2026年10月8日木曜日

昔の名前で出ています

Christine Angot "Je change de nom"
クリスティーヌ・アンゴ『名前を変える』

1957年、中部フランス(ベリー地方)アンドル県の県都シャトールーで生まれたクリスティーヌは、生物学上の父ピエール・アンゴの認知が得られなかったため、母ラシェル・シュワルツの姓が与えられ、13歳までクリスティーヌ・シュワルツという名前だった。母ラシェルは熱愛しあっていたピエールとの間に祝福されて生まれてきた子供とクリスティーヌに説くのだが、そのピエールはクリスティーヌ誕生の直後に、ドイツ人ブルジョワ女性モニカと結婚している。なぜ長い間内縁関係にあったラシェルと結婚に至らず、このモニカとは結婚できたのか。それは作者の一連の(同テーマの)著作で繰り返されていることだが、ピエール・アンゴという(何冊も読めば読むほどに浮き上がってくる)卑劣漢の階級観から来ている。おまえたちとはクラスが違う。社会的地位においてもインテリジェンスにおいても。ラシェルは侮蔑されながらもそういうピエールに惹かれ続けている。しかしラシェルは執拗にピエールに子の認知を求めている。ピエールの父、ジャン・アンゴ(タイヤの世界的大手ミシュランの重役)のところまで談判に行き、ピエールにクリスティーヌを認知するよう圧力をかけるよう嘆願に行ったりもしている。そのラシェルの願いは1981年にようやく叶い、ピエールは「父」であることを役所で認め署名する。13歳でクリスティーヌはクリスティーヌ・アンゴと名前を変えている。(そしてその時からピエールによるクリスティーヌへの性暴力=近親相姦が始まるのである)
 母ラシェルがなぜどうしても娘にアンゴの姓を与えたかったのか、という名前/姓への拘りには深い理由がある。家父長制家族制度に基づく20世紀のフランス民法においては、男性に比べてさまざまな不利な条件にあった女性にも、名前(姓)は女性の立場を守りうるものだった、というクリスティーヌ・アンゴの説であり、彼女は大学で法学を専攻していて、その基礎は伊達ではない。それを実例を挙げて説明するために、彼女の母方の曽祖母の代からの一族の女たちの歴史を開陳する。
 ベリー地方シャトールーの娘だった曽祖母マリー・バローは、20歳の時に未来の夫となる肉屋のアンリ・シゴワーニュと出会い恋仲になるが、それに先立つ数ヶ月間マリーは地方の大地主の持つ農園に出稼ぎに出され、その間に地主家の男にてごめにされ妊娠してしまい、その醜聞ゆえに農園を追い出されてシャトールーに戻ってきたのだった。アンリはその事情を知りながらも、妊娠中のマリーと結婚し、生まれてきた女児オーギュスティーヌ(クリスティーヌの祖母に当たる)をわが子として認知し、オーギュスティーヌ・シゴワーヌという姓名の子として育てるのである。この結婚および子の認知がなければ、この子は父親不明の私生児となっていたはずであり、世間の目も異なっていたはずである(あの当時のフランスの地方では珍しいことではないと著者は断っているが)。オーギュスティーヌは大きく美しくなりパリに出てクチュリエ(服飾業)のメゾンで裁縫師兼マヌカンとして働いていたが、肺を患いシャトールーに帰ってきて、その直後にジョゼフ・シュワルツと邂逅している。エジプト生まれで国籍はイタリア、数か国語をこなし、会計士や通訳などの仕事で世界を飛び回るフリーランサーで羽振りは良かった。信仰心はないがユダヤ系で、オーギュスティーヌとの結婚も市役所のみでシナゴーグでもカトリック教会でも行われなかった。名前がオーギュスティーヌ・シュワルツとなる。結婚の8ヶ月後1931年11月、女児ラシェル(クリスティーヌの母)が生まれる。ラシェル・シュワルツ。1935年、ジョゼフは仕事でエジプトに出国する。手紙も仕送りも欠かさず送られてきていたのだが、ドイツでナチスが全権掌握、第二次大戦勃発、フランスの降伏と占領、ユダヤ人狩り.... ジョゼフはフランスに入国できなくなっただけでなく、音信不通になり、仕送りも途絶える。ジョゼフが帰ってくるのは1948年のことで13年もの間、オーギュスティーヌが一人で家を支えてきた(占領ナチス軍兵士たちの衣服の洗濯や繕いものをして収入を得ていた)。しばしばこのドイツ語で”黒”を意味するシュワルツという姓は「ユダヤ人ではないか?」という嫌疑をかけられ、それを避けるためにラシェルは1942年にカトリック洗礼を受けている。
 音信がなく、いつ帰ってくるかもわからない(あるいはユダヤ人として捕らえられ死んだかもしれない)ジョゼフの長すぎる不在... オーギュスティーヌは隣町の妻子ある男と恋仲になり、妊娠し、女児エディットを出産する。役所に出生を届け出に行くと、(当時の民法では)実父たる男と実母たる女がそれぞれ別の人物と婚姻関係にあるので、実父も実母もこの子を認知することができず、父母不明の孤児としてしか登録できない。実父の姓も実母の姓もつけられない。その場合、役所には管轄地区に新苗字として登録できる姓のリストがあり、その中から任意に役所が選び新苗字を付与することになる。エディットに与えられたのはデュルヴァルという姓。エディット・デュルヴァルがこの子の”本名”(役所に登録された名前、身分証明証の上の名前)である。オーギュスティーヌはそれがどうであれ自分の手元でこの子を(ラシェルの妹として)育てることに変わりはないので、人には(そして将来行く学校には)”エディット・シュワルツ”の名で通すのである。このことでエディットは将来いろいろ揉めることになる。異父姉のラシェルはこういう姓にまつわるトラブルを目の当たりに見て育ったのだ。
 この話には続きがあり、エディットが7歳の時、1948年に突然ジョゼフがシャトールーに帰ってくることになり、オーギュスティーヌはこの婚外私生児エディットのことをジョゼフには秘密にしておくことを決め、親戚にエディットを預けて養育してもらうのだが、その養親宅でエディットは男養親から性暴力を受けることになる...。(クリスティーヌの叔母に当たるこのエディットと、作家になったあとのクリスティーヌがこのことについて話していて、叔母は自分が受けた性暴力のことは書かないでくれ、とクリスティーヌに申し入れてあったのだが、2026年の本書で活字になっている。この作家はいつもこうだ。書くなと言われれば書く...)
 名前・姓に関する重い事象をその家系で知ってきた母ラシェル・シュワルツが、娘クリスティーヌに(ピエール・アンゴに実父として認知され)公式に”アンゴ”の姓を持たせたかったことは、母親の姓だけを持つ”テテナシゴ”と見られて肩身の狭い思いをさせたくないという理由だけではないことは了解できよう。それに加えて”シュワルツ”という姓が否応なしに仄めかしてしまう「ユダヤ性」の問題がある。オーギュスティーヌとラシェルは第二次大戦中(ナチス占領軍+ヴィシー政権によるユダヤ人狩り)にこの姓にかけられるユダヤ嫌疑を払拭するために苦労が絶えなかった。
 これは本書には書かれていない私の考えであるが、当然のことながら姓がどうあれオーギュスティーヌとラシェルは”ユダヤ人”ではない。シュワルツという姓が”たまたま”ついただけであり、宗教的にはキリスト教徒である。ユダヤとは人種ではなく宗教である。ユダヤ人とはユダヤ教徒のことである。ユダヤ教を信仰すれば、どのような人種であれユダヤ人になれる。ユダヤ教に改宗した日本人もあり、その人はユダヤ人である。このことに誤解があってはならない。
 理屈では自分はユダヤ人ではないという確証はあっても、世間の目はそうではない。それはフランスにおいて、ナチスのホロコーストという人道に背く大罪を当事国として経験した後においてもなお、反ユダヤ的なムードというのは消え去ることなく、燻りながら、残っていて、ふとした拍子にフツーの市民の口から聞こえたりするものだった。フランスは第二次大戦で起きたこの大悲劇の反省から、反ユダヤ的言説、人種差別的言説、ホロコースト否定論などを犯罪として法律で禁止しており、違反者は禁錮及び罰金刑に処されることになっている。(因みに日本では反ユダヤ的言説やホロコースト否定論を裁く法律はなく、”言論の自由”の範囲内とされている!)。しかし戦後から年月が経つにつれて、戦後期はあれほど忌み嫌われた極右主義が顔をもたげ、政党を国会進出させ、21世紀にはフランス国会内の最多数議席の勢力を持つに至り、反ユダヤ的言辞も(法で禁止されているにもかかわらず)SNS上で大手を振るうようになっている。そしてイスラエルという国の現リーダーのやっていることに怒りを持って反対する多くのフランス人の見方が、ムード的に反ユダヤ論に加担してしまっている傾向もある。
 ラシェルが”愛人”ピエール・アンゴからそういうムード的アンチ・セミティズム言辞を聞かされたことがあり、ラシェルは聞こえなかったふりをして流そうとしたが、心は傷つけられる。
「彼らはいささか図々しいではないか」とイスラエル建国(註:1948年)について言うのだ。「国をこんな風に取るなんて」... こんな風に国を奪い取るには、いささか遠慮知らずじゃないとできないだろうね、彼らには何でもない許されてると信じないとね...。こんなこと、きみだったらするかね? こんな風に国を奪い取るなんて、きみにはできるかね? 俺たちはそんな風には教育されてないんだ。 ピエールはラシェルに語気を強めてこう言ったのだ、あたかもイスラエル建国と悪い教育と品の無さと人が普通してはいけないこととが直結しているかのように。行儀悪くものを食べることのように。指でものを食べることのように。(・・・中略 ・・・)彼は車を運転しながら、呆れるほど驚いている口調でそう言ったのだ。それは無作法な奴らで、その目当てのものはただ一つ... みんなそれを言おうとはしないんだが、みんなそれが何かは知っている。金さ。まさに彼らを止めることなんか誰もできないんだ。国をこんな風に奪い取るなんて。川から海まで。そんなこと普通しないものだ。それだけさ。俺たちはそんなことしないんだ。(p21 - 22 赤字はカストール爺)

 ”シュワルツ”という名の”愛人”に直接的当てつけで、クリスティーヌの実父はそう言ったのだ。下品で図々しく金のために何でもできる連中がイスラエルを建国したのだ、と。ここでも強調されているのが、ピエール・アンゴという人物がラシェルに対する優位性(金においても、インテリジェンスにおいても、社会的地位においても、人種的等級においても)を悪びれもせず誇示していたという点。愛していても(と口では言う)結婚できないのは、身分の違いのせいだとはっきり言える男だった。そしてクリスティーヌの誕生の直後に、ブルジョワドイツ人女性(モニカという名)と結婚している。
 ラシェルは自分は”アンゴ”にはなれないが、クリスティーヌには”アンゴ”になる権利があり、クリスティーヌは”シュワルツ”よりも”アンゴ”の方が幸福であろうと考えたのだろうか。執拗にピエールにクリスティーヌの認知を迫り、何度も「考えておくよ」とはぐらかされ、それは13年も待たされることになる。ラシェルとクリスティーヌの母娘がシャトールーを離れ、ランスに転居し、母は転職、娘はリセ新入生として新学年を迎える、というタイミングでピエールは認知に承諾する。クリスティーヌのことを誰も知らない土地のリセで、その新入生は”クリスティーヌ・アンゴ”という名前になる。どれだけ母娘は嬉しかったことだろうか。しかし、喜びはクリスティーヌには”近親相姦”という悪夢に代わる。
 この小説の中で、作者は、ピエール・アンゴにとって、この「娘認知」と「近親相姦」は”物々交換”であったという説明をしている。渋りに渋ってきた婚外子認知(これは自分自身にもアンゴ家的にも汚点・醜聞になりうる)という百害あって一利もない(公式に記録される)申告で被った(自分の精神的)損害の代償として、自分たちの世界では「普通しないもの」として禁じられている近親相姦で払ってもらったのだ、と。

 クリスティーヌ・アンゴは長年に渡って行使された父親の性暴力を告訴することを何度も試みているが、大多数の性暴力告発がそうであるように、被害者証言だけでは立件に至らず挫折する。そしてピエール・アンゴはアルツハイマー病に陥り、証言すら取れなくなり、”アンゴ近親相姦性暴力事件”は事実であったのかどうかも立証されない状態のまま、1998年、ピエール・アンゴはこの世を去る。そして衝撃の実名オートフィクション小説『近親相姦 L'Inceste 』は1999年に発表される。以来作家クリスティーヌ・アンゴは、自身の近親相姦体験の全容を暴露するように、何冊も同じ主題の小説を発表している。

 この新著『私は名前を変える』の81ページから、2024年公開のクリスティーヌ・アンゴ監督のドキュメンタリー映画『ある家族 Une Famille 』で現れたストラズブールの義母モニカ・アンゴ(ピエール・アンゴの妻、映画の中では”エリザベート・ヴェヴェール Elisabeth Wever"という名になっていた)の家での義母との対話/衝突シーンが文章となって再現されている。(名前を除いて基本的に同じ内容なので、同映画の爺ブログ紹介記事を参照されたし)。それに続いて、(最後には友好的な対話になって別れたつもりだったので、全く予測していなかった)モニカ・アンゴから起こされた”家宅不法侵入”と”(クリスティーヌがモニカに行使した)暴行”への告訴裁判の一部始終が続く。アンゴ家は、ピエール・アンゴに着せられた近親相姦性暴行者の汚名を晴らすため、クリスティーヌを犯罪者として叩き潰すべく、全面戦争の構えで攻撃してきたのだ。アンゴ家はアンゴの名を汚すものを許さない。しかしそのアンゴ家のカルマであるかのように、ピエール・アンゴと同様に、モニカ・アンゴもアルツハイマー病に陥り、裁判は続けられなくなる....。

 何故私は”アンゴ”を名乗り続けるのか? "アンゴ”は自分が13歳の時から肌に刻印され、自分の生を破壊し続けてきたものであるのに。その上”アンゴ”は今になって自分に戦争を仕掛けてきているのに。
 そんな時に2023年10月7日、イスラエルで開催されていた音楽フェスティヴァルの群衆を襲ったパレスチナ武装勢力ハマスによるテロ攻撃(死者1200人以上)が起こり、クリスティーヌ・アンゴは著しい衝撃を受けるのである。そしてその直後にパリ第8大学講堂で開かれた集会で「10月7日テロを糾弾するか?」という壇上からの問いに応えて「Noooon !」と叫ぶ大群衆の映像を見るに至り、さらに激烈なショックを受け、思い余ってハマスのテロを間接的/直接的に肯定する人々を弾劾する投稿文を新聞社に送りつけたのである。たとえその記事の公表で、自分が”ユダヤ側”と見做されることになろうとも。
 その勢いは、名前を”アンゴ”から”シュワルツ”に戻す、という公式な役所への”姓変更手続き”に進んでいく...。 "シュワルツ”に戻すということは、”アンゴ”の悪夢の前の自分を取り戻すこと。”シュワルツ”に戻すということはマリー、アンリ、オーギュスティーヌ、ジョゼフ(シュワルツ!)、ラシェル、エディット...の系図の中に自分の位置を取り戻すこと。”シュワルツ”に戻すということは、失われた自分の生を取り戻し、人生を再び愛すること...。
 128ページめ、2026年4月、役所から届いた一通の手紙で、”シュワルツ”への改名は正式に許可される。小説はプルースト「見出された時」(『失われた時を求めて』最終章)のように、再び見出された”シュワルツ”との自己同一化の喜びで幕を閉じる。たぶんこの後、小説が書けなくなるのではないか、という気にもなるほどのハッピーエンドである。またクリスティーヌ・シュワルツは”ユダヤ化”するのではないか、という展開も薄々予想できるのであるが、それはそれ。

Christine Angot "Je change de nom"
Flammarion刊 2026年9月30日 132ページ 16,50ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)小林旭「昔の名前で出ています」(1975年)

0 件のコメント: