2010年8月20日金曜日

Rentrée littéraire



Michel Houellebecq "La Carte et le Territoire"
ミッシェル・ウーエルベック『地図と領土』

 フランスでの書店売り開始が9月8日です。
 必ずここで紹介しますから、9月15日頃、のぞきに来てください。

2010年8月15日日曜日

「La Peau(皮膚)」制作委員会



アソシアシオン・プール・ラ・ポー
「La Peau(皮膚)」制作委員会

●設立目的:皮膚ガン研究の援助

●団体概要:皮膚ガン研究と患者看護を援助するための非営利団体
●具体的活動:ミュージシャン,アクター,作詞作曲家などのアーチストたちを結集して、「皮膚」をテーマにしたアルバムを制作すること。アルバムのタイトルは「La Peau(皮膚)」。


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 皆さん,こんにちわ。

 私の名前はマチュー・バレーと言います。

 皆さんの中には、コンサートの会場や録音スタジオなどで私と出会う機会があって,私のことを知っている人たちがいるかもしれません。
 私のことを知らない人たちのために自己紹介しますと,私はミュージシャン,編曲家,プロデューサーです。80年代にはオルタナティヴ系のさまざまなロックバンドで演奏し、ウイ・ウイ(Oui Oui)のメンバーでした。次いで私はミオセック,トマ・フェルセン,バシュング,メルジン,アレクシ・アシュカ,フィリップ・デクーフレといった様々な人たちと仕事しました。そして私が今日もその仕事を続けているのは言うまでもありません。

 今日,私は私を見舞ったひとつの問題について皆さんにお話ししたいのです。それはあなたたちにも関係したことなのですが,多くの人たちがごく普通に耳にする機会があるにも関わらず,実際はまだまだよく知られていないことなのです。

 ガンはひとつの病禍であり,この病禍の増幅はとどまることを知りません。確かにその治療法は日々改善されていますし、それに罹ったからと言って必然的に死ぬということはなくなりましたし、医学の進歩は確実によい結果を残しています。しかしそれにも関わらず,ガンの件数増大は止まらず,より多くの人々を襲い,より若い人たちを襲い,医学はその治療と研究のための方策が著しく不足しているのが現状です。

 私は皮膚ガンに冒されています。それにはいくつかの種類がありますが、転移質の黒色腫が最も悪質なガン腫です。このガンには化学療法や放射線療法は通用せず、治療法はガン腫の摘出手術のみです。免疫療法は再発を予防出来るのですが,それでもガンは再発し,増幅し、他の器官に転移する可能性があります。

 私はその手術を受け,顔の一部を切去しました。あらゆる闘病者にとってそれは同じことかも知れませんが,私にとってもそれは堪えていかなければならない試練でしたし,極めて過酷な段階でもありました...。それを経て、戦いたい、生き続けたい、という渇望が私に再び沸き上がってきました。そして「何かをしたい」それも有益な何かをしたいという望みも。例えばこの病気について語ること、それを抑止しようと必死になって戦っている人たちのことを語ること...。それは私ひとりのためだけにするのではだめだ。それは私ひとりでするのではだめだ。

 私が考えたのは「皮膚」に関するアルバムを作ることです。
 音楽家や役者たちが皮膚について表現する。
 それはオリジナルの音楽を使う。
 それは皮膚について私たちに語りかけるオリジナルのテクストを使う。

 このアルバムのタイトルは「LA PEAU (皮膚)」となります。

 私自身が音楽制作の総合指揮を取り、音楽的/技術的な部分を統括します。そして私の協力者で、女優/舞台監督のリーズ・マレーがテクスト/台本と演出を担当します。幾人かのアーチストたちが既に私たちの闘いのために名乗りを上げています。

 このアルバムの宣伝普及と、このプロジェクトをメディア媒体で紹介するため、そして医学界に直接この効果を還元するために、私たちは様々なパートナーの協力を得るでしょう。

 私が今日、あなたたちに呼びかけているのは、あなたたちの才能とノウハウとあなたたちの持つリレーションシップでもって、私たちに合流して、このプロジェクトを一緒に成功させよう、ということです。

 もはや一切の悲しみもありません。私にはこの現在と、この活動と、ひとつの人生を、そして多くの人生をこんなふうに終わらせたくない、という望みしかありません。

(署名)マチュー・バレー (Matthieu Ballet)





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 (カストール爺記)
  友人でミュージシャンのマチュー・バレーがFacebook上で設立した Association pour la peauのマニフェストをそのまま訳しました。


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追記 8月25日

 8月25日 マチュー・バレーからの回覧
 「プロジェクトは急速に進展しています。以下の音楽アーチスト、俳優、著述家たちが既に参画の意志表示をしています : ドミニク・ア、ジャック・デュヴァル、グラン・トゥーリスム、エマニュエル・テュニー、ミオセック、ザ・マイクロノーツ、アレクシ・アシュカ、ジョゼフ・ラカイユ。ラジオ/新聞雑誌等メディアの支援者も現れています。
 もちろん私たちはもっとたくさんの人々の参加を待っていますが、私たちを支援してくれているあなたたちは、この情報をシェアし、周囲に伝えてください。
 ありがとう。  (署名:マチュー・バレー) 」
 

2010年8月14日土曜日

「Aïoli ! 」を日本に適合するあいさつにすれば...

 私は今までずっとこの Aïoliを「アイオリ」とカタカナ表記してきたのですが、日本では「アヨリ」という方が通っているかもしれません。どうも"ï"の上についたトレマ記号(上のテンテン)が気になって「イ」を強調しなければならないように思って「アイオリ」としていたのですが、発音記号通りにカタカナ表記すると「アヨーリ」が近いかもしれません。マッシリア・サウンド・システムのライヴ盤などでコールされる "Aïoli!"は「アィヨーリ!」と聞こえます。
 アヨリは南仏プロヴァンス地方の、ニンニクとオリーヴ油入りのマヨネーズで、ブイヤベースに欠かせない調味料で、そのまま生野菜スティックなどのサラダソースにも使えます。パスティス酒、ブイヤベース、アイオリはガストロノミック・マルセイユの三大名物と言えましょう。1980年代からマルセイユを拠点に活動しているレゲエ/ラガマフィン・バンドのマッシリア・サウンド・システムは、この香り高きマヨネーズをそのレゲエ世界に取り込み、ジャマイカンのポジティヴな形容詞「アイリー! Irie!」(ゴキゲン、最高、気持ち良い)をもじって、「アィヨーリ! Aïoli!」を「ハッピーかい?/ハッピーだぜ!」のあいさつ言葉/かけ声に採用し、マッシリア親衛隊(マッシリア・シュールモ)などを通してたちまちのうちにマルセイユで最高にゴキゲンのあいさつ言葉として定着したのでした。
 マルセイユ的アイデンティティーとレゲエ的ユニヴァーサリティーを見事に結びつけたこの素敵な「アィヨーリ!」は、マッシリアが行くあらゆるところでファンたちのゴキゲンなフィーリングを伝える言葉になりました。「ハッピー!」、「クール!」、「シュペール!」などとは違う、彼らの歓喜を表現する「アィヨーリ!」は他の言葉で置き換えられるものではないでしょうが、なんとか私たちでもそれに似たものができないかしら、というのが本稿の課題です。
 この夏6月からマルセイユに滞在して、マッシリア、ラ・タルヴェーロ、ジジ・デ・ニッサ、ムッスーT&レイ・ジューヴェンなどが出演した南仏各地のフェスティヴァルを精力的に見て回っているおきよしさんは、マッシリアを初め多くのアーチストとその周辺の人たちと交流されていて、その様子は彼女のFacebook を通してうかがうことができます。その中でおきよしさんは、「アィヨーリ!」を大胆に日本語化して「Nin ni ku! ニンニク!」とマルセイユ人に応答しています。「アィヨーリって日本語でどう言うの?」と聞かれたら、「ニンニク!」と答えているんでしょう。これがこの夏だけで、マルセイユのある種の人々が「Nin ni ku!」とあいさつし始めちゃってる現象もあるようです。なにしろマッシリアのムッスーT、タトゥーですら、おきよしさんの教えで「Nin ni ku!」って言っちゃってますから。

 で、私は「アィヨーリ!」を「ニンニク!」とするのに、ちょっと躊躇しちゃったのです。もうちょっと工夫できないかな、と。「ニンニーク!」と言うと、「タ・メール!」と返ってくるんじゃないかな、と。(解説しますと、nin nique!と聞こえる可能性があり、niqueは俗語動詞 niquer = ニケ、すなわち「やる、ファックする」の命令形、すなわち関西弁表現の「やてまえ、いてこませ」に聞こえるんじゃないか、そうすると NTM で知られるかの表現 nique ta mèreニク・タ・メール にも連鎖し、非常にマザファカなニュアンスが現出してしまうのではないか、と)。
 「ニンニク」はフランス人には言いづらいと思います。直訳のフランス語は"l'ail"(ライユ。定冠詞"l'"をとると、アイユ)がニンニクに相当します。アイユとオリーヴ油が入ったマヨネーズ、これが「アイユ+オリ」=「アヨーリ」です。こういうなめらかな音感で、かつスパイシーで「南」風な雰囲気が伝えられ、日本にも通用する言葉がないか、と私は考えたのです。案は二つあります。


< 1 > Mayo !
 既に日本語として定着しているマヨネーズの短縮形「Mayo」。これを「マヨっ!」って言うんじゃなくて、「マィヨっ!」と発音する。イントネーション的には関西の「まいどっ!」と同じ抑揚をつける。「ま、いいよ」というダレた感じを避ける。短く歯切れよくに「マィヨっ!」と言い切る。そうすると、知っているムキにはフランス一周自転車レース、トゥール・ド・フランスでおなじみのレースリーダーが着る「マイヨ・ジョーヌ Maillot jaune」なんかも連想され、そこはかとないフランスっぽさが醸し出される。関西〜広島の風土で育ったお好み焼きにつきものの「マィヨっ!」、大阪の日常あいさつ「まいど」に近い「マィヨっ!」、フランス風な味覚とスポーツを連想させる「マィヨっ!」 --- これを「アィヨーリ!」の日本版として採用していただけないでしょうか? 
 弱点はややスパイシーさに欠けるところでしょうか。


< 2 > La-Yu ! 
辣油。「ラーユー!」。なんと言っても発音が"L'ail"(ライユ = にんにく)によく似ています。ニンニクは入っていなくても鷹の爪の辛さが激烈にスパイシー。中華文化としてではなく、日本の食文化として欧米世界に大人気を獲得しつつあるラーメンに伴って、これからフランスでも認知度が高まるでしょう。また2000年代以降、沖縄ラー油、石垣島ラー油、久米島ラー油など、日本に固有のラー油人気の上昇もあり、南方ジャパンのオリジナル・チリペパー・オイルという位置づけも、南方フランスと連帯するあいさつ言葉にふさわしいのではないでしょうか。「アィヨーリ!」と「ラーユー!」、どことなく発音も近いですし。
 弱点はマヨネーズともニンニクとも関係ないところでしょうか。

 やっぱり「アィヨーリ!」は日本でもそのまま「アィヨーリ!」で通すのが一番でしょうか?
 昔の日本の人はこんなことも言ってました「青はアィヨーリいでてアィヨーリ青し」。



(↓)マッシリアのガリのあいさつの最初と最後の「アィヨーリ!」を参照ください。

2010年7月25日日曜日

オーパ! オーパ!



 7月23日、ルーヴルとサン・ジェルマン・デ・プレ界隈を結ぶ歩道橋ポン・デ・ザールのすぐ近くの左岸ケ・マラケに停泊するペニッシュ、ラ・バル・オ・ボンLa Balle au Bond船上で、日本人マヌーシュ・スウィング・ギタリスト、トモ君のプレイを楽しみながら食事。
 それまでずっといい天気が続いていたのに、この日は午後から崩れ、夕方から何度か俄雨が降る、危ういコンディション。レストランは最上デッキで、屋根がないので、雨の場合は天幕を拡げるものの、横からの雨は防げないので、最悪の場合はトモ君のステージもキャンセルになってしまうのです。午後8時に着いた時にはやや強い雨で、私たち4人は席に案内されたものの、横からの雨でテーブルにも雨がかかるような状態。ギタリストは2人で、ソロを取るトモ君の向かいに、ポンプ(マヌーシュ・スウィング独特のザ、ザ、ザ、ザ、というリズム・ギター)専業のマニュ(フランス人)がいて、2人とも曲が終わるたびに、ギターにかかった雨水を布で拭きとらなければならないほどでした。
 雨はそのうちに止み、空も夕映えが見えるほど雲が散り、私たちは船上でセーヌの流れに揺られ、向かい側にポン・デ・ザールとルーヴルと右岸の岸辺歩道を散歩する人たちを、上に夕闇の空を、川の上に時おり通りすぎる遊覧船を見ながら、トモ君のギターの妙技を楽しむ、という素敵な宵になりました。ジョルジュ・ブラッサンスの曲や、ジャズのスタンダードを交えながら、「マイナー・スウィング」や「黒い瞳」というマヌーシュ・ジャズの定番を演奏するトモ君は、これはすごいとうならせる超絶テクを披露しながら、一曲一曲真剣勝負の大熱演。ひと夏中ここで演奏することになっているのだそうですが、夏の終わりにはかなりのファンや次のお仕事をつかむことになるだろう、と確信できるようなパフォーマンスでした。
 生憎の天気で、金曜日夜なのに客の入りが悪く、私たちだけが盛り上がっていたような2時間ステージでしたけど、良いもの見せていただきました、ありがとう。
 最後にこれだけは言わせてもらうと、ここのレストランの食事はあまり感心できないので、来る人は「ドリンクのみ」にとどめた方がよろしいでしょう。


(↓白熱のアドリブを交えた「黒い瞳」)

2010年6月30日水曜日

カバにするでない

チン・ナ・ナ・プーン『オーカバもん』 Chin Na Na Poun "Au Cabanon" パトリック・ヴァイヤン(エレクトリック・マンドリン,メロディカ,ヴォーカル) マニュ・テロン(ヴォーカル,パーカッション) ダニエル・マラヴェルニュ(チューバ,バリトン,ヴォーカル) Cabanon (カバノン)男性名詞 1.(やや古)小さな掘っ立て小屋。2.(プロヴァンス地方の海辺の)小別荘。3.(やや古)(刑務所の)独房;(狂人の)拘禁室。  (大修館新スタンダード仏和辞典)  なんていう意味を無化するように,裏ジャケットのイラストには買い物バッグ(= cabas カバ)に大きなバッテンをつけて,「カバ禁止」つまり「カバ=ノン」とダジャレています。このイラストによるダジャレは表ジャケットも同様で,ワイングラスがふたつというイラストの横に「Chin チン」(乾杯を意味する仏語慣用表現は Tchin-Tchin チンチン),男がまさに接吻せんとしている若い娘のイラストの横には「Na Na ナナ」(若い娘を意味する仏俗語は nana ナナ),そして一個のリンゴのイラストの横には「Poun プーン」(リンゴを意味する仏語は pomme ポム)というふうに,やや苦しくはありますが「チンチン」「ナナ」「ポム」というイラストで「チン・ナナ・プーン」と読ませようとしているのです。  くだらないと言えばくだらない。怒る人は「カバにすな!」と反応するかもしれない。なんですが,一癖も二癖もあるこの人たちとつきあうというのは,この冗談ともつきあわないと全然楽しめないのですよ。  南仏モンペリエのチューバ吹き,ダニエル・マラヴェルニュ,南仏ニースのマンドリン弾き,パトリック・ヴァイヤン(メロニウス・クワルテット),南仏マルセイユの超ヴォーカリスト,マニュ・テロン(ルー・クワール・デ・ラ・プラーノ)による,冗談込みの実験的オクシタントリオです。チン・ナナ・プーンは2006年にDaquiレーベルからマルセイユのオック語詩人/作詞作曲家ヴィクトール・ジェリュへのオマージュ・アルバムを発表しています。  それぞれの分野でクセのある手法で音楽に取り組んできた3人だけあって,クセとクセが激突したりズレたりすることもあるのですが,そのスリリングな関係を和声的に統率しているのは,パトリック・ヴァイヤンの編曲の妙のように思います。高音域の弦楽器がチンと鳴り,低音域の金管楽器がプーンと響き,その真ん中でマニュのヴォーカルが「ナナナ...」と陽気なイタリア人のように歌い上げますが,時々3人がハチャメチャになって乱闘的インタープレイをするというのが,このトリオの文殊の知恵です。  レパートリーはイタリア民謡,イタリア抵抗歌,オック語シャンソン,ポール・ヴェルレーヌ詩/ガブリエル・フォーレ作曲の「牢獄」,ブールヴィルの歌で知られるミュゼット・シャンソンのスタンダード「C'était bien - Le petit bal perdu」,ボリズ・ヴィアン作の「原子爆弾のジャヴァ」など。表題曲の「オー・カバノン」はマニュ・テロン作詞/パトリック・ヴァイヤン作曲のオック語曲ですが,TGVが通ったせいで,パリ圏から大挙してマルセイユに押し寄せてきた中央の成金どもが,カバノン(この場合はプロヴァンス地方の海辺の小別荘の意味)の売買によってマルセイユの不動産利権を掌握し,政界を巻き込んで,力づくでもともとのマルセイユ人たちを追い出し,自分たちの好き勝手できる町に変えてしまった,というプロテスト・ソング。マルセイユをカバにするでない,と怒っているのです。 <<< トラックリスト >>> 1. VURRIA FARI UN PALAGGU (ROSA BALISTRELI) 2. C'ETAIT BIEN - LE PETIT BAL PERDU (R.NYEL/G.VERLOR) 3. AU CABANON (M.THERON / BIBAL, P.VAILLANT) 4. ROCIO (RAFAEL DE LEON / MANUEL QUIROGA) 5. JAN TRESPASSA (GELLU/P.VAILLANT) 6. CANNETELLA (annonyme) 7. LUNITA NUEVA (BOBBY CAPO) 8. PRISON (PAUL VERLAINE/GABRIEL FAURE) 9. LA JAVA DES BOMBES ATOMIQUES (BORIS VIAN / ALAIN GORAGUER) CHIN NA NA POUN "AU CABANON" BUDA MUSIQUE CD 860190 フランスでのリリース:2010年7月 (↓)2010年4月29日マルセイユのシテ・ド・ラ・ミュージックでのアルバムお披露目コンサート

2010年6月23日水曜日

Do you believe in magic ?



 『手品師』"L'ILLUSIONNISTE" 2006年制作フランス,アニメーション映画
 監督シルヴァン・ショメ 原作ジャック・タチ
 フランス封切:2010年6月16日


 6月22日(火曜日)の夕方5時の回に見ました。付帯状況を説明しますと,W杯決勝リーグA組最終戦,フランス対南アフリカ共和国が開始されて前半で耐えられなくなって,映画館に飛び込んだというのが実情です。この映画の中でも,少女アリスが若い男と仲良く腕組みながら歩いてくるのを見た手品師が,たまらくなって通りにあった映画館に飛び込むとその中でジャック・タチの『ぼくの伯父さん』が上映されているというシーンがあります。耐えきれなくなったり,たまらなくなったりして飛び込んだ場所が映画館という経験,あなたありませんか?
"LES TRIPLETTES DE BELLEVILLE"(日本題『ベルヴィル・ランデブー』)のシルヴァン・ショメの大作アニメ,第2弾です。ジャック・タチの未発表シナリオが原作です。
 1950年代,パリではミュージックホール全盛時代が終わり,そのスターであった手品師,腹話術師,軽業師,道化師などが喰えなくなり,地方へ外国に旅に出て出番を探すようになります。海峡を渡り,ロンドンに行くものの,劇場はロックンロール時代を迎え,手品がロックンロールに太刀打ちできるわけがありません。初老の手品師タチチェフ氏は仕事を求めてさらに北上し,スコットランドの離れ小島のたどり着きます。この離れ小島に初めて電気の灯がともる,という記念パーティーの余興ショーマンとして出演し,大喝采を受けます。泊まった島の宿屋で出会った貧しいメイドの少女アリスは,この初老の芸人に「魔法使い」を見ます。すべての夢を叶えてくれる魔法使いのように見えたのです。手品師はこの無垢な少女の前で,最初は手品はタネのあるごまかし(「passe-passe パスパス」,やがて少女は男を"パスパス"と呼ぶようになります)にすぎないと説明しようとするのですが,少女は魔法を信じていて,男は徐々に少女の魔法使いの役を演じるようになります。島を離れ,スコットランドの都会,エジンバラに移ってきた手品師は,彼についてきた少女を優しく保護し,その願い(服がほしい,靴がほしい...)を次々に叶えてやりますが,それは魔法ではなく,少女の見えないところでガレージで働いたり,ペンキ塗りをしたりして小銭を稼がねばならなかったのです。
 売れなくなった手品師の仕事の惨めさや貧しさにも関わらず,少女と男の魔法のように美しい時間が,50年代スコットランドのすばらしい風景とエジンバラの美しい街並の中で展開します。ところが,時は経ち,少女は大人になっていくのです。優しい若者と出会い,少女は恋に落ちます。手品師の「魔法」が必要でなくなる時が来たのです...。
 このアニメ映画は,セリフがほとんどなく進行します。手品師タチチェフ氏はフランス語を話し,スコットランドの人たちは英語を話し,少女アリスはゲール語しか話しません。言葉による理解を全く必要としない映画です。少女と手品師はコミュニケーションなしで,危うくも純粋な交感を成り立たせているように見えます。このアニメ映画のポエジーは,言葉がないゆえに絵だけで浮かび上がってくるポエジーなのです。
 しかしこの絵...。最初から最後まで,どの絵を見ても,どの構図を見ても,あらゆる画面から詩情が直撃してくるような場面ばかりです。これは私たちの古いヨーロッパが持っている何かかもしれません。雨降る北ヨーロッパの灰色基調の薄暗い風景が持っている何かでもありましょう。蒸気機関車と煙草が画面を煙たくしています。そういう優しい濁りが,この映画の隠し味のように見ました。


(↓"L'Illusionniste" 予告編)

2010年6月16日水曜日

全世界で18万人



 2010年6月,世はどちらを見てもサッカーW杯。私が定期購読している数少ない雑誌(実際には2誌のみ。週刊テレラマと...)のひとつロック&フォーク誌の最新号も表紙はこれです。中に「ロックとサッカー」という特集記事もありました。ロック&フォークはフランスの中高年向けのロック誌です。レ・ザンロキュプティーブル誌の読者層が25-35歳であるのとは対照的に、60-70-80年代にリアルタイムで往時のロックを聞いていた人たちが読む雑誌です。老人の戯言と言わば言え,若い衆にはわかるまいに、というエディトリアル・ラインがはっきりしています。
 編集長のフィリップ・マヌーヴルは、2年前から民放TV局M6のスタ誕番組「ヌーヴェル・スター」で審査員をしていて,メジャーマスコミでの露出度が俄然アップした男ですが,私と同年同月生まれの55歳(数日後に56歳)です。最初にロック&フォークに記事デビューしたのが1973年のことで、イギー&ストージーズ"Raw Power"を論じています。ローリング・ストーンズをこよなく愛し,ミッシェル・ポルナレフの自伝本『ポルナレフによるポルナレフ』(グラッセ社刊2004年)には共著者として名を連ねるほどポルナレフと密接な関係にあります。テレビではずいぶんとテレビ向けのサービスをしますが(つまりアホなこともずいぶん言いますが)、同世代ということもあってマヌーヴルの言うことはよくわかり,共感する部分が多いです。
 月刊誌ロック&フォークは毎号最初のページがマヌーヴルの巻頭論説です。今月はこういう時期でこういう表紙なので、マヌーヴルもロックとサッカーの関係について書いています。ロックがスタジアムを埋めるようになってから,ロックとサッカーは同じ運命を辿るようになったのか、ということにマヌーヴルは苛立ちます。両者の世界,両者のシステム,両者のフィロゾフィーは全く異なるのだ、と言います。今日ロックやポップのスターたちがスタジアムを埋めようが、その影にある危機的状況は隠しきれるものではない、という続きをもってきます。以下そのまま訳してみます。

 昨今,フランスのシングルチャートでは1週でたったの4500枚しか売っていないものが1位になる。この数字は今日もなおどうしてCDを出し続けるのかを真剣に考えさせるものだ。また,ビルボード誌がレコード産業危機の被害者数を推定している。それによるとこの地球上で,少なくとも18万人の人間が職を失い,解雇されるか早期退職を余儀なくなれたことになっている。これは多くの工場が閉鎖されたことでもある(そして多くの少女たちが街頭の立ちん坊になったことでもある)。しかし,この信じられない数字を、誰も論じようとはしないのである。どこにもこのことはコメントされていないのだ。きみたちはここからどんな結論を引き出そうが勝手だが、スタジアムへ向かう道途中で考えてほしい。

 私はフィリップ・マヌーヴルを抱きしめたい気持ちです。