2008年12月30日火曜日

ヴェロニク・サンソンを抱きしめて

Véronique Sanson "L'Intégrale"  
ヴェロニク・サンソン『全集』


2008年はヴェロさんと話ができたことが、我が身では一番の出来事でした。その時もこの"L'intégrale"の話が出て、人の知らないサンソンというのは山ほどあるんだから、と言ってました。引出しには17歳頃までに書いた曲がまだたくさんある、とも。  
『全集』は12月3日にワーナー・フランスから発売されました。CDが22枚(420トラック+53未発表ヴァージョン)、DVDが4枚、バイオグラフィー本(116頁)、歌詞本(106頁)という構成です。テレラマ誌のヴァレリー・ルウーは[ffff]絶賛しながらも、多分全部は聞いていないような感じの評ですが、70年代後半("Hollywood", "7ème", "Laisse-la vivre")のソウル/ファンク/ラテンロック期の仕事に驚いておりました。発見するものが多いです。私もやはり70年代までで止まってしまいます。(というわけで私も全部聞いていません)。  
DVDの3本目、"BONUS TV"にはいろいろびっくりするような映像がありました。セルジュ・ゲンズブールとのデュエット「ラ・ジャヴァネーズ」は、ゲンズブールの方が緊張しているようで可笑しい。  
1990年発表のプラハ交響楽団との共演盤 "Symphonique Sanson"のリハーサルで89年秋にプラハを訪れたヴェロニクは、プラハの町で進行中だった「ビロード革命」に遭遇し、オケ団員やプラハ市民らに混じって革命のデモ行進に参加します。オケの譜面台にヴァーツラフ・ハヴェルの写真が張ってあったりするのも、歴史的瞬間だったことを思わせます。そしてそのコンサートでヴェロニクは客席に向かって「革命に連帯する人たちは、みんなライターを灯してちょうだい!」と訴えます。そうすると場内に無数の小さい炎が揺らめき、拍手と歓声とオケ団員の楽器を叩く音に包まれます。すごい絵だなあ。  
1994年ビヴァリーヒルズで撮影された、フランスのテレビ番組のための映像ですが、CSN(クロスビー、スティルス&ナッシュ)のレパートリー "Find the cost of Freedom"がスティーヴン・スティルス、クリストファー・スティルス、ヴェロニク・サンソンの3人のハーモニーで歌われます。いい絵だなあ。  
その時のインタヴューでスティーヴン・スティルスが、初めてヴェロニクに会った時の印象を話していて、「ピアノを聞いた時は、左手の力強さがすごいとびっくりしていて、俺はそのソウルフルな感じから、黒人の太っちょのおばさんを想像していた。歌を聞いたらハイトーンの可憐な声で、エディット・ピアフの娘かとも思った。太っちょのソウルピアノを弾くエディット・ピアフの娘は、実際に会ったら小さなブロンドのお嬢さんだった」なんて言ってました。ものすごい「戦争」をしていたヴェロニクとスティルスから十数年後に、スティルスが(フランスのテレビ向けの外交辞令みたいな部分もあるとは言え)「ヴェロニクはその時代にとって重要なアーチストである」と断言する時、まじに優しい良い顔しているのがとても印象的です。  
休み中ずっとこれ聞いていようと思います。気がついたことがあれば追記しましょう。

VERONIQUE SANSON "L'INTEGRALE" BOX SET 22CD + 4DVD + 2BOOKs WARNER FRANCE 2564696533
フランスでのリリース: 2008年12月3日



PS (1月28日) 今日ヴェロさんから,年賀状のお礼メール(たった2行ですが)が届きました。すごくうれしい。 2行目が "Mille soleils. Véro"で終わっています。千の太陽が輝きますように。

2008年12月29日月曜日

ダンソ!ダンソ! (オクシタン・ダンスの手ほどき)

DVD "PER PLAN LAS DANCAR - VOL.1"
DVD 『オクシタニアのダンス - VOL.1』


ラ・タルヴェーロによる初のDVDは、ダニエル・ロッドーが解説し、セリーヌ・リカールがダンス指導する、オクシタニアのダンスのレッスンです。言語はオック語とフランス語のどちらかを選択できます。撮影は2008年の5月に、ラ・タルヴェーロの本拠地、コルド・シュル・シエル(タルン県)とその周辺で行われていて、コルドの美しい景色も見物です。  
ラ・ラルヴェーロの最新アルバム『ブラマディス』の中の曲、「ダンソ、ダンソ」の中で、怒りの叫びを発するためにダンスしよう、地球のいたるところでダンスしよう、幾万人もの人が一緒にダンスすれば、この古ぼけた世界は震えることだろう、と歌っています。このダンスは大地から生まれて、大地と人々を震わせることが本当にできそうです。  
このDVDは16種類のオクシタニア・フォークダンスを紹介していて、順番は簡単なものから複雑なものへ、で「ダンス・レッスン」の鉄則に従っています。まずレッスン1が、「ロ・ブランレ」という単純な2ステップものです。これは片足飛びの連続で、右足2回飛び、左足2回飛びを繰り返します。あれあれ?これは津軽のねぶたと同じですね。  
複雑な組みダンスから、大きな輪で交差しあうファランドールや、スコティッシュのオクシタニア版や、カップルとカップルがぶつかり合うちょっと乱暴なものもあります。それをダニエル・ロッドーとラ・タルヴェーロの演奏で伴奏し、コルドの町の広場で輪になって踊ったり、野にキャンプファイヤーを焚きながら、村の老若男女総出で踊ったり、本当に楽しい映像です。  
ボーナス映像がまたふるっていて、アルビジョワ、ケルシー、ルーエルグの各地方で同じように伝わっている「ふいごのダンス」で、顔にひょっとこのような化粧をして、白い寝着(スリーパー)を着た男女がふいごを持って行進列をつくり、前進と後退を繰返しながら、前の人のお尻にふいごで風を送るという、ケッタイな踊りです。これを村中の人たちがやるんですね。事情を知らない(中央から来た)地方行政官などがこれを見たら、集団発狂と思って逃げ出すでしょうね。ダンソ!ダンソ!

DVD "PER PLAN LAS DANCAR - VOL.1" (CORDAE/La Talvera DVTAL01)
フランスでのリリース:2009年1月


(↓)DVDのプレゼンテーション動画

2008年12月28日日曜日

2008年よく聞いたアルバム・その2



 Dick Annegarn "Soleil du soir"
 ディック・アネガルン『夜の太陽』

 
2008年10月。Tot ou tard。爺が中学生の時分にポール・サイモン(当時はサイモン&ガーファンクル)のギターは少なくとも3人で弾いてると思ってました。90年に私が所属していた独立会社がディックのアルバムを制作して,その内輪お披露目に社員食堂ライヴをギター弾語りでやったのですが,どうしてこういうギター奏法が可能なのか,私は目を回して驚嘆したものです。そういう驚異のアコースティック(ブルース)・ギターが,このアルバムでも大活躍で,ギターは歌ほどに雄弁で,歌よりも数十倍早口なのでした。
 ディックは故国(オランダ)もその言語も捨てて,フランスで音楽アーチストとして生きるわけですが,それは暖かく迎えられているとは思いません。2曲め「ジャックJacques」は,故国フランドルもフランドル語も捨てたブレルのことを思っています。世界中で故国なく生きる人たちがどれくらいいると思いますか? "Nous sommes plusieurs millions"(数百万人いる)と7曲め「家族なく生きる人々 Sans famille」は歌います。私たちは特殊な人種でなく,こんなにたくさんいる人たちの一部ですが,こんなにたくさんいる人たちは同じようなブルースを心に鳴らしているのですね。「ロンドンのブルース,リールの憂愁,ロッテルダムのロック,ありとあらゆる都市のスモッグ」(8曲め"Blues de Londres")。ディックにはもう一度会えるだろうか,そう思いながら何度も聞いたアルバムです。
ディック・アネガルン「冬の太陽」クリップ(ミッシェル・ゴンドリー制作)





 Catherine Ringer "Chante Les Rita Mitsouko and more à la Cigale"
カトリーヌ・ランジェ『レ・リタ他を歌う』


 2008年11月。Because。CD+DVDという無駄な作り(環境にやさしくないぞ!)。DVDの方が8曲多いですし,そりゃあステージ映えのする女性ですから,DVDばかりでの鑑賞でした。カトリーヌ・ランジェはフレッド・シシャンが死んでしまうなどということは一瞬たりとも思ったことがなかったそうです。それは2007年11月に突然やってきたのですが,レ・リタ・ミツコはそれで終わってしまったのです。おしまい。続きはないのです。では何が残っているかというと,ノスタルジーだけなのです。
 このショー(2008年7月,パリ,ラ・シガール)は,ノスタルジーの大洪水です。それはカトリーヌの意志で,フレッドが好きだったレ・リタに最も近いショーをすることだったからです。30年近くレ・リタのカトリーヌをやってきた彼女には,この大洪水の水位はなかなかおさまらないものでしょう。ほんとにシロートっぽいバンドだったレ・リタは,目を見張るライヴバンドになってしまいましたし,イモっぽい姐さんだったカトリーヌはディーヴァそのものになってしまいましたし。終わっちゃったんですねえ。終わってないんですけど。
カトリーヌ・ランジェ「レ・ジストワール・ダ」2008年12月カナル・プリュス

2008年12月26日金曜日

2008年よく聞いたアルバム・その1



Thomas Fersen "Trois petits tours"
 トマ・フェルセン『三べん回ってタバコにしょ』


2008年9月 Tot ou tard。フェルセン7枚目のスタジオアルバム。カバン物語。ジェルメーヌという名前をもった旅行カバン、ウクレレ君、ギター君、巨大なきゅうりに乗っての大旅行。もう何をやったってトマ・フェルセンの世界ですから、面白いように出て来るシュールな演し物にあははは...と喜ぶしかないです。強烈な個性の上にあぐらをかいた芸、のような手厳しい批評をヴァレリー・ルウー(テレラマ誌)はしたのですが、森羅万象にふっと一息かけただけで、動物君も昆虫君も植物君もカバンちゃんもウクレレちゃんも全部フェルセンの言うことを聞いて、フェルセン音楽のワンダーランドが作れてしまうのだから、この個性はこのまま続けていってもらわないと困ると私は思うのです。
ジャン=バチスト・モンディーノ撮影のジャケットもすごい、としか言いようがありません。トマ・フェルセン "3 petits tours"CD'AUJOURD'HUI



MGMT "Oracular Spectacular"
 MGMT『オラキュラー・スペクタキュラー』


2008年6月 Columbia/Sony-BMG。もういろんなところで(英国NME、仏国レ・ザンロキュプティーブル...)2008年のベストアルバムに選ばれているから、爺からは何も付け足すことはないのだけれど、このアルバムを6月に手にした時、30-40年前にロックってすごいなあと思ったことが、この2008年にもう1回体験できたような気がしたのですよ。この子たちは世界中の年寄りたちを舞い上がらせたでしょうね。生意気で反抗的で違う方向のヴィジョンがあって美しい。それだけではなくて、この子たちの使う語彙(あ、メタファー的な意味ですよ)の多さは、年寄りたちが使っていたものですよ。若い人たちが熱狂するのは当り前。年寄りたちが頷くのも当り前。「音楽をやろう、金を稼ごう、トップモデルを妻にしよう」(Let's make some music, make some money, find some models for wives.I'll move to Paris, shoot some heroin, and fuck with the stars.アルバム第1曲"TIME TO PRETEND")。爺たちにはロックはそんなものだったのです。ル・パリジアン紙ヴィデオ「バタクランのMGMTの反応」



Christophe "Aimer ce que nous sommes"
 クリストフ『あるがままのわれらを愛すること』


2008年7月 AZ/Universal。63歳。ダニエル・ベヴィラッカ、アーチスト名クリストフはずいぶん前から老紳士の振るまいをしています。それは若い頃から(身に)厳しい創作活動をしてきたことを物語っているようです。1曲作るたびに顔の皺が増えていったような。身と心から絞り出すような作品ばかりです。作った本人はどんどん抜け殻に近くなっていく、そんな極端な創作態度のアーチストだと思います。
自ら強いて63歳のすべてから絞り出したようなアルバムです。第一声の「うぉ、うぉ、うぉ...」という呻きとも感嘆とも忘我とも聞こえるヴォカリーズから、命をすり減らすアートを思わせます。神々しいオラトリオのような曲「マル・コム」は、「時間が与えられたら、それ自体の恵みとして使おう、ありがたい恵み、それはあるがままのおまえを愛すること、あるがままの私を愛すること、すなわちあるがままのわれらを愛すること」と歌われます。こんな言葉を発したら磔刑に処されるでしょうに。
クリストフ『あるがままのわれらを愛すること』インタヴュー

2008年12月25日木曜日

ニコル・ルーヴィエ(1933-2003)



 Nicole Louvier "Et ses chansons 1953-1957"
 ニコル・ルーヴィエ『自作シャンソン集 1953-1957』


 ニコル・ルーヴィエ(1933-2003)の最初期の録音集です。ポーランド系ユダヤ人の家族に生まれ、15歳の頃から作詞作曲を始めた自作自演歌手です。もっぱらギターでメロディーを作るというのは、フランスの女性アーチストではおそらく初めてのケースかもしれません。爺たちの感覚ではこの頃のギターを持つ女性というのは、「修道女」というイメージが先入観としてあります。「サウンド・オブ・ミュージック」(ジュリー・アンドリュース)や「スール・スーリール」(ドミニク、ニック、ニック...)のせいかもしれません。このニコル・ルーヴィエの短い頭髪と清楚な服装(首のつまった白衿のシャツ)も、そのイメージから遠くありませんが、歌はそのイメージとは裏腹の、若い女性のアンニュイを歌っていたのです。フランソワーズ・アルデイの15年前、バルバラの10年前、そう思ってくれてもいいです。
ルーヴィエは20歳になる前に、モーリス・シュヴァリエにその驚くべきソングライティングの才能と確かな歌唱力を買われて、シュヴァリエの後押しでレコード・デビューします。1953年のことです。

Qui me délivrera
De ton corps de tes doigts
De ta bouche qui me délivrera
Qui me délivrera enfin de toi
誰が私を解き放ってくれるの?
 あなたの肉体から,あなたの指から
 あなたの唇から,誰が私を解き放ってくれるの?
 ねえ,誰があなたから私を解き放ってくれるというの?


 この"Qui me délivrera"という曲がノエル・ノルマンという歌手に歌われて1953年のドーヴィル・シャンソンコンクールの大賞を獲得します。多くの人に歌われたこの曲はマルレーネ・ディートリッヒによっても吹き込まれます。この歌詞など,はっきりとコレット〜サガン系列の性のアンニュイではないですか。またこのことから「シャンソン界の女ラディゲ」とも呼ばれました(ラディゲは『肉体の悪魔』を書いた少年作家)。禁忌を破って歌う20歳のニコル・ルーヴィエの歌詞には,同性愛者としての意思表示も暗号化されているのです。女性たちから大きな共感を獲得する一方,旧道徳を重んじる社会からは白眼視されたこの短髪の女性歌手は,それでも50年代末まではスター歌手として活躍し,1959年には来日公演も行っています。
 自作自演歌手,詩人,ラジオ番組プロデューサー,小説家でもあったルーヴィエは1959年に3作目の小説『商人たち Les Marchands』を発表します。この作品は若い女性歌手が芸能界の闇の部分に翻弄され,身も心もボロボロになってしまうという業界暴露的な内容で,その細部にわたる描写が実在するショービズ・ピープルの激怒を買ってしまうのです。クリスティーヌ・アンゴの先駆みたいですね。しかし,この結果,ニコル・ルーヴィエは徐々に芸能界から敬遠されるようになり,60年代後半にはもう録音もできなくなり,イスラエルに移住して細々と執筆活動を続けます。「商人たち」を敵に回したということに対する仕打ちであったわけですが,多くのファンたちの要望にも関わらず復刻CDもずっと出ないままでした。2003年3月8日,人知れずニコル・ルーヴィエはガンで亡くなり,現在はモンパルナス墓地に眠っています。
 ラジオ・プロデューサーでもあったルーヴィエは,その番組に出演した駆け出しのバルバラを激励し,バルバラはルーヴィエに自分の進むべき道を見ていました。またアンヌ・シルヴェストルもルーヴィエに感化されてシャンソンを書き始めたことを認めています。
 このCDは1953年から1957年にかけて,デッカ・レーベルにルーヴィエが録音した24曲に,未発表録音2曲を加えた,ニコル・ルーヴィエの初CD復刻です。
 
Quand j'ai faim il y a le pain
おなかが空いたらパンがある
Quand j'ai soif il y a le vin
 喉が渇いたらワインがある
Quand je suis seule il y ma guitare
 ひとりぼっちの時もギターがある
Quand j'ai le cafard il y a... les chemins
 気がふさいだら旅に出たらいい


 1954年の歌 "Quand j'ai faim"はこのCDで最も美しい曲のひとつです。ホーボー・ブルースのような歌詞ですが,若い女性の繊細な声で歌われるワルツです。波風を怖がらない女性だったのかもしれません。ひとりで行くことを怖がらなかった女性でしょう。ニコル・ルーヴィエ "Quand j'ai faim"

<<< トラックリスト >>>
1. Mon petit copain perdu (1953)
2. Tu es bien (1953)
3. Qui me délivrera? (1953)
4. Ce sera bien (1953)
5. Quand j'ai faim (1954)
6. A la vie comme à la guerre (1954)
7. C'est la loi (1953)
8. J'ai peur de l'amour (1953)
9. Dormez (1953)
10. Tu me dis que tu m'aimes (1953)
11. C'est le vent (1953)
12. Pour tout simplement (1953)
13. File la nuit (1955)
14. Monsieur Victor Hugo (1954)
15. Je ne suis plus parisienne (1955)
16. Si tu crains l'enfer (1954)
17. Nous n'avons pas changé (1956)
18. Toule d'araignée (1956)
19. Où te trouverai-je? (1956)
20. J'ai quitté Maman (1956)
21. Paris jardin (1957)
22. J'imagine que sur ta naissance (1957)
23. Soyons amis (1957)
24. Present compagnon (1957)
25. Amour je ne veux pas dormir (未発表)
26. Gentil roi Louis de Bavière (未発表)

CD ILD 642263
フランスでのリリース:2008年3月



PS 1
You Tubeに画像,映像が若干載っています。そのひとつニコル・ルーヴィエ "Mon petit copain perdu"

2008年12月23日火曜日

門戸開放モン・コテ・パンク



  (↑モン・コテ・パンク『IZGUBLJENI』。ロレーヌ・リトマニックがリードヴォーカル)

 12月22日(月)パリ13区のセーヌ河岸(国立フランソワ・ミッテラン図書館下)に停泊するペニッシュ・エル・アラマインで、ラ・リュー・ケタヌーのムーラド率いる寄り合いバンド、モン・コテ・パンクのコンサートでした。
 コンサートの前にムーラドと談笑しましたが、ムーラドは今度のラ・リュー・ケタヌーの新アルバム(2月リリース)の出来にとても満足していて、リリースが待ち遠しくてしかたがない、と言ってました。3人がこんなにいい状態でアルバムを作ったことはないんだ、と。確かに1枚めは公民館を借り切ってぶっつけの一発テイクだったし、3枚めは寄せ集めライヴだったし、2枚目が今日まで唯一のちゃんとしたスタジオ録音盤でしたから。自分たちのイニシアティヴで制作し(初めて自分たちのレーベルから出す)、十分に時間をかけて、おのおのが書き溜めたいい曲ばかりを持ち寄って出来たアルバムだそうです。「ゴールドディスク、間違いない」という自信でした。
 不特定集合体のバンド、モン・コテ・パンクは今夜は最少3人から最大7人までのフォーメーションで、欠席者がいるのは経済危機の直撃によるものである、とムーラドはMCで説明してました。
 それからムーラドのジョークのひとつでこんなのがありました。
 「ジョニー・アリデイとミッシェル・サルドゥーとバンジャマン・ビオレーとヴァンサン・ドレルムが同じ飛行機に乗り合わせて旅行していたが、運悪くエンジンのトラブルで墜落してしまった。救われたのは誰か? − (答)ラ・シャンソン・フランセーズ」
 (↑オルタナティヴなジョークです。気にせず笑ってすませましょう)

 さてステージはムーラドと,カリム・アラブ(元パダムのギタリスト。アコースティックもエレクトリックも。時々ガットギターがウードのような音になるのが面白いです)の二人が核になって,これまで2枚のアルバムで聞かれたような,アラビック,マヌーシュ,フラメンコ,バルカン寄りのミクスチャー音楽と,ムーラドの人情ヴォーカルで盛り上がっていく,場末キャバレー・ミュージックな展開です。今夜のステージではとりたてて「パンク的な面」(コテ・パンク)は強調されていませんでした。ロレーヌさんはミニスカートでしたし。
 レパートリーはモン・コテ・パンク,ラ・リュー・ケタヌーのものの他にアラン・ルプレスト,ブラッチ(そうか,彼らにとっても大先輩か),ロイック・ラントワーヌのものも出ました。立って踊るようなオーディエンスの動きはありませんでした(と言うのは,船上なので,踊ると揺れるのですよ。私は以前にそれをやって,しかもアルコールが入っていたので,ふがいなくも船酔いしてしまいました)が,熱心に聞き入るタイプの若者たちが多く,いいファン層を持っているなあ,と感心しました。
 ムーラドにはまたラ・リュー・ケタヌーのコンサートで再会するのがとても楽しみになりました。それよりも早くニューアルバムを送ってもらいたいものです。

2008年12月21日日曜日

今朝の爺の窓 (2008年冬至)



 毎年冬至は同じような曇天で。一年で夜が一番長い上に昼が曇天ということで,太陽渇望が極限に達する日であります。しかしこの日を過ぎれば,日照時間が増していくのがことの他うれしくなります。子供の頃から私にとってこの冬至から新年にかけての10日間というのは,マジカルな瞬間で,大恐慌だ大不況だと言ったって,この瞬間街々は一年で最も美しいし,食品売場には普段見ないものが山積みになっているし,人の家に行けばシャンパーニュの栓を抜くポーンという音が迎えてくれるし...。
 娘セシル・カストールは先週から冬休みですが,学校(コレージュ)の課題で「職業実習」を4日間しなければならず,実習先としてわが町ブーローニュにある私立の日本人保育園で「エデュカトリス/アニマトリス educatrice/animatrice」の研修をしています。要は子供たちと一緒に遊んだり,団体でゲームしたり,歌ったり,踊ったりができればいいのだと思いますが,これはたいへんな仕事ですよね。当たり前ですけど一人一人が違うのですから。簡単な子供というのはいるわけがないのですし。でも子供たちにいいお姉さんと慕われて,得意げになっているので,この道に進むかどうかはまだ結論を急がないにしても,良い選択肢ができたと思っています。娘の祖母(私の老いた母)は教育者ですから,私が継がなかったその道を,孫が継いでくれたらさぞうれしいでしょうし。
 私はと言うと,仕事の方が年末最終出荷を先週金曜日に出してしまったので,ちょっと時間が出来ました。娘のBrevet受験勉強の手伝いもしなければなりませんが,今週来週で見ていなかったエキスポ(まだピカソも見ていない)や映画を見たいと思ってますし,12月初めに入手したヴェロニク・サンソンの全録音集(CD22枚+DVD4枚)も封を開けて,身も心もヴェロさん漬けになってしまおうとも思ってます。
 今年たくさん聞いたCDというのは本当に少ないのです。悪い傾向です。年が変わる前にこのブログで紹介してみようかな,とも思っています。

 自分をほめてやりたい,と思うことが今年はひとつあります。3年半,毎晩欠かさず服用し続けた睡眠薬を,この秋やっと断つことができました。愛は勝つ,などという(私にとって)ありそうもないことを言うつもりはありませんが,何かが勝ったんだと思っています。
 次はアルコールだね,とタカコバー・ママは言うのですが,アルコールを断ったらタカコバーと縁がなくなるので,ね。

PS 1 (12月30日)

ちょっとだけ雪ですね。