2015年10月8日木曜日

る〜・れ〜・ろ〜

ルー・ドワイヨン『レイ・ロウ』
Lou Doillon "Lay Low"

 20万枚を売り、ヴィクトワール賞にも輝いた前作"Places”(2012年)は、エチエンヌ・ダオというゲンズブール・ダイナスティー(バーキン、シャルロット、バンブー、リュリュ..)に近い大物アーチストのプロデュースでした。言わば身内のように親しみのある暖かい環境で作られたアルバムだったのでしょう。ところが、新作はそれを振り切るように、一面識もない、身内の人間たちが誰も知らないテイラー・カーク(Taylor Kirk)というカナダ人にプロデュースを依頼します。このカークはティンバー・ティンブルTimber Timbre)というサイケデリック・フォークバンドのリーダーです。私はこのバンドはよく知りませんが、拙ブログで紹介したローラン・カンテ監督のフランス・カナダ合作映画『フォックスファイア』(2012年)の音楽を担当したことになっています。で、ルー・ドワイヨンがこのバンドの音に惚れて、その仕掛け人たるテイラー・カークに接近していきました。ところが、カークは最初このラヴコールを拒否するのです。こんな歌手知らねえ、俺の趣味じゃねえ、という反応だったそうです。ルー自身の説明によると、カークは彼女と仕事することが、ポップすぎたり商業的すぎたりすることを危惧していたようです。何度か拒否されながらも、ルーは自分の「不完全さ」を引き出す音はカークにしか作れないと執拗に説得して、この共同作業が始まりました。
 このアルバムは義姉ケイト・バリー(1967-2013。ジェーン・バーキンと映画音楽家ジョン・バリーの娘。写真家。2013年12月、パリ16区の4階の自宅アパルトマンの窓から転落死。事故か自殺か判然としない)の死が大きなきっかけとなって制作されたようです。自殺傾向はバーキン家のみんなに共通するもののように、ルーはインタビューで語っていますが、自分の死にまつわる曲を書き始めていたらケイトが死んで、その死が歌を生み出させたようなところがある、とも言っています。このアルバムには死や自殺を思わせる歌、数曲あります。なにか、そういう歌えないようなことを歌う、というアーチストの代表にレオナード・コーエンという人がいます。ルーにとっては非常に重要な先達のようで、このアルバムはこのレオナード・コーエン的な雰囲気に包まれたくて、カナダ/モンレアルまで来て録音し、コーエンの直系のフォロワーのようなティンバー・ティンブル/テイラー・カークに音作りを任せたようなストーリーが見えるのですね。
 11曲32分。短いアルバムです。私は英語つかいではないので、歌詞に関しては何も言いませんが、身内のバーキン/シャルロットの声帯とは対極のふてぶてしくブルーズィーな声で、なにかとてつもない悲しみを投げやりに歌っているような歌唱に、聞いててぶるぶる震えてくるものがあります。私はこれは唐突に「汚れっちまった悲しみ」という言葉が最もマッチするのではないか、と思ったのです。

<<< トラックリスト>>>
1. LEFT BEHIND
2. ABOVE MY HEAD
3. WHERE TO START
4. NOTHING LEFT
5. LAY LOW
6. WEEKENDER BABY
7. LET ME GO
8. GOOD MAN
9. WORTH SAYING
10. ROBIN MILLER
11. SO STILL

LOU DOILLON "LAY LOW"
CD BARCLAY 4748502
フランスでのリリース : 2015年10月9日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓) LOU DOILLON "WHERE TO START"



PS : テレラマ誌2015年9月16日号に載った4ページのロングインタヴューの部分訳を向風三郎のFacebookページに掲載したのですが、こちらにも再録しておきます。雑誌社に許可を取っていませんから、クレームが来たら削除することにします。雑訳ながら、かなり面白いので、あるうちに読んでください。

(テレラマ)このゲンズブール=ドワイヨンという解体/再構築された家庭について、わたしたちは喜びと幸福と果てしない苦難が混じり合ったような印象を抱いていますが....
L. D  -  私の母は70年代的な幸福促進のエスプリがあった。つまり家庭内でうまく行かないことを他人に押し付けないこと、あるいは滑稽なこととしてうまくまとめてしまうこと。でも彼女には退廃的な優雅さを惹きつける魅力もあった。彼女は常に暴力的な男たち(つまり彼女には過酷な男たち)に囲まれていた。そのことがどれだけ甚大な被害をもたらしたかを私は知っている。特に私の姉ケイトが被ったことを。私たちは自殺傾向のある家族よ。
私は母がミッシェル・ピコリとセルジュの詞を朗読するスペクタクルを劇場に見に行ったけれど、もう吐き気がしそうだった。それは女たちが殺し合い、少女たちが大人になったとたんに自分を見失い、男たちが否応なしにその女たちを騙す、そんなことばかり語っているのよ。それがセルジュの神秘さであり、極端な両義性だった。女性たちに絶対的に優しいと同時に徹底したミゾジーヌであり、慎み深いと同時に狂わんばかりの露骨さがある。ジャック(ドワイヨン)も彼なりの流儀で、その映画の中ではこの両極端な人間だった....。

(テレラマ)あなたのファーストアルバムは、別離後の3年間の苦難の成果でした。そしてあなたの姉のケイトの死はセカンドアルバムの制作のきっかけになりました。
L. D  - それよりもずっと複雑なことなのよ。私はその悲劇が起こる前に既に数曲を書き始めていて、それらは自殺に関する歌だった。それは私と私の強迫観念についての歌で、そのひとつは私が窓から飛び降りかねない歌だった。ケイトが死んだ時、そのことですべてがブロックされたの。これらの歌は私のことではなく彼女のことについて歌っているんだ、私はもはや何も言うことができないんだ、という感じ。でも彼女の死が私を再び創造に向かわせたのね。だってずいぶん早い時期から私の音楽に最も熱心に興味を抱いてくれたのはケイトだったんだから。彼女は私を勇気づけ、セルジュとの根拠のない非血縁関係の呪縛から自分を解き放ちなさい、と言ってくれた。この国にはそんなゲンズブール偶像崇拝があって、それは圧倒的なものなのよ...。

(テレラマ)ある種の人々が抱く「XXXの子供」への嫌悪について、あなたは気に病んでいますか?
L. D  -  母親が侮辱されているのに、その息子にそれを気にするなと説得することは難しいことよ。でも私はそれを自分の息子に命令するの。この世は羨望と嫉妬に満ちている。人はそれによって過度に神聖化したり破壊したりすることを欲している。幸福な記事しかないピープル雑誌が売れるのはそこに由来するし、すべて裏切りと不幸の記事しかないトラッシュ雑誌が売れるのも同じ理由。この二つの雑誌は往々にして同じひとりの人間が読むのよ。
私に関して言えば、それはアルバムが売れた時からすべてが変わったの。以前は人は私に「あなたのお母さんに私は大ファンだと伝えてちょうだい」とか「あなたの義姉さんに彼女は最高に素敵だと言って」と言っていた。誰も私が何をしているのか知らなかった。それからケイトが亡くなった時、多くの人が通りで私を呼び止めて、私の悲しみを分かち合いたいと言ってくれた。時には信じられないほど慈愛に満ちた瞬間があった。そして私のアルバムが出た時から、人は私が母とも義姉とも違う世界の中で私を評価してくれるようになった。今でもその作られた話や想像上のことで私に近づいてくる人たちはいるけれど、前ほどではない。なぜなら、人は私にはほんの少ししかゲンズブール的なものがないということがわかったから。シャルロットはもっと強烈な魅惑の力を持っているわ。
私は父によってごく「普通の」教育を受けた。家には家事手伝い人がいなかったし、私はメトロで移動して、公立学校に通っていた。私が豪華なアパルトマンに住んでいる義姉をうらやましがると、父は私を嫌悪の視線で見たものよ。彼はいつも私を現実の世界に戻してくれる。

(テレラマ)あなたは恵まれていると思っていますか?
L. D  -  もちろんよ。セルジュの遺産を受け継がなくてもね。私の両親は存命だし、お金はあるし、私もお金を稼いだし。私は親の財産によってつぶされるような子供たちとは違う。ドワイヨンという名前は、映画プロデューサーたちの間では成功を保証する名前では全然ないし。夢を持っていてそれを実現しようとして努力した人たちの中で私は育った。私の母には自然のままでいられるすばらしい美しさがある。フランスはそのせいで彼女を愛している。ファッションショーに行ってもテレビに出ても、彼女は普段と変わらない格好でジーンズとTシャツでいる。ゲンズブールは全くその逆だった。彼はいつも周りの人間が彼をどう思うか気にしていた。晩年、彼は若い人たちに気に入られようとしてレコードを作ったし、コンサートもし、彼が若者たちに認められたことに満足していた。私は自分の父から自分自身のためにしかものごとをしないという尊大さを譲り受けたの。

(テレラマ)あなたのアルバムの成功というのはいささか予期できぬことでしたね....
L. D  -  私の母とも義姉とも全く似つかない声帯を持てたというのはたいへんな幸運よ!そうじゃなれけば、私は死んでいたわね。私がデビューしたのは、ゲンズブールに関する記念催事が雪崩のように次々に押し寄せてきて、押しつぶされそうな時期だった。ジョアン・スファールの映画、記念復刻盤の数々、酷評されて失敗したリュリュのアルバム... それからたくさんの女優たちのアルバムが出て全く売れなかった時期でもあった。誰も私のアルバムなど信じていなかった。プレスと実際にアルバムを買った人たちのおかげで、私の曲はラジオで流れるようになった。私は誰の手も患わせていないわよ。

(テレラマ)なぜもっと早く音楽の世界に入らなかったのですか?
L. D  - それは私が何も言うべきことがなかったからなの。私は18歳でアルバムを作らなかったことに満足しているわ。もしもしていたら、ただ叫んでいるか、狂ったようなことしかできなかったでしょうから。それは私が何か壊れた時からでないと、本来の姿にならないものなの。私のアルバムは自分の弱さを暴き出すことが怖かった時期に、それをありのままにさらけ出すクソ度胸(原文はキンタマ)が私にあったからうまく行ったのよ。

(テレラマ)音楽にあなたを導いたのは誰ですか?
L. D  - 大筋のところは私の父なの。父と車の中で聞いていたレオナード・コーエンの歌を私は父にフランス語訳してあげなければならなかった。"Famous Blue Raincoat"に私は涙を流して感動した。自分の妻の愛人のことを歌にするなんて狂ったことよ。コーエンの歌はいつも私の心を揺さぶる。ジャック(ドワイヨン)はとても想像力豊かな耳をしている。彼が聞いているのはニナ・ハーゲン、スージー&ザ・バンシーズ、クラッシュ、キンクス... 形式に全くとらわれない声の魂に憑かれたアーチストたちね。それは往々にして限界のあるアーチストたちだけど、無二の個性、エモーション、感受性を持った人たち....

(テレラマ)あなたは成功したことに罪の意識を覚えますか?
L. D  -  いいえ。でもこの成功は相対的なものよ。もしも私のアルバムが売れなかったら、私は傷ついたでしょうね。私は父の映画に人が入らないということがどんな感じで父を悲しませるか知っている。今日、彼の映画は万人に向けられたものではないと人は言うけれど、それは衰退のしるしよ。かつて彼は雑誌の表紙を飾っていたし、彼の映画は人を呼んでいた。日々テレビは巨大な損害を生み出している。今日、低俗さが天下をとってあらゆるものを踏みつぶしていく世界に私たちは生きている。ジャックはブルジョワ・インテリ向けの映画しか作らない、と人が言う時、私は大声で言ってやるの、彼はとても庶民的な環境の出身で、彼の映画はエリート嗜好ではないって。彼は庶民について語り、彼らの問題について映画を撮る。真に大衆的なものはフットボールしかないという愚かで下劣なプロパガンダに私はがまんがならない。小津の映画を称賛すると言う一方で、クールで最新流行通を装うためにパッパラパーなことをテレビで言うなんてことをしたら、私は自分が許せなくなるわ。


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