2022年11月26日土曜日

Winky Calendar 2023

2018年に始まったウィンキー・ カレンダー 、2023年版(なんと6年目!)は12月上旬発送を目指して現在遠隔地レンヌで準備制作中(写真選考、フォトショ修正、表紙コンポ...)です。
表紙原案(↓)は私が作りましたが、レンヌからNGが出て、やり直しだそうです。出来上がりにご期待ください。






















2022年11月16日水曜日

次郎物語

Brigitte Giraud "Vivre vite"
ブリジット・ジロー『生き急ぐ』

2022年ゴンクール賞

文体的にはこの作品は小説(ロマン=roman)ではなく、物語(レシ = récit)と呼ばれるもので、もっぱら事実/事件を描写叙述したものである。このロマンとレシの違いは、私などにはあまり判然としないのであるが、ゴンクール賞でロマンではなくレシが受賞するのは非常に例外的なことらしい(受賞が決まった時、この点でイチャモンをつける声がやや聞かれた)。 
 というわけで、内容はフィクションではなく、作者ブリジット・ジローの実体験であり、彼女が38歳の時、1999年6月に起こった伴侶クロードのオートバイによる事故死という事件にまつわる一連の事情を列挙したものである。ブリジット・ジローは1960年、当時フランス領だったアルジェリアのシディ・ベル・アベスで生まれ、リヨン郊外で育ち、以来リヨンを離れていない。1997年第一小説『両親の寝室(La chambre des parents)』を発表、以来20冊ほどの作品を発表していて、これまで重要な文学賞(フェミナ、メドシス、ゴンクール等)の候補に上がったことはあった。この『生き急ぐ』の「事故」が1999年6月の出来事で、第2作めの小説『ニコ(Nico)』(1999年)のプロモーションでパリに短期滞在してリヨンに帰ったその日に起こったものだった。駆け出しの作家で、その他に定職を持たなければ喰えなかった頃だ。  
 連れ合いのクロードは2歳上で、ブリジットと同じようにアルジェリア生まれで、少年時代までかの地にいたのだが、家族共々追われるようにフランスにやってきてリヨン郊外に移住した。ブリジットとはリセの時からのつきあいで、早くも18歳でオートバイ乗りだった。音楽マニアで自分で楽器もやるし、録音機器も持っていて、買った新居では改造してホームスタジオを据えるつもりでいた。職業はリヨンの公立図書館のレコードCDライブラリー室長。副業で地方新聞雑誌のロックライターもしていた。銀行員になるはずだったが、音楽の世界に留まりたいパッションが上回り、図書館のこの職をなんとかもぎとり、公職の場でもSchott Perfecto ライダージャケットを一年中着ていた。オートバイとロックミュージックで生きるインテリ優男。この本での描写だけで、”いい奴”感はびんびん伝わってくる。二人にはひとり息子がいて、名前はテオ、この1999年当時まだ小学生だった。
 二人ともそれぞれ(アルジェリア引揚者)庶民階級の出で、リヨン郊外のシテ(低家賃高層集合住宅)で育ったが、二人が仕事するようになり一緒に暮らすようになってから、リヨン市内の旧建築の小さなアパルトマンを買って、いろいろ改装をしてせまいながらも快適なスイートホームに。ごく普通のなりゆきだが、子供が出来て大きくなるにつれて、もっと大きなところに変わりたいね、一軒家が欲しいね、という話に。ブリジットはマニアックな家探しのエキスパートになり、地区のフリーペーパーや不動産チラシなどの最新版をかき集め、不動産屋をくまなく当たり、物件探しに没頭する。ある日、希望よりも大きめの庭付き一軒家物件をダメ元で訪問したのだが、やはり条件が折り合わず引き下がろうとした時に、庭の奥に小ぶりの離れ一軒家が目に入る。時代もので、第二次大戦時に対独レジスタンスの秘密弾薬庫にも使われたという曰く付きの家で、長年放置されかなり荒れているが、それでもブリジットはこれぞ運命の出会いのように一目惚れしてしまう。売り物件の家主のマダムに尋ねると、これは彼女の持ち物ではなく、地方に隠居している弟のもので、彼は売却する意向はないはずだ、と。これを長い月日をかけて執拗に家主に迫り、紆余曲折の末この物件を買い取ることに成功するのだが、この一目惚れの成就がクロードの事故死と深く因果関係を持ってしまうことになろうとは。
  この物語(レシ)は、この家購入(その引越しの直前に起こったクロードのオートバイ事故死)の23年後(つまり2022年現在)、地区再開発のため売却立退きを余儀なくされ、ブリジットが近々ブルドーザーで取り壊しが決まっている家を去るところから始まる。生前のクロードと計画していたとおりに、家を二人(と息子のテオ)の夢の空間とするよう年月をかけて改装し続けた。クロードと生きる夢を追い続けた23年間だった。これを「未練」と言い換えてもかまわないと思う。このレシは、今、この家を手放す段になって、この「未練」のすべてを列挙して総括し、永遠に終わらない喪に一区切りをつけようという試みなのである。
 クロードの事故は、さまざまな偶然と条件が重なりあって起きた、と話者は説明しようとしている。どんな説明があっても取り返しはつかないし、納得もできないのだが、それをあえてしようとする。繰り返すが、これが「未練」でなくて何であろうか。それは「もしも」という仮説であり、「もしも... だったら」「もしも...でなかったら」.... クロードは死ぬことはなかっただろう、とずっと話者は思い続けてきたのだ。その「もしも」のすべてが早くも21ページめで羅列されている。「もしも私があのアパルトマンを売ろうと思わなかったら」「もしも私がこの家を下見したいと固執しなかったら」「私たちがお金を必要としていたちょうどその時に、もしも私の祖父が自殺しなかったら」... に始まる22項目の「もしも」が列記されている。この物語(レシ)はその22の「もしも」をひとつひとつ詳説していくという形式で成り立っている。
 この事故は1999年6月22日に起こった。ブリジットの一家3人はまだリヨン市内のアパルトマンに住んでいて新居への引越しはやや先の予定だったが、公証人を仲介する売買契約前に、公証人(友人の友人)が融通を聞かせて6月18日に特別に新居の鍵をブリジットに渡し、少しずつ引越し荷物を搬入する。ブリジットが母親に「もう鍵をもらった」と興奮して電話する。家には大きなガレージがあり、そこは改造してサロンにするつもり、と。母親が息子(ブリジットの弟)にブリジットの新居にはガレージがあると伝える。怪物オートバイ(ホンダCBR900ファイアブレード)を持ちながら、自宅にガレージがなくいつも駐輪場所に苦労していた弟が、これは「渡りに舟」ちょうど家族(妻と娘)で南仏短期ヴァカンスに出るところだったので、その間姉の新居のガレージで預かってくれ、と。6月18日、弟の怪物マシーンはブリジットの新居ガレージに収まる。その同じ日、ブリジットは2作目の小説『ニコ』のプロモーションでパリに行き、22日に戻る予定だった。その間小学生の息子テオの学校の行き帰りは、クロードが面倒を見る(註:フランスでは小学校の登下校は、保護者またはその代理人が朝校門まで送り、下校時に校門に迎えに行くのが義務)。21日夜、ブリジットは22日の下校時はテオが友だちの誕生会に呼ばれていてその母親が下校の世話をするので、テオを学校に迎えに行かなくてもいい、とクロードにパリから電話をするつもりでいたが、パリ宿泊先のブリジットの女友だちとの長話で電話ができなくなってしまう(携帯電話の普及していなかった時代、友人宅の電話を借りるタイミングを失う)。その22日、クロードはいつも通り、テオを徒歩で学校まで送り、そこからバスで職場(リヨン公立図書館レコードCDライブラリー)まで行くつもりでいたが、(ここで魔が刺す)、学校から徒歩10分ほどで行ける坂の上の新居まで行く。友人の証言では自らバイカーでありオートバイを熟知しているクロードは「このマシーンには絶対に手を出してはいけない」と自分に念じていたらしい。自制できずに、魔が刺す。ガレージからホンダCBR900ファイアブレードを出し、それに乗って職場に出勤する。そして下校時が近づき、(ブリジットが電話しそこねたばかりに)行く必要のない下校迎えのために、この怪物マシーンにまたがり、小学校へ向い....。
 「もしも前もって家の鍵が渡されなかったら」「もしも母が弟にガレージがあると言わなかったら」「もしも私がパリ出張の日を変更しなかったら」「もしも私がエレーヌの新しい恋人に関する長話を途中で遮ってパリからクロードに電話していたら」「もしもあの時携帯電話を持っていたら」... これらの仮説は、確実にクロードの生死の分かれ目であったし、どうしようもない繰り言でもある。ブリジット・ジローはこの繰り言を悲嘆でぐしゃぐしゃになるような書き方ではなく、冷静に間接的に(自虐的)ユーモアも加えて綴っていく。その中で、23年前というのが、どんな時代だったかもちゃんと説明している。今とどれほど違っていたか。インターネットや携帯電話が普及していなかったということが、どういうことなのか。居ながらにしてすべてを画面で検索できる世界に住んでいる人たちには、不動産屋や図書館に頻繁に足を運ばなければならなかったり、音楽や映像を買ったり借りたりしなければ観賞できなかったり、ということは説明しなければ。たった20年ほど前のことなのだけれど。たぶんこのクロードの事故は現在のコミュニケーションネットワークから考えると、ありえないことと済まされるかもしれない。
 やり場のない憤りもある。この22章の「もしも」の中で、2章だけ文頭の「もしも(Si)」の代わりに「なぜ(Pourquoi)」という疑問詞になっている。
14. なぜ本田技研に革命をもたらしたエンジニア馬場忠夫は、私の生活に土足で押し入ったのか?
15. 1999年6月22日クロードが乗っていた、日本産業界の誇り高き花形スター、ホンダCBR900ファイアブレードは日本で販売禁止であり、ヨーロッパ向け輸出に限定されていたのはなぜか?
 この2章は合わせて16ページある。これはブリジット・ジローの(クロードを殺した)ホンダCBR900ファイアブレードへの怒りの丈をぶつけたものであり、開発者であるホンダの伝説的エンジニア馬場忠夫の来歴も含めて、マシーンの詳細なデータおよびフランスの業界誌やライダーたちの証言も入った、いかにこの怪物オートバイが殺人的なしろものであるかを書き綴っている。この輸入販売を許可したヨーロッパ(およびフランス)の新資本主義自由貿易政策への呪詛も忘れていない。メーター上で速度270キロを超えるのである。絶対的に公道で走るように作られていない。サーキットのみで走行されるべきもの。これが日本では禁止されていて(禁止されているから、倍近い値段払ってでも欧米からの逆輸入ものを日本のライダーたちは買う)、ヨーロッパでは公道で走れて、結果、多くの死傷者を出している。この16ページの話者のテンションは非常に高い。近い将来この本の日本語訳本が出たら、日本ではこの部分だけで物議をかもすかもしれない。
 (ちなみにこの記事タイトルの「次郎物語」は単なるダジャレではあるが、下村湖人作の未完の長編「次郎物語」の主人公が”本田次郎”という名である、という含みもわかってやってね)

 公立図書館レコードCDライブラリー室長であり、ロック音楽に精通したクロードが、その6月22日、職場でライブラリー仕入れ選考のために視聴していた最後の曲がデス・イン・ヴェガスの"Dirge”(↓クリップ)という曲だった。呪術的に響く「ラ〜ララ〜」繰り返し。

この曲を聴き終わって、クロードは職場を出、テオの下校時刻に遅れそうなのを気にしながら、怪物マシーンに跨がり、帰らぬ人となる。話者の「もしも」はこの最後の視聴曲が、デス・イン・ヴェガスではなく、同じデスクの上に積まれていた視聴用CDの中のコールドプレイ「ドント・パニック」だったら、事情は違っていたに違いない、などということも想像してしまう。もう切ない切ない。
 
 書名の『生き急ぐ(Vivre vite)』の出典は、その当時クロードが読んでいたルー・リードの本からの引用だそうだが、もちろんその元はジェームス・ディーン(1931-1955)の"Live fast, die young”である。舞台がリヨンであり、この古い歴史のある地方大都市圏から離れずに育ち、大人になったブリジットとクロードだったが、ブリジットはこの男がどこかこの地に馴染んでいないところを見ている。アルジェリアに生きるべき男だった。あの怪物オートバイだって、映画「イージー・ライダー」(このリファレンスも本書中に出てくる)のアメリカのような土地(すなわちアルジェリア)で、土埃を上げて疾走できたら、素晴らしい愛馬としてクロードに懐いたであろう。
 ちなみにクロードと同じ年にアルジェリアに生まれたリヨンの人にラシッド・タハがいる。またタハのリヨンのバンド、カルト・ド・セジュールのギタリスト、モアメド・アミニはリセ時代にクロードと机を並べていたし、クロードの最初のロックコンサート体験を分かち合った仲だったが、タハが2018年に他界したのに続いて、ブリジットがこの本を執筆していた2019年にアミニも亡くなった(p179) 。

 20数年の「未練」を書き上げ、人生のページをめくった記録。同世代(私より少し若い)として、あの時代(90年代末)のフランスを共有体験した者として、肌身に感じるところがたくさんあった。ロックミュージックのはめ込み方も(YouTubeに、本書中に登場する音楽のプレイリストあります)。やや軽量級だけれど、2022年も良いゴンクール賞に出会えてよかったと思います(しまらない結語でごめん)。

Brigitte Giraud "Vivre vite"
Flammarion刊 2022年8月 206ページ 20ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆


(↓)2022年11月4日、ゴンクール受賞翌日に国営ラジオFrance Interの朝番組に出演したブリジット・ジロー。


2022年11月9日水曜日

赤丸上昇中

Lucie Rico "GPS"
リュシー・リコ『ジェ・ペ・エス』

1988ペルピニャン生まれの作家/映像作家、リュシー・リコの2作めの長編小説。題名の"GPS"は21世紀に全地球的に普及した自動車ナヴィゲーションやスマートフォンアプリでお馴染みのグローバル・ポジショニング・システム(全地球測位システム)のことであるが、当地発音の呼称は(”ジーピーエス”ではなく)「ジェ・ペ・エス」となる。この小説ではたいていのスマホに標準装備されているアプリGoogle Mapsのことを指している。大雑把に言うと、これはスマホアプリをツールにして書かれた小説である。こう書くと、そんなもの文学作品としてなんぼのものさ、と揶揄したくなるムキもありましょう。私もそういう先入観がありましたが。
 小説の中心人物の主語は二人称単数 "Tu"(きみ、おまえ)で書かれている。「きみは(XX)する」という文が最初から最後までずっと続くのである。読み方によっては「きみ」と名指して書いているのが作者であると同時に「きみ」をこのように観察しているのは読者でもある。この「きみ」はほとんど四六時中自分の部屋に閉じこもっていて、それを観察する側にある作者とわれわれ読者の構図はテレビのリアリティーショー的であり、われわれは覗き見に立ち会っているわけだが、その「きみ」は部屋という密室にいながら、四六時中スマホのGPSアプリの世界に入り浸っているという、二重の密室構造の中で小説は展開する。
 「きみ」と名指された主人公は33歳の女性であり、ジャーナリストであったがその職を失って以来引きこもり気味になっている。インターネットを通して求職活動はしているが、応募先の人事担当者から否定的回答のメールばかり毎日受け取っていると、外に出るのもいやになるだろう。失業期が長引き、失業手当支給もあとわずかとなればなおさら。ジャーナリストとしての専門分野は「三面記事(fait divers)」であり、世の中の事故、事件、珍事などを題材に「読ませる記事」を書くというもの。目下の交際相手ともその取材で出会った。火事の原因に不審なものを感じた「きみ」が、消防署に問合せに行ったら、「もっと突っ込んだ話が聞きたいのかい?」と取材に応じたのが消防士アントワーヌだった。「きみ」のアパルトマンに決まった日に通ってくるという交際であったが、「きみ」の失業以来その関係は未来を見通せなくなって、どこか気まずいものになっているし、洗わない食器がたまった台所など家の中も乱れていく。
 ここまで私も「きみ」と書くのが疲れてきたので名前を出すが、彼女の名前はアリアーヌと言う。小説中この名前が初めて登場する(名前が明かされる)のは116ページめ(ちょうど小説全体の中間地点)である。それほど「きみ」は長い間自分の名前を聞いたことがない、という失業+引きこもりの寂寥を強調してのことだろう(こういうレトリックとても上手い)。それに反して最初から名前が何度も登場するのが、「きみ」の唯一無二の親友であるサンドリーヌである。16歳で出会ってから青春期のいいこと悪いことアヴァンチュールのすべてを共有した双子姉妹のような親友であるが、ただひとつの大きな違いは、平凡で平均的な家庭環境で育った「きみ」に対してサンドリーヌは複雑な環境にあった。それは小説の後半で明らかになっていくことだが。
 さてそのサンドリーヌが婚約パーティーを開くから、親友の「きみ」に婚約立会人として出席してほしい、と。場所は特別に借り切った新設のイベント会場は”Zone Belle-Fenestre”というインダストリアルな郊外産業地区を想起させる名前。小説冒頭第一ページめで「きみ」はさっそくこの地名を二度スマホGPSで検索するが、二度ともGPSは「住所不明」と返す。「きみ」はこれを"罠”と感じる。これがこのミステリアスな小説の始まりである。わくわく感をそそるスタートである。
 (ちなみに、私たち家族がこの夏のヴァカンスにAIR BNBを通して借りた南仏の家は、フランス海軍に務める人の持ち家で、海軍軍用地の敷地内にあるため、カーナビ(GPS)で追えない場所にあった。市街地から遠くないのに携帯電話も通じなかった。そういう場所ってあるんですね。)
 サンドリーヌは、場所がわからなければ、自分の位置情報をGPSで教えるから、それを目指して来い、と。スマホが振動し、メッセージが現れる。
Sandrine souhaite partager sa localisation avec vous
(サンドリーヌはあなたと位置情報のシェアを希望しています)

アプリGoogle Mapsのダイアローグに「きみ」が同意クリックを押すと、サンドリーヌは点滅する赤丸となって画面に登場する。この赤丸のいる位置を追いかけていけば、サンドリーヌに会え、会場にたどり着ける。こうしてアリアーヌ(きみ)はスマホのGPS画面を片手に、久しぶりに部屋を出て(リアルの)外界に飛び出し、赤丸の示された場所へと赴く。行けばそこは17ヘクタールもある野外イベントパークで、パーティ会場にはシャンパーニュ、ビュッフェ、音楽がふんだんにあり、サンドリーヌと婚約者ジョンの同年代(アラサー)招待者たちがわんわんと騒いでいる。純白ドレス姿の主役サンドリーヌは幸せそうに招待者ひとりひとりと応対してもみくちゃになりながら、華麗にこの上なく美しく踊っている。大盛会だったパーティーもピークを過ぎ、招待者たちが三々五々退散していく午前3時頃、サンドリーヌが姿を消す。「きみ」も帰宅することを告げたくてサンドリーヌを探すが見つからない。GPSを見ると赤丸はイベントパークの反対側にいる。アルコールも回り、眠くなった「きみ」はそのまま帰路につく。
 翌日、婚約者のジョンからサンドリーヌが失踪したことを告げられる。ジョンのヴァージョンでは昨夜のパーティのとある”馬鹿野郎”とどこかにしけ込んだに違いないと言う。絶望的に落ち込んでいるジョン。ジョンとはあまり懇意でない「きみ」は、サンドリーヌが自ら消えた”わけ”を尊重し、ジョンには自分がサンドリーヌの位置情報を持っていることを明かさないでおく。「きみ」だけがサンドリーヌ(赤丸)の居場所を知っていて、その赤丸は移動しているのがわかる。そのサンドリーヌからは「昨日は来てくれてありがとう、また会おうね」の携帯メッセージが入っている。生きているから案ずることはない。その赤丸はパーティ会場から20キロ離れた湖(デール湖=Lac du Der)の辺りに移動し、そこに止まっている。
 スマホが振動し、「三面記事」情報収集のために登録している地方プレスの探信ニュースが画面に現れる。「デール湖畔でジョギングで通りかかった市民が、左足だけを残して全身を焼かれた死体を発見」。まさか。サンドリーヌであるわけがない。なぜならその赤丸は微妙な動きを止めていない。それは生きたサンドリーヌなのか、それとも誰かの手に渡ったサンドリーヌのスマホなのか。


 ここから小説は部屋にこもった「きみ」がほぼ24時間スマホGPSから目を離せなくなり、赤丸の動きを追い、ことの真相を密室から推理する展開になる。密室の中のそのまた密室たるスマホ画面の中はなんと無限の広がりがある。Google Mapsはズームアウトすれば地球上のどこへでも行け、ズームインすれば人間の顔まで識別できる。その機能は地図、航空写真、立体画像、360度ストリートビュー... さらにタイムラプス機能を使えば、その場所の過去にまで遡ることができる。元「三面記事」記者はその推理力と想像力を駆使して、赤丸の行方を追い、その真実(サンドリーヌの蒸発、死体、移動する赤丸...)をリアル空間ではなくヴァーチャル空間に求めて深入りする。リアルとヴァーチャルの境の消滅に読者は立ち会っているのだ。
 最初「きみ」は婚約者ジョンがサンドリーヌとの婚約の夜の”破局”に激怒してサンドリーヌを殺し死体を焼いたものとの仮説を立てる。しかし推理ははずれ、サンドリーヌの赤丸は移動を続け、あたかも「きみ」に訴えかけ、「きみ」を誘き出すような動きを繰り返す。サンドリーヌは生きている、と「きみ」は確信する。
 そんな中、長期失業者だったアリアーヌにある新聞社から記事依頼が飛び込んでくる。赤丸から目を離せず、気はそれどころではない「きみ」は、ネット上に転がっているその種の情報をテキトーに構成して記事を作る。赤丸を追って以来、ヴァーチャル空間での想像力が琢磨されたのか、そのあることないことごっちゃの記事はすこぶる好評で、記事依頼が続けざまにやってくるようになる。ついに失業脱出。恋人アントワーヌと外に出てお祝い事でもすればいいのに、アリアーヌは密室を出ることができない。何が真実で何が虚偽かなど、「きみ」にはどうでもよくなった。それでも赤丸は点滅して動き続ける。彼女にとって真実はこの赤丸しかないのだ。
 消防士アントワーヌは、その消防署経由の確かな情報として、かの焼死体がサンドリーヌのものであると断言する。ではこの動く赤丸は誰なのか? 赤丸が移動する場所は奇しくもアリアーヌとサンドリーヌにゆかりのある場所ばかり:二人が通ったリセ、アリアーヌの家族が住んでいた家、サンドリーヌを連れてアリアーヌの家族が行ったヴァカンス地、そして二人だけで行った最初のヴァカンス地、クロアチア、スペイン....。デール湖畔は16歳の二人が最初に出会った場所だった。そしてダムール通りへも。Google Mapsはタイムラプス機能でその過去の姿まで見せてくれるのだ。一体赤丸は「きみ」に何を訴えているのか?
 16歳で出会う前のサンドリーヌのことを「きみ」はよく知らない。いつも泣いてばかりいる母親とサンドリーヌは住んでいた。自分の顔が父親と似ていることを嫌い、サンドリーヌは何度も鼻を整形していた。明るく行動的なサンドリーヌは家庭に重い過去を抱えていた。
 「三面記事」ジャーナリストとしてデビューしたての頃、最近の事件のタネがなくなると、過去の事件を掘り起こして迫真の記事に書き直して穴埋めをすることがあった。この町で起こった陰惨な事件、この過去記事に出会った時、「きみ」はこれで行こうと決め、一気に書き上げた。見出しは:
「ダムール通りの惨事:娘の目の前で、父親が息子を殺したのち自殺、死者3名」
この記事は当時センセーションを起こし、多くの読者に読まれた。アリアーヌは自慢だった。これを読んだサンドリーヌは記事リンクをアリアーヌに送り、これを書いたのは本当に「きみ」なのか、と問い詰めた。「そうよ、陰惨でしょ」と「きみ」はサンドリーヌに返事した。
 記事見出しを注目していただきたい。娘の面前で、父親が息子を殺し、自分も命を絶った。勘定すれば死者は二人である。これを新米記者アリアーヌは「3名」と間違ったが、記事はそのまま印刷され世に出た。このダムール通りの住人一家がサンドリーヌの家族であり、生き残りの「娘」がサンドリーヌだった。赤丸に誘導されて、記事の15年後にダマール通りのヴァーチャル空間に連れてこられた「きみ」は、初めてこの事実を知るのである。そして「きみ」は記事の上で生き残ったサンドリーヌも殺していたのだ、と....。サンドリーヌを殺したのは「きみ」なのだ...。
 「きみ」はなんとかしてサンドリーヌに会って詫びなければならない、と赤丸との再会を何度も試みるのだが...。

 小説は読み進めるうちにどこまでが「きみ」の(三面記事的)想像なのか、画面の中のパラレルワールドのものなのか、そんなものはどうでもよくなってしまう。リアルの消滅 ー これはある種病的体験であり、スマホ依存症の極限を見る思いがする。そしてそれはサンドリーヌとの「位置情報の共有」を解除すれば、すべては消えてしまうはずなのだが、それが呪縛的にできなくなってしまっているのだ。ここがね、私は安っぽいヴァーチャル・ミステリーとこの小説を決定的に分かつところだと読んだのですよ。私たちが日常的に手にして目にしている、スマホのヴァーチャル空間の限りなく暗い闇を見る思い、これは驚くべきウルトラ・モダンな文学体験なんですよ。

Lucie Rico "GPS"
P.O.L刊 2022年8月 220ページ 19ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)出版社P.O.L制作の動画:自作"GPS"を語るリュシー・リコ(リコちゃん、と呼びたくなるような可憐さ)

2022年10月30日日曜日

世の中は三日見ぬ間の桜かな

 

Muriel Barbery "Une rose seule"
ミュリエル・バルブリー『ただ一輪の薔薇』

ミュリエル・バルブリーの”京都小説”。当ブログ2022年9月に紹介した最新刊『狂ほしの時(Une heure de ferveur)』の2年前2020年8月に発表されたもの。その最新刊の方が、京都の富豪美術商ハル・ウエノの一生を描いたものであり、フランス人女性モードとの間に出来た娘ローズ(生まれも育ちのフランス)を40年間(秘密に雇ったカメラマン/諜報マンを通じて)娘に知られることなく京都から見守っていたが、死期に娘に遺産相続する意思の遺言状を残す。この前作の『ただ一輪の薔薇』は、時間軸的には逆で、娘ローズがその存在すら知らなかった父親ハルの遺志を確かめるために、初めて日本にやってきて京都に滞在する物語である。私は先に『狂ほしの時』を読んでいたので、すんなり小説の中に入れたが、逆の順序で読むとどうなんだろうか。順序がごっちゃなスター・ウォーズ連作のように脈絡はあとでわかるからいいのかな。
 主人公はアラフォー、独身、子なしの気難しいフランス女性ローズであり、日本の国際法律事務所(原文は"notaire = 公証人”となっているが、その職業は日本にはないから国際弁護士事務所か法律事務所と解釈されたし)から一度も会ったことのない(実はパリで一度会っていることが『狂ほしの時』でわかる)父親ハル・ウエノの遺産相続の件で呼び出され、(費用先方負担で)来日する。このことには憤懣があり、40年も自分を放っておきながら、その故人に今さら”父親”と名乗られることには全く納得のいかないものがある。迎えるのは、ハルの後継者であるベルギー人のポール。20歳そこそこで日本にやってきて、その堪能な日本語と日本文化知識を買われ京都の大物美術商ハル・ウエノに弟子入り、厳しい修行の甲斐あってハルの右腕にまで成長し、年齢は違えどハルとは私的にも深い友情で結ばれるようになった。生前のハルの第一の親友だった陶芸家のケイスケ・シバタですらローズの存在は知らされていなかったが、ポールには打ち明けていた(この辺の事情は『狂ほしの時』に書かれている)。ハルはその遺言でローズに財産を相続させることだけでなく、ローズにそれを受諾させることが難しいことを予め知っていて、そのための手筈/シナリオを立ててその実行をポールに託したのだった。それは7日間の時間をかけて、ローズに京都の東西南北にあるハルに縁りのある寺、旧跡、墓地、料理屋などを訪問させるということだった。

 ローズが京都で宿泊する鴨川沿いにあるハルの邸宅には、長年ハルに雇われハル邸の家事全般と会計帳簿を担当しているサヨコという年配の女性がいる。ぶっきらぼうで言葉少ないが、ハルから全幅の信頼を預かった重要人物であり、『狂ほしの時』では予言めいたことも口にし、ケイスケはこの女性を”キツネ”の化身と思っている。毎朝花を生け、その花に合わせた花模様の着物を身につける。ローズの職業は植物学者(ボタニスト)であり、この生花や京都の庭園の植物に敏感に反応している。小説は12章に分かれていて、各章にプロローグとして中国や日本の植物にまつわる故事(牡丹、なでしこ、つつじ、あやめ...)が紹介され、物語は花・植物と混ざり合って進行する。
 サヨコは片言の英語でローズにその日の予定やポールからの伝言を伝える。ハル邸のお抱え運転手のカントともコミュニケーションは片言英語である。この言葉少ない日本人にも打ち解けず、ローズはこの意思に反しての日本滞在への苦々しさと怒りはなかなか消えない。ましてや滞在最初は言われるがまま、されるがままで、日本円も携帯電話も持たされず、スケジュールをこなすだけの囚われ人であった。1日目、運転手は銀閣寺にローズを連れていく。何の説明もなく、わけもわからず、であるが、固く閉ざされていたローズの感受性は少しずつ刺激されていく。それは未体験者/予備知識ゼロ者の”京都発見”におおいに関わっているのだが、さまざまな名勝を描写するミュリエル・バルブリーの筆力の見事さに惹き込まれるフランス人読者も多かろうと思う。もちろん最初ローズはまったく心動かされるものがなかったのに、徐々に徐々に...。
 初日の銀閣寺で、ひとりの英国人女性ベス・スコットと遭遇する。後日この女性が生前のハルと関係の深い人物(一時は愛人でもあった)と知るのであるが、古くから京都に住んで京都を愛していると一面的に理解したのか、ローズはこの女性の言うことにいちいち引っかかる。初対面でのこのやりとりは非常に興味深い。

ー 日本は人々が非常に苦難の数々に晒されている国だけど、人々はそれに頓着していない。その不幸への無関心の報酬としてこれらの多くの庭園をいただき、そこに神様たちが降りてきてお茶を飲むのよ。
ー そうとは思わないわ。苦難を報酬するものなど何もないわ。
ー ほんとうにそう思う? (とイギリス人女性は尋ねた)
ー (ローズは言った)傷ついた人生、それを待つことなど何の得にもならないことよ。
イギリス人女性は顔をそむけ、銀閣を凝視することに没頭していった。
ー もしも苦しむことに心の準備ができていないということは、生きることの準備もできていないのよ。(p19)


日本は多くの苦しみに苛まれているが、人々は耐え忍び、それを鎮めるモニュメントがいたるところにあり、神様たちとたたずむ場所がある ー このテーマは本書でも何度か繰り返される。自然災害や大地震など、日本のそれは(恵まれたフランスのようなところにいる)西欧人の目から見れば大変なものだと思う。日本で生きることは苦しむことだが、それと共生するための”美”がある。
 第一日めの午後、美術商ハルの後継者のベルギー人ポールと初対面。お互いに第一印象は良くない。ポールは故ハル・ウエノの遺志だけでなく、ローズの全く知らないハルの人となりについて少しずつ話し始めるのだが、40年間父から放棄されていたと思い込んでいるローズの憤りと京都という異郷にいる居心地の悪さは容易に消えはしない。『狂ほしの時』でも同様だが、この小説でも酒と料理はふんだんに登場する。酒豪であったが酩酊することが一度もなかったハルのDNAか、ローズはよく呑む。料理屋でポールが「ビールか酒か?」と聞くと「両方」と答えるローズ。だがこの酒がローズとポールの険悪な会話を柔和にするというわけではない。
 『狂ほしの時』はハルの生涯という長い年月のタームで展開するが、雪のシーンが多く登場する。雪降る京都がいつも背景にあるような。それに対してこの『ただ一輪の薔薇』は、展開される時間が一週間ほどで、梅雨(mousson)の時期で、雨降る京都である。透明ビニール傘が欠かせない。
 ハルが望んだローズの京都めぐりの2日目は詩仙堂へ。つつじ。バルブリーの描写が素晴らしい。その日、ローズはポールに導かれてハル邸の奥にある隠された書斎の壁一面に貼られた40年分のローズの隠し撮り写真と対面し、衝撃と激しい怒りでその場に膝を折って沈んでいく。「ハルは一日とてあなたのことを思わなかったことはない」とポールは慰めるのだが...。
 大徳寺高桐院)、真如堂、くろ谷墓地(ハルの墓だけでなく、ポールの妻クララ、ケイスケ・シバタの妻と子供の墓もある)、南禅寺(やっぱり昼食に豆腐を食べることになる)、龍安寺(観光客で混み合う時間を避けて、朝早く訪問。この石庭をローズは「巨大な猫の砂場のようだ」と喩える)、そして嵐山西芳寺(苔寺)...。私は(50数年前の高校修学旅行を除いて)全くの京都知らずなので、このバルブリー描くイマジナティヴなローズの京都名勝めぐりにうっとりしてしまった。なぜ人々はこの庭園に来て心を鎮めるのか、なぜハルは京都を愛したのか。この環境の中で、ポールはローズにハルの人物像、そしてハルと共に歩んだ人々(陶芸家ケイスケ、ポール、ベス・スコット、サヨコ、カント...)のこと、そしてポールがハルから聞き知っている限りのモード(ローズの母)とローズの祖母ポール(Paule)のことを語っていく。父親ハルに固く心を閉ざしていたローズが、一日一日と雪解けていく。
 ハルと何十年と寄り添って生きたサヨコは、ローズの印象を "volcano ice lady”と言った。火山と氷を合わせ持った女。それはハルの目と同じだ、と。火と氷の目。そしてベス・スコットは二、三度ローズと茶屋で茶を汲み交わしただけで、ポールとローズが似たもの同士であると見抜いた。そして、ローズは最初の敵愾心から打って変わって、数日後にはポールに強く惹かれるようになる。この豹変をその目で見たベスが、ポールに”日本語で”こう言うのである。

世の中は三日見ぬ間の桜かな (p144)
ふだんはフランス語で会話する英国人女性とベルギー人男性が、その場にいる(日本語の全くわからない)フランス人女性の頭ごなしに日本語で「世の中は三日見ぬ間の桜かな」と、日本の風流人のように決め台詞を放つ。チョーンっと拍子木を合わせたいようなシーン。笑っちゃいますよね。だがこの諺はハルのローズへの遺言の最初のフレーズであることも、小説の終わりの方でわかる。

 小説のタイトルとなっている「ただ一輪の薔薇 Une rose seule」は、ライナー・マリア・リルケの詩からの引用である。
ただ一輪の薔薇、それはすべての薔薇、
そしてまたひとつの薔薇(高安国世 訳)
これはケイスケ・シバタとハル・ウエノが愛した詩だった。たった一輪の薔薇が、これまで咲いたすべての薔薇を内包するという、ひとつがすべてというヴィジョン。お分かりかな、お立ち会い? この小説はこのようななんとなく「なるほど」なんとなく「納得」という無説明の禅問答のような故事やダイアローグが多く登場する。そこにいるとなんとなく「ありがたく」なんとなく心の平静を得られるような京都の庭園空間のようなものか。私は『狂ほしの時』のレヴューの最後に「狐につままれる」という表現を使ったのだが、ミュリエル・バルブリーの京都は狐も神様も姿を見え隠れさせる世界である。ただ一輪の薔薇であったローズは、京都ですべての薔薇であることを悟る、という謂と解釈してもいいのではないか。
 ハルがローズに遺した手紙(ポールがフランス語訳している)を最後に読む、という大詰めがある。どれほどハルがローズを想っていたことか。その手紙の自筆原文(日本語)の最後にハル・ウエノは正真正銘を証明する印璽を押印してあったが、その印璽に彫られていたのは漢字二文字の「薔薇」であった、という話なんだが、これはくどいし、しつこい。巨万の富を築いた美術商の印璽が...。

 日本文化と京都にたいへん造詣の深いミュリエル・バルブリーの労作である。次作の『狂ほしの時』と同じように、日本/京都の描写表現のディテールについては重箱のスミをつつきたくなる部分がままある。しかしそれはそれ。一生暗く情緒が傷ついていた母親モードに大きな愛情を注がれず、ましてや父親には全く接点がなく、気難しく40年生きてきたローズが、一週間の京都滞在で自分が誰か、自分の居場所はどこかを見出してしまう物語。日本と中国の故事、生花、茶、京都の名勝、料理屋、梅雨... などがローズの心にどう影響していくのか、決してわかりやすいわけではない。それでも読者はなんとなく「納得」するように読めてしまうのでしょう。

Muriel Barbery "Une rose seule"
Actes Sud Babel文庫刊 2022年5月 160ページ 6,70ユーロ (単行本刊 2020年8月)

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)アクト・シュッド社のプロモーションヴィデオで『ただ一輪の薔薇』を紹介するミュリエル・バルブリー


2022年10月26日水曜日

エリザ、エリザ、僕の首に飛びついて

2022年10月3日、セルジュ・ゲンズブールの最初の妻だったエリザベート・レヴィツキーがブルターニュ地方の老人施設でひそかに亡くなった。96歳だった。訃報の公けの発表は死後三週間後になされ、われわれが報道で知ったのは10月24日のことだった。職業は画家と記されている。将来画家になるはずだった若い二人が出会った時、エリザベート(愛称リーズ)は21歳、リュシアン・ギンズブルグ(のちのセルジュ・ゲンズブール)は19歳だった。二人が一緒だった10年間の日々のあと、リュシアンは画家にならずに音楽家「セルジュ・ゲンズブール」になり、二人は離婚する。
 1991年に62歳で亡くなったゲンズブール、その19年後の2010年にリーズ・レヴィツキーはリュシアンとの"40年”の関係を暴露する告白手記本『リーズとリュリュ』を発表し、それまで幾冊も刊行されたゲンズブール評伝本に書かれなかった多くの”裏事情”を白日の元に晒した。この本の発刊に文字通り飛びついて、私はラティーナ誌2010年6月号に4ページ記事を書いた。あちら側でゲンズブールと再会しているであろうエリザベート・レヴィツキーの冥福を祈って、その記事を以下に再録します。

★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★


この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で、2010年6月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。
 
「ゲンズブールが自作画すべてを焼いて捨てたというのは作り話」(リーズ・レヴィツキー)

(In ラティーナ誌2010年6月号)

ルジュ・ゲンズブール(1928 - 1991)の生涯についてはたくさんの評伝本が書かれ、その表側はよく知られている。数ある伝記本の中で、正史本であるとされているのがジル・ヴェルラン(1957 - 2013)著『ゲンズブール』(2000年アルバン・ミッシェル社刊)という750ページの大著である。2010年1月に公開されたジョアン・スファール監督映画『ゲンズブール(その英雄的生涯)』も、多くの資料根拠をこのヴェルラン本に拠っている。ゲンズブールの晩年の証言をもとに、ほとんどゲンズブール/ヴェルランの二人三脚で書かれたとされるこの本の穴は、本人の記憶を尊重するがゆえに、本人が忘れ去りたいことは軽んじられる、あるいは無視される、ということである。そして多少本人の意思で書き換えられた過去もある。それはヴェルラン本の偉業をいささかも傷つけるものではない。この中心的な正史本があるからこそ、数々の外伝本が補って多面体的でしかもその各面が相反して逆説的なゲンズブール像が鮮明になっていくのである。
 その外伝本のひとつにベルトラン・ディカル(フィガロ紙のシャンソン/大衆音楽担当のジャーナリスト)著『ゲンズブール入門10課(Gainsbourg en dix leçons)』(2009年ファイヤール社刊)がある。その人と作品を「遅延する」「失望する」「挫折する」「売却する」「衝突する」「忍耐する」「勝利する」「持続する」「浪費する」「死ぬ」という10の動詞を章テーマにして解説した評伝である。この本の執筆のためにディカルはゲンズブールの最初の妻エリザベート・レヴィツキーと接触し、インタヴューを重ねていくうちに、その数々の証言のあまりにも偶像破壊的な裏事実に驚愕し、こうして独立した一冊の手記本として発表することを思い立ったのである。
 ジョアン・スファール映画の中で、画学生リュシアン・ギンズブルグがモンマルトルのデッサン教室で出会った2歳年上の女画学生がエリザベートで、彼女はどういうわけかサルバドール・ダリのパリのアパルトマンの鍵を持っていて、ダリ不在中に二人がダリの寝室で愛し合うというシーンがある。リュシアンが喰うや喰わずのボエームの生活をしていた頃である。
 750ページあるヴェルラン本では、エリザベート・レヴィツキーは81ページめ、1947年にリュシアンと出会うところから登場し、その42ページ後の123ページめ、1957年にリュシアンと離婚する、というところで姿を消している。彼女がゲンズブールと関わった時期はわずか42ページの時間という勘定だ。二人が出会った時エリザベートは21歳、リュシアンは19歳。この10年間の二人の関係をヴェルラン本は詳しく触れない。しかしこの10年間にリュシアンに何が起こったのか(絵画の道を捨ててシャンソン作家になる、リュシアン・ギンズブルグからセルジュ・ゲンズブールになる)を考えると、この10年を共に生きたエリザベートという女性がゲンズブール史において重要な鍵を握った人物でないわけがないのだ。それまであたかも若気の過ちのように言われていたゲンズブールの最初の結婚、それとその後の、二人の子供をもうけながら、養育費も払わず、ゲンズブール史のタブーのように扱われているフランソワーズ=アントワネット・パンクラッジ(別名ベアトリス)との二度目の結婚、この二つがゲンズブール伝の暗部で、生前ゲンズブールが多くを語ろうとしなかった過去である。
 
 リーズ(エリザベート)・レヴィツキー(+ベルトラン・ディカル)著『リーズとリュリュ』(2010年4月ファースト・ドキュメント社刊)は、1991年3月にゲンズブールが他界してから19年の月日が経ったところで、最初の妻が沈黙を破って発表した手記本である。リュシアンは彼女をリーズと呼び、リーズは彼をリュリュと呼んだ。彼女は「セルジュ」という名を忌み嫌っている。この芸名はリーズに対する嫌がらせとして付けられた、と彼女は確信している。
 その名を選んだ理由として「セルジュというのはロシア人ぽいだろう?」とだけリュシアンは言った。
 リュシアンもリーズもロシア・ボルシェヴィキ革命(1917年)を逃れてフランスに流れ着いたロシア人家族の子であるが、バックグラウンドは全く異なる。ギンズブルグ家はユダヤ人であったがゆえに、レヴィツキー家は貴族であったがゆえに、それぞれソヴィエトを恐れて亡命した。『リーズとリュリュ』の前半3分の1を占めるリーズ・レヴィツキーの生い立ちも凄絶なものだ。暴力をふるう父親と男癖の悪い母親。フランスに移住してもロシア大貴族の家系であったその一族郎党はみな一様に共産主義者とユダヤ人を忌み嫌い、第二次大戦中にリーズの父親は自ら志願してナチス親衛隊入りし、ポーランドでロシア語通訳として従軍中に行方不明になった。父はナチスがロシアを共産主義者の手から奪い返し、自分たち貴族の領地を取り返すことができると信じたのだ。その自らナチスとなって姿を消した父親の名はセルジュ。
 気位だけが高い旧貴族の環境に耐えられず、リーズは成人(21歳)と共に家を飛び出し、パリで念願の絵の勉強を始める。
 ギンズブルグ家では父親ジョゼフの頑なな芸術観が少年リュシアンに重くのしかかる。画家を目指す息子に、ジョゼフはそれが「メジャー芸術」であることを絶対の条件とし、そのメジャー芸術家となる滑り止めとして建築を並行して学ぶことを条件に画学校に入学することを許す。ゲンズブールにとってメジャー/マイナー芸術という定義は一生つきまとった問題であったが、絵画、彫刻、建築、クラシック音楽などが時代を越えて生き続ける"大(メジャー)芸術”であり、シャンソンやジャズといった大衆音楽や映画や通俗文学などは一時のメシの種でしかない”小(マイナー)芸術”と見做された。
(←自作の絵を前にしたリュシアン・ギンズブルグ)
 モンマルトルの画学校でリュシアンと出会ったリーズは、この内気ながらも高慢な青年に絵画の天才を直感している。自ら画家を目指していたリーズは、リュシアンという人物よりもその天才を愛していたきらいがある。彼女はリュシアンが世界的な画家として20世紀芸術に名を残すはずだと確信する。二人は愛し合い、絵画や文学を語り合い、リュシアンのためにリーズは裸婦モデルとなり、毎日曜日にはルーヴル美術館(当時は日曜日入場無料)に通った。まるでシャルル・アズナヴールのシャンソン「ラ・ボエーム」のように、若いアーチストの卵の二人は喰うや喰わずの生活を送っていた。リュシアンは喰うためにバーでギターとピアノを弾き、リーズは下着メーカーのモデルや画商の秘書をしていた。
 その生い立ちから旧貴族の封建性に反逆したリーズは、一族郎党が仇敵としていた共産党に入党し、シモーヌ・ド・ボーヴォワールを手本とする自由恋愛を標榜し、リュシアンの他にも愛人を持っていた。ダリなどシュールレアリスムと交流を持ち、現代絵画に大きく影響され画風が抽象的だったリーズに対して、リュシアンの天才は古典的で具象的な画風で花開くはずだった。リーズは一枚でも多くリュシアンに絵を描いてほしいと願うのだが、リュシアンはなかなか絵筆を持とうとしない。
 1948年リュシアンは兵役に取られ、その期間に彼は一生つきまとうことになるアルコール中毒に陥る。その兵舎の中で、のちにゲンズブール代表曲のひとつとなる「エリザ」の原曲を作った。
エリザ、エリザ、
エリザ、僕の首に飛びついておくれ
エリザ、エリザ、
僕の髪の毛のジャングルの中から
きみの繊細な指と爪で
ノミを探し出しておくれ、エリザ

兵舎に慰問に行ったリーズは、上官の監視つきの面会室で、幾多の面会人と新兵によって座られたであろう長椅子に座って面会し、その長椅子からシラミをうつされたと言う。ノミやシラミが恋の歌に登場する時代だったのだろう。エリザ(ベート)を歌ったこの歌は、のちに「きみは20歳、僕は40歳」という歌詞が加えられ、ジェーン・バーキンに捧げられることになる。
(ゲンズブールのシングル盤「エリザ」1969年→)
 「作詞作曲をするのは、これで小銭を稼いで絵の具と絵筆を買うためさ」とリュシアンはリーズに言っていた。リーズはそれを信じていたが、小銭が入っても彼は一向に絵を描こうとしない。ピアニスト稼業、アルコール、作詞作曲、この3つが彼の主な日課になっていく。
 1951年、結婚はリュシアンの側からの頼みだった。ボーヴォワール流の自由恋愛を信条としていたリーズは反対だったが、強引な「結婚するか別れるか」の脅しに負けて、リーズは黒衣で結婚セレモニーに出席している。この婚姻関係は1957年まで6年間続く。
 その間にリュシアンはいよいよ大衆音楽の世界に吸い寄せられ、ヴァカンス期には北部フランスの海浜保養地トゥーケで専属ピアニストとなり、パリではピガール地区の女装キャバレー「マダム・アルチュール」に父ジョゼフの後任としてピアニスト兼楽団指揮者、次いで右岸のシャンソン・キャバレー「ミロール・ラルスイユ」(その看板スターはミッシェル・アルノー)に伴奏者として契約。シャンソンの世界の深みにはまっていく過程でかのボリズ・ヴィアン(1920 - 1959)との邂逅が、リュシアンのシャンソン作家としての方向性を決定したと言われる。そしてリーズの切なる願いも叶わず、リュシアンは全く絵を描かないようになる。

 伝説はここで、マイナー芸術(シャンソン)かメジャー芸術(絵画)かの選択を悩み抜いた末に、リュシアンがそれまで描いた絵をすべて燃やしてしまう、という劇的な事件があったとしている。ところがリーズの証言は違う。燃やすほどの数の絵をリュシアンは描いていない、と言うのである。リュシアンの絵画との決別は、現代絵画に自分の場所はないと悟ったからである。
 1958年6月5日、パリ4区サン・ルイ島のリーズの友人である画商宅の豪華アパルトマンに、正装したパリ中のアート関係者と世界の画商とコレクターを集めて、”青の単色画家”イヴ・クライン(1928 - 1962)が作品の実演創作を行う。床一面に敷かれたキャンバスに、バケツ2つ分のクライン・ブルーの塗料がまかれ、ヌードモデルを絵筆にみたてたクラインがその裸体をかかえて、塗料の上を何度も何度も動かしていく。パフォーマンスが終わり、一瞬、唖然とした沈黙が流れたのち、「ブラボー!」の大喝采が場内に響く。そしてその場で作品は競りにかけられ、値段はどんどん上がっていく。リーズに誘われてその場に来ていたリュシアンは激怒し、このスキャンダルを大声で呪い、その激昂のあまり呼吸困難に陥り、その場に倒れてしまう。
 リーズはこの晩にリュシアンは絵画と決別したのだ、と言う。翌日彼はリーズに「もしもあれがモダンアートだと言うのなら、俺には何も見るべきものがない」と語っている。
 若きリュシアンに絵画の天才を見、それを大成させたいと、喰うや喰わずの苦労を分かちあってきたリーズは、シャンソンばかりで絵を描かなくなったリュシアンに、半分は懲らしめの意味、半分は刺激を与える意味で、この機会を持った結果、そのショックは画家リュシアンに鉄槌を下すことになった。
 リーズはここで自分とリュシアンの生活はメジャー芸術に挫折することで失敗に終わったのだと述懐する。その後悔、その悔恨はゲンズブールに一生ついてまわるのである。
 
 これで二人の関係は終わるはずだった。少なくともジル・ヴェルランの正史本では最初の妻エリザベート・レヴィツキーはここから以後姿を消している。ところが離婚の届け出を済ませたその夜、二人はお互いの自由を取り戻したことを祝って、シャンパーニュを数本買ってホテルで愛し合うのである。酔った勢いでリュシアンは酒瓶を割り、「血の婚姻」の儀式をしよう、と言う。それはジタン(ロマ)に伝わる風習で、夫婦間でするものではなく、二人の大人がお互いの血を混ぜて、生きるも死ぬも一緒と誓い合うことだという。二人は割った酒瓶のガラス破片で、右手の掌を十字に切りつけ血を流させ、その二つの手を重ね合わせて血を混ぜ合わせた。そしてリュシアンは誓いの言葉を唱えた「われら二人は血を混ぜ合わせた。よってわれら二人はこれより生きるも死ぬも一心同体である」。

 1947年の出会いから1957年の離婚までで消えていたはずのリーズ・レヴィツキーは、その後も頻度は一定ではないが(週に一度、月に一度、3ヶ月に一度...)ゲンズブールと逢瀬を重ね、その関係は40年を越すのである。リーズはゲンズブールを呼び出すことは一度もない。ゲンズブールがリーズを呼び出すのである。しかもいつも同じ口調の電話で。
C'est moi. Viens tout de suite.
俺だ、すぐに来い。

この声を聞くと、リーズはすぐにタクシーを飛ばして彼のもとに行くしかない。それが緊急のSOS発信であることを知っているから。
 往々にしてそれは目下意中の女性との関係で傷ついたり悩んでいるケースが多く、リーズはそれを精神分析医のように聞いてやり、助言を与え、自らの肉体で慰めもする。フランソワーズ=アントワネット・パンクラッジ、ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキン、バンブーその他、彼を幸福にも不幸にもした女たちへの愚痴をリーズはすべて聞いている。「俺だ、すぐに来い」は生涯続くのである。かの血の婚姻の儀式で盟約したように。

 1991年3月2日土曜日、午前10時に電話が鳴る。こんな時刻にリュリュは電話してきたことがない。そしていつもの「すぐに来い」のセリフがない。彼はその三日後のリーズの誕生日に何が欲しい、と尋ねる。そして初めて二人は電話で長い時間雑談をするのである。ひとしきりの雑談が終わると、彼は突然口調を変え、怒りの声になる。「俺は死にたくない。俺はもう死んだようなもんだ、わかるかい? 俺はもう勃起しないんだ、もうセックスもできないんだ、こうなったらバンブーもずらかってしまうんだ!」・・・・・・ その数時間後、パリ7区ヴェルヌイユ通りのゲンズブール邸で、ひとりひっそりとリュリュは息を引き取るのである。

 この手記本の帯には「ゲンズブールとの40年の恋」とある。ベルトラン・ディカルはリーズの元原稿で書かれていたことを大部分尊重したと言うが、あまりにも暴露的なところは抑えるようにしたとも証言している。それでも、リュシアンがキャバレーの楽団員たちに集団強姦されるシーンや、彼がその女主人と懇意になって通うようになったパリ16区の娼婦館で、娼婦を買うだけではなく、自分の肉体も売っていたことなど、驚くべき裏事実も証言されている。
 この本のプロモーションでテレビ出演したリーズ・レヴィツキーに、これだけの真実をゲンズブールと分かち合ったあなたこそ、ゲンズブールの「ファム・ド・ラ・ヴィー(Femme de la vie、生涯の女性)」だったのですね、とインタヴュアーが問うと、きっぱりと否定して「ゲンズブールに”生涯の女性”は二人います。それは彼の母と娘のシャルロットです」と断言した。傷ついた掌を重ねて血を混ぜ合わせたリュリュとリーズよりも、ゲンズブールは血でつながった母と娘を愛していた、ということか。
 手記『リーズとリュリュ』は愛情あふれる回想録とはほど遠い。むしろ苦々しさが随所に見てとれる。その通奏低音はゲンズブールとリーズ・レヴィツキーが一生分かち合ってきたものが、メジャー芸術への悔恨であった、ということである。84歳のリーズはこのデーモンのような悔恨を死ぬ前に祓いたかったのかもしれない。

(ラティーナ誌2010年6月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)

(↓)2010年5月、TVフランス5の番組"Café Picouly"(ホスト:ダニエル・ピクーリ)に出演したリーズ・レヴィツキー


2022年10月19日水曜日

いにしえの(女流)浪漫詩のシンセポップ化

Ezéchiel Pailhès "Mélopée"
エゼキエル・パイレス『調べ(メロペ)』

初めて聴いたアーチストだが、2013年からすでに3枚のソロアルバム(+ダニエル・ラフォールと共作のブルーノ・ポダリデス監督映画"Bancs Publics"のサントラアルバム)を出していて、その前は2001年からエレクトロ・ポップ・デュオ Nôze (アルバム5枚)として活動していた人。現在年齢46歳。コンセルヴァトワールでクラシック・ピアノ次いでジャズ・ピアノを学び、ジャズマンとなるはずだったが... (エレクトロに転向)。
 2020年の3枚めのアルバム"Oh!”の中で、19世紀の浪漫主義詩人マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール(Marceline Desbordes-Valmore 1786 - 1859)の3篇の詩に曲をつけてエレポップ仕上げの歌にしている。古典詩にインスパイアされる傾向があるようだが、20世紀のシャンソンの巨星たち(トレネ、フェレ、ブラッサンス、ムスタキ等)がランボー、ヴェルレーヌ、ボードレールなどに曲をつけて歌ったのとは、やや趣きが異なるようだ。
 2022年のこの新作『メロペ』は1曲のインストルメンタルを含む11曲入りだが、そのうち8曲がこの古典詩に曲をつけたもので、そのすべてが女流詩人(ポエテス)の作品である。上述のマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモールが4篇、ルネ・ヴィヴィアン(Renée Vivien 1877 - 1909、彩流社より日本語訳詩集→写真)が3篇、そしてルネサンス期のリヨンの詩人ルイーズ・ラベ(Louise Labé 1525 - 1566)が1篇となっている。
 ランボーとヴェルレーヌに多大な影響を与えたと言われる近代浪漫主義詩のパイオニアであるマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモールの詩を歌曲化した例は古今多数あり、同時代人カミーユ・サン=サーンス、ジョルジュ・ビゼーをはじめ、われわれの時代ではジュリアン・クレール、パスカル・オビスポ、ヴェロニク・ペステルなども。
参考作品として(↓)ジュリアン・クレール "Les Séparés"(N'écris pas)"(1997年アルバム『ジュリアン』)


というわけで、ジュリアン・クレールの古典詩へのアプローチはたいへん折り目正しく格調の高さも感じられるのだが、このエゼキエル・パイレスの制作態度はどうなんだろうか。アルバム冒頭第一音からそこはかとないメランコリーが全体を包むのだけど、始まるのは繊細で小洒落たエレクトロシンセポップなのだよ。思わず首が振れてしまう心地よいリズムとピコピコ音。これは誰も古典的な名詩だと意識しないで聴いてしまうと思うが、それでいいのか?

例えば5曲め「エレジー(哀歌)」、詩はマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール。

たぶんあなたに会う前から私はあなたのものだった
私の命は形になる過程ですでにあなたのものと約束されていた
あなたの名前は予期せぬときめきによって私に告げられた
あなたの魂は私の魂を目覚めさせるために潜んでいたのだ
 
あなたの声は私を青ざめさせ、私の目は下を向いた
交わされた沈黙の視線のうちに、二人の魂は抱きあっていた
この視線の奥に、あなたの名前が明かされた
それを問うことなく、私は思わず声を上げた、これこそその人だと!
 
ある日その声を聞いた時、私は声を失った
その声にしばらく聞き入り、私は答えることを忘れてしまった
私の存在とあなたの存在は見分けがつかなくなり
私は生まれて初めて名前を呼ばれたと思った

あなたはこの奇跡を知っていたの? あなたのことを知らずに
私はその名で私の恋人と見抜いた
あなたの声の響きを聞いただけでそうとわかった
私のやるせなくも美しい日々をあなたは輝かせてくれた

その声が私の驚いた耳に届いたとたん
耳はそのとりこになり、狂喜した
私はそれだけで私のこの上なく甘美な感情の数々を表現できた
私はそれを集めて、誓いの言葉を書き著した

その名が私を愛撫し、私はその息を吸い込む
愛しい名前! すてきな名前! 私の運命のお告げ!
なんてこと! あなたは私を魅惑し、あなたの優美さが私を射抜く!
まるで私の口を閉ざす最後の接吻のよう

もうちょっと優雅に翻訳するべきなんだろうが、だいたいこんな感じ。古風な”激情恋慕”の表現だと思うが、(19世紀的には)大胆な女性のエモーションが伝わってくる。それがエゼキエル・パイレスの音楽世界ではどうなるのか?

ストロマエのラテン趣味("Tous les mêmes"、"Santé"...)をほうふつとさせる、軽妙エレクトロ・ハバネラになってしまうんですよ。ジュリアン・クレールとはずいぶん方法論が異なるということがわかると思う。

 次に必殺のアルバムタイトル曲「メロペ」(3曲め)であるが、これはルネ・ヴィヴィアン(←写真)の詩。32歳で夭折し、同性愛者詩人として「1900年のサッフォー」とも呼ばれたこの詩人に関しては日本でもかなり知られているようで、グーグルジャパンで「ルネ・ヴィヴィアン」と検索するとたくさん項目が出てくる。仏語ウィキによると、あの時代に日本へ旅行したことがあるようだ。「メロペ」は初めてラジオFIPから流れてきた時は、わおっ、これはキラー・チューンのエレクトロ・ズークボッサだなぁ、と感心したにとどまっていたのだが、詩がこんなだったとは全く思いませんでしたよ。
流れる水のようなおまえの声で語っておくれ
告白のささやきがゆるやかになったら
冷やかしや残酷な言葉も言ってもいい
そして酔わせるような調べ(メロペ)で私を揺すっておくれ
 
私をしんみりさせたり喜ばせたりしてくれるおまえのくぐもった声で
私の額がおまえの波打つ髪にうもれる
おまえの望み、おまえの悔い、おまえの願いを表してくれ
おお、私の妙なる調べを奏でる恋人よ

おまえの姿は稲妻
おまえの微笑みは一瞬だけ
おまえを切望する声がすると
おまえは逃げてしまう、おお私の望みよ
 
おまえの姿は稲妻、つかまえようとしても腕の中はからっぽ
おまえの微笑みは一瞬だけ、とらえることができない
おまえを激しく切望する声が私の唇から発せられると
おまえは逃げてしまう、おお私の望みよ

おまえはシメールのように襲うことなく軽く触れていくだけ
いつもおまえの満たされない望みを差し出していく
この苦悶にまさるものはない
おまえの希なくちづけの苦い陶酔よ

私はおまえの声、その優しい歌を聞き続けるだろう
私は何も理解できなくなっても聞き続け探すだろう
さもなくばすべてを忘れるか、うとうとと眠ってしまう
 
もしもほんの一瞬でもおまえが歌うのをやめても
その沈黙の奥から私は聞くだろう
なにか恐ろしいものがすさまじい声で泣いているのを

おまえの望み、おまえの悔い、おまえの願いを表わしてくれ
そして酔わせるような調べ(メロペ)で私を揺すっておくれ

ひどい訳でごめんなさいだけど、だいぶ(ヴェルレーヌやボードレールに近い)象徴主義的詩風になっているのがわかるかしら?レスビアンの恋情が高踏的な表現で綴られているわけだが、この詩で表現されている音楽はやはり高踏的でないとまずいんじゃないか、と思うわね。ところがエゼキエル・パイレスの手にかかると... 。



 そして今回のアルバムで取り上げられたもうひとりのいにしえの女流詩人が16世紀ルネサンス期のルイーズ・ラベ(→写真)。この人も日本で研究書が複数出ているようで、グーグルジャパンで「ルイーズ・ラベ」と検索してみたら、いろいろわかる。日本語ウィキで、網紐商人の夫人となったルイーズの異名である「ラ・ベル・コルドニエール(La belle cordière = 美しい網紐商夫人)」を「網屋小町」という訳語で紹介しているのには笑った。それはそれ。エゼキエル・パイレスがこのアルバム『メロペ』の最終曲(11曲め)にルイーズ・ラベの詩をもってきたのはそれなりにわけあってのことだろう。
私の目が涙を流せる限り
私の手が網紐を引っ張れる限り

あなたとの過去を悔い
涙とため息を抑えようとする時
私の声はほんの少しものを言う

可憐なリュートに合わせ、あなたの優美さを歌う
魂があなたのことを理解することしかできないことに
甘んじている限り

おお甘美な視線よ、おお豊かな美をたたえた眼よ
私はそれを自信をもって言いたくはない

おお優しき睡りよ、おお私の幸福な夜よ
心地よい休息、静けさに包まれ
私の夢を毎夜見させ続けておくれ

万が一私の哀れな恋する魂が
現実の世界で幸福を知らぬことになろうとも
せめてその幻想だけでも見させてやっておくれ

中世フランス語の韻文なので、雅(みやび)な古文風な日本語で訳すべきところであろうが、私にはそういう教養がないのでごめんなさい。ルネサンス期の(女性の)恋歌である。16世紀にこの女流詩人が切り開いた自由な浪漫詩への敬意/オマージュがあってしかるべきところであるが、エゼキエル・パイレスはこんなふうなのだ(↓)

ロマンティックなピアノと、アンニュイで渋めなクルーナーヴォーカル、後半の弦サンプルの厚めなバックトラック、これは中世浪漫詩とはかなり距離がある、ウルトラモダンなチルアウト音楽ではないですか。

 46歳の、たぶん機械が揃っていれば何でもできる人。ストロマエを老成したようなヴォーカルとエレクトロセンス。よく練ったメロディー。たいへん驚きました。バロック(baroque)という言葉は「奇異な、風変わりな、異様な、(真珠が)いびつな」という意味であるが、音楽(文学/建築/美術)の様式の意味に捉われずにあえて言えば、このエゼキエル・パイレスというアーチストは非常にバロックな人だと見た(聴いた)。

<<< トラックリスト >>>
1. Dors - tu ? (poème : Marceline Desbordes-Valmore)
2. Regard en arrière (poème : Renée Vivien)
3. Mélopée (poème : Renée Vivien)
4. L'attente (poème : Marceline Desbordes-Valmore)
5. Elégie (poème : Marceline Desbordes-Valmore)
6. Prélude (instrumental)
7. La fille de la nuit (poème : Renée Vivien)
8. Ni toi, ni moi (Ezéchiel Pailhes)
9. Le beau jour (poème : Marceline Desbordes-Valmore)
10. Opaline (Ezéchiel Pailhes)
11. Tant que mes yeux (poème : Louise Labé)

EZECHIEL PAILHES "MELOPEE"
CIRCUS COMPANY CC022 (LP/CD/Digital)
フランスでのリリース:2022年10月

カストール爺の採点:★★★☆☆


(↓)"L'attente"(詩:マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール)これはエレクトロ・レゲエバラード。

2022年10月8日土曜日

シンプルな愛と複雑な死

"Un beau matin"
『ある晴れた朝』

2022年フランス映画
監督:ミア・ハンセン=ローヴ
主演:レア・セイドゥー、メルヴィル・プーポー、パスカル・グレゴリー、ニコル・ガルシア
フランスでの公開:2022年10月5日

ア・ハンセン=ローヴ監督の映画を観るのは前作の『ベルイマンの島』(2020年)に続いて二度目。北欧の奇岩島と映画聖人ベルイマンと女性映画作家の難航するシナリオ書きという三題噺が交錯する世にも美しい職人技の(英語)映画(→予告編)。こういう映画撮れる人なので、すごく期待して観た最新作は、現代のパリが舞台の(フランス語)映画。
 ストーリーは前作ほど混み合ってなくていたってシンプル。一方で進行する難病に冒され死につつある父親ジョルグ(演パスカル・グレゴリー)を、必死で最良の条件で旅立たせようとする家族(含む元妻フランソワーズ:演ニコル・ガルシア!すばらしい)の奮闘があり、その中心になっているのが娘のサンドラ(演レア・セイドゥー)である。もう一方に娘リン(演カミーユ・レバン・マルティンス)をひとりで育てる(娘の父親は他界)ことで10年間恋なしで暮らしてきたサンドラが、偶然再会した(娘の父親の親友だった)クレマン(演メルヴィル・プーポー)との間に育ちつつある愛の上昇と下降と再上昇と再下降と...(いたってシンプルなラヴ・ストーリー)。この二つの筋が同時にひとりの人間=サンドラを通して、一方はじわじわと悪化、他方はじわじわと結実へ、という愛と死、エロスとタナトスのクロスする1時間50分。
 まずパトリス・シェローやエリック・ロメール映画の名男優パスカル・グレゴリーが演じる難病で死にゆくジョルグという人物は、年齢こそ明らかにされていないが、70歳前後と想定され、本来ならまだ”現役”という年代。哲学教授/翻訳家として人生のすべてを哲学書との取っ組み合いに費やしてきたような男。ちなみに演じるパスカル・グレゴリーは現在68歳、そしてこの人物のモデルとされるミア・ハンセン=ローヴの父で哲学教授のオレ・ハンセン=ローヴはこの映画のシナリオを書き上げる直前に72歳で亡くなっている。この"現役”のジョルグを突然襲った病気は”神経変性疾患”の一種で、視力と記憶力と言語能力を奪っていく。本が読めない、ノートに書く言葉が出てこない。書物と言葉と論理で生きてきた人間にとって、これはすでに”死”を生きていることに等しいが、それを本人が認識することすらできない。肉体は残っていても、この初老の男は既に”行ってしまって”いる。娘サンドラはそれを直視して立ち会っている。パスカル・グレゴリーの演技はその途方もない悲しみを見事に表現しているのだ。脱帽。
 自宅アパルトマンで書物に囲まれて暮らすことができなくなり、オテル・デュー病院の神経科に入院、現代医学でできることは限られていて(処置なし)、老人施設(Ehpad)へ入居。奇しくも2022年のフランスで、世界的規模で展開する民間老人施設チェーンのORPEA(世界で1200施設、フランスだけで200施設)で収容老人の死亡事故や虐待が次々に告発されるスキャンダルがあった。この映画はその問題とは全く関係はしていないものの、ジョルグはなかなかこの老人施設環境に溶け込めず(そういう施設に入るような”歳”でも"状態”でもない)、サンドラら家族の配慮で、この映画の時間だけで三度老人施設を引っ越している。だが病状は目に見えて悪化していく。私ね、パスカル・グレゴリーと同い年ということもあって、こちら側の病気ストーリーの方は観るのが本当にヘヴィーだったのですよ。
 さてもう一方のラヴストーリーの方はというと、外見は若づくりでも、アラフォーとアラフィフの恋という設定。サンドラは翻訳家/同時通訳という職業があり、国際会議や歴史的式典にも出ていく。クレマンは宇宙化学者(astrochimiste)という隕石サンプルを化学分析する研究者で、妻帯者・子持ち(10歳前後の男児)であるが、妻との愛はとっくに冷めているもののそのままにしている。だからクレマンの側は世間的には"不倫”ということになる。私はね、この”不倫”という言葉が大嫌いで世界中の辞書からこの言葉を削除したいと考えているのだが、それはまた別の機会に。で、あまり変わりばえのない月並みなラヴストーリーなので、妻に気づかれた、もう会わない方がいい、etc etc で映画の時間で二度クレマンは別離を告げ消えていく。泣くのはいつもサンドラ。メイクが薄いせいなのか、結構泣き顔がボロボロなのが、この映画でのレア・セイドゥー。"ボンドガール”まで演った国際的花形スターとはちょっと距離がある今回の役どころであり、映画冒頭で娘リンを小学校に迎えに行く格好が、スウェットにジーンズ(!)という出たちで近所のおかあさんになりきっている。いいですね。
 この関係に微妙に介入するのがサンドラの娘のリンであり、全然性格の悪くない聡明な子なのだけれど、せまい2部屋アパルトマンで、母娘ふたりだけの世界を作ってきた(つまり母を独り占めしてきた)のに...。概ねはこの優しくて子供つきあいのうまいクレマンを許容しているものの、どうしても自分の存在を主張したい本能があり、ある日からリンは(どこも悪くないのに)片足を引きずって歩くようになる(このエピソード、とてもよくわかる)。

 そしてある晴れた朝、サンドラはリンとクレマンを連れて、老人施設にジョルグに会いに行く。記憶も理解も視力もあやふやになっているジョルグに、私が娘のサンドラ、あなたの孫娘のリン、これがこの前話したクレマン、と紹介する。すると施設のスタッフたちが、大広間でショータイムよ、と収容老人たちを連れて移動していく。そこではサンドラ、ジョルグ、リン、クレマンと老人たちの前で、ボランティアのお兄さんお姉さんたちが歌詞カードを配って、みんなで歌いましょう、とミュゼットの名曲「サン・ジャンの恋人」を。なんと、これ、みんな歌うのだよ。老人たち、クレマン、リン、そしてジョルグまで唇を動かしている。この映画でしょっちゅうくちゃくちゃの顔で泣いているサンドラは、ここでも涙が止まらなくなって...。いたたまれなくなったサンドラは、リンとクレマンを連れて老人施設を出て、モンマルトルの丘へ。それがこの映画ポスターに描かれた、笑顔の3人の姿。映画は一方のストーリーの方だけに少し開かれた未来の可能性を与えて終わるのである...。片方だけと言えど、この優しさは例外的であり、心揺さぶられる。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)"Un beau matin"予告編