2022年10月26日水曜日

エリザ、エリザ、僕の首に飛びついて

2022年10月3日、セルジュ・ゲンズブールの最初の妻だったエリザベート・レヴィツキーがブルターニュ地方の老人施設でひそかに亡くなった。96歳だった。訃報の公けの発表は死後三週間後になされ、われわれが報道で知ったのは10月24日のことだった。職業は画家と記されている。将来画家になるはずだった若い二人が出会った時、エリザベート(愛称リーズ)は21歳、リュシアン・ギンズブルグ(のちのセルジュ・ゲンズブール)は19歳だった。二人が一緒だった10年間の日々のあと、リュシアンは画家にならずに音楽家「セルジュ・ゲンズブール」になり、二人は離婚する。
 1991年に62歳で亡くなったゲンズブール、その19年後の2010年にリーズ・レヴィツキーはリュシアンとの"40年”の関係を暴露する告白手記本『リーズとリュリュ』を発表し、それまで幾冊も刊行されたゲンズブール評伝本に書かれなかった多くの”裏事情”を白日の元に晒した。この本の発刊に文字通り飛びついて、私はラティーナ誌2010年6月号に4ページ記事を書いた。あちら側でゲンズブールと再会しているであろうエリザベート・レヴィツキーの冥福を祈って、その記事を以下に再録します。

★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★


この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で、2010年6月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。
 
「ゲンズブールが自作画すべてを焼いて捨てたというのは作り話」(リーズ・レヴィツキー)

(In ラティーナ誌2010年6月号)

ルジュ・ゲンズブール(1928 - 1991)の生涯についてはたくさんの評伝本が書かれ、その表側はよく知られている。数ある伝記本の中で、正史本であるとされているのがジル・ヴェルラン(1957 - 2013)著『ゲンズブール』(2000年アルバン・ミッシェル社刊)という750ページの大著である。2010年1月に公開されたジョアン・スファール監督映画『ゲンズブール(その英雄的生涯)』も、多くの資料根拠をこのヴェルラン本に拠っている。ゲンズブールの晩年の証言をもとに、ほとんどゲンズブール/ヴェルランの二人三脚で書かれたとされるこの本の穴は、本人の記憶を尊重するがゆえに、本人が忘れ去りたいことは軽んじられる、あるいは無視される、ということである。そして多少本人の意思で書き換えられた過去もある。それはヴェルラン本の偉業をいささかも傷つけるものではない。この中心的な正史本があるからこそ、数々の外伝本が補って多面体的でしかもその各面が相反して逆説的なゲンズブール像が鮮明になっていくのである。
 その外伝本のひとつにベルトラン・ディカル(フィガロ紙のシャンソン/大衆音楽担当のジャーナリスト)著『ゲンズブール入門10課(Gainsbourg en dix leçons)』(2009年ファイヤール社刊)がある。その人と作品を「遅延する」「失望する」「挫折する」「売却する」「衝突する」「忍耐する」「勝利する」「持続する」「浪費する」「死ぬ」という10の動詞を章テーマにして解説した評伝である。この本の執筆のためにディカルはゲンズブールの最初の妻エリザベート・レヴィツキーと接触し、インタヴューを重ねていくうちに、その数々の証言のあまりにも偶像破壊的な裏事実に驚愕し、こうして独立した一冊の手記本として発表することを思い立ったのである。
 ジョアン・スファール映画の中で、画学生リュシアン・ギンズブルグがモンマルトルのデッサン教室で出会った2歳年上の女画学生がエリザベートで、彼女はどういうわけかサルバドール・ダリのパリのアパルトマンの鍵を持っていて、ダリ不在中に二人がダリの寝室で愛し合うというシーンがある。リュシアンが喰うや喰わずのボエームの生活をしていた頃である。
 750ページあるヴェルラン本では、エリザベート・レヴィツキーは81ページめ、1947年にリュシアンと出会うところから登場し、その42ページ後の123ページめ、1957年にリュシアンと離婚する、というところで姿を消している。彼女がゲンズブールと関わった時期はわずか42ページの時間という勘定だ。二人が出会った時エリザベートは21歳、リュシアンは19歳。この10年間の二人の関係をヴェルラン本は詳しく触れない。しかしこの10年間にリュシアンに何が起こったのか(絵画の道を捨ててシャンソン作家になる、リュシアン・ギンズブルグからセルジュ・ゲンズブールになる)を考えると、この10年を共に生きたエリザベートという女性がゲンズブール史において重要な鍵を握った人物でないわけがないのだ。それまであたかも若気の過ちのように言われていたゲンズブールの最初の結婚、それとその後の、二人の子供をもうけながら、養育費も払わず、ゲンズブール史のタブーのように扱われているフランソワーズ=アントワネット・パンクラッジ(別名ベアトリス)との二度目の結婚、この二つがゲンズブール伝の暗部で、生前ゲンズブールが多くを語ろうとしなかった過去である。
 
 リーズ(エリザベート)・レヴィツキー(+ベルトラン・ディカル)著『リーズとリュリュ』(2010年4月ファースト・ドキュメント社刊)は、1991年3月にゲンズブールが他界してから19年の月日が経ったところで、最初の妻が沈黙を破って発表した手記本である。リュシアンは彼女をリーズと呼び、リーズは彼をリュリュと呼んだ。彼女は「セルジュ」という名を忌み嫌っている。この芸名はリーズに対する嫌がらせとして付けられた、と彼女は確信している。
 その名を選んだ理由として「セルジュというのはロシア人ぽいだろう?」とだけリュシアンは言った。
 リュシアンもリーズもロシア・ボルシェヴィキ革命(1917年)を逃れてフランスに流れ着いたロシア人家族の子であるが、バックグラウンドは全く異なる。ギンズブルグ家はユダヤ人であったがゆえに、レヴィツキー家は貴族であったがゆえに、それぞれソヴィエトを恐れて亡命した。『リーズとリュリュ』の前半3分の1を占めるリーズ・レヴィツキーの生い立ちも凄絶なものだ。暴力をふるう父親と男癖の悪い母親。フランスに移住してもロシア大貴族の家系であったその一族郎党はみな一様に共産主義者とユダヤ人を忌み嫌い、第二次大戦中にリーズの父親は自ら志願してナチス親衛隊入りし、ポーランドでロシア語通訳として従軍中に行方不明になった。父はナチスがロシアを共産主義者の手から奪い返し、自分たち貴族の領地を取り返すことができると信じたのだ。その自らナチスとなって姿を消した父親の名はセルジュ。
 気位だけが高い旧貴族の環境に耐えられず、リーズは成人(21歳)と共に家を飛び出し、パリで念願の絵の勉強を始める。
 ギンズブルグ家では父親ジョゼフの頑なな芸術観が少年リュシアンに重くのしかかる。画家を目指す息子に、ジョゼフはそれが「メジャー芸術」であることを絶対の条件とし、そのメジャー芸術家となる滑り止めとして建築を並行して学ぶことを条件に画学校に入学することを許す。ゲンズブールにとってメジャー/マイナー芸術という定義は一生つきまとった問題であったが、絵画、彫刻、建築、クラシック音楽などが時代を越えて生き続ける"大(メジャー)芸術”であり、シャンソンやジャズといった大衆音楽や映画や通俗文学などは一時のメシの種でしかない”小(マイナー)芸術”と見做された。
(←自作の絵を前にしたリュシアン・ギンズブルグ)
 モンマルトルの画学校でリュシアンと出会ったリーズは、この内気ながらも高慢な青年に絵画の天才を直感している。自ら画家を目指していたリーズは、リュシアンという人物よりもその天才を愛していたきらいがある。彼女はリュシアンが世界的な画家として20世紀芸術に名を残すはずだと確信する。二人は愛し合い、絵画や文学を語り合い、リュシアンのためにリーズは裸婦モデルとなり、毎日曜日にはルーヴル美術館(当時は日曜日入場無料)に通った。まるでシャルル・アズナヴールのシャンソン「ラ・ボエーム」のように、若いアーチストの卵の二人は喰うや喰わずの生活を送っていた。リュシアンは喰うためにバーでギターとピアノを弾き、リーズは下着メーカーのモデルや画商の秘書をしていた。
 その生い立ちから旧貴族の封建性に反逆したリーズは、一族郎党が仇敵としていた共産党に入党し、シモーヌ・ド・ボーヴォワールを手本とする自由恋愛を標榜し、リュシアンの他にも愛人を持っていた。ダリなどシュールレアリスムと交流を持ち、現代絵画に大きく影響され画風が抽象的だったリーズに対して、リュシアンの天才は古典的で具象的な画風で花開くはずだった。リーズは一枚でも多くリュシアンに絵を描いてほしいと願うのだが、リュシアンはなかなか絵筆を持とうとしない。
 1948年リュシアンは兵役に取られ、その期間に彼は一生つきまとうことになるアルコール中毒に陥る。その兵舎の中で、のちにゲンズブール代表曲のひとつとなる「エリザ」の原曲を作った。
エリザ、エリザ、
エリザ、僕の首に飛びついておくれ
エリザ、エリザ、
僕の髪の毛のジャングルの中から
きみの繊細な指と爪で
ノミを探し出しておくれ、エリザ

兵舎に慰問に行ったリーズは、上官の監視つきの面会室で、幾多の面会人と新兵によって座られたであろう長椅子に座って面会し、その長椅子からシラミをうつされたと言う。ノミやシラミが恋の歌に登場する時代だったのだろう。エリザ(ベート)を歌ったこの歌は、のちに「きみは20歳、僕は40歳」という歌詞が加えられ、ジェーン・バーキンに捧げられることになる。
(ゲンズブールのシングル盤「エリザ」1969年→)
 「作詞作曲をするのは、これで小銭を稼いで絵の具と絵筆を買うためさ」とリュシアンはリーズに言っていた。リーズはそれを信じていたが、小銭が入っても彼は一向に絵を描こうとしない。ピアニスト稼業、アルコール、作詞作曲、この3つが彼の主な日課になっていく。
 1951年、結婚はリュシアンの側からの頼みだった。ボーヴォワール流の自由恋愛を信条としていたリーズは反対だったが、強引な「結婚するか別れるか」の脅しに負けて、リーズは黒衣で結婚セレモニーに出席している。この婚姻関係は1957年まで6年間続く。
 その間にリュシアンはいよいよ大衆音楽の世界に吸い寄せられ、ヴァカンス期には北部フランスの海浜保養地トゥーケで専属ピアニストとなり、パリではピガール地区の女装キャバレー「マダム・アルチュール」に父ジョゼフの後任としてピアニスト兼楽団指揮者、次いで右岸のシャンソン・キャバレー「ミロール・ラルスイユ」(その看板スターはミッシェル・アルノー)に伴奏者として契約。シャンソンの世界の深みにはまっていく過程でかのボリズ・ヴィアン(1920 - 1959)との邂逅が、リュシアンのシャンソン作家としての方向性を決定したと言われる。そしてリーズの切なる願いも叶わず、リュシアンは全く絵を描かないようになる。

 伝説はここで、マイナー芸術(シャンソン)かメジャー芸術(絵画)かの選択を悩み抜いた末に、リュシアンがそれまで描いた絵をすべて燃やしてしまう、という劇的な事件があったとしている。ところがリーズの証言は違う。燃やすほどの数の絵をリュシアンは描いていない、と言うのである。リュシアンの絵画との決別は、現代絵画に自分の場所はないと悟ったからである。
 1958年6月5日、パリ4区サン・ルイ島のリーズの友人である画商宅の豪華アパルトマンに、正装したパリ中のアート関係者と世界の画商とコレクターを集めて、”青の単色画家”イヴ・クライン(1928 - 1962)が作品の実演創作を行う。床一面に敷かれたキャンバスに、バケツ2つ分のクライン・ブルーの塗料がまかれ、ヌードモデルを絵筆にみたてたクラインがその裸体をかかえて、塗料の上を何度も何度も動かしていく。パフォーマンスが終わり、一瞬、唖然とした沈黙が流れたのち、「ブラボー!」の大喝采が場内に響く。そしてその場で作品は競りにかけられ、値段はどんどん上がっていく。リーズに誘われてその場に来ていたリュシアンは激怒し、このスキャンダルを大声で呪い、その激昂のあまり呼吸困難に陥り、その場に倒れてしまう。
 リーズはこの晩にリュシアンは絵画と決別したのだ、と言う。翌日彼はリーズに「もしもあれがモダンアートだと言うのなら、俺には何も見るべきものがない」と語っている。
 若きリュシアンに絵画の天才を見、それを大成させたいと、喰うや喰わずの苦労を分かちあってきたリーズは、シャンソンばかりで絵を描かなくなったリュシアンに、半分は懲らしめの意味、半分は刺激を与える意味で、この機会を持った結果、そのショックは画家リュシアンに鉄槌を下すことになった。
 リーズはここで自分とリュシアンの生活はメジャー芸術に挫折することで失敗に終わったのだと述懐する。その後悔、その悔恨はゲンズブールに一生ついてまわるのである。
 
 これで二人の関係は終わるはずだった。少なくともジル・ヴェルランの正史本では最初の妻エリザベート・レヴィツキーはここから以後姿を消している。ところが離婚の届け出を済ませたその夜、二人はお互いの自由を取り戻したことを祝って、シャンパーニュを数本買ってホテルで愛し合うのである。酔った勢いでリュシアンは酒瓶を割り、「血の婚姻」の儀式をしよう、と言う。それはジタン(ロマ)に伝わる風習で、夫婦間でするものではなく、二人の大人がお互いの血を混ぜて、生きるも死ぬも一緒と誓い合うことだという。二人は割った酒瓶のガラス破片で、右手の掌を十字に切りつけ血を流させ、その二つの手を重ね合わせて血を混ぜ合わせた。そしてリュシアンは誓いの言葉を唱えた「われら二人は血を混ぜ合わせた。よってわれら二人はこれより生きるも死ぬも一心同体である」。

 1947年の出会いから1957年の離婚までで消えていたはずのリーズ・レヴィツキーは、その後も頻度は一定ではないが(週に一度、月に一度、3ヶ月に一度...)ゲンズブールと逢瀬を重ね、その関係は40年を越すのである。リーズはゲンズブールを呼び出すことは一度もない。ゲンズブールがリーズを呼び出すのである。しかもいつも同じ口調の電話で。
C'est moi. Viens tout de suite.
俺だ、すぐに来い。

この声を聞くと、リーズはすぐにタクシーを飛ばして彼のもとに行くしかない。それが緊急のSOS発信であることを知っているから。
 往々にしてそれは目下意中の女性との関係で傷ついたり悩んでいるケースが多く、リーズはそれを精神分析医のように聞いてやり、助言を与え、自らの肉体で慰めもする。フランソワーズ=アントワネット・パンクラッジ、ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキン、バンブーその他、彼を幸福にも不幸にもした女たちへの愚痴をリーズはすべて聞いている。「俺だ、すぐに来い」は生涯続くのである。かの血の婚姻の儀式で盟約したように。

 1991年3月2日土曜日、午前10時に電話が鳴る。こんな時刻にリュリュは電話してきたことがない。そしていつもの「すぐに来い」のセリフがない。彼はその三日後のリーズの誕生日に何が欲しい、と尋ねる。そして初めて二人は電話で長い時間雑談をするのである。ひとしきりの雑談が終わると、彼は突然口調を変え、怒りの声になる。「俺は死にたくない。俺はもう死んだようなもんだ、わかるかい? 俺はもう勃起しないんだ、もうセックスもできないんだ、こうなったらバンブーもずらかってしまうんだ!」・・・・・・ その数時間後、パリ7区ヴェルヌイユ通りのゲンズブール邸で、ひとりひっそりとリュリュは息を引き取るのである。

 この手記本の帯には「ゲンズブールとの40年の恋」とある。ベルトラン・ディカルはリーズの元原稿で書かれていたことを大部分尊重したと言うが、あまりにも暴露的なところは抑えるようにしたとも証言している。それでも、リュシアンがキャバレーの楽団員たちに集団強姦されるシーンや、彼がその女主人と懇意になって通うようになったパリ16区の娼婦館で、娼婦を買うだけではなく、自分の肉体も売っていたことなど、驚くべき裏事実も証言されている。
 この本のプロモーションでテレビ出演したリーズ・レヴィツキーに、これだけの真実をゲンズブールと分かち合ったあなたこそ、ゲンズブールの「ファム・ド・ラ・ヴィー(Femme de la vie、生涯の女性)」だったのですね、とインタヴュアーが問うと、きっぱりと否定して「ゲンズブールに”生涯の女性”は二人います。それは彼の母と娘のシャルロットです」と断言した。傷ついた掌を重ねて血を混ぜ合わせたリュリュとリーズよりも、ゲンズブールは血でつながった母と娘を愛していた、ということか。
 手記『リーズとリュリュ』は愛情あふれる回想録とはほど遠い。むしろ苦々しさが随所に見てとれる。その通奏低音はゲンズブールとリーズ・レヴィツキーが一生分かち合ってきたものが、メジャー芸術への悔恨であった、ということである。84歳のリーズはこのデーモンのような悔恨を死ぬ前に祓いたかったのかもしれない。

(ラティーナ誌2010年6月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)

(↓)2010年5月、TVフランス5の番組"Café Picouly"(ホスト:ダニエル・ピクーリ)に出演したリーズ・レヴィツキー


2022年10月19日水曜日

いにしえの(女流)浪漫詩のシンセポップ化

Ezéchiel Pailhès "Mélopée"
エゼキエル・パイレス『調べ(メロペ)』

初めて聴いたアーチストだが、2013年からすでに3枚のソロアルバム(+ダニエル・ラフォールと共作のブルーノ・ポダリデス監督映画"Bancs Publics"のサントラアルバム)を出していて、その前は2001年からエレクトロ・ポップ・デュオ Nôze (アルバム5枚)として活動していた人。現在年齢46歳。コンセルヴァトワールでクラシック・ピアノ次いでジャズ・ピアノを学び、ジャズマンとなるはずだったが... (エレクトロに転向)。
 2020年の3枚めのアルバム"Oh!”の中で、19世紀の浪漫主義詩人マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール(Marceline Desbordes-Valmore 1786 - 1859)の3篇の詩に曲をつけてエレポップ仕上げの歌にしている。古典詩にインスパイアされる傾向があるようだが、20世紀のシャンソンの巨星たち(トレネ、フェレ、ブラッサンス、ムスタキ等)がランボー、ヴェルレーヌ、ボードレールなどに曲をつけて歌ったのとは、やや趣きが異なるようだ。
 2022年のこの新作『メロペ』は1曲のインストルメンタルを含む11曲入りだが、そのうち8曲がこの古典詩に曲をつけたもので、そのすべてが女流詩人(ポエテス)の作品である。上述のマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモールが4篇、ルネ・ヴィヴィアン(Renée Vivien 1877 - 1909、彩流社より日本語訳詩集→写真)が3篇、そしてルネサンス期のリヨンの詩人ルイーズ・ラベ(Louise Labé 1525 - 1566)が1篇となっている。
 ランボーとヴェルレーヌに多大な影響を与えたと言われる近代浪漫主義詩のパイオニアであるマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモールの詩を歌曲化した例は古今多数あり、同時代人カミーユ・サン=サーンス、ジョルジュ・ビゼーをはじめ、われわれの時代ではジュリアン・クレール、パスカル・オビスポ、ヴェロニク・ペステルなども。
参考作品として(↓)ジュリアン・クレール "Les Séparés"(N'écris pas)"(1997年アルバム『ジュリアン』)


というわけで、ジュリアン・クレールの古典詩へのアプローチはたいへん折り目正しく格調の高さも感じられるのだが、このエゼキエル・パイレスの制作態度はどうなんだろうか。アルバム冒頭第一音からそこはかとないメランコリーが全体を包むのだけど、始まるのは繊細で小洒落たエレクトロシンセポップなのだよ。思わず首が振れてしまう心地よいリズムとピコピコ音。これは誰も古典的な名詩だと意識しないで聴いてしまうと思うが、それでいいのか?

例えば5曲め「エレジー(哀歌)」、詩はマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール。

たぶんあなたに会う前から私はあなたのものだった
私の命は形になる過程ですでにあなたのものと約束されていた
あなたの名前は予期せぬときめきによって私に告げられた
あなたの魂は私の魂を目覚めさせるために潜んでいたのだ
 
あなたの声は私を青ざめさせ、私の目は下を向いた
交わされた沈黙の視線のうちに、二人の魂は抱きあっていた
この視線の奥に、あなたの名前が明かされた
それを問うことなく、私は思わず声を上げた、これこそその人だと!
 
ある日その声を聞いた時、私は声を失った
その声にしばらく聞き入り、私は答えることを忘れてしまった
私の存在とあなたの存在は見分けがつかなくなり
私は生まれて初めて名前を呼ばれたと思った

あなたはこの奇跡を知っていたの? あなたのことを知らずに
私はその名で私の恋人と見抜いた
あなたの声の響きを聞いただけでそうとわかった
私のやるせなくも美しい日々をあなたは輝かせてくれた

その声が私の驚いた耳に届いたとたん
耳はそのとりこになり、狂喜した
私はそれだけで私のこの上なく甘美な感情の数々を表現できた
私はそれを集めて、誓いの言葉を書き著した

その名が私を愛撫し、私はその息を吸い込む
愛しい名前! すてきな名前! 私の運命のお告げ!
なんてこと! あなたは私を魅惑し、あなたの優美さが私を射抜く!
まるで私の口を閉ざす最後の接吻のよう

もうちょっと優雅に翻訳するべきなんだろうが、だいたいこんな感じ。古風な”激情恋慕”の表現だと思うが、(19世紀的には)大胆な女性のエモーションが伝わってくる。それがエゼキエル・パイレスの音楽世界ではどうなるのか?

ストロマエのラテン趣味("Tous les mêmes"、"Santé"...)をほうふつとさせる、軽妙エレクトロ・ハバネラになってしまうんですよ。ジュリアン・クレールとはずいぶん方法論が異なるということがわかると思う。

 次に必殺のアルバムタイトル曲「メロペ」(3曲め)であるが、これはルネ・ヴィヴィアン(←写真)の詩。32歳で夭折し、同性愛者詩人として「1900年のサッフォー」とも呼ばれたこの詩人に関しては日本でもかなり知られているようで、グーグルジャパンで「ルネ・ヴィヴィアン」と検索するとたくさん項目が出てくる。仏語ウィキによると、あの時代に日本へ旅行したことがあるようだ。「メロペ」は初めてラジオFIPから流れてきた時は、わおっ、これはキラー・チューンのエレクトロ・ズークボッサだなぁ、と感心したにとどまっていたのだが、詩がこんなだったとは全く思いませんでしたよ。
流れる水のようなおまえの声で語っておくれ
告白のささやきがゆるやかになったら
冷やかしや残酷な言葉も言ってもいい
そして酔わせるような調べ(メロペ)で私を揺すっておくれ
 
私をしんみりさせたり喜ばせたりしてくれるおまえのくぐもった声で
私の額がおまえの波打つ髪にうもれる
おまえの望み、おまえの悔い、おまえの願いを表してくれ
おお、私の妙なる調べを奏でる恋人よ

おまえの姿は稲妻
おまえの微笑みは一瞬だけ
おまえを切望する声がすると
おまえは逃げてしまう、おお私の望みよ
 
おまえの姿は稲妻、つかまえようとしても腕の中はからっぽ
おまえの微笑みは一瞬だけ、とらえることができない
おまえを激しく切望する声が私の唇から発せられると
おまえは逃げてしまう、おお私の望みよ

おまえはシメールのように襲うことなく軽く触れていくだけ
いつもおまえの満たされない望みを差し出していく
この苦悶にまさるものはない
おまえの希なくちづけの苦い陶酔よ

私はおまえの声、その優しい歌を聞き続けるだろう
私は何も理解できなくなっても聞き続け探すだろう
さもなくばすべてを忘れるか、うとうとと眠ってしまう
 
もしもほんの一瞬でもおまえが歌うのをやめても
その沈黙の奥から私は聞くだろう
なにか恐ろしいものがすさまじい声で泣いているのを

おまえの望み、おまえの悔い、おまえの願いを表わしてくれ
そして酔わせるような調べ(メロペ)で私を揺すっておくれ

ひどい訳でごめんなさいだけど、だいぶ(ヴェルレーヌやボードレールに近い)象徴主義的詩風になっているのがわかるかしら?レスビアンの恋情が高踏的な表現で綴られているわけだが、この詩で表現されている音楽はやはり高踏的でないとまずいんじゃないか、と思うわね。ところがエゼキエル・パイレスの手にかかると... 。



 そして今回のアルバムで取り上げられたもうひとりのいにしえの女流詩人が16世紀ルネサンス期のルイーズ・ラベ(→写真)。この人も日本で研究書が複数出ているようで、グーグルジャパンで「ルイーズ・ラベ」と検索してみたら、いろいろわかる。日本語ウィキで、網紐商人の夫人となったルイーズの異名である「ラ・ベル・コルドニエール(La belle cordière = 美しい網紐商夫人)」を「網屋小町」という訳語で紹介しているのには笑った。それはそれ。エゼキエル・パイレスがこのアルバム『メロペ』の最終曲(11曲め)にルイーズ・ラベの詩をもってきたのはそれなりにわけあってのことだろう。
私の目が涙を流せる限り
私の手が網紐を引っ張れる限り

あなたとの過去を悔い
涙とため息を抑えようとする時
私の声はほんの少しものを言う

可憐なリュートに合わせ、あなたの優美さを歌う
魂があなたのことを理解することしかできないことに
甘んじている限り

おお甘美な視線よ、おお豊かな美をたたえた眼よ
私はそれを自信をもって言いたくはない

おお優しき睡りよ、おお私の幸福な夜よ
心地よい休息、静けさに包まれ
私の夢を毎夜見させ続けておくれ

万が一私の哀れな恋する魂が
現実の世界で幸福を知らぬことになろうとも
せめてその幻想だけでも見させてやっておくれ

中世フランス語の韻文なので、雅(みやび)な古文風な日本語で訳すべきところであろうが、私にはそういう教養がないのでごめんなさい。ルネサンス期の(女性の)恋歌である。16世紀にこの女流詩人が切り開いた自由な浪漫詩への敬意/オマージュがあってしかるべきところであるが、エゼキエル・パイレスはこんなふうなのだ(↓)

ロマンティックなピアノと、アンニュイで渋めなクルーナーヴォーカル、後半の弦サンプルの厚めなバックトラック、これは中世浪漫詩とはかなり距離がある、ウルトラモダンなチルアウト音楽ではないですか。

 46歳の、たぶん機械が揃っていれば何でもできる人。ストロマエを老成したようなヴォーカルとエレクトロセンス。よく練ったメロディー。たいへん驚きました。バロック(baroque)という言葉は「奇異な、風変わりな、異様な、(真珠が)いびつな」という意味であるが、音楽(文学/建築/美術)の様式の意味に捉われずにあえて言えば、このエゼキエル・パイレスというアーチストは非常にバロックな人だと見た(聴いた)。

<<< トラックリスト >>>
1. Dors - tu ? (poème : Marceline Desbordes-Valmore)
2. Regard en arrière (poème : Renée Vivien)
3. Mélopée (poème : Renée Vivien)
4. L'attente (poème : Marceline Desbordes-Valmore)
5. Elégie (poème : Marceline Desbordes-Valmore)
6. Prélude (instrumental)
7. La fille de la nuit (poème : Renée Vivien)
8. Ni toi, ni moi (Ezéchiel Pailhes)
9. Le beau jour (poème : Marceline Desbordes-Valmore)
10. Opaline (Ezéchiel Pailhes)
11. Tant que mes yeux (poème : Louise Labé)

EZECHIEL PAILHES "MELOPEE"
CIRCUS COMPANY CC022 (LP/CD/Digital)
フランスでのリリース:2022年10月

カストール爺の採点:★★★☆☆


(↓)"L'attente"(詩:マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール)これはエレクトロ・レゲエバラード。

2022年10月8日土曜日

シンプルな愛と複雑な死

"Un beau matin"
『ある晴れた朝』

2022年フランス映画
監督:ミア・ハンセン=ローヴ
主演:レア・セイドゥー、メルヴィル・プーポー、パスカル・グレゴリー、ニコル・ガルシア
フランスでの公開:2022年10月5日

ア・ハンセン=ローヴ監督の映画を観るのは前作の『ベルイマンの島』(2020年)に続いて二度目。北欧の奇岩島と映画聖人ベルイマンと女性映画作家の難航するシナリオ書きという三題噺が交錯する世にも美しい職人技の(英語)映画(→予告編)。こういう映画撮れる人なので、すごく期待して観た最新作は、現代のパリが舞台の(フランス語)映画。
 ストーリーは前作ほど混み合ってなくていたってシンプル。一方で進行する難病に冒され死につつある父親ジョルグ(演パスカル・グレゴリー)を、必死で最良の条件で旅立たせようとする家族(含む元妻フランソワーズ:演ニコル・ガルシア!すばらしい)の奮闘があり、その中心になっているのが娘のサンドラ(演レア・セイドゥー)である。もう一方に娘リン(演カミーユ・レバン・マルティンス)をひとりで育てる(娘の父親は他界)ことで10年間恋なしで暮らしてきたサンドラが、偶然再会した(娘の父親の親友だった)クレマン(演メルヴィル・プーポー)との間に育ちつつある愛の上昇と下降と再上昇と再下降と...(いたってシンプルなラヴ・ストーリー)。この二つの筋が同時にひとりの人間=サンドラを通して、一方はじわじわと悪化、他方はじわじわと結実へ、という愛と死、エロスとタナトスのクロスする1時間50分。
 まずパトリス・シェローやエリック・ロメール映画の名男優パスカル・グレゴリーが演じる難病で死にゆくジョルグという人物は、年齢こそ明らかにされていないが、70歳前後と想定され、本来ならまだ”現役”という年代。哲学教授/翻訳家として人生のすべてを哲学書との取っ組み合いに費やしてきたような男。ちなみに演じるパスカル・グレゴリーは現在68歳、そしてこの人物のモデルとされるミア・ハンセン=ローヴの父で哲学教授のオレ・ハンセン=ローヴはこの映画のシナリオを書き上げる直前に72歳で亡くなっている。この"現役”のジョルグを突然襲った病気は”神経変性疾患”の一種で、視力と記憶力と言語能力を奪っていく。本が読めない、ノートに書く言葉が出てこない。書物と言葉と論理で生きてきた人間にとって、これはすでに”死”を生きていることに等しいが、それを本人が認識することすらできない。肉体は残っていても、この初老の男は既に”行ってしまって”いる。娘サンドラはそれを直視して立ち会っている。パスカル・グレゴリーの演技はその途方もない悲しみを見事に表現しているのだ。脱帽。
 自宅アパルトマンで書物に囲まれて暮らすことができなくなり、オテル・デュー病院の神経科に入院、現代医学でできることは限られていて(処置なし)、老人施設(Ehpad)へ入居。奇しくも2022年のフランスで、世界的規模で展開する民間老人施設チェーンのORPEA(世界で1200施設、フランスだけで200施設)で収容老人の死亡事故や虐待が次々に告発されるスキャンダルがあった。この映画はその問題とは全く関係はしていないものの、ジョルグはなかなかこの老人施設環境に溶け込めず(そういう施設に入るような”歳”でも"状態”でもない)、サンドラら家族の配慮で、この映画の時間だけで三度老人施設を引っ越している。だが病状は目に見えて悪化していく。私ね、パスカル・グレゴリーと同い年ということもあって、こちら側の病気ストーリーの方は観るのが本当にヘヴィーだったのですよ。
 さてもう一方のラヴストーリーの方はというと、外見は若づくりでも、アラフォーとアラフィフの恋という設定。サンドラは翻訳家/同時通訳という職業があり、国際会議や歴史的式典にも出ていく。クレマンは宇宙化学者(astrochimiste)という隕石サンプルを化学分析する研究者で、妻帯者・子持ち(10歳前後の男児)であるが、妻との愛はとっくに冷めているもののそのままにしている。だからクレマンの側は世間的には"不倫”ということになる。私はね、この”不倫”という言葉が大嫌いで世界中の辞書からこの言葉を削除したいと考えているのだが、それはまた別の機会に。で、あまり変わりばえのない月並みなラヴストーリーなので、妻に気づかれた、もう会わない方がいい、etc etc で映画の時間で二度クレマンは別離を告げ消えていく。泣くのはいつもサンドラ。メイクが薄いせいなのか、結構泣き顔がボロボロなのが、この映画でのレア・セイドゥー。"ボンドガール”まで演った国際的花形スターとはちょっと距離がある今回の役どころであり、映画冒頭で娘リンを小学校に迎えに行く格好が、スウェットにジーンズ(!)という出たちで近所のおかあさんになりきっている。いいですね。
 この関係に微妙に介入するのがサンドラの娘のリンであり、全然性格の悪くない聡明な子なのだけれど、せまい2部屋アパルトマンで、母娘ふたりだけの世界を作ってきた(つまり母を独り占めしてきた)のに...。概ねはこの優しくて子供つきあいのうまいクレマンを許容しているものの、どうしても自分の存在を主張したい本能があり、ある日からリンは(どこも悪くないのに)片足を引きずって歩くようになる(このエピソード、とてもよくわかる)。

 そしてある晴れた朝、サンドラはリンとクレマンを連れて、老人施設にジョルグに会いに行く。記憶も理解も視力もあやふやになっているジョルグに、私が娘のサンドラ、あなたの孫娘のリン、これがこの前話したクレマン、と紹介する。すると施設のスタッフたちが、大広間でショータイムよ、と収容老人たちを連れて移動していく。そこではサンドラ、ジョルグ、リン、クレマンと老人たちの前で、ボランティアのお兄さんお姉さんたちが歌詞カードを配って、みんなで歌いましょう、とミュゼットの名曲「サン・ジャンの恋人」を。なんと、これ、みんな歌うのだよ。老人たち、クレマン、リン、そしてジョルグまで唇を動かしている。この映画でしょっちゅうくちゃくちゃの顔で泣いているサンドラは、ここでも涙が止まらなくなって...。いたたまれなくなったサンドラは、リンとクレマンを連れて老人施設を出て、モンマルトルの丘へ。それがこの映画ポスターに描かれた、笑顔の3人の姿。映画は一方のストーリーの方だけに少し開かれた未来の可能性を与えて終わるのである...。片方だけと言えど、この優しさは例外的であり、心揺さぶられる。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)"Un beau matin"予告編

2022年9月30日金曜日

京都の町はそれほどいいの

Muriel Barbery "Une heure de ferveur"
ミュリエル・バルブリー『狂ほしの時』

これを書いている9月末現在、2022年ゴンクール賞の第一次選考(15作)に選ばれた作品。ちなみに第二次選考(8作)が10月4日、第三次最終選考(4作)が10月25日、そして晴れのゴンクール賞2022の発表は11月3日。何が選ばれても爺ブログでは紹介することになっているので、楽しみにお待ちください。
さてミュリエル・バルブリーについては、2006年の大ベストセラー小説『はりねずみのエレガンス(L'élégance du hérisson)』を映画化した『はりねずみ(Le hérisson)』(監督モナ・アシャシュ、主演ジョジアーヌ・バラスコ、2009年フランス公開)を爺ブログで取り上げたのみであるが、たいへんな日本通である。新作小説は全編京都が舞台となっているが、ミュリエル・バルブリーは2008年から2年間アンスティチュ・フランセが運営する京都市のヴィラ九条山のレジデントであった。たぶん京都の奥の奥まで知っているのであろう。
 小説の時間は1970年から現在までの50年ほどで、飛騨高山の造り酒屋の家業を継がず、京都に出て美術商として成功し莫大な財を成した男ハル・ウエノの一代記である。無宗教者でありながらハルが心のよりどこころとして、欠かさず週に一度本堂およびその周辺を散策するのが真如堂である。その真如堂に隣接して、難破した帆船のような態の建物があり、1960年代に(美術関係のドキュメンタリーを制作する)テレビプロデューサーのトモオ・ハセガワが自宅として建造したものであるが、「自宅に人を招くことが稀な日本人」(バルブリー)の倣いに反して、このトモオ邸は京都中の芸術家たちや外国人アーチストたち、その他エキセントリックな人々が集まり、酒宴やハプニングパーティーを開く解放されたスペースとなっていた。このトモオを介して、ハルは現代陶芸家のケイスケ・シバタと出会う。このケイスケの陶芸作品の価値を見抜いたハルが、それを売り出すことで美術商ハルの大サクセスストーリーは始まる。稀な芸術家であり詩人でもあり論客でもあるケイスケは底無しの酒呑みであり、ハルは彼を師匠・論友・ポン友を兼ねた生涯の親友とする。その親交は50年続き、ハルの最期を見届けるのもケイスケだった。真如堂を"本拠地”に酒と宴と芸術の髄を極め、全京都のアートピープルからリスペクトされた黄金のトリオ(トモオ+ケイスケ+ハル)の時代はしばらく続くのだが、その栄華を蝕んでいくのは親しい人々の死であった。この小説は絶え間ないほどにたくさんの人たちが死んでいく。病死、事故死、自殺、そして阪神淡路大震災(1995年)と東日本大震災(2011年)にも巻き込まれてハルとケイスケは近い縁者を失っている。この死の悲しみのたびに、死者の記憶を背負った人たちは、故人を生き続けさせるために自分は生き続ける決意を新たにするのである。小説中ある西欧人は、自国では墓地は”死"しかない死者の場所であるが、日本の墓地は故人を生き続けさせる場所である、という印象を述べている。当たってると思う。

 ハルが備えた(子供の頃から培った)感性は、素材と形を見極める能力を得させた。素材とは山河や植物や季節気候などであり、それを形にしたものが芸術品である。それは飛騨高山の渓流を毎日見ていた目が育て、京都の花鳥風月、寺社仏閣、もみじや桜や雪や苔などがその目を肥した。それを形にするという営為は自分にはできないが、素材から形への移行に対する飽くなき興味は時間をかけて彼独特の審美眼を得させた。これが美術商ハルの成功を招くのだが、これと目をつけた作品はみな超高価で売れていった。ところが、その目はこの現世界に自分の前にだけ現れる霧や霞や先祖の魂(霊)やキツネの姿を見てしまうようになる。本書の表紙となっている絵は橋本関雪(1883 - 1945)の「夏夕」の一部であるが、キツネはこの小説では非常に重要である。稲荷神伝説、化物(妖怪)などみな関係している。
 独身で大金持ちでトモオ邸でのパーティーでは帝王然としているハルは、複数の愛人を持ち、嫌味なく誘惑の話術も使う優男であるが、ケイスケに言わせると女も恋も知らない孤独な男である。そんな中で出会ったこの小説中最も重要と思われる女性がフランス人のモードである。ケイスケはこの女が霧のようにつかみどころがなくハルにとって危険であると感じ取っているが、どうすることもできない。この「液体の火事」のような女は感知できぬうちにハルを燃やし尽くすかもしれない。初めてトモオ邸で会ったその夜、二人は鴨川べりのハルの豪邸に行き、ヒノキの風呂に浸かる。湯船の中でハルはケイスケから聞いた伝説をモードに語る。
平安時代の中期(西暦1000年頃)、すべてが美しい夜明けがあった。空の奥の方で、紫の花々が色を失っていくような。時折大きな鳥がこの火事のような朝焼けの中に吸い込まれていった。宮廷に何代にもわたって隠遁窟に住む一族の女がいた。掟によって囚われの境遇にあり、その部屋から通じる小さな庭に出ることも禁じられていた。しかしこの曙の時だけ女は縁側の板の上に跪いて空を眺めてした。すると正月から一匹の子ギツネが毎朝庭に現れるようになった。ひっきりなしに降る雨の季節になり、それは春まで続いた。 女はこの新しい友達に一緒に雨宿りしましょうと乞うたが、囲いの覆いになるのは一本のもみじの木と寒椿の灌木しかなかった。女とキツネはそこで沈黙のうちにお互いを知り合うようになり、やがて女とキツネだけの共通の言語を編み出したのである。女とキツネが語れる唯一のこと、それはおのおのの一族の死んだ者の名前を唱えることだった。(p33)

聞き終わって沈黙して固まってしまったモードだったが、ハルは湯気の向こうのその姿がどんどん巨大化する砦のようなものに変わっていくのを幻視し、その幻影を消し去りたいようにその肉体を欲していく。モードはそれを受動的に受け入れるのだが、ハルに生じた強烈な欲情と裏腹にモードは心そこにあらずのような不在感。ベッドでの情交のあとハルは眠りに落ちてしまうが、キツネと風呂の混沌とした夢を見る。目が覚めるとモードの姿はない。次の夜、またモードはハルの家にやってきて、一緒にヒノキの風呂に入り、ハルから昔語りを一話聞き、次いで昨夜と同じようにベッドで情交するが、その不在感は変わらない。こうしてモードとハルは10日間夜を共にし、やがてよそよそしく別れてしまう。
 数ヶ月後、ハルはモードが妊娠してフランスに帰ったことを知る。直感でハルはそれが自分の子であり、女児であることを確信する。そこで、在パリの文化情報通の日本人マナブ・ウメバヤシ(それらしい名前であるな)に依頼してモード・アルデンの住所を調べてもらい、すぐに手紙を出す"Si l'enfant est de moi, je suis là(子供が私のものだったら、私はすぐに行く)" 。数週間後、ハルは返事を受け取る"L'enfant est de toi. Si tu cherches à me voir ou le voir, je me tue. Pardonne-moi(あなたの子よ。でもあなたが私か子供に会おうとしたら、私は自殺するわ。ごめんなさい)”。
 ハルはこの”禁止”を尊重する。なぜならハルは本当にモードが死んでしまうことを知っていたから(そして二十数年後、実際にモードは自ら命を絶ってしまう)。だがハルは”父親”になること、そして娘(ローズという名前)を愛し続けることは絶対に断念しない。彼はマナブ・ウメバヤシに巨額の報酬と資金を与え、追跡者/カメラマンを雇い、モードと娘が同居するモードの母親の実家(トゥーレーヌ地方)を四六時中偵察させ、超望遠レンズで捉えた写真と偵察レポートを定期的に送らせる。こうして二十数年間にわたって、ハルは娘の成長とモードの動向を京都にいながら知ることができたのである。ハルは毎日送られてきた娘の写真に語りかけ、遠隔の"父親”であり続けた。
 小説は娘ローズの成長の時間と並行して、上述したようにトモオ、ケイスケ、ハルの黄金トリオの身内に次々にやってくる"死”の試練の記録でもある。妻と2人の子供を相次いで失ってしまうケイスケ、最愛のパートナーのイサオに先立たれ自らも病いに斃れるトモオ、その他親しい友人たちの伴侶や子供が命を落としていく。この悲しみの儀式(葬儀)のたびに、人々(死者も生者も)を鎮めるのが京都の佇まいであり、寺社仏閣であり、鐘の音とジャズの音がどこからか聞こえてくる、もみじや雪や苔の環境なのである。小説はミュリエル・バルブリーの知る限りの京都が登場する、大いなる京都讃歌である。真如堂、黒谷、鴨川、南禅寺、竹中稲荷、吉田神社、苔寺、嵐山、北野、三嶋亭のすきやき...。冬は凍え死ぬほどに寒く、夏は厳しい暑さに加えて大量に発生する虫に苦しめられる(バルブリー)。おそらくバルブリーは雪の京都を好んでいて、小説に雪の情景は多く登場する。美しい。小説のテーマ的には多くの死に取り残されて生き残った者たちが死者に代わって「熱情の時間、狂ほしの時、Une heure de ferveur 」を苛烈に生きる場所が京都なのだろう。ハルはこの京都で星の声が聞こえ、キツネの姿を見るのであるが、ケイスケからすればハルは人間を見ていない。
 小説には他にも魅力的な登場人物がある。ハルの自宅兼美術商事務所である鴨川の家で、ほぼ住み込みで家事一切と会計帳簿をあずかるサヨコは、無愛想で言葉は少ないが、ハルが全幅の信頼を置き、プライベートなことも相談している。口には出さないがサヨコは不吉な予感を察知する能力があり、ケイスケはこの女性がキツネであると思い込んでいる。また、美術商ハルの後継者になっていくベルギー人の若者ポールも、たくみな日本語と審美センスでハルを魅了していて、公私ともに親密な仲になる。ハルの子供ローズの件をハルから告白されたポールが、この件を第一の親友ケイスケが知らないということを不思議に思い、ハルに問うシーンがある。
「彼は二人の子供を失ったんだ。私が自分の父親としての失敗を彼に話すことができるものか?」
「でも友だちでしょう?」
「私はそれぞれの友だちで異なった友人関係を築いている。それを私に説明しろと言うな。説明というのは西洋人の病癖だ」(p174)

笑っちゃいますよね。「説明は西洋人の病癖だ(L'explication est une maladie occidentale)」、これ、今度、しつこく説明を求めるフランス人に言ってやろうっと。
 
 さて時は流れ、定期的に送られてくるフランスのローズの写真は大学も終え社会人になっていくのだが、時折不鮮明に片隅に現れるモードはいよいよ精気がなく、引き篭り鬱の兆候を見せ、やがてモードが自殺したという報せが届く。そして事実上の育ての親であったトゥーレーヌ地方のモードの母ポール(Paule)も亡くなり、ローズは身内がなくなる。多くの死者たちを見送ってきたハルも末期の肺がんと診断され、余命わずかと覚悟する。”父親”になることを果たせずに死んではならないと、ハルは意を決して病身を押してひとり関空からパリに向けて飛ぶ....。
 マナブ・ウメバヤシの集めた情報から、ローズが毎朝寄るカフェテラスで待ち伏せる。案の定ローズはやってきて、ハルの隣のテーブルに座り、カフェを注文する。カップを持ち上げたひょうしにスプーンが落ちてします。ハルはそれを拾って女性に差し出す。女性は礼を言い、ハルは you're welcome と答える。
「あなた日本人ですか?」
「そうです。あなたは日本を知っていますか?」
「あまり私の趣味ではないんです」
「日本には美しいものがありますよ」
「美しいもの?」
「そんなにたくさんではありませんが、ありますよ」
「どんな美しいものですか?」
「日本には空があります」
「空?」
「空の奥の方で庭園の色が薄らいでいき、ときおりキツネが駆け抜けます」(p224)

このカフェの一瞬だけで、名乗り出ることもなく、ハルは翌日日本へ飛び立った...。
富豪の美術商はその財産を娘ローズに残す手続きをして死を待つ...。

 日本人読者なら重箱の隅つつきをかなりできそうな”京都小説”であるが、そんなことはたいしたことではない。ふとした時にキツネを見かけ、山河や空や植物や雪に先の兆しを感じ、星の言葉を聞く.... それはフランス人ミュリエル・バルブリーの想像した京都人のことなのか。私にはこの京都ファンタスムは十分に魅力的だし、夢の京都はかくのごとくあってほしい。夢のテリトリーとして保存してほしい。禁じられた娘ローズも、この夢のテリトリーの住人であるはずだ。キツネにつままれたような話であるが。

Muriel Barbery "Une heure de ferveur"
Actes Sud刊 2022年9月 240ページ 20,80ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆ 


(↓)出版社アクト・シュッド制作のプロモーション動画で『狂ほしの時 Une heure de ferveur』を語るミュリエル・バルブリー

2022年9月21日水曜日

バンジャマン・ビオレー誘拐事件

Gaël Faye + Grand Corps Malade + Ben Mazué "Ephémère"
ガエル・ファイユ+グラン・コール・マラード+ベン・マズュエ『かりそめ』

ブログではガエル・ファイユとグラン・コール・マラードはちょくちょく登場しているのだが、ベン・マズュエはこれまで私もほとんど縁のなかったアーチスト(シンガー・ソングライター)なので、まずこのベン・マズュエのプロフィールから。1981年ニース生まれ、現在40歳。25歳まで医学部で学んでいる。後述する「バンジャマン・ビオレー誘拐事件」の中で(血を流して倒れているビオレーを前に)グラン・コール・マラードがマズュエに「おまえ医者だろ?診断しろ」と言うシーンがあるが、これ、ウソではなかったのだね。というわけでプロとして音楽を始めたのは遅い。フォーク/シャンソン系の作詞作曲家としてアクセル・レッド、パトリシア・カース、ポム、ザーズ、フレロ・ドラヴェガなどに曲を提供、数年の下積みの末、2011年にメジャー(Sony)からアルバムデビュー(この時すでに30歳)、2017年のサードアルバム”La Femme Idéale"で一挙にブレイク、繊細+センチメンタルな新手のアラン・スーション/ヴァンサン・ドレルムとの評価。2021年にヴィクトワール賞年間ベストアルバムにノミネート(これが”誘拐事件”の引き金)、2022年に同賞ベストライヴパフォーマンスを受賞。
 さてこの3人は昨日今日のつきあいではない。フランスで”スラム(slam)"がカフェを舞台にしたポエトリー合戦だった頃(2000年頃)から、グラン・コール・マラードとガエル・ファイユはスラム詩人として出会っていたし、2010年代にガエル・ファイユをラップ/シャンソンの側のアーチストとして変身させたのは作編曲家/ジャズプレイヤーのギヨーム・ポンスレであったが、ポンスレは同時にベン・マズュエのアレンジャーだったし、マズュエは2013年からグラン・コール・マラードにメロディーを提供し始めている。ポエトリー(グラン・コール・マラード)、ラップ/ヒップホップ/シャンソン(ファイユ)、ポップ/フォーク/シャンソン(マズュエ)、それぞれ違う志向性で作品を発表している3人だが、気心知れた旧知の仲。 
 この3人によるEPアルバム制作というアイディアはグラン・コール・マラードから出たものだが、その制作プロデュースをしたジャン・ラシッドはグラン・コール・マラードの映画監督作品"Patients"(2017年)と”La vie scolaire"(2019年)のプロデューサーであり、なんと私生活ではカティア・アズナヴールの夫(すなわちシャルル・アズナヴールの娘婿)なのである。このジャン・ラシッドがお膳立てをして、2022年4月、南仏プロヴァンス地方、サン=レミーにある録音スタジオ La Fabrique (19世紀の大農家を改造したレジデンス音楽アトリエ)を6日間貸し切りにして、3人のアーチストに加えて作編曲家/DJのカンタン・モジマン(Quentin Mosimann)、前述の作編曲家ギヨーム・ポンスレ、サウンドエンジニアのトリスタン・マジールを召集してつくられたのが、この『かりその(Ephémère)』という7トラックのミニアルバム。豪華な17 x 17センチ、ハードカヴァー60ページブック装丁、フレデリック・ペロ(文)+シャルロット・モー(イラスト)による「制作日誌」。7曲ミニアルバムCD(トータルランタイム:28分44秒)にしてはちょっと高めのお値段(FNAC価格で19,99ユーロ)であるが、この豪華ブックの面白さに免じて許す。
 
 1曲ずつかいつまんで解説はしないので、悪しからず。全曲一聴して、掛け値なしに衝撃的なのが4トラックめ「誰がバンジャマン・ビオレーを誘拐したか?(Qui a kidnappé Benjamin Biolay?)と5トラックめ「大義名分(La Cause)」。この2トラックはセットになっている。”バンジャマン・ビオレー誘拐事件”は曲と言うよりはラジオドラマ寸劇で、続く「大義」はバンジャマン・ビオレーの代表的傑作曲"La Superbe"(2009年発表、2010年ヴィクトワール賞2部門)の主題をサンプルしている。ビオレーがこのミニアルバムの4人目の主役となっているような導入のしかたである。

(4)バンジャマン・ビオレー誘拐事件

(あらすじ)
時は2021年2月12日、ラ・セーヌ・ミュージカルを会場に開催された第36回ヴィクトワール賞セレモニー、その年のベストアルバムにノミネートされたのが、バンジャマン・ビオレー『グランプリ』(爺ブログに記事あり)、グラン・コール・マラード『メダム』(爺ブログに記事あり)、ベン・マズュエ『パラディ』、ガエル・ファイユ『むかつく月曜日』(爺ブログに記事あり)。
その夜、グラン・コール・マラードはむかついたデキ心でビオレーのヴィクトワール賞トロフィーを盗み出し、同じ敗者の苦汁をなめたベンとガエルを呼び出して、一緒に悔しさをサカナに飲んだいたが、「やっぱりこれは返した方がいいよ」という結論になり、3人で真夜中にバンジャマン・ビオレー邸に向かう。しかし穏便にことがおさまるわけがなく...。
気が立ってしまったビオレーと3人は乱闘のさわぎに。マズュエにつかみかかったビオレーの顔面にガエル・ファイユの鉄拳が。KO。鼻から血を出して気絶したビオレー。まだ息はある。さあ、どうする? グラン・コール・マラードが「俺にアイディアがある」と。車のトランクにビオレーを押し込み、3人は逃走する。
翌朝ラジオのニュース「バンジャマン・ビオレー誘拐犯からの声明が。(ビオレー曲)"La Superbe”楽曲使用の許可とひきかえにバンジャマン・ビオレーを解放する、と」


(5)La Cause (大義名分)
(ビオレー曲 "La Superbe"のイントロのサンプルに乗って...)
グラン・コール・マラード
みんな言ってる、おまえはなぜそのことを話さないのか、なぜおまえはそれにコミットしないのか、
おまえはそれが緊急課題であることを知っているのに、なぜ議論に加わろうとしないのか
それがアーチストなのかい?みんな気取って、問題だなとうなずきあったりはするが、
いざ自分の立場を表明する段になると、誰もいなくなってしまう
さまざまな署名運動に俺の名前を出してくれと呼ばれる
競い合うようにさまざまな社会行動に駆り出される
おまえはどうして選挙の時に支援する候補者を選ばなかったんだ?
おまえの息子がどんな世界で成長するのかを知ったからって泣きついてくるんじゃない
俺たちに意見を言うおまえは一体何様なんだ?
うるせえんだよ、自分の人生を語るのやめろよ
おまえのレコードは売れてるし、おまえはそれでいい気になって鼻高々なんだ
それでおまえはサヨクおぼっちゃんアーチストのゴタクを開陳するんだ
そうだろう、さあ時事問題を解説してみろよ、月刊誌の社説みたいに
人があまり賛成していない事柄についておまえの科学的分析を披露しろよ
ものごとを知っている人たちにしゃべらせろよ、おまえの有用性などつくりものだろう
俺はこの正当性の問題を考えるとわけがわからなくなる

ベン・マズュエ
俺は恋については少し知ってるしそれについて話すこともできる、俺は何度か経験してるし
俺は子供のことも少し知ってる
俺は死のことも少し知ってるしそれについて語ることができる
俺は少し経験してるんだ
俺は10年間、自分の家よりも病院で寝ることが多かったんだ
自分の歌については俺はそれが何を語っているのか、当然知ってるさ
それは俺が知ってるすべてだから
俺が言いたいことのすべてだから
俺が認識してるすべてだから
俺がしてることで俺が認識してるすべてだから
俺は問題をよく吟味しようと努力してるんだ
俺が最低に気に食わないのは
自分が上辺だけ見たことについて
知ったように喋る輩
スキャンダルと論難し糾弾する輩
悪者はあっちにいると言う輩
善人はこいつらのことをちゃんと知ってる

ガエル・ファイユ
いかなる歌も世界を改変することはできない
俺はアーチストだが、ただの飾りじゃない
爆弾が降り注ぐ場所で生きていなくても
俺はそれを糾弾することができるし、心底憤激することもできる
氷山に吹きつける寒風と
臆病の温もりの間にあって
しょっちゅう俺はためらい、考えを変え
言葉がなかなか出すことができないし
俺の愚かさが露呈するのを恐れる
語ること、それは自分の立場を表明すること
沈黙すること、それも自分の立場を表明すること
俺は夢は信じるが、革命は信じていない
俺は答えが欲しいから、問いを作り出す
混乱を巻き起こすのに何をためらっているのだ?
俺は歌いたい、ラップしたい、警告したい、証言したい
俺は嵐を口から吐き出したい、熾火を燃え上がらせたい

3人
Je pense donc je suis 吾思う、ゆえに吾あり
Je danse donc je crie 吾踊る、ゆえに吾叫ぶ
Je chante donc je fuis 吾歌う、ゆえに吾逃げる
J'invente donc j'appuie 吾創る、ゆえに吾強める



おわかりかな? 3人はバンジャマン・ビオレーをサカナに2トラック作ってしまったのですよ。"La Cause"のグラン・コール・マラードのライムなど、(成り上がり)インテリ左派アーチストとしてメディアに(ぶっきらぼうな)毒舌を吐くことで知られるバンジャマン・ビオレーへの強烈なあてこすりなのだけど。まあこれも(ダチ関係で通じ合える)ユーモアとして解されるものだろう。その証拠にビオレー自身「声の出演」をしているし、自曲"La Superbe"のサンプルを許してるし、ブックレットの謝辞欄にはちゃんとバンジャマン・ビオレー("pour son clin d'oeil amical" = 友情ある目配せに感謝)が記されているし。

<<< トラックリスト >>>
1. On a pris le temps
2. Tailler la route
3. Sous mes paupières
4. Qui a kidnappé Benjamin Biolay ?
5. La Cause
6. Besoin de rien
7. Ephémère

Gaël Faye + Grand Corps Malade + Ben Mazué "Ephémère"
CD Book Anouche Records/Sony Music
フランスでのリリース:2022年9月16日

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)"On a pris le temps" オフィシャルクリップ


(↓)"Tailler la route" オフィシャルクリップ

2022年9月13日火曜日

ヒア・カムズ・ザ・サン=クレール

Benjamin Biolay "Saint-Clair"
バンジャマン・ビオレー『サン=クレール』

うちでも絶賛した傑作『グランプリ』(2020年)に続く、ベン・ビオレーの11枚目のアルバム。2022年6月に発表された先行第一弾シングルの「愛を返せ(Rends l'amour)」の時に、爺ブログでアルバム制作の背景を説明してあるように、ビオレーがほぼ定住し始めた南仏ラングドック地方の港町セートと大きく関係していて、アルバムタイトルとなっているサン・クレール山はセートを見下ろす標高175メートルの丘で、頂上に輝く十字架と展望台がある。多くの古い欧州の丘のある町がそうであるように、高いところから聖者に見守られ加護されているのだろう。古くからの信心深さが残る土地柄。私の感覚では「抹香臭い」のだが。
 アルバムジャケット、ブックレットには聖人やカトリック信仰をシンボライズした図版とデザインをあしらっているが、これはセートやカマルグ地方に何百年も空気のように染み付いたアトモスフィアであろう。土地のジタンたちの入れ墨のようなものと私は解釈する。「サンタ・クララ」「サント・リタ」「サン・ジェルマン」「サン・クレール」など聖人の名が歌のタイトルとなっているが、聖人賛美の歌では全くない。信仰も祈りも全くないわけではないが、希薄だ。これは古い南ヨーロッパの”イメージ”でしかないが、それはそれで美しい。
 アルバム『サン・クレール』は基本的に2年前の『グランプリ』と同じロックサウンド。2枚通して聴くと「続編」と言われてもしかたない。ビオレー(ヴォーカル/キーボード)、ピエール・ジャコネリ(ギター/ベース)、ヨアン・ダルガール(キーボード)、フィリップ・アントルサングル(ドラムス)の4ピースロックバンド。この編成のバンドでのコンサートを去年ラ・セーヌ・ミュージカルで見る機会があったのだが、本当によく鳴るいいバンド。ジャコネリのギターが引っ張っていくパワーロックがとりわけいい。このバンド環境ではビオレーはロックヴォーカリスト然としていて、ミオセックを思わせるものがある。
 アルバムはこの聖人たちの雰囲気を醸し出すようなややバロック風な30秒のインストルメンタル序曲(”Cadidum cor, frididum caput" ラテン語です、訳:冷たい心、冷たい頭)で始まり、全部で17トラック(トータルランタイム:1時間4分)収録されている。はっきり言って17トラックは多い。もっと精選してほしかった。どれとは言わないが長年の手癖で作ってしまえたような曲があって、往年の超多作期のジャン=ルイ・ミュラのようである。
 6月の「愛を返せ(Rends l'amour)」(アルバム3曲め)の当ブログレヴューでも書いたのだけど、野卑で下品な語彙がかなり顔を出す。これは今に始まったことではないビオレーの持ち味なのだろうが、上辺でふてぶてしく悪ぶってみせるポーズ(映画俳優バンジャマン・ビオレーはそんな役しかできない)と女性蔑視紙一重のどんなパートナーにも満足を得られないエゴイストな言辞がメランコリックな男ビオレーの一貫したイメージをかたち作っている。そこにある種の評者たちはセルジュ・ゲンズブールとの共通性を見てしまうのであるが。それに関連して、この9月7日のマリー=クレールWEB版のインタヴューで、アルコール依存症だったことを告白していて、30歳の頃は1日5リットルのヴォトカをガブ飲みしていた、と。「ツアーの途中、フロアディレクターが一週間のヴォトカの瓶を数えてみたら30本あった。これは苦しかったよ。全く気持ちのいいもんじゃない。俺は脂肪質になるし、おまけにこの量でも全然酔っぱらうことがないんだ...」。ナイトクラブに出没し、数々のアヴァンチュールが黄表紙雑誌を騒がせもした。ゲンズブール/ガンズバール流儀の破滅型酩酊期であったようだ。だがどの酔いどれ詩人も同じようにゲット・ノー・サティスファクションでメランコリックで違う楽園を求めてさまよう。このアルバムにはそういう自伝的な、ノー・サティスファクションのくりかえしの人生をふりかえり、何を求めて、どこへ行くのか、と自らに問う歌がいくつかあり、このふてぶてしい男の繊細な自省にぐっと来るものがある。

 さて、アルバムでおおいに話題になるであろう曲のひとつが、7曲めの「サンタ・クララ(9月のある木曜の夜)」で、現在フランスで最も華々しく活躍している女性シンガーソングライター、クララ・ルチアニとのデュエット。ルチアニはデビュー時にビオレーのツアーの前座をつとめたこともあり、旧知の仲で、お互いの才能をリスペクトしあう同志。テレビなどで他人曲でのデュエットは何度かあったが、オリジナル曲での共演は初めて。しかしビオレー曲なので、これがハッピーなラヴソングデュエットになどなるわけがない。この男女は夏の終わり、9月、木曜の夜に出会って、その夜の悪い風に吹かれて、呪いにかけられたように捨てられていく男(あるいは捨てられていく女)、会った瞬間から忘れ去ることを運命づけられていたような刹那の逢瀬。最初からわかっている悲しい男女の"一期一会”なのか、男の身勝手なノー・サティスファクションのリクツなのか。これもビオレーならではの主題なのだけど、歌の冒頭で「きみはキスしてくれるけど”舌”を使わない」などという歌詞でそれを言うのかよ... 。
きみは僕を忘れる
人生を忘れるように僕を忘れる
夜の鳥よきみは僕を忘れ
僕はきみを忘れる
視力を失うように
きみを忘れる
初めから僕はきみを忘れていたんだ
もうすぐそんなことも考えなくなるよ

(↓)「サンタ・クララ(9月のある木曜の夜)


 これは先行シングル「愛を返せ(Rends l’amour)」の歌詞でもはっきりしているのだが、ビオレーにとって恋愛とセックスは全く別物なのである。セックスは常に悲しく、男たちは言い訳ばかりするが、恋愛の悲しみはそんな次元の問題ではない。底無しのメランコリアの男ビオレーはその癒しを求めて聖女探しをしていたのかもしれない。その求道の途上でできたアルバムがこの『サン・クレール』と深読みができるのだよ。
 たぶん最も核心的な歌だと思うが、13曲めのまさに天を仰いで神の名も出しながら歌うバラード曲「しかし(Pourtant)」で、迷えるビオレーは昇りつめる。
俺は西へ西へと向かい過ぎて、
おそらく東に来てしまったのではないか
と告白する
天の世界では良い風が吹いているのか
と自問する
おお天蓋よ
俺は観念した
高みにある神の沈黙に向かって
俺は告解する
俺は迷えるあほんだらだ
俺は特上の失望者だ
それでも俺は若くして死ぬために
最大限の努力をしてきた
ステージの上で黄色いライトを浴びながら
死なないために
最大限の努力をしてきた
そうとも最大限の努力さ
人が俺から離れていくように
俺は遠くまで行かなかったが
かなり早い速度で走ったんだ
どこで、何が、誰が、いつ?
答えはたくさんあった、だがしかし、
しかし...
俺はもう自分の顔を
鏡で見ない
喉の中に
ひどい味覚が残っている
あの高いところでは
火はあるのかと自問する
長い年月にわたる
うんざりする戦争
ヘルメットすらかぶっていない
誰が俺にこんな贈り物をくれたのか
卵、雌鶏
娼家のおかみ、娼婦
あの高いところでは
みんな目を凝らして詮索してる
だから俺は若くして死ぬために
最大限の努力をしてきた
ステージの上で黄色いライトを浴びながら
死なないために
最大限の努力をしてきた
そうとも最大限の努力さ
人が俺から離れていくように
俺は遠くまで行かなかったが
かなり早い速度で走ったんだ
どこで、何が、誰が、いつ?
答えはたくさんあった、だがしかし、
しかし...
誰かがこの水を
青い絵の具で染めた時
われらの罪のない子供たちの血で染まった
幾多の川の流れのことを
俺は忘れてしまったのさ
誓って本当だとも、俺は若くして死ぬために
最大限の努力をしてきたんだ
ステージの上で黄色いライトを浴びながら
死なないために
最大限の努力をしてきたんだ
そうとも最大限の努力さ
人が俺から離れていくように
俺は遠くまで行かなかったが
かなり早い速度で走ったんだ
どこで、何が、誰が、いつ?
答えはたくさんあった、だがしかし、
しかし...
しかし...

(↓)「しかし(Pourtant)」

わおっ。本気でこんな歌作ってしまったのだ。死なずにいる自分のための鎮魂歌。たぶんさまざまな努力をしてきたのは本当のこと。こういう歌、また作って天に向かって悲嘆を込めて歌い続けるのだろう、死ぬまで。迷えるビオレーがただの才能ある(ポップ)音楽アーチストだけではない、ということは徐々に知られていくことだろうけれど。
 アルバムはキャッチーでタイトなロックナンバーもあれば、得意の(メランコリックな)”男のリクツ”節もある。その中で一曲だけ、状況にコミットしたテーマの曲がある。16曲め「海渡り(La traversée)」は、アフリカ大陸から粗末なゴムボートや木舟に乗って命懸けでヨーロッパを目指して地中海を渡ってくる難民たちのことを歌っている。セートもまた地中海の港町であり、この海はアフリカにつながっている。
人生は長く
まず最初に
善人たちを殺し
愚者たちを残す
人生とは
ある人々には良いものだが
ある違う人々には
何の役にも立たない
金持ちもいれば
貧乏人もいる
あまり金持ちでない者もいれば
極度に貧乏な者もいる
湾に灯りがともる
今夜もまた海は
血を吐き出す
海を渡り切る前には
人生の未来が
何もなかった人々の血が
湾に灯りがともる
明日になれば海水浴客たちが
その前で昼寝をするだろう
塩と風の悲しみなど知らず
海賊や難破に遭う恐怖も知らず
海が泣いているということすら知らず

(↓)「海渡り(La traversée)」


 こういう歌があると、やっぱりこいつはいい奴なんだなぁ、と思う。
 だがこのアルバムの最良の部分は、前掲の16曲め「しかし(Pourtant)」のような正直な内省の嘆き節で、正直にこれまでの人生をいやだいやだと振り返りながら、それでも生きていくしかない不条理をどう見つめるか、というテーマだと思う。5曲め「(ある)ラヴェル(〈Un〉Ravel)」は素晴らしい。数々のクラシック名曲をパクって自分の楽曲にしてしまったセルジュ・ゲンズブールに倣ったのかもしれないが、曲名が示すようにこれはモーリス・ラヴェルを援用している。「死せる王女のためのパヴァーヌ」である。えも言われぬ美しい旋律である。これにビオレーはガキの頃から二度死んだ自分の人生をなぞり、すべて去りゆく諸行無常と格闘する自分、そこから逃げるためのボードレールの"人工の楽園"を想わせる薬物トリップも挿入されている。ボソボソと軟弱ラップのように歌い始め、ふてぶてしくもメランコリックに展開したあと、歌い込みのサビにラヴェル旋律が来る...。うますぎる。最後の「悪い風に乗って au vent mauvais」はヴェルレーヌ/ゲンスブールからの援用であろう。

俺は教室の最後列で最初に死んだんだと思う

5年から16年、別に何もしないってことは悪くないと思っていた

俺は愛の言葉など一言も知らずに愛を発見した
人の肌のいたるところに触ってもいいなんて知らなかった
喉仏に甘美な接吻をしてもいいなんてことも
どのように動脈の拍動が少しずつ減っていくのかも知らなかった

単純な世界なんてひとつも知らなかった、みんな複雑だった

ヴォーバンの中心街、城壁、その頃からひび割れていた
自分を取り戻したい意図の中に自分を見失おうとしていた
時間を浪費し、自分を安売りした
俺は暗闇の中で始めた、いや実際は始めてもいなかった
自分の両足の感覚がなくなるまで、浴槽の底にいたんだから

ジャン=ルイ・バチスト、マリー=マドレーヌ、カマルグの塩水

砂丘、鯨の浜辺、俺は死神に戦いを挑んだ

自分自身を罰することのできない臆病者の俺は
純真な心に穴をあけた
人魚たちはノー・フューチャーと歌い、俺の声はアンプを通しても聞こえない

俺の子たちは俺のことを金持ち扱いするのではないかと恐れている

穴の中で果てるのも怖い、最低でも焼かれて果てたい
俺が二度目に死んだのはステージの上で俺は裸同然だった

いやだいやだいやだ、俺は不満ばかり言っているが
心の奥底で俺はこれが好きなんだ
俺は好きなんだ、この憎たらしくも美しい人生が、
でかいケツをした、ベタベタした髪の人生が

でも歩道のこちら側から向こう側に移る前に
別れの言葉を交わさなければならない
人生はこんなふうに過ぎていく、この憂鬱と混じり合っためちゃくちゃなやつは
聖処女はこんなふうに生き、その子イエスはこんなふうに去った
エッフェル塔については、俺はその存在を信じていない
もしも俺がなにかを変えることができるんだったら、俺はきっと全部を変えられるさ
俺にはボロの帆と筏と海水と釘と
おまえの8月の汗水だけがあればいい

ものごとはこんなふうに進んでいく、人生もまたしかり

バラ色の夜もあれば、やつれた夜もある

人生に痛めつけられた俺の体

恋にも痛めつけられるさ

ほんの少量で、俺は

えも言われぬ夏の中に入っていった
湖のほとり、動かぬままの世界
宿泊地、音もなく扉を開ける部屋
このベッドには

誰も夜をつなぎとめてはくれないんだ、誰もいないんだ

歴史はこんなふうに進んでいく、人生もまたしかり
いくらかの輝かしい出来事は、幻想が満たされることがないまま
速度をゆるめていき、内側は灰色に変わっていく
ものごとの美しさなど決して長続きしない
それは悪い風に乗って飛んでいってしまう

(↓)”(Un)Ravel”オフィシャル・クリップ


この曲だけで、私、すべて許しますよ。

<<< トラックリスト >>>
1. Calidum cor, frigidum caput
2. Les Joues Roses
3. Rends l'Amour !
4. Les Lumières de la ville
5. (Un) Ravel
6. De la beauté   Là où il n'y en a plus
7. Santa Clara (Septembre un jeudi soir)  (feat. Clara Luciani)
8. Sante-Rita
9. Petit chat
10. Pieds nus sur le sable
11. Saint-Germain
12. Numéros magiques
13. Pourtant
14. Mort de joie
15. Forever
16. La Traversée
17. Saint-Clair

Benjamin Biolay "Saint-Clair"
2LP/CD/Digital Universal - Polydor
フランスでのリリース:2022年9月9日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)アルバムタイトル曲「サンクレール(Saint-Clair)」


(↓)冨田勲「亡き王女のためのパヴァーヌ」(1979年ラヴェル音楽集アルバム『ダフニスとクロエ』より)



2022年9月4日日曜日

聖姉妹綺譚

Amélie Nothomb "Le livre des soeurs"
アメリー・ノトンブ『姉妹の書』

また他愛もない話か、と読み始める。寓話体で書かれているからだ。あるところに女と男がおりました、そんな感じ。誇張され、昔語り/紙芝居弁士のように古風な語彙を多く交えて、ありもしない話だとわかっていても一気に読ませる大人童話。ユーモアは黒々としているが、上辺の平易さとシンプルさであっと言う間に読み進む。まこと、この作家は不思議なパワーをお持ちだ。
 1960年代末、北フランスのとある町で、女と男が運命的な出会いを果たす。ノラはフローランしか愛せないし、フローランはノラしか愛せない。二人の愛は十全的であり、他に何もいらない。周囲はこんな強烈な愛など一時的なものと達観しているが、あにはからんやこの愛は同じ濃厚さを保ちながら20年30年と持続していくのである。が、この小説はこの男女が主役なのではない。結婚して3年たってもアツアツの二人に、やっかみで人が「子供つくってみては?」と進言する。熱愛も”子育て地獄”で鎮まるだろうと。1973年、長女トリスターヌ(この綺譚の主人公)が誕生する。ノトンブの小説では過去にあったパターンだが、この新生児は言葉こそ話さないが、既に知覚能力を備えていて、驚異のスピードで知識を吸収し、周囲を観察する。両親は最初乳児を溺愛するのであるが、よく泣く子であることがわかるや、うんざりしてしまう。泣く子をあやすのに辟易したフローランは大人に言い聞かせるようにトリスターヌに「二度と泣くんじゃない、それは悪いことだ」と厳命する。その時から赤子は二度と泣かなくなる。その命令を理解したのだから。この乳児の超早熟な知覚など知りもしない両親は、赤ん坊が泣かなくなったことをよいことに、その部屋を閉めきり、熱愛カップルを再開するのだった。ノラの産休が終わり職場復帰、昼の間トリスターヌはわずか生後6ヶ月で託児所(クレッシュ)ぐらし。手間のかからない子、おとなしい子はクレッシュで大人の目に感知されぬ状態で人間の行動や関係の構築法などを学び取り、幼児たちの一段上を行く。だが手間のかからない子は両親からいよいよ無視されるようになり、両親の"永遠の蜜月時代”は続き、ある日2歳になっても一言も言葉を発しない娘に初めて異常を感じる。「”パパ、ママン”も言えないなんて」と両親が嘆いているのを聞いて、これが"許可”なのだと解したトリスターヌは「パパママン」と第一声を発する。「おまえいつからしゃべれるの?」ー 両親はこの子の不気味な知能を初めて垣間見て、喜びよりも恐怖すら感じてしまうのだった。
 ノラにはボベットと名乗るひとりの姉がいて、シングルマザーで4人の子持ち、失業者でアル中でモク中でテレビ中毒で、生活保護を受けてせまい社会住宅で暮らしているが、トリスターヌにはこの叔母ボベットが人生初めての”馬の合う”相手となった。下卑た言葉は使うが、この叔母はまっすぐでウソがない。意気投合したボベットはトリスターヌに自分と歳の違わぬ末娘コゼットの「マレーヌ marraine」(註:日本語では parrain の女性形として "(女性の)名付け親”と訳されるが、実際にはこの"parrain/marraine"はその子の一生の後見人/世話人の意味)を任ずる。自分の家で家族との交流の全くないトリスターヌは、叔母の家でそのインテリジェンスと面倒見の良さを如何なく発揮して、手のつけられない子たちだったコゼットとその3人の兄たちを"教育”し、楽しませ、荒廃した叔母の家庭を大改造する。「おまえは将来共和国大統領になれるよ」とボベットは予言する。この姉の証言をまったく信用しない(アル中の虚言癖がまた始まったとしか思っていない)ノラとフローランはトリスターヌの動向など頓着しない。ある日両親は幼女が極度の近視であることを知り、強いメガネをかけさせる。両親の目からすれば手間のかからない何でもひとりでできる子は、自分たちは楽だが、精彩のない目だたたないやせっぽちのメガネの子にすぎなくなった。だがわが子を愛していないわけではない。
 トリスターヌが4歳を過ぎた頃、周囲の意見に惑わされやすい両親は一人っ子の難しさを説かれ、年齢的にノラの妊娠出産が難しくなる前に第二子をつくってはと進言され、そのことをトリスターヌに問う。幼女は狂喜してその提案に賛成するが、両親は条件として(第一子の時で懲りたから)授乳、おしめ替え、子守は全部おまえがするのだぞ、と。
 1978年、次女レティシア誕生。トリスターヌは一目妹を見た時から激烈な愛を抱く。それが相思相愛になるにはやや時間がかかるが、時と共に二人の愛は強固なものとなり、小説の終わり(二人とも30歳代)まで変わらぬ関係となっている。
 小説は二つの相反する"愛”という構図をとっている。一方にノラとフローランという時間を超えた純朴な愛があるが、それは二人に独占的であり、排他的であり、閉鎖的である。それに対してトリスターヌとレティシアの愛は開かれていて、周囲と反応作用を起こしながら拡がっていく。その影響でどんどん”良くなって”いくのが、叔母のボベットとその娘コゼットである。特に後者はトリスターヌ/レティシア姉妹と絶妙のトリオを形成した時期もあったのだが、拒食症で非業の最後を遂げる。コゼットの死と最後まで関わったトリスターヌ(実はその死に至らしめる最後の”一撃”はコゼットの最後の嘆願でトリスターヌが与えている)は、死後冥界にいるコゼットと交信できるようになり、気立てはいいが出来の悪い粗野な娘だったコゼットは死後トリスターヌの第一の相談役という地位に昇格する(この小説のシナリオ上、一番弱いエピソードだと私は思う)。
 さて両親との約束通り新生児レティシアの育児の世話全般をりっぱに担ったトリスターヌは、二人の子供の存在にまったく頓着せずいちゃいちゃ恋愛を続ける両親をよそに、家庭内に姉妹だけの夢の空間を構築していく。例えばノラは仕事に出かける前に、子供部屋のテレビをつけっぱなしにて行く。子供たちが寂しくならないようにという配慮からであるが、トリスターヌとレティシアはそんなものを必要としないし、トリスターヌが次々に考案する創造的な”遊び”の数々は限りない。姉は母が出て行ったあとテレビをすぐに消し、また母が帰宅する頃を見計ってテレビのスイッチを入れる。こういう家庭に波風を立てない心配りまでできる幼女であったが、これを両親は知るよしもない。
 レティシアとトリスターヌの違いは瞳の輝きである。レティシアは生まれながらにして輝きをそなえた娘だった。トリスターヌもこの輝きを熱愛するのだが、それにひきかえトリスターヌは(メガネということだけでなく)人を惹きつけるものがない。一度話をして知り合った人たち(子供も大人も)はトリスターヌの魅力に気がつくのだが、パッと見では誰もトリスターヌに寄り付かない。これを幼いトリスターヌは気にかけていたのだが、ある日、両親が言ってはいけないことを言ったのを聞いてしまう。(p71)
彼女は壁越しに両親が話し合っているのを聞いてしまった:
「トリスターヌがあまりきれいじゃないのは残念ね」と母は言った。
「どうしてそう思うんだい?あの娘はとてもきれいだよ。繊細だし顔立ちも髪の毛もきれいだし、メガネはよく似合っているよ」
「あなたの言うとおりね。私の言い方が間違っていたわ」
「一体何が問題なんだい?」
ノラはたっぷり時間をとったあとこう断言した。
「艶のない少女なのよ」
「全然そんなことないよ。あの娘は優秀だし、魅力的だよ...」
「それは知ってるわ。あの娘をよく知ったら、とても非凡な娘ってわかるわ。でもそれは外見ではわからない。あの娘は精彩のない少女に見えるのよ」

原文:"C'est une petite fille terne" = 艶のない少女。 形容詞terne(テルヌ)は、私のスタンダード仏和辞典では「艶のない、曇った、(色が)くすんだ、生彩のない、(生活などが)陰鬱な、味気ない、(人が)ぱっとしない」といった訳語が出てくる。残酷な形容詞である。これを母親のノラが断定的に言い切ったのだ。トリスターヌはこの時から"terne"という形容詞が重い重い重い十字架となって一生引きずることになる。

 小説はエゴイストな両親との衝突を避けるよう気を配りながらも、自立/独立の方向に進んでいく幼い姉妹の成長とユートピア建設が描かれていく。並外れたインテリジェンスを持ったトリスターヌの穏便策とは対照的に美貌と際立つ個性を身につけたレティシアはわずか8歳でロック・ミュージック(ハードロック系)に目覚め、ギターを習得し、ロック・トリオ Les Pneus(レ・プヌー、意味はタイヤ)を結成し、ベルシー(現在の名称:アコール・アレナ Accord Arena)を満杯にするバンドを目指すというのである。初代メンバーはレティシア(リーダー/ギター/リードボーカル)、コゼット(ドラムス)、トリスターヌ(ベース)。このパワーロックトリオの変遷もなかなか読ませるものがある。早くから自分の人生はロックしかないと決めたレティシアの突き進みがいい。一旦はベーシストにおさまったものの、自分の人生をロックとはとても思えないトリスターヌは、両親の嫌がらせをはねのけて、"Très bien"メンションつきでバカロレアに合格し、(親から出資ゼロでも構わないように)無返済奨学金を取得、パリ大ソルボンヌ校へ。トリスターヌの離脱、コゼットの死、メンバーチェンジを繰り返すがメンバー同士の恋愛トラブル(これも可笑しい)などを克服して、レ・プヌーは(人気バンドではないが)実力派バンドとして成長していく。
 大きな主題として、トリスターヌに刻印された「艶のない娘」の呪縛を、いかにしてトリスターヌが克服していくか、ということがあるが、その悩みの最も大きな支えとなるのが当然レティシアという妹の存在であり、次いで冥界にいるいとこのコゼット、叔母のボベットなどもいる。さらにトリスターヌが体験するさまざまな恋愛(男も女も)もいい薬になっている。聖なる姉妹愛の物語はよい塩梅で開かれた関係なのであり、それがこの小説の救いであると思う。
 最後にやってくるのは、一生この長女の優越性にがまんがならなかった母親ノラとトリスターヌの落とし前なのであるが、ここでは書かないでおこう。そしてその落とし前の厄払いをしてくれるのが妹のレティシアという、よくできたお話。読まされてしまったので、大きな不満はないのであるが、綺譚得意のノトンブ、もう少しリアルに近い小説も書いてほしいと思うのは無い物ねだりか。

Amélie Nothomb "Le livre des soeurs"
Albin Michel刊 2022年8月17日 200ページ  18,90ユーロ


カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)出版社アルバン・ミッシェル制作の著者自身による作品紹介プロモーションヴィデオ。