2013年11月19日火曜日

私たちの望むものは

Various Artists "Mobilisation Générale - Protest and Spirit Jazz from France 1970-1976"
V/A 『総動員 - プロテスト&スピリット・ジャズ・フロム・フランス 1970-1976』

 「1968年、フランス株式会社で火災発生、建物全体が倒壊寸前にある。人々は何の救おうとはしない。崩壊した旧世界の瓦礫の中から、マルクスとコカ・コーラの子供たちが姿を現し、青白赤の三色旗から青と白を引き裂いてしまう。大気は赤く、音楽はもはや人々の暮らしを和ませたりはしない。大工事が始まる」(クロヴィス・グーによるライナーノーツの冒頭11行)

 とりわけ「70年代は何もなかった」と思っている諸姉、諸兄へ。

 私の現役時代です。オイルショックで高度成長が終わり、ベトナム戦争が終結し、新左翼運動が衰退し、「いちご白書」見てみんな会社に就職した時期でした...が。68年〜69年に乗り遅れた人たちが、もうみんな終わってしまったんだ、と「シラケ」を決めていたんですけど...。私は73年に東北から東京に出て仏文科生になり、ジャズ喫茶に入り浸り、時々デモ(狭山闘争、三里塚闘争...)に行き、同人誌を発行し、中央線上の店々でやっていたヘンテコなロックコンサートに顔を出し、友だちのロックバンドのために詞を書いていました。「なんにも終わっていないんだぞ」と息巻いていました。そして76年に初めてフランスの地を踏んだのです。 初めて着いたノルマンディーでフランスは「なんにも終わっていな」かった。
 闘争ということで言えば、日本にいた頃は敗北感が圧倒的で、あれも負けた、これも負けた、なぜ人民は動かなかったのか、みたいな話が、早くも70年代で新宿の飲み屋で平気で大声で語られたりしてちょっと辛かったですね。ところが68年5月革命は、大多数のフランス人にとって美談になってしまっていたし、服装も風俗も68年を境にまるで変わってしまったのです。具体的には大学寮の女子専用棟に男子が出入りできるようになってしまった(私はしょっちゅう泊まりがけでお世話になりました)。76年、私が初体験したフランスはおおいに行儀悪く、煙っぽく、(留学生だったので)女の先生たちはやたらセクシーに見えたし、男の先生たちはみんな長髪ひげぼうぼうだった(ような気がする)。
 しかし当時のフランスの若者たちには「徴兵制」という 重い責務があり、彼らにはインドシナ戦争もアルジェリア戦争も非常に近い記憶であり、軍隊にとられて戦地で死ぬかもしれない、という不安は常にありました。ある日大統領が「国民総動員! Mobilisation générale !」とひと声を発すれば、そうなっちゃう。彼らの反戦・反軍運動は往々にして戦時の日本のように「非国民」のそしりを受けることになる。(このコンピレーションにも反戦・反軍のトラックが3曲)
 1971年、時の防衛大臣ミッシェル・ドブレが南仏ラングドック地方アヴェイロン県とエロー県にまたがるラルザック台地にある軍用地(陸軍演習場)を、周辺の農地を撤収して13700ヘクタールにまで拡大すると発表。それに反対する農民たちが非暴力・不服従の抵抗運動を展開。全国から10万人もの運動に応援する人たちがやってくる。そしてこの闘争からエコロジーの運動や、オクシタニア文化復興運動、ジョゼ・ボヴェの農民同盟なども生まれていく。ユートピア的で祝祭的なこの農民・市民運動は10年の長い闘争の末に、遂に軍用地拡張中止を勝ち取ってしまうんです!(1981年、ミッテランによる中止決定)
 この地の70年代は、腹の立つことも多く、ポンピドゥーは「自動車に適合した都市づくり」を敢行して、パリのセーヌ河岸にも弾丸道路を通してしまったし、国営ラジオ&テレビを統御するORTF(1954-1974)はバシバシ検閲していたし、ジスカール・デスタンはテレビをばんばん政策プロパガンダに使い、国民はダリダとクロード・フランソワさえテレビに出ていれば満足、というふうに見透かされていたのです。
 そんなフランスで1965年に創設されたピエール・バルーのサラヴァ は、売れなくてもアヴァンギャルド度を増していき、アート・アンサンブル・オブ・シカゴは1969年にパリに降り立ち、テアトル・デュ・ヴュー・コロンビエで一連のコンサートを行い、ブリジット・フォンテーヌ&アレスキーやトーゴ人の詩人/俳優のアルフレッド・パヌーなどとレコードを録音したのです。このコンピレーション・アルバムの土台はここです。フランスの若者たちが68年に古い世界から解き放たれようとしたように、ブラック・ジャズは古いジャズの決まり事をぶちこわした。フリー・ジャズはフランスで68年世代や在仏移民アーチストたちと出会って、不定型でアナーキーで祝祭的で精神的な音楽を集団創造(クレアシオン・コレクティヴ)していく。テレビではクロード・フランソワしかなかったフランスで、実は大地ではこんな抵抗と自由の音楽が奏でられていた。コルトレーン、コールマン、ドルフィー、サン・ラーのフォロワーたちが、シャンソンやアフリカ音楽や抵抗詩と一緒になって騒々しくて陶酔的な音楽になっていく。しかも集団で。
 人種差別、資本主義、国家権力、戦争、軍隊、移民政策、工場生活... この人たちは黙しているはずがない。日本だって黙していなかった人たちがたくさんいたはず。若松孝二は『天使の恍惚』(1972年)で「個的闘争」の時代に入ったことを強調したのですが、私はほとんど一人だったにも関わらずまだ集団を全面的に疑っていなかったし、集団的創造(クレアシオン・コレクティヴ)の可能性も信じていたのです。
 フランソワ・チュスク(フランスのフリー・ジャズの創始者)、MAHJUN (Mouvement Anarco Héroïque des Joyeux Utopistes Nébuleux 陽気で空疎なユートピア待望者たちによるアナーキーで英雄的な運動)、フル・ムーン・アンサンブル(アーチー・シェップ)、アヴィニョンのシェーヌ・ノワール(黒い樫)劇団、アレスキーとブリジット・フォンテーヌ、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ... 
 サラヴァ音源のものを除くとすべて初めて聞く音楽ばかりでした。当時はと言えば、ロックやヴァリエテばかり聞いていたくせに、こんなのを聴かされると、本当のところでは、芯のところでは、こういう時代だったのだ、と、興奮したり、ほっとしたり。

<<< トラックリスト >>>
1. ALFRED PANOU & ART ENSEMBLE OF CHICAGO "JE SUIS UN SAUVAGE"(1970)
2. ARESKI & BRIGITTE FONTAINE "C'EST NORMAL" (1973)
3. ATARPOP 73 & LE COLLECTIF DU TEMPS DES CERISES "ATTENTION... L'ARMEE" (1973)
4. RK NAGATI "DE L'ORIENT A L'ORION" (197?)
5. FREDERIC RUFFIN & RAPHAEL LECOMPTE & CAPUCINE "LES ELEPHANTS" (197?)
6. FRANCOIS TUSQUES & LE COLLECTIF DU TEMPS DES CERISES "NOUS ALLONS VOUS CONTER..." (1973)
7. M A H J U N (Mouvement Anarcho Héroïque des Joyeux Utopistes Nébuleux) "NOUS OUVRIRONS LES CASERNES" (1973)
8. FULL MOON ENSEMBLE "SAMBA MIAOU" (1971)
9. BAROQUE JAZZ TRIO "ORIENTASIE" (1970)
10. MICHEL ROQUES "LE CRI" (1972)
11. CHENE NOIR "HEY ! " (1976)
12. BEATRICE ARNAC "ATHEE U A TE" (1973)

V/A "MOBILISATION GENERALE - PROTEST AND SPIRIT JAZZ FROM FRANCE 1970-1976"
BORN BAD RECORDS CD BB057CD / 2LP BB057LP
フランスでのリリース:2013年12月9日

↓"MOBILISATION GENERALE" ティーザー



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