Ann Scott "Les Insolents"
アン・スコット『横柄な人々』
2023年ルノードー賞
フィニステール(Finistère)、ブルターニュ半島の西端にある県、ここは字句通りの意味で「地の果てるところ fin de la terre」である。いい地名。この小説は40代半ばの女性アレックスが、長年住み慣れたパリ・マレー地区(まあ現在でもパリで最もアーティーでハイプな地区と言えるのだろう)を捨てて、フィニステールにひとり移住する物語である。
アレックスはそこそこに名の通った映画音楽作曲家であり、サントラ盤の他に個人名義のアルバムも発表している。全く積極的ではないが、職業上のリリース告知などの必要性でSNSにもアカウントを持つが万単位のフォロワーがいて、ファンメッセージも送られてくる。いわゆる"マーベル映画”の音楽も手掛けていて、この仕事が入ると1年間生活できるほどのアドヴァンス収入がある。アレックスの移住を可能にしたのはそういう「まとまった金」の飛び込みのおかげでもあった。
家探しはいとも無頓着で、インターネット上のオファー物件の写真や動画を見ただけで、希望する条件に合いそうなもの選び、家主にスカイプで交渉し、家主に会うことも現地で物件を直に見ることもなく、賃貸契約を交わした。完全に独立したまるまる一軒家が希望だったが、(車のないアレックスには必要ない)車庫と上階の部屋ひとつを家主が”物置”として使用するので、借家人アレックスには立ち入り禁止ゾーンとされ、この非賃貸ゾーンが小説の最後部でちょっとした問題になっていく。それはそれ。
車がないこと、これがフランスの地方(それも奥まったところ)に住む上でどれほどのハンディキャップか。(よ〜く知ってます)ー しかしアレックスは単身パリ・モンパルナス駅からTGVで4時間かけてフィニステール(たぶん終着駅はブレスト)にやってくる。駅からタクシーで何もない集落へ。ヴァカンス期にはセカンドハウスとして使われているかもしれない一戸建ての家々はほとんどシャッターが下りている。どんなところか何も知らずにやってきたアレックスは、商店のある地区まで何キロ、大きなハイパーまで何キロ、(ほぼ一番の目的地である)3つの浜辺まで何キロ....という”現実”を知らされる。それでもアレックスは(遠方の大規模ハイパーでのまとめ買い物を除いて)この空間を徒歩で移動して用事を足し、それを苦とは思わない。小説は都会"ボボ bobo"が下野した”ネオリュロー Néoruraux(新田舎人)"現象とは全く違うものと読まれたい。あらゆる不便さ、秋冬の気候の厳しさ(独り住まい一軒家の暖房の難しさ)、住民づきあいゼロ.... にもかかわらず、アレックスはここがパラダイスだと感じている(強がりではなく)。
パリのマレー地区でアレックスにはジャックとマルゴーという二人の大親友がいた。ジャックは60際すぎの画廊主でゲイ、マルゴーはアラサーの(おそらくファッション業界の)プレス担当。3人とも年齢も環境も異なるが、ハイプなマレー地区に長年住んでいそうなポジションのアクティヴな個性人だった。ジャックもマルゴーもおのおのが抱えてしまった人生の重荷だけで一編の小説になってしまいそうなヴォリュームなので、ここでは詳説しないが、共通しているのは二人とも若くして(尋常ではない)近親者の死というトラウマを引きずっている。特に少女マルゴーが体験した幼い弟の(両親の離婚に抗議しての)自殺、大人たちが捜索しても見つからなかったその死体を、弟との秘密の森で見つけそのまま埋葬してしまう、というエピソード、これは今日まで暴露されておらず、この抱えた秘密のせいでマルゴーにさまざまな行動障害が...。ジャックはそれを知っている。
このジャックとマルゴーとの大親友関係は揺るぎないものとアレックスは思っていた。だから脱パリ/ブルターニュ移住しようが、連絡は絶やさないし、ジャックもマルゴーも気軽にブルターニュに会いに来てくれるだろう、と。ところがこれはそう単純なことではなく、この大親友たちとブルターニュで再会するには1年以上の月日を要したのである。
たぶんアレックスを脱パリ/ブルターニュ移住に駆り立てたのは、(パリのアパルトマン環境では難しい)誰にも気兼ねなく音楽創造ができる空間と静寂が欲しかったことはあれど、それよりも近々に起こってしまった二つの関係の破綻ということが大きかったのではないか。ひとつは男との関係、もうひとつは女との関係、これが作家アン・スコット自身のアンビバレントなジェンダーの反映であろう。このアレックスも男たちがうるさくなるとレズを公言し、女たちがうるさくさるとヘテロと自称する。
ジャンは音楽創造の最良のパートナーだった。第一線のミュージシャンであり碩学のギタリストであり、師匠であり、相談役であり、インスピレーションの共有者であり...。私はミュージシャンではないけれど、趣味+仕事で音楽のそばに何十年も生きていたので理解できると思うのだが、このパートナーとならばいくらでも音楽ができるという関係、何時間でも指から血が出るまでも一緒にギターを弾いていられる、それが喜びでしかない、という関係、同じ音楽を愛し、高めてくれる関係....。ジャンはそういう素晴らしい”相手役”だった。が、ある日ジャンは恋愛としてアレックスを愛し始めた。アレックスはその変化を受け入れられなかった。これをジャンはアレックスのエゴイズムであると謗り、非難罵倒の言葉をアレックスに投げるようになる。アレックスは過去の”最良の音楽パートナー”だったジャンを忘れることができない....。
ルーはアレックスより20歳は若いかもしれない画家の卵である。アレックスと出会った時、既にルーには恋人/後見人/出資者/パトロンヌの女と同居していて、この女への操は絶対に守らなければならないと構えていた。しかしルーはアレックスの魅力に落ち、かの女に隠れて”浮気”を始める。ルーの画家的野心は(”模写”段階から脱して)自分の絵を描きたいと望んでいる。同じように若い頃にあがいた挙句音楽アーチストになることができたアレックスは、同じアーチストとしてこの画家の卵の芽を出してやりたいと思う。だがルーは画家として未知の海へ船出することができない。かの女と決別してアレックスの胸に飛び込むこともできない。ぬるま湯に漬かったどっちつかずの自分を嘆いて涙するが、結局この若い女はその場に立ちすくむことしかできない....。
アレックスはジャンにもルーにも”すれ違うかもしれない”町に見切りをつけたのだ。
移住はゆっくり進行し、引越トラックがパリから家具・家財道具・楽器群・音響+録音機器などを届け、初めて住む一軒家(庭・サロン・キッチン・浴室+4部屋のヴォリューム)をひとりで少しずつ自分の空間にしていく。ミュージシャン衝動としては、ひと部屋に集めた楽器+機器を結線セッティングして、思いっきり大きな音で弾きまくりたい、と思うはずだったが、それもなく、作業はどれを優先するでもなくゆっくりと、新しい環境をひとつひとつ確かめるように時間をかかる。プロパンガスボンベや暖炉用の薪を買ったり、経験のないことにつまずく。暖炉の火を熾すなどということは簡単なことではない。だがこうしたことと一緒に生きていくしかない。どこから入ってきたのか、サロンに鎮座している大きなガマガエル、アレックスは最初パニックに陥りどうして追い出そうかとじたばたするのであるが、時間と共に一人暮らしの珍客として一緒に音楽を聴くのも悪くないとまで思うようになる。
読者の余計なお世話であるが、どんなに小さくてもいいから車が一台あれば、この田舎生活のどれほど多くの問題を解決してくれるだろう、と思う。引越しで出た梱包廃棄物(段ボール等)は家から数キロ先の指定廃棄所まで自分で運んで行かなければならない。善良な借家人(+善良な住人)であろうとするアレックスはそれに従うのであるが、どうやって?
アレックスは徒歩で移動する。日常的な買い物は数キロ先のコンビニのようなよろず(ミニ)スーパーですますが、そこにはパリでは見ることのない商標のついた食品や日用品が並んでいて(私もヴァカンス地の商店でよく経験する)チョイスがないのでそれを買うしかない。ヴァカンス期が過ぎたので人気(ひとけ)のない通り、人とすれ違うことはまれ、それでも身の危険を感じることなくアレックスは歩を進める。これが脱パリの具体的アスペクトである。孤独な散歩者はほぼ毎日のようにビーチ(砂浜)へと向かう。家から近い(3キロほどの距離)ビーチは3ヶ所あり、アレックスはその日の気分でビーチを選ぶ。どのビーチにも散歩者はいる。家族連れもカップルもいる。アレックスは誰とも交流しない。ヘッドフォンとタバコだけが道連れだ。このゆったりした時間がいい。小説はそれでもその道すがらに見えたものからの連想、スーパーのレジの待ち時間の考え事、そういう扉から失ったふたつの関係(ジャン、ルー)を繰り返し深々と反芻してしまうアレックスを描き、読者はそれがどんあものだったのかを知ることになる。この反芻する時間もブルターニュが与えてくれたものであるかのように。そしてアレックスはさまざまな”地方生活”の難しさや気候(寒さ)の厳しさや人間たちとの希薄な接触にもかかわらず、「ここは天国である」と独白する(小説中、何度も)。
さて小説はこの地の果てフィニステールにパリからたどり着いたもう一人の人物を登場させる。レオはアラサーの若者であり、5年間ロサンゼルス、メンロー・パークのフェイスブック・キャンパスで次世代のエリート頭脳として養成されたのち、帰仏し、近く某多国籍コングロマリットの研究チームに配属されることになっていた。そのつなぎで日銭稼ぎでパリ東部のKFC(ケンタッキー・フライド・チキン)店舗のバイトをしていて、ある夜、バイト先からパリ16区の自宅までメトロで帰る途中、トラブルで乗り換え駅トロカデロで降ろされてしまい、しかたなく徒歩で帰るべく外へ。レオの進行方向、人気(ひとけ)のない深夜の路地の街灯(あ、パリの薄暗いオレンジ色の街灯ですよ)の下に佇む男の影あり。よせばいいのに(あまりに将来有望な楽天性によるものか)レオはその男に近づいていく。レオが口を開く前に、最初のパンチの一撃が飛んでくる。それからあとは数分間に及ぶ超サディックな殴る蹴るの暴行となり、顔、胴体、四肢を破壊され、助けを呼ぶこともできず、路上に放置されたレオは翌未明に周りの建物のコンシエルジュがゴミ箱を出すために出てくるまで、誰にも気づかれず転がっていたのだった。医学というのはありがたいもので、数ヶ月かけてレオの肉体はほぼ元どおりに再生するのだが、この極端な暴行のトラウマはレオを「もと来た道」(すなわち超エリートの道)に戻すことなどできない。その男は誰なのか、その超過激な暴力はなぜなのか、レオは知りたい。母親に諭されて社会復帰のトレーニングを始めたものの、続かず、ある日衝動的にパリ・モンパルナス駅からTGVに乗り込み、フィニステールにたどり着く。そしてブルターニュ最果ての人気(ひとけ)のないビーチのあてどない散歩者になる。
レオはこの暴行のことを誰かに語らなければならない、その誰かに理解してもらわなければならない、さもなければ自分は再生できない、と妄信している。さもなければ死だ、ということも。最果てのビーチで、ある日、タバコの火を貸して、と近寄り、そして去っていった女性あり。自分よりかなり年上かもしれない。レオは、この女性こそ、自分が暴行のことを語れる相手に違いない、と思い込んでしまう。その日からレオは毎日のようにこのビーチにやってきて、アレックスが現れるのを待つようになる...。
ジャック、マルゴー、ジャン、ルー、そして近々接点を持つかもしれない幻の若者レオ、それぞれのヘヴィーな物語に囲まれながら、最果ての地で自分の時間の流れを感じ取っていくアレックス、それには1年を超える月日が必要だったし、それがこの小説の時間である。その時間の最中にコロナ禍パンデミックがやってくる。人々との接触が困難になった時期の前に、既に最果ての地に移住していたアレックスはそれを前もって準備していたかのように、静かに「病禍による終末の到来」にあわてふためく世界を見ている。私はパリに戻らない。街々からポエジーが吹き出ていたパリが還ってくるまで、私はパリに戻らない。そしてこの地で(音楽創造もしないで)ほぼ何もしないでいることのありがたみをかみしめる。掛け値なしの親友ジャックとマルゴーはこの気持ちを共有してはくれないのか。
小説の終盤近くで、アレックスの独白のようなかたちでアン・スコットはインターネットとSNSの世界を長々と糾弾している。それによってミュージシャンとしてたぶん生きられなくなる末路も見えている。この部分(数ページ)だけでも、いつか日本語訳して紹介したいと思うほど説得力に満ちている(やりますよ、いつか)。
レオの前に再びアレックスは現れ、レオが妄信したようにアレックスによってレオは救済されるのか。たぶんそれはない。レオは死ぬだろう。だが、小説は明るみを帯びて終わろうとする。脱パリ/ブルターニュ移住の1年超後、いつ来るかいつ来るかと待ちわびたジャックが突然最果ての地に現れる。ジャックはすべてを捨て、老後のためにブルターニュに大きな家を買うだろう。マルゴーはそれに付いてくるだろう。ユートピアのようなものが少し垣間見れるような「条件法現在(conditionnel présent)」形の文章が続く。フランス語では条件法はたいがいは裏切られる仮定であると理解しておいた方がいい。
この書評を書くのに2ヶ月は要したと思う。小説は2度読み返し、2度目でだいぶうなずけるようになった。ルノードー賞受賞の時、多くのプレスは意外、想定外、ダークホースなどと評したが、それは『スーパースターズ』(2000年)の頃のパンクでテクノでデストロいでポップなイメージが強過ぎるからだと思う。アン・スコットは変わった。この登場人物たちのヘヴィーで厚いキャラクターだけでも、古典的なバルザックを想わせるものがある。コロナ禍をはさんだ時期を背景にしたこの小説は、メモワール・コレクティヴ(共有された記憶)として「あの頃」を見直す機会を読者たちに与えただろう。私は孤独と静寂のブルターニュがもたらす孤的な救済に心打たれた。2度読んでよかったとしみじみ思う。
Ann Scott "Les Insolents"
CALMANN LEVY刊 2023年8月 194ページ 18ユーロ
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)ボルドーの書店 Librarie Mollat制作のアン・スコットによる作品紹介(ルノードー賞受賞後)
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