2020年6月7日日曜日

ヴィルジニー・デパント:白人たちへの手紙

何が問題なのかわかっていないわが白人の友たちへの手紙

5月25日ミネアポリスの警官によるジョージ・フロイド殺害事件に触発された地球規模での黒人差別/人種差別/警察暴力反対運動、それに呼応してそのフランス版とも言える未だ未解決の2016年7月19日の憲兵によるアダマ・トラオレ殺害事件の大抗議集会(6月2日、パリ司法局前、8万人動員)に参加した作家ヴィルジニー・デパント(『ヴェルノン・シュビュテックス』)が、国営ラジオFrance Interに投稿した『何が問題なのかわかっていないわが白人の友たちへの手紙』。6月4日朝France Interの番組でオーギュスタン・トラプナールによって朗読・紹介された。以下、全文の日本語訳です。

*** *** *** *** ***

何が問題なのかわかっていないわが白人の友たちへの手紙  
フランスにおいて私たちはレイシストではないが、私の記憶では黒人の大臣というのを一度も見たことがないと思う。しかし私は50歳であり、歴代の政府の中でそういう大臣がいたのは見たはずである。フランスという国にあって私たちはレイシストではないと言いながら、監獄収容者における人口比率では黒人とアラブ人が大きく上回っている。フランスという国にあって私たちはレイシストではないと言いながら、私が本を発表し始めた25年前から一度として黒人のジャーナリストのインタヴューを受けたことがない。私は一度だけアルジェリア系の女性に写真を撮られたことがある。フランスという国にあって私たちはレイシストではないと言いながら、ついこの間だって私はカフェテラスで飲み物を出すことを拒否された、アラブ人と一緒だったから。ついこの間だって私は身分証明証の提示を求められた、アラブ人と一緒だったから。ついこの間だって私と待ち合わせしていた女性が電車に乗り遅れそうになった、駅で警察のコントロールにつかまって、彼女は黒人だったから。フランスという国にあって私たちはレイシストではないが、(コロナウィルス禍)外出禁止令の時、庶民街で、自分で書く特例外出証明の紙を持っていなかったという理由で特定の人種の主婦たちはスタンガン(電気ショック銃)で撃たれるということさえあった。その一方で白人女性たちはジョギングをしたり、7区の市場で買い物をしたり。フランスという国にあって私たちはレイシストではないと言いながら、セーヌ・サン・ドニ県(93)の死亡率が国の平均よりも60倍高いと発表された時、あまり気にもならなかっただけでなく、仲間うちでは「(93県の)連中は外出禁止令をほとんど守らなかったからだ」とさえ言われもした。

私には既に御用ツィッター発言者たちの轟々のどよめきが聞こえる。公式プロパガンダに呼応しないなにごとかが発言される度に彼らは不快になって怒り、いつもこう言い返すのだ「恐ろしい!どうしてここまで凶暴なのだ?」 


あたかも2016719日(註:アダマ・トラオレ事件。24歳の黒人青年が身分証明検査から逃げたという理由で憲兵二人に暴力的に捕獲され憲兵署内で死亡した)に起きたことは暴力ではなかったかのように。アッサ・トラオレ(右写真。註:同日憲兵に逮捕されたバギとアダマ・トラオレ兄弟の妹)の兄二人が投獄させられたことは暴力ではなかったかのように。この火曜日(註:2020年6月2日)、私は生まれて初めて、非白人の団体が組織した8万人を超える人々を動員した政治集会に参加した。この群衆はなんら暴力的ではない。この日、2020年6月2日、私にとってアッサ・トラオレはアンチゴネーだった。しかしこのアンチゴネーは、敢えて否と言ったがために生きたまま埋葬させられるようなことにはならない。このアンチゴネーはひとりではない。彼女はひとつの部隊を取り集めることができた。群衆は叫ぶ:アダマのために正義を! この若者たちは、おまえが黒人かアラブだったら警察はおまえの恐怖であるということをわかっている。この若者たちは真実を言っている。彼らは真実を言い、正義を求めている。アッサ・トラオレはマイクを握り、集めってくれた人々にこう言った「あなたたちの名前は歴史に残る」と。群衆が喝采したのは、彼女がカリスマ性があるからでも写真映えするからでもない。群衆が彼女に喝采したのはその理由が正当であるからだ。アダマのために正義を!白人でない人々にも同じような正義を。私たち白人はこの同じスローガンを叫ぶ。そして私たちが2020年の今日、これを叫ばなければならないことに恥辱を感じなかったら、不面目の極みであることをわかっている。恥辱、それは私たちが持つべき最低限のことである。
 

私は白人である。私は毎日外出する時、身分証明証など持たない。私のような者が家に忘れてあわてて取りに帰るのはクレジットカードである。この町は私に語りかける、おまえはここの人間だしここは自分の町だ。私のような白人女性は(パンデミックの時以外)警官がどこにいるかなど全く気に留めずこの町を行き来している。警官が三人私の背後にやってきて、私が彼らのお決まりの身分証検査から逃れようとしたというたったそれだけの理由で窒息するほど威圧しようとしたら、たいへんな事件になるに違いないことを私はわかっている。私は白人女に生まれた、他の人たちが男に生まれたように。問題は「私は人殺しなど絶対にしない」と強く主張できることではない。男たちが「俺は強姦などしない」と主張するように。ここにおける特権とは、それを考えることも考えないことも選択できるとということだ。私は自分が女であることは忘れることができない。だが自分が白人女であることを忘れることができる。白人女であるとはそういうことなのだ。それを考慮することも考慮しないことも気分しだいで選べる。フランスという国にあって私たちはレイシストではないと言いながら、私はこの選択ができるという黒人もアラブ人も一人として知らない。


ヴィルジニー・デパント

(↓)2020年6月4日国営ラジオFrance Interで朗読されたヴィルジニー・デパントの「白人たちへの手紙」(朗読:オーギュスタン・トラプナール)


(↓)2020年6月2日、パリ、ポルト・ド・クリシーの司法局/パリ最高裁前に8万人を動員したアダマ・トラオレ殺害事件への抗議デモ。

1 件のコメント:

A Kawada さんのコメント...

こんにちは、初めまして。コメント失礼します。東京でライターとして働くものです。Benjamin Biolayが好きで新しいアルバムが出ると聞きつけ、過去作の歌詞を調べるうちに、こちらのブログにたどり着きたくさんの記事を自粛期間中に拝読させていただきました。彼の音楽に癒され、歌詞について調べる中でカストールさんの投稿はとても参考になり、またフランスの文化について理解を深める機会になりました。有難うございます。

特に「白人への手紙」は、今回のコロナ禍や#Blacklivesmatter におけるフランスの白人女性の視点で語られたことを日本語で読め、とても有難かったです。彼女の意見やアクションに感銘を受けました。パリに学生時代住んでいたこともあり、多くの有色人種がパリに住んでいることを少なからず知っているつもりでした。しかし想像以上にフランスにも意識改革の動きがあるのだなあと思いました。特にフェミニズムの観点で語られたことが、たくさんの女性にちの心を揺さぶると思います。もし、可能でしたら私の個人アカウントで拡散させていただくことは可能でしょうか。一人でも多くの女性に読んでもらえたらと願っています。

Kawada