大地(アフリカ)との関わりを繊細に描いていたことに深く感動するものです。世界政治・宗教問題・人道問題のことだけでは、映画なんか作らなくてもいいのです。アフリカやわれわれを深く支えているのは、この映画のような光ある想像力(トゥアレグの三人家族)である、と私が結論しても、私はそんなに陳腐なことを言ってるとは思いませんよ。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ティンブクトゥ』予告編

(↓)挿入歌「ティンブクトゥ・ファソ」作曲:アミン・ブーハファ、作詞&歌:ファトゥーマタ・ジャワラ

2014年12月12日金曜日

僕になついちゃった猫

多分、少なからぬ数のフランス人と同じように、私はこの歌をフランス国営ラジオ局FIPで耳にし、耳から離れなくなったのでしょう。21世紀のこの世の中だから、気に入った曲ならば、ラジオ局に問い合わせたり、そのインターネットサイトで情報を得て、CDを手に入れることもMP3でダウンロードすることもできると軽く見ていたんですね。ところが見つけるのは大変でした。CDはもう廃盤になっていました。私は熱心なコレクターではないので、ラジオその他で耳にした音楽で、大好きで大好きで絶対に媒体(レコード、CD、カセット、MP3...)で手にしてやろうと思っても、手に入らなければ、簡単に諦めて、記憶の中のメロディーとしてしばらくとどめておいて、やがて忘れてしまう、という曲がずいぶん多くあったと思います。この歌もそのひとつのはずだったんですが、私は救済しましたよ。
 ジャック・ドミー映画の一シーンのような男女かけあいのデュエットでした。音符がたくさんあって歌いづらそうなワルツ曲でした。美しいフランス語でした。今日も明日もわからないのに、愛し合っている男女の歌でした(アズナヴール「ラ・ボエーム」の伝統を思わせました)。シャンソンっていいなぁ、と思いました。こういう歌が人知れず生まれては消えていく。私は記録したいなぁ、と思ったのです。私のブログというのは、少しは役に立っていると、思える瞬間があります。

(男女)今日も明日も
    この地球上で僕のものなど何もないんだ
    僕の手の運命線や生命線がきみの手のそれを混じり合うよ
(女)あなたは優しいけれど冷めちゃってる
(男)僕はきみを拒むすべを知らない
(男女)僕たちはすべてを分かち合っている。クロワッサンも、問題も、お金も、カフェ・クレームも。

(男女)僕にとってきみ以外のものなんか何も興味がないってことを
    きみはよく知ってる、ってことを僕は知ってる
    あまり遠くに行かないで
    僕の心臓はきみの心臓なしには鼓動しなくなってしまうんだから
    恋人よ、きみは僕になついちゃった猫
    羽根をやすめようとしていたチョウチョ
    僕が調和させたばかりのメロディー

(男)きみは水のほとりにいて、無造作に裸で横たわっている
   背中の下の方に見えるそそるような窪みが
   僕の頭をかき乱す
(女)あなたは頭の中で歌が生れそうになると、あわてて調子っぱずれの口笛を吹く
   あなたは目覚めたまま夢を見て、数々の浮き島を訪れてまわる
(男女)思いの中で自分を見失い
    タンポポの花をもぐもぐ咬みながら
    きみは僕たちのベッドの上で雲が流れていくのを見つめている
    恋人よ、きみは僕になついちゃった猫
    僕たちの視線が交わった時から
    すべてはとてもシンプルで、なんでも即興でできちゃう

(男)きみはすばやく動く美しさ、反り身になっても目の端で僕を見つめるんだ
   きみは新米のスターレットのように、僕を虜にするすべを知っている
(女)あなたは私にそれを語らずに、9月になったらパリから出て行こうと思っている
   あなたは目覚めながら夢を見て、流れ星と普通の星を見分けている

(男女) 今日も明日も
    この地球上で僕のものなど何もないんだ
    僕の手の運命線や生命線がきみの手のそれを混じり合うよ
    恋人よ、きみは僕になついちゃった猫
    羽根を休めようとしていたチョウチョ 
    僕がきみの唇の上にキスを軟着陸させようとしたように

 この数年で聞いた最も美しいシャンソンの一曲です。このYouTubeがなくならないうちに、たくさんの人たちに聞いてほしくて、わがブログにシェアします。

カミーユ・クトー(Camille Couteau)作詞作曲・歌
「僕になついちゃった猫」(Un chat que j'ai apprivoisé)



    
   

2014年12月9日火曜日

ノー・ウーマン、ノー・クライ

リディー・サルヴェール『泣かないで』
Lydie Salvayre "Pas Pleurer"


2014年度ゴンクール賞作品

 ←表紙カヴァーつき(下)となし(上)の2種類が本屋さんに並んでいます。2014年8月に出版された本ですが、11月にフランス文学賞の最高峰ゴンクール賞を受賞して、このように赤い腰巻きがつくようになりました。私の印象では下の黒いベレー帽(スペイン革命の象徴のひとつ)を被った鋭い眼光の少女の半顔というイメージは、小説の全体を誤って単純化しているようで、感心しません。駅キオスク売りのスパイ小説、いわゆる「ロマン・ド・ガール(駅小説)」(日本では英語表現にならって"エアポート・ノヴェル"と呼んでいるようですが)のチープさも匂ってきて残念ですね。
 さて、女性の年齢のことを言うのはエレガントさに欠けることとは知りながら書きますと、このリディー・サルヴェールは当年66歳(1948年生れ)で、作家として1990年代から20編をこえる作品があり、1997年に小説『幽霊師団(La Compagnie des Spectres)』で「11月賞」(アンチ・ゴンクールを標榜した1989年創設の文学賞で、 現在は「12月賞」に名称が代わっている。因みにサルヴェール受賞の翌年1998年にミッシェル・ウーエルベック『素粒子』がこの賞を取っている)を受賞していて、キャリアも貫禄も評価も十分な安定した地位にあります。私たちにちょっと縁の近い分野では、ノワール・デジールのセルジュ・テッソ=ゲー(g)とジャン=ポール・ロワ(b)と共演した朗読CD "Dis pas ça"(2006年)というのもありました。 しかし、新しい才能やこれまで賞を取っていない作家たちに与えられるのが通例のように思われていたゴンクール賞にしては、サルヴェール受賞は異例、意外、驚き、といったメディアの反応が多いのです。それはそれ。年寄りが取ったって、いいじゃないか、で済ませましょう。
 小説は、話者(私。名はリディア)の母親(名はモンセラット。愛称モンツェ)が語るスペイン戦争の頃の体験をクロノロジー的に綴ったものです。時は1936年、舞台はスペイン(カタロニア)の小さな村。スペイン戦争は、人民戦線政府に対して蜂起したナショナリスト反乱軍との1936年から3年にわたって戦われた内戦であり、70万もの死者を出しながら、フランシスコ・フランコ(1892-1975)率いるナショナリスト軍が共和国軍を破って全権を掌握して独裁政治が始まる、というおぞましい結末があります。
 小説の中でこの戦争を証言するのは二人で、この二人は場所も立場も違うところでそれを体験するのですが、出会うことも交信することもない他人です。ひとりは前述のモンツェで、この時15歳の少女です。もうひとりはフランス人作家ジョルジュ・ベルナノス(1888-1948)です。厳格なカトリック信者にして、王党派極右運動であるアクシオン・フランセーズを支持して、反共主義の論陣を張っていた作家です。代表作に『悪魔の太陽の下に』(1926年)、『田舎司祭の日記』(1936年)などがあり、日本でもほとんどの著作が邦訳されています。そのベルナノスが1936年にマジョルカ島に滞在していた時に、この内戦が勃発し、ナショナリスト軍に制圧された島で、夥しい数の人々が(理由もなく/裁判もなく)ところ構わず銃殺刑になっていくさまを目撃するのです。当時のスペインのナショナリスト側のボキャブラリーではこの殺される人たちは「悪い貧乏人」と呼ばれます。すなわち社会主義や共産主義に洗脳され、世の秩序と「神」の秩序を乱す人々と見なされたわけです。ベルナノスはこの地獄のような民衆虐殺劇の連続をローマ法王庁が認めるばかりか、法王がフランコ軍を祝福し、宗教的なバックアップまで買って出たことに底なしの幻滅と絶望を覚えてしまいます。それまで極右を支持し、息子のナショナリスト軍・ファランヘ党への参加をたいへんな誇りにしていたフランス人カトリック作家は、マジョルカ島で実際見たもののために180度の思考転回をよぎなくされ、意を決してこの民衆虐殺を告発する文章を発表し始めるのです。この惨劇を小説化した作品が『月下の大墓地』(1936年)です。つまりベルナノスはこのスペイン戦争にこの世の地獄を見たわけです。
 しかし、この小説の真正な主人公である15歳の少女モンツェは、カタロニアの田舎に突然実現してしまったコミューン的ユートピアに夢のようなひと夏(1936年7月)を体験するのです。何世紀も前から貧乏に生まれて死ぬことを運命づけられた農家にあって、父母は物を言わずに生きることを美徳として子供たちを育てようとしましたが、ある日、モンツェの兄のホセは町に出て帰ってきたらすっかり変わってしまいます。無学だった兄はその町での数日間で、無政府主義(バクーニン主義)に染まってしまったのです。 これは(例として適当かどうかわかりませんが)ロックンロールとの出会いと同じように強烈で乱暴でクレイジーなのです。貧農の長男で不良のボス格だったホセは、その覚えたての革命家気取りの演説で、彼の周りに若いアナーキストグループを組織します。両親に反抗し、古い世の中に楯突く兄をモンツェはまぶしく見ています。
 この夏モンツェは村の大地主の家に女中として雇われることになっていました。この大地主には養子として入った跡取り息子ディエゴがいます。20歳のディエゴは高等教育を受けたインテリで思慮深い男ですが、出自の事情から親に対して反抗的で、共産党に入党します。このディエゴは子供の頃からずっとモンツェに片思いしていると同時に、その兄のホセとはガキの時分から犬猿の仲、より正確にはホセの徹底したイジメの対象になっていて、ディエゴはずっとそのイジメを耐えて受け入れていたのです。小説はこの二人の対照的な若者、貧農の子/富豪の子、乱暴者/インテリ、過激派/穏健派、ロマンティスト/リアリスト、アナーキスト/コミュニスト等々の対立も大きな軸になっているわけですが、しまいには(これはバラしたらいけないんですけど)この二人に深い友情のつながりがあることを知ります。
 さてモンツェは女中に雇われるというその時に、人民戦線(共産主義、社会主義、無政府主義を結集した共和国派共闘)指導による革命の波がこの村にもやってきて、 土地・財産を含む村の村民による自主管理が、直接民主主義によって討議され始めたのです。15歳の少女は突然やってきた革命に狂喜し、村を一歩も出たことがなかった若者たちと徒党を組んでカタロニアの都バルセロナまで赴き、革命の躍動に共振する都の空気を満喫します。それは初めてのタバコ、初めてのアルコール、止むことのない歌と踊りとディスカッション、若者たちから次々に発語される新しいスローガンや詩...。そしてこの狂気の夏にモンツェは初めての恋も体験します。その若者はアンドレと名乗るフランス人で詩人なのです。彼はフランコのナショナリスト軍と戦うために国際義勇軍のひとりとしてフランスからやってきた。そして翌朝に前線に出発するという夜にモンツェと出会い、詩人と少女は激しい恋に落ち、一晩中愛し合ったのです。そして決められたように翌朝詩人は姿を消すのですが、その数週間後、モンツェはアンドレの子を身籠ったことを知ります。
 一方村の人民評議会は、最初ホセたち過激派の提案に賛成して、地主制の廃止、私有財産の没収と分配など急速なコミューン化を打ち出すのですが、徐々に前線の状況があやしくなり、ディエゴの穏健派が「なによりもまずフランコとの戦争に勝つこと、大きな改革はそのあとで」という現実主義路線を提唱、多数派の賛成を得て、ディエゴが仮の村長となり村行政を切り盛りするようになります。ホセは当然面白くないわけですが、フランコのナショナリスト軍は共和国をじりじりと侵食していき、頼りにしていたソ連からの武器はなかなか届かず、共和派の中でも共産主義者、社会主義者、無政府主義者の内部対立が深まっていきます。
 村に戻ったモンツェは妊娠してしまった子供をどうするか悩みに悩み、蒸発することまで考えます。件のフランス人詩人アンドレが再び目の前に現れてくれることを夢見たりもしますが、全く可能性はありません(後日談としてこの詩人はひょっとしてアンドレ・マルローではないか、とモンツェと生まれてきた子供が想像しています)。しかし女の問題は女が最もよく知っていて、モンツェの母親がうまく手を回して、子供の頃からモンツェに恋い焦がれていたディエゴと結婚させることにしたのです。ホセはこのアレンジメントにあたかも政治的権謀術数のごとき卑劣さを見てしまい、モンツェとホセとディエゴの関係は著しく険悪になります。
 こうして最貧の農家から富豪地主の家に少女は嫁いでいきます。最初富豪家族とモンツェの関係はぎくしゃくしていましたが、ホセの言う搾取階級の顔ではないユートピア思想家の義理の父(地主)や、ファシストの義理の姉の優しさや、かなり入り込んだ興味深いエピソードがたくさんあり、この小説の背景を肉厚のものにしています。
 1937年3月、モンツェは女児を出産し、その名はLunita(ルニータ)と名付けられます。小説はすんなり通り過ぎていますが、これ、そんじょそこらにあるファーストネームではないと思いますよ。「統一」という意味のイタリア共産党の機関紙(1924年グラムシが創刊)と同じ名前ですし、日本の書店「ウニタ書舗」と同じ語源でしょうし。
 しかし戦況はどんどん悪化し、4月にはドイツ空軍によるゲルニカ爆撃(1500人の市民が死亡)があり、ナショナリスト軍は全前線で攻勢に出ます。モンツェたちの住むカタロニアの村にもナショナリスト軍の攻撃があるとの情報をつかみます。すると村への道でナショナリスト軍を待ち伏せして迎撃する、という役目をホセとその仲間たちが買って出るのです。普段ことごとく対立しているホセとディエゴはここで雪解けを見るわけですが、この村防御の激戦の中、ホセはどういう状況か誰にも見られていない状態で戦死してしまいます。その甲斐あってナショナリスト軍は退散していきます。ホセの死は英雄的と村人たちは厚くその霊を弔うのですが、あろうことか、どこからかホセはディエゴによって暗殺されたのではないか、という噂が立つのです。人の口に戸は立てられません。村人たちは疑心暗鬼になります。誰も信用できない。村長代理のディエゴはこの噂に深く傷つき、消耗し、不眠症となり、村人たちから孤立していきます。.....

 1937年冬、村はナショナリスト軍の手に落ち、モンツェは乳飲み子ルニータを抱きながら、何日も何日も徒歩で北上し、国境を越えてフランス領に入り、その命を死の寸前で救うことができたのです。17歳の少女母はフランスに受け入れられ、言葉を知らぬことと外国人であることで多少の差別を受けながら、この国で必死に言葉を覚えて「泣かないで」生きていくことを決心したのです。Pas pleurer。泣かないこと。
 
 小説は最初その読み辛さに手こずると思います。それは1920年スペイン生れのモンツェという女性の語り口をそのまま文字化しようと試みているからです。この女性は何年何十年たとうが、ちゃんとしたフランス語を覚えることができないで、スペイン語、カタロニア語、フランス語が混じり合った、モンツェ独特の言語しか語れないのです。作者はそこに注釈など入れたりしないのです。そのままのモンツェ語。この小説のマジックは、この生き生きとしてリアリティーに富んだこのチャンポン語を、読む者がどんどんわかるようになってしまう、ということです。わかると言うのではなく、感じると言うべきでしょうか。
 後日ディエゴもフランスに亡命し、モンツェとルニータと合流します。トゥールーズに近いフランス南西部の町で3人は暮らし、1948年には次女リディアが誕生します。それが作者自身です。
 マジョルカ島で地獄を見たことによって、強硬な右翼人から翻ってファシズムとカトリック教会の共犯を告発するに至ったジョルジュ・ベルナノスの勇気にこの小説は最大級のオマージュを捧げます。少女モンツェはベルナノスが地獄を見ていた同じ頃に、バルセロナで束の間のユートピアを見ていたのです。そしてこの老女は、その夢のような1936年夏から抜け出すことができないのです。Viva la República !

LYDIE SALVAYRE "PAS PLEURER"
スイユ刊 2014年9月 280ページ 18,50ユーロ

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)自著『泣かないで』を語るリディー・サルヴェール

2014年11月25日火曜日

ヒア・カムズ・ザ・サン

ラ・タルヴェーロ『さんさんの太陽』
LA TALVERA "SOLELH SOLELHAIRE"


 ラ・タルヴェーロのオリジナル・アルバムとしては2009年の『ソパック・エ・パタック』以来5年ぶりになります。マッシリア・サウンド・システムが結成30周年(アルバム『マッシリア』)なら、こちらラ・タルヴェーロは来年35周年で、みんな貫禄十分です(特にセリーヌ・リカールのことを言っているわけではありません)。
 マッシリアがマルセイユ、ファビュルス・トロバドールがトゥールーズ、ニュックス・ヴォミカがニース、モーレスカがモンペリエと、オクシタニア・ムーヴメントのアーチストたちは都市をベースにしているケースが多いのですが、ラ・タルヴェーロはタルン県(ミディ=ピレネー地方)コルド・シュル・シエルという田舎町を拠点としている田園派です。
 このタルン県で最近メディアに大きく取り上げられている事件があります。 それは1969年から進められているタルン川の支流を堰き止めて灌漑用のダムを建設するシヴェンス・ダム計画をめぐって、それに反対するエコロジスト団体や土地の農民同盟(コンフェデラシオン・ペイザンヌ)の抗議行動が、2014年9月に強制的に始まったダム予定地の森林伐採作業によって激化し、反対派と機動隊が激しく衝突した結果10月26日に21歳のエコロジスト青年レミ・フレッスが、至近距離で発砲された催涙弾を受けて死亡してしまったのです。「警察の暴力」「機動隊による殺人」「国家の犯罪」と、激しい抗議糾弾デモが全国で起こり、1ヶ月経った今日も、その抗議行動は鎮火していません。
 わがラ・タルヴェーロも、この事件に関してはインターネットを通じて積極的に抗議のメッセージを発信しています。近隣の土地で起こっている事件であり、土地の農民たちと密接に関係を持っている音楽グループですから。ダニエル・ロッドー(1954年生れ。当年60歳)は コルドでNPO団体コルダエ(CORDAE)を主宰し、ラ・タルヴェーロの音楽活動と、オクシタニア民謡・民話の発掘・採譜・出版活動を行っています。ラ・タルヴェーロのレパートリーは大別して二種類あり、ロッドーとコルダエのメンバーがタルン県および近隣諸県の地方に出向いて、村の奥深くにひっそり伝承されているオック語民謡を発掘・採譜した楽曲を、ラ・タルヴェーロの現代的な編曲で録音・演奏するものが一方にあり、もう一方にロッドー詞曲のオリジナル・ナンバーがあります。どちらもとても重要なことをしているのですが、一般リスナーたるわれわれとしては、発掘民謡再生よりも、田舎から今現在をビシビシ照射するロッドー・オリジナルにどうしても興味を引かれてしまうのです。だから私も持っていてもめったに聞かないラ・タルヴェーロのCDがあります。この辺がこのバンドがポピュラーになれない一因かもしれません。
 マッシリア・サウンド・システムのタトゥーは今から10年前、2004年のデペッシュ・デュ・ミディ(ミディ・ピレネー地方最大の地方新聞)のインタヴューで、こんなふうにダニエル・ロッドーにオマージュを捧げています。
ダニエル・ロッドーは俺の生涯で出会った最も重要な人物のひとりだ。俺にとって手本なのだ。それは反中央主義であり、エリート思想の拒否であり、民衆の声だ。われわれの祖父祖母たちも音楽をやっていたんだが、人々は彼らが農民やプロレタリアだったから興味を示さなかったんだ。それがダニエル・ロッドーのところにはあるんだ。彼は俺に世界との対話に対処する方法を教えてくれた。たとえラ・タルヴェーロがマッシリアのような知名度を勝ち得ていないとしても、それは重要なことじゃない。重要なのは彼らのようにフォルクロール(民衆芸能)を再創造することだ 。デペッシュ・デュ・ミディ紙2004年11月29日
  レゲエ、ラガマフィン、フォッホーなどに比べたら、ずっとジサマバサマに近い音楽をやっているのがラ・タルヴェーロです。重要なのはオクシタン・フォルクロールを再創造すること。父も祖父も音楽をやっていたというロッドーは、若い頃にロックに夢中で、エレクトリック・ギターを弾いてロックバンドをやっていましたが、トゥールーズ大学でオクシタニア文化を学ぶことをきっかけにディアトニック・アコーディオンとボデガ(またの名をクラバ。ラングドック地方のコルヌニューズ。右写真はボデガを弾くロッドー)を自己流でマスターし、その他洋の東西を問わず、幾種類もの弦楽器・吹奏楽器・打楽器に精通するマルチ・インストルメンタリストになりました。毎回ラ・タルヴェーロのアルバムにはいろんな楽器が顔を出しますが、それは南仏オクシタニアの民族楽器に限っているのではなく、世界中の楽器なのです。
 いろいろな世界の音楽も顔を出しますが、とりわけはっきりしているのはブルターニュ(およびケルト)、バスク、カタロニア、マグレブ、コルシカ、サルデーニャ(ロッドー家のルーツです)、そしてブラジル・ノルデスチです。
 それとラ・タルヴェーロのアルバムでいつも楽しみなのは、農場や村市場や山の羊飼いなどのフィールド録音がインターリュードとして挿入されていること。これはマッシリア・サウンド・システムの留守番電話メッセージと同じように、アルバムのピリ辛のアクセントとして重要なエレメントだと思いますよ。

 さて新しいオリジナルアルバム『Solelh Solelhaire(ソレルー・ソレライール)』ですが、このタイトルは「太陽のように輝く太陽」「太陽らしい太陽」といった意味のちょっとした重複語表現です。これはいにしえの羊飼いや農夫たちのまじない言葉で、寒さがあまりに厳しい時に「ソレルー・ソレライール!」と唱えると、ヒア・カムズ・ザ・サン、イッツ・オールライト、と暖かい太陽が現れ、民を照らしてくれた、という故事に由来するのだそうです。この「太陽的な太陽」というニュアンスを、私は日本語+英語のうまい掛言葉として『さんさんの太陽』という日本語タイトルを与えたのでした(どこからも採用されておりませんが)。
  「この『さんさんの太陽』はオクシタニアの太陽であろうが、それは同様にカタロニア、サルデーニャ、ポルトガル、ブラジルといったすべての南の国々の太陽でもあろう。(中略)このアルバムはひとつの物語のように作られている。始まりと結末があり、曲がりくねった道があり、増水した川があり、アルビジョワの国との出会いがあり、時間の進行がある。詩的な表現の詞と政治的なメッセージの歌が隣り合わせで並んでいる。『ソレルー・ソレライール』の隠し味は、音楽スタイルと音色とリズムとサウンド環境の広範囲の多様性であり、それはラ・タルヴェーロのミュージシャンたちが旅したすべての音楽的テリトリー(オクシタニア、ブラジル、アルゼンチン、の反映である。」(コルダエの公式サイトのアルバム紹介)

 ひとつの物語と解説されていますが、豚に始まり、豚に終るストーリーです。アルバムの幕開けである「豚の遺言」は、屠殺の前に最後の意志として公証人を呼んで、豚が遺産相続目録を読み上げる歌です。収税吏には股肉を、銀行家には皮革を、判事には臀肉を、労働者たちには耳と舌を、といった風に皮肉や恨みを込めた遺言が続きますが、世相風刺で大統領夫人(この場合はこの春に大統領と破局したトリエルヴェレール女史)には浮気に耐えられる胃袋(厚かましさの意)をあげよう、なんていう下りも出てきます。そしてロッドーさんには(一番大事な)頭と歯をやるから、俺の死の瞬間にはりっぱな楽の音を聞かせてくれ、と。最後に公証人さんよ、あんたには糞しかやらないけれど、遺言が全部達成されるように責任取っておくれ、というオチ。ブヒの目にも涙。
 このアルバムにもオクシタニアを賛美する歌がいくつか入っていますが、2曲め「オクシタニアの娘たち」は美しい6拍子ブーレで、こんな歌詞です。
オクシタニアの娘たちの
先祖は妖精
山の女神
洞窟と洞窟の間でさまよい
草原に身を転がせる
オクシタニアの娘たちの
先祖は妖精
オクシタニアの娘たちの
瞳の中に虹がかかる
山の色彩
太陽が湿地帯の鏡で
お化粧をすると
オクシタニアの娘たちの
瞳の中に虹がかかる
詩的なイメージです。もう長年のロッドーの良きパートナーとして、またラ・タルヴェーロのメイン・ヴォーカリスト(兼フィフル奏者)として可憐な歌声を聞かせてきたセリーヌ・リカールも、今は大地のおっ母さん的な貫禄ですけど、この伝説を子供や孫に聞かせているような優しさが胸を打ちます。
 オクシタニアに惚れ込んだ遠方の友人の登場です。3曲めはブラジル、ノルデスチのトップアーチストのひとり、シルヴェリオ・ペッソアの詞・曲・歌で「私のシランダ」。シランダは寄せては返す浜の波のようなゆっくりテンポの手をつないだサークルダンスで、トゥールーズのボンブ・ド・バルもよくこのダンスをレパートリーに入れてます。津軽人の私は、これはちょっとネブタ囃子のリズムにも似てるなぁ、なんて思ったりもします。シルヴェリオ・ペッソアとラ・タルヴェーロは2010年に「フォッホクシタニア」(フォッホーとオクシタニアをくっつけた造語)というプロジェクトで共演ツアーをフランスとブラジルで挙行しました。ノルデスチとオクシタニアが歴史的・音楽的に繋がっているというダニエル・ロッドーの仮説(フェムーズ・Tのリタ・マセドによるとこの仮説は立証されていない)もあって(それに加えて、フランスにおけるオクシタニアとブラジルにおけるノルデスチに共通する反中央・反権力の雰囲気もあって)、ロッドーとペッソアは大親友になってしまったのです。ペッソア作のこの歌のリフレインはこう歌います。
やあ オクシタニア
ふたつの海の間で暖まっている国
やあ オクシタニア
俺の国にそのまま留まってくれよ
7曲目の「タルン川の洪水」はおそらく上に紹介したシヴェンス・ダム建設反対運動と関連しての歌だと思います。軽快でフォーキーな歌なのに中身はこんなです。
タルン川が増水すればタルナード
ヴェール川が増水すればヴェラート
レズ川が増水すればレザード
ガルドン川が増水すればガルドナード
そうなりゃすごい洪水さ
ダムの決壊と大浸水
土地は全部ひっくり返される
この災害は鎮まることを知らない

5月がやってきたら
私はよそから吹いて来る風を感じたいの
遠くから聞こえてくる通りの声
それはささやき声だったのが、怒りの叫びになる
最初は9人か10人の声だったかしら
その叫びは夜の闇にかき消される
だけどそれは突然何千人の声になるの
寝床から大河が噴き出るように
国会の与太者どもは大慌て
水が政府を流し去ってしまうの
明日おまえたちは水に流されてる廃棄物でしかなくなるの
小枝か藁くずのようなもの
他の者がおまえたちに取って代わっても
違う洪水がまたやってきて、そいつらも転覆させちゃうの
いやはや恐ろしい自然の怒りでございます。政府は早いところダム建設中止を発表するべきでしょう。
 ところでラ・タルヴェーロというバンドは、ロッドー(各種楽器+ヴォーカル)とセリーヌ・リカール(ヴォーカル、フィフル)、ファブリス・ルージエ(クラリネット)、セルジュ・カボー(パーカッション)の4人以外、固定したメンバーはいなかったのですが、このアルバムではセルジオ・サラニッシュ(ギター、ベース)、トニー・カントン(ヴァイオリン)、そしてヴォーカルとヴァイオリン担当でアエリス・ロッドーがバンドメンバーとしてクレジットされています。アエリスは言うまでもなくダニエル・ロッドーとセリーヌ・リカールの娘で、まだ大学生(モンペリエ、ポール・ヴァレリー大学)ですが、既に2004年の大傑作アルバム『民よ、わが民よ(Poble, Mon Poble)』で7歳で作詞した「爆弾はいらない(Pas de bomba)」という歌でヴォーカルを取っています。今はたいへんきれいなお嬢さんです。
 そのアエリスのヴォーカルもフィーチャーされ、セルジオ・サラニッシュのギターも大活躍する曲で、本アルバムで私が最も気に入っている歌が10曲めの「おまえに送る(Te Mandi Ieu)」です。ゲーム音、プッシュフォン電話の音、ホイッスル、ラテン・パーカッション、ファズ・ギター、カントリー・ギター、コルヌミューズ、アコーディオン、その他たくさんの種類の音が飛び交い、ロッドーのごきげんなかけ声が混じってきます。
鏡の中から見つけ出した
この私の似顔絵をおまえに送ろう
それは命のかけら、私の最も深い考えの反映
私のまぶたのヴェールの上にあった
少しばかりの愛をおまえに送ろう
私の全くはっきりしない思いのつまった
少しばかりの夜と少しばかりの昼を
グレジーニュの森の赤い土の香りを
おまえに少し送ろう
葡萄畑に吹きつける南風と蜜も少し
見知らぬ人からうつされた
大笑いをおまえに送ろう
その口の動きは
無口な微笑みよりもずっと暖かい

わが友船頭よ
見知らぬ海へ漕ぎ出せ
そして急いで
このオクシタニアの手紙を運んでいけ
という手紙の歌なのですけど、自分の思いを伝えるのにいろいろなものを描写して送ろうとする、ちょっともどかしく、ちょっとロマンティックで、 たいへんデリケートな歌詞です。いろんなものを詰めようとするから、いろんな種々雑多なサウンドが顔を出すのですね。複雑で素敵なラヴソング。一回目に出て来るギター間奏が、「バードランド」(ウェザーリポート)のジャコ・パストリウスのハーモニクス・ベースのもじりであることも、ちょっとニッコリしてしまいます。
 この10曲めからアルバムはどんどん尻上がりによくなっていきます。くわしい説明は割愛しますけど、歌うこと音楽を奏でることの病みつきを治す医者などないと歌う12曲め「歌う必要」、美しい赤レンガの町アルビ(「野の中に赤髪のように立ち、鮮紅色の葡萄のように燃える家々」)を歌う13曲め「アルビジョワの国」など、ダニエル・ロッドーのソングライティングに敬服します。
 そして最終トラックの15曲めに至って、出だしがボブ・マーリー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」風なオールドスクール・レゲエで笑ってしまいますけど、現政府および政界全体を徹底的に罵倒する「やつらは盗賊」という歌です。
夏が来ても、夏も前の冬と同じ
いつも同じようにムッシュー 悪政府が統治している
冬が来ても、冬も前の夏と同じ
いつも同じようにどうしようもない悪政府が統治している
保守、中道、左派、
やつらはみんな同じ糸で縫われている
やつらはもうすぐマダム某に連れさらわれてしまうさ
俺たちにはやっと厄介払いができるってこと
わが友、市民よ、よく聞け
支配者たちには吐き気がする
やつらは盗賊で、嘘ばかりついている
俺たちの憎悪の声を上げよう、やつらには悪い最後が来るだろう!
そう、世の中はちっとも良くなっていないし、どんどん悪くなっている。ゼブダやマッシリアやその他のアーチストたちも、みんな同じ結論を言っている。マッシリア30年、ゼブダ29年、ラ・タルヴェーロ35年、ず〜っと同じように社会的・政治的なメッセージを込めて音楽活動をしてきているのですが、 世の中は21世紀に入ってどんどん悪くなっちゃっているのです。だからと言って、言うことをやめる、歌うことをやめる、というわけにはいかないのです。
 ラ・タルヴェーロの本作は、そういう状況コミットメントも相変わらずですけど、それにも増して、詩的(ポエティック)なアルバムです。美しいオクシタニアの野は、太陽がここよりも多いのではなく、太陽を求める声に敏感なのではないか、と思うのであります。

<<< トラックリスト >>>
1. LO TESTAMENT DEL PORC (豚の遺言)
2. LAS DROLAAS D'OCCITANIA (オクシタニアの娘たち)
3. MINHA CIRANDA (私のシランダ)
4. SENS TU (おまえなしには)
5. DE QUE FASON AQUI ? (やつらはここで何をしている?)
6. VOLI CAP MORIR (私は死にたくない)
7. LA BONA TARNADA (タルン川の増水)
8. AI TU MA COTIA (おまえは私の分身)
9. VIDA (命)
10. TE MANDI IEU (おまえに送ろう)
11. LAS TRETZE LUNAS (13の月)
12. LA CANTANHA (歌う必要)
13. AL PAIS ALBIGES (アルビジョワの国で)
14. SE IEU PODIAI MUDAR LO TEMPS (もしも時間を変えることができたら)
15. SON DE BANDITS (やつらは盗賊)

LA TALVERA "SOLELH  SOLELHAIRE"
CD CORDAE/LA TALVERA TAL19
フランスでのリリース:2014年12月8日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)ラ・タルヴェーロ『さんさんの太陽』抜粋集

Solelh Solelhaire extrait 投稿者 armandine-foglieni