2023年9月10日日曜日

見えすぎちゃって困るの

Lilia Hassaine "Panorama"
リリア・アセーヌ『パノラマ』


2023年度リセ生の選ぶルノードー賞(Prix Renaudot des lycéens 2023)

2022
年のゴンクール賞候補に上った前作『苦々しい太陽(Soleil Amer)』に続いて、早くもリリア・アセーヌの3作目の長編小説。前作が20世紀郊外シテとアルジェリア系移民という作者に近い距離にあった題材だったのに打って変わって、新作は近未来(2049〜50年)推理サスペンス(フランスで言うところの”Polar")小説である。今日、明るい未来など書く作家はいない。未来と聞いただけでネガティヴなことばかり考えてしまう時代にわれわれは生きているが、おこがましくも「モアベター」を目指すのではなく、「レスワース」な明日を次世代に残すべくわれわれはそれなりの努力をしている、と思う。しかしリリア・アセーヌの描く未来においては、フランスは一旦壊れてしまい、革命(”新フランス革命”!)が起こり、その後20年の歳月をかけて都市構造(それを構成する建築)をラジカルに改造することによって、無犯罪/直接民主主義/全市民協調のユートピア街区があちこちに出来てしまったのある。
 主人公で話者であるエレーヌは2050年時点でアラフィフ、ひとり娘のテッサは難しい年頃のリセ生、伴侶のダヴィッドとは関係が冷えていて、小説の途中で別居することになっている。エレーヌの職業は今日の言葉で言えば警官だが、”革命”後警察組織が大幅に変わり(なにしろほぼ”無犯罪社会”が実現してしまったのだから)、警官は"gardien de protection"(保護監視人)と呼ばれるようになった。しかし”警官上がり”で、昔カタギの”デカ”感覚で仕事している。小説はその閑職のベテランデカであるエレーヌに何年ぶりかで”事件”が回ってくるところから始まる。親子3人一家蒸発事件。そのイントロに続いて、この2049年現在の社会ができる契機となったその20年前2029年の”新フランス革命”がどのようなものであったかを描写する6ページが来る。

 長くなるが2029年革命について。それは何百万人のフォロワーを持つインフルエンサーが、少年時代に受けた性被害で叔父を告発し裁判に訴えるが、証拠不十分で敗訴。しかしインフルエンサーはそれをフォロワーたちにアンケートを求め、自分が受けた屈辱と苦痛を自らの手で晴らすべきか否かを問うと87%が復讐を実行すべきと答えた。彼はその支援をバックに、自撮り撮影をしながらオンラインで叔父復讐殺害シーンを中継した。何百万というフォロワーたちは”正当復讐”を支持し、逮捕されたインフルエンサーの無罪放免を求めて激しい抗議行動を展開し、裁判所など公的機関を襲撃して大暴動となった。そして同じように、これまでの司法でお咎めなしとされた凶悪犯罪・性犯罪・権力犯罪の被害者たちが自らの手で復讐行動を取る、同時多発の復讐殺害事件がフランス全土で群発し、それは1週間続き(これを”Revenge Week"と呼ぶ)、大統領府と政府はまったく機能しなくなった。この全国規模の復讐劇を収集させたのが、若き女性弁護士のガブリエル・ボカで、公正を欠き無力だったこれまでの司法制度を解体させ、Revenge Week の復讐者たちの正当性を認め(その殺人という行為の重さゆえにリスト化し監視下におくが)無罪放免とした。ボカは犯罪の原因はそれを隠すものがあるからだという説を立てる。人の目に見えないところで起こるのが犯罪である。ボカは隠すものを取り払い、市民がおたがいに透明な環境でおたがいを監視し合う社会を提唱する。この運動を「トランスパランス TRANSPARENCE(透明)」と呼び、透明な社会実現を具体化する都市計画のために、若き建築家ヴィクトール・ジュアネの考案したガラス張り住宅による町づくりをと訴える。トランスパランス運動は大多数の支持を集め、その結果既存の建物は破壊され、外からすべて見える透明ガラス作りの家屋で占められた町が建設される。
ジャングルであったわれわれの町々は動物園に変わったのだ(p11)
 ディストピア文学の古典ジョージ・オーウェル『1984年』(1949年)では全体主義独裁権力によってあらゆるところに仕掛けられたテレスクリーンによってすべての市民が監視されるが、アセーヌのこの小説では独裁者(権力)ではなく地区住民の一人一人がお互いにガラス張り隣人宅の隣人の行動を”肉眼で”監視し合うことで防犯し、安全状態を保つ。この小説では2029年革命ののち、トランスパランス体制のおかげで犯罪が激減し、隣人同士がお互いを知り尽くして調和的共存関係が築かれたことになっている。当然個人同士の”ソリ””嗜好””ジェンダー””社会的身分”などの違いによって、"類は友を呼ぶ"の倣いで地区は別れ、ブルジョワたちがブルジョワ街区を築くように、エコロジスト街区、労働者街区、ゲイ街区などが出来ていき、それぞれの街区が住民たちの直接民主主義でものごとを決めていく。
 小説はこの性善説原則の隠し事のない社会、(表面上)透明なユートピアが、ある事件によって、透明性の限界のような不可視のうごめきが露出してくる、というストーリーなのであるが...。事件はパクストン(Paxton)と呼ばれるセレクトなブルジョワ住宅街で起こる。ここにはガラス張り家屋都市計画の発案設計者にして総指揮者である建築家ヴィクトール・ジョアネも住み、彼の肝入りの町づくりの功あって”フランスで最も安全な町”と呼ばれている。2049年11月に起こった一家3人(夫婦+息子)の蒸発はパクストンという最強の安全環境ではありえない事件だった。妻ローズは世界的な名声のある画家で(その収入でこのパクストンには十分に”入居資格”があり)、そのヒモのような夫ミゲルは詩人でそのほか自分のできる仕事を転々として生きる趣味系自由人(これはこの環境とソリが合わないことままあり)、息子で10歳のミロは両親から引き継いだ”芸術家気質”が災いして学校でイジメに合っていた....。昔カタギのデカのエレーヌとその相棒(助手)のニコの懸命の捜査にも関わらず、一家の行方がつかめぬまま、2050年6月、ミゲルとローズが他殺死体で発見される。ミロはどこかで生き延びているのか?...
 
 推理サスペンス小説なので、この事件のなりゆきをいちいち挙げていったら大変な長さになるのでやめるが、要は隠し事のない社会にも秘められた隠し事がたくさんあって、それらが暴かれるたびに事件の全容が少しずつ、という古典的推理小説パターンは踏襲されている。だいたい隠されたものが何もない社会という前提を誰が信じられますかってえの。面白い展開のように読めるけれど、それは推理サスペンスとして読めばの話で、それよりもこの近未来社会を産んだ社会的政治的なフランス人の選択というのはありえるのか、という作家の”予見性”への疑問が私には強い。ウーエルベックの予見性というのは議論の余地を感じさせながらも「ありうること」と思わせる。
 往々にして作家は未来を描く装いを借りて”現在”を描写するものである。上に要約して紹介した2029年の"REVENGE WEEK"という同時多発復讐殺人暴動は、裁判所や警察が”正義”を執行しない事例が累積した結果への民衆の反乱と読める。インフルエンサーが腐敗した司法に背を向け、SNSによる何百万というフォロワーの”人民投票”を根拠に復讐殺人を実行し、”民意”の圧倒的賛同を得る。まだ復讐殺人こそ起こっていないが、これはほぼ2023年的現実であり、この2023年7月の警官によるナエル(17歳)射殺に抗議する全国的な(未成年者を中心とした若者たちの)大暴動は1週間続いたし、そこでもSNSが持ってしまった強大な威力が見えた。
 そして市民たちがお互いを監視し合う社会、これは2019年のコロナ禍の際に長期間続いた外出制限令(コンフィヌマン confinement)の時に、フランス社会は経験している。それまで規制を嫌う個人主義的な国民性と言われ続け、この制限令は多くの人たちによって破られるだろうと思われていた。ところが市民たちは従順にも家の中に閉じこもり、必要最低限の外出には自らが時刻を記入した外出理由書を手に持って1時間以内に帰宅したのだ。これにはフランス人自身が驚き、病禍に対抗する市民の連帯を自画自賛した「フランス人もやればできる」と。これは街頭で警官たちが監視していたことよりも、市民たちがお互いに目を光らせ、外出する者やマスクをしない者をウィルスをばらまく者とみなして見張っていたのだ。この市民による相互監視は、戦争中の日本の”隣り組”と同じ。日本の伝統はあの頃の「非国民」という罵声と同じ響きを持って、今日のSNS上の「反日」指弾につながっている。
 で、リリア・アセーヌはこの市民相互監視の社会を2029年のフランス人はセキュリティーのユートピアとして選択する、と想像したのだ。セキュリティー第一主義、これは現在でも雄弁に市民たちを誘惑する考え方であり、ポピュリズムの第一の武器でもある。ただこの小説の市民のセキュリティーは、警察や軍や国家権力が力によって保障するのではなく、市民ひとりひとりの目が守るのだ、という。透明な社会、隣人に隠すものを持たない社会、ガラス張りの社会の実現。
 アセーヌの小説は、主人公エレーヌを通して、この透明社会に生きながら、個人単位のレベルで、端的には夫も娘も自分も隠し事を抱えているのを知っていて、ましてや社会全体が隠したものを持っていないわけがない、というトーンで進行する。刑事エレーヌの上司への捜査報告書にもすべては書かれない。上司にも同僚にも(小説最後部で)裏切りがある。だったら、この未来社会は現在と何も変わらないではないか ー というところがこの小説を”未来推理サスペンス”よりも”社会派小説”と読まされるゆえんなのである。アセーヌの狙いはちょっと外れているように思えたが、エンターテインメント性はある。ネットフリックス連ドラのシナリオのように読めばいいのか。

Lilia Hassaine "Panorama"
Gallimard刊2023年8月 240ページ 20ユーロ

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)ボルドーの書店Librairie Mollat制作のリリア・アセーヌ『パノラマ』紹介動画

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