2011年6月14日火曜日

9000キロを隔てた似た者同士

SILVERIO PESSOA "COLLECTIU - ENCONTROS OCCITANS"
シルヴェリオ・ペッソア『コレクシウ - オックとの遭遇』
 

ブラジル・ノルデスチを代表するアーチストのひとり,シルヴェリオ・ペッソアがオクシタニアのアーチストたちと共演録音したアルバムです。このアイディアはペッソアが2003年からあたためていたもので,ラ・タルヴェーロのダニエル・ロッドーがフランス側のプロジェクト推進者となりました。その行程で,ラ・タルヴェーロとペッソアは "ForrOccitania"(フォッホクシタニア)という2バンドが混じり合ってのツアーをブラジルとフランスで行いましたし,今後も続けるようです。
 ノルデスチとオクシタニアの出会い,ということは昨日今日に始まったことではありません。ずっと昔から知っているような親近性と音楽的&文化的類似点の多さを,最初に不思議に思ったのはクロード・シクルとダニエル・ロッドーの二人で,「トゥールーズ大学カルナヴァル実行委員会」の派遣団として1985年にブラジル/ノルデスチの地を踏んだ二人は,そこに中世オクシタニアのトゥルバドゥール即興詩の伝統がその地に生き続けている,と見たのです。この仮説は大変ロマンティックなものですが,アメリカ大陸発見とそれに続く大航海時代の頃にはトゥルバドゥール文化は既に姿を消しており,立証が難しいようです。このことを本CDのブックレットの解説でダニエル・ロッドーが説明していますが,その85年以来,二つの文化は激しく引き合うようになります。ノルデスチからトゥールーズに移住してしまったリタ・マセド(ファムーズ・T),フォッホーにインスパイアされたバル(ダンスパーティー)をトゥールーズで展開するボンブ・2・バル,傑作アルバム『3968CR13』(2000年)にレニーニをゲスト参加させたマッシリア・サウンド・システム,アルバム『ニッサ・ペルナンブーコ』( 2006年)で本作の主人公シルヴェリオ・ペッソアと共演したニュックス・ヴォミカ,ノスデスチの歌姫レナータ・ローザを招いての一連のツアーで未体験ポリフォニーを披露したルー・クワール・デ・ラ・プラーノ...。  この引き合い,触発し合う,二つの似た者文化は,どちらも(フランスとブラジルで)中央からの支配的な文化政策とグローバリゼーションに抵抗する文化でもあります。中央メディアには登場しないながらも,地方に根を下ろして生き,地方から声を出す人たちのエコーとなっている音楽です。9000キロを隔てた似た者同士は,熱く共闘しているのです。  シルヴェリオ・ペッソアの招きでこのCDのために集った人々は,ムッスー・T&レイ・ジューヴェン,ラ・タルヴェーロ,マッシリア・サウンド・システム,ファビュルス・トロバドール,サム・カルピエニア,ニュックス・ヴォミカ,ボンブ・ド・バル,リタ・マセド&アンジュ・B(ファビュルス・トロバドール),フロール・シクル(クロード・シクルの娘)&ジェラルディーヌ・ロペス(ボンブ・ド・バル)...。長い間,見解の相違のために絶交状態にあったダニエル・ロッドーとクロード・シクルの雪解けも思わせる,うれしいラインナップです。欠けてるのはマニュ・テロンぐらいでしょうか。  タイトルの「COLLECTIU コレクシウ」はオック語で共同作業という意味です。

<<< トラックリスト >>>

1. MARATGE (feat MOUSSU T & LEI JOVENTS)
2. NA BOLEIA DA TOYOTA (feat LA TALVERA)
3. DE ROLE (feat MASSILIA SOUND SYSTEM)
4. TROPICAL OC (feat LOU SERIOL)
5. COCO SAMBADO (feat FABULOUS TROBADORS)
6. POESIA URBANA (feat LA MAL COIFFEE)
7. LA CHUTE (feat SAM KARPIENIA)
8. LO VIATJAIRE (feat NUX VOMICA)
9. FAIT DE TOUT (feat FLORE SICRE & GERALDINE LOPEZ)
10.LA CANCON DE MARCABRUN (feat RITA MACEDO & ANGE B)
11. OS SETE CONSTITUNTES (feat ANTONIO FRANCISCO & LOU DALFIN)
12. J'AI VU L'ALBATROS DANSER (feat BOMBES 2 BAL)
13. MIX RACA
14. DIGA JANETA (feat ORIGINAL OCCITANIA)
15. O NORDESTE OCCITANO (feat ANTONIO FRANCISCO & EDMILSON FERREIRA)


SILVERIO PESSOA "COLLECTIU - ENCONTROS OCCITANS"
CD OUTRO BRASIL OB811381 フランスでのリリース : 2011年7月

(↓)Silverio Pessoa "Collectiu - Encontros occitans" 全曲

2011年6月2日木曜日

グ大



Aziz Sahmaoui & University of Gnawa "Aziz Sahmaoui & University of Gnawa"
アジズ・サハマウイ『アジズ・サハマウイとグナワ大学』


 アジズ・サハマウイはモロッコ、マラケッシュ出身、1980年代からフランスをベースに活動しているグナウィです。1995年結成のオルケストル・ナシオナル・ド・バルベス(ONB)の創立メンバーのひとり。ジャズやフュージョンとの交流も盛んで、グエン・レ(g)、マイケル・ギブス(g)、ジャン=ピエール・コモのシクスンなどのステージや録音に参加していました。そして2005年にジョー・ザビヌルのダブルライヴアルバム『ヴィエンナ・ナイト』(ウィーンのバードランド・クラブでのライヴ)の録音に招かれ、それ以来ザビヌルが2007年に他界するまで、彼の楽団ジョー・ザビヌル・シンジケートの重要メンバーとなっていました。
 さて1997年から今日まで4枚のアルバムを発表してきたONBに関しては、私は熱心なシンパではなく、なんとなく違うな、と皮膚感覚的に思ってきました。それは乱暴なくくりで言いますと、マグレブ音楽を北側(位置的にはパリ・バルベス)の標準に合わせて洗練する、という作業だったように思えるのです。
 例は悪いかもしれませんが、恐れずに言うと、アルジェリアでもう5年近くも通訳の仕事で暮らしている友人(日本人)が、しみじみとクスクスはパリで食べるのが最高だと言うのです。私もそれはよくわかります。パリ標準のクスクスは多分世界で一番おいしいクスクスだと思います。それは私はロンドンや東京や香港で食べる中華料理でもそう思うのです。おそらくパリの中華料理は世界一おいしいものに思えるのです。このパリ標準というのはオーセンティックなものを凌駕して「パリ的」にしたもので、フランス人の嗜好に合わせることによってオリジナルではないガストロノミーを獲得したものなのです。 
 ONBはそういうきわめて「パリ的」なバンドだと思ってしまうのです。
 で、アジズ・サハマウイの初ソロアルバムは、その洗練さにおいてはONBに何のひけめもあるものではありまっせん。何しろ天下のマルタン・メソニエのプロデュースですから。しかし、そのベクトルとしては、ONBのようにマグレブ音楽を北側に押し上げるということ全く逆に、それを南側に下げてアフリカ化する、という意図が明白に見られるのです。
 それは端的には、ギタリスト(エルヴェ・サンブ)、ベーシスト(アリウン・ワデ)、キーボディスト兼コラ奏者(シェイク・ディアロ)がセネガル人ということに起因するわけですが、地中海をまたぐことなく、マグレブの音が南下することでよりアフリカの熱とビートを深めていく、という初めての成功例に私には聞こえたのです。
 比喩的な意味ではなく、グナワは癒しの音楽です。実際に病気治療として、グナウィがつくる音楽的トランス状態が病める人々を癒し、解放するのです。アジズはそういうことをルーツ回帰的にもう一度学ぼうと思い立ったのかもしれません。冗談のように見えるこの「グナワ大学」というバンド名ですが、本人たちはいたってまじめにグナワを学び直しているのでしょう。いわゆる家元制度的な「流派」ではなく、「大学」として多くの人に門戸を開いた状態で。
 アルバムはその勢いでの突っ走り状態を狙って、スタジオライヴ状態で録音されています。(コーラスと手拍子などがアフレコのようです)。砂漠のトランスという緊張感と隣接してメソニエ効果による隠し味的な挿入音が憎たらしいほどに決まっています。
 その辺のことを、明後日(6月3日)アジズに会ってインタヴューで聞くつもりでいます。詳細は向風三郎のラティーナ連載(2011年7月号)で。

<<< トラックリスト >>>
1. Salabati (trad)
2. Maktoube - short version (Aziz Sahmaoui)
3. Ana Hayou (trad)
4. Khina (Aziz Sahmaoui)
5. Foufou Danba (trad)
6. Alf Hilat (Aziz Sahmaoui)
7. Black Market (Joe Zawinul)
8. Miskina (Aziz Sahmaoui)
9. Sawayé (trad)
10. Rofrane (Aziz Sahmaoui)
11. Mimouna (trad)
12. Tamtamaki (Aziz Sahmaoui)
13. Maktoube - long version (Aziz Sahmaoui)

Aziz Sahmaoui & University of Gnawa "Aziz Sahmaoui & University of Gnawa"
CD GENERAL PATTERN GP005
フランスでのリリース: 2011年4月29日


(↓)2011年5月24日、パリ、ニュー・モーニングでのライヴ映像 "Zawiya"

Aziz Sahmaoui & University of Gnawa - Zawiya, live at the New Morning from General Pattern on Vimeo.

2011年5月18日水曜日

Oh Cecilia, I'm down on my knees I'm begging you please, to come home



『ラ・コンケート(奪取)』2011年フランス映画
"LA CONQUETE" グザヴィエ・デュランジェ監督,ドニ・ポダリデス(ニコラ・サルコジ)、フローランス・ペルネル(セシリア・サルコジ)、ベルナール・ル・コック(ジャック・シラク)...
フランス封切:2011年5月18日


 タイトルの出典はサイモン&ガーファンクルの「セシリア」(1969年)です。映画では使われませんが、浮気なセシリアに帰ってきておくれ、と頼むこの歌こそ、この映画のテーマとしてどれだけふさわしいか、と思うのです。その歌詞の第二行にこうあります:
You're shaking my confidence daily
日々おまえは俺の自信を揺り動かす

 セシリア・サルコジ(当時)は、聡明であり、目利きであり、メディア戦術に長け,夫ニコラの選挙キャンペーン参謀のトップとして,そのイメージ作りを一手に引き受けていました。これまでの保守とは違う,ということをはっきりとした"la rupture"(断絶)という言葉で表現し,旧保守と訣別したネオ・リベラルな改革行動派という「勝ち組」の顔はセシリアの陣頭指揮で作られていたのでした。
 しかし権力奪取にかけては動物的な勘の働くサルコジは、才能あるブレーンをどんどん登用して、セシリアの守備範囲を超えた部分も確実に領土拡大していくのです。それは一方では極右FNに投票する人々の心を魅了する強硬な「警察政治」の約束であり、他方では左翼に幻滅した人々にジャン・ジョレスやレオン・ブルムの夢をもう一度,と演説することでもあります。ここでのサルコジははっきりしていて、世の中には才能のある人とない人がいるのです。才能ある人は重宝され、その活躍の場が与えられなければならず、人より多く働き有益な人は多くの給料を得なければならないのです。それは保守も左翼も関係がない。こういう考えが、左翼は絶対に左翼でなければならないような動脈硬化を起している社会党および左派政党の考えよりも、多くのフランス人を魅了していくのです。これが2002年から2007年のストーリーです。
 この映画では、もはやサルコジの最大の敵は社会党候補ですらないのです。旧保守の大狸たるシラク(当時大統領)は、95年の大統領選挙で、シラクを裏切ってもうひとりの保守候補エドゥアール・バラデュールの選挙参謀となったニコラ・サルコジに,消しようのない私怨があり、何が何でもサルコジの行く手をふさごうとします。シラクの意を汲むシラク派の番頭がドミニク・ド・ヴィルパン(サミュエル・ラバルトの怪演!)で,彼は保守の正系後継者として大統領への野心があります。このサルコジ対ヴィルパンの権力闘争こそ、この映画の大きな筋なのですが、いかなる場面でもサルコジの方が一枚も二枚も役者が上なのです。
 それは上に書いた「才能のある者を登用するべき」という考えにつながるのですが、シラク派陣営の中で、最もサルコジの才能を高く評価していたのが大統領夫人のベルナデット・シラクであったのです。サルコジの政治集会にベルナデット・シラクが出席し、大喝采を浴びるという場面をシラクがテレビで見ていて,「一本取られたわい」と嘆くシーンはこの映画のハイライトのひとつでしょう。
 着実に権力奪取の道を歩むにつれて、影がうすくなっていくセシリア。モロッコ生まれの実業家リシャール・アチアス(後のセシリアの夫)は、2004年11月のUMP(「国民運動連合」。保守政権党で2004年から2007年までサルコジが党首)のブールジェ空港での党大会(サルコジが党首となった大会)の準備で、アメリカ式の派手にショーアップされた党大会を企画するために起用されました。この党大会は大成功するのですが、この時にセシリアとアチアスは恋に落ちるのです。そして別居。この別離以来,サルコジはひっきりなしに留守電メッセージと携帯メールで「セシリア,帰ってこい」と嘆願するようになるのです。
Oh Cecilia, I'm down on my knees
I'm begging you please, to come home
  (サイモンとガーファンクル)

 独り者では大統領になれない - こういう決まりはありませんが,国民的イメージとしてあまり望ましくありません。いみじくもヴィルパンはこの映画の中で「自分の妻も引き止められない男が、どうやってフランスを守れるのだ」というセリフを吐きます。きついっすねえ。このセリフ利いてます。サルコジのブレーンたちも多少なりとも同じ考えです。そこで公的なイメージ(体裁,メンツ)を保つために、サルコジは拝み倒してセシリアに「大統領選挙が終わるまでサルコジ夫人として戻ってくる」という約束を取り付けます。セシリアは戻ってきますが、セシリアにとってはこの生活は地獄なのです。

 映画は2007年5月6日,すなわち2007年大統領選挙の第二次投票(対セゴレーヌ・ロワイヤルとの決戦投票)の朝から始まります。ひとりでいるサルコジは携帯電話を何度もかけまくり,セシリアがどこにいるのかを知ろうとします。この日,サルコジは何としてでもセシリアと連れ立って投票所に行き、報道陣のフラッシュを浴びながら一緒に「ニコラ・サルコジ」に投票することを願っていました。それは果たせません。現実の話として後にセシリアは「サルコジに投票しなかった」ことを告白しています。
 その夜,大方の予想通りに大統領に当選したサルコジは、すべての栄光を手に入れ,セシリアを失う,というよく出来た映画です。政治的モンスターが、傷ついた男として終わるのです。映画!,ですねえ。C'est du cinéma、はフランス語では「どうせ作り事でしょ」というニュアンスになりますから,ご注意。

 音楽をニコラ・ピオヴァーニが書いています。何か良質のイタリア映画を観ているような錯覚はこの音楽のせいかもしれまっせん。

↓『ラ・コンケート(奪取)』予告編

La Conquête - Bande-Annonce / Trailer [VF|HD] par Lyricis

2011年5月14日土曜日

今朝の爺の窓 フリー・アズ・ア・バード

写真をクリックすると拡大されます
 

 2011年5月14日。昨日まで気温が25度まで昇る夏みたいな天気がずっと続いていて、北フランスは深刻な水不足と報道されていましたが、今朝から天気は下り坂で、曇天、気温も17度止まり、宵から明日は雨の予想になっています。少しは雨も降ってくれないと、農作物もたいへんでしょう。
 で、この写真見えますか? 2年前からわがバルコン(ベランダと言うべきか)のリラの木に吊るしている鳥餌箱(透明ガラスの円筒)に、よく来てくれるメザンジュ(mésange、四十雀)です。2009年の12月の「今朝の爺の窓」で初めて撮影に成功しました。以前に比べたら、ずいぶん慣れてきたようで、わがバルコンの中の枝や手すりなどに止まって、きれいな声でさえずってもくれます。Tweet, tweetと聞こえます。私の目で区別がつけられるのは4羽ほどでしょうか。入れ替わり立ち替わり、または2羽一緒になったりして、鳥餌箱から食料をくちばしにくわえて飛んでいきます。
 季節によっては、ちょっと大きめのカササギ(pie)が、この鳥餌箱にやってきますが、これはわが窓の目の前にある大きなヒマラヤ杉に毎年カササギが巣を作るからなんですね。カササギが来るとアルミの手すりを伝って来る爪の音がカチャカチャと聞こえるので、ドミノ君が吠えて威嚇します。カササギはカラスほどに人間に嫌われることはないですが、あのガチャガチャガチャという鳴き声がどうも苦手です。フランスでは "bavard comme une pie"(カササギのようにおしゃべり)という表現があるように、声が大きくてうるさい鳥と思われています。
 それにひきかえ、メザンジュたちはとてもいい声。しあわせになれます。
 これからの季節、帰ってきたツバメたちが、朝夕にギーギー鳴きながらものすごいスピードでわが窓の前を飛んでいきます。これもまた好きです。今度はツバメ撮影にトライしてみましょう。

2011年4月30日土曜日

Elle a "L." a...



L. (Raphaële Lannadère) "INITIALE"
エル(ラファエル・ラナデール)『頭文字』


 テレラマ誌2011年4月16日の表紙を飾った女性歌手です。同誌シャンソン評担当のヴァレリー・ルウーは「この数十年で最も強烈なアルバム」と言い、1964年バルバラの自作自演歌手としての初のアルバム『バルバラ、バルバラを歌う』(「ナント」「ピエール」「サン・タマンの森」「死にあこがれて」...)に匹敵する力がある、とその評を閉じます。
 イニシャルひと文字のステージ名となると、どうしてもあの「-M-」の同類か亜流かと思われてしまうでしょう。私はこれは大変なハンディキャップだと思います。おまけにひと文字だと、インターネット検索でその「L」を特定するまでの労力と時間たるや、たいへんなものです。このことは本人もさんざん言われたでしょうが、頑固にもそのステージ名に拘ったのでしょう。「L」はさまざまな意味やイメージを持った文字であり、「エル」という読みも同様にさまざまなものを象徴します。思いつくまま列記しますと、「L」は長さ longueur であり、液体の量を示すリットル litreでもあります。大学入試の Bac L は文系のことで、「L」は文字(lettre)や文学(littérature)を指します。英語の「L」はlarge。「エル」は elle(三人称単数女性形=彼女)であり、aile(翼)にもなります。これらの多義性から考えても「L」はいい名前です。女性的で、液体的で、文学的で、飛行的で、大きく長い。
 「エル」は今30歳。その辿ってきた道も異例です。読書家で音楽狂の両親だったそうで、母親はラフェエルの妊娠中にバルバラとビリー・ホリデイをノン・ストップで聞いていた、と言います。羊水の中でその歌に揺られていたわけです。幼女時代、すでに祖母の家で自分のコンサートを催し、ジャック・ブレルの歌をソラで覚えていた、というのが家族の驚きだったそうです。生まれついてのように歌はラファエルに住み着き、民俗音楽学を学んだ彼女はポリフォニー合唱グループの一員として、「ワールド系」のツィガーヌ、コルシカ、ブルガリア、ゴスペルなどのポリフォニーのレパートリーを歌うようになります。2002年にラファエルは「L」というステージネームを掲げてソロ歌手としてデビューしますが、最初のコンサートはパリのステーキレストランの地下でした。苦節幾星霜、地下キャバレー、ピアノバー、彼女はその中で詞と曲を書き溜めていきます。もう6ヶ月して何も芽が出なかったら、私は止める、そう自分に言い続けて、彼女は歌の世界にしがみついてきました。 
2009年6月、レコード会社もマネージャーもない「L」は自主制作で6曲入りミニアルバム
"PREMIERES LETTRES"を録音します。そして自ら受話器を取って、「私は新人歌手"L"の広報担当です。ぜひこの歌手を聞いてみてください」とレコード会社とメディアに電話をかけまくったのでした。飛びついたのはローカルラジオ局と国営FMネットのFIP。これを聞いたブリジット・フォンテーヌが「私はラジオですごい新人歌手を聞いた、その名は"L"。」とインタヴューで語りました。噂は噂を呼び、どことも契約のないこの無名歌手は、「ブールジュの春」フェスティヴァルや「フランコフォリー」フェスティヴァルに呼ばれ、そのレパートリーはメジャー・デビューする前からスタンダード化するという、異例の受け入られ方を示します。
 そのスタンダード化した歌が"Petite"という鮮烈な歌でした。それはアフリカ出身の「不法滞在」の娼婦を、その常連客だった男が追っていく歌です。

 私の可愛い女、私の優しい女、
 私はおまえのすべてを記憶している
 その胸を焦げつかせる両のかかと
 そのうなじの香り
 その好みのままに
 舗道が照らし出す
 おまえの黒光りする肌と
 おまえの尻の曲線
      ("Petite")

 この歌を初めて聞いた時のショックを私も覚えています。この狂おしい愛を、「L」は湿度と乾度の両方が混じり合ったメランコリックな声で歌いきります。深夜のパリの色街にもある純愛を描く白黒の短編映画を見る思いで、聞く者は戦慄するはずです。一度聞いたら忘れられない歌の力があります。
 約2年の月日を経て、「バルバラの再来」というシャンソン愛好者たちの異例の讃辞を浴びながら、「L」のメジャー・デビューのフルアルバムはこの4月11日にリリースされました。私的な伴侶でもあるバビックス(BABX)も大変な才能を持ったアーチストです。私はバビックスの「エレクトロショック・レディーランド」は後世に残る佳曲であると自信を持って言うことができます。そのバビックスの繊細なアレンジ/プロデュースも「L」のデビューアルバムの大きなプラスだと思います。しかし、すべては「L」の官能的な声と黒々とした歌の世界と「L」そのものの存在感が圧倒的な11曲のアルバムです。アルコール、煙草、薬物(メスカリン)、色街、ゲットー(シャトー・ルージュ)... このエクリチュールは古き「悪き」パリです。聞く曲すべてが「古典」の重さがあります。希有です。

<<< トラックリスト >>>
1. Mes lèvres
2. Jalousie
3. Mon frère
4. Petite
5. Château Rouge
6. Pareil
7. Mescaline
8. Initiale
9. Je fume
10. Romance et série noire
11. Les corbeaux

L. "Initiale"
Tôt ou Tard CD 3238582
フランスでのリリース:2011年4月11日


オフィシャル・サイトwww.initiale-l.com

(↓)既にスタンダード。「L」の"Petite"。

L. - Petite par Europe1fr


 

2011年4月26日火曜日

フリー・アズ・ア・バード



Mathias Malzieu "METAMORPHOSE EN BORD DE CIEL"
マチアス・マルジウ『空の果てのメタモルフォーズ』


 マチアス・マルジウの3作めの小説です。表紙を見ての通り、前作同様、大人(あるいは大きな子供)向けのファンタジー童話という趣向です。2作めの『時計じかけの心臓』に関しては拙ブログの2008年1月14日付け記事で紹介しています。これは既にマルジウのバンド、ディオニゾスによる仮想サントラ(拙ブログ2008年1月15日付け記事で紹介)がありましたが、この新作小説にはまだサントラがありません。小説の中に登場する歌はジョニー・キャッシュが多く、マルジウの近年のジョニー・キャッシュ傾倒が窺えます。
 この2作めと3作めの間に、『時計じかけの心臓』の映画化(3Dアニメ)が決まり、リュック・ベッソンがプロデュースし、マチアス・マルジウの監督で制作され、2012年公開の予定でプロジェクトは進行中です。このおかげで、彼のバンド、ディオニゾスは休止を余儀なくされ、バベットは2枚めのソロアルバム『ピアノ怪獣』(拙ブログ2010年11月13日の記事で紹介)を発表し、他のメンバーの一部もコルレオーヌCorléone)というバンド名でアルバムを出して、ディオニゾス復帰までの息継ぎをしています。
 この小説もまた映画のおかげでディオニゾスで活動できないマチアス・マルジウの「息継ぎ」でもあり、彼自身もロック・アーチストとしてステージに立てないフラストレーションをこの小説で晴している部分があります。ライヴでは小柄でまさにピーターパンのようにステージせましと飛び回るマルジウには、この興奮を長い間経験していないことは大変な渇きであるわけです。この小説のキーワードのひとつは「アドレナリン」です。一種のアドレナリン欠乏症と言える現状のマルジウは、この小説の主人公に「アドレナリン出まくり」状態を実現するためなら何でもする空中落下スタントマンを持ってきます。しかも「世界一ドジなスタントマン」なのです。
 トム・クラウドマン(Tom Cloudman)は幼い頃から空を飛ぶことを夢見ていて、手製の翼ではばたいてみたり、自転車に羽根をつけて坂を急降下したり、強風の日に蝙蝠傘を持って屋根から飛び降りたり、という、普通に考えつくあらゆることをやって失敗しますが、その何度も失敗して地面に叩き付けられる前の一瞬の浮遊時間に激しいアドレナリン分泌を覚えます。失敗することは全然恐くない。こうして彼は職業として「空中落下見せ物芸人」になり、サーカステントの最上段からバケツめがけて落ちたり、屋根から屋根に飛び移るのに失敗して広場に墜落する芸で人気を集めます。人々はこれをエンターテインメントとして見て、その失敗を笑って拍手するのですが、実は本人は本当に失敗していて、毎回全身打撲でボロボロになってしまうのです。それでもかまわない。この一瞬でも「飛んでいる」時のアドレナリンが一種のドラッグ効果を持って、彼にこの芸を続けさせ、いつかは本当に空を飛べるようになると信じているのです。
 ところがトムを病魔が襲います。これを作者は"La betterave"(ラ・ベトラーヴ。甜菜。ビート大根)を名付け,赤いぶよぶよした塊が体の中のあらゆるところを襲っていくイメージで描きます。実際のベトラーヴは(→)こんな形状ですが,確かに血腫とイメージが重なります。この腫れ物が体中に増殖して臓器や神経を攻撃します。すなわちこの甜菜大根型の怪物はガンのメタファーですが、この怪物にとって、空中落下芸人という職業で言わば自虐的に体をぐしゃぐしゃにしてしまったトムの体は、既に咀嚼されてある食物のようにおいしく食べやすいのです。
 収容された病院では、セクシーなガン科女医クエルヴォと肝っ玉看護婦のポーリーヌの制止を聞かずにやんちゃを繰返し、あらゆる病室の羽枕から羽根を抜き取って、自分の飛行芸のコスチュームを作り、病院廊下で飛行(落下)パフォーマンスを展開します。ステージ名「トム・メガトン・クラウドマン」の大ファンで、トムをヒーローと崇める白血病の少年ヴィクトールは、重い治療のために卵型の頭ばかり大きく見えますが、トムを心の支えにして闘病生活を送っています。しかしトムへのベトラーヴの浸食攻撃は激化し、病状は悪化していきます。
 病棟の夜の彷徨の果てに、トムは非常螺旋階段のてっぺんにある鉄扉を押し開けると、病院の屋上と思われたそこはなんと雲の上の鳥の国でした。そこにはエンドルフィンと名乗る、赤い羽根に覆われた半分鳥で半分人間の女がいました。(一般名詞の「エンドルフィン」は脳内モルヒネなどとも言われ、脳内で機能する神経伝達物質のひとつで、多幸感をもたらす、とされます。)この「半鳥女」をマルジウは、"femmoiselle"(ファモワゼル)というきれいな造語で綴りますが、femme (女)と oiselle(雌鳥)の合成語であり、後半の方は demoiselle(少女、未婚女性)のニュアンスも含まれましょう。「鳥嬢」とでも訳語をあてたくなります。エンドルフィンは昼は人間の姿を持ち、夜にファモワゼルとなる二重の生を生きています。彼女の一族の起源は18世紀の科学者で、古典詩や神話に現れる半人半獣を「愛」による突然変異で実現してしまったのです。しかし半人半獣族はこの世に隠れて生きることを余儀なくされ、地球上で数えるほどの人口(この言い方おかしいですね)しかいませんが、各人は(この言い方もおかしいですね)はこの種を絶やさず後世に残すことが使命となっているのです。エンドルフィンはトムに取引きを申し出ます。「あなたの病いを直し、あなたの空を飛びたい夢を実現させてあげる代わりに、あなたは私に子種を提供する」。トムはそれに二つ返事で同意するのですが、その代償の大きさを知らなかったのです。
 ここには愛があります。トムはこの半鳥女を電撃的に愛し、その世界に属する者になりたいと欲します。そのためならば死んでもいい、と。陳腐な歌の文句のようなこのことです:「愛のためなら死んでもいい」。この小説ではそれがマルジウ一流の想像力で、ある種ルイス・キャロル的な想像力で、トムの望むすべてを実現させてしまうのです。その代償にトムは「人間としての死」を受け入れるのです。
 ガン転移は進行し、トムの人間としての肉体はどんどん破壊されていきますが、トムの体は体毛に代わって羽毛に覆われるようになります。首を前後に振って歩くようになり、猫を怖がるようになります。メタモルフォーズ(変態)は死と同じスピードでトムの中で進んでいき、体はどんどん小さくなっていきます。
 この小説で最もエモーショナルなパッセージはエンドルフィンがトムに鳥としての飛行術を教えるところです。それはトムの積年の夢が果たされる瞬間でもあり、愛する女性の属する世界へのデビューでもあります。そのダブルの夢の出来事のクライマックスに、エンドルフィンはこう言うのです:「私、妊娠したわ!」。俺はパパになった。この喜びは文字通り天にも昇る思いなのです。そしてこのパパは生まれて来る子の前に「俺がパパだよ」と現れることが出来ない、という運命を引き受けてしまったのです。
 実はエンドルフィンの昼の「人間の姿」であったのは、ガン科女医クエルヴォでした。エンドルフィン=クエルヴォは、ドジな見せ物芸人だった頃からトムに目星をつけていて、自分たちの種族を後世に残す協力者の候補として「愛の視線」を送っていたのでした。クエルヴォ、ポーリーヌ、ヴィクトール等に見守られて、トムの変態は最終段階となり、体が鳥のサイズになると同時に脳も比例した大きさになり、言語機能を失い、人間トムは死に、鳥のトムは空に飛び立って行きます。より正確にはトムは空のひとかけらに変身してしまうのです。小説の原題の"Métamorphose en bord de ciel"とは「空の淵に変身する」ことなのです。...その数ヶ月後、エンドルフィンは男児を出産します。

 2作めでティム・バートン映画のような冒険奇譚ファンタジーを書いたマルジウは、この3作めでは同じようなファンタジー文体を使いながら、「愛」「死」「再生」をじっと見つめているような小説を書きました。飛行や病気や薬物はすべてメタファーとして登場し、ポップ・ミュージックのクリエーターらしいポップな表現は前作とは変わらないのに、「死」を受け入れる青年の描写は戦慄的です。マチアス・マルジウはアンファン・テリブルという言葉が似合いすぎる表現者、と私は再確認しました。

MATHIAS MALZIEU "METAMORPHOSE EN BORD DE CIEL"
ISBN : 978-2-0812-4906-6
(2011年3月FLAMMARION刊。160頁。17ユーロ)


(↓オフィシャルサイト)
www.metamorphoseenborddeciel.com/ 

(↓2011年3月、パリ、テアトル・デュ・ルナールで開かれた『空の果てのメタモルフォーズ』出版記念パーティーの動画)

2011年4月22日金曜日

てぇえんだ!てぇえんだ!


 『セルジュ・ゲンズブール庭園』は、その歌「リラの門の切符きり」(Le poinçonneur des Lilas)に因んで、パリ19区と20区とセーヌ・サン・ドニ県レ・リラ市の境界にある「リラの門」(Porte des Lilas)に作られました。これは19世紀にパリ防御のために作られた環状城壁に設けられた17の門のひとつでしたが、第一次大戦後に城壁は取り壊され、1973年からは城壁跡にパリ市をぐるりと囲む環状自動車道「ペリフェリック」の出口のひとつとなっています。ゲンズブールの歌に出てくる地下鉄ポルト・デ・リラ駅は、1921年に地下鉄3号線の駅として開設され、1935年には11号線も通り、両線の乗り換え駅としても機能します。
 21世紀になって、騒音防止のためにポルト・デ・リラ地区を通る環状自動車道ペリフェリックに屋根をかけてトンネル化してしまいました。そのトンネルの屋根の上に造園されたのが、このセルジュ・ゲンズブール庭園です。つまり元々土地があったところではなく、自動車道トンネルの上に盛り土して作られたものです。これをテレラマ誌はレ・リラとパリの間の「ノーマンズ・ランド」と表現しています。
 ペリフェリックというものがこんなに面積のあるものなのか、と驚くほどの広い空間です(1.4ヘクタール)。芝生も歩道も植え込みも中央部は幾何学的な線引きですが、周囲は自然を模した植物と樹木が混在し、池や橋もあります。連続性がないところがポストモダンでしょうか。子供たちのための遊戯グラウンドやバスケットボール・コートもあります。ベンチの他に日光浴用の木製サンデッキもあります。 
 私が行ったのが木曜日の夕方(午後7時頃)だったせいか、それともできたばかりで人が知らないせいか、人はまばらでした。初夏を想わせる気温25度の好天でも、こんな閑散とした状態なのはちょっと意外。土曜日曜はどんな状態なのでしょうか。
 私が写真撮っていたら、仲間たちと遊んでいたひとりの少女が近づいてきて「あんたツーリスト?」と聞いてきました。「いや、私はゲンズブールのファンなんだよ」と答えると、誰それ?っていう顔されました。そんなもんかもしれませんね。
 土地柄、遊んでる子たちは19区っ子/20区っ子と郊外っ子で、色さまざまで元気です。散歩や日光浴してる大人たちも色さまざまですね。Couleur Café なんて歌が頭をよぎりました。
 この先,ここに名画座映画館が加わるそうです。そう言えばルネ・クレールの1957年の映画に『リラの門』(ピエール・ブラッスール主演)という作品があり、ジョルジュ・ブラッサンスがアナーキスト歌手役で準主役になってました。それに合わせて小ジャレたカフェ・スタンドなんかもできるんでしょうか。あんまりソフィスティケートされてほしくないですね。
 今の季節なので、こんな風に、その名の通り、リラの白い花も咲いてたりします。

LE JARDIN SERGE GAINSBOURG
Paysagiste : FRANCK MATHE
Porte des Lilas 75019 Paris