アンヌ・サリ『ラ・ポルト! - ある女性バス運転手の意外な告白』
タイトルの出典は1957年の歌謡曲『東京のバスガール』 (作詞:丘灯至夫 / 作曲:上原げんと / 歌:初代コロムビア・ローズ)です。その歌詞の3番を以下に引用します。
酔ったお客の 意地悪さバスの車内で起こることはこの歌から半世紀以上経った今も、さほど変わっていません。路線バスの車掌という職業はこの世から無くなってしまいましたが、それ以来運転手がすべての仕事をしなければならなくなりました。本書の著者はリヨン市の公営バスの女性運転手です。女性だからと言って夜間や早朝の仕事がないわけではなく、フランスの大都市郊外というセキュリティー的におおいに問題のある地帯の路線を深夜に走行したりということも日常的にあるのです。酔ったお客なんて序の口で、さまざまな脅威にさらされながら、ほとんど無防備な状態でハンドルを握っているわけです。
いやな言葉で どなられて
ホロリ落とした ひとしずく
それでも東京の バスガール
「発車 オーライ」
明るく明るく 走るのよ
アンヌ・サリは、この『東京のバスガール』 の歌詞のように、この仕事でかなりの量の涙を流しています。筋骨隆々たる男ですら、この仕事は大変だと思いますよ。路線バス運転手。しかも並のバスじゃない。「連接バス」と呼ばれる2両編成。全長18メートル、重さ28トン。二つの車両のつなぎ目が蛇腹になっていて、ここが間接部になっていてカーブする時に蛇腹が開いたり閉じたり。フランスのバス業界用語では、この蛇腹バスをかの高名な民衆アコーディオン奏者に因んで「ヴェルシュレン」と呼ぶそうです。フランスっぽい洒落た異名ですね、なんて感心している場合ではない。この怪物バスを女性ひとりが運転し、渋滞や工事やらさまざまなイレギュラーのある道のりを安全に走行し、車内にトラブルがないように監視し、老人や体の不自由な人たちを固定した安全な場所に座らせ、土地に明るくない乗客の道案内をし、なじみの乗客の話相手になってやる....なんてことを全部するのですよ。
この本は300ページあります。書きたいことが山ほどあったのでしょう。まず最初に、よくこんな本が世に出たものだ、という驚きがあります。「女性バス運転手の手記」、これだけ見て、誰が「へえ?面白そうだなぁ...」と思うでしょうか。バスのことなんか私たち市民の日常にあまりにも密接で、その中で起こっていることなど毎日見ているようなもんじゃないですか。一流航空会社の国際長距離便のパイロットや客室乗務員であったらまだしも、多少興味深い話が期待できるのではないか...と思うのが人情ではありませんか。
アンヌ・サリはまさしく、そういう夢と希望を若い日に抱いていて、彼女はフランス国営航空会社エール・フランスに就職しています。年齢をバラしてしまうと、彼女は今日50歳を過ぎています。私が若かった頃も、アンヌが若かった頃も、航空会社はたいへん華やかな職業でした。ところがいろいろありまして、特に21世紀に入る頃から、民営化やら、系列会社(チャーター、ローコスト、海外県専門...)分離や再統合・合理化・リストラなどの末、アンヌは名刺の社名がエール・フランスから何度も名前が変わります。空の会社と思って就職したのに、結局レユニオン島(フランス海外県)の地上勤務を長年こなした挙げ句、空とは縁のない状態で会社を去り、フランス本土に帰ってきます。
再就職はやはり自分の経験に適合したものと思うものの、そんな職はありっこないのです。これは本を読み進むうちに徐々にわかっていくのですが、3人の子供たちは大きくなって手がかからなくなっている。しかし長年連れ合った伴侶とは全くうまく行っていない。家族が5人だった頃の家は売りに出され、それぞれが散り散りになる。そんな状態でアンヌはフランス第三の都市、リヨンに身ひとつでやってくるのです。すなわち、アンヌはその50歳台のある日に、人生の一からのやり直しをリヨンでやってしまうのです。誰からも強いられたわけではなく、リヨン市交通営団の募集に応募して、「え?女で?」、「え?その歳で?」といった人の目をものともせず、アンヌは採用され、数ヶ月の技能訓練を受けて、晴れてバス運転手としてデビューするのです。
"La porte !(ラ・ポルト!)"は、フランスのバスの中で非常に頻繁に聞く言葉、と言うよりは叫び声ですね。状況としては乗客が次の停留所で降りたいという意思表示の停車願いボタンを押して、バス中央部の降車専用出口に向かい、バスが停車するのを待っています。これはバスの安全のための絶対のまもりごとですが、運転手はバスが完全に停止するまで絶対に出口ドアを開けません。これはみんなリスペクトする。ところがこのドア開放が、完全停止から1秒も遅れてしまったら、間髪を入れずに「ラ・ポルト!」という叫び声が運転手席に向かって飛んでいくのです。ほとんど怒号です。「ドアを開けてください(Madame, ouvrez la porte s'il vous plaît)」なんていうニュアンスなんてない。シルヴプレなど付け加えられるわけがない。ただ一言「ドア!」。(ドアっつってんだろ、すかたん!)、 この侮蔑のこもった命令語を運転手はかしこまって受け止め、速やかにドアを開けなければならないのです。運転手としては最も言われたくない言葉でしょうね。
この何事にも耐えて「明るく明るく走るのよ」と自分に言い聞かせている女性運転手の手記ではありません。彼女の日々のストレスたるやたいへんなもので、悔し涙を流すのは日常茶飯事、特にこの本が多くページを割いているのは、バス会社の管理体制、組織、上司や同僚との関係、労働条件などのことで、彼女の筆致は告発的で、さまざまなインタヴューで「あとでどんなことになるかわからないけれど、書かずにはいられなかった」と述懐するように、組織と「落とし前をつける」覚悟も見られます。ハイテクシステムを駆使した中央管理部から見れば、この区間は何時から何時の間は何分で走行でき、何人の乗客を収容できる、というような統計データに基づく理論的数値を達成できなければ、やっぱり運転手として適合性に欠けるという評価が待っています。公営バス会社としても数字を上げなければならないわけですから。ところが現場は、老朽車両や、整備員不足で点検の曖昧な車両でも回していかなければならないほど、運航スケジュールはギチギチで組まれている。その上天気の良い日ばかりではなく、急変して強風や豪雨になったり、雪や路面凍結があったり、無届けのデモ行進があったり、気まぐれな大統領や大臣の抜き打ち訪問があったり.... そしてバスでも人身事故や接触事故を起こすのです。紙に書いたようにすべてが理論通りに履行されることはない、とわかりつつも会社上層部はそれに限りなく近づくことを要求するものです。彼女は自分の身を守るために、労働組合に加盟し、まだまだフランスにもある「女のくせに」という蔑視にもめげず、ある種の論客としての立場を獲得していきます。あたりまえでしょう? その辺の若造よりはずっと職業経験や人生経験が多いのですから。
だいたいにおいて、人の命を預かるという重要な責任において、長距離国際線旅客機のパイロットとバスの運転手に何の違いがあるのでしょうか? 副操縦士がついたり自動操縦に切り替わったりする前者の仕事に対して、後者は全部マニュアルで操縦し、乗客の応対をし、チケットを売り、渋滞にイライラし、遅れを咎められ、「ラ・ポルト!」と怒号を浴びせられ... 旅客機パイロットとバス運転手ではどれだけ給料格差があると思いますか?
ま、言い出したら切りのない職業上の愚痴は、本書で十分読まされることになりますが、この本のたまらない魅力は、アンヌ・サリがこのバスという空間の中で出会うたくさんの人間たちの描写です。アンヌが運転するリヨン市と郊外のヴェニシューを結ぶC12という路線には、市街地もあれば、郊外高層住宅区もあれば、ロマの野営地もあれば、精神病院も刑務所もある、というカラフルさです。そういう路線で彼女はさまざまな人生と出会い、交流していきます。
フランスのバスの最前部の左側部分は運転手ボックスです。その右側には乗り口ドアがあり、検札マシーンがあり、パスを通したり、チケットのない人は運転手からチケットを買ったりする、フロントガラス続きの立ち席ゾーンがあります。フランスのバスでは、ここに立って、道々運転手と親しげにおしゃべりをしている人を見ます。かつてはバス利用規約として「運転手と会話をすることは禁止」と大きく張紙されてたこともありましたけど、誰も気にしていません。このフロントガラスにへばりついた道々のおしゃべり相手のことを、バス業界の用語では"poisson-pilote(ポワソン・ピロット)"と呼びます。これは良い訳語が見つからないのですが、鮫のような大型の魚に密着して泳いでいき、おこぼれを頂戴するコバンザメのような魚のことだと思います。大きなバスの横にへばりついて、道先案内(pilote)をしているように見えるからでしょう。このポワソン・ピロットたちがアンヌにさまざまな人生を語ってくれるのです。
刑務所に面会に行く女性たち、刑務所から仮出所でシャバに出る男、精神病院に通院する人たち、ロマのキャンプに出入りする人たち、ラマダンの時の疲れた男たち、ニカブを着衣して他のイスラム教徒を罵倒する女、墓参りを日課とする老寡婦の人生話....いろいろな人生をバスは運んでいます。アンヌのエクリチュールはユーモアと皮肉と人間愛にあふれ、その名調子はジュリエット・ヌーレディンのシャンソンにも似ていますし、本書の中でもアンヌと出会っているのですが、 大失業時代に職業経験のない女性がノルマンディーの港町で掃除婦として働くという潜入体験記『ウィストレアム河岸』のジャーナリスト、フローランス・オブナの辛辣ながらウィットのある観察眼にも似ています。
ラジオRTL のインタヴューで、「文学やジャーナリズムの経験がないのに、よくここまで書けましたね」みたいな大変失礼な質問があり、ここにまた「バス運転手」という職業を低めに見てしまう人の目があります。それに対してアンヌは「学歴や教養がなくても文章は書ける」ときっぱり答えています。 これはわれわれ市井のブロガーたちの言葉でもあります。
サン・ジャン・ド・デュー病院の前に鎮座するジグムント・フロイトの銅像とアンヌ・サリとのツーショットがこの本の表紙です。フロイト像には有名な診断用の長椅子がついていて、そこは病院内の散歩者の休憩所になったり、夜にホームレスの人が一夜の宿になったり。アンヌはそこに時々フロイト博士に話を聞いてもらいに行くのです。揺れる50歳女の波乱の日々を語りに行くのです。この女性は素晴らしいです。抱きしめたいです。
ANNE SARI "LA PORTE! - CONFESSIONS INATTENDUES D'UNE CONFUCTRICE D'AUTOBUS"
MICHALON 刊 2013年10月9日 300ページ 18ユーロ
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