2017年2月11日土曜日

むちむちぷりん


ジャン・ギャバン『今や知れり吾』
Jean Gabin "Maintenant Je Sais"


 無知の知ソクラテス)、クセジュ(われ何をか知る。モンテーニュ)、私は何も知らないということを、60歳になって悟るという歌です。1974年に発表されたシングル盤です。20世紀フランスを代表する世界的名男優ジャン・ギャバン(1904-1976)が歌っています。この歌の2年後にギャバンは72歳でこの世を去っており、この歌の「60歳にして」という内容に関わらず、実際のギャバンは70歳でこの歌を吹き込んでいます。
 作曲は英国人コンポーザー、フィリップ・グリーン(1911-1982)です。 作詞は、2008年からフランス学士院(アカデミー・フランセーズ)会員という国家的賢人となっているジャン=ルー・ダバディー(1938 - 2020) (ミッシェル・ポルナレフ「哀しみのエトランゼ」、ジュリアン・クレール「マ・プレフェランス」...)です。歌ったギャバンは70歳でも、書いたダバディーはこの36歳。年齢を見たら、何でおまえがこんな知ったような口を、と思いたくなるような詞です。
リンゴ3個分ぐらいの背丈しかなかったガキの頃
俺は一人前に思われたくていつも大声でこう言ってた

「知ってるよ、知ってるさ、知ってるとも!」
 

それが始まりだった、春みたいなものさ
18歳になった時、俺は言ったもんだ
「さあ大人だ、今こそ俺は何でも知ってるんだ」
 

そして今、俺は昔の日々を思い返している
俺が何百歩と毎日踏むしめてきた地球だが 
それがどうやって回っているかなんて未だに知らないんだ
 

25歳頃、俺はすべてを知っていた
恋、バラの花々、人生、金
特に恋は俺は一通り全部やってみたさ!
 

幸いにして,他のダチたちと同様で、
俺は自分のパンを食べ尽すことはなかった
人生の半ばで、俺が知ったことだってある
俺が知ったそのことは短い言葉で言えばこういうことさ
 

「だれかがおまえを好きになってくれた日、それは快晴の日だ」
これ以上俺はうまく言えない、それは快晴の日だ!

 今や人生の秋にある俺にさえ、

まだ人生で驚くことがあるんだ
悲しみの夜の多くは人は忘れてしまうもんだ
だけど優しい朝のことは決して忘れないんだ!

若い時は、俺は「知ってるさ!」とばかり言いたかったんだ
ただ、探せば探すほど、俺が知ってることなんて少ないものなんだ

今や時計は60の時を告げて鳴ってしまった

俺は窓辺に立ち、外を眺め、自分に問うてみる

俺は今わかった、

「人は決して知ることなどないのだ」ということを
 

人生、恋、金、友だち、バラの花々
これらのことの音も色も、人は決して知ることなどないのだ
それが俺が知っているすべてのことだ!
そのことは俺は今知っているよ!
年齢がものを言わせるような詞ではありますが、70年代では60歳というのは本当に人生の秋という感覚だったでしょう。21世紀的今日、60歳がまだ「働き盛り」のような扱いを受けて、社会のど真ん中に踏みとどまっています。それは私は間違ってると思う。60歳ぐらいになったら、やはり過去を振り向いていろいろ悟って、次世代にいろいろ譲って、違う余生に進んでいくべきだと思っています。かく言う私はもうすぐ63歳になります。私は何も知らないということを、ようく知っています。むちむち爺。

(↓)ジャン・ギャバン「マントナン・ジュ・セ」


(↓)イオソ、イオソ、イオソ! 珠玉のカヴァー、ジノ・パオリ「イオ・ソ・ケ・ノン・ソ」(1996年)



(↓)映画スターの語りソング・ヒット曲の元祖、アンソニー・クイン「アイ・ラヴ・ユー、ユー・ラヴ・ミー」(1967年)。同志たち、よい聖バレンタインを。

(↓)ギャバン "je sais je sais"とアンソニー・クイン "I love you"をイントロでパロったアラン・スーション(&ヴールズィのコンビ)の佳曲 "Y a d'la rumba dans l'air" (1977年)

(↓) I know, I know, I know...

2017年2月10日金曜日

ルック・チョコレート、ダイスキ

V/A "DESSINE-MOI UNE POCHETTE DE DISQUE VOL.1"
コンピレーション『レコジャケ描いてよ VOL.1』

 マジック・レコーズ社主マルシアル・マルチネーは自ら世界的なシングル盤コレクターで、時々こうやってそのコレクションの宝物の一部を自社リリースの中に紛れ込ませます。今回はサイケデリックなレコジャケシングル盤特集で、時代は1968年から76年まで。イラストレーションや色使いやレタリングで、ああ、あの時代ね、とわかる人たちは年寄りです。
 トラックリスト見ても、コレクターでなければ、スコット(雨にも)マッケンジー「花のサンフランシスコ」(1967年)ぐらいしか知らないと思いますよ。鬼のシングルコレクターが、自慢げに作ったコンピレーションですから。しかし、レコジャケ特集と題しながら、レコジャケをきちんとブックレットで見せてくれるわけではなくて、このフロントカヴァーで見えるように小さな2センチX2センチの縮小写真だけなんです。ケチ。とは言っても、ちょっと解像度のいい写真など載せた日には、すぐコピーされて海賊シングル盤が作られてしまうことは容易に想像できます。
 ここにある音楽はすべて完成度の高い(つまりシングルヒットしそう、ということなんだけど、実際にはヒットしなかった)ロンドン〜米西海岸系の和音たくさんのソフトロック/サイケデリックポップばかりです。春の行楽のカーステ御用達みたい。この時代のことをちょっと回想しますと、1968年にザ・ウォーカー・ブラザースが来日した時、不二家の「ルック・チョコレート」のCMフィルムを撮ったんです。

(↑)の動画で見るように、モノクロ映像だったのかなあ。やたらカラフルだったような記憶があるのですが、モノクロでカラフルというのは明らかに矛盾。雑誌広告やミュージックライフの写真とかでカラフルに思っただけなんでしょうね。こうやってこのコンピレーションに並べられた小さな 2センチ X 2センチのジャケ写の数々を見ても、それほど多色刷りじゃないのにカラフル、と見えてしまいます。そしてこのコンピレーションにはウォーカー・ブラザースの一番目立たない男だったゲイリー・ウォーカーのシングル盤も入っています。
 同志たち、ルックチョコレートで良いバレンタインデーを。

<<< トラックリスト >>>
1. THE BUNCH "DON'T COME BACK TO ME"(1968)
2. WOOD "SAILIN' MY SHIP" (1971)
3. JUPITER SUNSET "MONTE-CARLO" (1970)
4. CHARLES BRUTUS MCCLAY "I'VE GOT MYSELF A LITTLE GIRL" (1970)
5. THE BELLS "FLY LITTLE WHITE DOVE, FLY" (1973)
6. THE ALAN BOWN "TOYLAND" (1967)
7. THE CASUALS "TOY" (1968)
8. COPPERFIELD "ANY OLD TIME" (1969)
9. EVERY MOTHER'S SON "PUT YOUR MIND AT EASE" (1967)
10. JOHN FRED & HIS PLAYBOYBAND "HEY! HEY! BUNNY" (1968)
11. THE SPARROW "TOMORROW'S SHIP" (1966)
12. GREENFIELD & COOK "THE END" (1972)
13. GRISBY DYKE "THE ADVENTURES OF MIS ROSEMARY LA PAGE" (1969)
14. JAMES ROYAL "CALL MY NAME" (1967)
15. THE MAGIC LANTERNS "SHAME SHAME" (1969)
16. SCOTT MCKENZIE "SAN FRANCISCO" (1967)
17. MR.BLOE "GROOVIN' WITH MR.BLOE" (1970)
18. PILOT "CANADA" (1976)
19. THE SHAKESPEARES "SOMETHING TO BELIEVE IN" (1968)
20. STRAWBERRY ALARM CLOCK "INCENSE AND PEPPERMINTS" (1967)
21. THE LOVE AFFAIR "EVERLASTING LOVE" (1968)
22. GARY WALKER AND THE RAIN "SPOOKY" (1968)
23. THE YELLOW BALLOON'S "YELLOW BALLOON" (1967)
24. THE YOUNG IDEA "MISTER LOVIN' LUGGAGE MAN" (1968)
25. WHITE PLAINS "I'VE GOT YOU ON MY MIND" (1970)

V/A "DESSINE-MOI UNE POCHETTE DE DISQUE VOL.1"
CD MAGIC RECORDS 3931019
フランスでのリリース:2017年2月

(↓)ゲイリー・ウォーカー&ザ・レイン「スプーキー」

(↓)グリスビー・ダイク「ローズマリー・ラ・パージュ嬢の冒険」


2017年2月7日火曜日

チョコレートを贈る理由は聞かないものだから

90歳おめでとうございます。
  2017年2月7日、ジュリエット・グレコは90歳になった。2015年1月、ジュリエットは歌手引退を宣言、そのさよなら公演「メルシー」ツアーは2015年春に始まり、2017年春に終るはずだったが、2016年3月に脳血管障害に倒れ、それ以降の日程はすべてキャンセルになっている。
 グレコの健康状態を伝えるニュースは2016年9月以降途絶えている。今日2月7日の90歳誕生日を報道する新聞系/芸能誌系のウェブ記事でも、その輝かしい芸歴を讃えることだけで、健康状態への言及はない。
 その芸能誌系のひとつ Gala のウェブ記事は、2013年10月18日の同誌のジュリエット・グレコへのインタヴューの編集再録で、ジュリエットが愛した男たち(ジャック・ブレル、ボリズ・ヴィアン、マイルス・デイヴィス、セルジュ・ゲンズブール、ジェラール・ジュアネスト)について語った回想をまとめている。その中のゲンズブールをめぐる回想を以下に訳してみる。
1963年にゲンズブールは私のために「ラ・ジャヴァネーズ」を書いてくれた。その中に彼の心のうちを "De vous à moi, vous m'avez eu..." (あなたから私への方向では、あなたは私を虜にしたのですよ)と明かして。私と彼は何度も二人だけで外出したし、私は彼と一緒にいて信じられないほど楽しかった。彼はとても教養があって、意外な面がたくさんあり、感受性の強い人だった。彼はその外見に関して受けるあらゆる侮辱を体で受け止めていた。彼は絶対的な天才。素晴らしい作詞作曲家にして映画人、そして画家でもあった。私は彼に残された数少ない絵のひとつを持っている。ある夜、彼が片手にある包みを持って家にやってきた。それは1枚の絵で、そこには幼い頃の彼とその妹が描かれていた。「セルジュ、なんて美しいの」と私が言うと、彼は「これはあんたのために取っておいたんだ。他の絵は昨日全部焼いてしまった」と答えた。私は何も彼に問わなかった。人がチョコレートをプレゼントしてくれるのに、私は理由を聞いてはいけないと思うから。
チョコレートを贈る人に理由は聞かないもの。
2017年2月14日、同志たち、よき聖バレンタインを。

(↓)ジョアン・スファール映画『ゲンズブール、その英雄的生涯』(2010年)の中のゲンズブール(エリック・エルモスニノ)とジュリエット・グレコ(アンナ・ムーグラリス)による「ラ・ジャヴァネーズ」誕生のシーン。


(↓)ジュリエット・グレコとイブラヒム・マールーフ「ラ・ジャヴァネーズ」(2014年パリ、オランピア劇場)




P.S. (追記 2017年2月8日)
ゲンズブールの絵がグレコ邸から盗まれる
民放ラジオRTLのウェブ版で2015年11月6日に掲載された報道によると、オワーズ県のジュリエット・グレコ邸の2階寝室に飾ってあったゲンズブールの描いた絵(子供時代のリュシアン・ギンズブルグと妹のリリアンヌが描かれていて、署名は "ginsburg"となっている)が盗まれていたことがわかりました。
「とても暗い色をしていたのでおかしいと思って近づいてみたら模造画だった」とグレコは証言している。つまり犯人はこの絵を盗んだのちに、模造画とすり替えていたのです。「この絵は私の命の一部」であり「セルジュとの出会い、私と彼の会話、一緒にした仕事のすべて」を証言するものとグレコは言い、ラジオ放送を通して犯人に対して「この事件に関する告訴はしない。ただこの絵があるべき場所に戻して欲しい。これは私のものであり、私の命の一部、私の大切な思い出なのだから」と訴えたのでした。
その後これに関する情報は見つからないので、どうなったことやら。

2017年2月4日土曜日

アザミと呼ばれた女

Aki Shimazaki "Azami"
アキ・シマザキ『アザミ』

 ベックでフランス語による小説を発表し続けている日系女流作家アキ・シマザキの第11作目の小説で、発表は2014年。この作家に特徴的なのは小説5編連作をひとつの大きなサイクルとしている(この五部作のことを"pentalogie"パンタロジーと言います)ことですが、すでに『秘密の重み』 (1999年〜2005年)、『ヤマトの真ん中で』(2006年〜2013年)を2巻のパンタロジーを完結させていています。この『アザミ』がシマザキ第3のパンタロジーの第1作目です。その第2作目の『ホオズキ』を当ブログでは2016年6月に紹介していて、今日(2017年2月)までに3000ビューという高い関心をいただいています。そして次に出る第3作目が『スイセン』 で、ケベックでは2016年9月に出版されましたが、フランスでの出版予定は2017年3月です。
 さてこの第3のパンタロジーの時代は特定されていませんが、わりと現代に近い平成初期ではないかと察します。登場する聾唖の男の子タローの歳でわかるのですが
、『アザミ』の中では4歳、『ホオズキ』の中では7歳で、両作の間に3年のインターヴァルがあります。『ホオズキ』を紹介した時に書いたのですが、祝日「成人の日」が1月15日ではなく1月第2月曜日になっているということで、それが変わった1999年(平成11年)より後と推定できます。しかしこの『アザミ』では、作品中に一度も携帯電話が登場せず、小説の話者(ミツオ)が公衆電話から愛人宅に電話するのを習慣としているところから、日本の町に公衆電話が普通にあった時代というのは?と海外生活者にはわからないことを想像したりします。
 それからこの小説の重要なキーワードが「セックスレス」という言葉です。一体この言葉はいつ頃から日本で言われるようになったのでしょう?
 話者ミツオは(おそらく中部地方の)大都市の雑誌出版社で編集者として働く30代半ばの男です。妻のアツコとは同じ出版社で知り合い、スムーズに結婚し、 スムーズに二人の子供を授かるのですが、その後ミツオとアツコはお互いに変わらぬ愛情を持ちながら、どうもうまく行かずセックスレスになります。寝室を別々にし、帰宅時間の遅いミツオはアツコが用意してくれた夕食を温めて一人で食べるということが多くなります。
 アツコは自分の両親から土地付きの田舎の家を相続して、週末と学校休みの時はこの田舎の家で子供たちと過ごします。やがてその土地で野菜の有機栽培を始め、それを本格的に事業にしてしまう計画を立てます。その田舎家を担保に銀行から資金を借り入れ、協力者二人を雇い、小型トラックを買って、有機野菜の生産販売に乗り出します。ミツオはミツオでいつまでも社員編集者で終わらずに、いつか独立して自分の雑誌(地方の民俗歴史月刊誌)を出したいという夢があります。しかし自立する夢はアツコの方が10歩も100歩も先を行ってしまいます。子供たちも母親の方になびきがちで、都会よりも田舎がどんどん好きになっていく。ところがミツオは典型的 "citadin"(シタダン、都会派人間)で、時々行くアツコの田舎の家も長くいると退屈してしまう。
 さてセックスレスの話に戻りましょう。この小説でシマザキはそういう説明はしていませんが、アツコという頭が良く家庭のことも子育てのこともすべてうまく出来、しかも好きなことで自立も可能な女性、仕事に追われ自由な時間も少ない夫に比べずっと活き活きと生きている女性になってしまったこと、ここが性的途絶の大きな原因のように読めます。シマザキが描くこのミツオという人物は取り立てて日本型男性原理に染まった男ではないにせよ、「並みに」男です。小説的キャラクターとしては人間的魅力が大いに欠けているように私には思えます。アツコを愛しているし、一生そばにいたいと話者は吐露するのですが、パッションはありません。自分よりもひとまわりもふたまわりも人間的に大きくなっている妻を前にして性的なブロッカージュが働いてしまう。
 この性行為衝動は男性優位でなければ機能しないということなのか。目下的に「可愛い女」でなければ日本の男は「できなく」なってしまうのか。ということをシマザキは説明しません。
 で、ミツオはその満たされぬ欲求を解消するために「フウゾクテン」(fuzokutenとそのまま小説に現れます)に通い、そのことをアツコは知っています。
 ここでまたミツオの男の「リクツ」があります。風俗店やピンクサロンに通うのは妻に対する不実ではなく、「必要悪」である。どうなんだろうか、この考え方は? 21世紀的今日の日本男性はやはりこういうことがフツーに必要だと考えるのだろうか? それはともかく、ミツオのリクツでは浮気は別物であり、自分は絶対に愛人を持ったり浮気したりはしない、と思って「いた」。
 小説の冒頭は、ミツオが偶然、小学校の時の同級生ゴロウと再会することから始まります。ゴロウはこの地方でめきめき躍進している大酒造会社の二代目社長で、社交的で人の面倒見が良く、成功者としての風格もある。(このゴロウがこのパンタロジー第3作でもうすぐフランスで刊行される『スイセン』の主人公になります)。フウゾクテンに出入りするミツオと違い、ゴロウは愛人が3人もいる。それはそれ。成金のゴロウに連れて行かれてた超セレクトな高級バーで、ミツオは同じ小学校の同級生だったミツコがホステスとして働いているのを見てしまいます。ミツコは6年生の時に転校してきた美しくも暗めの少女で、ミツオが強烈に片思いを寄せていた、言わば初恋の人。このミツオとミツコとゴロウの3人が後々まで数奇な運命で交錯していく、というのがアキ・シマザキの得意技の大河ストーリーであるわけです。
 小学6年の頃、将来カメラマンになりたいと言っていたミツオは編集者になり、大学教授になりたいと言っていたゴロウは大会社の社長になり、獣医になりたいと言っていたミツコはバーホステスになった。中産階級の子は中ぐらいの職業につき、金持ちの子はやはり金持ちになり、貧乏人の子は底辺で苦労する、という図式です。この3つを交錯させるというのもシマザキの得意とするところです。
 週に一度金曜の夜に高級バーで働き、他の日は昼に喫茶店のウェイトレスとして働くミツコはシングルマザーで4歳の息子を育てています。夜道でハンドバッグをひったくられそうになったミツコを偶然にも助け、急激に接近できるようになったミツオは、少年の頃の恋慕を再燃させます。新事業に夢中で田舎の家に行く機会が多くなっているアツコの不在をいいことに、ミツオはミツコのところに通い、隣室で眠っている幼児タロウを起こさないように音をひそめて情事を重ねます。セックスレスだったミツオは狂ったように回春し、いよいよ燃え上がっていくのですが、それはミツコと両方向ではなく、ミツコはミツオのパッションがかりそめのものであることを見抜いています。
 この小説の中で聡明・賢明なのは二人の女性です。男性はどれも魅力に乏しい。おまけに日本の男性社会的背景が大きくものを言ってきます。端的な例がミツオの出版社の上部は、ゴロウの大酒造会社を広告主として獲得したいと目論んでいて、ミツオとゴロウの幼なじみ関係を利用して、なんとか話をまとめろとミツオに強要します。そんな話に友人関係を利用したくないミツオですが、広告取りの話はどうにかうまく行きかけます。しかしゴロウという見た目よりもずっと複雑で倒錯した性格の男は、「お宅の会社の編集幹部のひとりが売春常連客である、あるいは夜の女と不倫関係にある、という噂を聞いた」と、「企業イメージに泥」という観点から、この広告契約に難色を示します。すなわち、ゴロウがミツオを罠にかけたような。24年前の少年少女時の「三角関係」から始まっているような根の深い確執。そして、アツコも遂にミツオの不倫行動に気がついてしまいます...。

 題名の「アザミ」はミツコが高級バーで働く時の源氏名です。一時は娼婦にまで身を落としたミツコがどうしてこの財界人や学術人が集まる超セレクトクラブで働くようになったのか。それは子供の頃からの膨大な読書量によって、学校に行かずともすぐれた教養人になってしまい、数カ国語もこなし、大学教授クラスと対等に問答ができる会話の達人になったからなのです。(正直に言うと、この教養レベルと描かれる人物像にはややギャップがあるように思います)。美貌と教養と会話レベルの高さ、これが「アザミ」さんをバーの売れっ子にしているわけです。
 そしてそれは偶然にもミツオが少年の日に、ミツコへの想いを綴っていた日記に、純情にもその名をダイレクトに書けず、ミツオが創造した恋人の名としてつかっていたのが「アザミ」であった、という話なのです。24年後にその日記をミツオから見せられたミツコは...。
 実の両親が離婚したり、死別したり、犯罪者になったり、そういう因縁でどこか似た者同士であるミツオ、ミツコ、ゴロウ。ここからシマザキ流のロマネスクを展開させようという新パンタロジーですが、前のふたつのパンタロジー『秘密の重み』『ヤマトの真ん中で』で見せた壮大なロマン世界から比べると、ぐっと世界は狭く、親密な展開になっていると思います。これまで11作シマザキの作品とつきあってきましたが、この『アザミ』はちょっとレベルが低いです。セックスレスはどこから来るのか、日本社会の中の男たちはどうして性と向かい合わないのか、ミツコはなぜ哲学者然としていられるのか、そういうところをもっともっと掘り下げて書いて欲しかったです。
 ミツコは自分の名前が嫌いだった。そして転校生ミツコは、ゴロウに「おまえの名前の漢字は読み方によってはマンコ」とからかわれる。こういうエピソードは小説の文学レベルをガタっと下げますよ。フランス語人にもそれはわかりますよ。
 ではまた次回『スイセン』 で。

Aki SHIMAZAKI "Azami"
Actes Sud刊 2014年9月  130ページ 13,50ユーロ

カストール爺の採点:★★☆☆☆

2017年1月25日水曜日

ノスタル爺の生活と意見

Compilation "BLEU BLANC SCHNOCK"
V/A 『ブルー・ブラン・シュノック』

 シュノック Schnockとは俗語・町言葉で「年寄り」のこと。フランスでノスタルジーオタクたちにカルト的な人気を誇る季刊誌「シュノック」というのがあります。 副題に曰く「27歳から87歳までの年寄りのためのレヴュー誌」。主に60-70-80年代の文化(テレビ・映画・音楽・政治...)を細部にわたってオタッキーに回想する雑誌です。このエスプリから誕生したラジオ番組が毎週土曜日18時から1時間、題して「ブルー・ブラン・シュノック」(キャスター:アリステール&マチュー・アルテルマン=右写真)、35年の歴史ある頑固なロックFMステーション OUI FM(ウイ・エフエム)の電波を使って全国放送されています。
 私たちはこれまでNOSTAGIE FMに代表されるような、耳にタコができるほどのエヴァー・グリーン・オールディーズばかりを繰り返す懐メロFMの人気の高さを知っています。人間は歳とるものですから、いつしか若い音楽についていけなくなります。新しい音楽を求めなくなります。30代・40代・50代・60代・70代、それぞれの世代はその年齢層に合致したスタンダード・ヒットを好み、容易に懐古趣味に浸れます。だからそれらのFM局は、その過去の時代時代のトップヒットや長い年月生き残っているスタンダード・ヒットさえオンエアしていればいいのです。何年経ったって同じようなプレイリストです。
 しかしインターネットの普及によってシングル盤オタクたちの秘められた世界もYouTubeなどでどんどん公開されていき、人々のノスタルジーは通り一遍のスタンダードだけで済まなくなってきました。このオタクサイトの老舗が、2000年創設のウェブラジオの”BIDE & MUSIQUE"です。"Bide"とは失敗作の意味ですが、商業的に全くヒットしなかったレコードの珍品・逸品を取り上げて、再び笑いものにしたり、逆に再評価したりということでオタッキーな快楽を多くの人々と共有しようというものです。
 「ブルー・ブラン・シュノック」はそういう流れの、知られざる珍品・逸品レコードを大衆的FMステーションでオンエアするというやや冒険的な番組です。そのスペシャリストとして2人のキャスターが、その曲に関する情報やそれにまつわるエピソードなどを語ってくれます。取り上げる音楽は年代的に限定されていて、とりわけ70年代で、80年代は85年をリミットとして、それ以降は除外しています。68年の5月革命がもたらした意識革命が音楽を変えてしまった時期から、81年のFM電波解放であらゆる音楽が大衆化され、メジャーレコード会社の音楽にFMが占領されてしまった時期まで、と解釈することもできます。70年代は、先鋭的な音楽はあっても、AMラジオ(RTL, EUROPE NUMERO 1, RMC、そして国営ラジオ)で限られた音楽番組で流される音楽は自ずとリミットがあり、音楽ファンはレコードを買うしかなかった。シングルレコード全盛期というのはこの70年代だったはずです。その時代にヒットしなかったレコードなど幾十万とあったことでしょう。この埋もれた失敗作の中から宝物を見つけるのが、コレクターたちの喜びだったのですが、ジャズやロックの世界と違い、コレクター界では「ヴァリエテ・フランセーズ」は肩身の狭い、貶められた分野だったのです。
 「ブルー・ブラン」とフランス国旗の3色のうちの2つを頭に持ってきているということは、フランス大衆音楽限定ということを意味します。OUI FMのような頑固はロックFM
はそれまで「ヴァリエテ・フランセーズ」を侮蔑する態度がありました。その環境の中で、この「ブルー・ブラン・シュノック」は、ロックリスナーにもクオリティーが伝わるようなヴァリエテの珍品を発掘するという使命も負わされていたと思います。シングル盤オタク的な面もないことはないけれど、過激すぎることはない。クオリティー再発見の面白さが優先するような中庸さがうまいところです。
 さて「ブルー・ブラン・シュノック」の最初のコンピレーションです。選曲はヴァラエティーに富んでいます。ライナーノーツにこう書かれています。
ここでも当然"クラシックス”が入っている。僕たちも古き良きヒット曲が好きなんだから。例えばコミカルなルノー("Viens chez moi j'habite chez une copine")、テクノ前期のプラスチック・ベルトラン("Tout petit la planète")、ディスコ風なリオ("Sage comme une image")。だけどそれだけじゃなく珍品も入っている。例えばファンキーなクロード・フランソワ("Doucement sur la route”)、キャバレー風なカトリーヌ・ドヌーヴ("Lady from Amsterdam")。そして僕たちはちょっとした洞窟探検者でもあるから、レアものを見つけてしまうこともある。例えばソウル風なエルベール・レオナール("OK")、未来の「フレンチ・タッチ」を先取りしたようなピエール=アラン・ダアン&スリム・プザン("Electronic Mutation")など。これでお分かりでしょう。みんなの好みに合ったものがすべてあるんだ。
CD2枚組で、CD1の副題は "Pop à la Papa"(パパ時代風なポップ音楽)、CD2の副題は"Futur Schnock"(未来の年寄り)。
 傾向としてCD1は古風なシャンソンやベタなイエイエからちょっと浮いてフランス風にポップがかった曲がまとめられていて、デュトロン、デルペッシュ、シェイラ、ミッチェル、ムスタキなど結構フツーにヴァリエテっぽい人たちのちょっとしたポップ冒険の見られる曲や、ゲンズブール作のミレイユ・ダルク("Hélicoptère")、ソロデビュー前のヴェロニク・サンソンのトリオ、レ・ロッシュ・マルタン、クロード・フランソワのサウンドエンジニア、ベルナール・エスタルディがクロード・フランソワの「電話が泣いている」(1974年)のメガヒットのあやかりで作ったムードインスト曲("Le Téléphone")、孤高のジャズトランペッター、チェット・ベイカーがジャン=ポール・ベルモンド映画のサントラ(フィリップ・サルド作)を吹く ("Flic ou Voyou")など。
 CD2は、文字通り未来的で予言的で冒険的な曲を中心に。CD1でも出てきたベルナール・エスタルディの前衛ソウルファンクなインスト("Riviera Express")、フレンチロックの最良の部分ながら日の当たらなかったドッグス("Secrets")、同じく日が当たっても世界的な評価は低かったテレフォヌ("Ex-Robin des bois")、大衆的な大ヒット曲と非大衆的な前衛ポップの両方を作っていたクリストフ(”Macadam")、前衛コールド・ディスコからワールドミュージック(南アフリカ録音)に転身したリズィー・メルシエ・デクルー("Mais où sont passées les gazelles?")、フレンチプログレの孤高バンドとして世界で何百万枚とアルバムを売りながらフランスで無名のマグマ("Soleil d'Ork")...。
 CD2で3組入っているベルギー勢。後年のストロマエの例を出すまでもなく、ベルギーはフランスの数年先を行っていると思わせる人たち。プラスチック・ベルトラン("Tout petit la planète")、リオ("Sage comme une image")、テレックス("Twist à Saint-Tropez")。同じ70年代末から80年代初めまでの、あの頃のブリュッセル。ルー・デプリックとジャン・クリューガーという曲者プロデューサーがいたし、口パクで歌わされたプラスチック・ベルトラン("Ca plane pour moi"はルー・デプリックが歌っている)は非英語初の世界的パンクヒットになった。16歳でデビューしたリオの周りにはジャック・デュヴァル(作詞界では小粒のゲンズブール級に評価された)、ジェイ・アランスキー(未来のジル・カプラン、レミニッセント・ドライヴ)、アラン・シャンフォール(この時期ブリュッセルに移住している)、マルク・ムーラン(テレックスのリーダー。1942-2008)がいた。ここに収められている "Sage comme une image"はかの「バナナ・スプリット」と同じデュヴァル詞/アランスキー曲のコンビの作で、テレックスのマルク・ムーランが編曲しています。この時リオ18歳。私はリアルタイムでアルバム"SUITE SIXTINE"(1982年)を買っていましたけど、この曲(このロングヴァージョン)が、こんなもろにナイル・ロジャース/バーナード・エドワーズ(シック)風なディスコファンクで、こんな奇跡的なグルーヴがあったとは夢にも思っていませんでしたよ。
 「ブルー・ブラン・シュノック」ファンになりましたよ。これからラジオ番組聞くようにしますよ。

<<< トラックリスト >>>
CD 1 POP A LA PAPA
1.  JACQUES DUTRONC "LE RESPONSABLE"
2. DANI "LA MACHINE"
3. 5 GENTLEMEN "SI TU REVIENS CHEZ MOI"
4. JACQUELINE TAIEB "LA FAC DE LETTRES"
5. MICHEL DELPECH "LES GROUPIES"
6. MIREILLE DARC "HELICOPTERE"
7. HERBERT LEONARD "OK"
8. ANNIE PHILIPPE "UNE PETITE CROIX"
9. LES ROCHE-MARTIN "LES MAINS DANS LES POCHES"
10. FRANCOISE HARDY "REVER LE NEZ EN L'AIR"
11. SHEILA "CHERI TU M'AS FAIT UN PEU TROP BOIRE CE SOIR"
12. PIERRE VASSILEU "FILM"
13. EDDY MITCHELL "L'ENFANT ELECTRIQUE"
14. FRANCIS LAI "RAPT"
15. ALAIN SOUCHON "POULAILLER'S SONG"
16. WILLIAM SHELLER "UNE FILLE COMME CA"
17. GEORGES MOUSTAKI "ON EST TOUS DES PEDES"
18. YVES SIMON "LE JOUEUR D'ACCORDEON"
19. PATRICK JUVET "LES VOIX DE HARLEM"
20. CATHERINE DENEUVE "LADY FROM AMSTERDAM"
21. JEAN-PIERRE CASTELAIN "DERNIERES IMPRESSIONS"
22. THE BARONET "LE TELEPHONE"
23. CHER BAKER "FLIC OU VOYOU"
CD 2 FUTUR SCHNOCK
1. PLASTIC BERTRAND "TOUT PETIT LA PLANETE"
2. LIO "SAGE COMME UNE IMAGE"(LONG VERSION)
3. JEAN SCHULTHEIS "CONFIDENCES POUR CONFIDENCES"
4. BERNARD ESTARDY "RIVIERA EXPRESS"
5. ODEURS "YOUPI LA FRANCE"
6. RENAUD "VIENS CHEZ MOI J'HAIBITE CHEZ UNE COPINE"
7. CLAUDE FRANCOIS "DOUCEMENT SUR LA ROUTE"
8. TELEX "TWIST A SAINT-TROPEZ"
9. CHRISTOPHE "MACADAM"
10. HUGUES AUFRAY "C'EST TOI QUI PEUT TOUT CHANGER"
11. PIERRE-ALAIN DAHAN & SLIM PEZIN "ELECTRONIC MUTATION"
12. ALAIN KAN "CLICHES"
13. AMANDA LEAR "MADE IN FRANCE"
14. BUZY "DYSLEXIQUE"
15. TELEPHONE "EX-ROBIN DES BOIS"
16. JACQUES HIGELIN "L'ANGE OU LE SALAUD"
17. DOGS "SECRETS"
18. MAGMA "SOLEIL D'ORK"
19. LIZZY MERCIER DESCLOUX "MAIS OU SONT PASSEES LES GAZELLES?"
20. WEEK-END MILLIONNAIRE "FRENCH MUSIC PAR EXCELLENCE"
21. TAXI GIRL "CHERCHERZ LE GARCON"(SOLITAIRE)

COMPILATION "BLEU BLANC SCHNOCK"
2CD WARNER MUSIC FRANCE 5419727505
フランスでのリリース:2016年10月21日

(↓)LIO "SAGE COMME UNE IMAGE"(LONG VERSION)


(↓)LE BARONET (BERNARD ESTARDY) "LE TELEPHONE"

2017年1月12日木曜日

あの子はだあれ だれでしょね

『ダリダ』
"DALIDA"

2016年フランス映画
監督:リザ・アズエロス
主演;スヴェヴァ・アルヴィッティ(ダリダ)、リッカルド・スカルマシオ(オルランド)、ジャン=ポール・ルーヴ(リュシアン・モリス)
フランス公開:2017年1月11日


  2017年最初に映画館で観た映画が、これかぁ... という落胆感。悪い年の始まり。この5月に30周忌を迎える20世紀の大歌手ダリダ(1933-1987)のバイオピック 2005年に国営TVフランス2で放映された90分バイオピック『ダリダ』はアメリカ人女流監督ジョイス・ブニュエル(かの巨匠ルイス・ブニュエルの息子ホアン・ルイス・ブニュエルの元奥様ということで、この名前になっている)がイタリア人女優サブリナ・フェリーリをダリダ役にして作ったものですが、この新しいバイオピックがそれとどう違うのか、と言われても、同じ人の一生を描いたものですから、そんなに違うものではありません。
 そのわけを最初に書いてしまうと、ダリダにはブルーノという4つ年下の弟がいて、オルランドという芸名でダリダと同じようにフランスの芸能界で(俳優・歌手として)成功しようとするのですが果たせず、姉がトップスタークラスになった頃にそのマネージャー/プロデューサーとなるのです。以後オルランドは死後の今日に至るまでスーパースター・ダリダのすべての権利を掌握しています。彼の商才手腕の甲斐あって、生前ダリダは常にヒット歌手であったし、死後も永遠のスターとして売れ続けています。この永遠のドル箱をオルランドは絶対に手放さないし、いよいよ神話化してさらなる利潤を生み出そうとしています。フランス2のバイオピック(2005年)ではオルランドは共同プロデューサー、そしてこの2017年劇場映画版 では、共同シナリオライターとなっています。そこで目を光らせておいて、ダリダの悪いイメージなど絶対に許さないのです。この環境では当たり前に「偉人伝」しかできないのです。オルランドの死後にしかダリダの真正で生身に近いバイオピックはできないということです。
 監督のリザ・アズエロスは、『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督、1960年)でアラン・ドロンの相手役だった女優マリー・ラフォレの娘です。 長編第2作目の『LOL』(2009年。ソフィー・マルソー&クリスタ・テレ主演)で注目された人で、これが長編6作目になります。ダリダ役に抜擢されたスヴェヴァ・アルヴィッティはイタリア人女優・マヌカンですけど、まあ、よく似てますわ。クロード・フランソワのバイオピック『クロクロ(日本上映題『最後のマイ・ウェイ』)』(2009年)のジェレミー・レニエといい勝負です。映画はこのアルヴィッティのおかげでずいぶん救われてると思いますよ。
 さてダリダの生涯の話です。映画は1967年のダリダの最初の自殺未遂から始まります。自殺未遂の原因は自殺だったというややこしさ。この映画では、様々なややこしさを解題しようと、架空の精神分析シーンを出してダリダを初め主要人物に分析医の前でいろいろ告白させます。これアイディアとしては面白いのだけど、当然これがすべてを説明できるはずもなく、中すぼみです。例えばダリダが幼少の頃に失明の危機に陥り、40日間目隠しを外せなかったということから一生引き摺る暗闇への恐怖が、その後のダリダの何を説明できるのか、という詰めがないんですね。ま、それはそれ。
 ダリダの最初の自殺未遂の原因は、5ヶ月前から熱愛中の当時28歳(5歳年下)の恋人ルイジ・テンコ(演アレッサンドロ・ボルギ)の1967年1月サン・レモ音楽祭でのピストル自殺でした。ここでのルイジ・テンコの描かれ方というのは、絵に描いたような天才型・情熱型・破滅型で、自分のアート(即ちカンツォーネ)は世に理解されていないという妄想に苛まれています。厭世的なこの若き芸術家は、世界で唯一彼を理解するダリダとの逢瀬のベッド(パリの超高級ホテルにしてアール・デコ建築の傑作プランス・ド・ガルの一部屋)で、マルティン・ハイデッガー(1889 - 1976。つまり当時存命中)について語ったりするのです!(精神分析やハイデッガーを持ち出して、衒学的にその「深部」に迫ったふりをするこの映画、ちょっと、ちょっと...。) 虚飾に満ちたショービジネスの世界は自分と相容れないものなのに、大衆迎合マスカレードと化したサン・レモ音楽祭に、自分の芸術などわかるはずもない審査員たちに自分の歌が評価されるということに我慢がならない。制止するダリダを振り払ってウィスキーをぐいぐいぐいぐい飲み干して、泥酔状態でステージに上がったルイジは「チャオ・アモーレ・チャオ」(恋人よ、お茶をどうぞ)を歌います。その深夜すぎ、テンコはホテル自室でピストル自殺後の死体で発見されます。
 ダリダの愛した男たちはみんな自殺してしまう ー これがフランスでは世に知れたダリダの悲劇的生涯のレジュメです。
 仏芸能界の大物(民放ラジオ EUROPE NO.1のディレクター、レコード会社ディスクAZ社長)リュシアン・モリス(1929-1970)(演ジャン=ポール・ルーヴ)は、1957年「バンビーノ」でフランスでダリダをスターダムにのしあげた張本人ですが、妻帯者ゆえダリダとの恋愛中も「離婚するまで待て」のような態度で、結婚よりもスターとしての成功を優先しろ、子供を欲しがるダリダに「スターは子供産んだらスターでなくなる」と平気で言う鬼ショービジネス男のように描かれています。実際には長い恋愛期の後にやっと(モリスの離婚叶って)1961年に入籍するのですが、結婚生活は数ヶ月しか続かず、リュシアンへの熱の冷めたダリダは複数の男たちと浮き名を流します。嫉妬に狂ったモリスは自らのショービズ界権力のあの手この手を使って、ダリダの芸能生命を断とうとするのです。ところがダリダの人気は衰えることを知らない。リュシアン・モリスの自殺は1970年です。テンコと同じピストル自殺でした。
 1975年にマイク・ブラントが謎の自殺を遂げますが、この映画にこのエピソードは登場しません。
 1972年から1981年まで9年間の長きにわたって恋人関係だったのが、「錬金術士サン・ジェルマン伯爵」と名乗ったリシャール・シャンフレー(1940-1983)(演ニコラ・デュヴォーシェル)で、社交界・芸能界・メディア界でとにかく目立ちたがりなメガロマニアックな男でしたが、若く(7歳年下)優男で性豪で...。この映画の中で、ダリダとアラン・ドロンの噂に猛烈に嫉妬するシーンがあります。それで自らもダリダのパートナーとしてひけを取らない「スター」になろうとして、歌手デビューしたり映画出演したりするのですが、とてもとても。スターのヒモのような「存在の耐えられない軽さ」に抗してどんどん凶暴化していきます。そして別離後、何度も復縁をダリダに求めますが、聞き入れられず、1983年、締め切った自家用車内に排気ガスを充満させての自殺。
 話は前後しますが、自殺なしに短く燃えた恋もあり、1967年、ルイジ・テンコの自殺&自らの自殺未遂の傷がうっすら癒えた頃、テンコのファンだったという18歳のイタリア人学生詩人ルーチョ(演ブレンノ・プラシード)と出会っています。これが実話「18歳の彼」。イタリアから汽車に乗ってやってきたこの少年とダリダは愛し合い、そして夢にまで見た妊娠を!しかし、それを少年に明かすこともなく、この映画では手切れ金の小切手を少年に送り、ダリダは秘密裏に(当時非合法だった)妊娠中絶手術を受けます。この手術のせいで、ダリダは二度と妊娠できなくなってしまいます。
 80年代、ダリダの神経衰弱は進行し、薬物を多用するようになります。しかしスター街道はとどまることを知らず、アメリカ(カーネギーホール、1978年)やパレ・デ・スポールという当時パリで最も大きかったメガコンサート会場での連続公演(1980年)も大成功でした。このパレ・デ・スポールのショーの客席に翌1981年の大統領選挙の有力候補だったフランソワ・ミッテランもいましたが、この映画では登場しません。そしてミッテランは大統領になって、その在任中にダリダ宅に夜這いするようになる(実弟オルランドは否定している)のですが、この映画ではその姿は登場しません。
 
1987年5月2日、自宅でバルビツール系睡眠薬を多量に飲み込み、枕元にファン向けの書きおきと思われる「人生に耐えきれなくなりました。お許しください」という言葉を残してダリダは自らの命に幕を下ろします。
 ダリダのファンでなくても、多くのシャンソン愛好家だったらみんな知っているようなダリダのドラマチックな生涯を、この映画は2時間4分という時間の中で、かなりさらっとパノラミックに展開します。大衆的人気歌手のステロタイプのように「ダリダの人生はその歌であった」と言わんばかりの、そのヒット曲と映画ストーリーのシンクロナイゼーションがあります。歌とダリダの人物像を両方神話化してしまおうというオルランドの策謀かもしれません。良くも悪くもショービジネスが優先する映画です。この映画のあらゆる自殺が永遠のダリダ像のために奉仕しているような。いやだいやだ。

カストール爺の採点:★☆☆☆☆

↓『ダリダ』予告編


2017年1月2日月曜日

爺ブログのレトロスペクティヴ2016

2016年は死を思って過ごした1年だった

れはミッシェル・デルペッシュとデヴィッド・ボウイーの死で始まった年でした。偉大な順というわけではなく、私の記憶に深く刻まれた人たちということで言えば、モーリス・ホワイト(アース・ウィンド&ファイア)、プリンス、ジョージ・マーティン(ビートルズ)、パパ・ウェンバ、ユベール・ムーニエ(aka クリート・ボリス、ラフェール・ルイス・トリオ)、レオナード・コーエン、ピエール・バルーなどが他界した年でした。そういう著名人たちの死ばかりでなく、戦場でもないのに「戦争」で死んでしまった人たち、7月の革命記念日の花火見物に来たニースの人たち、12月のクリスマス市の買い物に来たベルリンの人たち...。おととし、バタクランにロックを楽しみに来た人たちと同じです。この「戦争」は私たちの身近に居座ってしまって動きません。パリはかつての顔を取り戻すはずだ、私たちが恐れることなく外に出れば。運動は外にあり、街頭は私たちのものだ ー そう思わせてくれたレピュブリック広場「ラ・ニュイ・ドブー」の数ヶ月も2016年の出来事でした。もう一度外に出ましょう、機会があれば。みんな出たがっているはずです。恐れることなく。
 
さて、2016年の爺ブログのレトロスペクティヴです。この1年間に42の記事がアップされました。現在(2016年1月2日)の時点で、その42の記事のビュー数が多い順からのトップ10です。当然11月12月にアップされた記事は不利になりますが、知ったことではありません。爺ブログの範囲を超えて、私にとって最も印象的だった音楽アルバムはクリストフ『カオスの廃墟(Les Vestiges du Chaos)』、映画はグザヴィエ・ドーラン監督『ちょっとした世界の終わり(Juste la fin du monde)』 、小説は圧倒的にガエル・ファイユ『小さな国(Petit Pays)』でした。レイラ・スリマニの『やさしい歌(Chanson Douce)』は次点です。

1. 『何をそんなにありがたがルノー(2016年4月24日掲載)
 おそらく2016年、フランスで最も売れたアルバムでしょう。私はそれまで大好きな曲「ミストラル・ガニャン」を例外とすれば、積極的にこの歌手を紹介してきたことはありませんでした。しかしこの2009年以来復活したルノーに関しては、その不死鳥ストーリーをラティーナにもオヴニーにも書きました。長年のファンではないにしても、フランスに長くいると、どうしてもこの反骨シンガーソングライターを認めざるをえない、というポジションでしょうか。この記事でも書いたように、私はこのアルバムはそれ以後はほとんど聞いていません。ゴメンなさい。

2. 『ニュー・ファミリーとは何であったか(2016年4月26日掲載)
マッカートニーと同じサウスポーのベーシスト、 カロジェロが2014年に発表した6枚目のソロアルバム『花火(Les feux d'artifice)』の中の1曲「新しい世界(Le monde moderne)についての記事。おそらく当時(2016年4月)に発表されたアニメーションのヴィデオ・クリップに心動かされての投稿だったのでしょう。半世紀前に離婚が簡単になった世界は、あまり成熟していないし、「新しい世界」は進歩ではないけれど、子供たちは傷つきながらもその世界で生きて行くのです。考えさせられる歌でした。しかしこの記事が2位の座にあるというのは大変な意外です。

3.『フェルナン、フィルマン、フランシス、セバスチアン、そしてポーレット(2016年4月15日掲載)
 標題の出典は、2016年12月30日に82歳で亡くなったピエール・バルーの詞「自転車乗り」(曲フランシス・レイ、歌イヴ・モンタン 1968年)からの引用でした。2016年に私が一番応援してしまった新人女性シンガー・ソングライター、クリオは、応援が功を奏して9月にはディスク・ユニオン(DIW)から日本盤も出ました。すごく惚れてたんですね。爺ブログには同じアルバムのことを4つの記事で書いてますし、そのうち3つの記事がレトロスペクティヴ10選入りです。中でもこの「軽業師たち(Des Equilibristes)」が最高の曲と思いますよ。

4. 『ニッサ・ラ・ベッラ、ニースうるわし(2016年7月17日掲載)
 ニースは私にはパリ、ブーローニュに続いて思い入れのある町です。あの事件は、6月10日から7月10日までフランスで開かれたサッカー欧州選手権 EURO 2016の熱狂の直後に起こりました。相次ぐテロのせいで、開催さえ危ぶまれていたその大会の大成功の直後に。7月14日、お祭り気分(当たり前だ、革命記念日だもの)のニース「イギリス人の遊歩道」にごった返す花火見物人たちの中に19トントレーラー車は突っ込んでいった。その3日後に書いた私の悲しみと昂ぶりは、多くの人たちにリツイートされました。

5. 『明日に向かってガブれ!(2016年5月2日掲載)
本業の上での話ですが、私がどんなに褒めちぎって推薦しても、日本からもフランスからも全く無視される作品は多々あります。ノルマンディーの3人組ガブレは、「これ傑作ですよ」という調子で随分と日本にプロモ盤を送ったのですが、一社として反応するものはありませんでした。雑誌用にインタヴューまで用意していましたが。この辺の感覚のズレがここ数年ひどくなっている気がします。そんなガブレの記事が3000ビュー近い数字で、この5位のポジションです。一体誰が見に来ていたのでしょう?日本にいる人たちじゃないのかもしれません(この種の統計は "blogger.com"ではわかりません。)

6. 『ルネ王のルネッサンス(2016年5月18日掲載)
私はジャズのことなどめったに書いたことなどありません。伝説のピアニスト、ルネ・ユルトルゲのバイオグラフィーを、ダイアローグ形式で女流作家アニェス・ドサルトが書き上げたものです。ポーランド移民の子がピアニストとして若くして栄光をつかみ、やがてドラッグで転落していき、40代半ばにやっとクリーンになって再生する、という大まかな劇的人生ですが、それだけではない。50年代のパリが世界一のジャズの都で、スタン・ゲッツ、マイルス・デイヴィス、チェット・ベイカー、アート・ブレイキーらとルネ・ユルトルゲがどのように生きていたのかが証言されている、内側からのジャズ現代史としても読める貴重な一冊です。

7.『坂の上のマシュマロ(2016年4月11日掲載)
クリオのファーストアルバムからの歌を紹介した4つの記事の中の2つ目。「シャマロウズ・ソング」は北ブルターニュ海岸の城壁の町サン・マロでの恋の終わりの歌ですが、洪水になりそうな大粒の涙を流すのは男。アルバムの中には4曲ほど男に対しての(時には意地悪な)風刺眼を利かせた歌があります。クライ・ミー・ア・リヴァーと泣いている男を、どうしようもないわねえ、と見ている女。大学でエリック・ロメールを修士論文にしたというクリオの想像力では、サン・マロも舞台になっているロメールの『夏物語』(
1996年)に出てくるメルヴィル・プーポーのような少年がこの歌のイメージの源かもしれません。(と記事にも書いている)

8. 『四月になれば彼女は(2016年4月6日掲載)
2001年のヴールズィの歌をなぜあの時期に記事にしたかというと、その頃にインタヴューしたクリオのせいだったのでした。口数が少なく、質問にちゃんと答えてくれない、シャイなのか小難しいのかわからないけれど、私の目の前で才気と魅力はあふれ出ていたクリオは4月生まれだと知ったのでした。"Fille d'avril, fille difficile"4月の娘は難しい娘。ヴールズィのこの美しい歌は、クリオも大好きだと言ってました。ヴールズィ/スーションの曲は傑作も駄作もあるけれど、これは最良の一曲でしょう。

9. 『A la faveur de l'Automne (アキに加担して) (2016年6月21日掲載)
ケベック在住の日系(フランス語)作家アキ・シマザキは、残念ながら日本でほとんど知られていません。私は最初にこの『ホオズキ』を読んで、その夏までにフランスで刊行されている全作品12冊を全部読みました。平易でわれわれ日本人にはとても親しい文学空間があります(日本が舞台ですから)。日本の戦争、原爆、家父長制度、在日コリアン、商社、同性愛など多岐にわたるテーマをシマザキは分かりやすい物語にしてしまいます。日本の明暗を仏語圏人にさらけ出してしまうという大変な仕事を一人でやっているのです。尊敬します。

10. 『一方通行逆進、おお、すまん、ではすまない(2016年6月30日)
 どうして2016年はクリオにページビュー数が集中したのでしょうか。「オースマン通りを逆向きに」はクリオのファーストアルバムの最初の曲。年末になればきらびやかな電飾で覆われる百貨店街オースマン通りを舞台に、女が伸るか反るかの賭けで男に愛を打ち明けようとする短編映画のような歌。この若い女性シンガーソングライターの魅力は、こういう目の前に見えそうな映画的情景で、これを理解してもらうにはいかに歌詞をうまく日本語化するかという私の責任になるのですね。下手と言われようが、2017年も続けます。そして2016年はクリオに出会えて本当に良かったと、このレトロスペクティヴを解説して思いました。