映画冒頭でハドック船長が受け取ったトルコからの手紙というのは、船長の古くからの船乗り仲間で親友だったパパラニックが亡くなり、その遺言状にパパラニックが所有していた船トワゾン・ドール号をハドックに進呈するとあり、その譲渡手続きのためにイスタンブールへ来いというパパラニックの弁護士からの申し出だった。さっそくハドックは相棒の探検リポーターのタンタンとその愛犬ミルーを連れ立って空路でイスタンブールへ。弁護士の案内で港に停泊しているトワゾン・ドール号を見に行くと、なんともボロい旧時代の小さな貨物船で、ハドックはこんなものをもらっても何の得もないと譲渡受諾に躊躇する。そこへアントン・カラビンと名乗る富豪の商人が現れ、破格に高価な金額でこの船を買いたいとしつこく迫り、買値をどんどん釣り上げていく。むむむ。怪しい。ハドックとタンタンはこの胡散臭い豪商との取引を断るが、そのあとハドックとタンタンの命を狙うさまざまな襲撃を受けることになる。トワゾン・ドール号には秘密が隠されているに違いない。船倉に残された荷物はガラクタばかり。しかしタンタンは故パパラニック船長の書机から一枚の新聞記事スクラップを発見する。数年前、南米の小国テタラグア(架空の国、モデルはニカラグアとされる)でクーデターが起こり、クーデター首謀者たちは8日間だけ国の全権を掌握することができたのだが、勇敢なるテタラグア人民の蜂起でクーデター政権は崩壊、首謀者たちは国外に逃亡する際にテタラグア中央銀行にあった国庫の金塊を持ち出したというのである。5人の首謀者たちの中に、なんとパパラニック船長とアントン・カラビンも。Ça alors ! しかしその金塊はどこかに隠されたまま発見されていない。それを知っていたパパラニック船長は死に、遺品としてトワゾン・ドール号が残った...。
アンドレ・ポップの代表作の一つ、子供たちのためのオーケストラ音楽入門の音楽物語『ピッコロサクソと仲間たち』(1957年)で既に極められていた、あらゆるオーケストラ楽器を知り尽くした達人的職人芸の”器楽つかい”、碩学的な民族音楽の深い造詣、そのアンドレ・ポップに映画音楽を任せたら、こんな音楽になっちゃったのですね。わかりやすくも奥深い。しかし、この秀逸な仕事にも関わらず、タンタン実写映画の次作『タンタンと水色のオレンジ Tintin et les Oranges Bleues』(1966年)ではアンドレ・ポップではなく(ゴダールやトリュフォーの映画音楽で知られる)アントワーヌ・デュアメル(1925 - 2014)が音楽を。なぜかは知らない。
なお、1962年録音&リリースのイザベル・オーブレ歌のヴァージョンは、映画のオリジナルサウンドトラックではないものの、大変ポピュラーであり、同じ年1962年、イザベル・オーブレは「はじめての愛 Un premier amour」(アンドレ・ポップの曲ではない)という歌でユーロヴィジョンで優勝していることもあり、アンドレ・ポップ版よりもこっちの方が映画主題歌と思われているフシがある。歌のタイトルは「タンタンとトワゾン・ドール号 Tintin et la Toison d'Or」となっていて、「神秘」が抜けているが、大したことではない。作詞はピエール・ドラノエ。編曲伴奏はアンドレ・ポップの同業者、ジャン=ミッシェル・ドファイユ。
2008年、オリヴィエは(エレクトロ・シンガーソングライター)セバスティアン・テリエ(1975 - )の曲”L'amour et la violence(愛と暴力)”に衝撃を受け、これは俺の歌だ、俺のことを歌った歌だ、俺に言えなかったことをこの歌は俺に代わって言っている、なぜこんなことが俺でない人間にできるのか、と猛烈に嫉妬した。父と自分の関係はまさに端的にこの二つの言葉である、すなわち愛と暴力。答えは全てこの二つの言葉の中にある。この本を書かせる全ての理由はここにある。
Dis-moi ce que tu penses あんたが思っていることを言ってくれ De ma vie 俺の人生について De mon adolescence 俺の青春時代について Dis-moi ce que tu penses あんたが思っていることを言ってくれ J'aime aussi l'amour et la violence 俺も愛と暴力が好きなんだ
The Dells "Can sing a rainbow / Love is blue" ザ・デルス「ラヴ・イズ・ブルー」
1968年シングル 1968年アルバム "Love is blue"
楽曲「恋はみずいろ L'amou est bleu」(詞ピエール・クール/曲アンドレ・ポップ)の初お目見えは1967年4月8日ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト(於ウィーン/ホーフブルク王宮)であった。同コンテストにルクセンブルク大公国代表として出場したヴィッキー・レアンドロスがフランス語(オリジナル)で歌い、出場17カ国17曲のうち、第4位に終わった。ピエール・クールのフランス語詞は
… Doux, doux, l'amour est doux 甘く、甘く、恋は甘く、 Douce est ma vie, ma vie dans tes bras あなたの腕の中にある私の人生は甘美なもの Doux, doux, l'amour est doux 甘く、甘く、恋は甘く Douce est ma vie, ma vie près de toi あなたのそばにいる私の人生は甘美なもの
… Bleu, bleu l'amour est bleu 青く、青く、恋は青く Berce mon cœur, mon cœur amoureux 私の恋する心を優しく揺らす Bleu, bleu, l'amour est bleu 青く、青く、恋は青く Bleu comme le ciel qui joue dans tes yeux あなたの瞳の中でゆらめく空のように青い
… Comme l'eau 水のように Comme l'eau qui court 流れる水のように Moi, mon cœur 私、私の心は Court après ton amour あなたの愛を追いかける
… Gris, gris, l'amour est gris グレー、グレー、恋はグレー Pleure mon cœur lorsque tu t'en vas あなたが去ってしまうと私の心は泣いてしまう Gris, gris, le ciel est gris グレー、グレー、空は灰色 Tombe la pluie quand tu n'es plus là あなたがいなくなると雨が降ってくる
… Le vent, le vent gémit 風、風が騒ぐ Pleure le vent lorsque tu t'en vas あなたが去ってしまうと風も泣いてしまう Le vent, le vent maudit 風、呪われた風 Pleure mon cœur quand tu n'es plus là あなたがいなくなると私の心は泣いてしまう
… Comme l'eau 水のように Comme l'eau qui court 流れる水のように Moi, mon cœur 私、私の心は Court après ton amour あなたの愛を追いかける
… Bleu, bleu, l'amour est bleu 青く、青く、恋は青く Le ciel est bleu lorsque tu reviens あなたが戻ってくると空は青い Bleu, bleu, l'amour est bleu 青く、青く、恋は青く L'amour est bleu quand tu prends ma main あなたが私の手を取ると恋は青い
… Fou, fou, l'amour est fou 狂おしく、狂おしく、恋は狂おしく Fou comme toi, et fou comme moi あんたかてあほやろ うちかてあほや Bleu, bleu, l'amour est bleu 青く、青く、恋は青く L'amour est bleu quand je suis à toi 恋は青く、私はあなたのもの L'amour est bleu quand je suis à toi 恋は青く、私はあなたのもの
このように、他愛もないラヴソングであり、この青色=ブルーはポジティヴな恋の色として描かれている。この同じ年1967年にヴィッキー・レアンドロスはこの歌を英語でも吹き込んでいる。タイトルは(”Love is blue"ではなく!)"Colours of love"で、英語詞はイギリス人劇作家/作詞家ブライアン・ブラックバーン(Bryan Blackburn 1928 - 2004)が書いている。このブラックバーン詞というのが、オリジナルのピエール・クール詞を全然リスペクトしていないのですよ。
Blue, blue, my world is blue ブルー、ブルー、私の世界はブルー Blue is my world, now, I′m without you あなたがいなくなった今、私の世界はブルー Gray, gray, my life is gray グレー、グレー、私の生活はグレー Cold is my heart since you went away あなたが去ってから私の心は冷たい
Red, red, my eyes are red 赤く、赤く、私の両目は赤い Crying for you alone in my bed 一人のベッドであなたを求めて泣き叫んでいる Green, green, my jealous heart 私の嫉妬深い心は緑色 I doubted you, and now, we're apart あなたを信じられず、私たちは離れ離れに
When we met, how the bright sun shone 私たちが出会った時、なんて明るい太陽が輝いていたことか Then love died, now, the rainbow is gone そして恋は死に、虹は去ってしまった
Black, black, the nights I′ve known ブラック、ブラック、私が一人過ごす夜はブラック Longing for you, so lost and alone あなたが恋しくて、絶望的で孤独 Down, down, the love we knew 私たちが知っていた恋は、転落してしまった
Blue is my world, now, I′m without you あなたを失った今、私の世界はブルー
そして翌年1968年、ポール・モーリア楽団のインストルメンタル曲として発表されたこの曲は全米チャートNo.1という大偉業を成し遂げてしまう。このアメリカ発売時にこの曲は”Love is blue”というタイトルになっている。以来、この曲の英語タイトルは”Love is blue”として定着するのである。で、全米でたいへんポピュラーになってしまった「ラヴ・イズ・ブルー」は、アル・マルティーノ、ジョニー・マティスと続々とカヴァーヴァージョンがリリースされるが、歌詞は(↑の)ブライアン・ブラックバーンの英語詞であり、「ラヴ・イズ・ブルー」は失恋ブルーのスタンダード曲に昇格していく。その1968年のカヴァーで一つ例外的なのが、当時破竹の勢いのヒットレコード会社A&Mからリリースされたフランス出身歌手/女優のクローディーヌ・ロンジェ(1942 - 2026、この原稿を書いている時に逝去しました、合掌🙏)の「ラヴ・イズ・ブルー」で、歌部分はピエール・クールのフランス詞で歌われ、間奏部分で、my life is sad, love is goneと英語で失恋ナレーションが導入される”ハイブリッド”編曲、全米71位の健闘。
さて本稿の主役、米国イリノイ州出身のドゥワップ/R&B5人組ヴォーカルグループ、ザ・デルス、1954年レコードデビュー、1956年「おおわらないと Oh what a nite」でブレイク、続々とヒットを飛ばし、ドゥワップを背負って立つ看板グループに。で、1968年にポール・モーリア「ラヴ・イズ・ブルー」人気にあやかって...。まあ、ちょっと、よそのアーチストたちのカヴァーとはえらく違うヴァージョンになりました。「ラヴ・イズ・ブルー」という色彩をモチーフにした歌に、もうひとつ虹の七色を歌った歌「アイ・キャン・シング・ア・レインボウ」(Red and yellow and pink and green / Orange and purple and blue / I can sing a rainbow/ Sing a rainbow / You can sing one too! ) をマッシュアップ。後者は童謡として広く親しまれていて、1955年の映画『ピート・ケリーのブルース』でペギー・リーによって歌われ、心地良い子守唄に。この二つをメドレー化することで、たくさんの色が登場する歌になってしまったのね。そのマッシュアップ歌詞(緑字 I Can sing a rainbow / 青字 Love is blue )をそのままコピペ。
[Intro] Red and yellow and pink and green Purple and orange and blue
[Chorus] I can sing a rainbow (I can sing a rainbow) I can sing a rainbow, too Woo-woo
[Verse 1] Blue Blue, blue my world is blue Blue is my world now I'm without you Gray Gray, my life is gray Hole in my heart since you Since you went away Ah yeah Oh yeah, yeah
[Chorus] I can sing a rainbow (I can sing a rainbow) Sing a rainbow I can sing a rainbow
[Verse 2] (Red) Red Red my eyes are red Crying for you alone in my bed Green So green my jealous heart I doubted you and now Now we are apart Oh yeah Oh yeah
[Bridge] When we met How the proud sun showed Then love died Now the rainbow is gone
[Verse 3] (Black) Oh black (Oh) The nights I've known Longing for you Lost and alone God Oh God The jealous love for you Blue is my world Now I'm (Hey, hey, I said hey) Now I am without you, baby
[Outro] Blue, blue My world is blue, baby (I love you baby) Now that we're apart (I love you, baby) My world is blue, baby (I want you, baby) Hole in my heart (I need you, baby) My world is blue, baby (My world is so blue) My world is blue, baby (I need you, baby) Hole in my heart (I want you, baby) My world is blue, baby (I love you)
*** ボーナス *** (↓)2026年(第70回)ユーロヴィジョン・ソングコンテスト(於ウィーン)の準決勝(5月12日)のオープニングソングとして「恋はみずいろ」(詞ピエール・クール/曲アンドレ・ポップ)、70人のコーラス隊を従えて、1967年にこのウィーンで歌ったヴィッキー・レアンドロスその人が登場(このYouTube4分14秒めから)。前フレ/イントロがやたら長い動画だけど、ヴィッキーが見えたら涙がほとばしり出た。生きててよかった🙏 L'amour est bleu quand je suis à toi ❤️❤️❤️
このラジオ(と初期テレビ)での数々の作編曲に注目し高く評価したジャック・カネティが、そのレコード会社フィリップスの専属楽団編曲指揮者に、さらに”軽音楽”楽団としてレコードデビューさせたのであった。1955年「アンドレ・ポップとその楽団 André Popp et son grand orchestre」は4曲入り45回転シングル盤”ANDRE POPP JOUE ANDRE POPP"(アンドレ・ポップ プレイズ アンドレ・ポップ)というデビュー盤は、その名に反して4曲のうちアンドレ・ポップ作曲の曲は1曲("Mon Coeur Attend")のみであった。オンド・マルトノがフィーチャーされたセンチメンタルな”ムード音楽”、さすが。
さていよいよ「透明人間 l'homme invisible」である。これは上に書いたように、下積み時代に国営ラジオでラジオドラマを制作していた経験が大きくものを言っている。これはりっぱな短編ラジオドラマである。なおこの曲に作詞者としてクレジットされているのが、ピエール・クール(1916 - 1995)。1960年、ピエール・クール作詞/アンドレ・ポップ作曲のコンビは「トム・ピリビ」(ジャクリーヌ・ボワイエ歌)でユーロヴィジョン・コンテストで優勝し、日本でもかなり親しまれる歌になったが、それよりも何よりも、この「透明人間」の3年後の1967年、「恋はみずいろ L'amour est bleu」という地球規模メガヒット曲を放つのである。では、そのピエール・クールがこの「透明人間」でどんな作詞(?)をしたか?まあ、超短編ラジオドラマの脚本のようなものであるが、たったこれだけなのですよ。
(女)Qui est là ? キエラ? (女)Qui est là ? キエラ? (女)Qui est là ? キエラ? (男)L’homme invisible. 透明人間 (女)Qu’est-ce que vous voulez ? 何が欲しいの? (男)You. Vous. ユー (女)Non, non... ノン、ノン....
とりわけ意中の同級生の少女アンヌ=カリーヌの家は、立派な邸宅(hôtel particulier)で、明らかに金持ちなのだが、少女の父親(ムッシュー・デュシェネ)というのが絵に描いたような封建的家父長制の伝承者にして保守反動思想の持ち主、この1985年頃急激に伸長してきている極右排外主義(ジャン=マリー・ルペンのFN党)に同調するような発言まで出る。娘はこの父親と真逆のアンチ・レイシズム運動 SOS ラシスム(1984年発足)の支持者であり、父親への反発・反抗は日増しに激しくなっていく。出番こそ少ないが、娘と父の間に挟まれて、オロオロ心配する母マダム・デュシュネ(演アデル・ジェイル)がとてもいい味を出している(←エレーヌ・ヴァンサンを想わせるところあり)。 さてヴァンサンとアンヌ=カリーヌで行ったクラスでの研究発表スピーチが大スキャンダル(詳細は省略する)となり、教師に双方の両親が呼び出され厳しく嗜められたことで、ムッシュー・デュシェネはヴァンサンの両親に二度と娘に近づかないように、と交際禁止を厳命する。ヴァンサンとアンヌ=カリーヌの関係は一転してロメオとジュリエットと化してしまうのだが、(映画ですから)、あの手この手で二人は密会し、その恋慕の情を高めていくのでした。 それと並行して、イーヴの職探しの難航、ヴァンサンのわるガキ仲間たちによるポルノヴィデオ騒動、アルノーの海賊盤ビジネスの成功、サンドリーヌのエグゼキュティヴウーマンへの変身計画の苦労など、盛り沢山のエピソードが詰まって映画は進行する。トレダノ&ナカッシュ映画にはお約束となっている、みんなで踊って盛り上がって最高に幸せになれるシーン、今回は変身転職の戦いに疲れ果てたサンドリーヌが、ひとり家の掃除をしながら、その手を休め、ふっと力を抜いて、もうどうにでもなれっ!という勢いで、ポインターシスターズ「アイムソーエキサイテッド」(1982年)で踊り狂い始めるのね、これ、カミーユ・コタンが素晴らしいんだぁ、『アントゥーシャブル(最強のふたり)』(2011年)のオマール・スィのアース・ウィンド&ファイア「ブギーワンダーランド」踊りと比肩する衝撃的な迫力、文字通りエキサイテッドの化身となって乱舞するのだけど、ほんと、お見それしました。そこへまた再就職失敗で気落ちしたイーヴが帰宅してくるのだけど、イーヴが妻の乱舞を見て自然と触発されて、サンドリーヌに合わせてエキサイテッドな乱舞に加わってしまう。ルイ・ガレルも本当にうまい。ここでそれまでギクシャクしていた夫婦が、乱舞の中で和解してしまうのですよ。いやあ、これは幸せになれますよ。 映画のクライマックスは、1985年のハイライトでもあった、6月15日、コンコルド広場に30万人を動員したSOSラシスムの(徹夜の)メガコンサート、双方の親から外出を禁止されていたヴァンサンとアンヌ=カリーヌが(上述のように)NRJで流されたアンドリュー・ゴールド「ジュヌヴィエーヴ」のメッセージに従って、雨の中で再会、そしてコンコルド広場へ、ステージではテレフォヌが"もうひとつ別の世界 Un autre monde"を演奏している、という、たまらなく憎い大団円なのであった。
トレダノ&ナカッシュ監督の9本目の長編映画。ちょっと冴えなかった前作『Une année difficle 苦しい一年』(2023年)から3年後。北アフリカ系ユダヤ移民の子として1980年代に少年時代を生きた両監督の記憶を投影する自伝的傾向を含んだフィクション映画。私にはノスタルジックで泣けるシーンも多かった。過去のミラージュのようだった。このタイトルが端的に喚起しているように、これはただの幻想 just an illusion だったのかな。私には確かだった過去のように思っているのだけれど(私はその過去をずっと引きずっているし)。
J'ai changé de pays soudain. 私は突然住む国を変えた。 B面1曲め「奇妙なコメディー Etrange comédie」の冒頭の1行である。実は私もこの年1976年に突然住む国を変えたのである。その春に私は大学に休学届を出して、初めてのパスポートと初めてのフランス滞在ヴィザを取得し、初めての外貨(フランスフラン)と初めての国際航空券を買った。サンソンは第5回東京音楽祭(1976年6月27日、東京帝国劇場)に出場するために6月下旬には東京にいたのだろう。アルバム『ヴァンクーヴァー』は、その来日記念盤(↑写真)として(『想い出』というどうしようもない日本タイトルになって)ワーナーパイオニアから発売されたのだが、私はこの日本盤の記憶がない。サンソンがまだ日本にいたかもしれない6月29日、私は羽田からアンカレッジ経由のエール・フランス便でパリCDGに出発している。成田空港はまだ開港しておらず、CDG空港はカマンベール型のCDG1しかなかった時代である。
J'ai changé de pays soudain. 流謫、Exil。私は22歳になったばかりだった。この「奇妙なコメディー」の第一行だけでなく、アルバム『ヴァンクーヴァー』は私の初めてのフランスにずっと鳴り続けていた。この歌だけでなくアルバムのいくつかの曲が移住のメランコリーを語っているように、私の移住もあまり明るくない部分も含んでいた。私のこの時期に関しては、また機会があったら書くとして、『ヴァンクーヴァー』楽曲の解題を続けよう。
まずA面1曲めにしてアルバムタイトル曲「ヴァンクーヴァー」は、ジャズピアニスト/作曲家のアンドレ・マヌーキアンの国営TVフランス3の番組”La vie secrete des chansons"(2022年放送)の中で、1975年暮れのエルーヴィル城スタジオ逗留中に、曲作りが進まないサンソンに業を煮やしたプロデューサーのベルナール・サン=ポールがサンソンを48時間ピアノ室に缶詰めにして書かせた曲、というエピソードが紹介されている。切羽詰まらないとコトができない怠惰なサンソン。しかし曲の準備はある程度できていたのだが、当時のヴェロニクの心理状態を反映するメランコリックで苦悩を主題とする曲が幅を利かせていて、強烈な印象でアルバムを牽引していくような「一曲」が足りないという鬼プロデューサーの強要だったのだ。ガツンと来る一発。つまり大シングルヒット必至の、英語で言うところの "banger"が欲しい、と。そして「ヴァンクーヴァー」は生まれ、見事バンガーとなった。
Aller de ville en ville, ça je l'ai bien connu 街から街への旅暮らし、そんなの慣れてるわ Je mène ma vie comme un radeau perdu 難破した筏みたいな私の人生 Les gens de la nuit sont toujours là quand il faut そんな時いつも夜の仲間たちがいてくれる Ils vous accueillent avec des rires et des bravos 笑い声と歓声でみんなを迎えてくれる
Les vapeurs d'alcool, ça je les connais bien 酒臭い空気、そんなもの慣れっこよ Les cheveux qui collent au front des musiciens ミュージシャンたちの額に張り付いていく髪 Et c'est difficile, le choix d'une vie 人生ひとつを選べって、それは難しいわよ Je rêve de choses dont j'ai réellement envie 私は本当に本当に欲しいものを夢見ているんだから
Je chante dans le port de Vancouver 私はヴァンクーヴァーの港で歌う Je chante sur des souvenirs amers 私は苦い思い出のことを歌う Et je danse, je danse, c'est bien それから私は踊る、踊る、それでいいの Je n'vois jamais le matin et c'est bien 朝日を拝むことなんて一度もないわ、それでいいのよ
À midi je suis dans mon lit et je rêve de quelque chose 正午、私はまだベッドの中にいて、何かを夢見続けている À minuit je suis dans la ville et je cherche quelque chose 真夜中、私は繁華街にいて、何かを追い求めている
この歌はマニフェストである。音楽アーチストにあってサンソンはライヴパフォーマーとして生きる道を選んだ。思い出してもみよう1970年代、大衆音楽の現場とはテレビであった。テレビで(振りをつけて)口パクで歌うふりさえできれば、ヒット芸能歌手として重宝される”ヴァリエテ・フランセーズ”というジャンルが確立された時期だった。大アーチストであることは間違いないがフランソワーズ・アルディとヴェロニク・サンソンの道を分つのはここであり、アルディはライヴを拒否してレコードアーチストとなり、サンソンはレコード+ライヴの道を選んだ。街から街への楽隊稼業を恐れない、むしろオン・ザ・ロードで生きること、ステージでオーディエンスとダイレクトに交感することがサンソンをアーチストとして生きさせるレゾン・デートルとなった。このライヴ&ツアーのもたらすオキシトニン、ドーパミン、アドレナリンを教えてくれたのはスティーヴン・スティルスのアメリカだったと言っていいと思う。これはロック的である。1970年代前半にヴェロニク・サンソンのファンになったフランスの若者たちは、サンソンにロック的なるものを見ていたし、期待していた。フランスの2大ロック誌だったBEST誌とROCK&FOLK誌の73〜76年頃の読者投票ではサンソンは不動の”ベストフィメールロックアーチスト”1位であった。それはスティルスとの関係に起因する印象と思われようが、それだけではない。74年のオランピアから始まる一連のサンソンのライヴステージは「ロックショー」であった。興奮と陶酔、ステージの魔に憑かれた女、それがヴェロニク・サンソンであり、その「ステージ命」のアティチュードは76歳になる今日でも変わらず、ダリダの歌のように「ステージで命果てたい」と思っているかのようだ。 「ヴァンクーヴァーの港で私は歌う」と第一リフレインにあるが、当時サンソンはこのカナダの大都市に一度も行ったことがない(最初に訪れたのはこの歌の10年後だと言う)。ファーストアルバム『アムールーズ』(1972年)の中の「バイーア」と「マリヤバ」と同じように”見てきたような”イマジネーションの歌である。この時期のサンソンの北米でのコンサート活動はカナダの仏語圏ケベックに限られていた。ではなぜ「ヴァンクーヴァー」を選んだかというと、”VancouVer"という二つの”v”音に霊感を受けたからで、ゲンズブール「さよならを言うために」にも引用されたヴェルレーヌ詩「秋の歌」の"au Vent mauVais"(上田敏訳では”うらぶれて”)の二つの”v”と関係あるかもしれない。風(vent)まかせの旅芸人という関連かもしれない。この"v"音は重要だし、この歌の強さも象徴している。因みにサンソン家の二人の娘はViolène(ヴィオレーヌ)とVéronique(ヴェロニク)で、二人とも"v"で始まるが、父母(ルネとコレット・サンソン)とも第二次大戦のレジスタンスの英雄だったことから、勝利の"v"(victoire)あやかりだったようである。この "Vancouver (ヴァンクーヴェール)”と次の行の”苦い思い出 souvenirs amers(スーヴニールアメール)が韻を踏んでいる。嫌な思い出ばかり歌ってまわる旅のロックシンガー、このイメージは「渡り鳥シリーズ」的ですらある。そして狂ったように踊り、陶酔し、朝の訪れを知ることもなく、気がついたら昼までベッドでくたばっている。第二リフレイン(À midi je suis dans mon lit....)は必殺であり、ロック的生きざまを2行に凝縮した(今日びの表現で言うなら)パンチラインである。ライヴでのオーディエンスの大合唱も必至である。
ここでスティルスとの関係をおさらいすると、72年マナサスを引き連れてツアーで訪れていたパリで二人は電撃恋愛、73年英国で結婚、渡米、コロラドの標高3000メートルの高地にあるスティルス屋敷に移住。隣人もなくポツンと自然の中に立つ家で、空気が薄く、時々酸素ボンベが必要になる。極寒(サンソンは零下40度まで下がると言っている)の冬が半年以上も続き、麓に買い出しに行くには雪上車が必要だった。厳しい環境と孤独、これはパリ育ちのお嬢さんにはあまりにしんどく...。それからスティルス自身の(CSNと並んで)最重要かつ最強のバンドであったマナサスのセカンドアルバム『ダウン・ザ・ロード』(1973年、ヴェロニクに捧げられた"Guaguanco de Veró"なる曲あり)の商業的失敗とそれに伴うバンド解散という音楽アーチストとして重大スランプ期に陥っており、以前から問題あったアルコール依存症(+ドラッグ)がかなり深刻なものになっている。 ”Les vapeurs d'alcool, ça je les connais bien(酒臭い空気、そんなもの慣れっこよ)”と↑の「ヴァンクーヴァー」でサンソンは歌っているが、このアルコールはスティルスとサンソンの両者に共通した問題であった。二人とも強度の依存症であり、これが多分二人の関係を最悪にさせた大きな原因であるはずである。往々にしてスティルスにはこれに暴力が伴う。 1974年4月、クリストファー誕生。二人の間に幸福/平穏が戻ってくる。そしてこの乳児を連れて二人は74年9月14日、ロンドン・ウェンブリースタジアムで(歴史的)CSN&Yコンサート(10万人)、その後フランスに渡り、パリから30キロ西方のイヴリーヌ県オルジュヴァルに屋敷を借り、サンソン+スティルス+クリストファーは(ヴェルサイユに近い)古き良きフランス田舎で良いワイン/良いキュイジーヌ・フランセーズと共に新生活を始める。赤子の世話はじいじとばあば(ルネ&コレット・サンソン)とおばん(ヴィオレーヌ・サンソン)が見てくれる。そりゃあヴェロニクはさぞ満足だったであろう。74年10月、スティルスとそのバンドメンもバックにつけてヴェロニク・サンソンはオランピアで帰還コンサート。この時サンソンは音楽誌ゴシップ誌など芸能プレスの方々で(正直にも)「もうアメリカには戻りたくない」「アメリカでの生活はおしまいよ」などと言い回っている。それはとりわけコロラドには帰りたくない、なのであるが、この子をフランスで育てない、この子と一緒にフランスに居たい(居続けたい)という理由もあった。スティルスはフランスに長く居るなど問題外であった。自分の音楽アーチストとしての重大時期(不調期)でもあったし。75年2月11日〜16日、6夜にわたるオランピアでのコンサート(スティルス不在)、2月18日〜3月9日、初のフランス全国ツアー18都市19回のコンサート、3月20日〜4月8日、カナダ(ケベック+オタワ+モンレアル)ツアー、4月〜5月マイアミでスティルスと合流、クリストファー1歳の誕生日、6月〜7月、ハワイでヴァカンス ← このハワイ滞在が芸能誌などで大きく報道され、別居/離婚説を忘れさせるハッピーさ(この時の映像は2026年公開のトニー・ヴォルフ監督ドキュメンタリー映画『ヴェロニク』の中でもサンソンが人生で最高に幸福だったヴァカンスのように紹介される)。長続きしない幻想。75年9月、サンソンはフランスのオルジュヴァルの館に戻ってくる。11月末、(『ヴァンクーヴァー』となる)新アルバム準備で、オワーズ県エルーヴィル城スタジオ入り...。
Si tu me vois les toucher de mon regard 私の視線があの人たちに触れて Leur donner le goût d'l'art 芸術の味わいを与えたり Avoir un sale goût de larmes dans mon fou rire 私の哄笑に涙の苦みを感じさせても M'en veux pas 私を恨まないで
Tu m'as rendue redoutable mais je suis si vulnérable あなたが私を鬼にしたのよ、私がこんなに弱いのに C'est si facile de faire mal, faire mal, faire mal, faire mal, faire mal 人を傷つけるのって、いとも簡単なことなのよ
Et si tu me sens avoir des idées de mort 私が死のことを考えてるって察したら Tu sais très bien que mon cœur est mort あなたは私の心が死んでしまったことを知ってるでしょう Tu vois bien que je t'attends depuis longtemps 私があなたのことをずっと前から待ってるってわかってるでしょう Ne m'oublie pas でも私を忘れないで
Tu m'as rendue redoutable, l'enfer est insupportable あなたが私を鬼にしたのよ、地獄は堪えられないの C'est si facile de faire mal, faire mal, faire mal, faire mal, faire mal 人を傷つけるのって、いとも簡単なことなのよ
1970年代にフランス海軍は初の原子力弾道ミサイル潜水艦を建造した。その最初の原潜の名は「ルドゥータブル Redoutable」、あれあれこの歌と同じ、私はこの歌詞を超訳で「鬼」としたのだけれど、この原潜を解説する日本語ウィキペディアは「戦慄」という訳語を与えている。この原潜ルドゥータブルはその同型艦が4隻建造されていて、「ルドゥータブル級原潜」はそれぞれすごい名前が付いている。「テリブル(恐怖)」、「フードロワイヤン(電撃)」、「アンドンターブル(強固)」、「トナン(雷鳴)」。勇ましいですけど、笑っちゃいますよね。脱線しました、ごめんなさい。 Tu m'as rendue redoutable あなたは私を夜叉に変えてしまった、という訳も考えた。そして歌詞3番め:
Et si je me donne もしも私が身を捧げるなら C'est pour leur voler leur âme それはあの人たちの魂を奪うため C'est pour leur voler leur femme あの人たちの妻を奪うため C'est pour leur donner la flamme qui dort en moi 私の中で眠っている炎をあの人たちに捧げるため Ne m'en veux pas そのことで私を恨まないで
Tu m'as rendue redoutable, ouais, et je suis si misérable あなたが私を鬼にしたのよ、そうよ、私はとても惨め C'est si facile de faire mal, faire mal, faire mal, faire mal, faire mal 人を傷つけるのって、いとも簡単なことなのよ
Et d’un ton bizarre おかしな口調で Il a dit qu’il te voulait 彼はあなたが欲しいと言った De drôles de regards 奇妙な眼差しが Dans le vide flottaient 宙に舞っていた Et tes yeux vont dans le vague 霧の中を通り抜けるように Comme au travers d’un brouillard あなたの目は遠くへさまよう Tu as mille choses à faire あなたはいくらでもやりようがあるのに Sans vraiment savoir le dire どう言っていいのかわからない
Prends une minute pour l’oublier
ちょっとの間みんな忘れて Et laisse ton désir s’allumer あなたの欲望に火がつくままにしなさい Ose le faire そうするのよ Ose le dire そう言うのよ Ose aimer 愛しちゃえば Ose aimer 愛しちゃえば Vraiment ほんとうに
Prends une minute pour le lui dire ちょっと考えてそう彼に言いなさい Tu n’es plus libre de te taire あなたが黙るっていう手はないわ Ose le faire そうするのよ Ose le dire そう言うのよ Ose aimer 愛しちゃえば Ose aimer 愛しちゃえば Une seule fois たった一回だから
Tu vois des mirages あなたには蜃気楼や Et des villes et des îles 大都会や島が見える Tu entends sonner l’orage あなたには雷鳴が聞こえる Ne pars pas déjà まだ逃げないで Il est là il est là 彼はそこにいる Il n’a pas peur de toi 彼はあなたを怖がっていない Et tu es muette et lui あなたは押し黙っているけど Te regarde sans te voir 彼はあなたをわかろうともせず見つめている Quand l’orage tombe 嵐が到来する
Il est lourd il est lourd 嵐は重い音を立て Il résonne comme l’amour それは愛の音のように響き渡る
Prends une minute pour l’oublier
ちょっとの間みんな忘れて Et laisse ton désir s’allumer あなたの欲望に火がつくままにしなさい Ose le faire そうするのよ Ose le dire そう言うのよ Ose aimer 愛しちゃえば Ose aimer 愛しちゃえば Vraiment ほんとうに
Prends une minute pour le lui dire ちょっと考えてそう彼に言いなさい Tu n’es plus libre de te taire あなたが黙るっていう手はないわ Ose le faire そうするのよ Ose le dire そう言うのよ Ose aimer 愛しちゃえば Ose aimer 愛しちゃえば Donne-toi 身を差し出しちゃいなさい
J’ai changé de pays, soudain 私は突然住む国を変えた J’ai de nouveaux amis. bien 私には新しい友達ができた、いいことね Mon piano rigole 私のピアノは面白がって Et fait des gammes ボロンボロン音を出すのだけど Ils croient que je suis folle あの人たちは私を狂人と決めつける C’est triste, tu vois それは悲しいことね
Et j’ai des clowns pour m’amuser 私には笑わせてくれる道化師たちがいる
Des amours faciles pour exister 生き延びるためにイージーな愛人たちもいる Et des gens habiles pour m’épauler... 私をヨイショする口の上手い人たちも Dans les grandes villes rien n’a changé. どこの大都会に行っても何も変わらなかった
Mais à quoi ça me sert, si toute ma vie でも私の人生すべてが奇妙なコメディーでしかないとしたら N’est qu’une étrange comédie それが何の役に立つの? A qui donner l’onde d’un regard すべてが偶然のなせるわざだと言うのなら Si tout s’appuie sur le hasard 誰に目配せを送ればいいの? J’appelle un amour qui balance bien 私はバランスの取れた愛を求めている L’amour que je cherche en vain... 私が虚しくも探している愛 C’est le tien それはあなたの愛 Et c’est le mien そして私の愛
Et pour que j’aie un sourire sans limites 私が四六時中ほほえんでいられるように On me donne d’étranges médecines 人は私にさまざまな奇妙な医薬を与えてくれる Qui vont du jus d’orange à la cocaïne オレンジジュースからコカインに至るまで Dans les grandes villes rien n’a changé どこの大都会に行っても何も変わらなかった
Mais à quoi ça me sert, si toute ma vie でも私の人生すべてがお粗末なコメディーでしかないとしたら N’est qu’une pauvre comédie それが何の役に立つの? A qui donner l’onde d’un regard すべてが偶然のなせるわざだと言うのなら Si tout s’appuie sur le hasard 誰に目配せを送ればいいの? J’appelle un amour qui balance bien 私はバランスの取れた愛を求めている L’amour que je cherche en vain... 私が虚しくも探している愛 C’est le tien それはあなたの愛 Et c’est le mien そして私の愛
Je change de morale 家にたった一人でいる時 Quand je suis toute seule chez moi 私は道徳観が変わってしまう J’peux pas louer un papa, j’peux pas louer une maman パパひとりもママンひとりも借り出すことができない Mais je sais aussi être immorale 運まかせの目を持ったら Quand j’ai les yeux du hasard 私は背徳的にもなれるのよ C’est facile oh oui 簡単なことね
Mais à quoi ça me sert, si toute ma vie でも私の人生すべてがお粗末なコメディーでしかないとしたら N’est qu’une pauvre comédie それが何の役に立つの? A qui donner l’onde d’un regard すべてが偶然のなせるわざだと言うのなら Si tout s’appuie sur le hasard 誰に目配せを送ればいいの? J’appelle un amour qui balance bien 私はバランスの取れた愛を求めている L’amour que je cherche en vain... 私が虚しくも探している愛 C’est le tien それはあなたの愛 Et c’est le mien そして私の愛
Je n’aime que toi ジュ・ネーム・ク・トワ Je t’aime, je t’aime, ジュテーム、ジュテーム Et je t’aimerai toute ma vie 一生あなたを愛し続けるわ
1976年、ひとりの女の "exil"は悲しくも奇妙な喜劇であった。クラシカルでシンフォニックに盛り上がるメロディーを数種はめ込んでクレシェンドする4分。この熱唱は「呪われ者 Le Maudit」(1974年)(4分19秒)と通底するオーケストラル・ブルースであり、国と恋人(ベルジェ)を捨てた女の悔恨・未練である。大仰オーケストレーションで展開するこの2つの曲「呪われ者 Le Maudit」と「奇妙なコメディー Etrange comédie」を分つ大きな違い、それは私の耳では後者が"ヨーロッパ”のオケ音で湿り気/抒情感がすごいように聞こえるのであるよ。ミッシェル・ベルノルクの仕事と言えるかもしれない。
アルバム『ヴァンクーヴァー』は、A面1曲め「ヴァンクーヴァー」とB面1曲め「奇妙なコメディー」、この2曲で”傑作”と言われるに相応しい歴史的1枚なのであるが、この記事の最初の方で楽曲「ヴァンクーヴァー」はロックアーチストパフォーマーとしてのマニフェストと位置付けた。このアルバムは9曲30分という短さではあるが、コンパクトな”ロックショー”のように聞こえなくもない。ロックショーの終盤はノセノセなのである。B面3曲め「Tu sais que je t'aime bien」とアルバムを閉じるB面4曲め「フル・ティルト・フロッグ Full Tilt Frog」(本稿前編参照のこと)の2曲は(ライヴではオーディエンス総立ち踊り、ヴェロもピアノから立って踊りながらオーディエンスを煽る、というタイプの)アップテンポでエルトン・ジョン乗りの軽快ビートナンバーである。
Comme passent les nomades 滝のような音で歌いながら Où chantent les cascades, là ノマードたちが通り過ぎていくように Je l'ai dans ma tête, tous les matins 毎朝、私の頭の中は同じように大騒ぎなの Toi, tu me tournes le dos でもあなたは私に背を向けて Tu dis pas un mot ひとことも言わなくなる Pourtant, si tu m'connais bien でもあなたは私のことよくわかってるんでしょ
Tu sais que j't'aime bien, tu sais que j't'aime 私があなたを愛してるってわかってるんでしょ Tu sais que j't'aime bien, tu sais que j't'aime 私があなたを愛してるってわかってるんでしょ Tu sais que j't'aime bien, tu sais que j't'aime 私があなたを愛してるってわかってるんでしょ Tu sais que j't'aime bien, tu sais que j't'aime 私があなたを愛してるってわかってるんでしょ
Et tu tournes en rond, tu te fâches pour de bon あなたは堂々巡り、いい加減頭に来ちゃった Mais tu sais que j't'aime bien でも私があなたを愛してるってわかってるんでしょ
この2曲(Tu sais que je t'aime bien + Full Tilt Frog)で締めてくれたから、このアルバムはちょっと軽くなるし、良質のピアノロックを聴き通した気分で針を上げられるのですよ。 50年前、1976年、ヴェロニク・サンソンは26歳でこのマスターピースアルバムを発表し、22歳の私が初めて見たフランスの景色のバックで鳴り響いていた。その話はとても長くなってしまうので、また別の機会に預けるが、ヴェロニク・サンソン『ヴァンクーヴァー』、私が聴くたびに立ち上がるエモーションを、この記事で少しだけ共有してください。 (本稿おしまい)
<<< トラックリスト >>>
A1. Vancouver A2. When we're together A3. Redoutable A4. Donne-toi A5. Une maison après la mienne
B1. Etrange comédie
B2. Sad Limousine B3. Tu sais que je t'aime bien B4. Full Tilt Frog
Véronique Sanson "Vancouver" France Warner Elektra LP 52.031 1976年2月27日リリース